黒色の空間、感じるだけで本当は色などないのかもしれない。暴虐の少女、林原愛は異空間に居た。そこは本当の異次元空間なのか、はたまた少女の心の中の幻影なのか......
少女はただ立ち尽くす。自分という感覚すら薄れている、自分と世界との境界が曖昧だ。愛はこのセカイを漂う小鳥のようだった。しかし声が聞こえる、自分を責めるかのような声だ。 愛は自らの手で耳を塞ぐ。しかし愛の心に直接届く。
何人の人間を傷付けた?
「違う ......」
君は何人傷付けた? 何人の人格を踏みにじった?
林原愛は答える。
「私は、私は何もしてない...... ただ邪魔だっただけだ! あいつらが悪いんだ! 」
君はどこまで自己正当化する?
「違う! 奴らが...... あいつらが私を貶めようと...... 辱しめようとしてるんだ! 」
それは真実? それは事実?
「そ、そうさ! たとえばあのシュウナンヒトモドキ共は私達の国を滅茶苦茶にしようしてる! 私達の利益を損害してる! 奴らのせいで私達カリス共和国の人間が苦しんでいる! 奴らは悪人の集まりだ! これは真実、事実だ! 」
君は全てのシュウナン難民を見たのか? シュウナン難民達の心の中を見たのか?
「き、詭弁だ! 奴らは、ヒトモドキ共は皆、同じだ! 奴らは企んでいるんだよ! 私達を貶めるために集団で動いているんだ! 奴らの心の中も同じだ! 奴らは皆、同じだ! 」
そうやってある特定の集団を無理矢理同一化して、排除しようとする。ありもしない事実を作り上げる。そして真実から目を背ける。その方が楽だから。その方が辛くないから。
「違う! 逃げてない ...... 楽じゃない! 私は戦ってたんだ、奴らと! この国を滅茶苦茶にするヒトモドキと! これが真実だ!真実なんだよ! 」
そうやって虚構を作り上げて、空虚な戦いを繰り広げる。相手が自分と同じ人間であることを忘れて、いや意図的にその事実をないことにして何時までも傷付ける材料に、君が逃げる言い訳にしてる。ありのままの難民を見ずにただ形に嵌めて非難しているだけだ。
「違う、違うんだよ! 奴らが来たせいでカリス共和国の人間の利益が減ったのは事実なんだよ! 奴らが奴らが悪いんだよ! 」
しかし君は社会問題と個人の問題を同一化し、苟アリスを必要なまでに傷付けた。君の中で拵えた「奴ら」の中のヒトリだった。
「奴も所詮ヒトモドキなんだよ! 何時も私の邪魔をしやがって! あいつはイラナイ奴なんだよ! 」
結局は個人の恨み、他人の形を作っているのは君の主観なんだよ。私怨を晴らすために「ヒトモドキ」なる形を作っただけ、個人的不満を「ヒトモドキ」という形に逃避しただけなんだよ。
「だから間違ってんだよ! 事実なんだよ! 黒空の奴が貧乏人なのと同じ。純然たる真実なんだよぉ! 」
客観的数字的に社会ステータスが一定の水準に満ちていないことが貧乏?
「当たり前だろうが! だから黒空は貧乏人、言われて当然なんだよ! 」
「貧乏」
君の言葉をどう使った? どんな意味合いで使用した?
自分の不安を塗り潰すため、自分の恐怖から目を背けるため、自分が優位に立ちたいため
「違う...... 私のせい、私の心のせいじゃない...... あいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつがあいつが悪い。黒空が私の邪魔を...... 」
人のせい、どこまでも......
「そうなんだからしょうがねえんだよ! 全員そうだ! 私の周りにいる奴らは全員...... 」
母親に謝罪したのも建前、違うかい?形だけの謝罪、自らが救われることを願っただけの口先だけの謝罪。
「そ、それは...... ち、違う......」
そもそも母親――――――林原結希を殺そうとしたのは他ならぬ君だ。
「違う! あれはアイツがやったんだよ! 度々わたしに話し掛けるアイツが...... 」
アイツって誰? 本当にそんな人、実在するの?
「わ、私の空想じゃない! アイツはいつもわたしの傍で...... エヴァンゲリオンを勝手に動かして母さんを踏み潰したのもアイツなんだよ! アイツは居るんだよ! 私の...... 」
私の心の中に、私の心の中だけに......
そうだよね?
「ち...... ちが...... 」
違うことはない。君に語りかけて、他者への攻撃を示唆したのは誰でもない、君自身なんだよ。君が他者を傷付けた責任から逃れるために作り上げたスケープゴートなんだよ。
君自身が母親を殺そうとしたんだよ、誰でもない君が。
「そ、そんなはずは...... 」
君は影響を与えられた人間を傷付けないと救われないと感じている。母親に対しては疑念と極度の憎しみが向けられていた。母親を無きものにすることで君は救われようとしていた。行き場のない悲しみ、憎しみ、焦り―――――― これらを消し去るにはこれらを生み出しているとしている人間を消し去るしかない。だから君は殺そうとした。正解だろ?
「......」
母親に謝罪したのも心からの慚愧の念からではなく、表面上の謝罪でなんとか体裁を保とうとしただけだ。謝罪すれば赦して貰える、謝ればいい子に戻れる。それを期待しただけだ。
「違う! そうじゃない! あれは......」
あれは、何だい? 君は他にも数多くの罪を犯してきた。他人の男も数多、寝とってきたね? そういったことには謝罪もしない、反省の心もない。あの謝罪は形だけなんだよ。
「違う、あれは、寝とりじゃない。自由恋愛なんだよ! 誰の彼氏だろうが関係ないんだ! 」
君は反論があろうとも暴力で潰してきた。彼氏を寝とられた女友達に対しても威圧して黙らしてきた。これのどこが自由恋愛なんだ?
「そ、それは...... 」
君はただ他人の彼氏を寝とることで優越感に浸りたいだけなんだ。優越すれば他人に傷付けられなくともすむし、他人を傷付けることで自分を守ることも可能だからだ。
「違う」
君は黒空詩丹、苟アリス、二人のエヴァンゲリオンパイロットも殺そうとしたね? 邪魔者として葬ろうとした、自らが心地好い環境を作るために。邪魔者は母親だろうが、仲間だろうが、殺すのが君だ、違うかい?
「くっ......」
自分を守るため、自分自身で作り上げた幻想から身を守るため、君は傷付けた、多くの人を......
**************
虹色の空―――――― 世界の終焉を予感させるその風景の中、空中に浮かんだ融合エヴァンゲリオンは無数の手を世界中に張り巡らせる。まるでその姿は世界そのものを覆い隠す『樹』の様だ。
融合エヴァンゲリオンは激しい白光を放ちながら、木の枝の如きの腕を伸ばし続ける。最早そこに意思はない、あるのは運命だけである。
「全員、退避したか? 残っている者はいないだろうな? 理彩」
アルテミス博士が宮本副司令官に念を押すが、副司令官の顔は明るくはなかった。
「博士、緑に防犯記録を確認させたところ、結希が彼女に連れ去られるところを確認出来たわ。セフィラムよ」
「何故セフィラムが結希を...... 理彩、 誰かにセフィラムを追わせているのか? 」
「全員返り討ちにされたわ」
「ちっ、一体奴の目的はなんだ!? まさかこの状況をひっくり返そうとでも思っているのか!? 」
アマノン・天上ウル帝国支部にいる人間は林原結希を除いて、全員遠く離れた高丘に退避した。数千人の人間が終わりの始まりを視野に入れていた。
その中の一人の少女が立ち上がる。
少女は宙に浮かぶ光の樹を見上げながら、ただ立ち尽くす。終焉を見届けるかの様に......
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須成屋真里―――――― 君が一番傷付けた人間だ。
暴行し、誹謗中傷し、クラスメイト全員で疎外するように仕向け、あまつさえ死に追いやろうとした。
君はまだ彼女に形だけの謝罪すらしていない。最大の罪から何時まで目を背けるのか?
「違う! アイツが、須成屋が悪いんだよ! あいつがわたしを傷付けようと...... 」
傷付けたのは君の方だ。彼女の顔を便所に突っ込ませたこともあったね。一体彼女の苦痛はいかほどだったか?君は考えたことがあるか?
「あんなのはほんのお遊びで...... 」
君はお遊びで人に便所の水を飲ませるのか? お遊びで人の顔を便所につかせるのか?
「ちが...... 」
君は便所の水を飲めるのか?排泄物がこびりついた便所に肌を触れさせることが出来るのか?
「出来る訳ねぇだろ! 」
では何故他人に対してやる?
「他人だからさ、わたしではない他人だから...... 」
自分ではない誰か、自分と線引きが出来る他人。だからどんなことも出来る。廊下で小便を垂らすまで水を持たすことも、タバコを手に押し付けることも......
「......」
小便を垂らす姿や裸をネットに晒すとまで言われた彼女の気持ちはどんなに辛く苦しいものか、君は考えたこともないだろうね。果たして君がそれらの行為をされた時にどう思うのかな?
「知るかよ、わたしはされたこともない、されることもない」
想像力の欠如、共感の欠如。君は彼女に対して明確に線引きしてあらゆる攻撃を仕掛けた、一年以上に渡って。
その度に彼女が死を考えたことも、自殺を考えたことも君は考えもしなかった、想像すら思い浮かばなかった。死ねと書いた紙飛行機を飛ばしたことも、鞄で殴ったことも、教科書を破り捨てたことも...... 君にとっては大したことではないかもしれなかったが、須成屋真里にとっては毎日、死を考えるに値する屈辱だった。
「そ、それは...... あいつが、須成屋が弱いからだ...... 」
毎日暴行され、心ない言葉を掛けられ、人間扱いされなくて死にたいと思うのが『弱い』のか? 教科書を破られ、腹を蹴られ、便所に顔を突っ込まれ、水を持って廊下に立たされ、タバコを手に押し付けられ、鞄で殴られ、死ねと書かれた紙飛行機を飛ばされ、そして恋人を取られたと勘違いさせられた人間が死を願ったら弱いと言うのか? それを行った本人が?
「そ、それは...... 」
君は彼女と黒空詩丹の仲を切り裂いて、須成屋真里の心をズタズタにするために、本部の機器まで使って二人の通信を妨害し、偽造のセックス写真まで作った。姑息で弱いのは一体どちらなのか?
「くっ...... 」
気に入らない黒空詩丹と恋人になったという嘘まででっち上げて、須成屋真里を追い詰めようとした。
「違う! アイツが、アイツが唆したんだよ! アイツが...... 」
君を唆した人間なんていない。その声は君自身ものだ。母親の時と同じ、君自身が須成屋真里を追い詰めようとしたんだ。他の誰でもない林原愛、君自身がだ。
来る日も来る日も君は須成屋真里を傷付けた。毎日、毎日、彼女の心をズタズタにした。その責任は君にしかない。
**************
アマノン天上ウル帝国支部に巨大な亀裂が何本も走る。周辺の大地も第十天使との戦闘も相まってボロボロの状態である。支部の建屋が激しい音を立てながら地の底の存在が上に出ようとする余波で盛り上がる。
「ちぃ! 遂にアダムとリリスが地上に出るか」
「ということは博士、カインやイブも...... 」
「ああ、このエヴァンゲリオン アイに導かれてここに来るはずじゃ...... 今頃へリオン市は滅茶苦茶じゃろうな」
「残念ながら博士の予想通りです。これを見てください! 」
緑のデバイスに写し出されたへリオン市の状況は正に破滅を予感させるものだった。
市街地、商業ビル郡はまるで戦争でも起きたかのように粉々に破壊され、道路、地面は隙間なく大小の皹が入っていた。アマノンの本部がある地表は大山のように盛り上がっていた。
その大山に長い一本の腕が突き刺さる。融合エヴァンゲリオンの腕である。と同時に天上ウル帝国支部にも融合エヴァンゲリオンの腕が突き刺さる。その瞬間からまともに座ることも困難なほどの大地震が起こった。激しい発光を放ちながら、アマノン本部、支部が完全に崩壊し、三つの生命の種が地上に姿を表さんとしていた。
「皆! 頭を伏せてろ! 来るぞ! 」
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人は何故人を傷付ける?
人は何故他人を傷付ける?
人は何故自分と他人をこれ程までに線引きし、苦しめる?
人は何故法やルールを作っておきながら他者を貶める?
人は何故過去に惨劇を繰り返しながらまた惨劇を繰り返そうとする?
自分と他者、自己と他人、内部と外部
これ等がある限り人は決して完全には解り合えない。自と他の境界線が生み出す問題は決して心の努力では解決出来ない。
解決出来るのは自己と他者の境界線を取り払うことだけ。
「人類補完計画...... 」
かつての人類はその自己と他者の境界線を取り払う計画を立てた。しかし今回は違う。第一の民達はこの世界、この宇宙のシステムを根幹から替えようとしている。彼等のいう『奴』のいる領域に達することでな......
もう人類は自己、他者、いや自己と他者との融合すら目指さなくていい。君達人類を作った第一始祖民族が真の神になるための部品として生きればいい。完全生命体という概念すら超越した真の神......
その一部となればもう自己と他者の境界線に悩まなくてもいい。
そう、その時こそ福音の刻......
自己と他者、人間と神を分ける時代の終わりの刻......
愛、君も望んだ世界の終わりなんだよ。
シン世紀 エヴァンゲリオン アイ
第二十五話 完