今後もますます執筆に力を入れていきたいと思っております。
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これは、某SNSにおける生配信動画の内容である。
【0:48】
画面には、車のフロントガラスとその向こうに映る夜の街並みが映し出されていた。
運転席に固定されたスマートフォンからライブ動画を配信している、というわけである。
しかし目前に映っては過ぎ去ってゆく街並みの様子は明らかにおかしい。
全ての建物の電気が消え、道には車も人影もなく、走行する車の音以外は不気味な静寂を保っている。
端的に言うならば、この街は既に”死んでいる”のだ。
「今ですねー…大網街道を直進して、国道468号線に向かってます。本当なら捕まってるところなんですが、行政が混乱してるせいなのか、警察には追われていません」
助手席に座る男がそう語りかけた。
配信者は、運転手の男とこの男の二名である。
動画のコメント欄には、彼らを通報しようと試みる者、批判する者、逆に応援したり期待を込めたりする者など、多種多様な思想が飛び交っていた。
二人の配信者は今、ゴジラがいるであろう場所に向かっているのだ。
「見えますかね? あっちの空がちょっと赤いです……」
そう言って助手席の男は配信を行っているスマートフォンを手に取り、山の向こうから空に立ち上るオレンジ色の光を映した。
その時、山の方角が、まるで稲妻が落ちた瞬間のようにピカリと光った。
「あ、待って光った! うわヤバい!! 見えますか、空!?」
動画には、閃光が光った一瞬後に空に伸びていく光の柱がはっきりと映されていた。
「あの光のところにですね…怪獣がいます。今その方角に向かってます」
「どうする? あっちの道入る?」
不意に運転手が尋ねる。
「いや、大通りは自衛隊いるから見つかったらヤバいって。とりあえず田んぼ道行こう。国道の下くぐって向こう側出ようぜ」
助手席の男は配信用のスマホを持ったままそう答える。
「皆さん。今から我々が、世界で初めて、いま日本に上陸してる怪獣の全体像を公開しますよ。どこのテレビ局も新聞社も公開してないですからね。我々が世界初ですよ…」
そう述べる助手席の男の手は細かく震えていた。
それが恐怖ゆえなのか武者震いなのか、それは本人だけが知っているだろう。
「あれ? …待って待って!!?? あれじゃない?? いるよ、あそこ!!」
数分後、突然助手席の男が大声をあげた。
「えっ、待って、どこ?」
運転手の男も身を乗り出して辺りを見回す。
「いるいるいる!!! なんか黒いのいるよ!! ほら、あっち!!」
助手席の男が指さした先には、国道468号線が通る小高い稜線、さらにその向こうに佇む不気味な黒い生物が小さく映っていた。
「ヤバい…ヤバい、マジで…!! 分かりますか視聴者の皆さん!? ホンモノがいますよあそこに!!」
助手席の男はひどく興奮した口調で何度も何度も画面に向かって語り掛けた。
動画の視聴者数、コメント数もこの瞬間から爆発的に増加し、処理が重くなり始めていた。
「いや、おかしいだろ、あれ……。なんであんな遠くにいるのに見えるんだよ……。デカいとかそういうレベルの話じゃないって……」
対照的に、運転手の男は震える声でそう呟いていた。
「もう無理だ、次の曲がり角で戻ろ!」
「いや待てよ!! まだいけるって!! 全身だけ見たらすぐ戻るから!!」
怖じ気つく運転手をなだめるように助手席の男が呼びかけると、渋々運転手の男は曲がり角を無視して進んだ。
やがて、彼らの車は国道468号線の下を抜け、大網白里町から東金市へと続く広大な水田地帯に出た。
そして、どちらが言い出したわけでもないのにすぐに車は止まった。
「………………」
二人とも、絶句していた。
言葉が生まれなかったのである。
広大な水田地帯の中で、”その光景”と二人の男を隔てるものは何もなかった。
彼らの車の左方、5㎞ほども遠くに、しかしそれだけ遠くにいるとは信じがたいほど巨大な黒い生物が、オレンジ色の靄に包まれて歩いていたのである。
自衛隊の熾烈な攻撃によってその体は時節爆炎に包まれるが、その度に傷一つない巨体が黒煙の中から現れる。
だがそれよりも二人を驚かせたのは、その黒い怪物が歩いてきたであろう海岸線の光景だった。
海の方角は、右から左まで見渡す限り、火の海だったのである。
車で移動しているときにはぼんやり空がかすむ程度にしか見えていなかったオレンジ色の靄が、地平線の全てを覆いつくすように広がっているのだ。
その時、巨大な咆哮が赤い空に響き渡った。
続けて、怪獣の足踏みの振動で小さな地震が発生し、彼らの車は小刻みに震え始める。
「戦争だよ……これ……」
運転手の男が小さく呟いた。
次の瞬間、視界は閃光に包まれた。
「わあっ!!!」
先ほどとは比べ物にならないほどの明るさの光が画面を満たし、同時に光の筋が雲を突き抜けて天へ昇っていく。
そして、絶大な衝撃波が彼らの車へ向けて迫ってきていた。
「あ、あ、ヤバい、なんか来てる、ヤバいって!!!」
建物や瓦礫を飲み込みながら迫ってくる衝撃波を見て、助手席の男が声を枯らしながら叫ぶ。
彼らが逃げる暇もなく、衝撃波は車を飲み込んだ。
「ぎゃぁぁああああああっっ!!!!!」
ガラスが割れ、暴風が車内へと流れ込む。
男の悲鳴とともに動画を映すスマホが吹き飛び、画面は激しく動いた。
数秒後、スマホは運転手の男の手の中にあった。
衝撃波を浴びながらも車は横転せず、そのままの向きで横にずれ、片輪が田んぼの溝に嵌って車体が大きく傾いていた。
「あー……あー……痛い……! 痛い……!」
運転手の男の泣きそうな声が聞こえる。
画面には男の指がわずかに映ったが、その指はガラスの破片が当たって出血していた。
「んん……うぅ……」
続いて、助手席の男のうめき声が聞こえた。
「トシヤ……!? ……えっ!?」
運転手の男が助手席の男の方を向いて、そして硬直した。
画面には、一瞬だけ助手席の男の姿が映った。
両目と顔、左腕にガラスの破片が突き刺さり、激痛で呻くことしかできない彼の姿が。
生配信はこの瞬間をもって中断された。
この配信はSNSを通じて即座に全国、ひいては世界に広がり、国民を恐怖のどん底へと突き落とすこととなった。
そして、人類が見失っていた戦争と核爆発の恐怖を大いに思い起こさせた。
◆◆◆
【1:00】
首相官邸地下。
モニターには未だに空爆を続ける航空隊の様子が映し出されていたが、作戦の可否は最早誰の目にも明らかであった。
その空間は沈黙に包まれていた。
彼らは、日本の威信をかけた精鋭部隊がなすすべもなく蹴散らされる様子を、ただ黙って見ていることしかできない。
そして、自衛隊を一蹴した破壊と絶望の化身は、この場所へ向けてまっすぐに突き進んでいる。
誰もが言葉を失わざるを得なかった。
「総理、さきほどJアラートを通じて避難区域の拡大を指示しました。ここも避難該当区域です」
桐谷官房長官が吉田に呼びかける。
吉田は目を見開いたまま下を向いていた。
半ば放心しているようにも見える。
「我々もここを退去しろと? 避難指揮はどうなさるおつもりです?」
金田総務相が桐谷に問いかける。
「都庁が機能している間に都庁に避難指示を委託し、その間に国家機能を立川広域防災基地に移転する。立川の多目的シェルターで首都機能が復活後、再び対応を再開すればいい」
「ならば先に都庁の職員を移転させればいいじゃないか…。都庁も国民も置き去りで我々が真っ先に逃げるというのは……」
吉田が力なく反論するが、桐谷が「総理!」と強く呼びかけて黙らせた。
「我々は国民に選出された内閣です。日本をより良い方向へ導く義務を遂行せねばなりません。このような事態においては尚更! 違いますか?」
「………」
「命の価値は皆等しくとも、非常時において脱出に順番が生ずるのはやむを得ぬことです。首都機能の停止を最小限に抑え、行政の混乱を防ぐためには、我々の避難こそが最も迅速に行われなければなりません。総理、どうかご理解を!」
「あぁ……そうだな。すまない……」
吉田はそう答えて立ち上がる。
「永嶋君…交通の状況はどうか?」
「は、案の定と言うべきか…主要な道路はどこもかしこも大渋滞で、警察や消防、自衛隊の懸命の避難誘導にもかかわらず解除の目途は立っていません」
吉田の問いに報告書類を見ながら永嶋国交相が応える。
「でしたら、陸自のヘリを要請しましょう。練馬からここまでならそう時間はかからず到着するはずです」
桐谷が告げると、官房副長官らが自衛隊に連絡を取り始めた。
「自衛隊でも勝てないとは……日本はどうなるのでしょう……」
蒲田怪防担当相が震える声で呟く。
「蒲田!! まだ彼らは戦っているのだぞ!! 言葉を慎め!!」
すかさず磯谷防衛相が声を張り上げた。
「無理でしょう、磯谷さん! この状態から勝てますか!?」
その言葉に呼応するように桜坂財務相が言った。
磯谷は答えなかった。
「百年経ってもこの様か…。進化しないものですね、人間は」
土井文科相が皮肉めいたことを言った。
「とはいえ、百年前に比べればまだ救いのある状況だと思いますよ。百年前と違い、明確な対怪獣保護施設の多目的シェルターもあることですし…」
蒲田が何とか言葉を取り繕うが、閣僚の表情は浮かばれない。
「そういえば駒場君…九十九里のシェルターとはまだ連絡がつかないのかね…?」
吉田が駒場防災相に問いかけるが、「懸命に調べさせていますが、まだ詳細は……」と言葉を濁す。
「この混乱下ですから、通信が込み合っているのでしょうか…?」
「そのことですが……」と井村統幕長が口を挟む。
「シェルターに派遣した隷下の災派の部隊からも一切返答がありません。最悪の事態を覚悟する必要があるでしょう……」
「最悪の事態というのは……」
「多目的シェルターの壊滅、ですか」
「まさか、そんなことは!」
桐谷の言葉に駒場は思わず立ち上がって反論した。
「だって、他ならぬゴジラの熱吐息を想定して作られたシェルターですよ!?」
「ゴジラだって百年前のものとは比べ物にならないくらい進化してるんだ! それぐらいのことが起きたって今更驚きはしない!」
氷川環境相が顔を真っ青にしながらもそう駒場に告げた。
「そ、総理……!! 多目的シェルターがダメなら、一体どこに国民を逃がせと言うのですか……!! 1300万人の東京都民と数百万の周辺区域民を!」
「それは……」と吉田は言葉を詰まらせる。
「桐谷先生、立川の防災基地も危ないんじゃないですか?」
桜坂が桐谷に詰め寄った。
「いっそのこと、大阪ぐらいまで逃げるべきだ。奴はシェルターだってぶち破る。関東のどこにいたって奴からは逃げられない。そうでしょう、桐谷先生!?」
「……一時の情報だけですべてを判断するのは危険だ。ヘリが来るまで情報を集め、移転先はその後に決めても良かろう」
「そんな悠長に構えられる相手ですかって……!!」
桜坂は額の汗をぬぐいながら呟いた。
「ともかく、九十九里のシェルターのことは絶対に外部に漏らすな! 今ここで国民に知られたら、全国が大混乱だ!」
吉田の指示に駒場は小さくうなずいた。
「隠蔽していたことがバレたら総辞職ものだが……。そんなことを気にしている場合ではない。我々が辞めさせられたって、日本がその時に残っていればそれでいい…! 情報管理を徹底させてくれ…!」
「恐れながら総理…先ほど本省でインターネットの調査を行わせたところ……」
金田総務相の報告に、吉田はぎょっとして振り返る。
「九十九里が焼き尽くされている様子を収めた動画がSNS上で広がっていると……」
「総理! 隷下の部隊から、各地のシェルターで暴動が起きていると報告があります!!」
金田と井村統幕長の報告がほぼ同時に入ると、吉田は「一体どうすれば……」と弱々しく呟いた。
【1:02 呉号作戦、最終段階に移行】
◆◆◆
「あ、吉道!?」
人々が騒ぎ立てる多目的シェルターの中で、吉道は不意に自分を呼ぶ声を聞いた。
「母さん! 父さんとひいばあちゃんは!?」
人ごみの中で吉道は母を見つけて近付いていった。
「さっきから探してるんだけど全然見つからなくて…。怖い人たちがずっと騒いでるから……」
母は不安そうに入口の方を見ながら呟いた。
「マジか…。病院から徒歩だとしても時間的にはもうそろそろ帰ってくる頃だと思うんだけどな……」
「おいみんなー!! 外に出てこの動画を見ろ!!」
入り口の階段を降りてきた男がスマホを振りかざしながらそう叫んだ。
「九十九里はマグマの海だ!! シェルターもみんな焼かれた!! ここにいちゃダメだ!! 俺たちは国に騙されてる!!」
その男はすぐに警察に取り押さえられた。
が、人々の不満の渦は遂に爆発した。
何人もの人間が、一斉に階段を駆け上がって外に出始めたのである。
「やめてください!! 許可なく出ないでください!!」
警察が必死に抑えようとするが、少人数で人の波を押さえつけることはできなくなっていた。
だが、大半の人間は相手にせずシェルターの中に残っていた。
「いたいた、ミッチー!!」
そんな様子を茫然と見ていると、吉道は背後から友人の声を聞いた。
そこには、愛菜の袖をつかんで連れてきた堅太郎の姿があった。
「今ならいけるぞ! 妹さんも見つけて連れてきたから、一緒に逃げようぜ!」
「ねえ、兄貴!! この人何とかしてよ!! 絶対イカれてるって!!」
愛菜が堅太郎の手を振りほどこうとするが、堅太郎の手は袖をつかんで離さなかった。
「えっと、吉道のお友達の堅太郎君だよね…?」
「あっ、お母さんですか!? このシェルターにいたら死にますよ!! 早く逃げましょ!!」
「待って待って、お母さんちょっと混乱しちゃった…。なんでこのシェルターにいたら死ぬの…?」
母は堅太郎の言葉を理解できずに怪訝そうな顔をした。
「オ、オバケン……いくらなんでもやりすぎだって……!!」
「やりすぎなもんかよ!! お前は俺と違って一緒に住んでる家族がいるんだから、一緒に逃げなきゃダメだろ!? さ、ほら早く!!」
そう言うと堅太郎は愛菜から手を放して階段の方へ駆け寄った。
「…母さん、愛菜、行こう」
覚悟を決めた吉道は堅太郎の後に続いた。
「え? ここから出るの!? せっかく避難したのよ!?」
「兄貴さあ、正気じゃないでしょ!?」
「ゴジラはこのシェルターだって焼き尽くすんだよ!! ここ…千葉市はゴジラの進路上だ! みんな殺される!」
「な、なんでだよ!! ここシェルターなんだよ!?!? 焼かれないようにできてんじゃん!!」
何度言っても分かってくれない兄に苛立ち交じりの悲しさを覚えたのか、愛菜は目に涙を浮かべ始めていた。
「じゃあさ、いったん外に出て、あの人が言ってる動画だけ見てみようよ! それで全て分かるはずだから……」
そう理由をつけて吉道は無理矢理母の腕を引っ張った。
「じゃあその動画見て、父さんとおばあちゃんだけ見つけたらすぐ戻ってくれる?」
母が問うと、吉道は「いいよ」と返す。
「…嫌だよ……怪獣来たらどうすんだよ……」
愛菜は弱々しく愚痴をこぼすと、母の腕にしがみついた。
「吉道急げ!!」
「分かってるよ!!」
堅太郎の声に答えて吉道は一歩ずつ階段を駆け上がる。
恐怖と興奮に高鳴る胸を押さえつけながら。
―――階段を駆け上がると、そこは戦場だった。
◆◆◆
【人類生存数:92億8644万人】