果てがある道の途中   作:猫毛布

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第16話

 窓枠に囲まれた月はまるでフレームに収まった写真の様で、手を伸ばしてみれば触れる事が出来そうな程に近く思えてしまう。

 そんな月をボンヤリと眺めていたキリトは小さく息を吐き出して、眠っている愛しい人を見る。小さく寝息を立てるアスナを眺めて困ったように微笑む。

 同じく愛娘とも言えそうな少女――ユイはこの部屋には居ない。昼間の一件から少しして目を覚ましたがナッツに付きっきりであった。ナッツの方も鬱陶しく思っていなかったのか、それともただ何処かに利点を見つけたのかユイを突き放そうともしなかった。

 

 結果的にアスナとキリトは同室であるけれど、ユイは今もナッツと共にいるだろう。離そうとしても離れないのでナッツに任せた、という事もあるけれど。

 キリトから見れば異性の少年少女なのであるけれど、アスナ達の視点では少女二人なのだ。故に何処か安心している部分もある。少なくとも、少年少女と分かっていたとしてもナッツとユイならば()()()は起きないだろうが。

 

 

 あの昼間の一件。軍を追い払う名目であったにしろ、自分が止めなければナッツは容易くあの赤い刀身を男へと振り下ろしていただろう。それこそ笑う棺桶討伐戦の様に。

 「悪いから罰する」という当然の事柄ではあるのだが、過激すぎるきらいがある。納得出来る訳はないが、理解はしている。

 問題はあるのだろうけれど今スグに矯正されるモノでもない。そもそも矯正出来ているのならば既に完了している程度にはキリトとナッツは共に戦いへと身を投じていたのだ。

 だからこそ、問題ではない。

 

 キリトの脳裏にへばり付くユイが溢した言葉。震えながら吐き出された言葉。『暗い所』、『ひとり』。様々な要素を含んだ予想が頭に流れるがソレも一旦保留する。

 その震えるユイの手を握ったナッツが問題だった。

 同情の瞳ではない。まるで境遇を知っている様にナッツは震えて少し錯乱したようなユイをなだめてみせた。

 

 ユイの存在に凡その当たりを付けているキリトからすれば、同程度に――或いはそれ以上か以下、差異はあるにしろ理解出来る程に何かを飲み込んだであろうナッツの方が問題だった。

 そもそもナッツという存在が異質であった。自身よりも年下、それこそこの教会にいる子供たちと同年代であろう存在。その存在が死ぬかも知れないという覚悟を持ち戦いへと身を捧げている。

 

 死ねば死ぬだけ。殺そうとしたから殺す。不必要だから殺す。まるで獣のようにハッキリとした規律。

 『殺し合いの中で生を渇望する狂人』などというまるで小説に出てくる存在。一体何を飲み込めばあの年齢でそのような思考に至れるのか。

 

 一体、何を()()()()()のだろうか。

 

 ゾクリと背筋に走る悪寒。同時に自身が憤りを感じている事に気付く。一般的な常識をある程度持ち合わせているキリトからすれば自身の想像が当たっていない事を願うばかりである。

 小さく息を吐き出してキリトは思考を改める。現実(リアル)の事を聞くのは禁忌だ。それこそ自分の予想が当たっているのならばナッツはココへ()()()()()のだろう。

 だからこそ、聞くべきではない。

 

 

 ふと、気になって。というべきか、悪癖を知っているキリトは索敵スキルを起動して口をへの字に曲げる。

 静かな足取りで部屋を後にして、隠蔽スキルでも使っているかのように足音すら鳴らさずに廊下を歩く。

 肌を撫でる冷たい空気。騒がしいとも言える昼間と真反対に静か過ぎる空間と差し込む月光が余計に空気を冷たくしているのだろうか。

 僅かに身震いをして、キリトは足を進めて礼拝堂へと繋がる扉を開いた。

 

 窓から差し込む月光。規則的に並べられた長椅子。その一つに座る萌黄色の髪をした美少女。ボンヤリと魔法のように淡く手元を光らせている美少女――ナッツは顔を上げて首を傾げる。

 

「どないしたん? こんな時間に」

 

 それはコッチのセリフだ。とはキリトは言わなかった。苦笑だけしてナッツに近付いて、彼の隣に横たわる茶褐色の塊に気付いた。

 僅かに上下する茶褐色の塊から黒い頭がひょっこりと出ており、隣にいるナッツの手をしっかりと握っているユイ。ソレを払いもせずにいたナッツを見てキリトは笑みを深めて一つ前の椅子に座り、背凭れに腕を乗せて後ろを向く。

 

「ユイをありがとうな」

「離れへんからなぁ」

 

 何処か諦めたように返したナッツにキリトは苦笑する。そうは言いつつも嫌がっている訳ではないらしい。少なくとも、自分の防具をトレードする程度にはユイの事を気にかけているのだろう。

 そんな含みのあるキリトの苦笑に気付いたのか、拗ねるようにキリトを睨んだナッツであるが、スグに諦めたように息を吐き出した。

 

「それで? こんな時間まで起きてるんは珍しいやん」

「まあ、ちょっとな」

「ふーん……」

 

 ナッツはそれ以上キリトに言及する事は無い。

 キリトは未だに"殺し"を引き摺っている事も知っている。笑う棺桶もクラディールも。何にしろ、言及した所で生産性も解決もしない兄貴分自身の問題であるからナッツは触れる気もなかった。

 

「それでナッツは?」

「ボクが起きとるんは別に普通やろ」

「そうだけど……」

「……この娘、ユイの情報の再確認と新しい情報がないかの確認やね」

「何かわかったか?」

「さっぱり情報が無いって事ぐらい?」

 

 そうか。と小さく呟いたキリトを目を細めて確認したナッツは溜め息を吐き出してウィンドウを消す。

 

「どうした?」

「新しい情報もないし、見当もついとるんやろ?」

「まだ予想だけどな」

「さよか」

「……なんでわかったんだ?」

「何日一緒に過ごしてると思うねん。顔見てれば分かるよ」

「マジか」

「冗談。カマ掛けただけや」

「この野郎……」

 

 自分の顔をムニムニと触りだしたキリトを鼻で笑って種明かしをするナッツにキリトは何処か恥ずかしそうにナッツを睨んだ。

 クスクスと小さく笑うナッツに疲れたように溜め息を吐き出したキリトは改めて幸せそうにナッツの手を握って眠っているユイを見つめる。

 

「それにしても、ホント懐いてるな」

「なんや羨ましいんか、お義父さん」

「お前に娘はやらんぞ」

「……似たもの同士やから仲良くはなれるやろうけど、夫婦とかは無理やろなぁ」

 

 ユイを見ながら自嘲気味に吐き出したナッツにキリトは気まずそうに頬を指で掻いた。

 そんなキリトを見てナッツはコロコロと笑ってみせる。

 

「なんや、ソレを聞きに来たんやと思ったけど。違ったん?」

「……顔に出てるか?」

「性格を知っとるだけやよ」

 

 へにゃりと笑うナッツにキリトは何も言えず、ただただ困ったように目を伏せた。

 対してナッツは窓の外に映る月をボンヤリと眺めて、大きく息を吸い込んで、細く吐き出した。

 

「別に、特別な事やないよ。普通の事や」

「……そっか」

「そうや。ただ伸ばされた手を取った、それだけなんや。ただそれだけやってん」

 

 まるでその行動を無理やり飲み込むように、ナッツは言葉を吐き出した。視線は相変わらず空を向いている。

 その表情に悲しみはない。後悔もない。憐れみもない。ただただ月を眺めるナッツにキリトは何も言う事が出来なかった。

 

「……んぅ」

「お、起こしてもぅた?」

「なっつくん……?」

「キリトも居るから、ちゃんとベッドで寝ェや」

「ん……ぅん」

 

 何処か夢見心地なのかボンヤリと瞼を上げたユイにナッツは穏やかに微笑んで寝惚けているユイを誘導する。

 それが会話の終わりだと察したキリトは何も言える訳もなく、ゆらりと立ち上がったユイを支えて抱き上げる。

 

「ほな、おやすみ。キリト」

「……ああ、おやすみ。ナッツ。……ちゃんと寝ろよ」

「わかっとるよ」

 

 肩を竦めて応えたナッツにキリトは苦笑して抱き上げたユイと共に自分の部屋へと足を進める。

 その背中を見つめて、扉が閉まるのを見届けたナッツは深く息を吐き出して居住まいを直す。

 見上げた月に手を伸ばして小さく息を吐き出す。

 

「ナッツらしくは無いなぁ」

 

 小さく震える手を握りしめて呟いた。

 握った手を包むようにもう片方の手を置いて、ナッツはボンヤリと空を見上げる。

 窓枠の中に浮かぶ月。遠く、届くことの無い月。太陽と月が交互に変わる絵画。どれほど手を伸ばした所で絵画の世界に行ける訳もない。

 まるで月に帰る事が出来ないお姫様のように、ナッツは少しの間、その絵画を見上げていた。


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