果てがある道の途中   作:猫毛布

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第12話

 第七十四層のボス攻略から翌日。

 キリトは精神的に参った身体をベッドへと転がしてそのまま泥の様に眠っていた。

 朝日が差し込み、瞼を焼かれる事で微睡みへと引き上げられ、ぼんやりと意識を覚醒していく。

 視界の下部に設置されている時計で時間を確認して、大きく息を吐き出して布団を被り直す。《強制起床アラーム》で起こされないのは久しぶりかもしれない。 

 寝起きが悪い訳ではないが、昨日の戦闘を思い出せばもう暫く眠っていても罰など当たりはしないだろう。

 そんな、誰に言ってるかわからない言い訳を頭の中で唱えながら、キリトはまたゆっくりと瞼を降ろしていく。降ろしていく最中、自身の視界の端――新着メッセージのアイコンが点滅している事に気がついた。

 

 眉間に皺を寄せながら、攻略情報だったならば必須である、というなんともゲーマーらしい寝惚けた思考でメッセージをタップした。

 

『脅威の五十連撃!? 二刀流剣士の謎に迫る!!』

 

 そんな週刊誌のような冒頭を読んで、キリトは目を点にした。未だに思考は正常に回っていない。半ば現実逃避を決め込みたい気持ちであった。

 が、そうも言ってられず視線だけで文章を――恐らく情報屋が共同して全プレイヤーに発信されているであろう記事を読んでいく。

 曰く『(ALF)の大隊に大きな損傷を与えた絶望的な悪魔』、曰く『その悪魔を単独で打ち破った二刀流の剣士』、曰く『神速の五十連撃』。

 いいや、《スターバースト・ストリーム》は正確には十六連撃である、この情報には間違いがあった。そんな事は関係無い。

 

「…………えぇ」

 

 キリトはとりあえず全く回転しない頭をどうにか起床させて、頭を抱えてからもう一度メッセージを頭から読んだ。文章は変わることはない。読めば読むほど週刊誌のようだった。

 まるでアイドルが逢引してソレを報じられている様な、そんな文章だった。アイドルの立場であるキリトからすれば堪ったもんじゃないけれど。

 そもそも、この独占インタビューなる物を受けたらしい緑髪の美少女は一体誰なんだ。少なくともよく知る鬼畜ロリ(♂)はこんな語り口調ではない。いや、この記事は恐らくあの鼠が添削しているから違うと言えば違うのだろう。

「とても格好良くて。私、好きになっちゃいそうでした(ハート)」なんてあの鬼畜ロリが言う訳がない。とてもつもなく甘ったるい声で送られてきたとしてもキリトは信じない、トキメカない。絶対にだ。

 

 幸いな事に、ある程度のプライバシーというモノは守られている様で、キリトの名前は無い。それこそ緑髪の美少女の名前も匿名だ。

 果たして美少女は誰なんだろうか。少なくとも七十四層のボスエリアに居たという事はトッププレイヤーに違いない。アーヤバイナーダレダローナー。

 大きく息を吐き出して、キリトは現実逃避から戻ってきた。まあ誰の名前も出てないから情報屋達がせっせと頑張っている事だろう。ナッツもアルゴも最低限のプライバシーというモノは守っているだろうし……。

 

 ハハハハハ、と乾いた笑いを浮かべながらキリトは布団から急いで起き上がり、カーソルを素早く操作して身支度を整えた。現実逃避している脳とは別にある種の脊髄反射で肉体は動いていた。

 自宅から出る為に玄関の扉へと手を向け、手を止める。踵を返して、何度か自分に「落ち着け、落ち着くんだ」と言い聞かせてながら玄関とは逆側の窓から外を覗く。NPCと僅かなプレイヤー達。些か早い起床であったからか、人通りは普段よりも少ない。

 窓を静かに開けて、足を掛け、飛び出した。そのまま自身のパラメータに物を言わせて着地して、影から自宅の玄関を見る。人だかりが出来ていた。

 

 あのまま出ていたならばどうなっていたこと。考えるに難くない。果たして自宅の玄関を確認するのに態々隠蔽スキルまで発動して警戒する男は居るのだろうか。

 安堵の息を吐き出したキリトは決めていた予定通りにエギルの店にてドロップ品の鑑定を任せる為に踵を返した。

 

「居たぞ! 黒の剣士だ!」

 

 そんなキリトの背中を突き刺すような声が響いた。

 ビクリと肩を震わせて、キリトは冷や汗を流しながら背後を確認した。人の群――いいや、軍がソコにはあった。一つの目的に愚直な嫉妬に塗れたゲーマー達の欲望が、ソコに固まっていた。

 キリトは一つだけ深呼吸をして、前を見た。後ろに活路は無い。前にこそ活路はあるのだ。

 

「追えぇぇぇえええ!!」

「うぉぉおおおおお!!」

 

 群集がグリームアイズにも劣らない低い雄叫びを上げて走り出すと同時にキリトも走り出した。

 やばい、アレはヤバイ。

 キリトは捕まれば死すらもヌルい事が起きるのだろう、と直感し、逃げた。転移結晶の準備もしながら、逃げた。

 頭に思い浮かんだのは、ドルマークが描かれた太った布袋を持ち、黒い笑いを浮かべている鼠と妖精であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ、ごくろーさん」

「ナッツ……お前!」

 

 なんとか逃げ切ったキリトを雑貨店で待っていたのは今回の仕立て人とも言える鬼畜ロリであった。

 いつものフード付きの外套は装備しておらず、長袖のシャツに長ズボンにブーツというなんとも味気ない格好である。申し訳程度に腰に巻かれた細いベルト二本と曲剣の鞘だけが後ろ腰に揺れているだけである。

 

 椅子に座ってケラケラと笑っていたナッツに対してキリトは苛立ちを隠す事もせずに声を僅かに荒げた。

 

「おっと、ちょっと待った。先に言うけど、コルの為に情報を売った訳やない。当然、キリトを弄くり回して愉快な感じにしたかった訳でもない」

「……本当か?」

「当然。まあ、そこらの説明もしたいし、二階に行こか」

「……ああ」

「勝手に話を進めてるが、オレの店なんだが?」

「普段の販売に色つけて払うで」

「鑑定代を弾むよ」

「よし、お茶の準備をしていくから二階に先に行ってろ」

 

 悪役レスラー顔をニッと笑わせた店主を尻目にキリトとナッツの二階に上がった。普段から偶に使うからか、慣れた様子で扉を開き、ナッツはソファに座り、キリトは揺り椅子へと腰掛けた。

 疲れたように身体を揺り椅子へと預けたキリトは大きく溜め息を吐き出し、ナッツはクスクスと笑う。

 

「なんや、お疲れやね」

「誰のせいだと思ってる、コノヤロー」

「すまんな。ま、許してとは言わんよ」

 

 少し目を伏せてそう言ったナッツに対してキリトは追撃する事を止めてしまう。悪気が無い訳ではないのだろう。悩み、迷い、アルゴにまで相談して出したであろう結論。

 ソレが友人である自分を追い詰める事になったとして、ナッツからすれば打たなくてはいけない一手だったのかもしれない。

 

「……アルゴさんに相談した時はしっかりと情報封鎖までするつもりやったんや……」

「……そっか」

「ただ、こう……話し合ってる内になんか面白ぅなってしもてな」

「……ん?」

「後は雪だるま式に週刊誌風になるのが決まって、気の置けない情報屋の人集めて、あんな感じに――」

「待て待て待て! 悪意全開かよ!」

「他意はないんやで……まさかこんな面し、悲しい事になるなんて!」

「絶対知ってやっただろ! お前! そんなまるで悲劇のヒロインみたいに振る舞うのやめろ! 悲劇を受けてるのは俺だよ!」

「許してとは、いわんよ。恨んでくれてもいい……でも、仕方なかったんや……ボクとアルゴさんの力では……ッ!」

「泣いてるマネしても許ささねぇよ!? 何キレイに纏めようとしてるんだよ! 仕方なくなかったよな!? 明らかにお前とアルゴの楽しみで情報統制してるよな!?」

 

 叫び倒して肩で息をしているキリトは変わらず顔を両手で覆って泣いている演技をしているナッツを睨んでいる。部屋に入ってきたエギルは口をへの字にして、わかりやすく息を吐き出す。

 

「まあキリト。ナッツも悪気があった訳じゃねぇんだ」

「いや、絶対あるだろ」

「ま、そんな感じの冗談は置いとくとして」

「……たちの悪い冗談だな」

「まあまあ。実際、楽しみも何もない話やから。ちょっとぐらいは笑える方がエエやろ」

「笑われる側の俺として悲しいだけなんだけど」

「ちょっとしたアイドル気分を味わえたやろ」

「ゴシップ誌に乗った、って付けとけ」

 

 怒鳴り疲れたのか、揺り椅子に深く座って脱力したキリト。ソレを見て、エギルとナッツは笑みを浮かべている。

 友人とも呼べる人達に笑われて、ドコか納得出来ないままキリトはそもそもの目的である鑑定をエギルに依頼していく。当然、普段よりも鑑定料を弾んで。

 「毎度!」と気持ちのいい笑みを浮かべた悪役レスラーはその場で鑑定をし始め、ナッツとキリトはカップに入れられたお茶を一口飲み込んだ。飲み込み、眉間に皺を寄せる。

 

「なんというか……スゴイ味だな」

「飲めたらなんでもよくない?」

「ナッツはそういう所だけは淡白だよな」

「……ま、ソレはエエやろ。本題入ろ」

 

 カップを両手で包むように持ちながら、ナッツは真面目な顔をする。ソレに倣うようにキリトは佇まいを直す訳でもなく、揺り椅子を鳴らした。

 

「最初に、キリトの情報開示をこんな形にしてゴメンナサイ。一応、今回の代表として謝罪します」

「お、おう……別にもう怒ってないさ」

「それはよかった。何回も言ぅてるけど、許してもらわんでもいい。恨む権利はあるで」

「……じゃあ適度に恨んどくよ」

「…………キリトってたまーにコミュ力上がるよな?」

「本題に入るんじゃなかったのかよ……」

 

 「おっと」と悪戯妖精は口元に笑みを浮かべてクスクスと笑う。そんな様子をやや疲れたように見ながらキリトは話を促す。

 

「今回の一件。表向きの目的――攻略組視点での目的は中層で燻ってる人らを煽って上層へ持ってくる事やね」

「表向き?」

「あー……それは後で説明するわ」

「そうか……それで、中層のギルドを前線に持ち上げるのはわかったけど。実力不足じゃないのか?」

「レベルに関しては今回の一件があるから軍の人らに融通を効かせた。コーバッツとディアベルさんを中心に協力もしてくれてる」

「……なんかスゴイな」

「《王冠の妖精》もある程度はフォローに回れるし……。たぶん、こっからボス戦が余計に厄介になるやろ」

「……結晶禁止領域か」

「お前らそんな所でボス戦したのか……」

「無事やったから儲けもんやね」

 

 エギルの驚いた顔を見ながらケラケラと笑うナッツ。もしも助けが少しでも遅れていたならば――、とキリトは考えて頭を振る。考えても仕方がない、考える意味の無い事だ。

 

「そんな感じで戦力増強の為、って言うのが表向きの理由」

「それで、裏側は?」

 

 キリトに急かされたナッツはコホンと一つ咳払いをして、佇まいを直す。瞼を閉じ、呼吸を少し深くして、何かを読み込む。瞼を静かに上げ、ナッツは光の灯らない瞳をキリトへと向けた。

 

「……おめでとうございます、黒の剣士――キリト様。今日より、アナタ様はプレイヤー全ての導き手、勇者となるのです」

 

 まるでRPGの最初で王に言い渡されるように、ヒロインである巫女に祝福を受けるように。どこか神々しさと、儚さを纏ってナッツはキリトに微笑んだ。

 呆気に取られるキリトとエギル。微笑んでいたナッツはその雰囲気を霧散させるようにケラケラとした人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「ま、概要はそんな感じ」

「コイツは驚いた……名女優じゃねぇか」

「――……あー、まあ、ハハハ」

 

 まるで巫女か、女神を思わせた演技を褒めるエギルにナッツは困ったように笑う。

 キリトは迷う。エギルには言うべきなのだろうか。ナッツは女優ではなく、男優なのだと。ナッツも困った様に笑うしか無いだろう。

 

「あ、えっと、それで?」

「始まりの街での自殺者がちょっと多くなってきてなぁ」

「は?」

「攻略組のキリトとか、商人のエギルさんに言うのも問題やけど。遅れる攻略からの不安、不透明すぎる攻略組」

「……なんだよそれ……俺たちは――」

「わかっとる。その前線にボクも居るよって。ただ、ソレは始まりの街で待つゴミ達に伝わる訳やない。誰かのせいにしたい、なんて大人の特権やろ」

 

 憤りを露わにしたキリトを諭すようにナッツは淡々と事実を言葉にする。カップの淵を指で撫で、目を伏せる。

 

「……耳が痛いな」

「エギルさんはちゃんと責任持っとるやろ。ボクが近くにおるから余計に」

「あー……まあ、な」

「ぶっちゃけ始まりの街で人が死のうが、PoHさんに誰かが殺されようが、どうでもエエ……いや、よかった、言うべきやな」

「……正直に言い過ぎじゃないか?」

「ニュースで『ビルの屋上から人が飛び降りました』言われても『わー、可哀想ー。仕事行こ』と思うんとそんな変わらんやろ」

「理解は出来るが……」

「ま、ソレはエエんよ。問題は、これ以上人が死ぬ事は防がなアカンって事や」

「それで、勇者か」

「伝染する絶望への対処としてはベターやけどな。一種のプロパガンダやな。

 ……キリトを神輿に担ぐんはボクの本意ではないんやで。ホンマはボクが立つつもりやったし」

「ナッツ……。

 

 お前勇者になりたかったのか」

「ちゃうわ、ボケ」

 

 キリトの気の抜けたセリフにツッコミをしっかり入れたナッツは唇を尖らせて不満を露わにする。

 キリトはそんな様子を笑い、決意するように瞼を閉じる。瞼をゆっくりと上げ、ナッツを見る。幼気な少女――のような少年が、この不安を背負う。

 そう考えれば、自然と意思は固まる。

 

「頑張るよ」

「さよか」

 

 短いやり取りであったけれど、なんとなくお互いの気持ちはわかる。

 

「一応、今は匿名性を武器にしてキリトの名前は出てない。黒の剣士は皆の勇者やけど、キリトは自由に決めていい。戦場から遠ざかるのも、誰も咎めへん」

「……わかった」

「そもそもヒースクリフさん居るから、一応は問題なかってんけど……」

「いいよ。大丈夫だ」

「……さよか」

 

 逃げ道は準備している。そんな事を暗に伝えたナッツであったけれど、キリトに止められる。

 

 もしも攻略組からキリトが抜ければ、大きな穴になるだろう。出来る事ならば欠けてほしくない人員。そんな事はわかっている。

 けれど、よくわからない感情が自分を突き動かして逃げ道を開けてしまった。それのフォローを考えている自分がいるのも確かである。

 ナッツはバツが悪そうに頭を掻いて、思考を切った。

 

「ま、以上が今回の顛末やな」

「なんか俺が手の平の上で転がされてませんかね……」

「最初の尖った印象が丸くなってるからよかったやん」

「泣きたい」

「アスナさん来るんやろ? それでも泣いてエエんなら、勝手にどーぞ」

「可愛げねぇな」

「むしろ可愛さしかないと思うけど?」

 

 眩しい笑顔を浮かべてカワイ子振るナッツにキリトとエギルは納得する。納得されたナッツは「ツッコミどころやでー」と拗ねたように付け足した。

 

 エギルの鑑定作業も終わり、アスナを待つために談笑を繰り広げていたナッツとキリト。キリトはパーティを組む為、ナッツは説教を受ける為、というのが違っているが。

 階段を上がる音がして少し、両者の待ち人が扉を勢い良く開いた。

 

「ど……どうしよう……」

「なんかあったん?」

 

 泣き出しそうな声のアスナにナッツは首を傾げる。何度か唇を噛み締めた後に、ようやくアスナは再度声を出した。

 

「大変なことに……なっちゃった……」

 




>>鬼畜ロリ
 生えてる、と書くとエッチィ感じになるのは何故なのか……。

>>勇者キリト
 原作で茅場博士が言っていた役回りとは別。逃げれない立ち位置、不必要な責任、義務。その他諸々を背負う立場。
 書き終わった辺りで「あ、コレ……キリト君とアスナの結婚やばくね?」とか思ったけど、ナッツがどうにかしてくれるだろ(現実逃避

>>キリトのコミュ力上昇に関して
 コミュ障のダイスがファンブルしたんでしょ(テキトー
 対女の子相手だとずっとファンブルしてる感じ

>>気の置けない
 誤用の多い言葉。「警戒、気遣いをしなくていい」という意味。

>>「誰かのせいに」
 大人の特権。責任の押し付け合い。増税もリストラも不運も、全部神様が悪いんや。那○ちゃんのファン辞めます。

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