戦姫絶唱シンフォギア ~Gungnir Girl's Origin~   作:Myurefial0913

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EPISODE18 ほっぺの急降下作戦……

 

 

 

 私、立花響には守りたいものがあった。

 叶えたい願いがあった。

 揺らぐ事の無い理想を夢見ていた。

 

 けれど、それら全ては自分の妄想で、現実には叶わない幻想は敢え無く泡沫へと消えて行った。追い続ければ追い続けるほど身体も心もボロボロになって、手を伸ばしても届くことはない。私は諦めてしまった、失ってはいけないそれを私は守ることができなかった。

 

 私の目の前で大切なものが次々と消え去って行くさまは、爪を一つ一つ剥がされるようにジリジリと私の心を痛めつけてくる。まるで拷問のよう。 

 

 いつしか私の全てが壊れていく。

 

 過去の世界で失ったものを思い起こしては嘆き悲しみ、最後に残った夢さえも否定される始末。お父さんやお母さんから貰った大切な名前、立花響という名前すらも自ら棄てしまった。

 

 本当に私は独りになってしまい、もう何も残ってない。そして何もかもを失ってから気づく。

 

 あの頃の私(立花響)は『幸せ者』だと。

 今の私が求めてやまない大切なナニカをたくさん持っている。にも関わらず、それ以上のモノを欲しがっていた。過去の自分は傲慢で、何より愚か者だった。近くにあった幸せが見えなくなってしまっていたのだ。その所為でついに取り返しがつかなくなってしまい、私の持ってた幸せは儚く消え去る。

 

 そうして私は誰でもなくなる。名前を棄てたその理由は何だろう……。それは私が私を、立花響を許せなかったからなのか、それともこの世界の私の隣にいる親友やこの世界の私を殺伐とした世界に巻き込みたくなかったのか。あの時の私がどう思っていたか、そんなもの、今思い返しても分からない。けれど私は長月凛花と成り、立花響に別れを告げた。それだけは確かな事、私は長月凛花としてご飯を食べて生命を繋ぎ能々と今生きている、生き恥なんてレベルをとうの昔に超えて。

 

 私は絶望した。絶望はしたけれど死ぬ事は出来なかった。私が死を望む事は私に生きていて欲しいと願った親友や仲間たちを裏切る事になる、師匠の言葉が無ければそのまま死んでいたかも知れない。未来を破滅へと追いやった私が未来を想いを切る事なんて出来るわけがないし、何より死ぬ事は許されない。そのことについて私も今になってそう思えるようになった。

 

 安易に死ぬことで罪は償われないのだと。

 

 師匠が言うには私は生きているだけで良くて、寝床もご飯も全て二課持ち。それに見合うだけの対価を要求しない純粋な優しさ、本当の意味での無償の施しを受けていて、誰とも関わりたくない、誰にも迷惑をかけたくないと思っている私の気持ちと正反対なこの状態は酷く私の心を締め付けてくる。出来る限り誰とも繋がりを持ちたくないという気持ちはあの時の対話後もそのまま変わらない。それとこれとは話が別。

 本当にいつも誰かに迷惑をかけてばかりだ、全く持って成長しないなぁ……。

 

 当然、人間が孤独なまま生きていくのは無理だと言うのは分かる。哀しいことにお腹はどうやったって減ってくるし、そのためにはお金がかかる。お給料をもらうにも働かなきゃいけないし、食べ物だって誰かが作った物を買うしか無い。その時点で既に人との関わりが沢山ある。

 

 そんな所まで人間関係を持ちたくないと嫌がるほど浅はかじゃないけれど、この状況に長く浸るのは望ましくない。これ以上の迷惑をかけないためには私からも何かしらの形で返していかなければいけないか、自分の面倒を自分で見るようにしなきゃいけないと思ってる。自立と言えば聞こえは良いけどね。

 

 誰とも関わらず独りで過ごす為には、其れ相応の力を持たなければいけないから。だけど生活してく中で必然的に持ってしまうその関係を上手くやっていける自信は無いかな……。今までも大切な所はどこか他人任せてしまっていた所為で誰にも頼れない状況になったときの事を予想だにしていなかったから、あっちのみんなや未来に頼りっきりだったから今の私は何もできず燻っているまま。

 

 未来の為にも死ぬ事は出来ない。でも、どう生きていればいいのか?長月凛花となった私は何をすれば良いのか?何もないこの状況で私に出来ることって何だろうか……?

 

 

 ……いや、一つだけ私には持っているものがあった。

 

 

 第3号聖遺物、撃槍・ガングニール。

 完全聖遺物のそれと、そのシンフォギアが。

 

 私に残された本当に最後の真実(ホンモノ)

 

 

 ガングニールで出来ることなんて、どうしようもなく限られているのに……。

 今は、何も考えたくないかも……しばらく外の景色でも見ていようかな……。

 

 

 ねえ、未来……私は……。

 

 

 

 

 

 

     ○

 

 

 

 

 

 

 「二課に於ける君の処遇が決まった」

 

 少女――長月凛花が目を覚ました日から15日目の朝。弦十郎は櫻井了子共々直属の上司の元へと赴き長月凛花についての詳細を報告し、そこで出た結論を凛花に伝えた。事実関係の調査及び聖遺物の再解析などを経たことに加え、長月凛花の取扱いに関する会議自体が錯綜してしまった為、凛花が覚醒してから実に二週間という時間が既に過ぎ去っていた。

 

 場所は変わらず凛花の病室。

 

 

 『長月凛花、18歳。

 この世界の8年後の未来から過去へとやって来たガングニールのシンフォギア装者。

 彼女の人間関係、家族構成は不明。年齢も彼女の自己申告で、二課の技術主任である櫻井了子女史によって命名された。本名は別にある模様だが、彼女の精神面を考慮して無闇な詮索は控えることに。

 

 初めて長月凛花のシンフォギアの反応が観測されたのが長野県皆神山付近。その後、首都圏の人気の無い山間部にて対応に当たった特異災害対策機動部二課司令と戦闘。その後絶唱を試みて意識不明の重体となり、長期間の昏睡状態へと陥っていた。現在は意識が戻り二課にてその身辺を保護している。

 

 未来から過去へと来た方法は不明。

 未来世界にて特異災害対策機動部二課に所属していた模様、その証拠に、二課構成員の個人情報及び二課の重要機密も十分に周知。確固たる物証は無いが凡そ状況証拠としての確実性が高過ぎる為に、また、彼女が未来からやって来たという理屈ならば納得の行く事項も多い為に、本当にタイムスリップをしてきたのだろうという結論に至る。

 

 長月凛花の同意の元、櫻井了子によって調査された謎の槍については、アウフヴァッヘン波形のパターン照合からガングニールであると判明。長月凛花の持っていた推論と一致、その特殊性を鑑みて完全聖遺物のガングニールであると断定する。

 

 何もない空間から長月凛花が唯一自由に取り出せるが、所有者である長月凛花すらその所在は知り得ず、ガングニールのある空間は不明のまま。ガングニールを顕現した後に長月凛花の手を離れると自動的に長月凛花の手元へと帰っていく為に二課での保管が物理的に不可能。研究も調査も長月凛花が同伴してなければ遂行出来なかった。

 

 また五月に発生した光の柱はこの完全聖遺物のガングニールから放出されたものである事が分かっている』

 

 

 ――広木防衛大臣への報告書、その一部より抜粋。

 

 

 

 

 「正直なところ、二課による保護という名のもとに常時監視され、事実上の軟禁と何ら変わらないって言うのが結論だ。お偉い方も凛花くんについて話したら度肝を抜かれていてな、君には悪いが扱いが難しいんだとさ……」

 

 

 国家役人でもある弦十郎は、しがらみばかりを抱えてしまって立ち回りの上手く行かない己の役職を呪う。

 

 

 「まず君がシンフォギア装者である事、これだけでも凛花くんは二課に拘束されるようなもんだ。日本政府によって秘匿された異端技術の結晶を保有した上に扱えるからな、機密を守るという観点から見れば放ったらかしには出来ないんだろう。今まで適合者候補が上手く育たなかったという事もあるのだろうが……」

 

 

 弦十郎の言わんとする事を汲み取り、話を引き継いだのは天才考古学者の櫻井了子だ。

 

 

 「さらにさらに厄介なのが、凛花ちゃんにしか使う事が許されない完全聖遺物の方。二課の下でガングニールの管理・監視、それに加えて制御をしなさいという政府による厳命が下されていて、こちらが下手を打てば『深淵の竜宮』で監禁レベル、それほどまでに日本政府は隠したがっているの。

 シンフォギアという存在がある以上、私たちにとってガングニールは僅かに採取された穂先の欠片ですら相当の価値を有する。その完全聖遺物が発見され、しかも既に起動していると各国にバレればとんでもない事態になると思ったんでしょうね。現にあの光の柱は防衛省に対する日本の各省庁以外に、各国政府からも情報開示の要求が数多く詰め寄られていて、アクセスの集中した防衛省は一時パニック状態に陥ってたのよ」

 

 「………………」

 

 

 聖遺物の研究は世界各国で秘密裏に行われており、凡そその重要性から枠組みを超えて市民に明かされない裏の外交カードにも用いられる始末。失われた技術の結晶に秘められた力を発揮する事が出来れば、従来の技術発展を物ともしない革命が起きてもおかしくないのだ。軍事力の転換、エネルギー源の転換、世界経済の転換、政治の転換、国際情勢の転換……。

 

 影響力は計り知れない。

 

 それが完全聖遺物クラスともなれば適合者か否かに限る事なく誰にでも半永久的に使用可能だろうと推測されており、各国首脳部が喉から手が出るほど欲しがるのは目に見えている。微少な破片を使用しているシンフォギアですら大きな戦力になる以上、完全聖遺物の扱いには慎重にならざるを得ない。

 

 更に今回の件に関して言えば、完全聖遺物のガングニールを扱えるのが長月凛花ただ一人だけであるという例外が発生しているので、『唯単純に聖遺物というモノを隠し通して死守すれば良い』という点から余計に問題が複雑化してしまっているのだ。

 

 日本政府は日本政府で頭を悩ませているらしい。

 

 

 「ちなみに今君を、長月凛花という存在がガングニールを持ち、そして未来から来たシンフォギア装者であると言うことを知っているのは、二課では俺、了子君、緒川の三人。日本政府側では広木防衛大臣を筆頭に自衛隊の将校やそれらの報告を受けた内閣総理大臣、それと俺たちに近しい数名の官僚や内閣情報官だけだ。そのいずれも元々シンフォギアの存在については知っていて、それ以上話を広めるのはややこしく面倒になると広木防衛大臣からの通達も来ている。恐らくこれ以上凛花くんの事を知る者は現れない」

 

 「名前とともにあなたの事を事細かに知っているのは本当に十数人、両手じゃ指が少し足りないくらいだけどある程度スムーズに事を運ぶために教えざるを得ない人物もいるのを分かって貰いたいわ……。私たちが守りたいのは他でもない貴女、どうだっていい機密なんかじゃないわ。全ては貴女の身を守る為に必要な事よ」

 

「……………」

 

 

 今の長月凛花は謂わばバルカン半島なんて目じゃない程の火薬庫そのもの。その存在を明るみに出す事は凛花の身の安全に関わる重大問題が起こるだろう。誘拐されてしまえば一体何をされるか分かったものじゃないのだ。最悪の場合、長月凛花が恐れる凄惨な戦いが勃発しかねない。今度は被害者ではなく加害者側という形で。

 

 名前を変えてまで正体バレをしたくない凛花の意思からすれば相反する事だが、最低限として仕方ないのだろう。

 

 

 「しかし、一政府機関を動かすにはそれだけでは足りない。君を監視すると結論付けたこの議論も二課を動かすのに必要な政府関係者だけで行われているが、君の存在を知らない者を加えている」

 

 「ただ、議論自体は凛花ちゃんの存在は伏せたまま、完全聖遺物のガングニールが何故か日本に出現したという事のみを議題としていたからね、誰が持っているのかなんて言うのは殆ど知らない人ばっかり同然よ。『深淵の竜宮』で監禁云々言い出した連中には少しカチンと来たけれど……」

 

 「ガングニールを二課で管理しとけと言うことは即ち、唯一ガングニールを扱える君を軟禁する事に他ならん。……俺たちが教えてない所為ではあるし、奴らの上司は君の事を知っているがそれを伝える事が守秘義務によって出来ない。故にその他の部下たちはガングニールを持てる人物が凛花くんである事を、一人の少女である事を知らない。致し方ないが知らないが故に悪気無くそのような言葉を繰り出す。

 最早、君を人間ではなく聖遺物として扱う可能性が出てくる。君を知らない奴らからすれば少女を監禁する事態になるだなんて思いもよらないのだろうが……」

 

 「……………」

 

 

 一見冷酷そうに見える政府の高官達だが、見方を変えれば彼等は国の為、国民の安全の為に奔走しているのであり、それを第一に考えれば危険な完全聖遺物を深淵の竜宮に保管するという案はそこまで間違っていない。事実を知る者からすればそれがまたもどかしさを募らす一因となっていて、真実を告げるべきかと言う葛藤に陥る。

 知らない事は罪であるとはよく言ったものだ。罪深いのは一体誰なのか……。

 

 

 「……だが、そんな事は俺たちが絶対にさせない。確かに凛花くんを自由にする事は出来ないかも知れないが、逆に二課を君にとっての安全地帯にしてしまえば政府からの要求も守っている事になるし、君にとっても居場所になるから良いだろう。行く行くは俺の責任者権限を使って地上に出て住んで貰おうと思っているがな」

 

 「…………」

 

 「それに、二課内部でも君がシンフォギア装者である事を基本的には明かさないつもりだ。君には出来るだけ戦いから離れて貰いたいし平和を享受して欲しい。だから凛花くんからもそれは言わないようにしてくれるか?」

 

 「……」

 

 「……まあ、今すぐ何かが起こるわけでもあるまい。二課に軟禁だとは言ったがそれについては広木防衛大臣から俺に対してある程度の裁量を任されていてな、何も本気で君の事を閉じ込めようという訳じゃない。聖遺物に関する事以外は二課内部で自由にしてくれれば良いし、誰か同伴のもと外へ出る事ももちろん可能だ。あんまり湿っぽく暗い事にはしたく無いからな」

 

 「……」

 

 

 手綱を握れる大人が側にいる事を条件にするが表向きだけでも形式を取っていれば何でも良いのだ、という考えはどうやら広木防衛大臣のお墨付きのよう。今回の議論の対象が物ではなく人である事を知ってるからこその配慮か、たとえ巨大な爆弾を抱えてしまっても見なかったことにしたい短絡的な考え方をする者とは違って、ある程度器量がある為政者と言えるだろう。

 

 

 「前にも言ったが、存分に俺たちを頼ってくれて構わない。何処か行きたいところ、やりたい事があれば遠慮せずいつでも言ってくれ」

 

 「……あの」

 

 「何だ?」

 

 「……会いたい人が、謝りたい人がいるんです……」

 

 

 弦十郎や櫻井了子がやって来てから長月凛花が初めて発した言葉がそれであった。

 

 

 

 

 

 

     ○

 

 

 

 

 

 

 リディアンの敷地を出て少し行った所に活気ある商店街がある。近年のシャッター街増加の波をどこかへ受け流してしまったかのような力を持っているようなこの商店街は、思い返してみれば長月凛花の反応が途絶した場所でもあった。その当時の調査で上手くいかなかった苦い思い出も二課にはあるのだが、凛花には謝りたい人がここに居るのだと言う。

 

 大凡助けてもらった人へのお詫びをしに来た所だろう。そういう所は相変わらず生真面目だなと弦十郎は思うが、後に憂いを残さない為の事かと考えている。

 

 

 「謝りたい人とは、どんな人なんだ?」

 

 「……私なんかと比べられないくらい大人で、優しい人です」

 

 「……そうか」

 

 

 そうやって自分を低く捉える所も相変わらずと言うか……すぐに前向きになれる訳もないので後々改善して行ってくれれば良いのだろう。そう弦十郎は思う。

 

 安易に「君は優しい人だ」と言ったところで受け取る側の気持ちがネガティブであるのなら、それを素直に受け入れる事が出来ず、「そんな事ない」と言って自分の悪いところを探し始め、抜けられない負のスパイラルに陥るのは簡単に分かる。そのため弦十郎は喉元まで出かかったその言葉を抑え込んだ。これも要らぬ地雷を踏まぬ為だ。

 

 現在は弦十郎の運転する車で商店街の入り口まで移動中、同乗者に長月凛花と櫻井了子が居る。

 点滴から病院食へと移ってそれなりに時間が経っているとは言え、本来ならまだ凛花は病院内で過ごさなければ行けない体調だ。手術時に全身麻酔を施さずに済んだことが不幸中の幸いというべきか……。全身の筋力の低下から回復する為に歩くリハビリを少しだけ始めているのだが、二課内部でも長距離移動はあまりに負担が大きいと言う事で、どうしても動かなければならない時に凛花は車椅子に乗っている。

 

 櫻井了子が外出は普通認められないのに無理を言って押し通し、私が同伴するから安心しなさいなと、いつもの如く担当医を丸め込んだところをまじまじと弦十郎は見せつけられている。いつの間にか彼女は櫻井了子のお気に入りらしい。ちゃっかり書類上の親権取得まで漕ぎ着けていたようで、年齢がまだ未成年である凛花の義理の母親となっていた。お互いに親子の情などまるで垣間見られないが、櫻井了子曰く、「凛花ちゃんが社会復帰するときにその方が色々と便利でしょ?」らしい……。長月凛花の戸籍や銀行口座までも既に作成されているため弦十郎は唖然とせざるを得なかった。どこまでも事後承諾な櫻井了子に振り回されるのもいつもの事であるし、師弟関係にある凛花の事を考えればその方が自分がなるより良いのだろうと変に納得してしまった弦十郎だった。凛花が最初に養子になることを拒否していたことなど、このとき頭の中には無かった。

 

 

「着いたぞ」

 

 

 車を降りた一同。

 膝掛けをかけて車椅子に乗ったままの凛花は後ろからウキウキ気分の櫻井了子に押される形で目的のお店へと向かい、弦十郎は最後尾からその様子を見守る。

 

 あれから凛花は髪の毛を切る事なく伸ばし続けていて、出会った頃よりも若干長めになっている。訊いたところ本人も切るつもりは無くこれからも伸ばしていく事らしい。

 欲しいものがあれば何でも言ってくれと言っている弦十郎に凛花はあまり物を要求して来ないのだが、ここ最近で向こうから唯一欲しがったものが"眼鏡"だった、しかも矯正が必要な視力でもないのに。何故また眼鏡なのかは分からないが、凛花自身から欲しがった物なので弦十郎も快く凛花にプレゼントしている。今もその伊達眼鏡を着用している凛花だが、これが意外と似合っていたので何も言うことは無いだろう。

 

 

 凛花の行きたがったお店の名前と場所は判明済み。

 お好み焼き屋のふらわー。奇しくもそこは長月凛花の反応が途絶したそのすぐ側であったのだ。

 

 ガラガラと引き戸を開けて店内に入る。時間帯の問題か、運良く店内には他の客が居らず、ピークタイムを避けて正解だった。

 

 

 「いらっしゃい、何名様かしら…………っ!」

 

 

 この店の主人の女性は明るい表情での挨拶から一転、入って来た凛花に気付いた途端、驚きの表情へと変わる。テーブルの上にあった食器の片付けを中止し、こちら側へと足早に歩いてきた。

 

 

 「……こんにちは、おばちゃん……」

 

 「あなた、一体今までどこに……!?」

 

 「……ごめんなさい」

 

 「もう……本当に心配したのよ?だけど無事そうで本当に良かった……」

 

 

 凛花は沈んだ表情で謝るのみ。謝罪を受けたふらわーのおばちゃんは突然居なくなった少女の無事を確認して内心ホッと安堵する。しかしそれも少しの間だけ、おばちゃんの目線は凛花の背後に立つ人物たちへと向かう。

 

 

 「……あなた方は確か……調査だとかで前にこのお店に来てましたね。この子とどんな関係が……?」

 

 「私たちは現在、この長月凛花ちゃんを保護している者です」

 

 「えぇ!?」

 

 「我々の事や凛花くんの事について少しの間だけ話をする時間を貰えないでしょうか?」

 

 

 弦十郎は二課と遭遇する前に凛花を保護してくれていた目の前の女性に諸々の事情説明したいと言った。

 

 

 「分かりました、先ずは中に入って座ってて下さい」

 

 

 聞けば、お客さんが居ないのでそろそろ夜に向けての仕込みをする為に一旦店仕舞いする所だったようだ。個人経営で営業時間も自由が利く、お店の事は心配しなくていいので話を伺いたいとおばちゃんは言った。

 店の看板に『閉店中です』の字がかけられ、おばちゃんは話を聞きながらも食器の片付けを再開する。

 

 櫻井了子と長月凛花はテーブル席へと座り、弦十郎は端っこのカウンター席へと腰を下ろした。

 

 

 「……凛花ちゃん、もし何か食べたいものがあったら遠慮なく注文してって良いわよ?」

 

 

 おばちゃんは凛花に何が食べたいか訊く。

 二ヶ月以上前に凛花が居た時には、凛花はお好み焼きを食べずにこの店を去った。この世界に来てからまだ凛花はふらわーのお好み焼きを食べてないのだ。

 かなり消極的で卑屈である事には変わらない、しかしそんな状態でも前よりほんの少しだけ、ほんの少しだけ遠慮するのをやめた凛花は高校生の時から好きだったキャベツたっぷりのおばちゃん特製お好み焼きを注文する。

 

 分量は大盛りだった昔と比べて3分の1。

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 注文を受けてからすぐにおばちゃんはお好み焼き作りを開始、手始めにキャベツを千切りにするなど手慣れた作業を淡々とこなす。トントントントンっという刻むリズムが耳に心地よい。具材を混ぜ合わせ、次第にアツアツの鉄板の上からジューっという焼ける音がし出した。少ししてからおばちゃんはお好み焼きをポンッとひっくり返し、そこから数分後、出来上がったお好み焼きには焼けた匂いが香ばしいソースとマヨネーズがたっぷりと幾重にも重ねてかけられた。彩りの良い鰹節と青のりが鉄板の熱によってお好み焼きの上で踊っており、食欲をそそる一品がここに完成した。添えられた紅ショウガのアクセントを忘れてはならない。

 

 

 「……いただきます」

 

 

 一口大に切ってからゆっくりと口へと運び、かねてからの大好物を味わう凛花。いつもだったらそんな事もせずにガツガツと食べるだろうが、今はとてもそんな気にはならない。

 

 親友と何度も何度もここに訪れて食した思い出の味を噛み締める。

 

 この匂いを、この味を、この食感を。

 このお好み焼きを食べに来た時のあの気持ちを忘れるわけがない。

 

 世界から忘れられた自分、そんな自分の事を知る人が居なくてもこの味を私は覚えている。

 

 知っているものがあった。前はそれだけじゃ心寂しいと思ってしまったけれども、今なら違う。右も左も分からない世界では無いだけマシで、自分の思い出はここにある、それだけでも凛花の心の拠り所にもなるからだ。本当に何もかも知らない世界だったならば自分はすぐに壊れて死に絶えただろう。この間までの自分が心から死ぬことを望んでいたのか望んでいなかったのかはさて置き。

 

 始終無言のまま、無表情でひたすら夢中になって長月凛花は食べ始めた。心なしか食べる速度が微速だがだんだん速まっていて顔に出なくても心の中では嬉しさが溢れてきている、そんな雰囲気を三人は感じ取った。

 

 

 「美味しそうに食べてくれて何よりね、こうして作った甲斐があるものよ」

 

 「俺たちも凛花くんがここまで夢中になってるのは初めて見たな……」

 

 

 結局凛花は一人前のお好み焼きをペロリと平らげてしまった、がしかし、凛花はお代わりを頼む事なく佇んでいる。もうお腹がいっぱいだそうで、アクションを起こす事なくテーブルの上をぼんやりと眺めている。

 櫻井了子は凛花の目の前でお好み焼きに舌鼓を打っており弦十郎とおばちゃんの話に参加する気は無いようだ。凛花の世話を櫻井了子に任せ弦十郎はおばちゃんへと向き直す。

 

 おばちゃんは弦十郎の分のお好み焼きを作りながら弦十郎に話しかけた。

 

 

 「それで、貴方達はどういう人たちなのかしら?」

 

 「……これから話す事はくれぐれも秘密にして頂きたい、それでも構わないだろうか?」

 

 おばちゃんは躊躇する事なく首を縦に振る。

 弦十郎は一つ呼吸を整えて話し始めた。

 

 

 「我々は自衛隊・特異災害対策機動部二課に所属する役人だ」

 

 「自衛隊……!?」

 

 

 思わず調理の手を止めたおばちゃんは怪訝な表情をしている。それは驚きというよりも、何故自衛隊なのかという疑問の方が強いだろう。

 

 

 「はい、現在、長月凛花くんの身柄を我々二課で保護している。何故特異災害対策機動部でなのかと言うと、凛花くんのもつ事情があまりに特殊過ぎるから、というべきでしょうね。あなたは凛花くんからどこまで聞いていますか?」

 

 

 聖遺物の話をするわけにはいかないので上手くはぐらかして話を進める。

 

 

 「どこまでと言われても……確かあの子は未来から来てしまったとか……」

 

 「やはり……我々もそれは事実だと考えています」

 

 

 おばちゃんは特に驚く事無くその言葉に同意した。訊いたところ、その理由が会ったこともなかったのに凛花は此方の事をあまりに知っているから、というものだった。二課の時と全く同じ理由である。

 

 

 「そうでしたか……ここからが秘密として頂きたい点です。彼女、長月凛花は未来世界にて我々と同じ組織に所属していたと予測されます」

 

 「えぇっ!?」

 

 「確証なんかありませんが確信めいたものはあるつもりです。凛花くん自身がそう言っていたのに加え、二課所属の構成員しか知り得ない情報も彼女は熟知していました」

 

 「は、はあ……」

 

 「凛花くんは人助けの任務についていて戦場に立ち、そして心をあそこまで折砕かれた、という事ならば今のあの子の様子にも頷けるのでは?」

 

 「どうしてあの子が自衛隊に入っているのですか?しかも戦場に立つほどまでになるなんて……」

 

 

 弦十郎はほんの数秒であるが口を閉じてしまう。そこに何かを察したおばちゃんは弦十郎よりも早く口を開いた。

 

 

 「……きっと言えない事情があるんでしょう、不躾で悪かったわねぇ……けど、何故それを私に?」

 

 

 ここで最もな質問。わざわざおばちゃんに伝える必要があったのかという事だ。だが、弦十郎はそれに対する答えを既に持ち合わせていた。

 

 

 「……凛花くんにとってあなたの存在は日常の一幕の中にある。凛花くんを知る者としてあなたには凛花くんを支える者の一人となってほしい。それが今日の本題です」

 

 

 この世界に於いて長月凛花は天涯孤独だ。凛花が一方的に知っているだけでその相手は凛花の事を一切知らないという、想像を絶するその苦しみに長月凛花は苛まれ続けられる。そんな事、普通の人間が耐えられる訳がなく、だからこそ誰かが支えてやる必要がある。君はひとりじゃないと居場所を作ってあげる事でその苦しみは幾分か和らいで行くのだ、普通ならば。凛花がその普通の中に収まるのかはこれから次第であろう。

 

 

 「凛花くんは戦場で全てを失い、身も心もボロボロになってしまった。それをケアする為には同じく戦場に出向く必要のある我らでは幾分か力不足だ、血の流れる場所を彼女の当たり前としてはならない」

 

 

 居場所はいくらあっても良くて、その居場所を作る場所は日常の中にこそ必要。二課には凛花が心を許せる人物もいるが、二課に居場所を作ったと言ってもそれは凛花の身の安全を守るためと言う側面がどうしても強い。戦いの渦中に身を置く事は今の長月凛花には好ましく無い為、弦十郎はおばちゃんに理解を求めた。

 

 

 「恐らくあなたは凛花くんがこの世界に来てから初めて強く関わりを持ち、尚且つ彼女が心を許している数少ない人物だ。だからこそあなたにはお願いしたい。よろしく頼めないだろうか……?」

 

 

 調理の手を止めていたのはほんの少しの時間だけで、それからは再開していたおばちゃんは出来上がったお好み焼きを弦十郎の前に差し出す。それまでの悩ましげな表情から一転して、ふっと微笑みを浮かべる。

 

 

 「もちろん、あの子の為になら引き受けさせていただきます。これでも放って置けない性分でね、困った時にはお互いさまですから」

 

 「そうですか……よろしくお願いします」

 

 

 それにつられて弦十郎も表情を崩し、頭を下げた。何事かと、櫻井了子がカウンター席の方を向いたが視線に気づいた弦十郎は首を横に振り、何もないぞと言外に言った。クエスチョンマークを頭に浮かべるが目の前のお好み焼きを食べることを再開すると気にもし無くなった。どこまでもマイペースである。

 

 

 「さて、俺も凛花くんオススメのお好み焼きを頂くとしようか」

 

 「どうぞ召し上がってください、ごゆっくりと」

 

 

 戦場に居場所が多い彼らにひと時の休息が訪れていた。忘れかけしまう日常とはこういうものかと強く思いを噛み締めながら弦十郎はその一口目を深く味わって食べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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