子供の頃実際に見た光景をフと思い出し、
衝動的に書きました。
駄文はご容赦下さい。
俺は親父が好きだった。
俺が小学校に上る前、母は病気で他界した。親族のいない天涯孤独な母と同じく親戚もおらず親とも死別した親父には、他に頼るあてがなかった。親父は俺を育てるためがむしゃらに働いていたであろうことを、俺はよく覚えている。
酒好きな親父は時々、仕事帰りに居酒屋で酒を飲んで帰ってきた。酒を飲み、千鳥足で家に帰ってきた親父はいつも上機嫌だった。酒臭い匂いは不快だったが、それでも機嫌よくゲハゲハと笑う親父が、俺は好きだった。
今日は町の祭だった。俺は学校の仲間数人と約束し、祭に出かけた。会場では盆踊りの曲が大音量で鳴り響き、老若男女いろいろな人達が、楽しそうに満面の笑顔で縁日で焼きそばを買い、ヨーヨーで遊び、手を繋いで仲睦まじく過ごしていた。
その祭の会場の片隅で、見慣れた中年の男の背中を見つけた。やや中年太りのその男は上半身は汚れたTシャツ、下はオレンジ色の汚れた作業ズボンという出で立ちで、千鳥足でフラフラと盆踊りを踊っているようだった。周囲に人はおらず、たった一人でフラフラと踊っていた。
「親父!!」
ひと目で親父だと分かった。俺は親父が大好きだった。酒好きで飲むと陽気に笑い、ゲハゲハと俺と楽しそうに話をしてくれる親父が、俺は大好きだった。
その親父が、いつもの千鳥足でフラフラになりながら、鳴り響く音頭にまったくついていけていない動きで盆踊りを踊っていた。きっといつものように、満面の笑顔で踊っているに違いない。俺が声をかければ、いつものように満面の笑顔で出迎えてくれるはずだ。俺はそう思い、親父を呼んだ。
……
…………
………………
勤めていた会社が倒産して数ヶ月。生活費の借金は減るどころか増える一方。俺の携帯には毎日のように借金取り立ての着信が鳴り響く。生活費を節約するため遊興費を絞りに絞っていた俺は友人たちからも見放された。気がついた時、俺は一人になっていた。
会社都合での失業になるわけだから、失業保険もすぐに降りるだろう。はじめはそう考えていた。しばらくのんびり過ごそうか……そう思いながら手続きに向かったその日、俺は雇用保険に加入してなかったことを知らされた。
家賃滞納で借りていたアパートを追い出され、日雇い派遣でその日暮らしの日が続く。生活費に充てた借金は減らない。再就職は決まらない。頼る友人もいない。売れるものは全部売った。いま手元に残っているものは年季の入ったガラケーたった一つだけ。それだって、毎日のようにくる着信は借金取り立ての催促だった。
もう打つ手が無い。今日の宿代わりの漫画喫茶に入った俺は、インターネットで仕事を探す気も失せて今、アイスコーヒーを片手にただひたすら呆然としていた。騒がしく鳴り響く携帯電話。ディスプレイを見ると借金の取り立てからの着信。あらゆる意味でやる気が萎えた俺は、その呼び出しを無視して漫画喫茶の無機質な天井を眺めた。
フとトイレに行きたくなり、席を立って用をたす。洗面所の蛇口をひねって手を洗った。体が臭い。もう何日も風呂に入ってない。思い出した途端に痒くなった頭をバリバリと掻き、周囲にフケを撒き散らしながら洗面台の鏡を見た。
鏡の前にいたのは、見覚えのある顔をした中年男性の姿だった。疲れきった顔で無精髭が伸びており、白髪交じりのボサボサの髪の毛を痒そうに掻きむしる目の前の中年男性のその表情に、俺は見覚えがあった。
……
…………
………………
あの日は、町の祭だった。俺は学校の仲間数人と約束し、祭に出かけた。会場では盆踊りの曲が大音量で鳴り響き、老若男女いろいろな人達が、楽しそうに満面の笑顔で縁日で焼きそばを買い、ヨーヨーで遊び、手を繋いで仲睦まじく過ごしていた。
その祭の会場の片隅で、見慣れた中年の男の背中を見つけた。やや中年太りのその男は上半身は汚れたTシャツ、下はオレンジ色の汚れた作業ズボンという出で立ちで、千鳥足でフラフラと盆踊りを踊っているようだった。周囲に人はおらず、たった一人でフラフラと踊っていた。
「親父!!」
ひと目で親父だと分かった。俺は親父が大好きだった。酒好きで飲むと陽気に笑い、ゲハゲハと俺と楽しそうに話をしてくれる親父が、俺は大好きだった。
その親父が、いつもの千鳥足でフラフラになりながら、鳴り響く音頭にまったくついていけていない動きで盆踊りを踊っていた。きっといつものように、満面の笑顔で踊っているに違いない。俺が声をかければ、いつものように満面の笑顔で出迎えてくれるはずだ。俺はそう思い、親父を呼んだ。
親父は無表情だった。
俺が大好きな親父は、今まで俺に見せたことのない、何の感情も篭ってない無表情なままで、テンポのズレた盆踊りをフラフラと踊り続けていた。
「おう! おかえり!!」
盆踊り会場での親父の異様な光景を目の当たりにした後家に戻ると、いつもの酒臭い陽気な親父が待っていた。親父は俺が玄関を開けるやいなや、居間から玄関までやってきて俺を出迎えてくれた。
「ただいま」
「おう!」
人違いだったんだろう……先程とは打って変わった元気な親父の声を聞いてそう思い直した俺は、気分を変えて親父の出迎えを受け入れたが……
「……!?」
「? どうした?」
俺が見た親父は人違いではなかったようだ。今俺の目の前にいる親父は、盆踊り会場で無表情で踊っていた中年男性と、まったく同じ服装をしていた。
「親父……親父……ッ!」
「お……おい……どうした……?」
気がついた時、俺はボロボロと泣いていた。あの、無表情で盆踊りを踊り続ける親父と、今目の前で満面の笑顔で俺を出迎えてくれる親父の姿が重なった。訳の分からない後ろめたさや申し訳無さ、罪悪感が胸の中に芽生え、その痛みに喉が耐え切れなくなった俺は、ボロボロと泣き出していた。
「親父……ごめん親父……ッ!!」
「おいおいなんだよ……なんか悪いことでもしてきたのかよ……?」
「違うけど……んなことしてないけど……ッ」
「だったら何泣いて謝ってんだよ。謝るような悪いことしてないんだろ?」
「そうだけど……親父……ごめん……ッ!!」
はじめこそ困惑していた親父だったが、声を上げてわんわんと泣き叫ぶ俺を見て……親父は俺のことを力強く抱きしめてくれた。親父の身体は酒臭かった。親父特有の汗臭い体臭も感じた。だがそれでも、親父が俺を抱きしめてくれたことがうれしく、そして申し訳なかった。
………………
…………
……
今自分の目の前にいる男の、この無表情には見覚えがある。あの祭の夜、盆踊り会場の片隅で、たった一人で無表情で踊っていた親父と同じ無表情だった。
「親父……」
その無表情のまま、右目からスウッと涙が流れた。その涙を見て、俺は思い出した。
『親父!!』
『……』
『無視すんなよ親父! おや……じ……』
『……』
あの時の親父も、無表情のまま泣いていた。
会場に鳴り響く音頭の音に俺の声がかき消されていたのか、それとも俺に気付かないほど踊りに夢中になっていたのか、それは今でも分からない。
まだ子供だった俺は、親父のその表情を見て、声がかけられなくなった。あのゲハゲハと陽気に笑う親父が、無表情で泣いていた。その親父の姿は、俺の心に罪悪感を植えつけた。
俺が知っている親父は、いつも笑っていた。それが親父のすべてなのだと俺は思っていた。
だがその笑顔の裏で、あの時の親父は何かに疲れきっていた。何かに打ちひしがれ、心が疲弊し、笑うことも出来ず泣くことも出来ず、ただ千鳥足で不格好に踊ることでしか現状に抵抗することが出来なくなってしまっていたのだ。
無表情な右目からスウッと流れた涙だけが、親父の疲弊を叫んでいた。これ以上疲れると壊れてしまうと、必死に泣き叫んでいた。
親父は、俺の前で泣くことが出来なかった。自分の子供の前で弱音を吐き、『辛い』と泣き叫ぶことが出来なかった。痛みを表現出来なかった。
つまり俺は、親父に泣くことを禁じてしまっていた。だから親父は、一人の時しか泣くことが出来なかったんだ。踊ることしか出来なかったんだ。
あの時の俺はそのことに気がついたから、親父に対する罪悪感で胸がいっぱいになったんだ。だから親父に『ごめん』と何度も謝り、泣き崩れてしまったんだ。
あの日、親父に何があったのかは聞いてない。成人した後、一度親父にこの話をしたことはあるが……本人が言うには『憶えてない』とのことだった。結局、あの時親父に何があったのかを知ることは出来ないまま、親父は他界した。
改めて、洗面台の鏡に写った自分の無表情を見る。
「……どこからどう見ても親父じゃねーか……」
笑いがこみ上げた。目の前の鏡に写る疲れきった無表情が、力なく笑った。
あの日の親父は笑う力すらなく、ただただ不格好にフラフラと踊ることしか出来なかった。だがそんな親父でも、俺の前では笑っていた。残り少ない元気を振り絞り、祭から帰った俺を満面の笑みで出迎え、そして罪悪感にかられて泣き叫んだ俺を力強く抱きしめてくれた。
何かに打ちひしがれ自身の疲れすら表現出来なかった親父が、俺を守るために笑っていた。泣き叫ぶ俺を抱きしめ、元気をくれた。
ならば、自発的に笑える余力がある俺にも、まだ何かができるはずだ。
衝動的に顔を洗った。激しく何度も顔を洗った。洗面台はびしょびしょになり、周囲は俺が撒き散らした水しぶきでびしょびしょに濡れていた。
その後鏡を睨んだ。無表情の中年男性はもうここにはいない。目の前の鏡に写る男性がニヤリと笑う。俺があの人の息子なら……疲れきっても俺を守ってくれた親父の息子なら、まだ何か出来るはずだ。やれることがあるはずだ。
トイレを出て自分の席に戻る。携帯は借金取り立ての着信が未だに鳴り響いていたが気にしない。目の前のパソコンのキーボードをたどたどしく叩いて仕事を探した。どれもこれも年齢制限に引っかかったが……たった一つ、今の俺でも応募ができる仕事を見つけた。
携帯の電源を切り、そばに置いてあるメモ帳に素早く連絡先を記入する。財布の中を確認すると1000円札が一枚と小銭であと700円。履歴書とボールペンを買えるだけの金はまだある。証明写真も撮影できる。
席を離れ、カウンターの従業員に一度外出する旨を告げた。訝しげな表情をした従業員だったが、俺は気にせずカウンターに荷物を預けて外に出た。ここからコンビニまではそう遠くない。コンビニがある方向を見ると、親父が俺の道を照らしているかのように、外灯がすべて点灯していた。
終わり。