雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第103話 六千年の妄執-悪魔の因子-

 ガリア王国の真南に、ハルケギニア大陸から足を突き出したかのように長く伸びた陸地がある。アウソーニャと名付けられた半島群だ。

 

 その東にある内海、イオニア海と隣接する都市連合群を統括する各教会は『イオニア教会』と呼ばれ、ロマリア皇国連合の中で五指に数えられる程の勢力を誇る。

 

「バリベリニ卿は、そのイオニア会に所属する最高顧問のひとりよ。二十代半ばでその地位に就いた若き俊英ってところかしら。枢機卿には普通なら、そうね……どんなに早くても三十代後半か、四十代になってようやく就任できるのに。素直に大したものだと思うわ」

 

 そう言って、目の前に立つ人物に視線を移すイザベラ。

 

「そんな重要人物が紛争が起きている国に派遣されるんだから、当然それに相応しい護衛がついてくるってわけ」

 

聖堂騎士団(パラディン)

 

 王女は隣に腰掛けていた従姉妹の言葉に頷いた。

 

「当たり。なんとイオニア会はもちろんのこと、アリエステ修道会に救世マルティアス騎士団までお越しときたわ」

 

「なんだそれは?」

 

 その問いに答えたのは、伏羲の正面にいたモノだ。

 

『聖堂騎士っていうのは、いわば総称でしてね。実際には各派教会が精鋭中の精鋭を集めて結成した騎士隊を全部ひっくるめて〝ロマリア聖堂騎士団〟って呼ぶんですよ、この場合はイオニア会とアリエステ修道会、救世会マルティアス寺院附の騎士隊がガリアに来ているという訳で』

 

「ふむふむ」

 

『騎士個人の実力的なことだけで言えば、花壇騎士団の皆さまのほうが上です。連中の厄介なところは教皇の命令と信仰を守るためなら、文字通り死ぬまで戦うことでしょうな』

 

 肩をすくめて見せた相手に、イザベラは同意する。

 

「だからあいつらを敵に回すような真似はしたくなかったんだ。あの連中、いざとなったらほんとに捨て身で来るからね、こっちの損害も馬鹿にならないんだよ。おまけにその場で宗教裁判を開く権限まで持ってるもんだから、北はともかく他の騎士団は絶対に手が出せないし」

 

「まさか、その者たちの意に沿わぬ真似をしたが最後、異端認定されるのか?」

 

「そういうこと」

 

「なんと面倒な……!」

 

 だからこそ、イザベラはリュティス大聖堂に少なくない人員を投入し、警戒態勢の穴を探っていたのだ。

 

 調査の結果、リュティス大聖堂には敬虔なブリミル教徒が心の安寧を得るための聖域とは思えないほどの厳重な護りが敷かれていた。魔法による障壁や罠が幾重にもかけられ、各派教会の聖堂騎士一個中隊が詰めている。

 

「万が一戦闘になった場合、鎮圧には花壇騎士団の中でも特に優秀な部隊が三つ……ううん、四つは必要だろうね。そうなると困るから、あなたたちに依頼したんだけど……」

 

 再び、ちらりと正面の人物を見遣るイザベラ。

 

『正直、あれは二度と御免被ります。私の流儀に反しますので』

 

「済まなかったね。わたしとしても、まさかこんなことになるとは思わなかったんだ」

 

 ふたりのやりとりを聞いていた伏羲が抗議する。

 

「おまえら、一体何が不満だと言うのだ!」

 

 その場にいた参加者たちは目を見合わせた。

 

「いや、だって、ねえ……」

 

「あれはない」

 

『私も姫さま方に同意しますよ』

 

「なんでじゃ――!!」

 

 

○●

 

 ――ハルケギニア人として初の宇宙遊泳をした翌朝。

 

 イザベラは己の懐刀を呼び出し、彼に作戦実行のための指示を与えた。

 

 それを受けた『地下水』は、いつものように大勢の間を渡り歩きながらリュティス大聖堂に潜り込み、そこでもまた多くのひとびとの間を行き交う。

 

 数時間ほど大聖堂の中を全て見て回った暗殺者は最初に受けた王女の命令通り、特に何もせずにプチ・トロワへ戻った。

 

 ……その夜。

 

 『地下水』を起点として、リュティス大聖堂のそこかしこに『窓』を展開する準備を整えていた伏羲は街中が寝静るのを見計い、行動に移った……のだが。

 

「こうするのが一番安全、かつ確実だったではないか!」

 

「わかってる! わかってるわよ! だけど!!」

 

「これは酷い」

 

『いやまあ、私は触れた相手を操れるとは言いましたがね……』

 

 なんのことはない。標的――眠っていたバリベリニ枢機卿の真正面に『窓』を開け、彼の顔に『地下水』を乗せただけである。

 

 そのまま順当にバリベリニ卿を乗っ取った『地下水』は『窓』を潜り抜け……そして。

 

『あれほど厳重な護りの中から、こうもあっけなく要人の誘拐が成功してしまうというのは……なんといいますか、暗殺者としての矜持が粉々に打ち砕かれる的な?』

 

 人好きのする顔立ちの若い男が、そう言って苦笑した。冬物の暖かな寝間着に身を包んだ彼の右手には、鈍く光る短剣が握られている。

 

「仕事が簡単に終わったのだぞ、素晴らしいことだとは思わぬのか?」

 

 不満げに鼻を鳴らした伏羲に対し、男――『地下水』はにっこりと微笑んで見せた。

 

『私は難題に挑むのが大好きでしてね。それに、ずっとあなたの〝力〟を借りていられるわけでもないのでしょう? 頼ることに慣れてしまえば、いつか訪れるであろう困難を乗り越えられなくなりますから』

 

「短剣だけに、錆びつきたくない?」

 

「シャルロット。あなた、真顔でそんな冗談言う子だったのね……」

 

 地球の『始祖』とガリアの暗部が、それぞれの〝力〟を惜しみなく提供した結果。ロマリアでも五指に数えられる程に巨大な派閥の最高顧問は、抵抗することはおろか、自分が攫われたことにすら気付かず『部屋』の中に佇んでいた――。

 

 

●○

 

「ええ、その件についてはもちろん聞き及んでおりますとも」

 

 ロマリアがガリアの内乱に関与しているのは本当かというイザベラの問いに、心を縛られたバリベリニ枢機卿から返ってきた答えがこれだった。

 

「先代の王妃を洗脳したり、ふたりの王子を仲違いさせようとしたことも……?」

 

 底冷えするような声で訊ねるタバサに対し、若き枢機卿は柔らかく微笑みながら頷く。その様は『地下水』に操られているとわかっていても不気味だった。

 

「はい。その他にも、現状に不満を持つ貴族を焚きつけたりしていたようですが」

 

「なるほどね。ところで、卿はこの件にどの程度関わっているの?」

 

「私は無関係ですよ。あくまで概要を理解しているだけに過ぎませんので。そもそも、こうした仕事は情報局が取り仕切るものですから」

 

「ボン・ファン寺院とか?」

 

 枢機卿は首を横に振った。

 

「あそこは本国へ情報を流すための中継地点、それも見せ札のひとつに過ぎません。全てを宗教庁に集めた上で判断し、適切な指示を送るのが情報局の役割ですので」

 

「他にも拠点があるってことかい?」

 

「もちろんです。私も全てを知っているわけではありませんが、何百年も前から地域に溶け込んでいた老舗が実はロマリア情報局員のたまり場だった、なんて話はざらですし」

 

 イザベラはむうと唸った。

 

(なるほどね、これまでの調査で連中の尻尾が掴めない訳だよ。こっちに入り込んでいるのはあくまで末端で、本体は遠く離れたロマリアにいるってんだから。おまけに寺院や聖堂の類は囮。本命は市中に溶け込んでるとか……)

 

 実のところ。間諜に店を持たせ、あまつさえそれを営業させるなどという発想はイザベラの中にはないものだった。ましてや数世代かけて諜報員たちを土地に馴染ませ、滲み出る余所者の空気や不自然さを拭い去るなどというのは想像の埒外にあった。

 

 彼らのやりくちに比べたら、イザベラが立案して実行に移したマッチポンプなど、まるきり子供のおままごとだ。

 

(腹立たしいけど、やっぱりロマリアの諜報機関は洗練されてるわ……謀略国家の名前は伊達じゃないってことね)

 

 昔なら、苛立ちのあまり周囲に当たり散らしていたことだろう。しかし本気でこの仕事に取り組もうと決意して以降、彼女は大きく変わったのだ。

 

(ある意味、これは連中の手口を学ぶ好機だ。時間が許す限り教えを請うとしようか。こんな機会は滅多にないからね)

 

 北の騎士団長は再び哀れな虜囚であり、得難き教師に声をかけた。

 

「その情報局ってのはどこにあるんだい?」

 

「もちろんロマリア宗教庁の中ですよ」

 

「お前はそこへ入ったことが……?」

 

「ありません。秘匿された部署ですから」

 

「関わり合いがないってことかい?」

 

「ええ。そういうものが存在すると知っているだけです」

 

 枢機卿はきっぱりと言い切った。

 

「徹底してるんだね」

 

「噂話というものは際限なく広がるものですからね。歴代の教皇と、周辺を固める一部の人員にしか伝わらないようになっているのですよ。逆に言えば、その程度の情報も掴めないような者がロマリアで権力の座に就くことはありません」

 

 つまり、彼はなるべくして地方教会の最高顧問になったというわけだ。

 

「ありがとう、よくわかったよ」

 

 イザベラは、ここまでの情報を改めて整理した。

 

 父ジョゼフの魔法に関する噂が錯綜したことや、その後の対応が遅かったことについて、こういった事情があるのなら納得できる。おそらくは手足から頭までの距離がありすぎて、有用な情報の仕分けや裏取りに作戦の立案、実際の指示が行き渡るまでに相応の時間がかかるのだろう。

 

(情報の新鮮さを重視するか、暗躍が露見しないよう徹底的に隠れるか……一長一短だね。とりあえず、ロマリアにわたしの息のかかった騎士を何人か派遣したほうがよさそうだ。この件については後ほど父上に相談するとして、その前に……)

 

 瑠璃色の瞳が同席者たちに向けられると、彼らは揃って頷いた。それを見たイザベラは核心に迫るべく口を開く。

 

「つまりだ、ロマリアがガリアに調略を仕掛けて内乱を引き起こそうとしたことや、お前たちに都合の良い王を戴冠させようとしたのは間違いのない事実なんだね?」

 

「はい」

 

「ガリア王をロマリアの傀儡にするために?」

 

「ええ、まあ。表現が直接的に過ぎますが、ありていに言えば」

 

「最終的な目的が聖地奪還だってことも?」

 

「もちろん。『始祖』に誓って」

 

 王女はその美しい眉根を両の指で揉んだ。

 

(あの月目野郎だけじゃなく、イオニア教会の大物までもが知っていた……こいつはもう確定だ。狂人の戯言なんかじゃない)

 

 叶うことなら、今すぐロマリア大聖堂に乗り込んで、奥でふんぞり返っているであろう教皇の胸ぐらに掴み掛かり、思いっきりぶん殴ってやりたい。

 

 ふと、イザベラは隣の椅子に腰掛けている伏羲の横顔を見遣る。

 

(彼ならほんとにやれそうだけど、さすがにシャレにならないわぁ……)

 

 そんな真似をしてしまったら、何のために彼らに枢機卿の誘拐を依頼したのかわからなくなる。諸悪の根源を叩き潰すという甘美な誘惑に耐えつつ、イザベラは質問を続けた。

 

「でもさ、お前たちはどうやって『聖地』を奪い返すつもりなんだい? エルフの先住魔法は強力なんだろう? 実際、過去に何度も遠征軍を差し向けたけどボロ負けだったじゃないか。まさかとは思うけど、数にモノを言わせて突撃するなんて言わないよね?」

 

 その問いを受けたバリベリニ枢機卿は、生真面目な顔で王女の質問に答えた。

 

「当然、聖下はそのための準備を始めておられます」

 

「その話、詳しく聞かせてもらえるかしら? ああ、長い話になりそうだから、その前に喉を潤しておくといいよ。ワインに麦酒(エール)、果実水……蜂蜜酒(ミード)もあるけど、どれがいい?」

 

「貴女のお心遣いに感謝を。では、蜂蜜酒をいただけますか?」

 

 琥珀色の液体を受け取った枢機卿は、嬉しそうに微笑んだ。

 

「いやはや。まさか、遠い異国の地で故郷の味に出会えるとは!」

 

「これこそが『始祖』のお導きってやつだ。違うかい?」

 

「ええ、まさに!」

 

 バリベリニ枢機卿は宝物を見つけた子供のような表情で、琥珀色の液体を口にした。

 

 蜂蜜酒はアウソーニャ半島の北部や、ゲルマニアの一部でのみ醸造されている酒だ。その歴史は古く、なんと始祖降臨以前にまで遡る。

 

 ワインを好むガリアやトリステイン、麦酒の本場アルビオンではやや敬遠されがちで、三王国では一般に流通していないのだが、このような珍品をイザベラがわざわざ用意していたのには当然理由があった。

 

 自在に精神を操れる『地下水』も、相手によっては苦戦することがあるらしいが、酒や好物を用いて前もって溶かしておくことによって、心の壁を打ち壊しやすくできるのだそうだ。

 

『感謝しますよ、イザベラさま』

 

「別に気にする必要はないよ。部下がやりやすいように万事取り計らうのも、わたしの役目なんだからね。で、そろそろ尋問を再開していいかい?」

 

『ええ、いい感じにほぐれてきました。それではどうぞ』

 

 イザベラは改めて目の前の――『地下水』と故郷の酒に心を溶かされた男へ向き直る。

 

「ずばり聞くよ、お前たちはエルフに勝てると確信しているんだね?」

 

「条件さえ整えば、可能と判断しております」

 

「で、その条件ってのは?」

 

「四の四を揃え、始祖の魔法を復活させる。さすれば聖地への道は開かれることでしょう」

 

 怪訝な面持ちの三者を余所に、枢機卿は民衆に説教をするような口調で続ける。

 

「『始祖』ブリミルが用いたゼロの系統。伝説に語られる〝虚無〟は確かに存在するのです」

 

 呆れ果てたような口調でイザベラは告げた。

 

「そう言われてもねぇ……伝説にしか残っていない魔法を信じて砂漠へ進軍しろって急き立てられてもさあ。素直に、はいそうですかとは答えられないよ」

 

「『始祖』の教えに背くと?」

 

「負けるとわかってる戦いに、兵を差し向けるわけにはいかないっつってんだよ! あんたたち神官は自分の騎士たちに『信仰のために死ね』って言えるんだろうし、あいつらもそれを喜ぶんだろうけどさ、他の国の貴族たちはそうじゃないんだから」

 

 バリベリニ卿はやれやれと肩をすくめた。

 

「教皇聖下の仰る通り、信仰は地に落ちたということですか。全く嘆かわしい」

 

「信じて突き進めば救われるなんていう狂信者の戯れ言を、素直に聞かなくなる程度には利口になったと言って欲しいね」

 

「事実をありのまま信じることの、何が狂信だというのです?」

 

「虚無がある、だからエルフに勝てるなんてさ。言うだけなら誰でもできるだろ?」

 

「証拠ならありますが」

 

「なら、もったいぶらずに見せてみな」

 

 若き神官を煽るイザベラ。その口調は男あしらいに慣れた酒場の女将のようだった。ところが、それに答えたほうもかなりの遣り手であった。

 

「六千年前。ハルケギニアと東方諸国を遮る大砂漠は、青々とした草原がどこまでも広がり、中央に清らかな川が流れる……生命に満ちあふれた土地であったそうです」

 

 イザベラは、はっとした。

 

「まさか……」

 

 その問いに、バリベリニは大きく頷いた。

 

「そう、死の大地サハラは先住の軍勢と『始祖』ブリミル率いる連合軍が衝突した場所。その地に根付いていた生命は、畏るべき虚無魔法により灰燼に帰したのです。『始祖』の周囲を固めていたわずかな者たちを除いて。ああ、これは誇張された伝聞ではありませんよ? 聖フォルサテが実際に立ち会い、彼の子孫たちの間で連綿と語り継がれてきた事実ですからね」

 

 二の句が継げず、まじまじと目の前の若き俊英を見つめるイザベラ。

 

 伏羲は声を潜めて傍らの少女に訊ねた。

 

「サハラとやらの広さはどのくらいなのだ? 図書館では調べきれんかったのだが」

 

「わからない」

 

 従姉妹の返答に、イザベラが補足する。

 

「調査できない、ってのが正確なところだね。ただ、出入りの商人どもの話を聞く限りじゃ、少なくともトリステインよりずっと広いはずだよ」

 

 そこへバリベリニが割り込んできた。

 

「正確にはトリステインの約二倍といったところでしょうか。我々神官が『始祖』に祈りを捧げているだけだと思っていましたか? 敵地を知るのは戦において大切なこと。当然、多くの斥候を放ってかの地を調査させています。東方へ向かう隊商などに紛れ込ませてね」

 

 三人は思わず顔を見合わせた。この話が事実なら、虚無の一撃は最低でもトリステインの国土を砂漠に変えてしまう程の破壊力を誇るということだ。

 

(それに比べたら三王家の乗法魔法なんか、そよ風みたいなものじゃないか!)

 

 尊敬する父が、そんな大秘術を操る人物かもしれない。

 

(昔なら喜んだかもしれないけど、今ではどうにも複雑だねえ……)

 

 そんなイザベラの思いなどつゆ知らぬといった風情で、バリベリニは語り続ける。

 

「ですが、慈悲深き『始祖』はこの結末を受け入れることができませんでした。そこで己の〝力〟を四つに分け、自身の子孫と――最も信頼していた弟子フォルサテの血族にのみ受け継がせることに……ゴホン。失礼、もう一杯それを頂いても?」

 

 枢機卿のグラスに蜂蜜酒を注ぎながら、イザベラは訊ねた。

 

「四つに分けた? 担い手を四人に増やしたってことかい?」

 

 受け取った酒杯を嬉しそうにちびちびと舐めながら、バリベリニは答える。

 

「違います。四人揃って、初めて真の虚無を発動できるようにしたのですよ。それほどまでに『始祖』は虚無の〝力〟を畏れたのです。あれはひとりの人間が持つべきものではない、と」

 

「ふうん。その真の虚無とやらは、王家の乗法魔法みたいなものなの?」

 

「むしろ、乗法魔法は副産物というべきでしょうな。〝虚無〟を受け継ぐ血族だけに許された特権とも」

 

 過去に入手した情報を精査しつつ、イザベラは確認する。

 

「『始祖』ブリミルが、自分の子孫と聖フォルサテの血筋から虚無の系統のメイジが生まれるようにした。四つに分けたってのは、そういう解釈でいいのかしら?」

 

「いいえ、そうではありません。虚無の担い手は、最初からそう在るように生まれてくるわけではないのです」

 

「どういうことだい?」

 

 眉をひそめた王女に対し、枢機卿は説明を好む教師のように述べた。

 

「血筋はあくまで条件にしか過ぎません。『始祖』の意志を受け継げる器でなければ虚無の〝力〟は宿らないのですよ。そうでなければ耐えきれませんから」

 

「意志を継げる、器……?」

 

 それを聞いたタバサの脳裏に、級友の顔がよぎる。

 

(ルイズ……あの子の器は大樹と呼ぶべき程大きなものだった。トリステイン王家の血を受け継ぐラ・ヴァリエール公爵と、伝説の『烈風』カリンとの間に生まれた娘。彼女には条件と資格の両方が揃っている。ある意味、当然の帰結……)

 

 いっぽう、伏羲の内心では嵐が吹き荒れていた。

 

(分割に、適合する器。そこに宿る〝力〟とは……まさか……)

 

 ――かつて、タバサと共に訪れたアンブランの村――

 

 そこで、生者のように暮らしていた魔法人形たちには魂魄が宿っていた。

 

 ――オルレアン公夫人の魂魄を守っていた、小さな人形――

 

 彼女は、分断してしまったシャルロット姫の魂魄から生まれたモノだった。

 

 これらを見た太公望は、この土地に住まう者たちには自分と同じように魂魄を分割できる性質があるのだとばかり考えていたのだが、しかし……。

 

(わしは、とんでもない思い違いをしていたのかもしれぬ)

 

 アンブランの人形と、タバサのフェルト人形。前者は〝土石〟と呼ばれる魔法石を用いて、腕の良いメイジが作り上げた魔道具だ。

 

 同じような効果を持つ『スキルニル』という魔法人形の存在が確認されているが、あれは模写したい人物の血を染み込ませることで効果を発揮する。

 

(だが、タバサの人形はなんの変哲もない、ありふれた布きれで作られたものだった。そんな品に魂魄が宿ったのは、まさか……)

 

 ブリミル本人や彼の血を引く者は、自分や『道標』と同じ、あるいは似たような性質――魂魄を分割できる能力があるのかもしれない。そう考えれば、魔法的な処置など施していないはずの人形にタバサの魂魄の一部が寄り添っていた理由も頷ける。

 

(壊れた母を見た衝撃と悲しみで、タバサの魂魄は無意識に割れてしまったのだ……)

 

 そうして無垢な大公姫シャルロットの側面は肉体から離れた。けれど、想いの欠片は消失せぬまま人形に宿り、オルレアン公夫人を守っていたのだろう。

 

 いっぽう、アンブランの魔法人形は動かすために村人と男爵夫人の血を必要とした。

 

(もしかすると、彼女や『スキルニル』を造り出した魔道具職人たちにも、僅かながらブリミルの血が入っていたのではなかろうか。であればこそ、肉体から離れた魂魄を定着させたり、その一部を削り取って素体に転写することができたのかもしれぬな……)

 

 もちろん、これらはあくまで仮説に過ぎないが。

 

 考え込む伏羲の耳へ、まるで答え合わせをするかのようにバリベリニの声が降ってきた。

 

「〝虚無〟はそれに相応しい器に宿ります。そして目覚めの時を待っているのです」

 

(そっちもか!)

 

 顔には出さず、だが内心で伏羲は呻く。

 

(〝虚無の力〟の正体とは、おそらく……四分割したブリミルの魂魄だ!)

 

 地球の『始祖』の驚愕をよそに、枢機卿の話は続いている。

 

「四人の担い手、四人の使い魔、四つの秘宝がひとつところに揃うとき、真の虚無が蘇る。これは遙かな古代より、歴代教皇と聖フォルサテの血筋の間で語り継がれし伝承なのですよ」

 

 どこか誇らしげに語るバリベリニを見ながら、伏羲は内心ひとりごちた。

 

(ルイズは虚無に目覚めたあとも、自我を保っておった。借体形成の術とは異なるようだのう)

 

 借体形成の術。それは女狐が長き刻を生き続けるために用いた技である。

 

 古くなった肉体を捨て、新たな身体に魂魄を写すという禁術の一種だが、そのためには適合する人柱を捜し出す必要があった。

 

 この術を用いた場合、人柱にされた者の魂魄はその意識ごと砕け散り、消失してしまう。

 

 その逆で、合わない身体へ無理矢理魂魄を注ぎ込むと肉体が使い物にならなくなる、あるいは魂魄側が押し負けてしまい、記憶や能力の継承ができなくなるからだ。

 

(引き継がれるのはあくまで〝力〟だけなのか、それとも……)

 

 三杯目の蜂蜜酒を要求した枢機卿の舌は、当初よりも勢いよく回っていた。

 

「既に最初の〝虚無〟は覚醒しています。たったひとりと侮るなかれ、かつての担い手、偉大なる『大王』ジュリオ・チェザーレは単独でロマリア半島とガリアの半分を統一するに至りました。そこにもうひとり加われば、聖地奪還は決して夢物語ではありません」

 

 イザベラが訝しげに問うた。

 

「いまいち信用ならないんだけど、担い手とやらの当てがあるってことかい?」

 

 バリベリニは大きく頷いた。

 

「もちろんです。まずはガリアのジョゼフ王。彼はほぼ間違いなく担い手になりえる器でしょう。まだ目覚めていないとしても、鍵を渡せば〝虚無〟として確実に覚醒するはずですよ」

 

「その鍵って何さ?」

 

 王女はジュリオにもした質問を、あえて繰り返す。

 

「各王家に伝わる始祖の秘宝と系統の指輪のことですよ。資格ある者が指輪を填めて秘宝を紐解くことで、あれらは虚無の魔法書に変わるのです」

 

「なるほどねえ」

 

 呟いたイザベラは、確認のためにちらと周囲に目配せする。従姉妹も、彼女の頼もしい友人も、揃って頷き返してくれた。

 

 答え合わせを終えると、王女はわざとらしく伸びをした。

 

「う~ん。そうだとしても、あの『無能王』がロマリアに協力するかねえ?」

 

「なに、その場合はお隠れいただくだけですよ。既に〝予備〟の充てはありますから」

 

 さらりと父の暗殺を仄めかした男の精神性に吐き気を催しながらも、イザベラはそれを隠して問いかけ続ける。

 

「予備? まさか、王族の隠し子をどこかに確保してるとか言わないよね?」

 

 隠された双子の存在を知るタバサは、内心ビクリとした。

 

(行方不明のあの子が、ロマリアの手に落ちている――!?)

 

 しかし、幸いなことに運命は彼女に味方した――少なくとも、この時点では。

 

「いいえ、そういう訳ではありません。ガリア貴族たちの間で話題になっていたでしょう? 大公姫が召喚に失敗し、人間の使い魔を喚び出してしまったと」

 

「一応聞いちゃいるけど。それと何の関係が?」

 

「虚無に目覚めるには、三王家あるいは聖フォルサテの血を引いていることが条件だというのは先ほども述べましたが、実はそれだけではないのです」

 

「というと?」

 

「もうひとつの目安として、始祖の使い魔を呼び出せる〝力〟を持つことが必須なのですが――かの選ばれし(ルーン)は人間、あるいはそれに近しい種族にしか現れません」

 

「ひょっとして……」

 

 バリベリニ枢機卿はにっこりと微笑むと、参加する全員に向けて特大の爆弾を投下した。

 

「〝虚無〟は器が破壊されると、資格を持つ同じ血筋の他者に乗り移るのですよ」

 

 イザベラは、口をぱくぱくしながら声を絞り出す。

 

「ま、ま、まさか、ジョゼフ王が死んだら、虚無の〝力〟がシャルロット……姫、に移る、なんて馬鹿なこと、言わない、よね……?」

 

 その疑問に対し、枢機卿は微笑みを浮かべたままだった。すなわち――明確な肯定。

 

「未だ、どの使い魔を喚んだのかすら定かではありませんが、人間種を従えている時点で器としての資格は充分です。大公姫殿下さえ抑えておけば、第二の虚無は間違いなく確保可能かと」

 

 それから、バリベリニ卿は思い出したように付け加えた。 

 

「既にアルビオンの王か皇太子の何れかにも虚無が寄り添っているかもしれませんね。かの〝力〟は高貴なる血筋が危機に瀕した際に、より発現しやすくなるそうですから」

 

 タバサは勢い込んで問い質した。

 

「ロマリアがテューダー家の滅亡を黙って見ていたのは……」

 

「第三の虚無が目覚めれば、より目的の成就に近付きますので。その流れでトリステインが危地に陥ればなお良かったのですが、まさか王朝の交替が起きるとは。ままならぬものですな」

 

 いかにも残念といった様子で漏らすバリベリニ卿。

 

 その姿を見たタバサは、背中に氷のナイフを突き立てられたような感覚に陥った。

 

(このひとは……ううん、彼らは聖職者なんかじゃない)

 

 自分たちの目的を達成するためならば手段を選ばぬ、それこそ始祖の血族を滅びの淵へ追い遣ることすら辞さない、六千年の妄執に取り憑かれた化け物だ。

 

「なんなんだ……」

 

 恐怖、怒り、嫌悪、畏れ……さまざまな感情を含んだ声が、イザベラの喉を震わせた。

 

「お前たちをそこまで駆り立てる『聖地』って、一体なんなんだよ!!」

 

 ――同族の血で国土を濡らし、世界を死の砂漠に変えてまで奪還すべきものなのか。

 

 彼らに翻弄された姫君たちの悲痛な問いに対し、教皇の顧問は厳然と告げた。

 

「聖地を取り戻し、その奥にある扉を開いて『約束の地』へ至る――それこそが、我ら『始祖』のしもべたる者たち全てに課せられた、大いなる使命なのです」

 

 

○●○●○●○●

 

 ガリアの国境を守る城塞都市アーハンブラの遙か彼方、砂漠の東端に広がる海上に、同心円状の埋め立て地が並んでいる。その隙間を縫うように、無数の船が行き来していた。

 

 海上都市アディール。ハルケギニアに住まう人類の天敵、エルフの国ネフテスの首都だ。

 

 埋め立てられた土地の上にはガラス張りの建造物が整然と建ち並んでいるが、そのどれもがトリステインはもちろんのこと、ガリアでも、ゲルマニアにすら存在しない、進んだ技術で造られているであろうことが伺える。

 

 もしも才人がこれを見たら、中東の人工都市を思い浮かべていたことだろう。

 

 都市の中央には高くそびえ立つ塔があった。綺麗な塗り壁で作られ、淡い色の堅焼きタイルが幾何学模様を描いており、無味無乾燥な建物に彩りを与えている。

 

 その塔の屋上に一頭の風竜が舞い降りた。それを見た塔の警護兵たちはすぐさま周辺に集まり、訪れた客人の顔を見て礼をした。

 

 竜の背に乗っていた細身の人物は、兵たちを見て被っていたフードを取り、己の身にまとわりつく砂埃を払う。

 

 切れ長の碧眼に、さらさらと海風にそよぐ金色の髪。それだけなら、ハルケギニア世界でも間違いなく美青年と呼べる風貌である。しかし、髪の横からすいと伸びた細長い耳が、彼が人間ではないことを明確に示していた。

 

「ビダーシャル卿、奥の執務室で統領閣下がお待ちです」

 

「ご苦労」

 

 ビダーシャルと呼ばれたエルフの男は警備兵たちを労うと、まっすぐに塔の中へと向かった。それからネフテスの最高権力者が待ち受ける部屋の前に立った彼は、ノックすらせず扉を開けて中へ立ち入った。

 

 部屋の奥では、ひとりの老いたエルフが椅子に腰掛け、何かをいじっていた。来客に気付いた彼は手にしていたモノを机の引き出しに仕舞うと、立ち上がって声を上げた。

 

「よく来てくれた、ビダーシャル卿」

 

 老エルフは人懐こい笑みを浮かべ、ビダーシャルを歓迎した。

 

「テュリューク統領閣下のお呼びとあらば」

 

「そう畏まらなくともよろしい。熱射の中をご苦労じゃったな」

 

 老エルフ――エルフの統領テュリュークは棚から酒瓶を取り出し、ガラスの杯に注いでビダーシャルを手招きした。杯を受け取ったビダーシャルは、中身を一気に飲み干す。魔法の棚に仕舞われていたそれは、いい塩梅に冷やされていた。

 

「それで、統領閣下。わたしをこの評議員議会本部(カスバ)に呼ばれた理由を伺っても?」

 

「ここ最近、竜の巣――いや、今ここにはわしらしかおらん、率直に言おう。〝悪魔の門〟の活動が活発になってきておることは――?」

 

「存じております。おそらくは……」

 

「そう、蛮人世界で〝悪魔(シャイターン)〟どもが復活しようとしておるのじゃ」

 

 統領の言葉に、ビダーシャルはごくりと喉を鳴らした。

 

「わしは無類の臆病者でな、戦なぞしとうないわい」

 

 ビダーシャルは頷いた。

 

「存じておりますよ、わたしも無益な争いは好みません。いえ、我々エルフのほとんどがそうでしょう――ごく一部を除いて、ですが」

 

「『鉄血団結党(てつけつだんけつとう)』の連中じゃな?」

 

 老エルフはため息をついた。

 

「あやつらはただ一生懸命なだけなんじゃ。言うこと成すこと、全くもって賛同できんが」

 

 肩を落とした統領に向け、ビダーシャルは苦笑して見せた。

 

「わたしがあと三十ほど若ければ、彼らと共に行動していたのかもしれませんがね」

 

「であればこそ、きみを選んだとも言えるのじゃがな」

 

 ビダーシャルの片眉がぴくりと動いた。

 

「と、言いますと?」

 

「蛮人世界に出向き、そこを治める王に会って和平交渉に臨んで欲しい」

 

「彼らが受け入れるとは思えませんが」

 

「それがな、唯一話し合いに応じてくれそうな相手がおるんじゃよ」

 

 自信ありげな笑みを浮かべた統領は改めてビダーシャルに向き直ると、書簡を手渡した。

 

評議会(カウンシル)議員ビダーシャルよ。蛮人世界がひとつ、ガリアの王ジョゼフ・ド・ガリアと対面し、悪魔の門に近付こうとする一派を抑えるよう申し入れよ。和平交渉における相手側への見返りは全てそこに記された通りじゃ。汝に〝大いなる意志〟の加護があらんことを」

 

○●

 

 ビダーシャルの足音が執務室から遠ざかるのを聞き届けたテュリュークは、椅子にどっかと腰掛けると、再び机の引き出しを開け、先程までいじっていたものを取り出した。

 

 それは一丁の長銃だった。より正確に言うなれば〝長銃とおぼしきもの〟だ。エルフの国にも銃はある。あくまで、それと似ているからという理由で銃と呼んでいるに過ぎない。

 

 エルフの優れた技術をもってしてもなお、どうやって造られたものなのか……いや、そもそもどう使うのか、どういった目的で造られたのかすらわからぬ、尋常ならざるモノであった。

 

「かつて〝災厄の門〟が開いて悪魔どもが現れたとき。母なる大地は死の砂漠と化し、我々エルフはもちろんのこと、この地に住まう生きとし生けるもの全てが滅亡の危機に追い遣られた……」

 

 老いたエルフは身震いする。

 

 それは六千年の昔から、今もエルフたちの間で語られる、大災厄の伝説。

 

『災厄の門が悪魔たちの手によって開かれるとき、世界は再び炎に焼かれ、大地は毒に侵され、全てが永遠の闇に閉ざされるであろう』

 

 もちろん、伝承に謳われる悪魔の魔法は怖ろしい。しかしエルフたちとてこの六千年の間、無為の時を過ごしてきたわけではない。統領テュリュークが真に恐怖しているのは――。

 

「わしは蛮人どもの魔法なぞ畏れぬ。限られた者しか扱えぬ技なんぞ、どうとでもなる。じゃが、万人が扱える高度な技術が門の向こうにあるのは間違いない……」

 

 その認識が事実であろうことは、彼の手にした銃が証明している。

 

「臆病者と笑われることくらい、なんでもないわい。あの門が開くことに比べたら……!」

 

 エルフの統領は『世界の管理者』としての責任に押し潰されそうになりながらも、海の彼方に沈む夕日に長久の平和を願った――。

 

 

 




更新遅くなりまして申し訳ありません。

さて、そこいらじゅうに散らばった導火線に火が付きそうな状況です。とはいえ、これでもまだ序の口なんですよネ……。

ゼロ魔原作最終巻発売まで、あと10日。
結末がどうなるのか、気になって仕方がありません。


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