雪風と風の旅人   作:サイ・ナミカタ

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操作ミスで修正中に66話の内容を上書きしてしまいました。
ご指摘くださった方ありがとうございました。


第65話 雪風と軍師と騎士団長

 ――魔法学院の学院長室を起点に、妙な事件が発生しようとしていたのと同日。

 

 ガリア王家が迎えに寄越した風竜の背に跨ったタバサと太公望は、途中で街道に舞い降りてトリステインの国境を越えると、そのままラグドリアン湖の畔に佇む屋敷――オルレアン公邸へと立ち寄っていた。

 

 今まで通り、玄関口まで出迎えに現れた老僕ペルスラン――彼とそっくりの魔法人形(ガーゴイル)は、これまた普段タバサが訪れたときと変わらず、食事と寝所の用意をしてくれた。

 

「変わりはない?」

 

「はい、お嬢さま。定期的に王家から差し向けられた兵士が見回りに来ておりますが、これといって変化はございません」

 

 つまり、屋敷はかつての状態のまま、そこに在るということだ。

 

 頭ではわかっていても、屋敷の惨状を――特に狂乱した母親の姿をした人形によって壊され、飛び散った陶器の破片で散らかった部屋を目にしたとき、タバサの心は酷く乱れた。

 

(母さまたちはゲルマニアへ脱出し、元気でいる。ここにいるのはただの人形……)

 

 正直なところ、こんな偽りの姿を見続けるのは辛い。立ち寄ることすら苦痛だった。しかし、目を背けてはいけない。かつてと同じように、機会のあるときはこうして出向かなければならない。王政府に屋敷内の異変を悟らせないためにも。

 

(ここはもう、ただの人形屋敷)

 

 そう思い込むことによって、なんとか悪夢を払おうとしたタバサであったが、やはりその夜も……うまく寝付くことができなかった。

 

 明けた翌朝。日の出前に屋敷を後にしたふたりは一路ガリアの王都リュティスへと向かった。その日の朝に出頭するよう、厳命が下されていたからである。

 

 

 ――ニイドの月、フレイヤの週、オセルの曜日。

 

 壮麗なるヴェルサルテイルの小宮殿プチ・トロワでは、そこの主である王女イザベラが、ネグリジェ一枚でベッドに寝そべり菓子をつまむという、およそ一国の王女とは思えぬだらしのない姿で暇を持て余していた。

 

 イザベラは枕元に置かれたベルを鳴らし、侍女を呼びつける。

 

「人形娘はまだ来ないの?」

 

 呼び出された侍女は困惑した表情で告げた。

 

「シャルロットさまの到着時刻は、その……」

 

 これを聞いたイザベラはベッドから飛び降りると、ドスドスと足音を立てながら猛然と侍女に詰め寄った。

 

「おい、お前! 今、なんて言った!?」

 

「あ、し、失礼致しました!」

 

「あれはね、わたしの玩具なんだ! どこにでもある、ただの人形なのさ! 二度と『シャルロットさま』なんて呼ぶんじゃないよ、わかったかい? ええおい、こらッ!」

 

「申し訳ございません! 申し訳ございません!」

 

 侍女の耳元で叫ぶイザベラに、侍女は何度も謝罪の言葉を述べる。しかし彼女の主人はそれだけでは満足せず、すらりと杖を抜いた。

 

「うあ……ああああッ……」

 

 恐怖のあまり顔を歪め、侍女はその場でがたがたと震え出した。

 

「ふふん、馬鹿なお前を少し利口にしてやるよ。最近、便利な呪文を覚えたんだ。他人の心を操り意のままにする魔法をね……」

 

「な、なにとぞ、お慈悲を……」

 

「どうしたんだい? お前に王女に仕えるに相応しい教育を施してやるって言ってるんだ。何を遠慮する必要がある?」

 

 ずいと顔を寄せるイザベラ。侍女の面貌は既に蒼白を通り越して紫色だ。そんな彼女の頬を、蒼髪の姫は手に持つ杖でするりと撫でた。

 

「お許しを……お許しを……」

 

 跪いて許しを乞う侍女の姿を見たイザベラの顔が、愉悦で醜く歪む。

 

 毎度のことながら、この王女に暇な時間を与えると本当にロクでもない行動に走る。これはイザベラの退屈しのぎに他ならないのだ。

 

 と、そこへ呼び出しの衛士がやってきて、イザベラが待っていた人形姫とその使い魔の来訪を高らかに告げた。報せを受けた王女は顔中に笑みを浮かべる。ただし、それは慈愛や微笑と呼ぶものとはほど遠い。

 

「ここへ通しなさい」

 

 現れた者たちの様子は前回会ったときとは大きく異なっていた。イザベラの従姉妹であるタバサはいつも通りの無表情。だが、もうひとり――太公望の瞳には初めて謁見したときと同様の光が戻っている。

 

(どうやら惚れ薬の後遺症はなさそうね)

 

 当時のことを思い出してうっかり吹き出しそうになるのを堪えながら、イザベラは視線を太公望へ向け、じろじろと眺め回すと……おもむろに口を開いた。

 

「よろしい、ちゃんと略章を身に付けて来たね。いい子だ」

 

 と、そのイザベラに太公望が疑問を投げかけた。

 

「あのう……王女さま。お聞きしたいことがあるのですが」

 

「なんだい?」

 

 王女の下問に、太公望は頭を掻きながら、心底困ったといった声で答えた。

 

「これ、お返しすることはできませんかのう?」

 

 この発言に、居合わせた衛士や侍女たちが顔色を変えた。

 

 無理もない。国王から受け取った騎士団章を返却するということは――この国に仕えたくないと言っているにも等しい、不敬極まりない行為であるからだ。ところが、それを聞いたイザベラは怒るどころか、遊び甲斐のある玩具を見つけた子供のような顔で訊ねた。

 

「どうしてだい? その『花壇騎士団章』はね、いくら欲しいと思っても、そう簡単に手に入るものじゃないんだよ」

 

「ご主人さまにも同じことを言われたんですがのう。ですが、わたくしは――このような大きなお国から勲章をいただけるような働きなど、何もしておりません。それなのに、こんな大層なものを身につけるというのは……その、重すぎるのです」

 

 イザベラは美麗な顔に愉悦の笑みを浮かべた。

 

「あっはっは、何を言っているんだい。お前はね、とてつもない戦果を挙げたんだよ!」

 

「戦果、とは?」

 

 おかしくてたまらないといった風情で、イザベラは続けた。

 

「なんだ、わかっていないみたいだね……まあいいわ。お前がそれを身につけているだけで、さらに戦果は拡大するんだ。いいや、縮小すると言ったほうがいいかもしれないねえ。いいから大人しく受け取っておきな」

 

「そうなのですか。王女さまがそのように仰るなら、そうします」

 

「ふふん、素直でよろしい。それじゃ、これも渡しておくわ」

 

 イザベラが再びベルを鳴らすと、控えていた侍女が部屋の中へ入ってきた。その手には黒塗りの盆が乗せられており、そこには二枚の羊皮紙と、品の良い装飾が施された小箱が置かれていた。

 

「〝騎士(シュヴァリエ)〟と〝東花壇警護騎士団(エストパルテル)〟着任の任命状に、騎士団章だ。父上からの手紙に書いてあったと思うけど、今後はそれを身につけるようになさい。それと……」

 

 イザベラは手元にあった紙と太公望とを交互に見ながら、声を出した。

 

「お前の正式な所属先は、この『北花壇警護騎士団』だ。もう人形娘から聞いているかもしれないけれど、うっかり抜けているところがあるといけないから、このわたしが自ら説明してあげる。光栄に思いなさい」

 

 ――そして、イザベラは改めて『北花壇警護騎士団』についての説明を行った。

 

 この騎士団はガリア王国の裏仕事を一手に引き受ける部署であること。

 

 表向きは存在しないとされているため、本来の所属を明かすのは禁忌であること。

 

 ここに所属する者は互いに名前では呼び合わず、番号で名乗る決まりがあること。

 

「お前に割り振られた番号は『八』だ。最近ちょうど空きが出てね。ご主人さまの隣で覚えやすいだろう? よかったね!」

 

 本人としてはにっこりと――端から見るとニヤリといった表現のほうが正しい笑顔で、イザベラは続けた。

 

「それと、年金についてだけど……財務庁に任命状を持っていけば、持っている勲章に応じた額が月割りで支払われる仕組みよ。最初はご主人さまに連れて行ってもらいなさい。そうそう、毎月ガリアへ戻ってくるのは大変でしょうから、最大三ヶ月分まで前借りができるようにしておいたわ。どう? わたしって、とっても優しいでしょう?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 この返事を聞いたイザベラは、さも驚いたといった顔をした。

 

「おやまあ。最初の頃と違って、ずいぶんと大人しくなったじゃないか。シャルロット……お前、やっと使い魔のしつけをする気になったみたいだね」

 

 ようやくイザベラから言を向けられたタバサであったが、普段と変わらず人形のように表情を動かさない。

 

「なんだい、結局『心』は返したってわけかい。もうしばらくあのままのほうがよかったんじゃないかしら? そうすれば、あんたの父親に忠実だった連中から同情が引けたかもしれないよ? おお、なんとお気の毒なシャルロットさま! あんなに涙を零されて……なんてね!」

 

 その言葉にも、タバサは反応を示さない。

 

「ふん! 相変わらず、余裕気取っちゃって。少し魔法ができるからって、思い上がりも甚だしいんだよ! けど、まあいいわ。今回の任務にその無表情は役立つでしょうし」

 

 イザベラの顔が、さらに凶悪な笑みで歪んだ。部屋の両脇で不安げな表情を浮かべている侍女たちへ向けて口早に命じる。

 

「ほら、お前たち! さっさとこの子たちを連れて行きな。例の支度をするんだよ」

 

 そう言うと、イザベラはあごをしゃくった。それを侍女たちの後についてゆけと解釈したタバサと太公望は静かに部屋を後にした。

 

 

○●○●○●○●

 

 ――それから一時間ほどして。まずは、太公望が謁見の間へ姿を現した。

 

 彼の装いは先刻までとは一変していた。

 

 銀糸の入った上品なシャツに濃緑色のベスト、白い乗馬ズボンという服装に、騎士団の象徴とおぼしき刺繍が裏地に縫いつけられた紺色のマントを身に纏っている。さらに彼の頭には巻き帯部分に薔薇の花と茎をあしらった小さな銀細工がついた、つば広帽子が被せられていた。これは花壇警護騎士団に所属する者が身につけている隊服である。

 

「ふうん、なかなか似合っているじゃないの。どう? ガリア騎士の格好をした感想は」

 

「首のあたりがえらく窮屈です」

 

「あはははっ、すぐに慣れるから我慢しなさい! と、お前のご主人さまが支度を終えてきたみたいだよ」

 

 イザベラに促された太公望は視線を扉の方角へと移した。そして、入ってきたタバサの姿を見て、思わず「ほう」と唸った。

 

 おそらく湯浴みをさせられたのであろう。やや赤く上気した少女の顔には、華麗な化粧が施されていた。青を基調とした豪奢なドレスを身に纏い、全身を宝石や貴金属などの装飾品によって飾り立てられたタバサは、その内側に隠されていた神秘的ともいえる高貴さが浮き彫りとなり、どこに出しても恥ずかしくない、完璧な姫君そのものであった。

 

 後ろについてきた侍女たちもタバサの可憐な姿を見て、感嘆のため息を漏らしている。もしもこの姿で舞踏会に参加したら、数多の男性がダンスに誘うべく殺到するであろう。

 

「ふん、まあまあってところかしら」

 

 イザベラはつかつかとタバサの側へ歩み寄ると、その手で従姉妹の頭部をぐりぐりとこねくり回した。そして、邪悪と言ってもいい笑みを浮かべながら、自分の頭に乗せられているものを指差した。それは宝石がふんだんに散りばめられた、ミスリル銀製の冠であった。

 

「ねえ、シャルロット。お前、これが欲しいんだろう? もしかすると、お前のものだったかもしれない王女の冠だよ」

 

 その言葉によって、室内にいる者たちの間に緊張が走った。しかし、タバサは相変わらず無表情のまま、空虚な瞳で銀色の冠を見つめている。

 

「ほら! かぶってみたいでしょ? ねえ。素直に欲しいって言ってごらんなさいな。そうしたら、あげてもよくってよ」

 

 イザベラは冠を取り、なんとタバサの目の前で指を入れてくるくると回し始めた。表情を変えぬままそれを見ていたタバサは思った。

 

(わたしが欲しいのは、それじゃない)

 

 そんなタバサの様子を見たイザベラは、フンと下品に鼻を鳴らした。

 

「相変わらず頑固ね。ま、いいわ。それじゃあ今回の任務について説明するよ」

 

 そう言って冠をタバサの頭にかぶせたイザベラは、手を叩いて室内にいた者たちに退出を促し、ベッドに腰掛けた。それから、部屋の中に自分たち三人しかいなくなったことを確認すると、イザベラは声を上げて誰かを呼んだ。緞子(どんす)の影から若い騎士が姿を見せる。

 

「お呼びでございますか」

 

 歳のころは二十をいくつか過ぎた程度であろうか。手入れの整った髭が凛々しい、なかなかの美男子であった。

 

「東薔薇警護騎士団団長バッソ・カステルモール、参上仕りました」

 

 カステルモールと名乗った騎士はイザベラの前で一礼すると、膝をついた。

 

「カステルモール。そこにいるのが例のリョ・ボーだ。父上から説明は受けているわね?」

 

「はっ、書面にて頂戴致しております」

 

「本来はわたしの預かりなんだけど……表向きはお前のところに所属しているということになる。面倒を見てやってちょうだい」

 

「承知仕りました」

 

 カステルモールは、立ち上がってくるりと振り向くと、太公望へ視線を投げて寄越した。それを見た太公望は慌てたように、ぎくしゃくとした礼をする。

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「ふむ、最低限の礼儀は心得ているようだな。しかし、いくら姫殿下の御前で緊張しているとはいえその礼はいただけない。これからは名誉ある東薔薇花壇警護騎士団の一員として、相応しい所作を身につけるよう努力せよ」

 

「か、かしこまりまして、ございます」

 

 そんなふたりの様子を実に面白そうに眺めていたイザベラが、口を挟んだ。

 

「挨拶は済んだようだね。じゃ、そこにいる人形に、例のものを」

 

「御意」

 

 イザベラの命令に頷いたカステルモールはすらりと杖を引き抜いた。青白く鈍い光を放つ、相当に使い古された杖だ。これほど見事な古杖を持っているということは、年齢によらず、かなりの使い手なのだろう。

 

(この若さで花壇騎士団の長に抜擢されるだけのことはある)

 

 タバサはカステルモールをそのように評価した。

 

 カステルモールは素早く呪文を唱え、タバサに向けて杖を振り下ろした。すると、タバサの顔に変化が現れた。目鼻立ちが微妙に変わり……イザベラと瓜二つになったのだ。

 

 風と水の合成魔法。スクウェア・スペル〝変相〟(フェイス・チェンジ)だ。

 

 〝風〟ひとつと〝水〟を三つ重ねる必要があるため、基本が風系統であるタバサには未だ使いこなすことができない、非常に高度な魔法である。

 

 とはいえ、全身を完全に変化させることのできる如意羽衣とは異なり、この魔法では顔の形を変えることしかできない。しかし、今回言い渡される任務にはこれで充分だったようだ。

 

「あっはっは! そっくりじゃないのさ」

 

 大声で笑いながら、イザベラはタバサの眼鏡を取り上げた。こうして顔を突き合わせていると、まるで双子の姉妹のようだ。

 

「わたしね、地方の領主に招かれて今日から旅行をするの。お前はその間の影武者ってわけ。理解できた?」

 

 イザベラの問いに、タバサはコクリと頷いた。

 

「お前はチビで、痩せ細ってて、美貌ではわたしの足下にも及ばないけどさ。ハイヒールを履いて胸に詰め物でもすれば、どうにか誤魔化せるでしょう」

 

 出発予定時刻まであと二時間と予定が押している。イザベラは三人に命令を下すと、ひとり居室に残った。その細く切れ長な目をさらに細めると、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。

 

「あの〝召喚〟の日から、今日でぴったり二ヶ月目。偶然って本当に怖いわぁ~」

 

 その声に応えるかのように、イザベラの耳元に小さな『窓』が開く。

 

「なぁオイ、本気であいつに仕掛けるつもりなのか?」

 

 声の主は王天君だ。

 

「もちろんよ。でも、心配しないで。あなたの弟を傷付けるような真似はしないから。だいたい、そんなことをしようと思っても、できないでしょう?」

 

「まぁな。だが、約束通り今回オレはついて行かねぇからな」

 

「大丈夫よ。わたしだけでも絶対に成功させる自信があるから! それにね、これはあくまでただの遊び(・・)なの」

 

 そう言うと、イザベラは凄みのある笑みを浮かべた。

 

「ただし。遊びでも、あなたから学んだように……決して手を抜かない。あの人形娘を苦しめて、苦しめて、苦しめ抜いてあげるわ。そういうのが、わたしの趣味だから」

 

 

○●○●○●○●

 

 ――王都リュティスから南西に百リーグほど離れた地方都市グルノープルへ向かう馬車の中で、イザベラは機嫌の良さを隠そうともしなかった。

 

 彼女は王女付きの侍女に変装していた。なんと自慢の蒼い髪をわざわざ栗色に染めるほどの念の入れようだ。新しく雇い入れた女官という触れ込みで一行に紛れ込んだイザベラは身分を隠し、他の召使いや侍女たちを欺いているのであった。

 

「どう? わたしの変装術は。誰もわたしが王女だなんて、気付いてないわ!」

 

 イザベラは自慢げに――すぐ隣に座っている、王女の衣装に身を包んだタバサに声を掛けた。

 

 変装術というよりは、イザベラが生まれ持った資質――ありていに言えば、まるで王女らしくない立ち居振る舞いや、その性格面からくるものであるのだが、この場に居合わせた者たちは全員、それを口にするほど愚かではない。

 

 現在、馬車の中にいるのは四名。影武者であるタバサと、そのお付きの女官に扮したイザベラ。彼女たちの護衛という扱いでカステルモールが同乗しており、さらに王女から「道中の退屈しのぎに東方の話を聞かせろ」という気まぐれという名の命令によって、正式にガリア騎士となったばかりの太公望が一緒に乗り合わせていた。

 

 今回の旅行中、王女の護衛を担当するのは東薔薇花壇警護騎士団と西百合花壇警護騎士団、そして影ながらイザベラに付き従う、北花壇警護騎士団の精鋭たちである。

 

 この旅行は現地滞在が三日、往復にかける時間が四日という予定であった。アルトーワ伯爵領は竜籠を利用すれば王都から数時間程度で到着できる距離にあるのだが、そこをあえて時間のかかる馬車で行くのが王族というものである。これはガリア王家の権威を国民たちに見せつけるための、大切な行事なのだ。

 

 一行は、先頭に交差する杖――ガリア王家の紋章が描かれた青い旗を掲げた騎士を立て、中央の列には王女たちが乗る豪奢な装飾の施された四頭立ての馬車と、その前後を挟むかのように並べられた護衛の兵士や召使いを乗せた馬車を従え、その後ろについた東西ふたつの騎士団が整然と隊列を組む、威風堂々と街道を征く。

 

 行く先々では周辺の通り沿いに住まう者たちが整列し、歓呼の声を投げかけてきた。

 

「イザベラさま、万歳!」

 

「ガリア王国、万歳!」

 

 小さく開いた馬車の窓からタバサが軽く手を振ると、住民たちはさらに熱狂した。

 

「あははははっ! みんなお前のことを本物の王女さまだと勘違いしてるわ! よかったね、気分だけでも王族に戻れて!」

 

 げらげらと笑い続けるイザベラには目もくれず、タバサは黙々と手を振り続けた。

 

「今回向かうのはアルトーワ伯爵が治める地方都市・グルノープルよ。お前は彼のことを知っていて?」

 

 タバサは外に向かって手を振りながら、小さく頷いた。

 

「ガリア王家の分家筋」

 

「あら、よく覚えてたじゃないの。外国生活が長いから、とっくの昔に忘れているものだと思っていたのに。ああ、ひょっとして自分の味方になってくれそうな人間だから、前から目を付けていたってわけ?」

 

 イザベラはタバサの頭に被せた冠をつつきながら問うた。

 

「そんなこと考えてない」

 

 と、カステルモールが窓の外には見えぬよう、さっと杖を引き抜いた。

 

「おのれ、影武者風情が。なんだ、その口の利き方は! 王女殿下を愚弄するか!」

 

「おやめ、カステルモール。今はわたしが話しているのよ」

 

 イザベラの言葉で、若き騎士団長は杖を収めた。だが、その顔は怒りに歪んでいる。

 

「失礼致しました。しかし……敬愛する我らがイザベラ姫殿下に対して、あのような態度を働く無礼にこのバッソ・カステルモール、我慢がならなかったのであります」

 

 口を閉じてなおタバサを睨み付け続けるカステルモールの態度が、どうやらイザベラにはお気に召したらしい。すっと左手の甲を差し出した。

 

「お前の忠誠に、疑うところなどないわ」

 

 カステルモールは笑みと共に差し出された手を恭しく取ると、そっと口付けた。

 

「ねえ、シャルロット。お前はずっと外国暮らしだから知らないでしょうけど、ここ最近リュティスを中心に新教徒たちが大暴れしているの。このあいだは王軍の施設が襲撃を受けてね、怪我人が大勢出たわ」

 

 タバサは何も答えない。そのような事件が起きていたことなど彼女は知らなかった。そのため、返事のしようがなかったのだ。

 

「旅行なんてやめたほうがいい。そう思うでしょう? けどね、そうはいかないのよ」

 

 ふっとため息をついたイザベラは、今度はタバサの頬を指でぷにぷにとつつき始めた。

 

「アルトーワ伯爵はね、長年ガリア王家に忠誠を誓い続けてきた、本当に誠実な紳士なの。そんな人物が半年以上も前から申し込んで来ていた園遊会への招待を、たかが襲撃騒ぎ程度で断るわけにはいかないのよ。王家の威信に傷がつくものね。ああ、王族でいるのって、本当に辛いわ!」

 

「だから、わたくしのご主人さまを影武者にされたのですか?」

 

 太公望の言葉に、イザベラは満足げに頷いた。

 

「その通りよ。見てご覧なさいな、この蒼い髪」

 

 イザベラはタバサの髪を撫で回した。この色だけはどんな魔法の染料を使っても真似できない。高位スペルである〝変相〟をもってすら再現するのが難しい輝きを放っているのだ。

 

「お前のご主人さまは、わたしの影武者に最適なのよ。この子はもう王族じゃないけど、髪の色だけは王族のままだからね! とはいえ、シャルロットだけをアルトーワ伯爵のところへ送り込むわけにもいかないのよ。わたしが側にいないと、対応できない事もあるでしょうから」

 

 そう言うと、イザベラは髪を掻き上げながらタバサに告げた。

 

「そういうわけさ、人形7号。王女さまのお仕事は、お前に任せたよ」

 

 

○●○●○●○●

 

 ――その日の夜。

 

 タバサたちは街道の途中にある宿場町へ到着した。前もってガリア王家からの予約を受けていたその町の宿という宿は、百人を軽く越える王女さまご一行の到着で全て満室となっていた。

 

 タバサには町でいちばん上等な宿屋の二階にある、最も豪華な部屋があてがわれた。イザベラはそこまでタバサを案内すると、恩着せがましい口調でこう言った。

 

「ここがお前の部屋だ。こんな上等な客室で過ごせるだなんて、夢のようだろう? せいぜいわたしの慈悲に感謝するんだね」

 

 そう言い残すと、侍女姿のイザベラは召使いに扮していた数名の北花壇騎士団の者たちと共に、階下の部屋へと引っ込んだ。太公望はというと、この建物へ来る以前にカステルモールの手によって東薔薇花壇騎士団員の詰める宿へ連れて行かれてしまった。

 

 広い部屋でひとりきりになったタバサは奥にあった鏡台の前に立つと、じっとそこに映る姿を見つめた。王女が纏うドレス、そして冠……。

 

 イザベラは「これが欲しいんでしょう?」と、光輝く冠を突き出してきたが、タバサは別にそんなものが欲しいとは思っていなかった。彼女が今、探し求めているものは――。

 

「妹の消息、そして父さまの死の真相に関する情報」

 

 タバサはひとり呟いた。これが半月前ならば話は違っていただろう。

 

(あのときわたしが欲しかったのは、イザベラ――あなたのお父さんの首。けれど、数多くのことを知ってしまった今は……)

 

 簒奪だと言われていたジョゼフ王の即位は、大司教も認める正統なものだった。

 

 心優しき善人だと信じていた父は、王座を狙い、人知れず暗躍を続けていた。

 

 復讐を求めていると感じていた母の心は、王族として、国の安寧だけを願っていた。

 

 一人っ子だった自分には、実は何処とも知れぬ遠地へと流された双子の妹がいた。

 

 父の人物像については未だよくわかっていない。あくまで母からの伝聞でしかないからだ。しかしそれ以外については――裏付けがほぼ取れている。

 

 窓際に置かれていたサイドテーブルに冠を置くと、タバサは天蓋つきの豪華なベッドに身体を横たえた。次いで、その小さな口から歌声が漏れだした。

 

 それは彼女が幼かった頃――まだ眠りたくないとぐずる自分を寝かしつけようと、母が枕元で唄ってくれた子守歌だ。かつて、タバサはよくこの歌を口ずさんでいた。何故なら、これは――希望への出口から垂れた、極細の糸であったから。

 

 絶望の淵に囚われ、己の身の上を嘆くあまりに、自ら命を絶とうとしたこともあった。しかし、そうなれば必然と母を道連れにすることになる。今にも砕け散りそうなタバサの心と命を、かろうじて現世に繋ぎ止めていた、懐かしくも優しい思い出。ほんのわずかに過ぎないが、こうして歌うことによって、彼女の脳裏へ鮮やかに蘇るのだ。幸せだった昔と、微笑みに溢れた日々の記憶が――。

 

 久しく歌っていなかった、その歌を紡ぎ出していると……コツコツと扉を叩く音がした。タバサは、側に置いてあった杖を手元に引き寄せる。その表情は、既に騎士のそれだ。

 

「誰?」

 

「わたしだ。カステルモールだ」

 

 慎重に扉を開けると、そこに立っていたのは間違いなくタバサの顔に〝変相〟をかけた、東薔薇花壇警護騎士団の長そのひとであった。

 

「何の用?」

 

 短く問うたタバサに、片手の指を一本立てる仕草を見せたカステルモールは慎重に周囲と部屋を見渡すと、さっと室内へ滑り込み、後ろ手に扉を閉め〝魔法探知〟を唱えた。

 

「ふむ……よし。怪しい者も、魔法で聞き耳を立てている輩もいないようだ」

 

(あなたがいちばん怪しい)

 

 一瞬そんな風に考えたタバサであったが、しかし。その場で恭しく帽子を取り、足元に跪いたカステルモールを見て驚いた。もっとも、表情は相変わらず全く動かなかったが。

 

「どうか、わたくしどもに姫殿下をお護りする栄誉をお与えくださいませ。昼夜を問わず、護衛つかまつります。隣の部屋に、隊員を待機させる許可をいただきたくあります」

 

「不要。わたしはただの影武者」

 

 タバサの否定に、カステルモールは首を横に振った。

 

「いいえ。シャルロットさまはいつまでも我々の姫殿下でございます」

 

「どういうこと?」

 

 そう訊ねたタバサに、カステルモールは静かに告げた。

 

「わたくしめは……いえ、我ら東薔薇花壇警護騎士団一同は、表にできぬ、変わらぬ忠誠をシャルロットさまに、そして今は亡き大公殿下に捧げております」

 

 どうやら彼は亡き父に縁がある人物らしい。しかし、時期が時期である。こうして近付いてくる相手を簡単に信用するわけにはいかない。

 

 タバサは小声で聞いた。

 

「昼間のあれは?」

 

 カステルモールはその声にビクリと身体を震わせた。

 

「その節は、大変失礼をば致しました。『始祖』より賜りし王権を簒奪した者の娘に、我が心の内を悟られては……と、愚考した次第であります」

 

 しきりに恐縮する彼の様子はタバサの見たところ、演技とは思えないほどに真摯なものだ。もしも彼が本物(・・)ならば、是非とも聞いてみたいことがある。

 

「あなたは父を知っているのですか?」

 

 タバサの問いに、カステルモールは俯かせていた顔をぱっと上げ、瞳を輝かせた。

 

「よく、存じております。今のわたくしがございますのは、亡き殿下……いえ、陛下のお引き立てがあってこそ。身分を問わず、誰にでもお優しいおかたでした」

 

 騎士団長の言葉を脳内で反芻する。

 

(彼は父さまに強い恩義を感じているから、わたしを護ろうとしてくれている?)

 

 とはいえ、タバサの過去の記憶にカステルモールの姿はない。少なくとも、オルレアン公邸では見たことの無い人物だ。だからこそ、対応のしづらい相手でもある。

 

(万が一にも騒動を起こすわけにはいかない。だから、受け答えは慎重に……)

 

 そう考えたタバサは思いついた言葉の中で、最も無難であろう答えを返すことにした。

 

「ありがとう。その言葉だけで充分」

 

「姫殿下。どうか、御身をお護りする許可を……」

 

 カステルモールの申し出に対し、静かに首を横に振る。

 

「今のわたしは北花壇騎士(シュヴァリエ・ド・ノールパルテル)。それ以上でも、以下でもありません」

 

 真剣な目で己を見つめてくるタバサに、カステルモールはそれ以上に生真面目な瞳を向けた。

 

「姫殿下さえその気であれば、我ら東薔薇花壇警護騎士団一同、決起のお手伝いをば……」

 

 カステルモールの言葉を聞いたタバサは、ハッとした。

 

(今、彼は決起と言った。つまり、反乱も辞さないということ。もしもこのまま放っておけば、このひとたちは……いつか暴走してしまうかもしれない。そうなれば、多くの血が流れる)

 

 瞬時にそう判断したタバサは静かな、しかし決然たる声で告げた。

 

「間違ってもそのようなことを言ってはいけません。わたしはこれ以上、不幸になるひとを増やしたくありませんから。その代わり……」

 

 続く言葉を紡ぐのを酷く躊躇うかのようなタバサを、騎士団長は怪訝な面持ちで見つめた。

 

「シャルロットさま……?」

 

「いつの日か、あなたの知る父の話を……わたしに聞かせてくれますか?」

 

 それを聞いたカステルモールの全身が、瘧のように震えた。タバサはそんな若き騎士の姿を、静かに眺め続けている。

 

 それから、わずかの間を置いて。カステルモールは静かに立ち上がるとタバサの手を取り、そっと接吻した。

 

「真の王位継承者に、変わらぬ忠誠を」

 

「いいえ、わたしは北花壇騎士。感情を持たぬ、ただの人形です」

 

「左様ですか……承知致しました。ですが、たとえ御身を地の底に落とされたとしても……我らが忠誠の在処は変わりませぬ」

 

 カステルモールはそう言い残して部屋を出て行った。顔の隅に抑えようにも抑えきれぬ、僅かな笑みを浮かべて。

 

「……また、巻き込んでしまった」

 

 部屋に取り残されたタバサは、窓の外に浮かぶ双月を眺めながらぽつりと呟いた。

 

(真実を知りたいという自分勝手な欲求のせいで、また無関係なひとたちを裏道へ誘い込んでしまった。彼らの暴走を抑えるという、自分の心に都合の良い言い訳をして)

 

 タバサは空に輝く双つの月に向かって小さく独白した。

 

「わたしは、本当にこの『道』を歩んでもいいの……?」

 

 だが、その問いに答えてくれそうな者は今――この部屋にはいなかった。

 

 

 ――バッソ・カステルモールは、己の内に沸き上がる感激を抑えるのに、全身全霊をつぎ込まねばならなかった。

 

(昼間あのような無礼を働いたにも関わらず、シャルロットさまは寛大なお言葉をかけてくださったばかりか、我らの身まで気遣ってくださった。さすがはシャルル殿下が遺された姫君だ。あのかたと同じく、どこまでもお優しい……)

 

 で、あればこそ。何としてでも、御身をお護りせねばなるまい。若き騎士団長は心からの忠誠を捧げる姫君の身を案じていた。

 

 ここ最近、国営施設に対する爆破予告や襲撃事件が後を絶たない。それだけ現在の王政府に不満を持つ者が多いということだろう。

 

(この行幸はあの厚顔無恥で畏れを知らぬ僭王の娘が、身の危険を感じてわざわざ己の影武者を立てるほど危ういもの。敬愛する我らがシャルロット姫殿下を、あんな下劣な女の身代わりになどしてたまるものか!)

 

 真の王位継承者を護ることこそ、我らの務め。心の底からそう信じているカステルモールはタバサの部屋を出た直後。即座に彼が『簒奪者』と断じている者の娘・イザベラの元へと向かい、彼女の前に跪くという屈辱に耐え、必死の思いで『影武者』に護衛をつけたほうがよいと提案した。そうすれば襲撃者が現れた際に、本物と錯覚するであろうという嘘までついて。

 

 しかし、イザベラの許可は降りなかった。それどころか、彼ら東薔薇警護騎士団は――本来であれば騎士団ではなく平民の警備兵が行うような、宿場町外周の警邏任務を命じられてしまった。まるで何事もなかったような顔をして、だが内心では激しく憤りながら、カステルモールは宿舎へと向かった。

 

「警邏任務!? しかも、よりにもよって件の異邦人まで一緒に連れて行けとは! かの者は当初想像していたほどの礼儀知らずではなかったが、しかし……あのような子供を連れ歩くなど、我らにとって足手まとい以外の何者でもない」

 

 せめて外から賊が入り込まぬよう、精一杯努力しよう。敬愛するシャルロット姫殿下の御為に。そう決意したカステルモールであったが、しかし。その判断は既に遅きに失していた――。

 

 

 




すみません、帰宅が遅れて
日をまたいでしまいました……。
イザベラさまのドS成分が足りない……。

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