雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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第26話 雪風、始まりの夢を見るの事

 ――その夜。思いも寄らぬところからタバサにとっての〝運命の分かれ道〟が訪れた。

 

 モンモランシーへの支払いを終え、部屋へと戻った後……太公望は思わずぼやいた。その一言がタバサにとって、とてつもない意味を持っていたことも知らずに。

 

「まったく……自業自得とはいえ150エキューとはとんだ出費だ。もしもわし以外がアレを飲んでいたのだとしたら、最長でも2日以内には治してやれたものを」

 

 あれだけあれば、新作デザートがいくつも買えたのにのう……そのため息混じりの言葉を、まさに運命と呼んで差し支えない呟きを、タバサの耳は聞き逃さなかった。

 

「どういうこと?」

 

「む。どういうこと、とは?」

 

 タバサの顔色は、劇的に変わっていた。必死の形相で太公望へ詰め寄っていく。

 

「あなたは今、惚れ薬の症状を2日以内で治してやれたと言った」

 

「ああ、そのことか。実はな……」

 

 そして、太公望は語り始めた。国元にハルケギニアでいうところの〝先住魔法〟の使い手にして凶悪な妖魔が多数存在していたこと。

 

 それらの中に〝魅了の術(テンプテーション)〟を含む、人為的に精神を塗り替えるものがいくつもあったことから、国元ではそれに対抗するための技術が発達しているのだということを語って聞かせた。

 

 ……とはいえ、それらの術を〝解除〟するには北欧の隠れ里に住まう霊獣一族の特殊能力を利用するか、太公望が持つ『太極図』を使う以外には、術中に落ちぬよう本人が気合いで〝抵抗〟するしかなかったわけだが、そこまでは言わない太公望であった。わざわざ説明する必要がないと考えたからだ――この時点では。

 

 しかし、太公望からこの話を聞いたタバサの瞳には狂おしいまでの光が宿っていた。蒼い髪の少女は声を震わせながら、己のパートナーを問い質す。

 

「でも、あなたはあのとき……フリッグの舞踏会があったあの日、わたしがした質問に、心の病は治せない――そう答えた」

 

(ああ、そういえばそんなことがあったな……)

 

 と、当日の夜を思い出しつつ太公望は告げた。

 

「そうだ。自然にかかってしまった心の病は治せない」

 

「つまり、それ以外なら……?」

 

「うむ。今回のような魔法の薬や道具。または妖術の類によって人為的に歪みを発生させられているような症状であれば、わしが診断して〝解呪〟することが可能だ」

 

 太公望は唯一の希望に縋るような目をした娘の目を見ながら、先を続ける。

 

「もちろん、現れている症状によって診断にかかる時間や、解く方法は変わるが。ちなみにわしに惚れ薬の効果が正しく現れなかったのは、おそらく無意識に〝解呪〟を試みたせいで、それが薬効に割り込んだからであろう。国元ではそういう〝抵抗〟のための訓練も行われておるからのう」

 

 そう答えた太公望にタバサはしがみついた。そして、小さく震えながら訊ねた。

 

「あなたなら、どのくらいの時間で……どれくらいの確率で治せるの?」

 

 その真剣な問いに、太公望はこちらも誠実な態度でもって応えた。

 

「時間については症状によって異なるが――早ければその場で数秒以内に。長期の場合は約1年程かかる。治せる確率に関しては……ほぼ100%だ」

 

 ――それから10分後。太公望はタバサをその背に乗せて、魔法学院から飛び立った。彼女に架せられた重い〝運命〟と戦うために。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――タバサと太公望が心の病に関する問答をしていた、ちょうどそのころ。

 

 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。

 

 人呼んで『微熱』のキュルケ。帝政ゲルマニアでも有数の富豪として知られる大貴族の娘であり恋多き女として学院内でも有名な彼女が、珍しくひとりで部屋に籠もり、空の月を眺めていた。

 

 実際、これは異常事態と言って差し支えない。

 

 普段なら、彼女が付き合っている彼氏()()が毎時間のように部屋を訪れている。彼らがダブル、あるいはトリプルブッキングによる騒ぎを起こすことなど、日常茶飯事なのであるからして。

 

 冠せられた『微熱』の二つ名は、そんな彼女を的確に表す象徴のようなものだ。

 

 しかし今日に限って言えば、間違ってもそういった騒動は起こり得なかった。何故ならキュルケは全ての予定をキャンセルした上で自室の窓枠にもたれかかり、酒杯をあおっていたからだ。

 

 そんな彼女の足元では、使い魔であるサラマンダーのフレイムが、主人に寄り添うようにして伏せの姿勢を取っている。

 

 キュルケの心は今、ぷすぷすと燻り続けていた。そのことを思い、ふっとため息をついたその時だ。彼女の瞳に、太公望とタバサのふたりが遠い空へと舞い上がっていく姿が映り込んだのは。

 

「はあ。元気になったから、ふたりで夜空のデート……ってところかしら」

 

 そしてキュルケは、足元に控えるフレイムの頭をそっと撫でた。フレイムはウルルルル……と声を上げ、気持ちよさそうに目を細めている。

 

「あたしね、あなたのことが気に入らないわけじゃないのよ。むしろ、大当たりを引いたと思って喜んでいるくらいなの。火竜山脈のサラマンダーを使い魔にできた生徒なんて、ここ数年いなかったって、先生からも褒められたくらいだし」

 

 このサラマンダーと呼ばれた幻獣は、ハルケギニアにおいて所謂『ブランドもの』に相当する、レアかつ強力な存在なのである。間違いなく当たりと言っていいだろう……例年ならば。

 

「ええ、ええ、もちろんわかってるわ、あなたが悪いんじゃないのよ。でもね……」

 

 そう言って、キュルケは再び空に輝く双月を見上げた。

 

「あのふたりの〝使い魔〟さんは、大当たりどころじゃないのよぉぉお!!」

 

 ……そう。キュルケの心の内では今、とあるふたりの人物に対する想いで小さな『葛藤』という名の炎が燻り続けていたのだ。

 

 ――ひとりは彼女の仇敵・ルイズの使い魔『サイト・ヒリーガル・ド・ブセイオー』。

 

 最初はただの平民と侮っていたが、実は東方ロバ・アル・カリイエの由緒正しき大貴族にして、〝東方最強のメイジ殺し〟と謳われた武将の息子だった。

 

 平民の血が濃いせいか、魔法は一切使えないが――彼の神速とも呼ぶべき剣の腕は『ドット』では最強レベルといっても過言ではないギーシュの『ワルキューレ』総攻撃を持ってしても対抗できない。しかも、剣がなくても足で蹴り倒してしまうほどの強さを誇る。並のメイジでは彼に勝つことなどできないだろう。

 

 そして昨夜。サイトは巨大な炎に飲み込まれそうになっていた自分たちを救うために、たったひとりで剣を振るった。

 

 そこで判明した事実。彼の持つ剣は、なんと『始祖』ブリミルを護りし『光の盾』。魔法吸収能力(マジック・ドレイン)を持つ、紛う事なき国宝級の〝インテリジェンス・ソード〟だったのだ。

 

 突如顕現した『ヘクサゴン』級の大竜巻にまで、光り輝く剣一本で立ち向かわんとしたその姿と勇気は、まさしくお伽噺に登場する『伝説の勇者』イーヴァルディそのもの。人間の営みに無関心であるはずの水の精霊にすらその名が届いていたほどだ。

 

 にも関わらず、普段はいたってふつうの男の子。誰にでも公平に接し、お調子者だが明るく、強さをひけらかすことなく、心根も優しい。あの気難しいルイズですら笑わせてしまった……まさに太陽のような輝きを放っている存在だ。

 

 サイト本人は全く気付いていないようだが、キュルケは知っていた。魔法学院内で働く平民の女の子たちから、彼に熱い視線が注がれているのを。

 

 あの強さと性格だ、無理もない。これが平民と貴族の身分差が厳しいトリステインではなく、キュルケの出身国ゲルマニアだったなら、貴族の娘からも注目を浴びること間違いなしだろう。

 

 ――もうひとりは彼女の親友・タバサの使い魔『タイコーボー・リョボー』。

 

 はじめは、ただのお子ちゃまだと思っていた。だが、その実態は。サイトと同様ロバ・アル・カリイエ出身のメイジにして元軍人。しかも国軍を率いた経験を持つ将軍様だったのだ。年齢も、自分より10歳年上の27。あの発言や行動のそつのなさから察するに、もっと上かもしれない。

 

 深い知識を持ち、その目に映るもの全てを解析する能力はまさしく『率いる者』。

 

 あの『ゼロ』だったルイズの才能を見抜き、たった1週間で空を飛べるまでに成長させた。キュルケ自身も、彼の薫陶によりどんどん腕が上がっているのを実感している。

 

 そんな彼が魔法薬の効果で語った真実。国王ですら、自分を叱ることなどできはしない――つまりはそういう血筋、あるいは身分であるということだ。本来穏やかな性格であるため、戦いの毎日に疲れ、ついには全てを捨てて旅をしていたらしい。

 

 とはいえ、メイジとしての腕は超一流。昨夜顕現した、天を貫かんばかりにそびえ立つ大竜巻は『スクウェア』などという枠には到底収まらない。もしかすると彼は世界中にその名を轟かす伝説の風メイジ『烈風』カリンとも互角に戦えるのではないだろうか。

 

 どうにも掴み所のない性格で、かつ「面倒くさい」が口癖の怠け者のようにも見える。しかし今日のモンモランシーに対する対応。ただ事実のみを告白し、己の過ちを認める姿は立派な大人の男性だった。まさしく上に立つ者として相応しい。にも関わらず、過去の身分を笠に着て偉ぶったりしないところも好感度が高い。

 

 あえて難点を挙げるなら、シスコン疑惑があるところぐらいか。

 

 ――サイトを太陽と称するならば、タイコーボーは隣で静かに輝く月だ。

 

 キュルケは残っていたワインをひと息で飲み干すと、さらにテーブルの上に置かれていたボトルから、グラスへなみなみと赤い液体を注ぎ入れた。

 

「サイトはクラスの子たちと変わらないか、それ以下の恋愛術(スキル)しか持ってない初心(うぶ)な男の子。はあ……伝説の勇者候補を自分色に染められる、なんて考えたら、あたし……」

 

 新たに注いだワインをも一気に口へ流し込んだキュルケは、甘い吐息と共に吐き出した。

 

「ミスタ・タイコーボーは子供みたいな見た目の中に包容力のある男を感じさせる、あのギャップが魅力よね。彼となら、大人の恋愛や駆け引きを楽しめそう、なんだけど……」

 

 キュルケは腰をかがめてフレイムの首周りをぎゅっと抱き締めながら呟いた。

 

「彼はタバサの『パートナー』だから論外として。サイトなのよね……問題は。ツェルプストー家の者としては仇敵ヴァリエール家の()()を奪うのが流儀のはず、なんだけど……なんだけど!」

 

 突然キュルケは立ち上がって声を上げた……隣に聞こえるので控えめに。

 

「どうしてヴァリエールの『いちばん』になっちゃったのよおおお! あたしはね、どんなことがあっても、そのひとの『いちばん』は取らない主義なのよ!!」

 

 ……彼女はテーブルの上に突っ伏して、ぼそりと呟いた。

 

「神の剣を持つ勇者さまと、身分を捨てた流浪の王子さまが、自分の目の前にいるのがわかっているのに手が出せないこの葛藤! 『微熱』の名が泣くけど、この心は届かない……ああ、このあたしの運命のパートナーは、いったいどこにいるのよ……ッ」

 

 ――実は、結構近くに『運命のパートナー』がいたりするのだが、彼女がそれに気がつくのは、もうしばらく先の話。

 

 ……と、このようにキュルケの中にある『誤解』が現在進行形でとんでもない方向へ走り続けていることを知らせる意味で、その葛藤をここに記載しておこう。ただし、本人はこれらの内容について一切他者へ口外するつもりはないということも、併せて記す。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――キュルケがワインをあおりすぎ、テーブルで寝息を立て始めた頃。

 

 タバサと太公望は、ガリアとトリステインの国境から馬車で10分ほどの場所に建つ古いながらも立派な屋敷の門を通り抜けていた。

 

 その門に刻まれた紋章――交差した2本の杖に古代文字で『さらに先へ』と記された銘は、まごうことなきガリア王家の紋章である。だが、その上には大きな×印が刻まれていた。不名誉印と呼ばれるそれは、貴族または王族でありながら地位と権利を剥奪されたという意味を持つ。

 

 ふたりが玄関の前へ到着すると、屋敷の中から従順そうな老僕が現れ、恭しく頭を下げた。

 

「シャルロットお嬢さま、お帰りなさいませ。失礼ですが……そちらの方は?」

 

「事情を知っている」

 

 老僕はピクリと身体を震わせると、すぐさまふたりを屋敷内へと案内した。それから彼は、改めて太公望へ深い礼をした。

 

「このオルレアン大公家の執事長を務めさせていただいております、ペルスランと申します。どうぞ、よろしくお見知りおき下さい」

 

「わしは太公望と申す者だ、よろしく頼む」

 

「彼を客間へ案内して。わたしは母さまの様子を見てくる」

 

「承知いたしました。では、こちらへ」

 

 隅々まで手入れの行き届いた邸内を抜け、客間まで案内された太公望は、ペルスランが「紅茶と何か軽くつまめるようなものをお持ち致します」という言葉を残して立ち去った後――慎重に周囲を伺い、感覚を研ぎ澄ませた。

 

「ふむ、このあたりに間諜の類はいないようだな」

 

 屋敷へ入る前にも念のために近隣の偵察を行ったが、どこかから見張られているような気配はなかった。太公望は、ほっと息を吐く。

 

 そうこうしているうちに、ペルスランが茶と焼き菓子を持って戻ってきた。出されたものをつまみつつ、太公望は人の良さそうな老僕に訊ねた。

 

「この屋敷はずいぶんと歴史あるものだと思われるが、おぬし以外の人間は誰もいないようだな。幸いなことに、魔法で見張られているということもなさそうだのう」

 

「失礼ですが、どこまでご存じでいらっしゃいますか?」

 

「タバサ……シャルロット姫殿下が病気の身内を人質に取られ、王家の為に命がけで汚れ仕事をさせられている。その人質の病が魔法薬によって引き起こされたものである。患者がこの家にいる。ここまでは承知している」

 

 そこまで一気に話した太公望は、改めて自己紹介をする。

 

「ペルスラン殿についてはシャルロット姫殿下より伺っている。偵察により間諜がいないことが判明したため、改めて自己紹介させていただく。わしの名は『太公望』呂望。使い魔召喚の儀で、東方ロバ・アル・カリイエより姫殿下に召喚された使い魔だ」

 

「なんと……!」

 

 ペルスランは驚いた。使い魔召喚の儀で人間が呼び出されるなど、これまで聞いたことがない。しかもロバ・アル・カリイエからというのは、想像の埒外にある。だが、次に続いた太公望の言葉で、老僕は『始祖』の導きを感じることとなる。

 

「わしには魔法薬によって心を壊された者を治療する(すべ)があるのだ。もしやすると、殿下の強い願いが、わしをこの地へ呼び寄せたのかもしれぬ」

 

「そ、そ、それでは……ま、まさか……」

 

 震える声で訊ねる老僕に、太公望は笑顔で答えた。

 

「左様……わざわざこんな夜分に参ったのは、王家の者に気取られることなく、奥さまの診察を行うためだ」

 

 老僕は、その場に崩れ落ちた。彼の両目からは、滝のような涙がしたたり落ちている。

 

「あなたさまは、お嬢さまをこの牢獄から解き放ちにいらして下さったのですね。まさしく『始祖』ブリミルのお導きに違いありませぬ」

 

 溢れ出る涙を拭こうともせず、そのままに。ペルスランは事情を語り始めた。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――その頃タバサは広い屋敷の廊下突き当たり、右最奥の部屋の前に立っていた。

 

 扉をノックしても、中から返事はない。部屋の主がタバサの呼びかけに答えなくなってから、既に三年ほどの月日が流れていた。当時、タバサはまだ十二歳だった。

 

 タバサは扉を開けると、部屋の中へ入っていった。椅子とテーブル、ベッド以外は何もない殺風景な寝室だった。ラグドリアン湖を望める広い庭に面しているのが、唯一の慰めだ。

 

 部屋の主は、すぐさま侵入者に気が付いた。そこにいたのは痩身の女性だった。フェルト生地で作られた小さな人形を両手でしかと抱き締め、タバサを睨み付けている。元は美しかったのであろう顔は酷くやつれ、実年齢よりもはるかに老けて見えた。

 

「あなたはだれ?」

 

 女性の問いに、タバサが答えた。

 

「わたしです、母さま。只今戻りました」

 

 痩身の女性はタバサの母親だった。しかし、彼女の口から出た言葉は娘の帰省を喜ぶ母のものではなかった。夫人は顔中に怒りの色を浮かべ、わなわなと全身を震わせながら叫んだ。

 

「お前、また王家が寄越した回し者ね! これまでに何度も申したではありませんか。シャルロットが王位を狙っているなどとは言いがかりも甚だしいと。宮廷の醜い権力争いなんて、もううんざり。わたくしたちは、ただ静かに暮らしたいだけなのです。どうして、そっとしておいてくれないのですか?」

 

 タバサの母親は、自分の娘の顔がわからないのだった。彼女はその腕に抱いた人形を自分の後ろへ隠すように置くと、悄然と立つタバサへ向けてテーブルの上に置かれていたワイングラスを投げつけた。

 

「お前たちなどにシャルロットは渡しません。ええ、絶対に渡しませんとも! わかったら、お下がりなさい! 下がれ!!」

 

 ワイングラスはタバサの肩に当たり、絨毯敷きの床へ転がり落ちた。

 

 タバサの母はフェルト地の人形を愛おしそうに抱え込むとベッドへ寝かせ、優しく頭を撫でた。その人形はひどく汚れが目立ち、身体のあちこちが擦り切れてぼろぼろだった。永い間、夫人がその人形を手放さなかった証拠だ。

 

「おお、おお、わたくしの可愛いシャルロット。心配はいりませんよ、あなたはこのわたくしが、必ず守ってみせますからね」

 

 タバサの母親は既にぼろきれのようになった人形を、自分の愛娘シャルロット――タバサだと思い込んでいるのだ。そんな母の姿を見ながら、タバサは悲しげな笑みを浮かべた。これは感情を表に出すことのない『雪風』が、唯一母の前でだけ見せる顔だ。

 

「母さま、いま少しだけお待ち下さい。今宵、あなたの病を治せるひとを連れて参りました。あなたが元に戻ったその後で……父さまの命とあなたの心を奪った憎き者どもの首を取りに行きます。そして、この部屋に並べてご覧にいれましょう。どうかその日まで、あなたがくれた『人形』が、仇の目を欺き続けられるよう――祈っていて下さい」

 

 父の仇を討ち、わたしたち母娘の無念を晴らす。それが水の精霊に立てた誓いです――そう心の内で母に告げたタバサは、静かに部屋の扉を閉めた。

 

 

○●○●○●○●

 

「派閥争いの犠牲者……か」

 

 ため息のように吐き出された太公望の言葉に、ペルスランは頷いた。

 

「はい。かつて、ガリア王家にはふたりの兄弟がおられました。ひとりはご長男のジョゼフさま。現在のガリア国王でございます。もうひとりは、シャルロットお嬢さまのお父上であらせられる、ご次男のオルレアン大公シャルルさまです」

 

 ペルスランは語る。本来であれば長男であり皇太子として定められたジョゼフが王位を継ぐのが当然なのだが、彼はお世辞にも王の器とは言えない人物であった。何故なら、三王家の長であるガリアの王族に生まれながら、魔法を一切使うことができないのだ。

 

「そうか、それでガリアの王は『無能王』などと呼ばれているのだな」

 

「左様でございます。外国……しかも東方のおかたには、何故国王の地位にある者にそのような二つ名が冠されたのかおわかりになりにくかったでしょう。王が魔法を使えぬなど、国の恥。わざわざそれを余所で吹聴する者はおりませぬゆえ」

 

「確かにその通り……失礼、話を続けていただけるだろうか」

 

「承知いたしました、それでは……」

 

 『無能』と呼ばれた兄ジョゼフとは異なり、シャルル王子には怖ろしい程の魔法の才があった。物心ついてすぐに空を飛び、七歳で炎を支配し、十歳になる頃には銀を錬金することに成功した。さらに十二歳で水の根本を理解するに至り――国を挙げての祝祭が開かれた。

 

 シャルル王子は、なんと成人する前に『始祖』ブリミル以来初めて、四大系統魔法全ての頂点を極めてしまったのだ。過去の歴史を紐解いてみても、これほど優秀なメイジは存在しない。唯一、トリステインのオールド・オスマンがふたつの系統でスクウェアに達しているが、その他ふたつはトライアングル止まりだというのだから、シャルルの才が如何ほどのものか理解できるだろう。

 

「オルレアン大公はその才能に驕らず、誰にでも分け隔て無くお優しいおかたでした。ですが、そんな大公殿下の才と人望こそが、ガリア王家にとっての不幸でございました」

 

「大公殿下を擁して、王座につけようとする者たちが現れたのだな?」

 

「仰る通りです。魔法の才に溢れる大公殿下こそが、次代の王として相応しいとする動きが宮廷で持ち上がるいっぽうで、既に皇太子として定められたジョゼフさまが王位を継ぐのが伝統であり、国法だとする一派が対立した結果……シャルル殿下は暗殺されました。ジョゼフ派が催した狩猟の会の最中に、下賤な毒矢で胸を射貫かれたのです! しかし、大公家を襲った悲劇はそれだけに留まりませんでした」

 

 流れ落ちる涙を拭くことなく、老僕は先を続ける。

 

「ジョゼフ王と彼を擁する一派は、争いの禍根を断とうと考えたのでしょう。奥さまとお嬢さまを宮殿へ呼びつけ、酒肴を振る舞いました。その宴席でシャルロットお嬢さまに手渡されたワイングラスの中に、魔法薬が盛られていたのです。それに気付かれた奥さまは、ジョゼフ王へ必死の思いで命乞いをなさったのです。自分がこれを飲むかわりに、娘の命だけは助けてほしい……と」

 

 魔法薬という言葉に小さく眉を吊り上げた太公望だったが、そのまま黙って老僕の言葉に耳を傾けていた。

 

「その薬は、心を狂わせる水魔法の毒でございました。以来、奥さまはお心を病まれ――ご自身の命を賭してまで守ろうとした愛娘の顔すらわからなくなってしまわれたのです。そして、目の前で母を狂わされたお嬢さまは……言葉と表情を失いました。快活であられた頃のお姿が、まるで夢か幻であったかのように」

 

 ペルスランは口惜しそうに顔を歪め、先を続けた。

 

「にも関わらず! ジョゼフ王はご両親を奪われたばかりのお嬢さまを、大勢の騎士が命を落とした怖ろしい魔獣討伐に従事させたのです! あれは事実上の処刑宣告でした。しかしお嬢さまはその苦難を乗り越え、ご自身を守られたのです。王家はそんなお嬢さまを持て余したのでしょう。王族の地位と名を奪って〝騎士(シュヴァリエ)〟の爵位のみを与え、厄介払いも同然に外国へ留学させたのです。その上で、奥さまをこの屋敷に幽閉することで、お嬢さまの行動を縛り付けました」

 

 老僕の悔しさに満ちた告白に、太公望は無言のまま聞き入っていた。今まで語る相手がいなかったのだろう、滝から落ちる水のように言葉が尽きない。

 

「奥さまを人質にとった王家は、宮廷で表沙汰にできない汚れ仕事が持ち上がると、任務と称してお嬢さまを呼びつけ、まるで牛馬のようにこき使うのです! これが血を分けた姪に対する仕打ちでしょうか!? 残酷にも程があります。私には、せめて奥さまのご病状がこれ以上悪化しないようお世話をして差し上げる以外、何もできませぬ。我が身の不甲斐なさを、ただ嘆くことしか叶いませぬ……!!」

 

 全てを語り終えたペルスランは「どうか奥さまとお嬢さまをよろしくお願い致します」そう告げて頭を下げると、冷めた茶を淹れ直すために客間を出て行った。

 

「なるほど……そういうことであったのか……」

 

 太公望はひとり残された部屋の中、思考の淵へと沈み込んでいた。タバサが〝魔法薬〟を飲まされた自分を見て怒り狂い、治ったとわかった時に流した大粒の涙の訳。

 

 普段から表情のない人形のように振る舞う事情。

 

 本来は心優しい娘であるにも関わらず『雪風』などと呼ばれるほどに冷たい空気を纏い、絶望と憎悪に燃える本心を瞳の奥に隠した理由。彼にはそれらがよく理解できた。できてしまった。

 

「絶対にタバサの母を治してみせる。たとえ、いかなる手段を使おうとも」

 

 

○●○●○●○●

 

 ――それから三十分ほどして。

 

 部屋の外から『患者』の様子を一通り観察した太公望は、タバサに「今は〝力〟を温存しておきたい」と告げて、母親に〝眠りの雲(スリープ・クラウド)〟をかけてもらい、詳しく状態を確認した。その後、不安げに見守っている少女と老僕のふたりを伴い、客間へと戻った。

 

「結論から言おう。わしの手で、ほぼ間違いなく治せる」

 

 その答えを聞いたふたりは身体を小刻みに震わせ、静かに涙を流した。その様子を見た太公望は静かに頷くと、彼らが泣き止むのを待った。そうして彼らが落ち着きを取り戻したところで、改めて説明に入る。

 

「そこでだ。()()ではなく()()にするため、おふたりの手を借りたい」

 

「どうすればいい」

 

「私にできることなら、なんなりと」

 

 ふたりの答えに頷いた太公望は、再び説明を開始する。

 

「失礼ながら、いつも通りに呼ばせてもらう。タバサよ、ひとつだけ確認したいのだが。おぬしは自分に対してだけ〝眠りの雲〟の魔法をかけることができるか? 身体を寝かせた状態で」

 

 その質問に、ちょっと考えたタバサは「可能である」と答えた。

 

「うむ、それならば確実だのう。では、つぎにペルスラン殿にお願いしたい」

 

「はい、私は何をすれば?」

 

「奥さまの隣に敷物かクッションのようなものでかまわないので、ふたりが横たわれるだけの場所を用意してきていただけるだろうか……できれば早急に」

 

「承知いたしました」

 

 ペルスランは頷くと、足早に客間から出て行った。

 

 自分への質問と今のペルスランへの指示から、おそらく眠りに関する何かをしようとしているのだろう。ただ、その意図がわからない。そう考えたタバサは、太公望へ質問することにした。

 

「なにをするの?」

 

「見にいくのだ」

 

「それは……なにを?」

 

「おぬしの母上が見ている『夢』を、だ」

 

 

○●○●○●○●

 

 ――ペルスランが準備が整ったことを伝えに客間へ戻ってきた後、太公望はふたりを伴い、再びタバサの母親が眠る部屋を訪れた。

 

「タバサよ。母上は、あとどのくらい眠り続けるかわかるか?」

 

「最短でも3時間、長ければ5時間ほど」

 

 タバサの声に、うむ。と頷いた太公望は、ふたりに向き直って説明を開始した。

 

「まず最初に言っておく。タバサは時折見ていたからわかるであろうが……今回ここでわしがしようとしていることは、ハルケギニアではほぼ間違いなく異端とされる内容だ。よって、他者には絶対に漏らさないで欲しい」

 

 タバサと老僕は互いに目を見合わせると、すぐに太公望へ強く頷いた。

 

「それではタバサよ……母上に近いほうへ身体を横たえるのだ。右手側に忘れず杖を持ってゆくのだぞ」

 

 タバサは言われた通りに並べられたクッションの上へ身体を横たえた。そして、その隣――タバサの左側へ太公望が移動する。

 

「これからわしの技でもって、奥さまの夢の中へタバサを誘う。もちろん、わしも同行する」

 

 この発言に、タバサもペルスランも驚いた。そんなことができるのか――と。

 

「つまり、わしらはふたりとも完全に無防備となってしまう。そこでペルスラン殿」

 

「はい」

 

「1時間だ。タバサが眠りに入ってから1時間経過したら、わしらを即座に起こしてもらいたい。また、もしも誰かがこの家にやってくるようなことがあれば、経過時間に関わらず身体を揺すって教えていただきたい。同時に、部屋の見張りをお願いしたいのだが」

 

 その言葉にペルスランは丁重な礼をもって応えた。

 

「ではタバサよ。わしが合図をしたら、自分に〝眠りの雲〟をかけ眠りにつくのだ。よいか?」

 

「わかった」

 

 タバサの返事を聞いた太公望は、左手に『打神鞭』を持って彼女の横へ座り込むと、自分も身体を横たえた。それから右手でタバサの左手を軽く握り締める。

 

 と――タバサは太公望の手から何か暖かいものが自分の中へ流れ込んでくるのを感じ取った。

 

(これは……?)

 

「タバサよ、それに逆らってはだめだ。よいか、流れに身をゆだねるのだ」

 

 小さく頷いたタバサ。そして、太公望は彼女に〝眠りの雲〟をかけるよう命じると、自分も目を閉じた。

 

 その直後、ペルスランは見た。ふたりの身体から何か薄く光る珠のようなものが浮かび上がったかと思うと、奥で眠る患者――オルレアン大公夫人の中へ吸い込まれて、消えたのを。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――ここはどこだろう。

 

 タバサが気がつくと、そこは暗闇の中であった。

 

 部屋の様子どころか、どちらが上で、下なのか、それすらもわからないほどの闇。手にした杖の先に〝光源(ライト)〟で明かりをつけようとしたその時。遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「明かりを灯す必要はない」

 

(この声は……?)

 

 タバサは周囲を見回したが、何も見えない。気配も感じられない。

 

「すまぬ、わしとしても正直これは想定外だったのだ。よって『いい部屋』に案内できなかった。迎えにゆくから、少し待っていてくれ」

 

 すると。タバサの前に突如光り輝く長方形の鏡、いや窓のようなものが現れた。そして、その強い光を放つ窓の中から、ズル……と衣擦れの音を響かせながら、誰かが出てくる。

 

〝召喚〟(サモン・サーヴァント)の門? ううん違う。これは、もしかしてタイコーボーが話していた『空間ゲート』の出口……!?)

 

 タバサは『空間ゲート』の中から現れた人物を見た。『窓』から差す光が強すぎて、その顔はよく見えない。漆黒のマントを羽織り、フードを被ったその人物は――。

 

「た……タイコーボー!?」

 

「――誰のことだ、それは?」

 

 その言葉と共に、闇に包まれていた空間に淡い光が現れた。それから彼は、高らかに名乗りをあげる。

 

「我が名は伏羲(ふっき)! 『始まりの人』がひとりである!!」

 

 ……10秒ほどの間を置いて。男はバッ! とフードを取り去った。

 

「な~んてのう! ニョホホホホ……」

 

 タバサは、黙って杖を振り上げると、太公望の頭をポカポカ殴り始めた。彼女の身長より遙かに大きい、節くれ立ったその杖は、それ単体が立派な凶器である。

 

「や、やめんか! 悪かった! 夢の中でも痛いものは痛いのだ!!」

 

 その言葉に、タバサはハッとした。そうか、ここは夢の中なのだ、と。

 

「その姿は……?」

 

「説明はあとあと。とりあえず、このしみったれた場所を出ようや!」

 

 その言葉と共に、太公望の杖の先にぴっと小さな光が灯った。すると、太公望はその光で空中に大きな円を描き始めた……そして。

 

「じぇい!!」

 

 という叫び声と共に、その円を蹴飛ばして中を打ち割った挙げ句、穴を開けてしまった。足が通り抜けるという予想をしていたタバサは仰天してしまった。

 

(いくら夢の中とはいえ、さすがにこれはない)

 

「ほれ、こっちへ来るのだ!」

 

 穴の側で太公望が手招きをしている。と、彼はすいと穴へ飛び込んでしまった。

 

「ではお先に!」

 

 呆気にとられていたタバサだったが、その穴がじょじょに小さくなっていくのを見た彼女は慌てて彼の後を追い、その中へと飛び込んでいった――。

 

 

 




伏羲さんが復帰!
ナンデー? という回答は次回にて……。

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