「はっ、はっ、はっ―――!」
走る。ただひたすらに。
「こっちだ!早く!」
「逃げろ!死ぬぞ!」
あちこちから声が聞こえる。周りはひたすらに、うるさかった。誰が何を言っているのか、それすらも分からない。だが、助かるためはここしかない。なんとなくだが、その直感に従った。
微かな刺激臭が鼻をつく。そう言えば、こういうのを“玉ねぎの腐ったようなにおい”というのだったか、とどうでもないことを思い出した。その思考も、一秒後には歯切れになって白くなる。
走る。他などどうでもいい。今は、とにかく自分を助ける。それしか考えられなかった。
「まずい・・・!爆発するぞ!!」
誰かが言った。聞き覚えのある声な気がした。だが無視した。生き残るために。
「くそっ、どうにかできないのか!」
「今どうにかしようとしてる!」
その会話の声も、聞き覚えのある気がした。だが無視した。
「もうだめだ!逃げるぞ!」
「・・・くそがっ!!」
その毒づきにも、覚えがある気がした。だが無視した。
やがて見えた、微かに開いた白い扉。無我夢中で飛び込んで、扉の向こうに行った瞬間、取っ手を掴んで扉を閉めた。
「まだ閉めるな!助けてくれ!」
扉を閉める寸前、遠雷にも似た轟音が聞こえた気がした。
誰かの声が聞こえた気がした。だが無視した。
数拍遅れて、その扉を何かが強くドン、と叩いた。叩いたのではないかもしれない。
「ぐわああぁぁぁ」「ぅぅぅうううああぁぁぁ・・・」
いろんな声が聞こえる。こういうときに限って聞こえる。黄色い声、太い声。弱弱しい声。
「逃げないと・・・まだ死ねない・・・」
ただ逃げることのみを考える、その男の声に聞き覚えがある気がした。だが無視した。
「熱い・・・熱いよ・・・」
ナニかの熱さに声を漏らす、その女の声に聞き覚えのある気がした。だが無視した。
「助けてよぉ・・・。パパぁ・・・、ママぁ・・・」
ただ助けを呼ぶ声が聞こえる。その声も無視した。
「助けて・・・」
「こんな、ところで・・・」
「こんな、のって、ねえよ・・・」
弱弱しいながらもはっきりとした声が聞こえる。その声すべてに聞き覚えのある気がした。だが無視した。
「苦しい・・・」「死にたくない・・・」「誰か・・・」
あちこちから声が聞こえる。先ほどは無意味な言葉だったのに、こういうときに限ってよく聞こえる。
聞きたくない。聞きたくない、聞きたくない!だが、どれだけ耳をふさいでも、一度聞こえた声は耳から離れてくれない。ならばと目を閉じると、まるで目の前に、骸骨頭の死神がいるような気がした。
いったいどれだけ、この扉の向こうで助けを呼ぶ声がしただろうか。いったいどれくらいの間、この扉の向こうで救いを求めた人がいるだろうか。そしてそれらはどれくらい―――この扉を超えて、こちらに伝わっただろうか。
だが、そのすべてを、無視した。ただただ、生き残るために。
いったいどれくらい、時間がたっただろうか。ゆっくりと、扉を開けようとした。だが、扉はうまく開かない。仕方なく、扉を無理矢理足で開ける。その先に広がっていたのは。
―――先ほどの喧噪も、
ところどころに、もう小さくなった火が這いまわっていた。その火は、まるで残った“獲物”がないか探す、蛇のようにすら見えた。
そして、その蛇に食らいつくされた“獲物”が、そこら中にあった。大きいものから小さいものまで、それはそれは、たくさん。
地獄の中を、夢うつつにさまよう。記憶が、こっちが助かる道だと示していた。何とか倒れこむようにして、さっきとはまるで違う透明な扉の外に出た瞬間、ひとたまりもなく倒れ込んだ。
「おい、こっち!」
「息は・・・ある!脈もあります!」
「要救助者1発見!これより救助に入ります!」
どこか遠くで声が聞こえる。その声の意味を考えることすら、今の俺にはできなかった。
それから数日後。
あの事件の詳細が、だんだん明らかになってきた。そして、その犠牲者の中に、友人数名と両親が含まれていることも分かった。
そして、
誰もが口々に、「よかったね」といった。
彼もが口をそろえて「幸運だったね」といった。
自分だけが、そう思っていない。
扉を閉めてから、倒れるまで。あの地獄の光景は、ただひたすらに、毎日のようにやってくる悪夢として、ずっと苦しめ続けている。おそらく、いや、確実に、未来永劫、それは変わらない。もしかしたら、輪廻転生したとしても、変わらないかもしれない。
自分にとって生きることは、ただただそういう、悪夢の続きだ。