雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

51 / 111
伝説と神話の戦い
第50話 軍師 対 烈風 -INTO THE TORNADO-


 ――彼は、困惑していた。目に映る……今の自分を取り巻く環境に。

 

 抜けるような青い空と、どこまでも広がる荒野。それはいい。遙か後方に控えている子供たちと、小さな笑みを浮かべて彼らと同席している教師ども。沈黙を守っている公爵と、その傍らで震えている金の髪の娘、戸惑いの表情を浮かべた儚げな妹。

 

 自分の正面、五十メイルほど離れた場所に立つ、幻獣の姿を模したとおぼしき刺繍入りの黒いマントを羽織り、羽根飾りつきの帽子を被っている女性。顔の下半分を鉄の仮面で覆ったその人物についても、まあ……すぐに理解できるであろう。だが……。

 

「何故に、わしはここにおるのかのう……」

 

 ……しかし、その疑問に答えてくれる者はなく。

 

「元トリステイン王国近衛魔法衛士隊所属、マンティコア隊隊長カリーヌ・デジレ・ド・マイヤール・ド・ラ・ヴァリエール。二つ名の由来は『強く、激しく吹き荒ぶ風』。『烈風』カリン」

 

 ただ、目の前に立つ人物による名乗りの声が響くのみであった。

 

 

 ――今から約二時間ほど前のこと。

 

 それは朝は出席しなかったルイズ・才人とカリーヌ夫人を加えた昼餐会が終わり、全員がのんびりと食後の談話を楽しんでいた際に起きた。カリーヌ夫人がこう切り出したのだ。

 

「ミス・タバサ。ひとつお願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 

 妻の言葉にラ・ヴァリエール公爵の顔が一瞬凍り付いたのだが、タバサにはそれが見えなかった。公爵夫人にのみ視線を向けていたからだ。

 

「わたしにできることでしたら」

 

 タバサの返事に、優しげな微笑みを浮かべたカリーヌ夫人はこう申し出た。

 

「ありがとうございます。実はそちらの従者殿から色々とお話を伺って、大変興味が湧きましたの。そこで、もしよろしければ……場所を変えて語り合いの機会をいただければと」

 

 その言葉に昼餐会場にいた召使いたちが固まったのだが、彼らは客人席の後方に控えていたため、これまた残念なことに、さすがのタバサにも気が付けなかった。

 

「もちろんわたしは構いません。タイコーボー」

 

 そう言ってタバサは太公望の顔を見た。すると、彼の表情は見事なまでに硬直している。いや、視線だけがあちこちせわしなく彷徨っていた。

 

「どうしたの?」

 

 太公望はタバサの問いには答えず、額に汗をたらしながら夫人に確認した。

 

「失礼ながら、その語り合いとは……いったい、どのような?」

 

 彼の言葉にヴァリエール公爵家の長女と三女の顔が引き攣った。

 

「あ、あの、か、母さま? ま、ま、まさか」

 

 ルイズが顔中を強張らせながら母に問うと、夫人はキッと娘を見据えた。

 

「わたくしが語り合いがしたいといえば、決まっております。ルイズ、あなたもよく知っていることでしょう?」

 

 場のただならぬ雰囲気に、タバサはようやく気が付いた。

 

(彼らは何を言っているのだろう?)

 

 そう思って周囲をよく見てみると、控えていた召使いたちがそそくさと部屋を後にしている。執事長など「私、用事を思い出しました」などと言って、真っ先に退出してしまった。

 

「そ、そんな、か、母さま? お、お客さまを相手に、そ、そのようなことを、な、なさるというのは……ねえ? カトレア」

 

 明らかな作り笑いを浮かべたエレオノールが妹へ話を振ると。

 

「わ、わたしもそう思いますわ」

 

 カトレアも本当に困ったような声でそれに答えた。ラ・ヴァリエール公爵はというと、上品なハンカチーフで額の汗を拭い続けている。

 

 そんな彼らの様子など一顧だにせず、カリーヌ夫人は太公望を見据え、こう言った。

 

「娘を魔法に目覚めさせてくださった方がどのような人物であるのか、しっかりと見極める。これは親としての責任です」

 

 そう言い放ち、公爵夫人カリーヌは席から立ち上がった。表情こそ先程と変わらず笑みを浮かべたままだ。しかし……その身体から、強烈な何かが吹き出している。

 

「あ、あの、公爵夫人。わたくしめは、その」

 

 あわてふためく太公望の発言は突如起こった轟音によって、無慈悲にもかき消されてしまった。パラパラとテーブルの上に埃が舞い落ちてくる。なんと、先程まで昼餐会場に存在していた壁が完全に消失していた。怖ろしく強烈な〝風〟である。

 

 杖を構えていたカリーヌは、ふうとため息をついた。

 

「これ以上弱く放つのは難しいわね。まあ、なんとかなると思いますが」

 

「か、カリーヌ! だ、だから、それはだな……!」

 

 ガタガタと震えながらも、必死の覚悟で妻を抑え込もうとしたラ・ヴァリエール公爵であったが、そんな彼の思いも空しく彼女が止まることはなかった。その二つ名が如く。

 

「お受けいただけますわよね? 従者殿」

 

 

○●○●○●○●

 

 ――ラ・ヴァリエール公爵家・屋敷の一画にある客間のひとつにて。

 

「ルイズのお母さまが、あの『烈風』カリン……」

 

 しきりに頭を下げ、恐縮した様子でエレオノールが立ち去った後。タバサを含む招待客全員が、ルイズの口から驚愕の事実を知らされていた。

 

「なあ、その『烈風』カリンっていったい何のことだ?」

 

 例の婚約破棄とルイズと手を繋いで歩いたことによる影響か、精神的にだいぶ立ち直った才人がそう尋ねると、その場にいた全員――ただし、魂が抜け出たような顔でソファーの背もたれの中に埋もれている太公望を除く――が口々にその偉業を語る。

 

「ハルケギニア世界始まって以来の〝風〟の使い手さ! 他国はともかく、トリステインなら平民の子供でも知っている有名人だよ」

 

「つまり、すごく強いのか?」

 

 その問いに、集まっていた一同が頷く。

 

「昔、僕の父上が一個連隊を率いてとある戦場に赴いたんだ。ところが、到着した時には全てが終わっていたそうだよ。敵軍は『烈風』カリンがたったひとりで鎮圧してしまったんだ」

 

「え、それグラモン元帥の話だったの!?」

 

「そうさ。僕だけじゃなくて兄上たちもみんな知っていることだよ」

 

「火竜山脈から飛んできたドラゴンの群れを、ひとりで退治したと聞いた」

 

「大公がトリステイン王家に反旗を翻したときにも、ほとんどひとりで反乱軍のメイジたちを取り押さえたって話だよね」

 

「あたしも、ゲルマニアとトリステインが小競り合いになったとき、それまで優勢だったゲルマニア軍が『烈風』出陣の報告が戦場に届いた途端、全部放り出して逃げたって聞いてるけど」

 

「ガリアの騎士団と決闘になったときには、杖の一降りで全員吹き飛ばしたそうだよ」

 

 わいわいと『烈風』の偉業を語る仲間たち。カリンはそれだけ有名な人物なのだ。そして、それを聞いた才人は至極当然な反応を示す。

 

「オイ、なんだよそれ。どんな化け物だよ!」

 

 思わずそう口にしてしまってから、

 

(しまった! ルイズの母さんのことなのに、とんでもなく失礼な事を言っちまった)

 

 おそるおそるその娘を見た才人だったが、ルイズはただカタカタと小さく震えているばかり。もはやそれどころではないといった状態だ。

 

「あの『烈風』だけは絶対相手にしたくない。これは父上の口癖のようなものだよ」

 

 ギーシュの言葉にモンモランシーが追従する。

 

「とっても美しい方だって聞いてたわ。昔から、カリンさまは男装の麗人じゃないかって噂があったんだけど」

 

「ええ、私もその噂は耳にしています。まさか本当だったとは驚きましたぞ」

 

 コルベールは額に浮かんだ汗を拭きながらそう呟いた。

 

 そんな彼らの様子と埋もれたパートナー・太公望の姿を見ながら、タバサは後悔していた。

 

(何故もっと夫人の言う()()()()について、詳しく内容を聞かなかったのだろう)

 

 彼の主人として振る舞っているタバサが応じてしまった以上、取り消すことなどできはしない。彼女の従者とされている太公望が、上位者による申し入れを断ることなど不可能だ。

 

「み、ミスタ、それにタバサ、ほ、本当にごめんなさい……母さまが『烈風』だって話はヴァリエール家の秘密だから、絶対に話しちゃいけないって言われてて……」

 

 涙目で謝罪するルイズをタバサが宥めた。

 

「トリステインの魔法衛士隊は女人禁制。その隊の『伝説』が女性だと明かすわけにはいかない」

 

「父上は知ってたのかなあ……」

 

「ええ、そのはずよ。騎士見習いだったころ、お世話になったって母さまが言ってたから」

 

「初耳だよ! そうと知っていたら……」

 

 ルイズを『ゼロ』なんて馬鹿にしたりしなかったのに。そう続けそうになったギーシュだが、すんでのところで思い留まることに成功した。

 

「え、なに?」

 

「な、なんでもないさ!」

 

 訝しげな声で問いただすモンモランシーと、必死に誤魔化すギーシュ。

 

(それにしても……)

 

 タバサにはどうしてもわからないことがある。そんな彼女の思いを代弁してくれたのは、親友のキュルケだった。

 

「だけど、なんでいきなりミスタに決闘を申し込んできたりしたのかしら? 直感で彼のことを強力な風メイジだって知ったのだとしても、不自然よね?」

 

「まったくじゃ。一体、カリーヌ夫人に何が起きたというのだろうか?」

 

 そう言って太公望に視線を移したオスマン氏。実は、彼だけはどうしてこんな事態が発生したのか知っていたのだ。

 

 もともと、太公望とオスマン氏がふたり揃って歓待期間中にラ・ヴァリエール公爵夫妻へルイズの系統について警告する予定だった。そのための打ち合わせも、前もって行っている。

 

 朝食前のわずか一瞬、彼と接触した時に『ゼロ成功』とだけ伝えられたオスマン氏は、

 

(詳しい事情はわからんが……おそらく公爵の側から接触を受け、あの男が直接話すことになったんじゃろうて)

 

 そう判断していた。結果、カリーヌ夫人が太公望のひととなりを見定めようとしてこんな申し出をして来たのだ。

 

「おい狸ジジイ。おぬし、知っとったな!?」

 

「当然じゃ。だが、国の秘事を明かす訳にいかんかった理由は理解できるじゃろ?」

 

「うぬぬぬぬ……!」

 

「まあ、頑張れとしか言いようがないのう」

 

「おのれ……人ごとだと思って気軽に言ってくれる……!」

 

 軽く流された鬱憤晴らしに、小さく呟き返すのが精一杯の太公望であった。

 

 正直なところ、太公望は本気で困っていた。自分への評価をリセットしようとしていた矢先にこの災難。よりにもよって、世界最強と謳われるメイジから挑戦を受けるなど、想定外にも程がある。

 

 ルイズやワルドに文句は言えない。これは外に出してはいけない情報だ。そういう意味で、ワルドの評価は高まる。ただ、単純に言うのを忘れていた可能性や、初対面の太公望に対する警戒が故に黙っていたことを考えると、まだ保留せざるを得ないが。

 

(もしタバサが断ってくれたとしても、受けざるを得なかったであろう。なにせ、あんな情報を伝えた直後なのだ。相手の人格を見極めるために、何らかの手段を取るのはおかしな話ではない……)

 

 現にラ・ヴァリエール公爵は「魔法の話を聞きたい」という、やや迂遠な手段でコンタクトを取ってきている。

 

 そのため、すぐに直接会談の機会が訪れるであろうと予期していた太公望だったが、カリーヌ夫人がこんな思い切った手を打ってくるというのは、策を練った段階では予想の埒外だった。

 

 しかも、これは人格を見極めるための一戦である。太公望お得意の搦め手は絶対に使えない。かといって、自分を『おちこぼれ』と話した直後に全力で戦うという選択肢も選べない。そもそも余程のことがない限り、そんなつもりなどさらさら無い。

 

(これらの条件を満たしうる策を検討せねばなるまい。まったく面倒な!)

 

 この状況では誰も頼りに出来ない。自分だけでなんとかせねばならぬ。ソファーの柔らかさだけに安らぎを感じながら、太公望は必死に己の最大の武器である頭脳を回転させる作業に戻った。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――数時間後。

 

 ガタゴトという音を立てながら、数台の馬車が練兵場へ向かっていた。

 

 その中でもひときわ大きなワゴンタイプの馬車に、エレオノール・ルイズ・タバサ・カトレアの四名が乗り合わせている。これはカトレアたっての希望だった。

 

 轍を踏んで揺れる車内で、彼女たちは魔法学院での日々について語り合っていた。授業風景や寮での生活、学院の先生や友人たちのこと……。

 

 その話題が才人と太公望に関することに移ろうとしたとき、ふわりとした笑みを浮かべたカトレアが口を開いた。

 

「あのふたり、何者かしら? ハルケギニアの人間じゃないわよね。なんだか根っこから違うように感じるの。とっても不思議だわ」

 

 妹のおかしな発言に、エレオノールは首をかしげた。

 

(東方からいらしたお客さまなのだから、ハルケギニアの人間でないことはわかりきっているはずなのに……どうしてカトレアはこんなことを言い出したのかしら?)

 

 ただ、エレオノールは妹が特殊な勘の持ち主であることをよく知っていた。だから、叱ったりせずに素直に疑問を口にした。

 

「それはどういう意味かしら? カトレア」

 

「ええと、何ていったらいいのかしら? あのふたりはとても近い場所から呼ばれたけれど、わたしたちとはすごく遠く離れた……そうね、まるで別の世界から来たような、そんな感じがするの」

 

 静かに微笑みながら語るカトレアに、エレオノールは心底困ったといった顔を見せた。

 

「ねえカトレア。あなたはすごく勘が鋭いから、試しに聞いてみたけれど……わたくしには何を言っているのかさっぱりわからないわ。呼ばれたって、誰に? それに別の世界? もしかして、東方の端からミス・タバサに招かれたという意味かしら?」

 

 頭痛がすると言わんばかりに眼鏡の一山を押さえながら確認してきた姉と、不思議そうな顔で自分を見ているふたりの少女に向かって、カトレアは謎かけをする女神のような表情を浮かべた。

 

「さすがにそこまではわかりませんわ。そんな気がしただけで。特に、あの方! ミス・タバサの従者殿はまるで神話の彼方からいらっしゃったみたい。あらいやだ、ごめんなさいね。わたし、すぐに間違えるのよ。もう気にしないで」

 

 そう言ってころころと笑うカトレアの顔を、タバサは驚愕の思いで見つめた。姉の不思議な〝力〟について良く知るルイズもびっくりしていた。カトレアの言うことは完全に当たっているのだ。

 

 ハルケギニアとは全く別の世界。地球という名の星から〝召喚〟によってやって来たふたり。ひとりはまだ〝力〟に目覚めていない状態だが、もうひとりは三千年前に、その世界における神話の終焉を見届けたという英雄。

 

(このひとは一体何者? 勘が鋭いなどという次元を遙かに越えている。念のため、あとでタイコーボーへ伝えたほうがいいかもしれない)

 

 胸の中でそう呟いたタバサは、ふいにそこがどきどきと高鳴り始めたことに気が付いた。そうだ、これから行われるのはまさに伝説と神話の戦いなのだ!

 

 ――ハルケギニアの伝説にして、歴史上最強を謳われる『烈風』カリンと。

 

 ――別世界・地球の伝説にして、時を越えて語り継がれる『軍師』太公望。

 

 戦いを好まぬ彼には心から申し訳ないとは思う。思うのだが……実際問題として、こんな対戦は、本来ならどんなに見たいと望んでも絶対に実現しない夢の試合(カード)なのだ。

 

 一瞬たりとも彼らの戦いから目を離してはならない。タバサはそう心に決めた。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――そして舞台はラ・ヴァリエール公爵領の練兵場へと移る。

 

 屋敷から馬車で一時間ほどの距離にあるその場所は、兵たちの訓練を行う場所とは思えないほど荒れ果てていた。地面がでこぼこしており、そこかしこに鋭い何かで削り取られたような傷跡があることから察するに、ごくごく最近使われたばかりなのであろう。

 

「ま、太公望師叔なら大丈夫だろ? 伝説の軍師様の戦いってやつを見せてもらうぜ!」

 

 などとバシバシと自分の背中を叩きながら言ってきた才人に対し「ずいぶんと元気になったではないか。元はといえば、おぬしが原因とも言えるのだぞ!?」と、怒鳴りつけてやりたいのを必死に堪えながら、太公望は馬車を降りると練兵場の中央へスタスタと歩いていった。

 

 そして、ふたりの英雄は五十メイルほど互いの距離を開けると、向かい合った。

 

「大切な恩人にして学者でもあるあなたにこのような真似をするのは、本来礼にもとる行為であることと充分に承知しております。ですが、これは親として。いいえ、ルイズの母として! 成さねばならぬ試練とお考えくださいまし」

 

 既に避難……もとい、高台に位置する観客席へ移動した者たち全てに聞こえるよう、高らかに宣言したカリーヌ夫人。色褪せた――しかし一切手入れを怠っていないマンティコア隊の隊服に身を包んだ彼女に対し、太公望はこれまた大音声でもって応えた。

 

「わかっております。わたくしと致しましても、ここで逃げるわけには参りませぬ。最下級ではありますが、ガリアより爵位を賜った、貴族のはしくれ。そして、わたくしはこう考えます。魔法が使える者を貴族と呼ぶのではありませぬ」

 

 『打神鞭』をグッと握り締め、太公望は高らかに叫んだ。

 

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのだ!」

 

 その宣言に満足げな笑みを浮かべるカリーヌ。いっぽう観客席では。

 

「どうしてかしら。今の宣言を聞いたら、なんだかイラッとしたんだけど」

 

「奇遇ですな、ルイズお嬢さま。わたくしめも全く同じ気持ちに襲われたところです」

 

 一段高い席に腰掛けてそう呟いたルイズに追従したのは、側に控える才人であった。

 

「学者の身でありながら、良い覚悟です」

 

 気に入った。そう言いたげな顔で呟いたカリーヌ夫人に、太公望はニヤリと笑いかけた。

 

「カリーヌ夫人。なにやら誤解をされておられるようですが、わたくしめは『学者』などではございませぬ」

 

 不敵に笑いかけてくる相手に対し、怪訝そうな表情を見せるカリーヌ夫人。

 

(はて。学者ではないのなら、彼はいったい何者だというのでしょう?)

 

 だが、そう問いかける前に彼女の夫であるラ・ヴァリエール公爵の声が響いてきた。

 

「双方がそれぞれ名乗りをあげた後に、わしが『はじめ』と声をかける。それをもって試合開始の合図とする。ふたりとも、よいか?」

 

 その声にしっかりと頷くふたり。そして刻は、本文冒頭・後半へと戻る。

 

「元トリステイン王国近衛魔法衛士隊所属、マンティコア隊隊長カリーヌ・デジレ・ド・マイヤール・ド・ラ・ヴァリエール。二つ名の由来は『強く、激しく吹き荒ぶ風』。『烈風』カリン」

 

(せっかく学者で誤魔化し通せると思っておったのに。だが、万が一ばれた時のことを考えると、ここである程度情報を出しておかねばならぬ。まったく……何故にわしはここにおるのかのう)

 

 太公望は内心で再び『始祖』ブリミルへ呪いの言葉を吐いた。

 

(前もってタバサたちと打ち合わせをする時間が持てたのが唯一の救いかのう)

 

 そう考えた彼は高らかに名乗りをあげる。目の前の『伝説』に合わせ、トリステイン風に、かつハルケギニア調で。あえて、現在ではなく過去のそれを大声で叩き付けた。

 

「中国大陸同盟国軍・周国〝崑崙山〟所属、元同盟軍参謀総長リョ・ボー陸軍元帥。二つ名の由来は『大公より知恵を望まれし賢者』。『太公望』呂望」

 

 ――ラ・ヴァリエール公爵領内の練兵場を、風が吹き抜けていった。

 

「今、彼はなんと言ったのかね? 同盟軍とか、元帥とか、なにやら不穏な単語が聞こえてきたような気がするのだが?」

 

 広場に立つふたりをいったん制した後、そう訊ねてきたラ・ヴァリエール公爵の声に、タバサは簡潔にこう告げた。

 

「陸軍元帥と言いました」

 

 その発言に観客席が凍り付いた。

 

「東の大陸で最大の国家・シュウの参謀でもあります」

 

 顔を強張らせたラ・ヴァリエール公爵を気の毒に思いつつも、タバサは続ける。

 

「総勢二十五万にのぼる大陸同盟軍で、参謀総長まで務めた正真正銘の『軍学』の天才。指揮官としても超一流です。今は既に軍を退役していますが」

 

 固まっていた一同の中で、最も早く再起動に成功したのはギーシュだった。彼はタバサのほうを向いて叫び声を上げる。

 

「た、退役元帥だって!? 彼が将官だったという話は聞いていたけど……!」

 

 彼らのやりとりを聞いたラ・ヴァリエール公爵は慌てて練兵場中央にいたふたりを呼び寄せると、改めてタバサに訊ねた。

 

「彼はいったい何者なのかね? よかったら、教えてもらえないだろうか」

 

 ラ・ヴァリエール公爵の問いに頷いたタバサは、こう切り出した。

 

「実は、つい最近までわたしも知りませんでしたが……とある情報筋によって確証を得ました。彼は東の大陸において『伝説の参謀』と呼ばれていた存在なのだと」

 

 その上で……と、タバサはさらに先を続けた。

 

「彼の名が大陸中に響き渡ったのは強襲をかけてきた敵軍九万に対し、自軍側は三万しか用意できなかったにもかかわらず、ほとんど損害を出すことなく相手を封じ、逆に降参させるという策を総軍司令官へと提言し、成功させたことがきっかけです」

 

「あれ? 帝国軍との戦いは、確か百万人近い大軍勢がぶつかり合ったんじゃなかったかね?」

 

「それは最終決戦時。シュウが与した同盟軍側は総勢二十五万だったと聞いている」

 

「ちょっと待ってくれたまえ! な、なら帝国軍は……」

 

「七十万」

 

「ええええええ!!」

 

 ギーシュの問いに淡々と答えるタバサを見ていたラ・ヴァリエール公爵の背中を、冷たい汗が伝い落ちていった。

 

「彼は軍人でありながら、まず相手に交渉を持ちかけることを信条とし、できる限り平和裏に、話し合いによって事態の解決を目指す変わり種としても知られていました。周囲から臆病者との誹りを受けながらも『兵士や民の血を流さずに済むのならば、それがいちばんだ。敵を倒すことだけが軍人の仕事ではない』そう言って意志を曲げず、退役するまでその方針を変えませんでした」

 

 この言葉に大きな反応を示したのはカリーヌ夫人だ。「話し合いによって平和裏に事態の解決を目指す」確かに軍人らしくない。ないのだが……。

 

「とはいえ本当に臆病なのかといえばそうではなく、高級将校の立場にありながら、戦況に応じて前線に立つことも厭わなかったそうです」

 

 確かに彼はそういう人物だろう。わたくしを前にして、一歩も引かなかったのだから。カリーヌ夫人の背に、一筋の冷たい汗が流れ落ちる。

 

「やがて同盟側の勝利で戦争が終わり、周辺諸国に平和が戻った後、その絶大なる功績と無駄に血を流さぬ戦いぶりを国王から評価され、大公の地位を打診されていたにもかかわらず『そんな面倒くさい地位など不要』とあっさりそれを蹴って軍を辞め、引き留める者全てを振り払って旅に出てしまったという……別の意味での伝説まで持っているのだとか」

 

 この話が本当ならば、確かに伝説になってもおかしくない偉業だ。ラ・ヴァリエール公爵夫妻はまずタバサを見、次いでオスマン氏に視線を移した。

 

「オールド・オスマン。あ、あなたは彼の正体を……?」

 

 ラ・ヴァリエール公爵はやや固くなった声でオスマン氏に問いかけた。

 

「ええ、まあ……ただ、知ったのはごくごく最近でしたがの。例のフーケ事件の指揮ぶりを見て、これはと思い調査しましたから。彼は元の身分を晒すのを嫌がっておりましたので、黙っておったまでですじゃ。こんな状況にさえならなければ、わしとしては本人の意志を尊重し、伏せておこうと思っておったのですが」

 

 そう言って深いため息をつくオスマン氏。それを見たラ・ヴァリエール公爵はその場で崩れ落ちるのを必死になってこらえるのが精一杯であった。

 

(ガリアの姫君が持つ情報網と、国立魔法学院の長という、卒業生たちからの情報を確保しやすい位置にいるオールド・オスマンが調査の上で知っているということは……彼が『東の伝説』とやらであるのはほぼ間違いのない事実なのだろう)

 

 そう悟らざるを得なかったからだ。

 

 ――名乗りの際にわしの昔の地位をバラすので、話を合わせておいてくれ。

 

 これが太公望からタバサとオスマン氏に前もって依頼していた策のひとつであった。太公望が伝説を残したのは間違いのない事実である。ただ、出身地が公爵たちの想定と違っているだけで、彼らは一切嘘をついていない。

 

 もっとも、オスマン氏はタバサが語った太公望に関する諸々の内容については完全に初耳だったわけだが、それでもきっちり話を合わせられるのは流石である。

 

 沈黙が場を支配する中、ラ・ヴァリエール公爵は考えた。

 

(そうか、彼はガリア経由でハルケギニアへやって来たのか。その上で、何らかの手柄を立て、晴れてガリアの〝騎士〟となり、後に彼の正体を知った者がミス・タバサ――いや、かのオルレアン大公の忘れ形見・シャルロット姫殿下に従者として付けたのだろう)

 

 その上でトリステイン魔法学院という、隔離された場所に姫と共に送り込まれたのだ。〝ガリア王国東薔薇花壇騎士団〟に入団させたのも、そうしておけば姫に名誉ある騎士をつけている、あるいは東の伝説をわざわざ大公姫につけたと内部反対勢力、つまり『シャルル派』と呼ばれる反国王の派閥を抑えるための、都合のよい言い訳にしやすいという思惑があるのだ。

 

 公爵はさらに検討を重ねる。逆に、現国王が抱える派閥『ジョゼフ派』に対抗するため、国外勢力の手を借りるため『シャルル派』の手によって、有力貴族とのコネクションが作り易い、留学生の多い魔法学院へ遣わされた可能性はないだろうか?

 

 ……いや、その可能性は低いだろう。もしもそうであるならば、ここまで彼らが正体を伏せてきた理由がわからない。ルイズの件があるのだから、なおさらだ。おそらくカリーヌがこのような行動に出たこと自体が姫にも、彼にとってもほぼ想定外の事態であるはず。

 

 それなのにわざわざ名乗りを上げた理由は――考えるまでもない、自分たちの身を守るためだ。おもに、カリンの手から。同じ状況なら、わしでもそうする。

 

 そもそも彼――大公の地位を蹴った上で国を捨て、旅に出たミスタ・タイコーボーがガリア王国に仕えようと考えた経緯。そしてガリアの姫君に従者にまで身を貶めた上で付き従っている理由が全く想像できない。何故そのような真似をしているのだろう?

 

 そんな風にラ・ヴァリエール公爵が深い思考の淵へと沈み込んでいたのとほぼ同じころ。『烈風』カリンことカリーヌ公爵夫人は遠い昔を思い出していた。

 

 まだ若かりし頃。情熱に浮かされるまま、立ち向かうもの全てに〝力〟だけで突撃し――失敗してしまったあの時のことを。

 

 幾度も直属の上司から「今は作戦を立て、準備を整えている最中だから絶対にこちらから手を出すような真似をするな」と忠告を受けていたにもかかわらず、それを「臆病者」「騎士として相応しくない」となじった上に無視した結果、敵の奸計によって捕らえられてしまった。

 

 あの時は幸いにして衛士隊の仲間たちが助けに来てくれたからよかったようなものの、最悪彼女はトリスタニアの中央広場で、街の住民たちから罵声を浴びせかけられる中、公開処刑されてしまうところだった。事実、彼女は処刑台に乗るところまでいってしまっていたのだ。

 

 カリーヌは慢心を自覚せざるを得なかった。ガリア王家の血を引く姫君に仕えているとはいえ、ただの従者。しかも最下級の爵位である〝騎士〟しか持っていない木っ端貴族。おまけに本ばかり読んでいるような学者で、元おちこぼれ。

 

 自分が名乗った上で、ほんの少しだけ脅かしてやれば、だいたいの性格は掴めるだろう。怪我さえさせなければ問題になどならないと考えていた。なにしろ、自分は公爵夫人なのだから。

 

 ところが。相手は自分の名を聞いて怯えるどころか正々堂々、真正面から受けて立ってきた。そこまでは良かった。だが――彼は学者どころか元軍人。それも、あの若さにして東方では『伝説』とすら呼ばれるほどの知謀を持つ参謀総長だった。同盟国を含むとはいえ、二十五万もの軍勢を用意できる超大国の大公位を与えられるほどの手柄を立て続けてきた、頭脳面における天才。

 

 カリーヌ夫人はその場で頭を抱えてしまった。

 

(彼自身がそう語っていたではないか。自分は魔法の腕に期待されていない、頭脳面でのみ評価されていたのだと!)

 

 それを完全に失念してしまっていた。自分が余計なことをしなければ、彼はこんな風に己の正体を明かしたりはしなかったはず。もちろん、国際問題に発展する可能性があるからだ。

 

 にもかかわらず、彼がわざわざ自分の正体について名乗りを挙げたということは……母親として、娘を案ずると言い放ったカリーヌの気持ちに応えてくれた……と、いうこともあるだろう。だが、それ以上に『烈風』と戦うという危険から自分の身を守ろうとしたのだ。

 

 全てを知ってしまった今、もう彼と杖を交えることなどできはしない。昔ならばいざしらず、経験を積み、守るべきものが増えた今――彼女はそこまで無謀な真似をするほど愚かではなかった。

 

(うわあ、どうしよう。わたしってば、またやっちゃった……)

 

 まるで騎士見習いであった当時のように、カリーヌはどんよりとした気持ちでその場に立ち尽くしてしまった。

 

 そんな彼らにさも心配げな声をかけてきたのは、問題の主たる太公望であった。

 

「あの……わたくしめは名乗りこそしましたものの、別に元の地位がどうとか、今更そんなことを気にしたりは致しませぬぞ。今はあくまでタバサさまにお仕えする、ただの従者なのですから。ささ、いざ尋常に勝負!」

 

 実に爽やかな――だが、彼をよく知る者たちにとっては嘘くさいとしか言いようのない笑顔でもって公爵夫人へ語りかける太公望を見たタバサは、

 

(やっぱり彼は勇者じゃなくて魔王だ)

 

 そう思った。

 

 いっぽう、主人から正式に魔王認定された太公望のほうはというと。

 

 もしもこのまま戦いになっても構わない。いや、現段階に限っていえば、むしろ戦ってみたい……そこまで考えていた。ハルケギニア最強のメイジの実力がどの程度であるのか、自分で直接見極めることができる機会など、他ではまず訪れないから。

 

 戦いではなく観察がしたい。それが太公望の本音であった。よって、どちらに転んでも構わない。そう……万が一戦いになっても相手が手加減せざるをえない、自分が本気を出さなくてもよい状況を作り出したのだ。

 

 このような策をあえてとったのは――観察以外にも目的がある。もしもカリーヌ夫人がバトルマニアであった場合、歓待期間中が地獄になる可能性があるからだ。それを阻止するための牽制。もしも戦いになってしまった場合、一回見られればそれでよい。太公望はそう考えていた。

 

 だが。そんな魔王の驕りとも呼べる考えの隙をついた者がいた。

 

 彼女は伝説の勇者でも、雄々しき騎士でもない。

 

「あの……ミスタ? 失礼ですけれど、そんな無理をなさらないほうがいいと思いますわ。どうやってお姿を変えていらっしゃるのかわたしにはわかりませんが、本当はもう、八十歳をとっくに越えたお年寄りなのでしょう?」

 

 ――驕れる魔王の時を止めたのは、か弱き姫君カトレア嬢であった。

 

 

 




果たして最終巻でカトレアさんの謎は明かされるのでしょうか。
来年二月か……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。