果てがある道の途中   作:猫毛布

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遅くなりました。申し訳ありません。文章もぐちゃぐちゃです……(白目)
ゆっくり紐解きます。


第39話

 静かに鼓膜を揺らすエンジンの振動。隣に走る車の音。

 詩乃の顔がアーモンド色の瞳に映り、薄めのルージュに彩られた唇が動く。

 

「――私は貴女の事が大嫌いですよ。朝田詩乃さん」

 

 甘く蕩けるような声色。口角が歪んで上がる笑い顔。けれどその瞳からは敵意だけが感じ取れる。

 まるで仮想世界で味わうような濃密な敵意。息が詰まる程緊張しているのにも関わらず、身体だけは咄嗟に自分の後ろ腰に触れた。そこに在るはずの銃を探して。

 現実世界にはない銃を取れる訳もなく、容易く空に触れて、革のシーツを引っ掻いた。

 

 

 

 

 

 

 

「っと、そろそろ時間ですね。行きましょうか、朝田詩乃さん」

 

 内側に止められた腕時計を確認した薺が鞄を持って立ち上がる。急かすように詩乃に向かって笑んでいるが、微笑まれた側はさっぱり内容を理解していない。内容を言っていないのだから当然ではあるのだけれど。

 首を傾げる詩乃を見て、薺も首を傾げ、納得したように手を打つ。

 

「我が君を迎えに行くんですよ」

「……ナッツを?」

「ええ。来たくありませんか?」

「行き、たいです」

 

 それは詩乃にとっての本心であった。

 未だに不明瞭極まりないナッツの姿。どのような男なのか、『我が君』と薺に言われている存在。元華族の大企業の取締役にそう言われている存在だ。詩乃としては石油王が出てきても驚きはしない。

 そんな詩乃の隣で座っていた和人の身体が動く。

 

「どうしました? 和人さん。お手洗いはアチラですが……」

「俺も行くよ。ナッツと色々話したいし」

「ああ、なるほど、なるほど。けれど和人さんはお断りです」

「……なんでだよ」

「私や詩乃さんが居たら話せない内容もあるでしょう? ね、菊岡さん」

 

 薺がチラリと確認すれば見通された事が気まずそうに頬を掻いて苦笑する菊岡。和人個人に話す内容である報酬や他の依頼であったり、或いはまた別の事情か。

 どちらにしろ菊岡の様子に内容を察した和人は隠そうともしない嫌そうな顔をして腰を下ろした。

 

「では、行きましょうか。朝田詩乃さん」

「は、はい」

 

 年上の女性。元華族であり、大企業の代表取締役。先程まではなかった緊張が詩乃をじわじわと追い詰めていき、やや固まりかけている詩乃を見てドコか楽しそうに薺は笑った。

 

 

 

 行きとは違い、車内は静かなエンジン音に包まれていた。

 暗色に染められた流れる窓の外を眺めながら詩乃は思考に浸る。ナッツ本人に会う。きっとそれは自分に必要な事だろう。

 ようやく、いいや、やっと乗り越える為に足を進めた自分。きっとそんな自分を彼は褒めてくれるだろう。いや、適当に流してしまうかもしれない。後者の方が可能性が高いのは、余所に置いておこう。

 それに聞かなくてはいけない事もある。最後のあの時、彼の言った言葉。

 

――もうGGOは出来ないかもしれない。

 

 リアルで詳しい事情を話す、と言いながらも今日に至るまで姿すら見せなかった男。会う人間がどのような格好であろうと、ナッツであることは変わらない。だから詩乃は会ったらまずは詰め寄ってやろうと考えた。

 あの言葉はどういう意味なのか。どうしてあの少女を自分の所に向かわせたのか。そして薺との関係は? 彼に聞かなくてはいけない事も沢山ある。

 けれど、その前に確かめておかなければならない事もある。

 

「あの、七草、さん」

「はい。どうしましたか?」

「その……どうして私だけ、なんですか?」

「……和人さんは菊岡さんとの用事ですので、仕方なくですよ」

「……ホント、ですか?」

 

 運転席に座る薺に対して詩乃は恐る恐るといった風に確かめる。

 和人と菊岡が個人的に話す内容があった。それはきっと本当の事なのかもしれない。その真偽を確かめる術はない。けれど、詩乃を連れ出すのは今日でないとダメだったのだ。

 それがナッツ個人の事情か、それとも別の事情かは詩乃には分からない。けれども薺が()()()()を連れ出したのは何か理由があるのだろう。

 考え過ぎかもしれない、けれどおそらくこの考え方は正しい。

 

「嘘ですよ」

 

 運転席から聞こえたのはアッサリとした自白であった。そして同時にどこか楽しそうな上品なクスクスとした静かな笑い。

 

「察しのいい子は嫌いじゃありません」

「どうして……私だけ?」

「一つは我が君からのお願いです」

 

 流れていた景色が緩やかに速度を落とし、立ち並ぶ雑居ビルが窓にはめ込まれた。

 サイドブレーキが引かれ、身を捩って薺は後部座席に――朝田詩乃に笑みを貼り付けた顔を向ける。

 

「一つは私の個人的な理由です」

 

 息が詰まりそうになるほど明確な敵意がその瞳には宿っていた。

 自然と動いた手が後ろ腰にある筈の仮想世界の銃へと向く。手が空を握る。

 

「私は貴女の事が大嫌いですよ。朝田詩乃さん」

 

 きっぱりと宣言された言葉に詩乃は息を飲み込む。歪んだ笑みを浮かべる薺は更に言葉を続ける。

 

「だって、貴女は我が君を殺したんです。私の――私達の王を、ナッツを殺したんですから」

「それは――」

 

 鈍器で頭を殴られたような感覚が詩乃を襲う。否定する。自分はナッツを殺せてなどいない。

 それこそ現実世界に影響して殺していた死銃ではないのだ。殺した、死んだ、と表現した所で、それは所詮ゲームの中での話でしかない。そうであるはずなのに。

 否定する。否定しなくてはならない。事実ではないのだから、否定すべきだ。そんなことは分かっている。けれど薺の言葉が、薺の瞳がそれが真実であると告げている。

 

「BoBの参加はあの方が決めたことです。けれど、それこそアナタの為だった。アナタさえ居なければ彼はまだ生きていた」

 

 瞬きすらしない、ドロドロとした感情が渦巻いた瞳。悲しみ、恨み、嫉妬、怒り、負の感情を一緒くたにした感情が顔から溢れ出ないように笑顔で蓋をされている。それでも詩乃がそう感じてしまうのは、少しばかり漏れ出しているからか、それともそう意識させているからか。

 

「ああ、許せない――許せない。あの方を殺したアナタが許せる訳がない。殺してやりたい程憎らしい。彼を()()()()()()アナタが許せない……」

 

 溢れそうになった液体を瞼を閉じて抑え込んだ薺は小さく息を吐き出して運転席へと戻る。ハンドバックの中に収めていたハンカチで目元を軽く押さえて零れそうな涙を吸い取らせる。

 知っていた。彼がどのような人物で、どういう存在であるかなんて、薺は知っていたのだ。だからこそ薺は詩乃が許せる訳がなかった。主を殺した仇敵――ではない。主に死を与えてくれた彼女を許せる訳がない。

 醜い嫉妬である事はわかっている。羨ましさで詩乃に八つ当たりしたのも自覚している。けれど、これは口に出さなければいけない感情だ。

 

「……私は――」

「朝田詩乃さん。今なら、まだ間に合いますよ。単なる好奇心で彼に会うのはお止めなさい。傷付くのはアナタです」

 

 ガチャリ、と後部座席のロックが外れる。

 詩乃の頭の中で渦巻く考察。その考察の全てが薺の言った事が本当であると告げてくる。

 ゲームの中で死んだナッツという存在。そして死んでしまったナッツ。詩乃が殺したナッツ。そのどれもが同一で、真実で、事実であったならば――。

 ナッツを殺した。殺したのは、自分だとすれば。達成感など無い。ポッカリと虚無感が支配し、緩やかに身体を支配していく。

 いいや、きっと薺の言った事は真実ではない。そう思うのはきっと簡単な事だ。けれど、それでも、心のどこかでソレが真実であると思ってしまう。

 逃げ出したなら、この虚無感に支配される事なく、あらゆる可能性を投げ捨てて薺の言葉を嘘と断言出来る。ナッツは死んでない。私は殺してない。現実世界のナッツが死ぬ訳がない。

 

 けれど、それが本当だったら?

 

 頭の中に存在しているナッツが。ボロ外套の長身の男が。憧れの存在が、砕けて消える。

 きっとソレはこの夢の終わりだ。あの日よりももっと強い何かが自分を支配するだろう。赤の他人を殺した訳ではない。もっと自分に親しい存在を自分の手で殺したのだ。

 血が冷えていく。指先が凍りついたように動かない。まともに肺が機能しないのか喉で呼吸が詰まる。胸が苦しい。視界が白んでいく。乱暴に自分の胸元を掴んで無理やり意識を保つ。

 逃げ出したい。この女の言葉を全部否定して、逃げ出したい。そうすれば、きっと私はこの苦しみから逃れる事が出来る。もう、考えなくてもいい。なんせ、全部否定しているのだから。

 

「――……私は、逃げません」

 

 それでも口から吐き出した応えは肯定であった。

 前に進むと決めたから。殺した人の全部を背負い込むと決めたから。この罪も、この罰も、この責任も、この苦しみも、全部含めて私なのだから。目を逸してはいけない。きっとそれは精算しなくてはならない事なのだ。

 逃げ出したい。けれど逃げてはいけない。きっと、彼ならば逃げる事も肯定するだろう。それでも、私は私を愛してあげなければいけない。この汚れた両手を自覚し続けなければならない。

 

 

 バックミラーで詩乃を見つめ続けていた薺はつまらなさそうに息を吐き出した。

 逃げ出さなかった。逃げ出すように仕向けたのに、逃げ出さなかった。出来ることならば詩乃と主をこれ以上一緒にしていたくはない、という嫉妬心もあったけれどどうやら無駄に終わったらしい。

 諸事情で彼女の事を調べ上げ、彼女の事情も心境も把握していると思ったけれど、どうやら見通しが甘かったらしい。少しばかり詩乃自身の事も考えた進言ではあったのだけれど、彼女は逃げない選択をした。

 きっと逃げる方が楽であったろうに。

 

「そうですか」

 

 短く返した薺は自分が笑っている事に気がついた。嫉妬もするし、恨みもしているけれど、それらを省けば彼女には好感が持てる。言わないけれど。

 少しだけ自分の中にある朝田詩乃の評価を上方修正し、手首の内側に留めた時計を確認する。時間通りならば、そろそろだろう。

 

 

 無遠慮に、後部座席の扉が開いた。

 キャップを目深に被って、灰色無地のパーカーに細めのジーンズ、萌黄色の髪をキャップの穴から一つに束ねて出している少年……のような少女が車の中へと入り込む。

 少女は同じく後部座席にいた詩乃をチラリと見て、微笑む。詩乃はそこでようやく彼があの日にやってきた少女である事に気付いた。

 

「お疲れ様です。()()()

「はい。薺もありがとうございます」

「いえ、好きでしている事なので」

 

 簡単なやり取りのあと、車はゆっくりと走り出す。

 少年のような少女と薺のやり取りで詩乃の肩が震える。ああ、やっぱり。と頭の中のどこかで納得をする。否定していた事を否定されるように、けれど、それでも詩乃は納得をしてしまった。

 

「……ホントに、ナッツなの?」

 

 恐る恐る、きっとドコかで信じたくない気持ちがあって、それでも目で見ている事実を否定する事もなく。詩乃は口を開いて()()に聞く。

 少女はどこか困ったような顔をして、一度口を開いて、閉じる。自身の胸元に拳を置いて、一つ深呼吸をした。

 

「はい。けど、僕は正しくナッツじゃありません」

 

 肯定と否定の入り混じった応えが少女から吐き出された。

 キャップを外して、纏められていた髪を解いて二度ほど首を振れば萌黄色の髪がふわりと広がった。

 きっと、詩乃を騙す事は容易い事だろう。と少女は思う。けれど、それは自分の為にも彼女の為にも、そして彼の為にもならないだろう。

 

「改めて、はじめまして。朝田詩乃さん。僕は加藤夏樹。GGOでナッツを操作してました」

「……はじめまして」

「…………ちなみに、男、です」

「はぁ!?」

 

 詩乃の大きな声で驚いたのか目を閉じて身体を縮こまらせた夏樹が片目を薄く開いて詩乃を確かめる。怒っている、訳ではない。単純に驚いただけだろう。

 詩乃は頭を抱えながら目の前にいる少女――にしか見えない少年を見る。肩よりも長い萌黄色の髪も、肌のきめ細やかさも、手や指の細さも、大きな瞳も、長い睫毛も、どこを見ても()()にしか見えない。それでも夏樹がナッツであるならば、夏樹は男であると言える。

 ――けれど。彼が最初に言っていた言葉が引っかかる。

 

「ナッツじゃない、ってどういう事?」

 

 詩乃の疑問に夏樹は少しだけ目を伏せて、小さく息を吐き出して、事実を伝える。

 

「……彼は――ナッツは死にました」

「――え?」

 

 事前に聞かされていた事実であった。けれどもやはり息を飲むには十分過ぎる事実であった。

 驚きを露わにした詩乃を見て、夏樹は慌てるように手をわたわたと動かして、口を動かす。

 

「その、死んだというのは僕の感覚であって、えっと、その、本当は消えたと言いますか、あの」

「……ああ、我が君は可愛いなぁ」

「薺は黙っててください!」

 

 運転席から聞こえた言葉に夏樹は声をあげる。けれどもそれすらも嬉しかったのかクスクスと笑われる。

 唇を尖らせて不満そうにしている夏樹が小さく息を吐き出して混乱にいるであろう詩乃を見る。その瞳は真っ直ぐに夏樹を貫いて、答えを求めていた。

 夏樹は瞼を動かして、納得した。きっとそんな彼女だからこそ、彼を変えてくれたのだろう。

 だからこそ、答えなくてはならない。それが、きっと彼の望んだ事なのだから。

 

「ナッツは……彼は僕のもう一つの人格なんです」


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