果てがある道の途中   作:猫毛布

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オソクナリマシタ()


46.『加藤夏樹』

 耳に触れる程度のジャズが優しく鼓膜を揺らす。サックスのスケールを辿るように幾つもオクターブの低い鼻歌が響き、ハイハットの音に追いつくようにつま先で床板を叩く。

 慌ただしい時間も終わり、閑散としたDicey Cafeにアンドリュー・ギルバート・ミルズは洗い終わったカップを拭き、コトリと棚へと戻して満足気に息を吐き出す。

 一段落して、店内の見渡してから時間を確認する。予定している時刻よりも少しばかり早いが、もうそろそろ来るかもしれない。最終確認として頭の中で準備すべき物を羅列していき、一つ一つにチェックを入れていく。下拵えにそれなりに準備の掛からない物であるならば、最悪どうにでもなるがコレも職業病みたいな物だろう。

 ジャズも終わりを迎え、外には路地裏には似つかわしくない姦しいとも思える喋り声が響き聞こえ、アンドリューは思考顔を笑み変えて扉が開くのを待つ。

 

「いらっ……なんだ、お前か」

「一応、今日は客だぞ」

 

 ダークブラウンの扉が軋みを上げながら開いて現れた黒髪の少年の姿にアンドリューはその笑みと挨拶を途中でやめて溜め息を吐き出してみせた。溜め息を吐かれた方はといえばその対応にムッと顔を顰めてみせるが、お互いに慣れてしまった挨拶である。いつかの仮想世界でのやり取りであるし、現実世界においては常に客であった少年であるがこの対応を楽しんでいる節もある。

 

「こんにちは、エギルさん」

「ああ、いらっしゃい」

「やっほー、エギル」

「おう、元気そうだな」

 

 少年――桐ヶ谷和人の後ろから店内へと入ってくる少女達一人ひとりに挨拶を交わしながらアンドリューはその悪役レスラー顔に笑みを浮かべる。当然、それは疚しい気持ちなど一切なく商売人として、友人としての感情である。

 杜撰に挨拶をされた和人が拗ねたようにカウンターに肘をつくまでが彼らの挨拶になっている。

 

「それで、本当にナッツが来るの?」

「このオフ会を企画したのもナッツだからな」

 

 行き渡ったソフトドリンクで喉を潤してから口火を切ったのはリズベット――篠崎里香であった。PCとデバイスの準備をカウンターの上でしながら応えたのは和人である。

 ナッツが来る、という事に不満はない。あるのならばこの場にいなかっただろう。けれど、あのいけ好かない存在がやってくるというのも里香にしてみれば信じられない事であった。現実世界で会ったならば一言言ってやろうと、ALOで会ったならば一発殴ってやろうと、SAOが攻略されて影も形も無かった事に、どれだけ心配させるのだと、文句でも言ってやろうと。

 仮想空間という繋がりの希薄な場所であったけれど、こうして和人達とは出会えたのに、その繋がりの一部でもあったナッツとは出会うことはなかった事もその一因だろう。

 

「ナッツさんも、あのゲームのプレイヤーだったんですよね? どんな人だったんですか?」

「わたしも、噂だけしか聞いた事ないんですよね」

 

 オレンジジュースを飲み込んでから黒い髪をバッサリと切った少女――桐ケ谷直葉が疑問を口にする。その疑問を追うようにシリカ――綾野珪子が件の人物に関しての噂を思い出す。

 その噂という物も随分と曖昧な物で、最前線にいる小さな落下星という称号と下層攻略支援ギルド【クラウン・ブラウニー】のギルド長をしていた事、茶褐色の外套とフードを被ってその顔を見せない事など。身体的特徴など小さいという事ぐらいしか知りはしない。

 

「なんというか……凄いヤツだった」

「うーん……心配になる妹?」

「商人達の元締めだったな……」

「変人」

 

 和人から始まり、結城明日奈が繋いで、アンドリューが何かを思い出したのかドコか遠い所を見ながら呟き、バッサリと里香が切り捨てた。散々な評価であるが、至極真っ当な評価でもあった。それが全く知らない直葉と珪子に通じるかどうかは別として。

 直葉自身はALOでその存在に出会っているが会話らしい会話もなく、その小さな存在も架空のキャラクターである事とSAOでの評価が散々な事から今から来る人物に対して少しばかり緊張してしまう。どんな人が来るのだろうか。SAOの対象年齢も加味して予想しているが故に決して答えには辿り着かないだろうが。

 件の人物を思い出していた和人がふと思い出す。

 

「そういえばエギルは現実(こっち)であいつに会ってるんだよな」

「ああ。最初はナッツだなんてわからなかったし、あいつも俺を見て止まっちまうし」

 

 思い出してみれば随分と滑稽な再会であったとアンドリューは感じる。連絡を取り合った訳でもなく、ただふらりと、偶然立ち入ったその存在が数秒ほどアンドリューを見て停止した後、いつものようにカウンター席へと座って「ジャーキーはある?」と訛りの効かせた言葉を吐き出した所でアンドリューも驚いてその人物の名を言い当てたのだ。

 

「エギルさんも言ってくれればいいのに」

「その、あいつにも事情ってもんがあってだな……」

 

 明日奈のぶぅたれた声に悪役レスラーも困ったように首に手を置く。美人に弱くなってしまうのは男としての本能であるし、事情に関してもアンドリューの口から言うつもりもなかった。今日来れば彼自身が言うだろう、とアンドリューもわかっている事であるが。

 

「ママ、ダメですよ。エギルさんを困らせたら」

「ユイちゃん!?」

「はぇー、凄いわね」

「まだ試験段階だけど、ナッツが来るなら会いたいだろうしな」

「最近徹夜してると思ったらお兄ちゃんそんな事してたんだ」

「かなり限定的だけど、見る、聞く、喋るはできる……筈」

「はずってあんた……」

「まだ試験運用だから……バグチェックとかは大雑把に終わらせただけで、今回のログデータ次第でまた組み直す予定」

 

 予定されている作業量を思い浮かべながらから笑いを浮かべた和人であるが、これも我が子の為である。尤も、その我が子があの鬼畜ショタに会いたいと言ったのも親心的には複雑ではあったが。

 娘の参戦もあってか姦しく喋る女性陣と眠気の解消のためにブラックコーヒーを喉に押し込む和人の耳に扉の軋みが入り、一斉に視線がそちらへと向く。

 

「……何?」

 

 向けられた少女はキョトンとした顔を浮かべて足を止めてしまう。メガネの奥の瞳は店内を見渡し、知っている顔を見つけて少しだけ安堵した息を吐き出す。

 見つけられた顔の持ち主である和人は言葉に迷いながらいつかもした彼女の紹介をする。

 

「えー、こちらGGOでの三代目王者(チャンピオン)である――」

「その紹介、やめてって言ったわよね?」

 

 ジロリと睨んだ詩乃から悪気は無いとばかりに両手を上げて降参を示した和人。同時にそのやり取りでこの少女がシノンを操っている存在である事はすぐにわかった。二度も同じ紹介をされてしまった訳であるし、こうして詩乃が和人に釘を刺すのも姿形は違えど二度目である。

 和人の紹介を仕切り直すように大きく溜め息を吐き出す。

 

「はじめまして。ALOでシノンを使っている朝田詩乃です」

「敬語なんていいよ。今更だしね」

「そう? ならお言葉に甘えるわ」

 

 美少女とは彼女の事を言うのだろう。と頭のどこかで思いながら目の前にいた美少女の言葉を甘んじて受ける。

 現在いる人達の名前とアバターを合致させながら詩乃は和人をジロリと見る。

 

「な、なんだよ」

「別に」

 

 いつか刺されるわよ。と忠告してもよかったが、その一石が原因になってしまうかもしれない事を考えて詩乃はその言葉を飲み込んだ。案外上手く回っているかもしれない。その渦中に入りたいとは思えないが。

 

「大会の優勝って言ってもナッツと同着だし」

「え? ナッツもあの大会に出てたの?」

 

 だから別に誇るような事でもない。それにあの手負いのナッツを相手に戦ったとしても詩乃自身が負けてしまうと感じてしまっていたのだ。だから、優勝者という称号に対して忌避感も少なからずある。

 と、溜め息混じりに思ったいたのだが明日奈の疑問に詩乃も疑問を浮かべてしまう。触れてほしくない話題であったが、件の人物と会うのだから一応言っておこうと口にしたのだけれど……。

 明日奈がこのいつか刺されるかもしれない色男だけを見ていただけであっても、この色男を倒した人物こそがナッツである。だからその存在を見ていないという事はないとは――。という所で詩乃は合点がいく。自分もした勘違いである。自分とは逆の勘違いであるけれど。

 

「あぁ……なるほど」

「そういう事だ」

「仕方ない事だな」

「ちょっと、三人とも何か知ってるでしょ」

「あいつが来ればわかる」

 

 詰め寄られた和人がその視線から逃げ出した。その全ての責任のあの鬼畜へと向けたのだ。

 詩乃からしてみればある意味当然の勘違いであった。確かにあんな物わかる訳がない。自分とて初めて見た時は天使かと……いやこれは違う感想だ。

 そんなナッツがこの場に来たとして、恐らく勘違いしているであろう事が判明するかと言われれば……無理かもしれない。詩乃は途端に不安になった。いや、あの子自身が口にするだろう。たぶん。

 

「シノンさんもナッツに会った事あるんですよね?」

「この中じゃ一番詳しいと思うわよ」

「どんな人なんです? お兄ちゃん達に聞いてもまったく掴めなくて」

 

 「そうね」と呟いてから彼の事を考える。ナッツ、という存在であるならばGGOでの彼が最も近い存在だろう。そんなナッツの事を思い出し、すぐに言葉を飲み込む。チュートリアルだとか、レイドボスだとか、不死者だとか、変人だとか、奇人だとか色々言える事はあったけれど、口を噤む。

 その存在は――。

 

「シノンさん?」

「――そうね。愛おしい人よ」

 

 さして意識するでもなくあっさりと吐き出せた言葉と柔らかい笑みを浮かべて、目の前に置かれた珈琲に口をつける。詩乃自身、意識した笑みではないが頬が緩んだ事を察知して隠すように、けれども実に自然とカップで隠せた。詩乃は知りはしないが自宅の鏡に映った引きつった笑みではない。

 女が三人集まれば姦しいと言い、この場に更に一人多く、もっと言えば恋の話題というなんとも尽きない話題を提供できる詩乃がいるのだ。和人を目的とした話題もまた恋の話になるのだが、それはなんとも複雑であり、他人である詩乃からして見ても触れたくない話題である。藪を突付いて龍など出したくはない。

 と言っても、詩乃が彼の事に関して語れる事は少ない。GGOのナッツと加藤夏樹はよく似た別人である。だからこそ、GGOでの事は詩乃の胸の中で蓋をされてしまう。

 話の内容も多少はぐらかしながらであるし、SAOでの彼の事を聞く事のほうが詩乃にとっては嬉しい出来事であった。抱いた印象の大凡は「ああ、ナッツだもんね」であったが。

 アンドリューによる軽食――出されたアップルパイがカロリーとして軽いかは別として――に舌鼓をうてば、扉の軋む音が静かに鳴り、冷たい空気が足元に走る。

 姿を見せたのはキャスケット帽をした少女であった。走ってきたのかその呼吸は荒く、頬も少しばかり赤く染まっている。茶褐色のコートの上から胸を抑えてゆっくり深呼吸をして顔を上げる。赤い縁の眼鏡の奥に大きな瞳をぱっちりと開けて全員を見渡す。見渡して、口をキュッと絞り、小さく息を吐き出した。

 

「……ナッツ?」

「――はい。はじめまして」

「はじめまして、って言っても向こうじゃ結構顔を合わせてたけどね」

「そう、ですね」

 

 どこか歯切れの悪い言葉を吐き出したナッツは思い出したように眼鏡を外してキャスケット帽を外す。帽子から溢れ出た萌黄色の髪を頭を振って、手櫛で簡単に整え明日奈をチラリと見てから全体へと視線を戻してナッツは口を開く。

 

「改めて、はじめまして。SAO(あちら)でナッツだったユ――」

「もしかして、加藤夏樹? え?」

 

 その名前を呼んだのは桐ケ谷直葉であった。ナッツ――加藤夏樹を見る。僅かに開いた口が震え、記憶の中にある姿が目の前の姿と合致する事を確かめ、信じられないように思考を再起動させる。

 呼ばれた側である夏樹は驚いたように目を見開いて、瞼を下ろしてから一拍置いて緩やかに開いて微笑む。

 

「ああ、知ってくれている人が居て嬉しいです」

「え? ホント? 本物?」

(スグ)、知り合いだったのか?」

「はぁ!? お兄ちゃん知らないの!?」

 

 信じられない物を見たように直葉は手持ちのタブレット端末を操作して和人に押し付けるように渡した。タブレットを受け取った和人の隣から明日奈達は顔を寄せて画面を覗き見れば、そこには何かの雑誌の取材だろうか、和人にしてみれば目の滑る文章がツラツラと書かれ、目の前の存在によく似た――それこそナッツにも似た存在が画像に映っている。

 画像を見る。目の前を確認する。画像を見る。改めて文章を見る。

 

「は? はぁぁぁぁああああ!?」

「ほ、本当にナッツ!?」

「マジ……?」

 

 ナッツの事をよく知る三人に似たような反応をされ、困ったように頬を指で掻きながら「えーっと」と小さく零す。

 

「改めまして。SAOでナッツだった、えっと、今は役者をさせていただいてます。加藤夏樹です」


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