果てがある道の途中   作:猫毛布

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第38話

 十二月も半ばだというのに空は高かった。

 

 放課直後の生徒達の喧騒も届かない校舎裏。

 黒い土が剥き出しになる殺風景な花壇端に座ってぼんやりと宇宙にまで届きそうな空を見上げながら、朝田詩乃は白い息を溶かし込んだ。

 こうして空を見上げる事が多くなったのは彼の――ナッツのお陰なのではあるのだけれど、そのナッツが現在の詩乃の悩みのタネになっている。

 二日前の夜を思い出せばハッキリとその姿が記憶に映る。

 緩やかに巻かれた萌黄色の髪。寒さで赤らんだ頬。まるで精巧に作られた人形。絵本から叩き出された天使。

 その天使をあのオッサン臭い不死者とイコールで繋げる事は詩乃にはサッパリ出来なかった。

 それに加えたあの夜は沢山の事が起きすぎた。ナッツの事もそうであるし、その後にやってきたあの女の事もそうである。コチラも美人と言える人であったのだが……。

 改めて溜め息を吐き出して、詩乃は思考を止める。詳細は後日伝える、と自分を警察機関へと安全の為に受け渡したあの美女の言葉を全て信じるのであれば、もう暫くは時間が掛かるかもしれない。

 果たしてあの警察機関とやらが正規のモノかどうかは詩乃にはわからない。ただ案内されたホテルが自分が思っていた数倍豪華であった事は確かである。

 

 つまるところ、詩乃にとって死銃事件と自身の中で便宜上つけられた事件の全容はある程度解けているけれど、それらの接点であるナッツかもしれない美少女と謎の美女は謎でしかない。あの少女らしい容姿の男性アバターのキリトと出会った時の方が衝撃は少なかった。

 美女。美少女。ナッツという男の存在。その他散らばったパズルのピース達。あのゲーム(SAO)の対象年齢。キリトの兄貴分。上手くピースを嵌めるために仮説を重ねる。

 ナッツという存在は演技だと、役だと聞いた。ならば、あの美少女が役柄としてのナッツを演じて私の元に来た? それならばGGOでのナッツと美少女がイコールで繋がれる事はない。けれど、ならばどうしてナッツは私の元にあの美少女を送った? 新川恭二……死銃に襲われると思わなかったから? それに役柄だとしてナッツを演じたあの美少女の正体は? あの場で警察機関などに連絡をしたであろう美女が居たのは?

 

 疑問に疑問を重ねながら慎重にピースを嵌めていく。

 詩乃の中で有力であるのは『GGOでのナッツ』と『美少女』は別人で『謎の美女』の上に『GGOナッツ』が存在し、『GGOナッツ』がそれなりの資産家である。美女は秘書さんか何かだろうか? 明らかに豪華すぎたホテルなどを考えればそれなりの資産があるのだろう。それこそネットで知り合った小娘を助ける程度には。

 なら何故『GGOナッツ』は『美少女』を私の元へと送ったのだろうか。勘違いして愉しむ為、とか言われてもナッツだから有り得そうだと思えるのも詩乃の頭を悩ませる原因である。

 授業中にもした考察内容が未だに納得いかず、「いや」「けれども」「しかし」と云々膝に置いた通学鞄を抱きしめる。

 

 そんな詩乃の鼓膜が甲高い笑い声と共に近づいてくる足音を捉え、詩乃は考察の空から視線と意識を現実へと下ろした。

 校舎の角と焼却炉の間にある通路から出てきた少女三人。詩乃を呼び出した存在であり、詩乃の頭を悩ませるもう一つのタネでもある。

 地面を少し鳴らして立ち上がれば三人の少女は詩乃へと顔を向けて嗜虐的な笑みを浮かべる。

 

「呼び出しておいて待たせないで」

「朝田さぁー、最近マジ調子のってない?」

「ほんとー、友達に向かってそれはないんじゃないの?」

 

 詩乃の言葉に少女の一人が笑みを消して苛立たしげに言葉を吐き出す。それに追従するようにもう一人が言葉を付け足す。

 世間一般的にこの関係を友達と言えない事は詩乃もそして目の前の三人も知ってる。加虐者と被虐者の関係でしかない。そして詩乃自身は被虐者であり、抵抗する者でもある。

 自身の発作の事を知っている三人。そしてその原因となる事件も知っている三人。詩乃の発作を――弱さを脅している三人。

 詩乃から二メートル程離れた場所に立ち止まり、威圧的に視線を送る六つの瞳を視界に入れながら、詩乃はその視線を真ん中にいる一人の少女へと集中させた。

 その少女はにいっと笑みを作り上げ、威嚇していた左右の二人を抑えるように口を開く。

 

「別にいいよ。トモダチなんだから何言っても。そんかしさぁ、アタシらが困ってたら助けてくれるよな。つーか、今超困ってんだけど」

 

 威圧的な態度はそのままに、トモダチは困っているらしい。心の中で反吐を吐き出す詩乃の事など考えずに更に言葉は詩乃に突き刺さる。

 

「とりあえず、二万でいいや。貸して」

 

 まるで消しゴムを借りるような気軽さで放たれた言葉に詩乃は驚きもしなかった。慣れたこと、予想していた、どちらにせよ彼女らがそう言う事はわかっていたのだ。

 感覚的な防護壁であるメガネを外して、詩乃はありったけの力を込めて少女達を睨む。

 

「前にも、言ったけど。あなたに、お金を。貸す気は、ない」

「はぁ? ゴメンな朝田。もっかい言ってくれるか?」

 

 わざとらしく、詩乃に再度言葉を求める少女。聞こえなかった訳ではない。更に威圧を込めている事がその証明だ。

 震える手を隠すようにメガネと共にポケットに押し込んだ詩乃は一度瞼を閉じて、改めて少女を睨んで口を開く。

 

「人語も理解出来ない猿に貸すお金はない、って言ったの。おわかり?」

 

 高圧的に。絶対の上位者らしく、詩乃は誰かのようにユーモアを含めて吐き出した。

 詩乃自身、どうしてこんな言葉を放ったのかわからない。けれど心の中にいる彼が背中を押してくれる。そう思えた。

 どうやら人語は理解出来たらしい人間の少女は目をキュッと細めて更に詩乃を威圧する為に一段低い声を放つ。

 

「……マジでちょーしノんなよ? 言っとくけどな。今日はマジで兄貴からアレ借りてきてんだからなマジで。泣かすぞ朝田」

「好きにすれば?」

 

 やや言語能力が欠落しているのか、地頭が問題なのか、それとも詩乃に反撃されたことが思った以上に腹を立てているのか、何にしろ詩乃にとってはどうでもいい事であった。

 詩乃の短い挑発に乗ったのか、少女は口の両端を上げてジャラジャラとストラップが付く女子高生らしい通学鞄から黒い自動拳銃を取り出した。

 覚束ない手つきで大型のモデルガンを詩乃へと向けて少女は歪んだ笑みを浮かべる。

 なんせ朝田詩乃は手で銃の形を象っただけで吐くような発作がある。

 事実、詩乃は少女らに幾度も追い込まれ、そして現在もその心を凍らせている。

 少女が朗々と、脅すように性能を言葉にしている事などまったく聞こえない。ただ詩乃の視線は黒い銃口へと注がれ続けた。

 心臓が跳ね上がる。ゾワリと逆撫でされたように不快感が全身を犯す。何もかもが遠く聞こえ、冷え切った血が全身の熱を奪っていく。

 銃に視線が集中し、持つ腕を伝い、少女の顔を視認する。暴力に酔っているような少し血走った瞳。

 歯を食い縛る。耐える。僅かな痛みが現実にいる事を証明してくれている。

 黒い銃口へと視線が吸い込まれる。変哲もない鉄の塊。無慈悲な武器。恐怖。赤。死。

 直近の記憶がフラッシュバックする。強くソレを感じた記憶が掘り起こされる。忘れすら出来ない、身動きも出来ずに殺されそうになったあの瞬間。

 

 視界が揺れる。血の気が引いていく。倒れそうになる。呼吸すらも覚束ずに喉が詰まる。

 

 トクリと鼓膜を何かが揺らした。誰もいない筈の背中から温かい感覚が広がる。優しく、力強く、自分の背中を押してくれる。

 

「クソっ! なんだよこれ!」

 

 二度、三度撃とうとしても弾の出ない銃に苛立つ少女。銃から出て来るのはプラスチックの小さな軋みだけだ。

 詰まっていた呼吸を深く息を吸い込むことで再開する。お腹に力を込めて、銃を持つ少女から目を離してどこまでも高い空を見上げて、大きく息を吐き出す。

 持っていた鞄を地面に落とし、手を伸ばす。片手で少女の手首を掴み、もう片方で銃自体を掴んで、銃口を反転させる。容易く少女の手から離れた銃は詩乃の手に収まった。

 銃口を下に向けながら、リリースボタンを押し込んでマガジンを取り出す。地面に落とすことなくマガジンを掴む。

 少女へと視線を向ければ怯えた視線が詩乃へと向いていた。

 詩乃はそれらに興味を見せないようにして、ただ無感情に銃を見つめる。

 

「1911ガバメントか。お兄さん、渋い趣味ね。私は好きじゃないけれど」

 

 慣れた作業のように、マガジンに弾が詰まっている事を確認して銃へと収め、自然と手が二箇所の安全装置(セーフティ)を外す。

 親指でハンマーを上げた所で焼却炉の傍らに並ぶポリバケツの上に置かれた空き缶へと視線と銃口を向ける。

 左手をグリップに添えて照準を合わせる。右眼と照門、照星が作る直線に空き缶を捉えて、少しだけ上へと修正する。小さく、細く息を吐き出して、息を止めて引き金を絞る。

 ぱす、と気の抜けた音と共に放たれた四.五ミリの球体が銃口から飛び出して空き缶へと命中した。手にはコイルショックが残り、ちゃんとブローバックした事に感心する。

 目算で六メートル程離れているが、初めての銃でも当たるものだと驚きながら軽い音を鳴らして落ちた空き缶から少女らへと視線を戻す。

 少女らの瞳には恐怖が宿り、詩乃を捉えている。

 復讐する? 今の自分には武器もある。今までの事も含めて仕返しをしても罰などないだろう。

 詩乃は銃を下げて、息を吐き出した。それは、意味のない事だ。無意味な事なのだ。

 怯える少女らを見て、詩乃は視線を緩めてハンマーをデコックし、二つのセーフティを戻す。

 

「確かに、人には向けないほうがいいわ、これ」

 

 銃を片手で反転させてグリップを少女に向けて返す。恐る恐るというふうにグリップへと手を伸ばし、受け取った事を確認して、詩乃は銃から手を離して鞄を拾い直す。

 歩き出せば、三人が自分に道を譲り、詩乃もそれに従い彼女らの間を通り抜ける。

 

 

 角を曲がった所で校舎に背中を預けてズリズリと座り込む。

 足が震える。力が入らない。ごうごうと耳鳴りが酷く、手が震える。冷えた血が全身を駆け巡り、冷や汗が流れる。

 ゆっくりと息を吸い込んで、細く吐き出していく。瞳に空を映して苦笑する。

 二度目は出来ないだろう。震える手が、感覚がソレを証明する。けれど、これが一歩目だ。

 彼のように全部、とは言えないけれど、抱えて、背負って進むための、一歩目だ。

 強く拳を握って、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出していく。

 足に力を入れて、立ち上がり、スカートに付いた埃を払う。

 空を瞳に閉じ込めるように瞼を閉じて、前を向く。

 

 朝田詩乃は足を前に進めた。

 

 

 

 

 

 改めてメガネを装着した詩乃は帰路に着こうとして、足を止めた。

 学校の敷地を囲む高い塀の内側に幾つかの生徒達の集団が足を止めて、校門へと視線をチラチラ向けながら顔を寄せて何事かを話している。

 首を傾げながら、詩乃は集団の内の一つが同じクラスのそこそこ仲がよい二人である事に気付いて足をそちらへと向ける。

 疑問を頭に浮かべていれば詩乃に気付いたのか、にこっと笑顔を浮かべて手を上げる。

 

「朝田さん、今帰り?」

「うん。……何、してるの?」

 

 聞けばもう一人の女生徒が肩を竦めて、首を横に振りながら応える。

 

「なんか、凄い美人のOLさんが黒塗りの車でニコニコしてるのよ。ウチの学校にお嬢様でもいるのか、って感じ。悪趣味だけど気になるじゃない?」

 

 血の気が引いた。極々最近に身に覚えがあった。

 いや、けれども先日の美女は身体のラインがくっきりと分かるライダースーツを着用していたし、バイクに乗っていた筈だ。だから、今噂されている凄い美人のOLさんとは別の人であるに違いない。

 おそるおそる塀へと身を寄せて、校門の向こう側を見れば、レディススーツを着用した美女が路駐した車の近くに立っている。編み込まれた黒く長い髪が風に揺れ、長い足を惜しげもなくタイトスカートから伸ばしている。

 そのOL風の凄い美人さんはニッコリと笑みを浮かべて、愛想を振りまいているのか、顔を覗かせる詩乃に気付いたのか手を軽く振っている。詩乃は頭を抱えた。

 

「ええっと、朝田さんの知り合い?」

「え、ええ……そう、みたい」

「そ、そう……」

 

 物理的な距離ではなく、精神的な距離が一歩程離れた気がした。自分がお嬢様でない事など既に知れている事だし、それを含めればあの黒塗りの車は完璧なまでに恐怖の対象になるだろう。

 きっと同級生達の脳内には『一人暮らし』『黒塗りの車』の二点から『借金』という言葉が出てきて、あとはお察し状態になっている事だろう。或いは脳の代わりにお花畑でも広がっていたならば少女漫画よろしく富豪でイケメンな同級生から求婚されたヒロインか。反応を見れば後者を思われている事はないだろう。ここは現実である。

 

「えっと……そういう事、だから」

「朝田さん。頑張ってね」

 

 一体何を頑張れというのだろうか。詩乃は言葉を返すことなくそう思った。明日の登校が少しだけ怖くなった。

 

 校門を潜って車へと近寄れば、男子生徒の視線を集めている女性がニッコリと詩乃に微笑む。

 

「二日ぶりです。朝田詩乃さん」

「……その、迎えとかなら自宅でもよかったんじゃないですか?」

「コチラの方が噂になって後々楽しいと思いまして」

 

 ああ、この人美人だけどダメな大人だ。詩乃は直感した。先日の警察機関への連絡などを即座に熟していた美女と同一人物とは思えなかった。

 いい笑顔で詩乃を陥れた美女は車の後部座席の扉を開き詩乃を促す。案内に従うように、後部座席へと乗ろうとした詩乃は先に乗っている存在を目にして、止まる。

 少し長めの黒い髪と対照的に色素の薄い肌。びっくりするほど細い身体に童顔が乗せられている少年。

 

「……ど、ども」

「……えっと、どうも」

 

 短い挨拶をして、詩乃は思考を巡らせる。

 目の前の男の事である。あらゆる可能性、そして今ココにいない先日の美少女。これが――ナッツ? 思考を否定する。ナッツであるならば先程のような挨拶はおそらくしない。変な理想であるけれど、違う。ナッツよりも近似なイメージが頭を過ぎる。

 

「……その、もしかして、キリト……?」

「あ、ああ。シノン――でいいんだよな?」

「ええ……」

「お互いに挨拶も済んだようですし、移動しましょうか。流石に居座りすぎました」

「あんたがそれを言うのかよ……」

 

 運転席へと座った美女の言葉にキリトが反応した。それは詩乃の代弁でもある。

 明らかに年下であるキリトの言い草にも笑いながら美女――七草(ナナクサ)(ナズナ)は車を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 車の中でキリト――桐ヶ谷和人による自己紹介と今回の事件の全容を聞いた詩乃は凡そ自分の予想通りであったのですんなりと事実を受け入れる事が出来た。

 人間の感情などはさっぱり考察に入れていなかったし、あの時の死銃がシュピーゲル――新川恭二の兄という事も初めて聞いたけれど、納得はした。

 果たして全てを理解したか、と聞かれれば答えは否なのであるが。それでもなんとなくは理解出来た。

 和人と詩乃の自己紹介の時に同じく自身の自己紹介もした薺は四苦八苦している和人に時折助け舟を出しながら目的地へと向かって運転をし続ける。助け舟が大漁旗よろしくデコレーションされていて和人は余計に困ったが。

 

 車が止められ目的地へと到着した。

 薺に案内されながら少しだけ歩いて到着したのは、いかにも高そうな喫茶店であった。詩乃は緊張を表に出しながら、和人はそれなりに慣れているのかウェイターと話さない事に安堵しながら、薺に至っては緊張を露わにしている詩乃を感じてニマニマと笑いながら歩いている。

 白シャツに黒蝶ネクタイのウェイターが深々と頭を下げている事に狼狽している詩乃を楽しみながら薺は慣れたように待ち合わせであることを伝え、店内をぐるりと見渡す。

 見渡している最中にガタリと音を立てて立ち上がった男に店内の利用客と三人の視線が集中する。買い物途中のご婦人方の視線すらも独り占めにしている男にニッコリと笑みを浮かべた薺は「アレです」とまるで物品のように待ち合わせ相手をウェイターに告げて店内を歩く。

 

 ダークブルーの高級そうなスーツにレジメンタルタイ、黒縁眼鏡の背の高い男がかなり緊張した面持ちで背筋をしっかりと伸ばして立っていた。

 

「ご苦労様です」

「いえっ申し訳ありません」

「好きでした事なので構いませんよ」

 

 自然体である薺に対して緊張しすぎている男に和人は我慢出来ずに吹き出してしまう。詩乃からしてみれば何がなんだかわからないけれど、長身の男が薺が美人だから緊張している訳ではない事はなんとなくわかった。

 吹き出した和人に眉を曲げて情けない表情を作った男は少しだけ納得いかないように口を開く。

 

「僕からすると、この人に普通に接してる君の方が異常なんだけど」

「俺はこの人に慣れてるし、許可も貰ってる」

「SAOでの話だろう? 上司から怒号のように言われる僕の身にもなってくれ」

「……その、えっと」

「ああ、すまないね。とりあえず座ろうか。七草様の椅子は――」

「結構です。そこまで老いてませんよ」

 

 薺の椅子を引こうとした長身の男の顔が蒼白に染まる。数秒程固まった末にようやく再起動を果たした男が一番最後に座り、ウェイターが何も見なかったかのように即座に湯気の立つお絞りと革張りのメニューを三人に渡してそそくさと姿を消していく。

 

「なんでも注文していいですよ」

 

 この場の決定権を既に握っている薺がそう言えば和人が遠慮もせずにメニューを開き、詩乃も倣ってメニューを開く。並んでいる英語表記の何かの名前とカタカナのルビ。そして四桁の数字が並んでいる事に詩乃は凍りついた。

 

「安心してください。私が払いますので」

「え、いや! その、ここはコチラが」

「まあ! アナタの給料でお支払いただけるんですね。まさか市民の血税を交遊費に充てるなどしませんよね?」

「――ハイ」

 

 男の顔が真っ白に変わった。ここまで来ると少しばかり気の毒にも思えてしまう。和人は自業自得と思っているが。

 男を陥れた事で上機嫌になっている鬼のような美女はその顔に満面の笑みを浮かべてエスプレッソを頼む。甘味は隣に座る男の反応と蒼白の顔である事は間違いないだろう。

 

 遠慮と良心の都合でアールグレイだけを頼もうとした詩乃にレアチーズケーキを勧めて注文に含めておく。隣にいる男は顔が凍りついているが口から魂か何かが出ているような気がした。気のせいだろう。

 詩乃の隣にいる和人は大して男の様子を気にした様子もなく好きなモノを注文する。恨みがましい視線が和人を突き刺したがコホンと薺がわざとらしく咳をするとその目は白くなった。

 

 果たして男――総務省総合通信基盤局に所属する菊岡氏が顔を青くしながら今回の事件の謝罪、そして詳細の説明をしていく。

 始まり、新川兄弟――昌一と恭二の事。SAOで兄である昌一が虜囚となったこと。昌一の人物像。どのように犯行が行われたのか。そして今後にこのような事がありえるのか。

 政府としての菊岡の言葉に質問を交えながら続けられる会談。

 信じていた新川恭二であるが――いいや、だからこそ詩乃は全てを知っておかなくてはいけない。

 

「それで……、今回の協力者であるナッツなのだけれど――」

「あの方には私から伝えておきます」

「では、感謝と謝罪を、申し訳ありませんがお願いします」

「――感謝?」

「キリト君伝いだけれど、彼の協力も大いに役に立っているんだよ。それに彼が大会で大立ち回りしてくれたお陰で参加者の何人かは死銃の餌食にならなかった」

 

 GGO内での彼の評価を知っている詩乃からしてみれば大立ち回り、というよりも必然的な出来事だと思ってしまう。けれど、同時にナッツならば、という印象も受けてしまうのも事実である。

 

「それで……そのナッツはどこに?」

「我が君はお仕事中です」

「……あいつ仕事してるのか? その、大丈夫なのか? 色々と」

「ええ、問題ありません。……いえ、素敵過ぎて問題はありますが」

「いや、そうじゃない」

 

 陶酔しきっている薺の言葉に頭痛を感じる和人。

 詩乃にしてみれば、ナッツという存在が未だに不明瞭なのだ。あの美少女な訳がない。そもそもナッツは男性アバターであるから、女性ではない。

 

「……ホントに君たちはこの人を知らないんだねぇ」

「私はメディアに露出してませんから」

「それは、そうなんですが……」

「えっと……薺――さんって何かあるのか?」

「ウィードで構いませんよ。和人さん。私は――そうですね。いい所のお嬢様なんですよ」

「…………お、おう。なんでソレがコイツが謙遜する理由になるんだ?」

「いいかい和人くん。日本政府に対して強く出れるほどいい所なんだよ」

 

 数秒、詩乃と和人の時間が停止する。目の前にはニコニコと笑みを浮かべている薺と顔を青くし続ける菊岡氏。

 状況を理解した和人が冷や汗をダラダラと流し、SAOを含めて現実世界での物言いがフラッシュバックした。

 

「ま、今はとある会社の取締役ですよ」

「その会社も大企業なんですが……」

「――菊岡さん?」

「ナンデモアリマセンモウシワケアリマセン」

「それに会社に関しては夫の会社を仕方なく継いだだけですので、今の私は単なる美人なお姉さんですよ」

 

 単なる美人なお姉さんは政府の人間を顔面蒼白にはしない。詩乃はそう思った。当然口には出すことはない。

 和人に至っては夫という単語で何かを思い出しかけて、思考がそれを放棄した。急いでその記憶に鍵が掛けられて深い所に押し込められた。

 菊岡に至っては抑揚のない声で機械のようにモウシワケアリマセンと呟いている。

 そんな中一人、美人なお姉さんだけはそんな三人をとても楽しそうに鑑賞していた。




>>マガジン外し
 次弾とかの確認。制圧方向の判断です。ナッツ仕込み。

>>「猿に貸す金はないの。おわかり?」
 刺々しいけど、敵対者に対しての言い方のみです。毒が多分に含まれてますが、この程度です。
 次に「キーキー鳴かないで。人の真似も出来てないわよ」とか言ってないのでセーフ。

>>七草 薺
 アバターネーム、ウィード。
 元華族一家のお嬢様。現在はSAO内で死んだ夫が運営していた会社を引き継いでいる。が取締役としての業務は片手間で終わる程度に部下が優秀なので、夏樹君の公式ストーカーとして生活してる。その詳細は次回にでも。

>>菊岡氏
 今回の被害者。政府のお偉方が出張ろうとしたけれど、薺自身が担当である菊岡を指名して、てんやわんやした結果胃を痛めてる。
 ちなみに彼は夏樹君の事を情報として知っている。顔も知ってる。でも会ってない。

>>プロローグゥ……ですかね。
 一話や二話は軽く長くなりますね(信頼)



>>挿絵『加藤夏樹』
 戴き物です。
 尊くて可愛すぎて、許可も頂いたのでコチラにベタリと貼らさせていただきます。

【挿絵表示】

 この場を借りて、Navi様ありがとうございます。
 嬉しすぎて言語能力が欠如してました。もう……ホント、尊い……。

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