雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第108話 風の妖精と始まりの魔法使い

 ――降りしきる雨の中、銀閃が煌めいた。

 

 草原を渡る風のように、ひらひらと舞うサーシャの姿は信じられない程に素早く、軽やかであった。手にした短剣を振るいながら、飛びかかってくる狼の群れを薙ぎ払っていく。

 

(ガンダールヴ? 俺以外にもいたのか? なんで? どういうことだ?)

 

 突然のことに困惑する才人。と、一匹の狼が彼に向かって襲いかかってきた。自然世界では、隙を見せた者から狩られるのだ。

 

「っ、この!」

 

 牙が届く前にどうにか反応できた才人は、軽く身体を捻ると、狼の腹に上段回し蹴りをお見舞いした。サーシャに勝るとも劣らぬ高速の一撃だった。

 

「ギャンッ!」

 

 腹にきつい一撃を入れられた狼は、悲鳴と共に空を舞い、地面に叩き付けられた。死んではいないようだが泡を吹き、ぴくぴくと痙攣している。続いて飛び込んできた別の狼も、返す刀ならぬつま先で喉元を蹴り上げる。蹴飛ばされた狼は、どさりと音を立てて草原に倒れた。

 

「す、師叔と組み手しといて良かったぜ……」

 

 狼たちは人間と全く違う動きでこちらを翻弄し、想像だにしていない角度から攻撃を繰り出してくる。太公望のアレに慣れていなかったら、反応すらおぼつかなかっただろう。

 

(考えるのは後だ。とりあえず、こいつらを何とかしなきゃ)

 

 才人はぐいと拳を握り締め、狼の群れを睨み付けた。

 

 いっぽう、ルイズはエルフのガンダールヴという驚きから立ち直り、才人に守られながらも、必死に頭を回転させ続けていた。

 

 彼女の中で、細い記憶の糸が繋がりそうな気がしたからだ。

 

(エルフが珍しいなんて、ハルケギニアじゃありえないことよ。つまり、信じたくないけど、ここはわたしの知らない場所。サイトも見覚えがないみたいだし、あいつの故郷って訳でもなさそうね。それに……)

 

 ルイズはサーシャに視線を移した。正確には、彼女の左手で輝くものを捉えている。

 

(サイトと同じガンダールヴ。学院長先生は、虚無の担い手がわたしと教皇聖下以外にあと二人いるかもしれないって仰っていたわ。それなら、他にもガンダールヴを従えるメイジがいてもおかしくない。だけど、何か引っかかるのよね。すごく大切なことを忘れてるような……)

 

 既に、ルイズの中でサーシャは怖ろしい存在ではなくなっていた。ブリミル教の怨敵とされるエルフが、何の見返りもなく自分たちを守ってくれているのだ。それに、彼女に対して心の内から奇妙な親近感が芽生え始めているのも事実。

 

(そもそも、わたしとサイトはどうしてこんなところにいるのよ? さっきまで王宮の隠し部屋で話を聞いていて、それから新しい虚無の魔法を覚えて、エレ姉さまに……)

 

 ルイズの才能のひとつとして、この類い希なる集中力が挙げられるだろう。なにせ、雨風吹き荒ぶ中、唸り声を上げる狼の群れに囲まれていてもなお、揺らがず思考を続けていられるのだから。彼女を守る『盾』がふたりいるからこそ、とも言えるかもしれないが。

 

(そうよ! わたし、始祖ブリミルの御姿を拝見したくて〝記録(リコード)〟の魔法を使ったわ! 今の状況って、もしかしてミスタ・タイコーボーの使う〝夢渡り〟に近いものなんじゃ……)

 

 そこまで考えたところで、ルイズは目が大きく見開いた。

 

 ――ブリミルの奴と、ガンダールヴの嬢ちゃんに似てるんだ。懐かしいなあ――

 

 かつて聞いたデルフリンガーの言葉が、ルイズの脳裏に蘇る。

 

(『始祖』ブリミルを守っていたガンダールヴは女のひとだったって、デルフが言ってたわ。ふたりで一緒に、魔法の研究をしてたんだって……!)

 

 物質に宿る想いを視る魔法を使った直後に、見たことも聞いたこともない土地で、ガンダールヴの印を持つ女性に出会った。これで繋がりを感じるなという方がおかしい。

 

(まさか、この〝イグジスタンセア〟って……)

 

 答えとおぼしきものにルイズが行き着こうとしていた、そのとき。視界の隅で、サーシャの背後に隠れていた一匹の狼が、彼女に飛びかかろうとしているのが見えた。

 

「後ろよ!」

 

 ルイズの声と同時に、サーシャの姿が掻き消えた。いや、正確には消えたわけではない。彼女の動きが速すぎて、ルイズの目で追いきれなかっただけだ。

 

 サーシャの短剣が、目標を見失った狼の足を切り裂いた。エルフの娘はもんどりうって倒れた狼の元へ素早く駆け寄り、獣の首に刃を突き立てた。

 

 とどめを刺されて息絶えた狼以外も、身体のあちこちに傷を受けている。唸り声を上げていた獣の群れは、じりじりと後方へ下がり始めた。才人がドンと音を立てて地面を踏み鳴らし、サーシャがヒュッと短剣を振ってみせると、狼たちはとうとう尻尾を巻いて逃げ出した。

 

 周囲を見回して危険が去ったことを確かめたサーシャは、後方のルイズへ振り向くと、微笑んだ。

 

「声をかけてくれてありがとう。助かったわ」

 

 自然と、ルイズの顔がほころぶ。

 

「こちらこそ、守ってくれてありがとう。その、ごめんなさい。最初に怖がったりして」

 

 それを聞いたサーシャは、輝くような笑みを浮かべた。それから、才人を見て言った。

 

「あなたも、なかなかやるわね」

 

「いえ、サーシャさんほどじゃないっす。ところで……」

 

「なあに?」

 

 才人は振り向くと、問いかけるようにルイズを見た。彼の主人は、皮手袋で隠された使い魔の左手甲に視線を合わせた後、小さく頷いた。

 

(今なら、ガンダールヴのことを聞けるかもしれない)

 

 そう考え、才人が指抜きグローブを外そうとした直後。サーシャの隣に、きらきらと光り輝く鏡のようなものが現れた。

 

「あ、あれ!」

 

「まさか!」

 

 ルイズと才人が同時に叫び声を上げた。無理もない、その光る鏡は〝召喚門〟と見紛う程によく似ていたのだから。

 

 と、それまで柔らかな笑みを浮かべていたサーシャの顔が、急に険しくなった。眉間にしわを寄せ、垂れ気味の目が吊り上がる。

 

(こ、怖い!)

 

 奇しくも全く同じ感想を抱いた虚無の主従は、揃って後ずさりした。サーシャはというと、狼と戦ったときとは比べものにならない程の殺気を全身に漲らせながら、銀色に輝く鏡のようなものを睨み付けている。

 

「お、おっかねえ顔……」

 

「や、やっぱり、エルフは怖ろしい種族なんだわ……!」

 

 小声でそんなことを話し合う才人とルイズ。あまりの恐怖に、ふたりはガタガタと震えながら無意識に抱き合っていたのだが、この状況では色恋もへったくれもない。

 

 そうこうしているうちに、鏡の中から撫で付け髪の冴えない容をしたの若い男が出てきた。才人より少し年上だろうその人物は小柄で、身に纏っている青いローブは裾を引きずる程に長く、手には節くれ立った木の長杖が握られており、丁寧に整えられた髪は輝くような金色だった。

 

 男は慌てた様子でサーシャの元へ駆け寄ると、ぺこりと頭を下げた。

 

「また、きみに迷惑をかけてしまった。ごめん! ほんとにごめん!」

 

 サーシャは無言のまま男の声を聞いていた。しかし、彼女の身体はぷるぷると小刻みに震え、赤く染まっている。

 

「ほんと申し訳ない。その、怒ってる、よね?」

 

 瞬間、周囲の空気がピシリと音を立てて割れた。

 

「当たり前でしょ! この蛮人が――――ッ!!」

 

 叫び声を上げるのと同時に、サーシャは男の顔面に強烈なハイキックをお見舞いした。

 

「ぶべらッ!」

 

 どさりと音を立て、男は地面に崩れ落ちた。サーシャは男の背に片足を乗せ、かかとでぐりぐりしながら訊ねる。

 

「ねえ。わたしとの約束、忘れたの?」

 

「あぐぁ!」

 

「何とか言いなさいよ、蛮人」

 

「蛮人でごめんなさい」

 

 サーシャは、げしげしと男の背中を踏みつけた。

 

「へぎゃ!」

 

「わたしを魔法の実験台にしないって、そう約束したわよね?」

 

 問われた男は、息も絶え絶えに答えた。

 

「ああ、約束した。けど……」

 

「けど?」

 

「他に頼めるひとがいなくて……それに、君を実験台にした訳じゃなくてだね、魔法が人体に及ぼす効果と範囲を研究するために……」

 

 ぐりぐりを継続しつつ、サーシャは叫んだ。

 

「それを実験台って言うんでしょうが!」

 

「ご、ごめんよ! だけど、これは必要なことなんだ! 何せ、今は……」

 

「そういう問題じゃないのよ! わたしは高貴たる種族のエルフ。もっと敬意を払ってしかるべきでしょ?」

 

「き、きみはぼくたちよりも、その、ずっと強いから……」

 

 そう言われたサーシャは、ぎろりと男を睨み付けた。迫力に圧されたルイズと才人が、バックステップで後ずさる。

 

「あなたたちの一族は、相手が強ければ約束を破っていいわけ?」

 

「そうじゃない、そうじゃないよ! だけど、ヴァリヤーグは数が多い! 数で劣るぼくたちは、この奇跡の技〝魔法〟で対抗するしかないんだ!」

 

 サーシャは男の頭に拳を落とした。

 

「あいだぁ!」

 

 踏んだり蹴ったり、もとい、踏まれたり殴られたりな男は既に涙目だ。サーシャは握り拳で男のこめかみをぐりぐりしながら、厳しい顔つきで問い詰める。

 

「あなた、わたしを使い魔だか何だかにするときに言ったわよね? 契約は神聖かつ不可侵のものだって。ねえ、言ったわよね!?」

 

「言った! 言いました!」

 

「約束は契約と同じでしょう? 破ってはいけないものだから交わす価値があるんだし、守れることが文明人の証なの。それなのに、あなたはいつもいつも言い訳ばっかりして、平気で約束を反故にする……!」

 

 そこまで言うと、サーシャは大きく息を吸い込み、草原中に響き渡るような叫び声を上げた。

 

「だから! 蛮人なのよ――――ッ!!」

 

「ギャース!」

 

 後方でこのやりとりを見ていた才人は、ビビりながらも奇妙な懐かしさを覚えていた。召喚された当初の才人と、ボコボコにされている男の姿が、どことなく重なるのだ。

 

(虚無の魔法使いとガンダールヴって、どこでも似たような境遇になるんかな? まあ、俺たちとは逆の関係だけども)

 

 〝反抗したらごはん抜き〟宣言やら、ご主人さまのスカートがめくれ上がったのを目撃(不可抗力)して回し蹴りを喰らった思い出などが、才人の脳裏へ蘇る。

 

 使い魔が神聖な領域を覆い隠す白い布に思いを馳せていた頃。ルイズの身体は、エルフに対する怯えとは、また別の意味で震え始めていた。

 

 ルイズの視線は、今もぐりぐりされ続けている男へ釘付けにされている。

 

(わたしの考えが間違っていないなら、あのひとは……ううん、そんな訳ない。だって……)

 

 と、そんな彼女と才人に気付いたのであろう。件の男が、サーシャに訊ねた。

 

「と、ところで、そこのふたりは何者だい? 見慣れない顔だけども」

 

「あ」

 

 どうやら怒りのあまり、才人たちの存在を忘れていたらしい。羞恥で頬をほんのりと染めたサーシャは、簡潔に説明を行った。

 

「迷子みたい」

 

「迷子?」

 

「気がついたら、ここにいたんですって」

 

「なんだいそれは? 奇妙な話じゃないか。このご時世に、よくも無事でいられたものだ」

 

 話し合うふたりの間に割って入ったのは、ルイズだった。

 

「は、はじめまして。わたし、ル……コメットと申します」

 

「ル・コメット?」

 

「コメット、と、お呼びください」

 

 そう名乗り、頭を下げる。それを見ていた才人は仰天した。ルイズが頭を下げるなど、仲間たちに頼み事をする以外では見たことがなかったからだ。

 

 ぽかんとしていた才人だったが、ルイズに肘でつっつかれ、慌てて自己紹介をする。

 

「ソードです。危ないところを、そちらのサーシャさんに助けていただきました」

 

「あら、あなたも背中を守ってくれたじゃない。おあいこよ」

 

 途端に笑顔を見せるサーシャ。先程まで怒り狂っていたのが信じられないくらいの変わりっぷりである。

 

(エルフっつーか、女って怖い)

 

 そんなことを考えていると、再びルイズにつっつかれた。何だと思って彼女を見ると、指先で左手甲を指している。はっと気付いた才人は、再びサーシャたちに声をかけた。

 

「あの、サーシャさんて〝ガンダールヴ〟ですよね?」

 

 男の目がまんまるになった。

 

「どうしてそれを!?」

 

 返答の代わりに、才人は左手の指ぬきグローブを外して男とサーシャがよく見えるよう、前に突き出した。

 

「まあ! わたしと同じじゃないの!」

 

 サーシャは驚いたようだったが、それほどびっくりしているわけではない。かたや彼女の主人である若い男のほうはというと、慌てて地面から飛び起き、鼻息荒く才人に駆け寄った。

 

「そ、それをよく見せてくれ!」

 

 飛び付くように才人の左手を掴むと、男は食い入るように手の甲に刻まれた印を調べた。

 

「風のように素早い妖精! 魔法を操る小人! 間違いない、これはガンダールヴだ!」

 

「え? 俺、魔法も使えないし、小人でも妖精でもないんですけど」

 

 ところが、才人の言葉は草原に吹く風のように男の耳を通り抜けてしまったようだ。

 

「ほらごらんよ、サーシャ! ぼくが言った通りだろう? ぼくの他にも、この変わった系統を使える人間がいたんだ!」

 

 男は激しく興奮しながら、サーシャに話しかけている。

 

(なんか、初めてゼロ戦を見たときのコルベール先生みたいだなあ)

 

 などと才人が思っていると、今度はルイズに向き直った男が、きらきらと瞳を輝かせながら彼女に訊いた。

 

「もしかして、きみが彼の主人なのかい?」

 

「は、はい」

 

 男は感極まった様子で、ルイズの手を取った。

 

「今日は素晴らしき日だ! 実験は失敗だったけど、まさか、まさか……こうして仲間に出会えるなんて!」

 

 それから、ようやく気が付いたかのように男は言った。

 

「あ、そういえば自己紹介がまだだったね。ぼくはニダベリールのブリミルだ」

 

 才人の表情が強ばり、ルイズの顔が引き攣った。

 

「ごご、ごめんなさい、ミスタ。もう一度、お、お名前を聞かせていただけるかしら?」

 

「ニダベリールのブリミル。ブリミル・ル・ルミル・ニダベリール。気軽にブリミルって呼んでくれて構わない」

 

 にっこりと微笑んだ男を前に、ルイズは完全に固まってしまった。

 

(やや、や、やっぱり! わたしの魔法が失敗したんじゃなくて……)

 

 いっぽう才人のほうも、聞き覚えのある名前に愕然としていた。夏休みというより夏季合宿と化していた期間中、彼は暇さえあれば剣技だけでなく、ハルケギニア全土で信じられている宗教について、徹底的に叩き込まれていたのだから。

 

「始祖、ブリミル!?」

 

「シソ? 何だい、それ」

 

 ブリミルと名乗った男は、きょとんとした顔でルイズと才人を見ている。

 

(待て。確か、ルイズが使った魔法は……)

 

 事ここに至って、才人はようやくルイズと同じ解答へ辿り着こうとしていた。

 

 物質に宿る強い念を視るという、虚無魔法。

 

 ルイズは、自身と家族の願いを叶えるために『始祖』の姿を映し出そうとしていた。

 

 けれど、それが〝世界見の鏡〟と同じように映像が投写されるタイプの魔法ではなく、太公望の〝夢渡り〟のように、()()()()()()に飛び込むのだとしたら?

 

 ぼそりと、ルイズに耳打ちする才人。

 

「なあ。メイジなら普通、子供にブリミルなんて名前つけないよな?」

 

「当然でしょ。そんなこと、畏れ多くてできるわけないわ」

 

「デスヨネー」

 

 改めて、ブリミルという名の若い男をまじまじと見つめるふたり。

 

 世界に奇跡の御技〝魔法〟をもたらした、偉大なる始祖。

 

 ハルケギニア全土で伏し拝まれている、天上におわすブリミル教の神。

 

 遥か彼方の国から『扉』を開いて聖地に降臨したという、五大系統の担い手。

 

 彼がお伽噺の存在ではなく、実在の人物であるのなら。自分たちと同じように子供時代があったはずだし、世界のどこかで暮らしていた……生きていた時代があるはずなのだ。

 

 そして今、目の前にいる男女は。

 

 初代〝虚無の担い手〟と、彼を守る『神の盾』ガンダールヴ。

 

 〝イグジスタンセア〟という土地は、もしや『始祖』ブリミルの故郷なのではないだろうか?

 

 〝記録〟によって導かれたふたりは、文字通り運命の出会いを果たしたのだ――。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――いっぽうそのころ。

 

「おちび! 一体どうしたっていうの!?」

 

「なんということじゃ、サイト君まで……」

 

 先程まで王家の隠し部屋で密談をしていた面々は、泡をくっていた。無理もない、ルイズが新たに覚えた虚無の呪文を唱えたと思ったら、そのまま動かなくなってしまったのだから。

 

 主人と同じように、使い魔である才人も、ぼんやりと虚ろな目で棒立ちしていた。

 

 声をかけても、身体を揺さぶっても、何の反応もしないふたりに業を煮やしたエレオノールが杖を抜き、魔法を使おうとした。ところが、才人の椅子に立て掛けられていたデルフリンガーが彼女を止める。

 

「やめときな、エレオノールの嬢ちゃん。相棒たちは今、ブリミルのやつと旅に出てんだ」

 

 ぎょっとして〝意志ある大剣〟を見る一同。最も立ち直りの早かったマザリーニが、おそるおそるといった体で訊ねた。

 

「それは、どういう意味ですかな?」

 

「相棒の左手を見てみな。武器を持ってねぇのに、ルーンが光ってるだろ?」

 

 ここにいる才人は指ぬきグローブを外していた。デルフリンガーの言うとおり、他に武器を携帯している訳でもないのに〝ガンダールヴ〟の印が輝いているのはおかしなことだ。

 

「担い手が、虚無の使い魔の側で初めて〝記録〟の魔法を使うと、こうなるんだ。ルイズ嬢ちゃんが唱えた〝記録〟が祈祷書じゃなくて、ルーンに宿る記憶に反応したのさ」

 

「どうして、それを最初から言わなかったのよ!」

 

「今の今まで忘れてたんだから、仕方ないやね」

 

 これまでは〝始祖の遺産〟に対して、それなりの敬意を払っていたエレオノールだったが、この一言でぷつりと切れた。

 

「いい加減にしなさいよ! このボケ剣! オンボロ!!」

 

「誰がボケ剣だコラ!」

 

「あ、あ、あんたに決まってるでしょぉぉおお!?」

 

 ぎゃんぎゃんと甲高い声で、デルフリンガーを叱りつけるエレオノールの姿は、奇しくもブリミルを足蹴にしていたエルフの少女を彷彿とさせるものであった。もっとも、比較できる本人たちは〝記録〟の世界に旅立ってしまっている訳だが。

 

 そんな姉と剣のやりとりを困ったような表情で見つめていたカトレアは、長年の感覚で、ついつい〝網〟を広げてしまっていた。そして気付いた。デルフリンガーを覆っていた深い霧のような壁が、以前よりも薄くなっていることに。

 

「姉さま、どうか落ち着いてください」

 

「カトレア! そうは言っても、このオンボロが……!」

 

「もしかすると、デルフさんのせいじゃないのかもしれません」

 

「……どういうことかしら?」

 

 妹の勘の良さを知るエレオノールは、怒りを一時棚上げにして、カトレアの言葉を待った。

 

「デルフさん、前に仰ってましたよね? 始祖の苦手な食べ物や、日常のささいなやりとりは覚えているのに、肝心なことが思い出せないって」

 

「そういや、そんな話をしたかもしれんね」

 

「もしかしたら、なんですけど。誰かが、意図的にデルフさんの記憶を封じているんじゃないですか? たとえば〝制約〟みたいなもので縛られているとか……」

 

「あ……」

 

 カトレアがそう口にした途端、デルフリンガーがガタガタと動き出した。その様は、まるで人間が何かに怯え、震えているかのようであった。

 

「あ……あ……」

 

「デルフさん!?」

 

「そう、だ……俺っちは……あい、つ、に」

 

 これまで様子を見ていたオスマン氏が、むうと唸った。

 

「まさか、ロマリアの関係者に封印されとるんじゃなかろうな!?」

 

 その発言に、ぎょっとする一同。マザリーニが、額に滲んだ汗をハンカチーフで拭き取りながら続ける。

 

「充分に考えられる話です。デルフリンガーは『始祖』が残した、正真正銘、本物の『盾』ですからな。四つの秘宝に関する口伝を、三王家から意図的に失わせたロマリアが、意志を持つ魔剣を放置していたと考えるほうがおかしなことかと」

 

「うむ、考慮に値する内容だ」

 

「そうですわね、あなた」

 

 落ち着きのある声で呟くサンドリオン王と、同意を示すカリーヌ王妃。しかし、彼らの眉根は中央に寄っている。

 

「デルフさん! 大丈夫ですか!?」

 

 苦しそうな声を上げ、がたがたと刀身を振るわせ続けるデルフリンガーを前に、カトレアは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 

「ごめんなさい、わたしのせいで……!」

 

「あなたのせいじゃないわ、カトレア。悪いのは、デルフリンガーにこんな卑劣な魔法をかけたロマリアの連中なんだから! まったく、何が〝神のしもべたる民のしもべ〟よ! 剣とはいえ『始祖』の使徒にこんな真似をするなんて、そのうち大きな罰が当たるに違いないわ!」

 

 と、エレオノールの言葉に反応したらしきデルフリンガーが、再び何かを語り始めた。

 

「そうだ、あれは罰だったんだろうなぁ……大地の上に、太陽みてえにでっかい光が現れてよ……それから、なんもかんもなくなっちまった……」

 

「デルフさん!?」

 

「何か思い出したの!?」

 

 静まりかえった部屋の中で、かたかたという音と、デルフリンガーの呟きだけが響く。

 

「最後に、すごく悲しいことが起きたんだ。なんで辛いのか、何があったのかまでは……思い出せねぇ。俺っちは……相棒と嬢ちゃんに、こんな苦しい想い……させたかねぇんだよ……」

 

 それを最後に、デルフリンガーは完全に口を閉ざしてしまった。

 

 最初に口を開いたのは、マザリーニ枢機卿だった。

 

「デルフリンガーが如何様にして市場に出てきたのか、調査したほうがよさそうですな」

 

「多忙な卿に、これ以上負担を強いるのは心苦しいが……頼む。諜報のための予算には、王室の金庫ではなく、ヴァリエール家の資産を当てよう」

 

「お気遣い、ありがたく頂戴致します。どうか、わたしにお任せを」

 

 恭しく頭を下げたマザリーニに、エレオノールが声をかけた。

 

「わたくしが手伝えることはないかしら?」

 

 枢機卿は少し考えると、頷いた。

 

「では、集めた情報の仕分けをお願いしたく存じます。この国で、わたしとオスマン氏に次いでブリミル教に詳しいのは、ほぼ間違いなく王女殿下ですから」

 

「わかりました」

 

 眼鏡のズレを直しながら、エレオノールは呟いた。

 

「わたくしも、この剣と同じ気持ちよ。だって、実の妹を不幸にしたくなんて……ないもの」

 

 

○●○●○●○●

 

 ブリミルの熱烈な歓迎を受け入れた才人とルイズは、彼が開いた『扉』をくぐり、ニダベリールという名の村に招かれていた。雨に濡れていた服は、既にサーシャの魔法で乾いている。

 

(始祖とまで呼ばれるひとが住んでいる場所なのだから、すごく立派な街なんだろうな)

 

 そう考えていた才人が拍子抜けする程、ニダベリールはちっぽけで、貧しい村だった。

 

 『始祖』の御前で緊張のあまり硬直し、扉の魔法を見て大いに感激していたルイズでさえも、彼と似たような感想を抱いたらしい。鳶色の目をぱちくりして呆然と周囲を見回していた。

 

 草原の中に、木と布で造られた円形の(パオ)がいくつも立ち並んでおり、周辺では羊や山羊の群れが草を食んでいる。もしも、太公望がこの場にいたら……驚愕のあまり、立ち尽くしていただろう。

 

 この村は、幼い呂望が家族と共に過ごした故郷――羌族の集落と、あまりにも似通っていた。

 

 もちろんそんなことは知る由もない才人は、社会の教科書やテレビの旅番組などで見た、モンゴルの遊牧民と丸屋根のテントを思い出していた。

 

「ハルケギニアとは全然違うけど、こういう雰囲気も好きだな。俺」

 

 召喚門で訳もわからず連れてこられた時とは違い、今回は虚無の魔法で過去を覗いていることが判明している。ルイズの精神力が切れるか、何らかの目的が達成されれば元いた場所に戻れるだろうと暢気に考えていた才人は、あっさりと現状を受け入れていた。

 

「こっちだ。あそこにあるのがぼくの家でね」

 

 ブリミルが指差したのは、小高い丘の上に建てられたテントだった。他のものより一回り大きいそのテントのてっぺんには旗が翻っている。

 

「青い旗……?」

 

 ルイズの呟きに、サーシャが答える。

 

「青は一族の長を示す色なんですって。それ以外の一族は身に付けちゃいけないそうよ。つまり、彼がこの村でいちばん偉いってわけ。ほんと嫌になっちゃう」

 

 そう言って、エルフの娘は肩をすくめた。

 

「長の色。もしかして、ガリアの青は……」

 

「何?」

 

「い、いえ、なんでも」

 

 ブリミルと才人は、既にテントへ向かっている。ルイズは慌てて彼らの背を追いかけた。

 

 

○●

 

 テントの中には、言葉を飾れば素朴な……ストレートに表現するなら粗末なテーブルと椅子が並べられていた。奥には藁や干し草を敷き詰めたベッドが見える。床には羊毛で編まれたとおぼしき絨毯が敷かれていた。

 

 才人とルイズはブリミルに椅子を勧められ、言われるままに腰掛けた。

 

「いやあ、本当に嬉しいよ! ぼく以外の変わった系統使いに出会えるなんて!」

 

 ルイズは、ぽかんとしてブリミルを見つめた。

 

「どうかしたかい?」

 

「えっと、ブリミルさ……んは、虚無の系統なんですよね?」

 

「虚無? この系統のことを、きみはそう呼んでいるのかい?」

 

「いえ、その……」

 

 あなたが名付けたんじゃないですか! そう言えればどんなに楽か。ルイズは引き攣った笑みを浮かべた。

 

 ところが、そんな彼女の様子を見たブリミルは、まるっきり別の方向へ推理を働かせた。

 

「もしかして、他にも使い手がいるのか? そうだよね? だって、自分以外に使い手のいない魔法に名前をつけて、他の系統と同じように扱うのはおかしな話だし」

 

「え、ええっと……」

 

 身を乗り出してルイズに詰め寄るブリミルの頭に、サーシャのげんこつが落ちた。ごつんという詰まった音がした直後、被害者はテーブルに突っ伏した。

 

「あいだぁ! 何をするんだい!?」

 

「その子、怯えてるでしょうが! まったく、魔法のことになると見境無しなんだから!」

 

(やっぱりこのひと、コルベール先生みたいだなあ。魔法を生み出したって話だし、研究者とか学者って、似るものなのかなあ)

 

 地球の科学者や過去の偉人にも、変人が多いって言うし。などと才人が微妙に失礼なことを考えていると、ブリミルが頭をさすりながら身を起こした。

 

「ごめんよ、初めて同じ系統を使う人間に出会えたものだから、嬉しくて。でも、きみが口ごもる理由もわかる。なにせ、このご時世だからね。万が一ヴァリヤーグにバレたら大変だし」

 

 一瞬どきりとしたルイズだったが、思わず首をかしげた。

 

「あの、ヴァリヤーグって何のことでしょう?」

 

 途端、ブリミルは苦々しげな色を顔に浮かべた。

 

「ヴァリヤーグを知らないのかい? 本当に? 悪魔のように残酷な連中だよ。怖ろしい技術を持っていてね、ぼくらは連中に追われているんだ」

 

「エルフとは違うんですか?」

 

 そう口にした途端、今度は才人の頭にげんこつが落ちた。

 

「いってぇ!」

 

「あんな野蛮人どもと一緒にしないで! エルフは平穏を好む、理知的な一族なのよ!」

 

 ブリミルが、取りなすように告げた。

 

「彼女の言葉は本当だよ。ぼくたちとは全く違う文化や魔法を持ち、この広い世界のどこかで静かに暮らしているんだそうだ。怒らせると怖いけどね」

 

「なんですってぇ!」

 

「ほらね」

 

 にこにこと笑みを浮かべるブリミルとサーシャは、本当に仲が良さそうだ。

 

(六千年前、始祖とエルフは敵同士じゃなかったの……?)

 

 立て続けに起きた大事件のせいで、ルイズの頭はパンク寸前だった。新しい魔法を覚えて、天敵であるエルフの娘と出会い、冴えない見た目の始祖にまみえる。宿敵同士だったはずの彼らは使い魔と主人の関係で、自分たちと同じように仲良く笑い合っていた。

 

 ブリミルは、才人の手を取って首をかしげた。

 

「きみは、魔法が使えないんだよね?」

 

「ええ、残念ですけど」

 

「コメット、どうして彼に〝ガンダールヴ〟なんて刻んだんだい?」

 

「えっ?」

 

「意味が通らないじゃないか、魔法が使えない人間に〝魔法を操る妖精〟だなんてさ。〝風のように素早い小人〟だけなら、わからなくもないんだけど」

 

「わたしが刻んだんじゃありません」

 

「は?」

 

 訳がわからないといった表情のブリミルに、ルイズは告げた。

 

「印は、使い魔と契約すると勝手に刻まれるものじゃないですか」

 

 それを耳にしたブリミルは、瞳を輝かせながらルイズの手を取った。

 

「きみの知り合いに、契約用の魔法を造ったひとがいるんだね! 是非紹介して欲しいな!」

 

 ルイズはぎょっとして叫んだ。

 

「ち、違います! 知り合いが造ったわけじゃなくて!」

 

 あなたの作品です! そう言いたいのに言えないジレンマが少女を苦しめる。

 

「しかし、普通の人間が使い魔になった上に〝ガンダールヴ〟が刻まれるとはなぁ。まだまだ研究の余地がありそうだ」

 

 どうやら、この時代では「人間の使い魔=虚無の素質あり」という概念は存在すらしていなかったらしい。

 

「ところで、まだ聞いていなかったけど。きみたちはどこから来たんだい? ミッドガード? それともビフレストのほうかな?」

 

「と、トリステイン、です……」

 

 これ以上『始祖』に嘘をつくことに耐えられなかったルイズは、正直に答えることにした。ここはあくまで〝記録〟の世界でしかない。過去に来たわけではないし、このくらいは大丈夫だろうと彼女なりに判断したのだ。

 

 とはいえ、崇める神に対して嘘をつくという罪悪感は消えない。今のルイズは『始祖』の像を打ち倒せと王から命じられ、王権への忠誠心と神への信仰の間で板挟みになっている、敬虔な信者的心境なのである。

 

 ところが、ルイズがそれを告げた途端。ブリミルは悲しげにうつむいた。

 

「……すまない。聞いてはいけないことだったね」

 

「どういう意味です?」

 

 わけがわからない才人は、直球で訊ねた。ルイズも目を白黒させていたが、聞きたいことは彼と同じだ。

 

「〝トリステイン〟とは、ぼくたちの古い言葉で〝悲しみ〟とか〝涙〟を意味しているんだ。そんな名がついているということは、もう、既に……」

 

 慌ててルイズを見る才人。ご主人さまはぶんぶんと首を横に振っている。

 

「え、違うのかい? なら、どうしてそんなまぎらわしい名で呼ぶんだい?」

 

 それはわたしが聞きたいです! そもそも、トリステインはあなたの子供が創設した国です! そう叫べれば、どんなにスッキリすることか。ルイズはだんだん疲れてきた。単なる記録のはずなのに、お腹は減るし、精神的にもキツい。本当に〝夢渡り〟そっくりだ。

 

 そんな彼女を天が気遣ったのであろうか。布で出来た扉を開ける音と共に、テントの入口から、七~八歳くらいの可愛らしい少女が顔を覗かせた。

 

「どうしたんだい? ノルン。大丈夫だから、こっちへおいで」

 

 ノルンと呼ばれた少女は、デールのような服を身に纏っていた。手に土釜を持っており、それを落とさないように気をつけながら、ちょこちょこと歩いて奥のかまどに近付いてゆく。

 

「ああ、ペストーレを持ってきてくれたんだね。ありがとう」

 

 少女はブリミルの言葉に笑みで答えると、土釜をかまどの上に置いた。それから、懐の中から杖を取り出して呪文を唱えた。聞き覚えのある呪文より少し長めの詠唱が終わった直後、かまどにぱっと火がついた。

 

「わあ! こんなに小さいのに魔法が上手なのね」

 

 素直なルイズの賞賛に、ブリミルは嬉しげに頷いた。

 

「そりゃあ、ノルンはマギ族の長たるぼくの娘だからね! 見事なものだろう?」

 

 父と客に褒められた少女は、恥ずかしそうに両手で顔を隠してしまった。

 

 この子が始祖の娘! と、仰天する才人とルイズに、さらなる爆弾が投下される。

 

「ちょっと、ブリミル。この子はわたしの娘でもあるのよ? 自慢なら、わたしにもさせるべきじゃないかしら」

 

「は?」

 

 今、サーシャさんなんて言った? 才人が愕然としていると、同じく驚愕の表情を浮かべたルイズが、慌てて彼らを問い質した。

 

「え? え? あの、それじゃ、おふたりは」

 

 聞かれたサーシャは、頬をかすかに赤らめた。笹穂のように長い耳が微妙に垂れているのは気のせいだろうか。

 

「一応、そういう関係でもあるわ。ああ、誤解しないでね? ノルンは義理の娘だから」

 

「へ?」

 

「こいつはほら、族長だから……わたし以外にも妻がいるのよね。長たるもの、たくさん子供をつくらなきゃいけないし」

 

「えええええええええ!!」

 

 ブリミル教では重婚が禁止されている。

 

(後から知ったことだけど、アンリエッタ姫がウェールズ王子に出した手紙は、その決まりに反することが書かれていたから、回収するか燃やさなきゃいけなくて。それで水精霊団のみんなと一緒にアルビオンまで手紙を取りに行ったわけで……)

 

 才人は、なんだか目眩がしてきた。ルイズに至っては、既に気絶寸前だ。無理もない、ブリミル教の祖とあろうものが、禁止されているはずの重婚を推奨されていて。しかも、異教徒でメイジの天敵であるエルフと情を交わしていた。

 

 信心深いブリミル教徒であれば、動揺しないほうがおかしい。

 

「ど、どど、ど……」

 

 これまで我慢に我慢を重ねていたルイズは、ついに大声を上げてしまった。

 

「どういうことなのよ、これ――ッ!!」

 

 

 




ガリアの青他、今回は独自解釈満載です。
原作では結局語られませんでしたが、あの旗怪しいと思いませんか?

また、才人単独での到来時よりも入ってくる情報が圧倒的に多いのは、
ルイズが同行しているからです。
知識ありの人間とそうでない人が集められるものには
差が出来て当然かなあと。

次回も2週間前後でお届けできる見込みです。

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