盾と兎と剣姫
仄暗い洞窟のような迷宮の中を、まだ年端もいかないように見える少女が彷徨っていた。様子からすれば、何かを探しているようであった。
背中にかかるまでに伸びた輝く亜麻色の髪は、走る彼女によって振り乱されており、ワインレッドの円らな瞳は不安気な色を帯び、辺りを見回していた。
少女はずっと走り続けていたせいか、息が切れ、足が止まる。そうして暫くすると、ただ探すことだけを考えていた頭から熱が引き、焦りつつも冷静な思考を取り戻すことができた。
「どこにいるの…ベル…?」
少女は人を探していた。それは、血は繋がっていないが家族の1人である白髪頭で紅い眼の、名をベル・クラネルという少年であった。
「ベルのことだから、わたしを置いて地上に出ることは無いはず…」
少女は、ベルは優しい少年だと評価している。だから、ベルは年下の自分を置き去りにすることは無いだろうと、少女は判断する。となると、だ。考えられる彼の行動は一つ。
「5階層か、な?」
少女が今いる4階層の一つ下の階層に、おそらくベルはいるだろう。5階層は、冒険者になってからまだ半月程しか経ってないベルにはとても危険だ。少女はすぐに5階層への階段へと向かった。
「まったく…、言うこと聞かないんだから。こんなでも先輩なんだよこっちは」
少女の名前はケイト。ただのケイトであり、ファミリーネームは無い。彼女の記憶に於いて最初の家族、彼女の主神ヘスティアから授けられた名前だ。
ケイトには、この迷宮、ダンジョンがある迷宮都市オラリオにいる以前の記憶がほぼ無かった。気が付いたらこの街の路地裏にいた。
残っていた記憶は唯一つ。
色々とあり、ヘスティアに拾われたのが1ヶ月前の出来事だった。それから二週間後、今から半月ほど前に彼女の主神が2人目の家族、ベルを連れて来た。
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「べ、ベル・クラネルっていいます。よろしくお願いしますっ!」
「わたしはケイト。ただのケイトだよ。よろしくねっ、ベル!」
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頼りない兎のような少年。それが、ケイトがベルを初めて見て思ったことだった。二週間だけだが、彼女の方が先輩だったために、ケイトとベルは一緒にダンジョンを探索し、ベルは彼女からモンスターについての知識などを学ぶことになった。
「ベル、大丈夫だよね?」
彼女からしてみれば、はっきり言って、ベルは弱い。
ステイタスも駆け出しだから仕方ないが貧弱だ。最初の探索の時は、最弱モンスターのゴブリンを一匹倒しただけで喜び勇んでホームに帰り、ヘスティアにそれを伝えて苦笑されていた。
おまけに以前尋ねた、冒険者となった理由が、女の子と出会う為という、ケイトからしてみれば不純なものだった。
ベルという個人の人間性を疑っていた彼女だったが、短い時間でも同じ屋根の下で暮らしてみれば、彼を訝しむ必要など無いことが分かった。
目的に反して初心なところやケイトとヘスティアを気遣うところを見ていれば、信用できる人、家族だと感じた。
だから、彼女は思ったのだ。ベルを、家族を守りたい、と。そう決めた。
ケイトは、つい最近の出来事を昔の事のように思い出しながら走っていると、5階層へ続く階段に着いた。すぐにベルを探さなければならないのだが、不意に感じた違和感に足が止まる。
「モンスターが少ない…?」
しかし、気にしていられないことに気付く。違和感の正体がベルに関係しているかもしれないのだ。早く行かなければ。彼女は自分を叱咤し、もう一度、足に力を込めて走り出す。
「わたしがベルを守らなきゃなんだから」
そして、彼女は階段を降りた。
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「あっ!見つけたっ!ベルッ…って……!?」
『ヴヴオオオオォオッ!!』
「うわああああああぁあっ!?」
「なんでミノタウロスに追いかけられてるのぉっ!?」
わたしの探していた少年ベルは、こんな浅い階層にいるはずの無い、牛頭と筋骨隆々な人の身体を持ったモンスター、ミノタウロスに追いかけられていた。モンスターが少なかったのはコイツの所為と考えていいだろう。
「ケイト!?なんで!?」
「いいから逃げるよっ!!」
『ヴヴオオオオォオッ!!』
「ひいぃいっ!?」
情けない声を出すベルを誘導するように、転身して来た道を走り出す。
ミノタウロスは冒険者で言えばLv.2相当のモンスターだ。Lv.1のベルでは敵うはずがないし、わたしも初見のモンスターに
三十六計逃げるに如かず。ヘスティア様から教わった、極東に伝わるという言葉を思い出しながら、ただひたすらに走る。
しかし、このまま距離が開かない追いかけっこを続けていれば、ベルの体力が先に尽きるか、地上に出れたとしてもミノタウロスを連れてきてしまうことになる。
状況は最悪だった。
『ヴヴオォオッ!』
「わあぁっ!?」
わたしはベルを先導して走っていたが、思考を巡らせていたせいで、後ろへの注意を怠ってしまった。
ベルは恐怖からか、前を確認して走っておらず、違う道へと入っていってしまった。ミノタウロスもその後を追って行く。
「やばっ!?ベルッ!」
急いで戻り、ベルを追いかける。そして、目に入ったのは、行き止まりの壁に追いやられて萎縮しきっているベルと拳を振りかざしたミノタウロスだった。
ベルがやられる。そう判断したらやることは決まっていた。仕方ないがやるしかない。ベルを守らなければ。今度こそ、失わないために。
「ハアァッ!」
敏捷を全開にして、ミノタウロスとベルの間に割り込む。
そして、大切なものを守る為の、わたしの唯一の盾を呼ぶ。
「【アイギス】ッッ!!」
『ヴヴオオオオォオッ!』
瞬間、ミノタウロスの拳に向けていたわたしの手に、盾が現れる。鈍く暗く、黒銀に輝く、わたしの身の丈ほどの、縦長の楕円に十字架を取り付けたような不思議な形状の盾。
衝撃に備えて、盾を握る手に力を込める。次の瞬間、わたしの盾とミノタウロスの拳がぶつかる。
『ヴヴオオォオッ!?』
「えっ?」
ベルが間の抜けた声を出した。
拳と盾がぶつかった瞬間に
対して、わたしは
「ふぅー、ギリギリセーフ…」
疲れたので、息を吐いてから盾を意識的に消した。そして、振り返りベルの状態を確認する。
「ベル、大丈夫?」
「う、うん」
「そっか!えへへ、それなら良かった」
ベルを守ることが出来て一安心だ。ミノタウロスが起きないうちに、ベルを連れて早く地上に戻ろう。
そう考えて、気が緩んだのがいけなかった。
「ケイト、後ろ!!」
「えっ?」
『ヴヴォオッ!!』
突然のベルの叫びに、今度はわたしが間の抜けた声を上げて、ミノタウロスの横殴りを諸に受けた。
通路の壁に激突し、わたしの身体は壁に減り込んだ。
「ケイトォッ!?」
ベルがまた叫ぶ。
「えっ!?やばっ!?抜けなっ!?」
でも、わたしは
しかし、状況が一瞬で絶望的になってしまった。壁から抜け出せなくなっているわたしは御構い無しと言うかのように、ミノタウロスはわたしに目も向けず、ベルの方に歩いていく。
「ベルッ、逃げてっ!」
咄嗟に叫ぶものの、ベルはミノタウロスを見つめたまま腰を抜かしてしまったようだった。ミノタウロスは一歩、また一歩とベルに近づいていく。
「あ、あぁ…」
『ヴヴオオオオォオッ!!』
「ベルーーーッ!!」
再びベルを殺さんと迫るミノタウロスの拳。死の恐怖に震えるベルの体。願うようにその名を呼ぶも、届かない。
――――また喪ってしまうのか
頭を過る、漠然とした記憶から来る喪失感。
一筋、涙が頬を流れた。
その時、
ミノタウロスの身体に、幾つもの銀閃が迸った。
細切れになった身体から血が噴き出し、魔石すら斬り刻まれ、ミノタウロスは絶命した。
「な、何が……?」
一瞬の出来事に、頭が着いていかない。ベルも同じ様子だった。ただし、ベルは全身にミノタウロスの血を浴びて真っ赤になっているが。
「…大丈夫、ですか…?」
声が聞こえた。どうやらベルに問いかけいてるようである。
その人物は、とても綺麗な金髪に金色の瞳を湛えた美しい女性だった。片手に持っている剣を見るに、彼女が助けてくれたのだろう。
聞いたことがある。現在のオラリオにおいて、2大ファミリアのうちの一つ、【ロキ・ファミリア】に所属している最強の女剣士、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの話を。目の前の女性の姿は、聞き及んだ話での【剣姫】の特徴と合致していた。
「あの…大丈夫、ですか…?」
ベルは放心していたようで、ヴァレンシュタインさんの最初の問いかけが聞こえていないようだった。
彼女がもう一度、ベルに問いかけると、
「だっ」
「「だ?」」
「だああああああああああっ!?」
ベルは走って逃げた。なんで?
訳が分からず混乱していると、ヴァレンシュタインさんがこちらに向かってくる。そして、問いかけてくる。
「…あなたは、どうして、壁に嵌ってる、の?」
「ハッ!?わ、忘れてたぁっ!?」
彼女からの質問で自分が置かれた状況を思い出す。
そう、嵌っているのだ。壁に。
「あ、ああ、べ、別に壁が大好きとかそういう訳じゃないんですよ!?ただミノタウロスに殴られ飛ばされ減り込んで抜けなくて!?」
「殴られ、た?ミノタウロス、に?」
「は、はい!そうなんでしゅっ!」
矢継ぎ早に説明する。噛んでしまった。恥ずかしい。自分でも顔が赤くなるのがわかった。
「…怪我は?」
「あ、全く無いです。はい。」
「…抜けない、の?」
「そうなんです。お恥ずかしながら…」
自分の力ではどうすることもできないので彼女に助けてもらうことにした。
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「どうもありがとうございました!」
「どういたしまし、て」
「それじゃあ、連れを追いかけなくてはならないので、これで」
「うん」
あのまま地上に飛び出すことは無いと思いつつ、しかし放ってはおけないのでベルを追いかけることにする。
すれ違う際に一言、ヴァレンシュタインさんには言っておかなければならない。
「家族を救ってくれて、本当にありがとう」
彼女にだけ聞こえる声で囁く。
「待って」
呼び止められる。綺麗な声だと感じた。
「あなたの、名前を、教えて」
「ケイト。ただの、ケイトです。」
彼女の問いに答える。ただそれだけのことなのに、嬉しさや気恥ずかしさなど色々な感情が押し寄せた。
「また、ね。ケイト」
「はい、また、何処かで」
そして、わたしは剣の姫に別れを告げた。またいづれ、会えることを願って。
はい。お目汚し失礼いたしました。
ケイトについては、次回以降語ります。
まあ読んでのとおり、って感じですが。
感想・ご指摘なんでも御座れ。気軽にどうぞ。お待ちしてます。
9/10 「コボルト」を「ゴブリン」に訂正