ケイトは廃教会に向かって歩いている。その手にはパンと野菜、肉とチーズが入っている袋が抱えられていた。辺りはもう真っ暗で、今彼女が歩いている狭い小路には、街灯の光が僅かに漏れて差し込んでくるだけだ。
彼女は人目を避けて歩いていた。先程の【ロキ・ファミリア】とのやり取りがあった後、フィンに示唆されたように、変な噂が立つことを恐れたためだ。
下界の神は、異常な事態にはいい意味でも悪い意味でも目敏い。神々に今回起こった事を知られるのはまずい、と思ったから、彼女は誰の目にもつかないように動いていた。
(ちょっと出しゃばり過ぎだったかな…?でも神ロキの様子からして
その通りなのだが、中々楽観的な彼女だった。
ケイトは廃教会に着くと、中に入って地下の隠し部屋へ続く扉を開ける。開けると階段の下から光が少し漏れ出ていることに気付く。ヘスティアはもう帰ってきているようだった。
彼女は階段を下りる。
「ヘスティア様、ただいまです」
「ああ、ケイト君、おかえり。ベル君は一緒じゃないのかい?」
ヘスティアはベッドにうつ伏せになりながらケイトの方を見て、彼女の帰還に応え、ベルの所在を問う。ケイトはテーブルに持っていた袋を置いてソファに座り、ヘスティアの質問に答える。
「ベルはおそらく、今ダンジョンにいます」
「な、何だって!?一緒に食事に行ったんじゃ…」
「その店で少々事情がありまして…」
「…話してくれるかい?」
「はい」
そう言って彼女はヘスティアに『豊饒の女主人』での出来事を話した。勿論、彼女が【ロキ・ファミリア】の一級冒険者を負かしたことは除いてだ。
「そんなことがあったのか」
「はい。ベルは今の自分が許せなかったんでしょうね」
「それはベル君が、自分は弱い、と思っているってことかい?」
「それもありますが、自分が現状に甘えていることに気付いたのではないでしょうか」
「現状に甘えている、自分…」
ヘスティアはそう呟くと、苦い顔を浮かべる。彼女自身、ベルとケイトに何もできていない現状に思うところがあった。
(ボクはこの子達に何かしてあげたい…力になりたい!)
ヘスティアの顔を見て、ケイトは彼女に声をかけようと思ったが、その前にヘスティアが立ち上がる。その顔は何かを決心したようだった。
「ケイト君、ボクは決めたぞ!ボクはどんな手を使っても、君達の力になる!何もできないのは、嫌なんだ!」
「ヘスティア様…っ!?」
ケイトがその言葉を聞くと、少し頭が痛み脳裏に声が過る。
『俺がお前を守ってやるさ。俺がどんなことになってもな』
優しそうな男の声だ。彼女は痛む頭に手を当てながら考える。
(今のは…わたしの記憶…?)
「ケイト君?大丈夫かい?」
「あっ、えっと、はい」
ヘスティアは心配してケイトに声をかける。彼女はコップに水をいれてケイトの方に寄り、彼女の前にコップを置いた。そしてケイトの隣に腰掛ける。ケイトは礼をしてコップの中の水を飲み干した。
「落ち着いたかい?」
「はい。ありがとうございます」
ケイトは空のコップを置いて一息吐いた。そして、ヘスティアの方に顔を向ける。
「ヘスティア様、絶対に無理したり『
「ああ、勿論だよ!君たちを路頭に迷わせることなんかしない。約束する」
ケイトが神妙な面持ちでヘスティアに言うと、彼女はケイトの目を見つめて、誓った。
「分かりました…」
「よし、じゃあケイト君!ベル君を迎えに行ってくれないか?心配で仕方ないんだ」
「了解です。その前に、ヘスティア様、お食事は?」
「もう済ませたよ」
「じゃあこれは明日の朝食ですね」
そう言ってケイトは食材の入った袋を棚に閉まった。それから探索するときの装備をつけて、部屋を出る。その後ろをヘスティアが付いていく。
二人は廃教会を出た。外はまだ暗い。
「じゃあ、気を付けて。無茶はするんじゃないぞ」
「はい、行ってきます」
ケイトは短く答えると、バベルに向かって駆け出した。
白亜の巨塔から漏れる光が街を照らしていた。
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ダンジョンの第6階層。そこで、碌に防具も装備せずにナイフ一つでモンスターと戦う少年の姿があった。今はモンスターを倒し尽くし地面に仰向けに寝転んでいた。相当疲労しているようで、肩で息をしている。彼の雪を連想させる白い髪の毛は、モンスターの唾液や返り血で汚れ、兎のような
少年の名はベル・クラネル。つい最近冒険者になったばかりの駆け出しだ。亡くなった祖父の言いつけで、このダンジョンがある迷宮都市オラリオにやってきた。14歳という年頃で未だに物語の英雄に憧れており、窮地に陥った女を助けて良い仲になる、という妄想をしてしまうような少年だ。
ベルには憧れがある。先日ミノタウロスに襲われた際に颯爽と現れて自分を助けてくれた女性、Lv.5の一級冒険者、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインその人だ。彼は最近アイズの事ばかり考えていた。いつか良い仲になる、隣に立てるその日を夢見て。
しかし、彼は気付いた。追い付くためには、死にもの狂いになって何もかもやらねばならないのだ、と。あの日の夜のように、ただ餌を与えられるのを待つ雛鳥のように甘えているだけでは駄目なのだ、と。
アイズに追い付くために、強くなるために今ここにいるのだ、と奮起して疲労した体を起こし、立ち上がる。それと同時に、天井から複数の黒い液体のようなものが、ドロリ、と地面にゆっくり落ちてくる。それは徐々に人型を成し、長い腕に鋭利なナイフのような三本の指がある影になった。それらがベルを取り囲むように出現する。
「ウォーシャドウ…!」
ベルはその姿を見て、目の前のモンスターの名を呟く。
ウォーシャドウは第6階層のモンスターの中でも群を抜く強さを誇り、新人殺しという別称もある。
その強力なモンスターがベルを囲んでいる。
(やるんだ、やるんだ、やるんだ!)
彼はナイフを構え、黒一色の影に襲いかかった。懐に潜り込み、ナイフで薙いで胴体を別つ。長い腕を避け、魔石を一突きする。指での刺突を躱し、頭を両断する。影の鋭い指が頭を掠めるも、怯まずに喉を貫く。
ベルは満身創痍の中、次々とウォーシャドウを葬っていく。
しかし、不安定な状況は、一体の影により破られる。ベルが目の前のウォーシャドウに気を取られている隙に、別の個体が横から腕を鞭のように振るって彼の腕を打つ。
「ぐっ!?」
ベルは痛みに呻き、ナイフを取り落す。
「しまっ、がぁっ!?」
彼がナイフを取り落したのを見て、彼の目の前にいたウォーシャドウが薙ぎ払いを放つ。
それを諸に受けたベルは、後方に飛ばされ地面を転がった。
(まずいっ…!)
体を起こそうとするが、その前にウォーシャドウが素早く寄ってくる。
そして、数体が同時にベルに襲いかかってきた。凶刃が彼に迫る。
(くそっ!くそっ!くそっ!)
「寝ている場合じゃないでしょ!さっさと立ちなさい!」
刹那、彼に襲いかかってきていたウォーシャドウが彼を越えて吹っ飛ぶ。どうやら突っ込んできた、いや、吹っ飛ばされた一体のウォーシャドウの所為のようだ。
ベルがウォーシャドウの飛んできた方を見ると、よく知った亜麻色の髪の少女がいた。
「ケイト…」
「ボロボロね、ベル」
ベルを凶刃から救ったのは、【ヘスティア・ファミリア】の
その手には、彼女の魔法によって顕現する
「帰るって言っても、どうせ聞かないんでしょ?まったく…程々にって言ったのに」
「ごめん…でも…」
「いいよ、気付いたみたいだしね」
「…ありがとう、ケイト」
ベルは立ち上がり、ケイトの傍らに落ちているナイフを拾う。その柄はもうボロボロで、今にもモンスターの血に塗れた刃が落ちそうになっている。彼は強引に柄から刃を抜いて、
彼の眼が鋭くなる。
暫くすると、吹き飛ばされたウォーシャドウがこちらに近づいてくる。ベルは鋭い眼をしたままケイトを見る。
「ケイト」
「言われなくても分かってるよ」
そう言うと彼女はベルの後ろに下がった。
これはベルの意志であり、意地だ。止めることなど、邪魔することなど、誰ができようか。
今度はウォーシャドウの方から仕掛けてきた。ナイフと鋭利な指が交差し、火花が散る。ベルの速度は先ほどより上がっており、危なげながら次から次へとウォーシャドウを倒していく。
ケイトは、武器を持てない己を自虐した。
(盾なのに守らないなんて、酷い皮肉よね)
そう思って、彼女は強く盾を持つ手を握りしめた。
(でも、ベルが決めたことだから…)
盾は味方を阻んではいけない。味方を守り、敵の刃を防ぐ絶対の壁でなくてはならない。今、彼女がベルを守れば、ベルを無事に帰すことができる。しかし、それはベル自身が持つ意地を、誇りを、矜持を殺すことになる。
彼女は手を一層強く握りしめる。我慢しなければならない。盾となることしか、守ることしかできない自分が、悔しかった。
彼女は立ち尽くして、少しずつ傷ついていくベルを見守ることしかできなかった。
その姿は、今はただの少女のものだった。
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日が昇りかけている暁の空。雲は風に靡き、僅かな陽光を霞ませている。
廃墟と化した教会の扉に背を寄りかからせて立っている女神、ヘスティアがその空を見上げていた。
(ベル君、ケイト君…一体どうしたんだ…)
彼女は愛する
(早く、帰ってきておくれよ。約束したじゃないか…)
ベルは、勝手に死なないと言っていた。ケイトとは、互いに何処かへ消えたりしないと約束した。そしてヘスティアは、彼らの力になると誓った。
(二人とも、勝手にいなくなったら許さないからな…!)
今ここにいない子ども達に、心の内で思いを馳せる。柔らかな風に雲は流され、太陽は天頂を目指しゆっくりと動き出す。
ヘスティアの澄んだ青い瞳に柔らかな朝日が差し込んだ。反射的に手を翳し、光を少し遮る。それから、ふいに辺りを見渡す。
一点、遠くの方から歩いてくる二つの影があった。姿はよく分からないが、大きさは片方が少年、もう一方は少女くらいの大きさだった。少年の髪は兎の毛のように白く、少女の髪は綺麗な亜麻色だった。少年は少女の肩を借りて歩いているようだ。
それを見て、ヘスティアはそちらに駆け出した。
二つの影に近づいていくと、ヘスティアの思った通り、ベルとケイトだった。
「おかえり!ベル君、ケイト君!」
「すみません、ヘスティア様。遅くなりました」
「ただいま…神様…」
「ベル君!?傷だらけじゃないか!?大丈夫なのかい!?」
「ベルは大丈夫です。
ヘスティアは所々血に塗れたベルを心配したが、ケイトの言葉を聞いて安心した。そうすると、急に眠気が襲ってくる。
「ふわぁ…ともかく、二人が無事で、良かった」
「もしかして、一晩中?」
「当たり前じゃないか…愛する子達が帰ってこないんだ…いくらケイト君とはいえ心配したんだぞ…」
「…ごめんなさい…ありがとう、ございます」
「…ああ、早く帰ろう」
そう言うと、ヘスティアは二人の前に立ち、眠い目を擦りながら廃教会へと歩いた。
その途中、ベルが譫言のように小さな声で言った。
「神様…ケイト…僕、強く、なりたい」
その言葉を聞いて、ヘスティアは振り返らずに微笑んだ。
「ああ、なれるさ、絶対」
それを聞いて、ベルは安心したように僅かに笑った。
しかし、ヘスティアは後ろを見ずに応えたので気付かなかった。
少女が、悔しさや情けなさのような感情が綯交ぜになった表情をしていることに。
雲は、未だに太陽を隠さんとばかりに大空を漂っていた。
お目汚し失礼いたしました。
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