ラ・ヴァリエール公爵領の練兵場。その高台にある観客席から、とんでもないものを目の当たりにした観客たちは――あまりのことに言葉を失っていた。
「い……今のは〝
顔を引き攣らせながら、なんとか最初に声を絞り出せたのはレイナールだった。
「な、なんであんな威力が出るのさ! 『ライン』の僕が唱えても、木の枝を一本切り落とすのが精一杯なのに……」
「は? 『スクウェア』のメイジなら普通にできることなんじゃねえの?」
「無理」
才人が同じ『スクウェア』のタバサに視線を向けると、彼女は即座に否定した。
「だって、前にルイズが……」
「彼女の基準は『烈風』。今考えると色々とおかしかった」
仲間たちの視線にルイズは縮こまる。タバサの分析通り、彼女の比較対象は母親だった。だからこそ母より速く飛べる太公望を「素晴らしい風使い」と家族に紹介したのだ。
「んじゃ、普通のメイジだとどんくらいなの、です?」
思わず素で対応してしまった才人がようやく『役割』を思い出し、強引に言葉遣いを改めた。そんな彼にレイナールが説明する。
「うーん。『ドット』なら鋭いナイフですっぱり切られるくらい、かなあ」
そう言って、改めて新たに誕生した地割れを見るレイナール。彼の周囲にいる者たちの反応も似たようなものだ。
ラグドリアン湖で例の〝ヘクサゴン・スペル〟こと『打神鞭・最大出力』(ただし全開前にタバサの手で強制停止)を目の当たりにした面々はともかくとして、太公望の〝攻撃魔法〟を初めて見ることになったオスマン氏・コルベール・レイナールの三名と、ルイズを除くラ・ヴァリエール公爵家の人々が仰天するのは当然である。
と、図らずも補足するような形でエレオノールが口を挟む。彼女は半分腰を抜かしていた。
「な、なな、何なのよあれは!? 母さま並の〝力〟じゃないの!!」
その声に、ルイズの母ちゃん――つまり『烈風』カリンもあのレベルなのかよ! と、内心でツッコミを入れる才人他、ヴァリエール公爵家の者以外の面々。さらに、そこへ追い打ちをかけたのは太公望の『主人』たるタバサだ。
「以前、彼と実戦形式の模擬戦を行ったことがあります」
観客たちは一斉にタバサのほうへ向き直った。
「タバサ! あなた、いつのまにミスタと模擬戦なんかやってたのよ」
「なあ、どうしてみんなを誘ってくれなかったんだよ! 俺も見たかったのに」
「ぼくも」
「わたしだって!」
そう問い詰めてきた友人たちに、
「観客なしという条件だった」
と、いつものようにほとんど表情を変えずに回答したタバサ。ちなみに、ここで言う『実戦形式』とは各種交渉の類も含まれている。実際に杖を交えたのはまだ一度きりだが、あの戦いはその前後も含め――彼女にとって大きな糧となっていた。
「そ、それで? 試合のほうはどうなったのかね?」
「あなたたちがぶつかりあったんですもの、とんでもないことになったんじゃない?」
興味しんしんといった表情でタバサを見つめるギーシュとモンモランシー。
「風の『スクウェア』同士の対決か……興味深いな」
レイナールの発言に、これまた素っ気なく答えるタバサ。
「わたしはまだ風の『トライアングル』だった」
「じゃあ、結構前の話だね」
「そう。だから彼は多数のハンデを背負ってくれた」
「ふうん、どんなハンデだったの?」
「煉瓦の入った布袋を四つ錘として腰から下げて、風魔法も封印してくれた」
「全部で五リーブルくらいか……回避重視の彼には辛そうだね」
「風メイジなのに〝風〟を封印したの? それ、勝負にならないんじゃない?」
呆れたような顔でそう尋ねてきたキュルケに、タバサは頷いた。
「やっぱり。そりゃそうよね」
ところが、タバサは彼女の想像とは真逆のことを告げた。
「それなのに、歯が立たないどころか完封されてしまった。『スクウェア』にランクアップした今でも真正面から彼に挑んだ場合……正直、勝てる気がしない」
タバサの言葉に一同は驚いた。特にびっくりしていたのが学院メンバーである。
「え、嘘! つまり錘付き・風魔法無しでミスタはタバサに勝ったわけ!?」
「完封なんて冗談だよね!?」
彼らに、ふるふると首を横に振ってみせるタバサ。
現時点で、彼女は魔法学院に在学する生徒の中で唯一の『スクウェア』メイジだ。その彼女がハンデ付きの相手に一矢報いることすらできないとは――。
「得意系統の魔法と格闘術無しで、そこまで……」
唖然としているギーシュとレイナール。彼らはタバサと何度か杖を交えており、彼女の強さを身にしみて理解している。なら、それを完封してしまうという太公望は……。
「こ、コルベール先生。質問いいっすか?」
「なんだね? サイト君」
「俺、魔法使えないからわからないんですけど……メイジって、長い間修行して、何十年も実戦経験積めば、誰にでもあんなとんでもない魔法が使えるようになるんですか?」
その問いに、青ざめた顔で首を横に振るコルベール。彼のメイジとしての実力は相当なものだが、魔法であそこまでの破壊力を出すことなど不可能だ。
(いや、研究一辺倒で鈍りつつある身体と勘を鍛え直した上で自然科学を学び、例の魔法を巧く発動させられればもしかすると……)
と、そこまで考えたコルベールは何かを振り払うかのように再び首を振った。そして、ちらりと上司に視線を移す。
「まあ、わしくらい多くの経験を積んだメイジならやれないこともないのじゃが……あそこまで大規模の〝風の刃〟を撃つとなると、一発だけでかなりの〝精神力〟いや、どっちかというと体力のほうを消耗してしまうのう。いい加減、歳じゃし。ええのう、本当はジジイのくせしてあんなに若い身体を取り戻せているというのは」
などとボソリと呟いたオスマン氏に対し、
(あんたもできるのか! てか、ただの偉そうなスケベジジイじゃなかったのか、このひと!)
などと内心で大変失礼なツッコミを入れていたのは公爵とカトレアを除く全員だ。
全体評価はさておき、さすがは『トリステイン最高のメイジ』の称号を持つオールド・オスマン。その名前は伊達ではないのだ。もっとも、寄る年波には勝てないようだが。
答えをもらえた才人はコルベールに確認する。
「つまり、誰でもできるって訳ではないんですね」
「ええ、もしもそれが可能なら『烈風』は伝説になれなかったでしょう」
「ああ、そっか! 確かにそうですね」
みんなの〝器〟を見ている才人も理解した。同じプロ野球というカテゴリにいる選手の中にも、一軍で大活躍する者がいる一方で、芽が出ないまま引退するひともいる。魔法もそれと同じで『スクウェア』というランクに立てたとしても、その中には明確な差が存在するのだ。
(その例で言うと、ルイズは金の卵だったのに、運とか巡り合わせが悪くてあいつの才能を引き出せるコーチや監督に恵まれなかったわけだ。それが太公望っていう名監督に出会えたことで、今は一軍で好成績を残し始めている、ってところか)
例えはともかく、才人はしっかり的を射た受け止め方をしていた。
――さて、実際に戦場に立っているふたりのほうはというと。
『烈風』カリンは、勇猛果敢を売りとする彼女としては珍しく――完全に身体が固まってしまっていた。それはそうだろう、これまで散々『おちこぼれ』だの『頭脳面のみの天才』という前情報を叩き込まれていたのだ。しかも、彼女の目に映っていた決闘直前までの太公望は、軍人という割に、完全に隙だらけだった。
(それがどうだ。今、わたくしの目の前に立っているこの男は!)
自分が全力で放つのと変わらない威力の魔法を平然と飛ばしてきただけではなく、息一つ乱れていない。しかも、全身にごく自然な風を纏っている。
それは威圧感を伴う類のものではない。例えるならば、何もない平原でごくごく稀に発生する、渦巻き状の小さなつむじ風だ。いや、だからこそカリンは驚いたのだ。相対する人物が完全な自然体であることに。ハルケギニアの歴史上最強とまで謳われる自分を前にして平常心を保てるような相手を警戒するのは『騎士』として当然だ。
これまで、いくつもの戦場を経験してきたカリンだからこそわかる気配。
(彼は間違いなく強敵だ――それも、これまで戦ってきた、誰よりも)
「来ないのか? ならば、こちらから行くぞ!」
わずか数秒にも満たなかったカリンの硬直を、太公望は見逃さなかった。大声でそう宣言した後、即座に前傾姿勢を取る。それを見たカリンは、すぐさま杖に魔法の刃を纏わせた。〝
「受けて立つ!」
そのカリンの反応を見た太公望はニイッと笑みを浮かべると、風と共に……人間業とは到底思えないほどの超速度で猛然と走り出した――正面を向いたまま、後方へ。
カリンが見事にずっこけた。観客席にいた者たちも、ほとんど全員崩れ落ちかけたのだが……。
「絶対何かやると思った。相変わらず器用」
「いや……だから、感心している場合なのかね? これは」
平然と。こういった場面での太公望の行動など、もうわたしにはお見通しだとばかりに呟くタバサと、以前似たような場面に遭遇しているのでなんとなく予想はしていたものの、やっぱり呆れるギーシュ。そして、太公望の大声宣言時に聞こえてきた、
『かかかか! ついて来られるかな? このわしのバック走に!!』
という『付随してきた中の声』による予告で既に吹き出しそうになっていたカトレアの合計三名だけが、これに耐えきった。
「ふ、ふざけるなあああッ!!」
大声で叫び風を纏うと〝風〟を駆使して飛び出すカリン。彼女はそれと同時に〝風の刃〟を呆れるほどの超高速で後退していく太公望へ向けて、毎回――数枚単位で飛ばしまくったのだが、全部ひらりひらりと躱されてしまう。それも、紙一重で。
太公望が行っているこの回避行動は、とてつもない技量を必要とする『超高等技術』なのだが「うひゃー」とか「ごひゅー!」「どひぇー!」などという叫び声が一緒についてくるので、締まらないことこの上ない。
「逃げてばかりいないでちゃんと戦いなさい! 敵に後ろを見せないという話は、嘘だったのですか!?」
「嘘ではない! その証拠に、全部前を向いたまま避けておる!!」
「それを屁理屈と言うのです!」
「ハッ、屁理屈だろうとなんだろうと事実であることには変わりあるまい!」
練兵場の中で乱れ飛ぶ〝風の刃〟と〝
「それにしてもさ。マジでとんでもねえ威力だよなあ、ルイズ……お嬢さまのお母上が使う魔法は。地面、もうボロボロなんじゃねえの?」
そう呟いた才人の声に、ルイズが唖然とした声を返す。
「そうなんだけど……なんだか母さまが凄いのか、全部避けているミスタがとんでもないのか、わたしにはもうわけがわからなくなってきたわ」
そう。ここまで〝風の刃〟はもちろんのこと〝風の嵐〟〝
何故カリンが放つ魔法が長距離系ばかりなのか。その理由は簡単である。彼らが試合開始以降ずっと追い掛けっこを継続しているからだ。
それはいつしか楕円を描くようになっていた。ぐるぐると、まるで陸上のトラック沿いを走るようにひたすら後退を続ける太公望を、カリンが追跡するような形で。
(なるほど、そういう意図なのだな……)
ラ・ヴァリエール公爵は内心唸った。彼はいち早く太公望の狙いに気が付いたのだ。公爵はラ・ヴァリエール家の家督を継ぐために近衛魔法衛士隊の職を辞す以前はカリンと同じマンティコア隊に所属しており、その『頭脳』たる役割を果たしていた。公爵家の主として父親の代わりに対ゲルマニア方面国境防衛軍の長となって三十有余年、一度たりとも国境線を突破されたことがないというトリステインでも有数の知将である。
最初の一撃以降、太公望は一度たりともカリンに対して攻撃を仕掛けていない。いや、正確に言うと彼からはもう、一切仕掛ける気がないのかもしれないと判断した。ついでに、怒ると完全に冷静さを失う妻の気性を良くわかっている公爵は、こう考えた。
(彼はカリンの〝精神力〟が切れ、倒れるのを待っているのだ)
……と。
そして、そのまま試合を終えるのが目的なのだろう。平和裏に事を解決するために。公爵はそのように受け取った。確かにカリンのパワーは凄まじい。だが、あれほどの冷静さを欠いた状態であることと、彼の驚異的な回避能力を併せれば、それが可能であるという判断の上で。
と、ここまで思考を進めたラ・ヴァリエール公爵は疑問を覚えた。
(何故、彼はこんな回りくどいことをするのだ? そもそも事を荒立てたくないのならば、最初から試合など申し込まなければよいではないか。にもかかわらず、このような真似をするということは、何か他に理由があるはずだ。それはいったい何だ?)
――ラ・ヴァリエール公爵が太公望の行動理由について首を捻っていた、ちょうどそのころ。カリンは若い頃を思い出していた。騎士見習いになる前、とある人物と出会ったときのことを。
カリンは内心驚いていた。彼女は『伝説』と謳われるほどに優秀な騎士である。外見はどうあれ、内面ではとっくに冷静さを取り戻している。
若い頃ならばいざしらず、戦士としても、公爵夫人としても。そして母としても経験を積んだ今では長年連れ添った夫にすら怒り狂っているように見せかける程度の
カリンは、まるで道化師のように振る舞っている目の前の対戦相手がこれほどの技巧派だとは想像だにしていなかった。自分と同じ〝力押し〟を得意とするメイジだと完全に信じ切っていた。いや、最初の一撃でそのように思い込まされたのだということを、嫌と言うほど実感していた。
(この男は、避けているだけではない。幾重もの風で受け流しているのだ。しかも、こうして戦っているわたくし以外の者に悟られない程度の、ごくごく小さな風の流れを作り出すことによって)
優秀な風の使い手たるカリンには、それが手に取るようにわかる。
戦いの最中だというのに、カリンはつい微笑んでしまった。幼さがゆえに、無茶ばかりしていたあの頃。初めてあのひとと出会ったのも、そんな若さからくる無謀な行いがきっかけだった。腹部に大怪我をしていたにもかかわらず、あのひとはそれをひた隠しにして、自分のような生意気な子供から挑まれた決闘を受けてくれた。
(あのときもこんな風に……簡単にあしらわれてしまったわね)
―――『烈風』カリンはずっと孤独であった。
家族や血縁者、友人がいないという意味ではない。その強さがゆえに、敵――そう。彼女にはライバルと呼べるような相手が全く存在しないのだ。
もちろん、最初はそんなことはなかった。数多くの年上の騎士や、妖魔達によって簡単にねじ伏せられ、何度も悔しい思いをしてきた。しかし〝力〟が強まるにつれ、少しずつカリンの相手ができる者が減ってゆき……いつしか、ずっとその背中を追い続けてきた『あのひと』をも、追い越してしまった。
終いには『出陣した』という一報が戦場に伝わっただけで敵軍が逃げ去ってしまうほどに、彼女の名声は高まってしまった。そうして、まともに戦うことすらできなくなり――ついにはひとりぼっちになった。
今朝方、ワルドに稽古をつけたとき。カリンは突如変貌した彼の姿に驚いた。おそらく『国と家族を守る』という強い決意がゆえにワルドは――実の息子のように可愛がっていた青年は、壁をひとつ越えたのだ。昨日よりも明らかに〝力〟が……それも数段上がっていた彼が、いつの日か自分と並び、追い越していってくれるのを楽しみに待っていよう。そう考えていた。
ところが。そんな期待が胸に宿ったその日のうちに、それ以上の――しかも、最低でも自分と同等かそれ以上の威力を持つ〝風〟を放ち、かつ明らかに戦闘スタイルの異なる相手が現れた。騎士、いや戦士としてこれほどの幸せがあるだろうか。いや、絶対に無い!
息子が大きな壁を越えた。長年病弱だと思われてきた娘が、実は病気などではないとわかった。そして今――自分の目の前にいるのは。数十年以上探し、求め続けてきた、生涯の
「嬉しい。やっと本気で戦える相手に出逢えた」
カリンは喜びの感情を爆発させ――戦場に本物の『烈風』が顕現した。
――ルイズの母親は本当に『人間』か!?
いつもの如く自分のペースに巻き込んで相手を観察していた太公望は、突如〝力〟を爆発させた『烈風』カリンの変貌ぶりに、ただただ驚愕していた。
さすがにあそこまでの〝力〟はないものの……もしも彼女が〝仙人界〟に在ったなら、現時点で幹部級――いや、今後の修行と心得次第で間違いなく最高幹部の座に就ける程の〝器〟の持ち主だ。
太公望は歯ぎしりした。相手はただの人間。そんな驕りが、自分のどこかにあったことは否定できない。だから、わざわざ試合などを申し込んだのだ。本来であれば回避できたであろうものを、よりにもよって、自分から行ってしまった。
(ふん、上げすぎた評価をリセットするために利用する? 『おちこぼれ』なりの戦い方を見せて納得させようとした、だと? 笑わせるでないわ)
もっとちゃんと考えてさえいれば、他にも策が――ずっとよい方法があったはずなのだ。
(まったく……これではわしも〝力〟を発揮せざるを得ないではないか。このわしとしたことが、なんという馬鹿な真似をしてしまったのだろう)
太公望はそう自嘲した後に改めて気を引き締めると、立ち止まった。
そして『打神鞭』を構え直した太公望は、カリンへ向き直ると――こう言った。
「わしも、本気で戦おうと思う」
○●○●○●○●
――それは、まさに神話の戦いであった。
『烈風』が唱えた魔法によって出現した十六人の〝遍在〟の一斉突撃を、『軍師』が左手に構えた『打神鞭』の先から発生させた総数二十本もの〝
その〝風の鞭〟をかろうじて避け、懐へかいくぐったわずかに残る『近衛部隊長』の〝遍在〟を、全身に、まるでバネのような形の風を纏った『参謀総長』が、それだけで一撃必殺となりうる強烈な多段蹴りと突き上げた拳によって空中へと打ち上げると、頭上に発生させた円輪状の〝風の刃〟を投げつけ、切り裂いた。
そして、先程のお返しとばかりに本体へ近接戦を挑むべく、足元に〝強風〟を吹かせることで実現した超高速の前進を仕掛けてくる『拳士』を、手に持った軍杖に纏わせた〝風の刃〟を盾のように広げることで牽制する『剣士』。
遙か彼方、天空まで届くほど長大な竜巻に乗って空を舞う『騎士姫』を、ほとんど同規模の大竜巻を纏った『魔王』が迎え撃ち、練兵場の中央で、轟音と暴風をまき起こしながら大激突を繰り返す。何度も、何度も。
トリスタニア中央部にある大劇場『タニアリージュ・ロワイヤル座』の演目にはもちろんのこと、書物にすら存在しない程の、激しくも凄まじい〝台風〟ふたりの戦いを前に……観客席に座った一同は既に畏怖すらも通り越して。ただその場で、見惚れることしかできなかった。
「ま、まさか、あ、あのカリンの『本気』と互角に撃ち合える、だと……!?」
観客席の肘掛けに乗せた手を握り締め、ラ・ヴァリエール公爵がかろうじて喉の奥からしわがれた声を絞り出すと。
「撃ち合いなどではない、あれは従者殿が受け流した上で、その〝力〟を利用し、反撃しようとしておるのじゃ! だが、カリーヌ夫人の〝力〟が強過ぎるがゆえに流しきれず、受け止める形になっておる。そのせいで双方決定打を繰り出すことができない。これは、そういう戦いじゃよ」
『烈風』にその座を奪われるまで、トリステイン王国最高の『天才』と呼ばれたメイジだったオールド・オスマンが公爵の言葉に反論する。
「これは、まさに『
コルベールが興奮した声で上司の言葉に補足を入れる。
「『烈風』殿のほうが強い。これはわかりきったことだよ!」
「絶対、太公望師叔だ! 経験の差でこっちが勝つ!」
ギーシュと才人は手に汗を握りながら、揃って応援合戦に興じている。他の観戦者たちも、彼らと似たようなものだ。『西』異世界・ハルケギニアと『東』地球・中国大陸の英雄同士が繰り広げる東西対抗・異世界大決戦。通常ならば、どんなに望んでも決して見ることなど叶わない、正真正銘『黄金の
そんな中。ふたりの姫が、おかしなことに気が付いた。
「なぜ、あれほど強い〝風〟がぶつかりあっているのに、ここまで届かないのかしら」
――そう感じていたのは、その純粋さがゆえに身体を損なっていた、春風の姫君。
「どうして、あの〝風〟はふたつあるのだろう」
――疑問を覚えたのは、その過酷な運命がゆえに心を閉ざしてきた、雪風の姫君。
戦いの均衡が崩れたのは、その直後。カリンが放った巨大な〝風の刃〟を、それまでと同様極小の〝風の盾〟で受け流そうとした太公望が、足元の小石に足を取られた……わずかな時間。そのタイムラグにより、弾く角度に微少のズレが生じた。
己が犯したミスに即座に気付いた太公望が、大声を上げる。
「守りきれぬ! 才人、デルフで!!」
〝風の刃〟が唸りを上げて観客席に迫る。太公望の声と主人の危機に対し、即座に反応した〝ガンダールヴ〟平賀才人が背にした大剣を瞬時に引き抜くと、観客席の前に立ちふさがった。そして長大な〝風の刃〟を刀身でもって粉砕し、全てを吸収した。
「みんな、大丈夫か!?」
左手に煌めく剣を持つ才人の姿は、まさに仲間を守る『神の盾』。彼の手によって救われた人々は口々に感謝の言葉を述べた。
そして、決戦に赴いていたふたりの戦いは、そこで終わった。
「わたくしの……負けです」
『烈風』カリンが手にしていた軍杖を落とし……そう宣言したことによって。
○●○●○●○●
「わたくしは戦うことだけに夢中になっていたというのに、彼は観客席まで気に掛けていました。攻撃を逸らす際に、絶対にそちらへ〝風〟がいかないよう、細心の注意を払っていたのです」
全員の前で、そう言って力無く笑うカリーヌ夫人。
「母さまの仰る通りです、あんなに強い〝風〟同士がぶつかり合っていたのに、こちらへはそよ風ひとつ届いていませんでした」
母親の言葉を補足するかのように紡ぎ出されたカトレアの声に、一同は驚いていた。
風系統に属するタバサ・レイナールのふたりと、オスマン氏とコルベール、ラ・ヴァリエール公爵の大人組はそれを薄々感じ取ってはいたものの、いまいち確証が持てていなかった。だが、カリーヌ夫人の口から直接聞いたことによって、彼らは自分たちの直感が間違っていなかったことを悟る。
「それと。彼がどうして自分を『おちこぼれ』などと言うのかも、理解できました」
そう告げて『烈風』カリンからラ・ヴァリエール公爵夫人カリーヌへと戻った女性は太公望のほうへ向き直ると、彼の目をじっと見て尋ねた。
「あなたは風の『スクウェア』メイジではありませんね? それどころか『ドット』がせいぜい。それも
その発言にざわめく一同。あれほどの戦いを繰り広げた達人が『ドット』!? だが、夫人の発言にいち早く反応を示した者がいた。コルベールだ。
「そうか! 私には、不思議でならなかったのです。どうして彼が〝遍在〟を使わないのかと。使いたくても使えなかった。そういうことだったのですな!?」
さらに、そこへ補足した者がいた。太公望の『パートナー』タバサだ。
「夫人の言葉で納得できました。先程の戦いで彼が使う風が、普通のものと、そうでないもの……何か別種の〝力〟が込められたような風であることに気が付いてはいたのですが、わたしの感覚では、残念ながらそこまでしか判断がつきませんでした」
タバサの発言に、
「こればかりは実際に両方の〝風〟を何度も受けないとわからないでしょう」
そう言って微笑んだカリーヌ夫人は、再び太公望へ向き直った。
「最初は手加減をされているのかと思いました。でも、あなたの風からはそのようなものは感じませんでした。そして、あの『守りきれない』という声を聞いて確信したのです。あなたは〝遍在〟を出せないと。けれど『トライアングル』レベルでは到底扱いきれない風を纏っている。これはいったいどういうことなのかと、わたくしは疑問を覚えたのです」
まっすぐと自分を見返してくる太公望の視線を受け止めながら、カリーヌ夫人は続けた。
「吹いてくる風の質が、どこか普通のものと違っている。そこでようやく気付きました。あなたが魔法を完成させてから放つまでの時間が、異常なまでに速いことに。つまり、短い詠唱で済む呪文を用いているのだと。そこまで考えるに至って、やっと分かったのですよ。あの竜巻は〝
事件を解明しようとする名探偵が如く、カリーヌ夫人は持論を展開する。
「あなたは二種類の魔法を使い分けることによって、自分の〝力〟を大きく見せかけていたのでしょう? 昨夜語ってくれた自然科学の知識と知恵、そして磨き抜かれた技を駆使し、いろいろな形の風を吹かせることによって。そう……最小限の〝力〟を用いて最高の〝威力〟を発揮させる。あなたの先生は、正しい『道』を示されていたのですね」
カリーヌ夫人の最後通告に、太公望は片手で顔を覆った。
「完敗です、カリーヌ夫人。まさしくその通りです。わたくしにはそれしかできないのですよ。これまでずっと隠し通してきたというのに……参りました」
『風を操ること、そこに〝力〟を込めることしかできないというのがより正確なところであるが』
内側の『声』を聞いていたカトレアも、これで納得した。あのとき聞こえてきた言葉は比喩的表現ではなく、事実だったのだ。『ハルケギニアで言うところのドット』。本当に、彼は『ドット』メイジだったのだ。しかも〝念力〟と〝風〟しかできないという、通常の『ドット』にすら届いていない存在。一般的なメイジの感覚からすれば、完全におちこぼれだ。
「待ってよ! ミスタは火の『トライアングル』以上だって、前に学院長が……!」
そのルイズの発言に、太公望は首を横に振った。
「確かに、その気になれば火も扱えます。ですが、わたくしは自力で魔法による火を灯すことができないのですよ。杖で薪を叩いて火花を起こしたり、松明などの炎に風を重ねることによって、ようやく火メイジのような事象を起こすことが可能となるのです」
太公望はそう言い終えた後……カリーヌ夫人に向けて頭を垂れた。
「と、いうわけで……この勝負はわたくしの負けです、カリーヌ夫人。退役済みとはいえ、一度は国から軍を任された元帥。しかも参謀総長たるこのわたくしが、よりにもよって自軍の作戦と戦力を完全に見抜かれてしまった。これは戦争で例えれば、戦略的敗北に等しいことですから」
ところが、カリーヌ夫人はその言葉に異を唱えた。
「何を言うのです。わたくしは国や民草を守るべき騎士でありながら、その本分を忘れ、戦いの楽しさに酔ってしまった。しかも周囲の状況すらわからなくなるほどに。あなたが負けだと言うのなら、わたくしこそが真の敗北者です」
「いや、わたくしめの負けです」
「いいえ、わたくしが」
やいのやいのと言い合うふたりに、座席から立ち上がり、苦笑しながら近寄って行ったのはラ・ヴァリエール公爵であった。彼はさも難しげな顔をしながら伝説の騎士と参謀総長を見比べると、こう告げた。
「さて、これはどうしたらよいものか。ふたり揃って負けを主張するとは」
そう呟いて、オスマン氏をちらりと見る。その視線にオスマン氏はまるでいたずらっ子のような目を向けて「これは難問だ」などと呟き、何かを考えるようなそぶりを見せた。
「まったくもって難しい問題じゃの。あれほどの名勝負が繰り広げられたというのに、目の前にいるのが敗者だけだというのは。これはあってはならないことだとわしは思うのじゃが、どうかね? ここにいる皆はどう思う?」
答えを聞くまでもなかった。何故なら、彼らの顔はみんな輝いていたから。それを見たオスマン氏はラ・ヴァリエール公爵に向けて笑顔で頷いた。それを見た公爵が、高らかに宣言する。
「この勝負に勝者も敗者もない。よって……引き分けとする」
○●○●○●○●
――そして、夕食後。
「まさか、ミスタが『ドット』だとは思わなかったよ」
未だ興奮冷めやらぬといった様子で声をかけてきたギーシュに対し、太公望はこう言った。
「おぬしは、最近『ライン』に上がったからのう。とうとう追い抜かれてしまったわ。教え始めた頃はわしにいちばん近いタイプのメイジだと思っておったのに」
〝錬金〟によるゴーレム七体の複数同時操作。言われてみれば、今日太公望が見せてくれた〝風の鞭〟二十本の『同時展開』も、実は〝風〟によって行われていた。
同じ指揮官タイプでもあるし、系統や手法こそ違えど戦い方自体はそっくりだ。
(いつの日か、僕もあの〝鞭〟のようにたくさんのゴーレムを扱えるようになるのだろうか)
そんなことを考えていたギーシュに声をかけてきたのはカリーヌ夫人だ。
「あなたはグラモン伯爵のご子息でしたわね? お父さまもゴーレムの操作がとてもお上手でした。やはり、血筋なのでしょう。わたくしが騎士見習いだった頃、彼は『トライアングル』でね。見事なゴーレムで、よくわたくしたちを助けてくれたのよ」
そう言って笑顔を見せたカリーヌ夫人は、今までとは別人のように柔らかな表情をしていた。
「それにしても。あんなに多くの〝風の鞭〟を出せるメイジなど、今まで見たことがありません。わたくしでも、同時に十六体の〝遍在〟が限界です。やはり、あれは訓練と実戦によって磨かれたものなのでしょうね」
「それもありますが、自然科学の知識が大きいですな。それと『複数思考』。これらを組み合わせて……現時点で〝鞭〟だけでよい状況ならば、最大二十四本はいけるかと」
「まあ! では残りの四つは……ああ〝盾〟と〝風移動〟それと〝円輪〟に回していたのですか」
「その通りです。この域に達するまで、実に六十年かかりました……」
老メイジならではの熟練した技。正直なところカリーヌ夫人は、天使の『祝福』によって若返り、人生のやり直しができているという太公望が羨ましかった。しかし、彼女はすぐに思い直した。今のわたくしは、過去によって築かれたものだと。
そこに新たな声が加わってきた。ラ・ヴァリエール公爵だ。
「ところで、ひとつ聞きたいことがあるのだが……かまわんかね?」
「どういった内容でしょうか?」
太公望の返事に「うむ」と頷きながら公爵が口を開いた。
「君が本気を出す前。あの戦い方の意図だよ。最初は相手の〝精神力〟切れを待つ作戦ではないかと考えたのだが、それならば最後まで貫き通せばよかったはず。にもかかわらず、それをせずに真っ向勝負を仕掛けたのは何故だね?」
その質問に、太公望は思わず苦笑して答える。
「最初のあれはですな、夫人の実力を測らせていただいていたのです。魔法の威力や、攻撃が届く範囲、得意な戦法、逆に苦手なものは何なのか。まず、相手を徹底的に調べる。これは戦いの基本ですからな。国元で『回避だけなら史上最強』などと陰口を叩かれたほど、逃げ足には定評があるわたくしだからこそ取れる戦法ですが」
ラ・ヴァリエール公爵は感心すると同時に呆れた。まさか、そんな意図で『最強』を挑発するような真似をしたのか、この男は……と。しかし、ふとそこに至るまでの太公望の言動を思い返す。
(確かに、カリンと全力で杖を交える機会などまず訪れないし、彼女の実力を見ることで今後の指針とする。そこまで考えていたのか)
素直にその考えを口にしたラ・ヴァリエール公爵に、太公望は頭を掻きながら、心底恥ずかしそうな顔をして告白した。
「自分の勇猛ぶりや賢さを周りに証明したくてたまらない年頃に……ろくに情報を集めぬまま、敵の本拠地へ潜入したことがありましてな。で、結果は大失敗。あっさり捕えられ、牢へ放り込まれた挙げ句、公開処刑されそうになったという経験がございまして」
この発言に全員がぎょっとした。カトレアなど、
『あの時のことは、未だ夢に見るわ……』
などという『付随する声』を同時に聞いてしまい、身震いした。
「いや~あの時は本当に、もう自分の一生はこれで終わったのだと絶望したのですが、幸いなことに今まさにこの命を奪われるという寸前で、仲間が――今、わたくしの横に座っている才人の親族たちが決死の覚悟で刑場へと乱入し、助け出してくれたお陰で、九死に一生を得たのですよ」
その言葉に全員の視線が才人へと向かう。
(先程の剣技といい、持っている〝魔法剣〟と思しき剣といい……この少年只者ではないと思っていたが、もしや彼の家に仕える〝メイジ殺し〟の一族があり、そこの出身だったりするのか?)
などと判断したラ・ヴァリエール公爵。
既に『武成王一族』の話を聞き及んでいた才人を含む魔法学院のメンバーは、これも彼らの武勇伝のひとつか! と、大人しく話に聞き入っていた。
公爵夫妻はしばし絶句した後、互いに目を見合わせた。何故なら、彼らはかつて、ものすごく似たような話をどこかで聞いた……いや、実際に体験した覚えがあったからだ。
「彼ら一族に窮地から救い出される前。わたくしは処刑台の上で、こう思ったのです。どうして自分は失敗したときのことを考えなかったのだろう。何故、相手を全く知らずに敵地へ潜入するなどという愚かな真似をしたのだろうかと。死の足音が聞こえてきた時になって、ようやく気付いたのです。勇気と無謀は別物なのだ……と」
俯きながら、深いため息をついた太公望。
「そんなわけで、魔法学院の生徒たちに無謀がどうこう言える筋合いはないのですよ、そういった意味では。まあ、とにかくそれ以来、わたくしは事に当たる前に必ず、徹底的に情報を集めるようになりました。そして、それを元に有利に戦いを進めるための術を学んできたのです。ですから、あのような戦法を採った次第でして」
そう言って自嘲する太公望を、その場にいた全員が見つめた。ああ、だからあそこまで徹底的に情報集めをしようとするのか、そう考える者たちと。彼にもそういう時期があったのだなあ、最初から今のような判断力があったわけではないのだ。と、少しだけ親近感がわいた者たちと。失敗したときのことを考える、その意味を深く胸に刻んだ者もいた。
(よりにもよって公開処刑にされかかるとか、無謀な敵地潜入とか……彼は、若い頃のわたくしと本当に良く似ていたのですね)
そう思い、なんだか目の前の男に共感を覚えてしまったカリーヌ夫人は再び若い頃のことを思い出していた。あのひとの口癖。若さゆえに無茶ばかりするカリンを諫めるために、上司だったあのひとがよく口にしていた言葉。
『勇気と無謀は別なんだ』
(目の前にいる彼は、自力でそこに辿り着いたけれど、わたくしは……どうだったろう?)
当時を振り返ったカリーヌ夫人は、あのひととの過去に思いを馳せた。最初は騎士になることが目的だった。その次は彼に追いつくことが目標となり――いつしか、その隣に立ちたくなった。
と、ここで彼女はふいに良いことを思いついた。それを行うために必要な条件を確認すべく、探りを入れる。『烈風』カリンらしく、真正面から――まっすぐに。
「ところで、あなたは今……お独りですの?」
ピクリ。このカリーヌ夫人の発言に、その場にいた全員の神経が耳へと集中した。
(これは、まさかあの手の話か!)
太公望は即座に気が付いた。状況は異なるが、そういう話を持ちかけられた経験があるからだ。
かつて、太公望が殷打倒のため周軍を率いて敵の王都・朝歌を目指していたときのこと。不意を打たれ、周の王を含む複数名の人質を取られてしまった。それを行ったのは〝金鰲島〟の公爵だった。所謂『バトルマニア』だった公爵は「人質を返してほしくば、自分たちと戦え」という要求を叩き付けてきたのだ。
そこで太公望が相対したのが、三人の女性――公爵自慢の妹たちだった。太公望はこの戦いで、そのうちのひとりを策によって陥れた。
具体的には自分に惚れさせる、こちらも相手に好意があるような言動を取ることによって、同士討ちを狙ったのだ。彼の策は見事に成功。三姉妹は完全に無力化され、太公望は(ある意味で)壮絶な戦いに勝利することができた。
……と、ここから先が太公望にとっての失敗であり、誤算だったのだが。『美の女神』を自称する公爵家の長女は卑劣な罠に嵌められたにも関わらず――なんと太公望のことを運命の相手だと思い込んでしまったのだ。
後に彼女の兄である公爵を打ち倒した際に、よりにもよって彼は末期の言葉として「妹たちを頼む」などと言い残して昇天してしまい……そのせいで、太公望は『自称・美の女神』から完全に婚約者認定され、以後ずっと彼女を含む姉妹たち全員に付きまとわれるようになってしまった。
(性格は、ものすごく良い娘なのだがのう……)
つい、当時の彼女たちを思い出し、血を吐きそうになった太公望は当然の如く警戒した。違う可能性もあるが、もしもソレ系の話題だったりしたら本気で困る。とはいえ、この場面で下手に断ろうものなら公爵家に恥をかかせることになる。よって、太公望はこう切り返した。カトレアに『掴まれ』ないように、身の回りに関する真実のみを表に出すことによって。
「三人の娘には土地屋敷と財産を残して参りましたし、曾孫同然の娘は周の国王陛下の元へ嫁いでゆきましたから、あとはのんびりと、ひとり悠々自適の楽隠居生活を送るだけだと、こう考えております。見た目はともかく、この歳ですから」
なお、土地屋敷云々の話は事実である。こういうところは意外と義理堅い男なのだ。
国王のところへ行った親戚筋の娘については、彼女が自分の意志で嫁いでいったので、太公望自身は全く関係ないのだが。
「なぬっ!? 娘三人だけでなく、曾孫までおったのか! いやはや……君は正真正銘ジジイだったんじゃのう」
「だから、おぬしのような狸ジジイにジジイ呼ばわりされる筋合いはないと、何度言わせればわかるのだ!」
オスマン氏のボケに、ツッコミ返す太公望。もはや完全に漫才である。
これを聞いてカリーヌ夫人はしょんぼりしてしまった。さすがに、母親としては子供三人――おまけに曾孫までいるような男に、可愛い娘を嫁にやるわけにはいかない。たとえ相思相愛だとしても。どう考えても、家族の問題で苦労するのが目に見えているからだ。
かつて夫と、
「もしもカトレアの病気を治すことができる男がいたら、たとえそれが平民であろうとも、娘婿にしてやってもいい」
などという話を戯れにしたような覚えがあったのだが、これでは無理だ。もしもカトレアにその意志があったとしても、彼自身にその気がなければ話にならない。
カリーヌが女親で、かつ身分の低い家から公爵家に嫁いだからこそ自分の娘には持ちかけたくない縁談だ。全く同様の理由で、長女のエレオノールに対しても言えない内容である。
(彼がわたくしの息子になってくれれば、毎日あのような楽しい戦い――いや、素晴らしい訓練ができるのですが……)
などと、わずかに、いや、少し。そう、ほんのちょっとだけ想像してしまったカリーヌ夫人は、深く反省することにした。
(で、でも、歓待期間中にあと一回くらいなら……)
などと考えているあたり、彼女はやはり懲りていないのであった。
そもそも齢八十を過ぎ、既に枯れたジジイ(ハルケギニア風に言うところの使い魔談)である太公望は、元々そっち方面に関しては、全くと言ってもいいほど興味がないのだ。
と、いうよりも。そういう時期はとっくに過ぎ去ってしまっているので、こういった話を持ちかけられること自体が面倒極まりないことなのだが、周囲はそう取らないから困ったものだ。おもに、親友を応援している赤毛の娘が。
「タバサ。障害は多いほうが燃えるものよ?」
「意味がわからない」
それにしてもと太公望は思った。
(完全に結果オーライ。今回行った『本気の戦い』以降については観客席の防衛と〝盾〟による魔法の受け流し以外、ほぼ無策に等しかったにもかかわらず、この結果。カリーヌ夫人に試合を申し込んだおかげで色々と助かったわ)
あの〝生命力〟を込めた風と、普通の風の使い分けを見抜かれたのは正直痛かったのだが――逆に言えばカリーヌ夫人とタバサ以外には見破られなかった。それが判明したのは太公望にとって大きな収穫だ。今後微調整をかければ、より分かりづらくできるだろう。
さらに、全く別の角度からおちこぼれメイジという印象を持ってもらえた。それに、自分の〝力〟や知識全般を、年齢と経験による熟練の技によるものだと、ある程度納得させることができた。こればかりは、いくら言葉で言ってもなかなか理解してもらえないようなことだっただけに、ハッキリ言って嬉しすぎる。
しかもだ。あの勝負によって、自分が軍人でありながらも他者を常に気遣う、戦いよりも守りを優先する性格であるとラ・ヴァリエール公爵家の者たちに納得してもらうことができた。そのおかげか例の『ルイズの系統』に関連すると思われる会談について、秘密裏に持ちかけられている。
おまけに。あの〝風の刃〟を打ち消した剣技のおかげで、才人の評価まで上がった。ハルケギニアでは、魔法を使えない者を蔑視する者たちがいるが、少なくともこの公爵家において、以後才人がそういった扱いを受けることはないだろう。なにしろラ・ヴァリエール公爵自ら声をかけ、礼を述べていたくらいなのだから。
あとは「老齢による精神的疲労から、頼られすぎるのがもう嫌なのだ」といった〝空気〟を作り出し、蔓延させることができれば最高だ。それに関しては、改めて検討を重ねておくこととしよう。今度こそは、慎重に。
(ようやく一個、借りを返してもらえたのう。正直助かった)
太公望は、この世界に来て初めて『始祖』ブリミルに対し、心の中で感謝の言葉を述べた。
対烈風戦、決着!
何かと公爵家に縁がある太公望。
……全然関係ないんですが(そうでもない?)
某所に例の美人三姉妹をルイズが召喚したという短編がありましてですね。
なんというかもう、すごかったです。