戦姫絶唱シンフォギア ~Gungnir Girl's Origin~ 作:Myurefial0913
先日も訪れた二課の訓練室に凛花と奏、翼、そして弦十郎たちの姿があった。この状況を楽しみつつも凛花の怪我が悪化しては困るという事で櫻井了子も来ていたが、興味本位でついて来た藤尭朔也と友里あおいに加え最近見かけなかった緒川慎次がいつの間にか現れていた。
場には奏と凛花が程良い距離を置いて立っていて、奏の背後に翼が、審判の役割を請け負った弦十郎が二人の中間に位置している。尚、この4名以外は別室にてモニタリングしている。
「本当に良いんだな?凛花さん」
「……覆すつもりはないから」
半袖短パンの軽装になった奏は準備運動をしながら凛花にそう言った。対する凛花は未だ杖を突いているが格好自体は動きやすそうなジャージ姿になっている。奏と同じく半袖短パン。側から見たら学校の体育の時間に怪我をして見学している女生徒にも見えなくもない。
「奏にも不服は無いんだな?これに負ければ実質的にお前の夢が絶たれる事になるんだぞ」
「今更何も言わねえよ。あたしが言い出しっぺだからな!これで負けりゃあたしはそれまでの奴だったってことさ」
奏が随分と強気に出てくるのは自分が絶対に勝つという自信によって根拠付けられているからか。ただ粋がっている訳ではないようだ。
「凛花くんも戦闘続行が出来なくなったと判断されたら即負けとする。それだけはちゃんと指示に従え」
「……了解です」
「……はぁ、ったく……」
今度は素直に受け止めた凛花に弦十郎はポリポリ赤頭を掻く。珍しく反抗的になったと思いきやピタリと従順になる一面もある凛花の扱いに思い悩む。どうしてこうなったのかと独り密かに頭を抱えていた弦十郎であった。
「そろそろ始めようぜ!凛花さん」
「……そうだね」
すると凛花は手に持っていた杖を手放して背後の床へと放り投げた。
「えっ!何してるんだよ!?」
「……杖突いて戦うだなんて邪魔でしかないでしょ?武器にもなっちゃうし奏さんが言ったフェア戦いじゃない。それに、このくらいの怪我で戦う事はしょっちゅうあったから……問題無いよ」
「は、はぁ……」
確かに凛花は今まで大怪我じゃ済まされないような中でも戦ってきた経験がある。それこそ生命維持すら危うい死にかけの状況の中で出撃したこともあるし、喰い千切られた腕の一本や二本、その場で修復し乗り越えて来た。
XDモード以外で絶唱を使ったときは『痛い』の一言で済ませられるものではないし、かなり硬く強靭なカーボンロッドで喉の辺りをグリグリ抉られた、なんてこともあった。そりゃあ他にもたくさん……。
とんでもなく非常識な体験に裏打ちされた事で多少の無理無茶無謀はなんのこれしき。リハビリが済んでなくても、どうにかして動かせば少しは戦えるはずと思っている。
あの時の燃え尽きる程に灼かれる痛みに比べれば、肉体的には何もかもが生温い。精神攻撃の方がよっぽどツラくて堪える。
「凛花さんがそう言うなら、まあいっか。弦十郎のおっさん、しっかり審判頼むぜ!」
試合が始まる。奏の一言で場を支配していた空気が切り詰めるように鋭利なものになった。凛花も闘争本能に火がついて思わす身構える。
「頼むから無茶だけはやめてくれよ?……よし、始めろッ!!」
「先手必勝ッ!初撃は貰う!!」
「……はぁーっ……」
凛花は小さく呼吸を整えて戦意を新たにする。
試合開始の合図で動き始めたのはやはり天羽奏からだった。駆け出したその勢いを乗せた右手のパンチは真っ直ぐ凛花の顔へと向けられている。試合開始後から一歩も動いていない凛花もただボケっとしてる訳もなく、無難に腕で攻撃を凌いだ。
攻撃後一瞬だけある硬直を狙って凛花は自分の右拳をお返しとばかりに殴り返す。
「……よっと、危ない危ない」
しかし安易な攻撃は見透かされていたようで軽々とバックステップで躱されてしまった。飄々とした動きに余裕を感じさせる奏、このまま出方を待ってても仕方ないので凛花は走り出して距離を詰める。
怪我人の筈の凛花は問題無く走れていた。
「うへぇ、やっぱり動けるんかよ!」
「……ふッ!」
凛花の拳撃ラッシュが繰り出される。動きにぎこちなさが見えず怪我人とは思えないくらいに俊敏な動きに奏は完全に後手に回ってしまった。隙を見て攻撃仕返しているが格闘戦に長のある凛花には一歩届かず仕舞い。奏は其の場凌ぎの防御に徹するしかなく、歯をくいしばり必死な顔つきになっている。
相対する凛花は声を出しているが人形のように表情が固まったまま殴り掛かっている。
「動けてる……な」
「司令、彼女が病人というのは嘘じゃないんですか?」
「俺もあまり信じたくはないさ……」
試合が始まってから邪魔になってはいけないとして翼は弦十郎の隣に移っていた。
あんぐり、とはまさにこのこと。何度度肝を抜かれて来てもまだまだ抜かれてしまう弦十郎は、凛花の常軌を逸した行動に開いた口が塞がらない。
時折、技の繋ぎに跳び膝蹴りや回し蹴りまで飛んでくるあたり、凛花の方も大した怪我では無いのかもしれないと錯覚させる程だ。これでは奏が翼と組手してる時と左程も変わらない運動量、しかし、それでいて普段の生活では動きには障害が出ていたので、一体どうなっているんだと弦十郎は混乱している。
軽い跳躍の後、凛花は重力に従って踵から脚を振り下ろす。
「ッ!!……くっそ!あたしだってなぁッ!!オラぁあああアア!!」
凛花の踵落としを上段で防いだ奏が雄叫びを上げた。
ついに攻守が逆転する。否、攻め手と受け手の入れ替わりが激しくなった。どちらか一方が攻め続ける訳でもなくどちらか一方が守りに出る訳でもない、拮抗しあった戦いがそこで繰り広げられていた。
グーパンチだけでは何だか物足りないなと思った凛花は、奏の顎を突き上げるように掌底を放つ。技の趣きを少し変えてきた事に少し動揺しつつも、殺気の矛先が顔周辺に向かっていた事を薄々感じ取っていた奏は無難にその手をいなしてお留守になっていた足首を刈った。
しかし、それは易々とジャンプして回避された。現在弱点になっている足を凛花が意識しない訳がない。ジャンプしたついでに凛花は一つ蹴りをいれるが奏が屈んでしまったのでこれも当たらない。
凛花の容赦無い攻めと奏の不屈の精神が均衡した戦いっぷりはいつまでも続くと思われた。
「ここだッ!!」
しかし、均衡とは何かの拍子にいとも容易く崩れ去るもの。凛花の何度目かの右ストレートに合わせて腰を落としながら腕をクロスした奏は凛花の攻撃をパリィした。その結果、前傾姿勢だった凛花は重心を崩されて隙を見せてしまう。ついに奏に攻めるチャンスが訪れた。
「……っ!?」
「もらったッ!!」
「おおっ!」
「奏っ!!」
決定的に見えた隙を逃さないように奏は拳に力を込める。お腹や顔にでも一発決まれば大きなダメージは免れない。思わず観客たちも感嘆する程に今は奏の見せ場であった。これで試合が決まる、誰もがそう思った。が、しかし……
「……せいっ」
「へっ?……うわぁ!?」
攻撃が決まると完全に油断しきっていた奏は背中から倒れ込んで行く凛花に腕と襟を掴まれ、勢いそのまま投げられた、と言うよりも引っ張られた。重力に従って奏の顔は訓練室の硬い床へと導かれていく。
凛花も凛花で受け身を考慮してない技だったので踏ん張りがあまり効かず、ついでに滴り落ちた汗でツルッと足が滑り床に激突。痛みを伴う捨て身の技だった。
「~~~!!!いっててて……あの状況から投げに入るのかよ~!」
「……うぅ、痛い……」
凛花は耳と側頭部を、奏は鼻と顎を勢い良く床に打ち付けて悶絶する。さっきまでのいい試合の雰囲気が台無しになった。蹲って動けない当事者二人以外の全員がポカンとしている。
(攻撃が決まらない……奏さん、なかなかに手強いなぁ……あんまり使いたくなかったけれど、やるしかないかな。けど、今の私に使えるかどうか……)
しかし、いつまでも惚けてられない。フラフラと立ち上がった二人の戦いは仕切り直しとなった。
仕切り直しと共に凛花は奏と距離をとり、少しの間目を閉じて腰を低くし正拳突きの構えをとった。刹那の時だけ精神統一に入る。
「「ハッ!?」」
ゾクッと気味の悪い何かが
「(雷を握り潰すように……)……はあッ!!」
「なっ、何だッ!?」
奏は本気の眼をした凛花の幻影が猛スピードで自分に近づいてくるのを見た。普段なら絶対に見せないであろう、ほんの一瞬だけ見えてしまった凛花のとても真に迫っていた顔に少しだけ恐怖を覚えたあまり、何が起きたのかが理解出来ない。
「……ぐほぁっ!!」
気がついたらその幻影に鳩尾を殴りつけられて吹き飛ばされていた。実体がないはずの幻影に、だ。
しかし、腹に捻じ込まれた拳の痛みは本物で、吹き飛ばされて打ち付けられた背中の痛みも本物だった。
「何ッ!?あっ、あれは!!」
「どうして縮地なんてもんが使えるんだ?凛花くんは……」
「縮地……だとっ!?……くっ」
「……ふぅーっ……」
右拳を突き出し、左拳を腰に当てた立ち姿のまま凛花は小さく息を吐く。鬼気迫る表情は本当に少しだけしか見えず、今は普段の無表情に戻っている。
決して幻影なんかじゃない。迫って来た凛花は本物であった。
お腹を抱えながらも意識を保つ奏は、弦十郎の言葉によって目の前の女性が規格外であることを理解させられた。普通の生活をしてる生身の人間に出来る芸当ではない縮地。相手との間合いを一気に詰める武術で使いこなせれば戦いに於いて有利に働くが、習得には相当の努力を積み重ねた達人たちでも難しい筈だ。
「(くっ!まだ行ける、はず!)……はッ!!」
「わっ!!危ねっ!!」
たった一回だけでこの痛みよう、無駄撃ちは出来ないみたいだと凛花は感じた。
しかし凛花の渾身の一撃を受けても奏は起き上がった。まだ勝負がついていないと悟った凛花は再び縮地を使い距離を一気に詰める。奏にとっては一瞬ですぐ側まで来てるように思えただろう。最早視認してからでは遅く、本能で危機回避に専念してると言っていい。
「シンフォギア使用時ならまだしも、生身じゃ私でも出来ないのに……」
普段の大人しい凛花の様子からは考えられもしない動きよう。凛花の強さをはっきりと目の当たりにし、素直に自分よりも強いと感じてしまった翼は無性に悔しくなった。
「……あー、生身で出来るようになりたいとは思わない方が良いぞ?翼」
「どうしてです?司令」
「補強も無く未熟な肉体のままやれば長く身体が保たないし縮地自体がそう上手くいかない。だが、俺のように鍛え上げてから本気でやるとな……その、周囲に影響が出てしまうんだ」
この前もついやらかしたしな……と弦十郎は自分で言っておきながら恥ずかしがっていた。翼の知らないところでちょっとだけ本気になった弦十郎は、凛花救出の為に道路にボコボコ穴を開けて高速移動(亜音速移動?)を繰り返したという事案を抱えている。周囲に与えたとするその影響は目に見えて明らかだ。最早縮地とは違う他のナニカにも思えなくないが、弦十郎が縮地と言えば縮地なのだろう。
「俺はもう慣れたからいいが、いい塩梅に使いこなすにはそれ相応に大変だぞ?周りをぶっ壊さずに縮地やら大跳躍を活用しようとすれば厳しい修練に耐えなければならないんだ……無駄なエネルギー消費を省く為にもな。っと、言ってるそばから影響が出ちまったな」
弦十郎をして大変だと言わしめるので翼は生身ではなく、シンフォギアを纏った状態で上手く使おうと思った。補助無しで出来るようになったら儲けものとしておこう。
そして、弦十郎の言った影響とは今の凛花がまさに表していると過言ではなかった。
「……痛ッ!?」
3回目の縮地を繰り出したところで足が限界を迎えてしまった。元々怪我の治ってない状態で最初から騙し騙し走り回っていたのに、縮地という足を酷使する技術を使えば数分すら保たない事は分かっていた事だった。
奏と拳を交えている真っ最中に起きた激痛で攻撃の手が緩んでしまう。出来た大きな隙に勝機を見た奏が一気に畳み掛け、凛花の体勢がまたしても大きく崩れてしまう。正面全てがガラ空きになってしまった。
「今度こそもらったッ!!」
奏はさっき外してしまったストレートパンチを当てにいく。けれど奏の勝利宣言を受けても凛花はまだ諦めてなかった。凛花は敢えてバク転の体勢を取りカウンターを狙う。そのまま擬似サマーソルトの要領で相手を迎撃しようという戦法だ。
しかし、今回は奏の方が上手だった。
「予想通り!そう来るとおもったぜ!」
攻撃をキャンセルする事を前提にして回避に努めることで、奏は凛花の縦回転の蹴りを危なげなく避けた。
だが攻撃しようとして攻撃を出したらもう止められない。次の奏の攻撃の手は、右脚で水平に薙ぐような横蹴りだった。それがいけなかった。
(あれっ……?やばっ!!)
凛花のボディを狙ったその蹴りは、凛花が着地して立ち上がってくるだろうというところを狙ったのだが、予想外に凛花は屈んだままだった所為で凛花の顔に直撃するルートを辿ってしまう。足の痛みで意識を持っていかれてしまって全くそれを認識していない凛花が着地後即座に避けるような時間も無い。
「……ハッ!?」
凛花はハッと気付いた時には何もかもが遅く、顎の左側に寸分違わずガツンと見事にクリーンヒット。人間の身体からは鳴ってはならない鈍い音に空気が一瞬にして凍りつく。脳を強く揺さぶられた凛花は苦悶の声をあげる事さえなく頭から地面に激突し、そのまま倒れ込んでしまった。
ボクシングで言えば一発K.O.判定、この試合の勝敗は奏の勝ちとなった。だがしかし、そんな事は誰の意識にも埒外にある。誰もが硬直した世界で唯一、凛花の眼鏡がカランカランと寂しく転がり落ちる音だけが響いていた。
「なッ……!?凛花くんッ!!」
「凛花さんッ!?」
模擬戦は模擬戦であって本当の殺し合いではない。だから、トドメを刺す真似はしなかった。試合などどうでもいいかのように急いで駆け寄る奏や弦十郎たちの顔色はかなり血の気が引いている。
凛花に話しかけるも応答は無く気絶してしまっていた。幸いにも痙攣は起こしていない。
「了子君!!早くしろ!!」
「分かってるわよ!!こんなのもしっかり想定済み!!さあ、早く!!」
普通の気絶であれば数分もしない内に意識を取り戻すのだが、怖いのは目を覚まさなかった時だ。気絶は脳に障害が出やすいのでいずれにしても精密検査は必須。ブルブルと痙攣なんて起こった日にはとんでもない。櫻井了子が医療班と共に凛花を担架に乗せて慎重にかつ迅速に運びだした。
「俺たちもいくぞ、奏、翼」
「はい、司令」
「……あ、あぁ」
奏は己の覚悟と未来を賭けた戦いに勝利したにも関わらず、どうにも素直に喜べなかった奏の気持ちはいつまでもスッキリしなかった。
◯
目覚ましもセットしてないのにパッチリ目が覚めた。目覚ましの喧しいアラーム音に睡眠を邪魔される事なく、熟睡しきって自然に起きれればなんと気持ちの良いことか。過去の世界に来てから寝起きの気分はいつも最悪なのでそんな事は久しく無いんだけどね。
最近は目覚ましをかける必要もない程に堕落した生活で殆ど毎日熟睡してから目が覚めるけど、正午近くに起きてしまうのが難点だなぁ、と少し反省してたりする。
しかし、視界に入ってきたそこはいつもの部屋のものではなく、見覚えある二課の病室の天井。ここは二課の病室でも凛花が一番多く使っていた場所であり、いつぞやの絶唱の後に運び込まれたのもここ。辺りを見渡せば結構私物が多くて実質的に凛花の自室と化していた。
ただ私物と言っても衣服だったり生活に必要な物だけであって、趣味になるようなものは何もない。
昔の私は割と活動的で、好奇心旺盛だった時の習慣が残っているのもあってかいい加減何かをしないと精神が擦り切れそう。じっとしていられないこういう性格も何だか不便だ。
窓から見えるのは冴え渡るような気持ちの良い晴天ではなく、穏やかに広がる暗黒。お天道様は凛花と入れ替わるように眠りに就いたらしい。月明かりもなく部屋には電気も点いていない結構な真っ暗闇。
いつもと違う時間に寝付いてしまったのかな……?それとも昼寝が長すぎた……?しかし、凛花は寝付く前は何時に寝たのかを覚えておらず、それに病室に入れられるような事に心当たりがない。
おまけに口には呼吸器がつけられていた。はて……?
頭が上手く働かない所為で状況を飲み込めない。自分は一体どうしたというのか……?呼吸器をつけるほどの事態に身に覚えがない凛花は唯々頭を回して理由を探り始めた。最近こういう目の覚め方が多いのは気のせいじゃないのかな?私はどうも怪我の多い人生を送っているみたい……以前と何にも変わらないので、ただの平常運転でした。
呼吸器を外して身体を起こす。痛みは無い。
「……痛ッ」
いや、嘘を言った。顎の辺りに何が貼ってあるのを意識したらそこにピリッと痛みを感じた。
それ以外は特に痛くなかった。コレは本当のコト。
かけられていたタオルケットは少し暑くなっていたので横に捌け、点滴スタンドを支えにスリッパを履いて立ち上がろうとした。
けれど、凛花の身体にはいくつかの機器がつけられていて、これを外せばピーピーうるさくなっちゃうなとギリギリで思い当たり、素直に寝台に寝そべり直す。煩くなるのは寝起きの頭には冗談ならないので。
タオルケットは暑いからかけない。
もう世間ではお彼岸、じゃなくてお盆休みでしたか?そんな感じが全くしないのは季節感にも乏しくなっている所為なのかもしれない。暑い夏は暑い夏でしか無いし。
それにしても、どうしてまたここに寝ていたんだろう……?
痛みの走る顎を撫りながらその疑問を思い浮かべたと同じタイミングで病室の電子ドアが開き、誰かが中に入ってくる。その人がスイッチを入れたことで室内に光が灯った。
「……了子さん」
「はぁい、凛花ちゃん。おはよう、かしら?」
時刻は夜です。
「目が覚めてからの気分はどう?」
いつも通り白衣を着用し学者然とした櫻井了子だが、今はお風呂上がりだったらしく長い茶髪の毛をセットせずに背中に流したままだった。トレードマークの大きめな赤縁のハーフフレームメガネをかけているが普段の明るく快活な櫻井了子の片鱗は見えず、ひどく落ち着いている出で立ちだった。
「……そこまで悪くはないです」
「そう、てっきり奏ちゃんにガングニールを奪われて悔しがっているかと思っていたけれど。案外そうでもなさそうね」
「……そう、ですか?」
凛花の顔は感情を読み取れない無機質なものであったが、無表情になってからの付き合いが弦十郎と同じくらい長い櫻井了子には同じ無表情でもいつもと違う風に感じ取っていた。
首を傾げた凛花が手鏡を見ても違いが分からないのにどうして分かるのか。
「あ、そう言えばこれ、凛花ちゃんの眼鏡よ」
「……どうも」
そういえばこの部屋の中に見当たらなかった自分の眼鏡を櫻井了子から受け取り手に持つ。掛けはしない。
「……まだ呼んでもないのにどうして起きたと分かったんですか?」
諸々の事情で普通の医者には治療出来なくなっている凛花の担当者は専ら櫻井了子。そんな櫻井了子からの指示で、病室で目が覚めた時には始めに自分へと連絡を繋げるよう、念を押されている。だがしかし凛花はまだ櫻井了子向けのナースコールの一つも押していない。
「忘れたの?あなたが置かれている状況を。完全聖遺物やシンフォギアを持っているあなたは一線級の最重要機密保持者として常に監視されており、その監督権は私が担っている。だから意識が戻ったのをすぐ確認出来たってワケ。あなたが行動を起こすその前にね。
私は日本政府にはあなたの行動に対する報告の義務を負っているのよ。同様に弦十郎くんもあなたの身の安全保障の義務がある」
監視、か。まるでされている気分じゃなかったのは二人が上手く隠してやっていたからなんだね。
「……そういえば、何で私はここに居たんですか?」
「なーんだ、それも分かってなかったのね。天羽奏との模擬戦をさせるよう、強引に弦十郎くんを説得して押し進めた事も忘れたの?」
「……」
「記憶に混濁が見られるかしら、少々経過を見る必要はあるとして……まあそんな事よりも、勝算も無しに戦いに挑んで無様に負けた長月凛花ちゃんに私からお願いがあるの。……あまり勝手な行動は慎んでもらえる?」
ここにいる櫻井了子はいつもの櫻井了子らしさが感じられなかった。人の目があるところで凛花に対しこのような辛辣な事を吐き捨てる訳が無く冷たい視線を浴びせることもない。
つまり目の前の櫻井了子は、櫻井了子のもう一つの顔である"フィーネ"の冷徹さを表に見せていた。凛花は櫻井了子としてではなくフィーネである事を念頭に置いて話を聞くことにする。
瞳の色が紫で髪の毛が茶髪のままのフィーネは話を続ける。
「……勝手な、行動……ですか?」
「ええ、アナタがしでかしたこの一騒ぎは私の計画遂行には邪魔でしかない。天羽奏には適合実験を繰り返してもらわねば困るの」
フィーネは凛花を寝そべらせ、メディカルチェックを進めつつも話を続ける。混乱する頭の中がようやく整理されて状況が掴めてきた凛花は、自分が起こした一連の騒動を思い出した。
……ガングニールを奪われた、ってそう言うことか。
「天羽奏の実験はやがて成功し、ガングニールのシンフォギアに適合することが叶う。また私が開発した適合係数を上昇させる薬であるLiNKERもF.I.S.のDr.ウェルの方で改良が進められて害の少ないLiNKERが量産できていたと、前にアナタは言っていたわね?」
「……そんなに詳しく言いましたっけ?」
凛花が『フィーネ』と会話した事は何も今回が初めてではない。長月凛花という名前を授かったあの日にも実は隠れて対面している。
「もう何だっていいわ。とにかく私の研究を進めるためにはそれら実験の成果が不可欠。特にシンフォギアや聖遺物のデータがね。計画遂行の為に適合者を増やす事は私にとっての急務、それはアナタの情報が有ろうと無かろうとやらなきゃいけない事であった。
しかし彼らはまだ私のLiNKERの改良にそこまで乗り気ではなくてね、今行わせてるのはそこまで大規模なものでもないの。半信半疑なF.I.S.に興味を持たせるにはやはり天羽奏の結果を示し出す必要がある」
聖遺物の研究は全世界で秘密裏に取り掛かられていることは裏社会の事情通であればすぐにでも知り得ること。ただ、そんな中大革命を起こしたとされるシンフォギアやLiNKERの情報が出回っているのは日本政府と米国政府の上層部、そしてF.I.S.のみ。後者はフィーネによる情報漏洩でシンフォギアに関する研究が加速していると言っていい。
いくらフィーネが聖遺物の知識に抜きん出ているといえども一人だけではどうしても限界が生じるが、生産性の無さそうな研究をフィーネに押し付けられて続けたい輩など何処にも居ない。フィーネ自身も目的のため、どうせなら手間と無駄を省きたい。
穴を掘るなら温泉が湧き出すところを。採掘するなら金脈のあるところを。研究するならばより自分らに有益なものを開発したいのは当然だ。効率性と利益を重視するそんな奴らに協力を得るには奴らに対して強い興味を惹かせなければならない。
F.I.S.に示すべきこと、それはLiNKERを使うことによってシンフォギア装者を作り出せるという事実、それだけだ。
「正直、あの勝負はアナタに負けてもらって良かったわ」
「……えっ?」
「素の適合係数がバカ高いアナタが勝ってしまってはLiNKERの良さを奴らに分かってもらえないじゃない。
……まあ、天羽奏がくだらないお遊びに負けたところで私の権限で天羽奏に続行してもらうつもりだったけど、その面倒な手間が省けたから良しとしましょう」
「……奏さんを道具扱いしないで下さい」
「あら、どの口がそれを言うのかしら。天羽奏の意思決定に割って出て彼女の妨害をしたのは一体誰だったかしらねぇ。私とアナタ、どっちが彼女にとって酷い事してるのかしら?」
「……」
「私はあの子の夢を叶える為の手助けしかしてない。今の彼女に必要なのは私の手立てであって、あなたじゃない。本人にその意識が無かろうとも、天羽奏は私を利用して適合を試みようとし、私はそのデータを丁重に頂く。利害が一致したそこに何も不都合は生じない」
「……」
フィーネの言う通り、奏は直接言わなかったが凛花はシンフォギアを欲する奏にとっての邪魔者である。それを凛花は自分でも理解していたからフィーネの物言いに反論はしなかった。
天羽奏と櫻井了子の関係は互いに利益を生み出すもので、お互い文句も無く契約が成立している。たとえ櫻井了子の胸の内にある天羽奏の扱い方が酷くても、それが表へ暴かれなければ問題は問題にならないのだ。
「それに、前にアナタ、私の力を借りたいと自分で言ったのにその私の邪魔をするなんて良い度胸ね」
「……ッ!」
「私、とても忙しいのよ。お友達を助けたいのであれば何をどうするのが正しい事なのか、よく考えることだわ」
同時並行して進められていた凛花のメディカルチェックが、フィーネの話と同時に終了した。
脳にダメージは無く後遺症も無し。顎の外傷を除けば凛花の身体は健康体そのもの。絶唱にすら耐えた凛花の打たれ強さは生身であっても伊達ではなかったようだ。
「幸いにもそのお友達と私の探していた人物が偶然に一致していたのは驚きだったけれど。ねぇ、代用品さん?あなたは私の役に立ってくれるのかしら……?」
凛花の生体データを取り揃えたフィーネは用済みとばかりにその場を立ち去る。
「……はぁっ……ぁ…………っ……」
櫻井了子が居なくなってから数分経っても、まだ溜め息しか出なかった。その溜め息が何度目かと数えるのも辞める。
やりたい事が見えてきたにも関わらず、それを達成する為の過程や準備の段階で躓くだなんて先が思いやられる。このままではまた過ちが繰り返されてしまう。
やり直しが効くか分からないが、まだ何も始まってないのも事実。取り返しが付かなくなる前にどうにかして交渉を進めて行くしかないようだが、失敗しかして来なかった私に出来る事なのか……。
やっぱり、多くを求めると失敗するのかな……。私はいつだってそうだ……そんなんだから私は……。
……………。
……………。
……………。
……………。
「――おいって、凛花さん、大丈夫か?」
「……っ!?」
急に肩を揺さぶられて凛花はビクついた。
何事?と顔を上げるとさっきの話題の中心たる天羽奏が凛花の顔を覗き込んでいた。いつの間にか部屋の中に入って来たようだ。気がつかなかった。
「声かけても反応しないし、入ってきたのにも気づかねえ。オマケに背中丸めて俯いたまま身じろぎ一つ、まばたき一つしないんだから心配しちまった」
息も止めてそうで怖かったぞ、と続けて。
「……ごめんなさい」
「んあ、いいって。それより、良かったよ、目が覚めてさ」
奏はどこかホッとした表情をしていて、いつもより少し元気が無さそうだった。奏は隣にあったお見舞いに来た人用の椅子に座る。隣に来たというのに凛花と目を合わせず顔を下に向けた。
「その……悪かったな、凛花さん。あんな一撃かましちまって」
「……一撃?」
「覚えてないのも無理ねぇよな……ほら、あたしが凛花さんの顔にガッツリバッチリ蹴りをブチ当てちゃったんだよ。それで凛花さんは気絶してたんだ……」
「……」
顔を思いっきり蹴られた。そして顎にはガーゼの絆創膏。櫻井了子の言った凛花の負けの意味。そう言われて今更敗因に気付く凛花。
凛花は奏とシンフォギアを巡った戦いをした。それはさっき思い出せたんだけどどうやって負けたのかを今ようやく思い出した。
気絶する寸前、奏があの時凛花の身体目掛けて一蹴しようと薙ぎ払ってきたのを見た。凛花自身も足の痛みに気を取られて隙を見せてしまって焦った結果、回避行動が間に合わなくなってしまったのだから仕方ない。
元々は縮地なんていう荒技を使って酷使した所為だ。追い詰められたのも原因が実にハッキリしている。凛花の負けは縮地を使って勝負を決められなかったあの時点で実質的に決まってたも同然の事。自業自得。
「……今は大丈夫だから、気にしないで」
「そっか……」
その一言で許されたように奏は力無く微笑んだ。
「……私の、負け、なんだよね」
「……」
奏にしては珍しく反応を返さないまま黙りこくる。きっと喜んで良いのか悪いのか分からないギクシャクした葛藤を抱えているんだろうか。
凛花がこの勝負に負けた事により、比較的穏便な方法によるガングニールの取得が不可能になった。これ以上は弦十郎と櫻井了子を無理矢理説得して手に入れることも難しいだろう。特に櫻井了子には門前払いであの調子ではきっと許してくれない。
強引なやり方は幾らでもあるけどそれをするのは本当に最後まで追い詰められたときに限っておこう。
出来ればここで押さえておきたかった凛花としては予定が狂ってしまったが修正はまだ可能な範囲。可能な範囲だけれど、今度からは絶対に失敗出来ない。
「悪かった、凛花さん」
「……何で、奏さんが謝るの?」
「いや、その……何ていうかだな、ええっと……」
奏は凛花に何かを謝ったが、まだ自分の気持ちに整理がついていないらしく、その何かが上手く言葉となって出てこない。凛花は奏が何に対して謝ったのか分からなかったが、言いたいことは凛花にも何となく推察できた。
「……奏さんは勝負に勝った。わたしも奏さんもあの時に出せた本気で戦って、奏さんが勝負に勝った」
「あぁ」
「……けれどそんな奏さんに訊きたい」
「……何を?」
「――どうしてその夢を追いかけるの?」
その質問は前と同じ。凛花にとっても奏にとっても何度も繰り返されてきた質問だ。何故同じ質問を繰り返すのか。決闘の前にも訊かれた質問を再度繰り返すという事はシンフォギアを手に入れたい目的を聞きたいからではないからだろう。そう、奏は受け取った。
その夢でなければならない理由を奏は話し始める。
「……適合出来るかも分からないシンフォギアに縋るのは、家族からもらったあたしの最後の夢なんだ」
「……最後、の?」
「適合出来るとも限らない低い可能性にあたしはあたしの全てを賭けたんだ。あたしの家族の無念を、そして何より無様に生き残ってしまったあたしの激情を晴らすにはもうそれしか無いんだ……!」
ノイズに殺された両親と妹。この世に居なくなってしまった家族と奏の繋がりを唯一保てているのは皮肉にも家族を殺したノイズを倒すという事。
ノイズの事から遠ざかれば遠ざかる程に安心で平和な世界が待っているが、ノイズの事を考え無くなってしまえば、必然的に家族の思い出や無念すらも消し去ってしまう。
そんなのは嫌だ、と奏は言った。
「もし、だ。あたしがさ、適合者になれないと完全に決まっちまった場合になったら……もう、あたしはあたしで無くなっちまう気がするんだ。夢を断たれて燃えカスになっちゃったら、あたしはもう二度と立ち直れないかも知れねぇ……」
「……ッ!!」
凛花はそこでようやく己の失態に気付く。
奏の元気の良さは自身の夢に希望を見出しているから、明るく振る舞えるのだ。死別なんていう辛く酷い事態に見舞われても尚明るくいられるのは、自分の希望が心の支えとして支え続けてくれているから、みんなにも当たり散らす事もなく優しく在れる。たった一つの心に残ったそれが崩壊した時に奏はきっと同じように笑い合えないのだろう。
全てに絶望し、夢や希望にも縋れなくなって笑えなくなった人がいるのを凛花は知っている。その人が辿っている末路がどんなに悲惨なのか、凛花は良く知っている。
夢を諦めてしまった結果がどうなっているのか、分からない訳がない。自分の持っていた夢が否定された時に一体自分はどう感じて嘆いたのかと思い返してみれば、あの苦しみを奏に味わわせてはいけないとは当然だ。
胸が張り裂けそうになるのは、私だけでいい……。
私の所為で誰かが苦しむのは見たくないから……。
私の大切なものを守るんだ……。
そう決意したのだ。それなのに、それなのにまた私は……こうやってまた関わった誰かを深く傷つけていくのか……。唇を噛み締め、拳に力が入る。
「凛花さん……?」
「……いや、何でもない。奏さん」
奏の夢を奪うということは、もう一人、自分と同じ境遇を作り出してしまうという事。無関係な人間ならまだしも、自分自身に良くしてくれている人にそうするのは、自分が許せない。
ホント、何してるんだろ……。
「あたしの夢はあたしが叶えなきゃいけない。自分には出来っこないし、代わりに誰か勝手やってくれるだろうと思い込んでアホ面してたら、あたしの一生は何も無いまま終わっちまう。家族を失って生きる意味を見つけたこの夢から目を逸らしてはいけない、だからあたしは夢を追いかけるんだ。これがあたしの答えだ。満足してくれたか?」
「……怖くないの?」
「何がだ?」
「……ううん、やっぱり……いいや」
「そっか」
喉元まで上がって来たそれを言葉にするのは出来なかった。
けれど、凛花はまだ止まれない。
心の生命と身体の生命。どっちがより大切なのか。
……考えるまでもない。考えるまでもないが、どうせ両方出来るのであれば、ね。
「……でも私は、まだ適合実験のこと、諦めてないから」
「ハ……ッ!」
「……奏さんが弱音を吐くようであればいつでも交代して上げる」
出てきた言葉は表面上を取り繕うだけ。櫻井了子を敵に回す事で被る損害や障害は今回よりもきっと大きい。だから、自分の口から出た言葉は表面上なだけ。素直に交代してくれるのならば儲け物だが、そうはならないだろうな。
私は、まだ諦められない。だから私は道を変える。
「……奏さんは、ひとりじゃないんだよ?」
私と違って。
だから諦めても大丈夫、私と奏さんは違うんだから。
どういう意味で言ったのか訳が分からず、奏は心の中で首をひねる。
「……私に謝るようなら、今すぐ代わって?」
「っ!それはっ!」
「……じゃあ、謝らないで」
少しだけ傲慢に振る舞うように見せて。
「……奏さんにとって、
脈絡も無く凛花は再度問いかける。ある程度寛容な奏も意図が読めない質問責めには流石に気に障り、だんだんとイラついてきていた。無意識にギュッと拳を固める。
「……何度も言わせんな、凛花さん。シンフォギアはノイズをぶっ殺す為だけの力だ!あたしの夢を叶える唯一の力だと、さっきもそう言った!」
「……そう。なら、その言葉を忘れないでね……?」
「う、うん……?」
奏は凛花の真意が良く分からないまま、怒りに任せて握った拳は行き場を失ってしまった。けれどそんな奏を置き去りにして凛花は言葉を紡ぐ。
「……絶対に、夢を諦めないで。何があってもその夢を忘れないで。奏さんがそうしてくれるのであれば私は一時的に負けを認める。だから、その意志を突き通す事を……それだけは、約束して」
……全く、守らなきゃいけないものが増えてしまったじゃないか。
出来れば避けたかったその道を選ばざるを得ないと、心の中で愚痴る凛花。
凛花の訴えを聞き遂げた奏の口元が、ふっ、と緩む。
「あったりめぇだ!!あんたに言われるまでもない!!あたしは諦めねぇ!!こんな所で死んでたまるものかよ!」
あはは、と朗らかに笑って奏は宣言した。剣呑な雰囲気になりかけたが、どうやら奏は気分を良くしたようだ。
――そう、それでいい。……それでいい。
「そう言えば凛花さん、もしかしたらメガネ無いほうがいいかもしれないぞ?またな!」
何故か退出際になって奏は余計な事を口走っていった。
「……」
凛花は手に持っていた静かに眼鏡をかける。
「天羽奏を見ているようで見ていなかったことに罪悪感でも感じているようであれば、私の言う事を聞いていればいい。私からアナタに救済を与えてあげるわ。さっきも言ったように勝手な事をされては堪ったものじゃないの」
カツカツとヒールが地面に打ち付けられて鳴る音と共に
この人は外に出たのではなかったのか?とか、それは救済ではなく強制の間違いじゃ?と思ったが、そんなことはもう面倒くさいから訊かなくていいや、と凛花は無駄な思考を放棄する。
「……私が奏さんの代わりに適合するのは許してくれないんですか?」
「そう言ってるのが分からないの?オツムの弱いバカな子供は嫌いよ。賢しいのも癪に触るけど」
じゃあ、何なら許されるのか。
「……そもそもLiNKERで適合できたシンフォギア装者は、正規適合者よりも生命の危険が大きいとも言いましたよね」
「けど、シンフォギア装者を増やす事はダメな事なのかしら?風鳴翼とアナタの2人だけで全世界の特異災害に対処する事なんか出来るわけ無いわ」
それもまた道理だ。反論なんか出来やしない。
フィーネの求める本当の意味でのシンフォギア装者の在り方とは違うだろうが、表向きの理由も十分に強い。
人間は
「……それで、何をさせたいんですか?」
「ふふっ、ようやく折れてくれた訳ね」
折れたつもりは無いが、話を聞かない限りはこのままでは何も言えない。
フィーネはニヤリと唇を吊り上げて悪い笑みを浮かべた後に俯き、ちょっと間を空けた後顔を上げて言った。
「簡単よ!私の助手として聖遺物の研究に携わってくれればいいのよ?ねっ?」
(……うぇっ!?!?)
フィーネのダークで冷たいオーラが櫻井了子のアットホームな雰囲気に突然切り替わった。急な口調の変化のギャップに凛花の頭が錯乱状態になる。しかしほんのちょっと背筋が伸び、少し目を見開いたぐらいで明からさまに驚くような顔はしなかったのに、櫻井了子にはその反応が見事に伝わってしまっていた。
悪趣味にも櫻井了子は凛花の反応を愉しみ、クツクツとほくそ笑んでいる。切り替わるスイッチは一体何なんだろう。寒暖の差が激しすぎて体調を崩しそうだ……心臓に悪い。
「……はぁぁーっ」
「不意打ち成功ー!うふふ、驚かせてしまったようね!」
凛花はいつもより深く溜め息を吐く。
……この人は一体何がしたいのか。私は
「凛花ちゃんが私の手を借りたいと思うように、私もアナタの手を借りたいと思うのよ。こっちも色々してあげるから奏ちゃんの事は諦めてアナタも協力なさい?それしか奏ちゃんを守る方法が無いわけじゃ無いんでしょ?」
「……はぁ」
溜め息しか出ない凛花なんか私は知らぬ存ぜぬと、スルーした櫻井了子は勝手に話を進める。
……もういいや、いつもの事だし……。
「凛花ちゃんに協力して貰いたいのは奏ちゃんが使っているLiNKERの使用。正規適合者がLiNKERを使ってシンフォギアを使った場合にどの程度数値が上がってくのかを調べたくってね?それを候補者の実験に次々と還元していきたいのよ」
天羽奏がいつまでも適合出来ない理由の一つとして聖遺物との相性、および適合係数の不足以外に考えられるのはLiNKERの性能が不十分であると言う事。適合係数の上昇率が正しいものでないとするならば、LiNKERの投与はただ身体を壊しているだけである。天羽奏以外に起因する適合上の障害は出来る限り排除しなければならない。
フィーネの体裁を守り抜く為には適合できるまでに天羽奏に死なれては困るのだ。
しかし、櫻井了子自身もLiNKERの調整を進めているが奏の指標だけでは物足りない。またF.I.S.の連中にはそこまで押し付けられない為に、結果が出るまでは自力で何とかしなければならないのも課題となっている。シンフォギアを扱える適合係数を元にして投与後の上昇値を調べれば、LiNKERが与える適合係数への影響を確かめられるだろうと櫻井了子は言う。
櫻井了子は凛花に近寄ってベッドに座り凛花の肩を横から抱いた。何やらニヤついているように見えるのは気のせいだと信じたい。男を落としにかかるような色っぽい声つきで櫻井了子は凛花に語りかける。
「モチロン、LiNKERは改善もままならないままの劇薬で負担は大きいからバックアップは完全保証しましょう。二課としても日本政府としても、それに弦十郎くんや私個人としても凛花ちゃんに死なれては困っちゃうからね?アナタは自分が思ってるよりも大切な人なの。LiNKERの依存性には絶対に罹らせないわ。
そ・こ・で!凛花ちゃんに負担を強いるその代わりと言っちゃあなんだけど、私の方からもプレゼントしちゃったりするからっ!」
「……うっ……何をですか?」
凛花は櫻井了子のウィンクから目を逸らした。
凛花自身が
それはこれからの凛花にとって、とても重大な影響を与えるものであった。
「凛花ちゃん、櫻井理論の真髄を知りたくはない?」
耳を疑うような誘惑に恐る恐る凛花が振り向いて見れば、櫻井了子はニコニコして微笑んでいた。