君と、ずっと   作:マッハでゴーだ!

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ムスビの神は、きっとほくそ笑んでいる

 宮水神社の御神体があるのは、糸守からそう離れていない山の山頂だ。

 火山の噴火によって出来た窪地の、岩と大樹が結ばたことによって生まれた洞窟の中にそれはある。

 道路整備された山道から、人が歩くために人為的に切り開かれた山道を登っていく先に、そこはあった。

 ……そんな山道を、瀧と三葉は二人で歩いていた。

 時折聞こえる鳥の声や、歩いていると野山の動物たちの姿も見える。

 それが春の訪れを感じさせるには十分だった。

 瀧と三葉はそんな山道を、穏やかな雰囲気で登っていく。しっかりと手を繋ぎ、決して離さないように。

 山頂に到着するその途中、その山腹で休憩をする二人は、そこから見える景色を見ていた。

 

「……本当に久しぶりやよ。この山に登るの。8年ぶりかな?」

「8年、か。……俺は5年前にここ、登っているんだよな」

 

 瀧は朧げな記憶を引き出すように、そう言うと三葉は驚く。

 

「どうして瀧くんがあそこに行ったん?」

「……わからないんだよ、それが。司と奥寺先輩と飛騨に来て、二人と別れて――なんでかここに来た。この道と同じ道順でさ」

 

 瀧はペットボトルの水を飲んで、人が座れるほどの大きさの岩に腰掛け、辺りの景色を見ながらそう言った。

 季節は春からか、近くの一輪草が蕾から少し花弁を覗かせ、陽が温かく二人を照らす。

 

「……そっか。あ、それなら私も昔高校生の時に、一人で東京に行ったことあるよ?」

「へー。それは初耳だな」

「……理由は、なんだろ。何か目的があったはずなんだけど……ダメや、思い出せない」

 

 三葉は過去を思い出すように頭を捻るも、すぐに降参というように苦笑いを浮かべる。

 ――この山に入ってから、二人は何故か昔のことを思い出していた。この山道も、瀧はずっと忘れていた。山頂にいたという記憶だけはずっとあったが、それまでの過程を思い出せなかったのだ。

 にも関わらず、今はその道筋をしっかりと覚えている。

 ……三葉も同じだ。東京に行ったという事自体、長い間忘れていたのだ。それを今になって、この山を二人で登って思い出す。

 

「変な話だよな。たった5年前の出来事が思い出せないんだ」

「私は8年前だよ。……そっか。もう8年なんだよね」

 

 三葉は山腹から見える景色を見ながら、しみじみとそう呟く。

 少し見えにくいが、三葉の視線の先には糸守が見える。2つになってしまった隕石湖。災害の爪跡は確かに残っているが、しかし陽の光を反射した湖の景色は――美しかった。

 

「……ダメだと思っても、やっぱり綺麗って思うんやよ。糸守湖……今は2つになっちゃったけど、あの景色が」

「……ダメじゃないと思う。だって綺麗なものは綺麗なんだ。俺はその気持ちを抑えたくないな」

「…………うん」

 

 ……災害の傷跡を『綺麗』と表現することを三葉は戸惑った。あんなことがなければ、きっと今でも糸守はその変わらない景色を保っていたからはずだから。

 それでも三葉はその景色を変わらず『綺麗』だと言い、瀧はそれを肯定する。

 

「……もし、さ」

 

 瀧は少し続いた無言の間を破るように、ふと声を漏らした。

 

「もし、あの災害が起きなかったとしたら……糸守が未曽有の大災害に襲われなかったら、きっとそれが一番良いんだと、思う」

「……うん」

「……だけど、そうだとしたらさ。俺と三葉は、きっと出会ってなかったんだよな」

 

 瀧の手が、三葉の華奢な手を強く握る。

 

「そう思うと、さ。俺、複雑なんだ。だって、そうなったら今はない。三葉と一緒に話すこともなかった。こうやって山を登ることだって――糸守に来ることさえもなかったかもしれないんだ。だから……無くなった景色は悲しいけど、三葉と出会えたことは……彗星のおかげなのかもしれないって、思うんだ」

 

 瀧は理解している。自分がどれだけ被災者の人々に対してかけてはならない言葉を発してるかを。

 ……それでも瀧には、その言葉以外は思いつかなかった。自分のありのままを、三葉に伝えた。

 

「……ッ。ごめん、三葉。こんなの、言っちゃダメなのに」

「……ううん。良いの」

 

 ハッとして謝る瀧に、三葉は首を横に振る。

 ……三葉は分かっている。瀧が悪気があってそのことを言ったのではないということを。

 瀧の言いたいことは三葉にしっかりと伝わった。それはもっともなことだった。

 

「……もし、瀧くんが言う通り、災害がなくて、糸守がずっと変わらないままだったら。そしたら、たぶん私はずっと糸守で、自分を押し殺していたと思う」

 

 宮水神社の巫女として、巫女舞を奉納し、口噛み酒を御神体に供えて、同級生にからかわれて。早耶香や克彦と相変わらず仲良く――変わらない毎日を、ただ過ごしていただけ。

 

「……つまらない人生って思ってた。こんな人生嫌で、来世は東京のイケメン男子になりたいって思ったこともあった――でもね? それは東京に行っても同じだったんやさ」

「……ッ」

 

 ――四葉と最初に会って交わした会話を、瀧は思い出す。

 三葉はずっと、本当の笑顔を浮かべることがなかった。例え家族の前だとしても、心から今を楽しんでいるということがなかった。

 鏡越しの自分を見て、少し悲しげな表情を浮かべる。それがずっと、何年も続いていたと。

 

「……私、きっと瀧くんと出会わなかったらずっと変わらなかったんやよ。前にも言ったよね? 君と出会って、自分の世界が変わったって――災害は悲しい。でもいつまでもそれを引き摺るほど私たちは弱くないよ?」

「……そう、だよな――例え何もなかっても、それでも俺は三葉と出会える。そんな気が、するよ」

「当然、やよ!」

 

 ――陽に照らされる三葉は、瀧が見惚れるほどに綺麗だった。

 

「彗星が来ても来なくても私たちはきっと出会えた! もしかしたら瀧くんが今回みたいに旅行に来て、出会って……今みたいに、なれたよ。絶対に」

「……それなら感謝も何もないよな。結果が一緒なら――」

 

 ……瀧は自分の手首に巻かれる組紐を見る。

 ――ムスビ。一葉が言っていたムスビは、こういうことかと。

 例えもしもパラレルワールドだったとしても、糸を手繰り寄せるように俺たちはまた出会える。出会えばきっと理解し合えると。

 ……そう思って、瀧は不意に笑みを浮かべた。

 

「……三葉、行こう」

 

 瀧は三葉に手を差し伸べる。三葉はそんな瀧の手をしっかり握り、頷いた。

 

「うん!」

 

○●○●

 

 山の山頂。窪地は緑で覆われた湿地帯になっており、その中心部に大きな大樹――今は無き宮水神社の御神体が佇んでいた。

 足元が不安定な岩場の上に立ちすくむ瀧と三葉。

 

「……すっげぇな。空中庭園みたいだ」

「まぁ確かにちょっと別世界みたいな空気があるよね、ここ。……ここは、災害の影響がなかったんだ。

今更知ったよ」

 

 ……二人は苔だらけの岩場から窪地の底に降りて、上からではなく正面の遠目から御神体を見上げる。

 

「……宮水の巫女として、お参りしないとね。あの大樹の岩場の下にお社があるの」

 

 三葉は瀧の手を引き、窪地を歩いて行く。

 その先には小さな小川が流れており、大樹はその先にあった。

 三葉はその小川を前に立ち止まり、少し屈んでその小川の水を掬う。

 

「……お婆ちゃん曰くね。この先はカクリョらしいの」

「カクリョって……あぁ、隠れ世のことか。……あの世かぁ」

「なんでそれを知ってるかは知らないけど――あの世の行く覚悟、ある?」

 

 すると三葉は少し悪戯な笑みを浮かべながらそう言った。

 

「……三葉と一緒なら、別に構わないかな」

「なっ……そういうこと、真面目な顔を言わんといてよね、恥ずかしいから!」

「なに、照れてんの? 三葉っていざって時に照れるよな。昨日も――」

「き、昨日の話はナシ! ……もぅ。この男は本当に!」

 

 ……三葉は少し怒り気味に眉間に皺を寄せるも――次の瞬間、二人は噴き出すように笑い合った。

 

「あははは! ……あの世の目前でこんな馬鹿な会話してる俺たちなんだ。ムスビの神様も『もう好きにしない』とか言いそうじゃないか?」

「あはは……言えてる。でも今の言い方、ちょっとお婆ちゃんっぽいよ?」

「意識したからな、うん」

 

 ……そんな会話をしながら、二人は小川を越え、そして御神体のある大樹の前に佇む。

 近くでみるその迫力に瀧は改まって「おぉ~」と感嘆の声を漏らす。まるでこの世ならざるもののように映り、瀧はふと両手を合わせて祈った。

 

「……なんでここでお祈り?」

「いや、なんかしないといけない気がして。うん」

「もぅ……行くよ?」

 

 三葉はまるで子供に言い聞かせるかのようにそう言うと、瀧の手を再び引いて御神体の奥へと向かう。

 そこには取って付けたような階段があり、瀧はスマートフォンを取り出してライトを灯した。

 階段を降りきるとそこには四畳半ほどの小さな空間があり、石造りの祭壇がある。たったそれだけの小さなお社であった。

 

「……ここが、お社。昔は一年に一回、ここに口噛み酒っていうものを神様にお供えするんよ」

「口噛み酒?」

「……それについては聞かないで。私の黒歴史だから」

 

 三葉はそれ以上は語らない。

 ……三葉は祭壇の前で屈んで、そこに献納されている二つの苔の生えた瓶を見ていた。

 

「……これが、口噛み酒。たぶんそれ、私と四葉が8年くらい前に献納したものだよ。よく覚えてないけど」

「8年も前か。……お酒ってことは、飲めるの?」

「の、飲む!? え、そ、そんなんあかんに決まってるでしょー!?」

 

 三葉は瀧の何気ない台詞に過剰に反応し、そう叫んだ。

 ……静けさを保っていた洞窟の中に三葉の声が反響し、何とも不気味な音を奏でる。

 瀧は詳しくは知らないが、口噛み酒は米と唾液を用いて醸造する酒だ。それに用いられる唾液は三葉のものであり、つまりそれを口にするという事は――そういう事である。

 

「……8年ぶりでこんなに騒がしくてごめんなさい」

 

 ……三葉は屈みながら手を合わせ、お祈りをするように喋った。

 

「……糸守は無くなったけど、ありがとうございます。あなたのおかげで、人的被害はありませんでした。私のお婆ちゃんも、四葉も、皆元気です。だから……ムスビの神様はここで、ずっと見守っていてください」

「…………」

 

 三葉の祈りを真似するように、瀧も無言で目を瞑り、祈る。

 とはいえ、瀧にとって何か言いたいことがあるわけではない。

 ……ただ祈りを捧げた。意味も分からず、そうしないといけないと思って。

 

「……瀧くん」

 

 祈りを終えた三葉は、隣の瀧と同じ目線で笑みを浮かべる。

 瀧はその声を聞いて、ハッと目を開ける。

 

「別に瀧くんが祈る必要はないんよ? 変なところが真面目っていうか……」

「……そんなんじゃないよ。ただ、俺もちゃんと祈らないと罰が当たるかなって思っただけ」

「ふーん。……でも、どうして私の方の口噛み酒は組紐が解かれてるんだろ? ……もしかして誰かが飲んだとか」

「仮に開けたとしても、意味分からない場所にある飲み物なんて誰も飲まないだろ? 気にし過ぎだよ、三葉」

 

 瀧は軽口を叩きながら、ふと立ち上がる。

 足場は少し濡れており、油断をすると転びそうなほど不安定だった。

 

「……三葉。足元、気をつけろよ?」

「うん」

 

 瀧は立ち上がる三葉に手を差し伸べた。三葉はその手をしっかりと握り、立ち上がろうとした――その時だった。

 

「きゃっ……!」

 

 ――三葉は不自然に、その場で足を滑らした。

 瀧はすぐさまそれに反応し、彼女を抱きかかえようとするも、足元の不安定さによってそれが出来なかった。

 瀧もまた足を滑らせ、体勢を崩して倒れそうになった。

 瀧は咄嗟に三葉の頭を左手で守るように抑えた。

 

「「んっ……っ!?」」

 

 ――その結果、瀧と三葉は洞窟内でキスをすることになった。

 それはほんの一瞬の出来事。しかしその突然の出来事に瀧は手を離してしまう。

 ……その手が離れる瞬間、瀧の左腕の組紐と、三葉の髪結いの組紐が触れ合った。

 

 

 

 

 ――その瞬間、洞窟の中にキーンという、鈴の音のような音が響いた。

 

 

 

 

 瀧と三葉は、そのまま地面に頭をぶつけた。

 さほど大きくぶつけたわけではないにも関わらず、瀧と三葉の意識は少しずつ途切れていく。

 

「……みつ、は」

 

 途切れ行く意識の中、瀧は同じように倒れる三葉に手を伸ばした。

 

「たき、くん……」

 

 三葉もまた瀧に手を伸ばす。

 ――瀧と三葉が手を繋いだ瞬間、二人はほぼ同時に意識が途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――心の中で、それはずっと残っている。

 糸を繋げ、人を繋げ、時間さえも繋ぐ。それがムスビ。

 よりあつまって形を作り、捻じれて絡まって、時には戻って、途切れ、また繋がる。

 だからこれは必然。

 ……外は昼を過ぎ、そして迎える。

 黄昏れ時。糸守の言葉で――カタワレ時を、迎える。

 きっとムスビの神はほくそ笑んでいる。計画通りと言わんばかりのしてやったりという顔を浮かべているに違いない。

 優しそうで、しわくちゃな笑顔で――おばあちゃんが孫を見守るように。

 

 

 

 

 ――二人は、ただ……夢を、見ていた。


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