ゆっくりと、エレンの意識は覚醒していった。
(オレ……どうしたんだっけ? 岩を……そうだ。壁の穴は塞げたのか?)
焦点の合い始めた眼に、辺りの光景が映り始めた。
曇っている。そして、熱い。
何故こんな熱気と湯気の中に自分がいるのか分からなかったが、周りの状況よりも、自分の近くにいる者達のことが気に掛かった。
ミカサとアルミン。大切な友人達だ。
二人が無事であったことに、思わず安堵を感じる。
そして、三人目を呆然と見上げた。
その兵士は背中を向けて、朦朧としたエレンとそれを案じる二人に代わって、辺りを警戒していた。時折、何かの指示を飛ばしている。
エレンに見えるのは、背中ではためくマントとそこに刻まれた紋章だけった。
(――自由の、翼)
調査兵団の所属を示す紋章だった。
兵士が振り返る。
「気が付いたか?」
「……アナタは、クラリス・ハンニバル……分隊長」
エレンの呟きに、クラリスは小さく頷いて返した。
未だに頭の中は混乱している。
作戦は成功したらしいが、そこに至るまでの経過が曖昧だ。
一体いつの間に、クラリスがこの場に現れたのか、エレンには分からない。
ただ、彼女と共に自分は戦ったのだという実感だけがあり、そしてそれに対して場違いながら感動する気持ちが湧き上がっていた。
クラリス・ハンニバル――伝説の兵士。
多くの恐れられる噂を持った人物だが、エレンにとってそれらは尊敬と憧れに繋がるものでしかなかった。
エレンの持つ巨人への飽くなき憎悪と殺意。
――巨人どもを、一匹残らず駆逐してやる。
その信念を現実に具現化し、極限まで極めた彼女の存在こそ、エレンにとっての理想像に他ならないからだ。
クラリス・ハンニバルこそ、人間の身でありながら巨人さえ恐怖させる最高の兵士なのだ。
「あ、あの……っ!」
纏まらない思考のまま、それでもエレンは何かを話しかけようとした。
その『何か』が何であるか、全く考えていなかったが、とにかく言葉を交わしたかった。
しかし、そんな熱に浮かれされたようなエレンの行動をミカサとアルミンが抑えるよりも先に、別の兵士が遮った。
「ハンニバル分隊長!」
駆け寄ってくる兵士の顔を見て、ミカサとアルミンが喜色を笑みを浮かべた。
「イアン班長!」
「無事だったんですね」
「おおっ、二人とも! そちらこそ、無事でよかった!」
一時期は、エレンを守る為の囮となることさえ覚悟したのである。
結果的にとはいえ、無事に生き残れたことを三人は僅かな間喜び合った。
「……イアンといったな。どうした?」
「し、失礼しました!
周囲の巨人の掃討が、たった今完了したところです。区内にはまだ多く残存していますが、リヴァイ兵長率いる部隊がそれらを駆逐しつつ、こちらへ間もなく到着するそうです!」
イアンの報告に、クラリスは頷いて返す。
何処までも冷静で、寡黙な態度だった。
しかし、その不動の姿勢が、却って頼もしさを感じさせる。
「だが、何故それを君が報告する? 私の部下はまだ戦闘中か?」
「それなのですが……こちらに」
クラリスの問い掛けに対して、イアンは言葉を濁しながら促した。
少し離れた場所に、クラリスの部下が横たわっていた。
本来ならば、彼が分隊長へと報告を伝える任を請け負っているはずである。
しかし、もう彼にそれは出来ない。
その兵士は、重傷で、死に掛けていた。
「先の巨人との戦闘で……もう、助からないそうです」
イアンはクラリスにだけそっと伝えた。
エレン達にはもちろん聞こえていない。
しかし、眼に映る光景から、彼らの事情を察することは出来た。
今や、戦況は人間側の優勢である。
作戦の成功により兵士達の士気は上がり、戦いはもはや残った巨人の残党狩りとなった。
精鋭であるハンニバルの分隊が加わったことで、単純に戦力も増している。
――しかし、それでも犠牲はなくならない。
精鋭の兵士であるから生き残れる、などといった保証は何処にもないのだ。
人類は勝利した。
作戦は成功した。
しかし、目の前の兵士は死ぬのだ。
クラリスは無言で歩み寄った。
「分隊長」
かすれた声で、その兵士は言った。
「勝ちました」
「ああ」
「人間が、勝ちました。自分も、巨人を多く殺しました」
「ああ。ご苦労だった」
「はい。しかし、これ以上貴女にお付き合い出来ないのは……無念です」
声は力を失い、顔には明らかな死相があらわれている。
誰の眼にも、彼の命が消えようとしている様が見えていた。
「許しは乞わない」
部下の健気な言葉に表情を変えず、クラリスは淡々と告げた。
「だが、後悔だけはさせない」
最期に掛ける言葉としては、あまりに暖かみのない、事務的な言葉。
しかし、その言葉を受けた兵士は、これ以上無いほど満ち足りた笑顔を浮かべ、そしてゆっくりと眼を閉じた。
眠ってしまったのかと錯覚するような穏やかな表情のまま、その兵士は息を引き取った。
――いや、本当にそうなのかもしれない。
二人の兵士のやりとりを見ていたエレンは、ぼんやりとそんなことを思った。
力を使い果たし、戦い抜いた一人の兵士が、ようやく心安らかに眠ることを許されたのだ、と。
何一つ不安の残らない死に顔だった。
自分が死ぬことで残される、巨人との今後の戦いなどの数々の懸念を、クラリスが全て請け負ってくれたのだ。
きっと、あの兵士に後悔は無かったに違いない。
(ああ、そうか……)
死を恐れぬ、調査兵団随一の戦力と勇猛さを誇る狂戦士の分隊――その秘密が、エレンには少し分かったような気がした。
彼らは死を恐れぬのではない。
きっと、死ぬことを後悔しないのだ。
自分達の死をクラリスが無駄にしないことを知っているから。信じているから。
――『許しは乞わない。だが、後悔だけはさせない』
彼女は『許してくれ』とも『せめて安らかに』とも言わなかった。
そんなありきたりな言葉で、死に逝く兵士の魂を慰めようとはしなかった。
(だから皆、あの人の為なら死ねるんだ)
エレンの中で、クラリスに対する遠い憧れが同じ兵士としての信頼へと変わっていた。
◆
《現在公開できる情報》――ハンニバルの分隊は他の分隊よりも明確な捨て身の囮戦法を主に使っている。危険度は高いが討伐率も高い。
◇
『後悔だけはさせない』
――本当にそうだろうか?
この台詞を言った新城さんは、自分の言葉をそんな風に疑った。
絶対の自信のある指揮官なんていない。
いるとすれば、そいつは危険な奴だ。自分の無能を疑わない指揮官は、部下を平気で無駄死にさせる上に反省すらしない。
私が部下を持ち、彼らが私の命令で死ぬことを経験するようになった時、その犠牲に対して常にこう考えるようにしていた。
フィクションの中にあった新城さんの苦悩が、今は実感としてよく分かる。
どれだけ繰り返しても、部下の死を完全に飲み込むことなんて出来ない。
ましてや、それに対して不感症になることは無理だし、許されないことだ。
結局、私は新城さんの考え方に倣って、部下の死を無駄にしない戦いを徹底することしか出来なかった。
こんな上官の下で働いて、最期の瞬間に彼らは本当に後悔も無く逝けただろうか?
分からない。
死に際の言葉で伝えてくれた奴は何人もいた。
だが、それを鵜呑みには出来ない。
私はそんな彼らに、ただ上手く夢を見せたまま逝かせてやっただけじゃないのか?
今の言葉もそうだ。
私には分からない。
分からないからこそ、それが正しいと信じて私は戦い続けるしかないのだ――。
「――分隊長。ハンニバル分隊長?」
名前を呼ばれ、私は我に返った。
えーと、誰だコイツ?
あ、そうそう思い出した。
初対面だ、こいつ。
では、名前を『モブ』と仮称しておこう。
「どうされました? やはり、エレン・イェーガーとの面会は中止しますか?」
「いや、ただの考え事だ。彼とは会う」
「……分かりました」
ウジウジと悩んでいた私は、今の状況を思い出して、意識を切り替えていた。
トロスト区内での激戦から数日後。
既に市街地の巨人の掃討は終了し、そう言っていいのならば事態が一段落していた。
しかし、問題は山のように残っている。
街自体の被害はもちろん、多くの兵士が死んだ。
それは戦いの舞台となった壁内の駐屯兵団と、駆けつけた調査兵団にも言える。
調査兵団は元より壁外調査任務の途中だったからしょうがない――『しょうがない』なんて思うようになった自分が嫌だ。死にたい――とにかく、兵員の補充や部隊の再編成など、やるべきことは多い。
そんな中で、私は結構暇していた。
仕事がないわけではないが、任務後は私には必ず一定期間の休暇が与えられるのだ。
私の分隊が任務のたびに当たる戦闘の過酷さと、その結果の損耗率を考えて与えられた補給期間のようなものだった。
要するに、ガーッと働いて、グーッと休む。
私を含む、ハンニバル分隊の兵士には、そんな優遇が許されていた。
これはエルヴィンの独自の配慮だった。
調査兵団の中にある一介の分隊に、あまり特別な待遇をするわけにはいかないからだ。給金の割り増しとかね。
本人は『君達の出してくれる成果に比べれば、到底釣り合わない気休めだ』と申し訳なさそうだったが、他の兵士はともかく私は十分にありがたいよ。
っつか、正直私の場合、休息あんまイラネ。
体力だけは有り余ってるからねー。
休んでる間に何かする趣味もないし。
これは前世の知識を持つ微妙な弊害だったりする。だってこの世界、漫画とかアニメとか娯楽要素が全然ないんだもん。
暇な時にやることと言ったら、漫画では絶対に知ることの出来ない原作キャラの普段の動向を観察して内心でニヤニヤすることくらい。
以前、それをリヴァイ相手にやってたら『邪魔だ。うぜえ』と邪険にされた。
ちなみに、その時の私の心境は『やだ……リヴァイに罵られちゃった。結婚しよ』だった。
原作キャラとの交流って、私にとってテレビの中の芸能人と一緒にいるようなもんなんだよね。基本、何されても許せる感じ。
そんな私なので、今回も不意に思いついて、エレンに会いに行くことにしたのだ。
巨人化して壁の穴を塞いだエレンは、当然のようにその後拘束されて、牢屋に送り込まれた。
作戦を成功させた功労者には間違いないはずなのだが、不穏で不明瞭な部分も多すぎる。
こればっかりは、どうしようもなかった。
大人しく、原作通り公の場で周りを納得させるしかない。
私も弁護しようとは思ったのだが、さすがに一人で喚いてたってどうしようもないし、逆に話が複雑になるだけなんで自重しておいた。
しかし、だからといってこのまま放置っていうのも、さすがにエレンが不憫すぎる。
ミカサとアルミンも別に連れて行かれて、どうしてるか分からない。まあ、多分事情を知る為の尋問くらいで、物騒なことにはなってないだろうけど。
原作と違って、一緒に戦ったイアンとか生き残ってるから、フォローする人も多いと思うしね。
色々考えた結果、私は一番不自然ではないエレンに会いに行くことにしたのだった。
ちなみに、何故不自然ではないかというと――。
「この先の牢屋に拘束しています。今は大人しいですが、十分に注意してください」
「愚問だ」
「そ、そうでした。すみません!
……本当は、休暇だというのにハンニバル分隊長に来ていただいて、我々としても非常にありがたいです。奴が万が一巨人になった場合、どう対処すればいいのかずっと不安でした」
まあ、要するに原作でリヴァイも使った『私ならこいつを殺せる』理論で面会許可を貰ったのである。
会う理由はどうでもよかったが、とりあえず『興味を持ったから』にしておいた。
巨人になる人間の存在に興味を持たない方がおかしい。
ただ、それ以上にビビッて、誰もが会うのに腰が引けるだけなのだ。
私は特に不審に思われることもなく――むしろ喜ばれて――エレンと会うことが出来るようになった。
当然、私は不安も緊張感も抱いていない。
漫画の情報とはいえ、エレン・イェーガーというキャラクターを知っているからね。
むしろ、そんな私の平然とした対応を見て、周りの奴らもちょっとくらいエレンへの態度を軟化させて欲しいもんだ。
私を連れてきた兵士も、そして今、ドアを開けて中に入った時に見た見張りの兵士も、皆眼が死んでる~♪
「おおっ、ハンニバル分隊長! 助かりました!」
駆け寄ってくる見張り。
助かりました、とか言うなや。エレンが傷ついちゃうでしょうが!
「え……っ!? クラリス・ハンニバル、ですか!?」
私の突然の登場に驚いて、鉄格子の先のエレンが立ち上がろうとした。
ジャラジャラッと鎖が大きな音を立てて、周りの兵士が一斉に息を呑む音が続けて聞こえた。
……いや、皆ビビりすぎだから。
「おいっ、動くな! 暴れたらぶっ殺すぞ、化け物め!」
「あ……す、すいません」
理由のない言葉の暴力がエレンを襲う!
――茶化してる場合じゃないか。
完全に化け物扱いだ。これじゃあ、エレンの心のダメージが甚大だよ。マジで不憫すぎる。
人類の希望にして、主人公様になんという扱いか!
まあ、そんなこと周りに言ってもどうしようもないんですけどね。
分かってる私が、なんとかフォローに回るしかない。
その結果、不審に思われようが、敬遠されようが、それはどうでもいいことなんだ。重要なことじゃない。
「牢屋の鍵は?」
「あ、はい。こちらです」
差し出された鍵を無言で受け取る。
こういう時、私の肩書きや強面が、相手に有無を言わせない効果を生み出す。数少ない利点だ。
私は周りが止める前に鉄格子に近づき、素早く鍵を開けて、中に入った。
「な、何を……!?」
周りの兵士に加えて、中にいたエレンまで驚いているが、その隙を利用して私は残りの行動を完了させた。
エレンの両手の枷まで外して、最後に持っていた鍵を鉄格子の隙間から見張りの兵士に投げ渡す。
ふっ、勢いに任せてやってやった!
後は知らんふり、もしくは無言で凄んでやるだけで現状は維持されるだろう。
「何をなさってるんですか、分隊長!?」
「早く出てきて下さい! いや、それよりも早くその化け物に枷を――!」
案の定、見張りの兵士達が泡を食って喚いているが、やっていることはそれだけだ。
腰が引けてる奴ってのは、大抵消極的だからな。牢屋の中に入って私を連れ出そうと奴や、ましてエレンに近づいて枷を嵌め直そうとする奴など皆無だった。
周りを無視して、私はエレンのいるベッドの端に腰掛けた。
「あの……よかった、んですか?」
自由になった両手を擦りながら、エレンが恐る恐るといった感じで曖昧に尋ねてきた。
よかった……か。
やべえ、今更になって緊張してきた。
――だって、主人公様とこんな近くで顔をつき合わせてるんだよ!?
やだ、あたしったら鼻毛とか出てないかしら? っていうか、顔面に馬鹿でけえ傷を刻んだ女とか不気味に思われてないかしら?
「枷のことか?」
「それもありますけど……」
「君が巨人化すれば、あんな物は意味がない」
私は鉄格子の向こうにいる兵士どもにも聞こえるように、ハッキリと言ってやった。
拘束してる、って事実だけで安心してるよね。想像が及ばないだけだろうけど。
「それに、中に入ってきたりとか……オレが、怖くないんですか?」
「近い方が君をすぐに殺せる」
不安にだけさせて、騒いで大事にされても困るから、リヴァイの言い方にあやかって安心要素も付け加えておく。
……そしたら、今度はエレンが顔を青褪めさせて落ち込んでしまった件。
ごめん。もう、ドSのリヴァイの真似なんてしないから。
「それに、なによりも君を信じている」
慌てて、私は更なるフォローを付け加えた。
本当だよ? 後付っぽく聞こえる理由かもしれないけど、こっちがメインだよ!
エレンに疑われないように、私は真っ直ぐに眼を見つめた。
届け、私の誠意!
――眼を逸らされた。死のう。
◇
《現在公開できる情報》――戦闘時の苛烈な印象から、ハンニバルの異名は他の兵団にまで広く轟いている。また、当人も普段から目立つ。
◆
エレンは思わず眼を逸らしてしまった。
(顔、見られてないよな?)
顔を背けたまま、気づかれないように深呼吸をする。
急いで――というのも奇妙な表現だが、心臓の鼓動を落ち着けることに集中した。
多分、真っ赤だろう自分の顔を、目の前の女性に見られたくはなかった。
(不意打ちすぎだろ……なんで、この人あんなことをハッキリ言うんだ? しかも、真っ直ぐにオレを見て)
すぐ傍にいるクラリスの言動に対する感想は、悪態というよりも照れ隠しのようなものだった。
やはり、歴戦の兵士という者は普通とは違うのだろうか?
この牢屋に入れられるまで、あるいは入れられてから、向けられる視線はほとんどが怯えや嫌悪に染まったものだった。
それも当然だ。
忌むべき巨人――エレン自身にとっても全ての悪感情の対象である巨人に変身する人間なのだ。
恐れ、疑うのは当たり前のことだった。
当たり前――だが、しかしそれでもここ数日の出来事は堪えていた。
周りの兵士達は、誰もが心の底から思って自分を『化け物』と呼ぶ。
孤独で、不安だった。
そんな時に、クラリスは不意に現れ、あの言葉をそれこそ当たり前のように口にしたのだ。
――君を信じている。
自分自身でさえ、自分を信じられないというのに。
自分を怖がらなかったのは、幼馴染であるミカサとアルミンだけだった。
では、この人は何なんだ?
この人の眼に、自分はどう映っているんだ?
疑問や疑念は多く、そしてやはり気恥ずかしく――少しだけ嬉しかった。
「……あの」
「何だ?」
「あ、いえ……なんでもない、です」
「そうか」
口数の少ないクラリスの対応に、エレンも話を切り出せなかった。
どっしりと腰を降ろし、まるで瞑想でもしているかのように眼を瞑っているクラリスの横顔を、エレンが度々伺うという流れが繰り返された。
間近で見る伝説の兵士の凛々しさ、刻まれた傷の凄惨さ、そして何よりも美しさに、エレンは気を取られていた。
戦闘になれば変貌すると言われる狂戦士クラリスの、普段の姿。
なるほど、戦いで畏怖される姿とは対比となる、落ち着いた姿だ。その静かな雰囲気には安心感と、女性としての包容力すら感じる。
そして何よりも、この状況であまりに無造作な姿だと思った。
いざとなればお前を殺せる、と――。
そう断言しておきながら、そんな状況になることなど欠片も思っていないような、無防備な横顔だった。
(だったら、何でこの人はここに来たんだ?)
自分を監視する様子もなければ、何か尋問するわけでもない。
ただ、黙って傍に居る。
ここに来てクラリスがやったことと言えば、枷を外して、自分と外の兵士達に警告しただけだ。
その行動の結果、エレンの負担は減っていた。
まるでクラリスが盾になっているかのように、牢屋の外の兵士達はエレンにあの視線を向けることを止めている。
クラリスが来てくれたことで、随分と楽になっている自分に気がついた。
(……オレに気を使って?)
エレンはふと、思い浮かんだ可能性を、すぐさま否定した。
(何、自意識過剰になってんだオレは!? この人がオレなんかの為に、そこまでするはずねえだろ!)
内心で自分に言い聞かせながら、それでも淡い期待と喜びまでは否定出来ない。
だが、いやしかし――一人悶々とするエレンと、その傍に居続けるクラリス。
二人の様子を、牢屋の外の兵士は奇妙なものを見るような眼で見張り続けていた。
そして、どれだけ時間が経っただろうか。
新たに二人の兵士が、この場へ訪れた。
「――あ! クラリス、来てたの?」
「ハンジ。それに、ミケか」
クラリスと同じ調査兵団の仲間であるハンジとミケだった。
「っていうか、勝手に檻の中に入ってるし」
「エレンを出しにきたんだろう」
「そうなんだけどね……」
「出してくれ」
「……はいはい、分かったよ。もう、君の行動には何も言わない」
ハンジが呆れたようにため息を吐きながら、それでもすぐに苦笑を浮かべていた。
今度こそ、正式な手続きの元エレンを閉じ込めていた牢屋が開放される。
もちろん、エレンを拘束する為の手枷は再び嵌められてしまったが、それでも長い間様々な意味で圧迫され続けていた空間から出られることに、エレンは安堵した。
クラリスを含めた数人の兵士に囲まれ、ただ促されるまま地下牢を出る。
「私は調査兵団で分隊長をやっている、ハンジ・ゾエ」
「あ、ハンニバル分隊長と同じ……?」
「彼女と同じレベルを求められても困るけどね。また別格さ。
それと、後ろの彼も同じ分隊長のミケ・ザカリアス。そうやって初対面の人の匂いを嗅いでは、鼻で笑うクセがある」
ハンジの説明と寸分違わない行動を取った無口な髭面の男を、エレンは戸惑った表情で見上げた。
「多分、深い意味は無いと思うね」
「はあ……あっ!?」
エレンから興味を失ったミケは、次にクラリスの首筋へ鼻を近づけていた。
探るように何度も小刻みに鼻を鳴らしていたエレンの時とは違い、静かに、深く深呼吸をする。
そして、顔を上げた時には何故か誇らしげな笑みを浮かべていた。
ここまでの一連の流れの中で、クラリスは全くの無反応である。
エレンは呆気に取られたかのように、そのシュールな光景を眺めていた。
「――見ての通り、クラリスに対してはあからさまなんだよね。彼」
「は、はあ……」
「クラリスも嫌がる素振りを見せないから、毎回挨拶みたいにやってる。
普通なら即死モノだと思うんだけどね、ミケの方が。クラリスも心が広いというか、無防備というか。
まあ、こんな変態でも彼女は仲間として信頼してるし、実際に実力だけなら兵団でも肩を並べる精鋭さ」
何か釈然としない気分のまま、エレンは廊下を進んだ。
付き添いの兵士は何も話さず、クラリスとミケは無口である。
ほとんどハンジだけが喋るまま、やがて一同は大きな扉の前に辿り着いた。
「ああ、ごめん。無駄話しすぎた。もう着いちゃったけど……大丈夫!」
何の説明も受けないまま、目的地であるらしい扉の前に立ったエレンに、ハンジは言った。
「私達は、君を盲信するしかないと思っていた。けど、さっき牢屋にいたクラリスを見て、少し考えが変わったよ」
「どういうことですか?」
「彼女が君に何を感じたのかは分からないけど……クラリスは、君を信じたんだ。それだけで、私達も君を信じるに値する」
「――」
思わぬ言葉に息を呑み、エレンは咄嗟にクラリスの方を見た。
あの牢屋での時と同じ、真っ直ぐな視線が自分を見ていた。
疑念も警戒もない。混じりッ気のない信頼の瞳だった。
「クラリスから、何か言うことはあるかい?」
ハンジの方を一度見て、改めてクラリスはエレンを見据えた。
「……これから先、何を問われても、ただ思ったままを話せ」
「え?」
「お前が答えたことは全て、信じる」
エレンは、これから先に何が自分を待っているかなど知らなかった。
突然のクラリスの言葉に、戸惑ってもいた。
しかし、ただ一つ。
彼女の絶対の信頼だけは、確かに受け取っていた。
疑問も、理由も、もうそれだけでどうでもいい。
ただ、言われるまま、そうしよう。
「――はいっ!」
エレンはその言葉にだけ、明確な意思を持って応えていた。
◆
《現在公開できる情報》――原作知識を基準にした各キャラへの厚い信頼が、結果として好意的に受け止められている為、調査兵団内でのクラリスへの信頼もまた厚い。
◇
――ハンジ。相変わらず性別不詳な体格と雰囲気がミステリアス可愛い。結婚しよ。
――ミケ。黙ってれば渋いイケメンなのに匂いフェチな変人ぶりがギャップかっこいい。結婚しよ。
ふう、二人への挨拶を(内心で)済ませたぜ。
親愛なる調査兵団の仲間達への挨拶は、いつも欠かせない。
声に出してやったら色んな意味で破滅するからやらないけど。
いやぁ、しかしハンジとは数日前の任務で顔合わせてるけど、付けているゴーグルと眼鏡の違いを楽しめて、二度美味しいな!
ミケは相変わらずだけど、私の匂いなんて嗅いで楽しいかしら? 香水とか高級な物持ってないから、別に普通の匂いだと思うんだけど。
まあ、気に入られているようなので良しとしよう。
これがその辺の見知らぬおっさんだったら、即効張り倒しているんだが、ミケならオッケーさ。
「――いいから黙って、全部オレに投資しろ!!」
ぼぅっと記憶を反芻していた私は、不意に響いたエレンの叫びに、内心でビクッてなりながら我に返った。
おお、そうだったそうだった。
今、私は審議所にいるんだった。
エレンの今後を占う重要な場面である。
といっても、原作知識を知っている上に、エルヴィンの考えを事前に聞いている私としては特に悩むところではない。
エルヴィンはエレンの身柄を調査兵団で確保しようとしている。
そして、その為の段取りは出来上がっているし、実際にその流れ通りになるはずだ。
現実を見ていない憲兵団の偉そうな人とか、もう色んな意味でいっぱいいっぱいなニック司祭とかいう坊主ごときに、エルヴィンを出し抜けるはずがない。
私は特に心配することもなく、またやることもなく、ただ観衆に混ざって事の成り行きを見守り続けるだけだった。
……うん、だから私はやることないんだって。
何故に私が入室した瞬間に、周りの人間がさーっと道を開けて私を一番前に行かせたのか、分からない。
何? 皆、何を期待してるの? 別にこんな所に立ってたって、何も特別なことしないよ?
まあ、とにかく。今の立ち位置なら中央にいるエレンが良く見える。
離れた位置にリヴァイとエルヴィン、ミカサとアルミンがそれぞれ集まっているのも見えた。
ここに至るまで、完全に原作通りの流れである。
途中でリヴァイが騒いだ保守派のおっさんに『豚野郎』発言をした以外は、特に意識を向けることもなかった。
いいぞ、リヴァイ……もっと言ってくれ! 今度は私に向かって!
そんな感じに駄目な思考をしつつ、表面上はキリッとした顔付きで前を向いていた。
そして、ついに出た。先程のエレンの言葉である。
主人公エレン様の名台詞の炸裂や!
事前に言いたいこと言え、って助言したけど、本当に遠慮なく言うね。カッコいいぜ。
感動する私を尻目に、周囲は静まり返る。
当たり前といえば、当たり前か。得体の知れない力を持つエレンが、敵意とも取れる激情の発露を見せたのだ。
誰の脳裏にも、エレンが巨人になって暴れ回る危険性が浮かび上がって当然の流れだった。
咄嗟に憲兵団が銃を構えようとする。
しかし、次の瞬間誰よりも早くリヴァイの蹴りがエレンの顔面を直撃していた。
――特に理由のない暴力がエレンを襲う!
いや、もちろん十分すぎるほどの理由があるんだけどね。
激発寸前だった状況に楔を入れ、エレンを痛めつけることで、彼に危機感と殺意を持つ者達の動きを一時的にだが沈静化させた。
その上で、徹底的にエレンを痛めつけることで、別の危険性を周囲に自覚させる。
もしもエレンが、自分に向けられる敵意に対して反撃しようとした場合、巨人化出来る彼を本当に殺せるのか?
憲兵団を含めて、この場の多くの者達はエレンを油断無く警戒していたのかもしれないが、そういった具体的な部分に想像が及ばない程度に楽観はしていたのだろう。
一通りエレンを嬲ったあと、リヴァイはそういった内容のことを周囲に言い示したのだ。
この辺は、巨人討伐に実績と評価のあるリヴァイが言うと効果覿面だった。
……って言っても、さすがにエレンを蹴りすぎだと思うけどね。
例の『躾に一番効くのは痛みだと思う』という名台詞は、多分周りをビビらす意図があってのものだと思うが、実はリヴァイが素で言ってた可能性も否めない。
最後に『しゃがんでるから丁度蹴りやすいしな』って余計なこと付け加えている辺りが、ドSの本質を感じる。
いいぞ、リヴァイ……もっと言ってくれ!
「――エレンの『巨人の力』は不確定な要素を多分に含んでおり、その危険は常に潜んでいます」
そして、すかさずエルヴィンが意見を差し込む。
完全に調査兵団側の主張が、場を支配していた。
うーん、さすがだ。
やっぱり、何の問題も無く話は進んでいる。
「そこでエレンが我々の管理下に置かれた暁には、その対策としてリヴァイ兵士長とハンニバル分隊長に行動を共にしてもらいます」
……ファッ!?
ここでいきなり名前が出てきてビビる私。
い、いや、別におかしなことでもないか。
自覚薄いけど、私もリヴァイに並ぶ評価されてんのよね。エルヴィンが私の名前を持ち出すのも不思議ではない。
「この二人ならば、いざという時にも確実に対応できます」
「ほう……」
なんか、原作よりも随分と強気な台詞に変わっているような気がしないでもない。
とりあえず、その言葉でこの場の責任者であり兵団のトップであるダリス総統は興味を示してくれたようだ。
「できるのか、リヴァイ?」
「殺すことに関して言えば、間違いなく」
ダリスに尋ねられたリヴァイは淡々と答え、次に私の方へ視線を送った。
「ハンニバルの協力があるなら、その中間も可能です」
「中間?」
「エレンを生きたまま無力化する」
「ほう、そこまで可能なのか」
リヴァイの発言を受けて、ダリス総統を含む、この場の全員の視線が私に集中した。
……あれ? なんか予想外のプレッシャーがががが!
いや、落ち着け私。有利な交渉の材料として、私を使ったというだけの話だ。
ここで下手に自信の無い言動をしてしまえば、折角の二人の誘導が無意味になる。
決然とした態度を見せ付けなければ!
「クラリス、君の意見はどうかね?」
ダリス総統に、今度は私が尋ねられる。
リヴァイとエルヴィンを見てみるが、二人は私を見るだけで何も口を挟もうとしない。
わ、分かった……とりあえず、自信を持って請け負っておけばいいんだな?
「リヴァイの言うとおりです」
私は出来るだけ迷いを見せないように、ハッキリと断言した。
「私がいる限り、エレン・イェーガーは確実に守り抜きます」
断言した。
その瞬間、辺りに奇妙な沈黙が走った。
……あれ?
なんで、リヴァイってば小さく舌打ちしてんの?
エルヴィン、私視力はいいんだよ。ちょっと眉を顰めたよね?
……な、なんだ……まさか。
「――バ、バカな! その化け物を守ってどうする!?」
ド、ドジこいたぁぁぁーーーっ!!?
上手く収まりそうだった場が、一気にざわつき始めた。
叫んだのは、さっきまで大人しくしていたはずのニック司祭だった。
「そいつは神の英知である壁を欺き、侵入した害虫だぞ! 利用して殺すならばともかく、生かすなど! それでは話が違う!」
そこを蒸し返すんかい! っつか、エレンが死ぬこと前提で話進めてんじゃねー!
「クラリス・ハンニバル。君が先程地下牢で取った行動は報告を受けている。
随分と、エレン・イェーガーを信頼しているようだが、その根拠は何だ? 彼とは個人的な関係があるのか?」
うおおっ、今度は憲兵団からの物言いまで!?
私は一気に議論の矢面へ立たされていた。
な、なんとかしないと! なんとかしないとぉ!
「クラリス・ハンニバル! 貴様のことは聞いているぞ!
貴様はあの壁を……神の偉大なる御技であるあの壁を、不敬にも人の手で変えようとしたな! それも何度も! まさに神への不敬の顕れである!!」
急に絶好調になるニック司祭。
彼の言っている内容は、私が団長時代だった頃の話だ。
畑違いとはいえ、それなりに権力を持っていた当時の私は、少しでも未来へ貢献するようにと、壁の武装案を何度も申請していた。
他に立場の使い方なんて分からなかったし、本来よりも配備される大砲が一つ二つでも増えれば良かった。
結局、眼に見えた効果は分からなかったが、少なからず壁の強化に役立ったと思っていた。
そして、それは事実だったらしい。
壁を神聖視するこの変な宗教団体に眼を付けられる程度には、私の発言は目立っていたのだから。
「人間風情が、神の所業に手を出すでない! ただ身を任せよ!!」
……アアァァ゛ーーーッ! もうっ、うっせえ!!
「黙れ」
物凄く低い声が出た。
本当は大声で叫んでやりたかったのだが、状況が悪化するだけだと思って必死に押し殺したら、なんか意図せずして凄い声が出てしまった。
決して大きくはない音量だったが、妙に辺りに響き、一瞬周囲が静まり返る。
多くの人間の息を呑む音が聞こえたような気がした。
先程まで喚き散らしていたアホ司祭も、顔を青褪めさせている。
私はまず、そのニック司祭を睨み、それから周囲の人間を見回した。
あ、やべ。リヴァイやエルヴィンとかも見ちゃった。誤解しないでね、二人に敵意はないから。
「押し付けているだけだろう」
「な、何?」
「貴様も含めて、これだけ雁首揃えて、自分のケツに火がついてる時に、たった一人の異端者に押し付けているだけだろうが」
この審議が始まってから建設的な意見は何一つ無く、エレンを殺せだの、挙句の果てに神がどうのこうの……喚いていた奴らを片っ端から睨み据える。
……なんか、言っててだんだんと腹が立ってきた。
エレンを信用しろとは言わない。知らない奴からすれば、不安だろうしね。
でも、現実として起こった出来事をちゃんと見ろ!
エレンが何を思って岩を運んだのか。
その周りで、多くの兵士がどんな思いで戦ったのか。
そして何よりも――その為に何人の人間が死んでいったのか!?
事実を見ろ。
現実を、見ろ!
「これ見よがしに処刑してみせれば満足か? 危機感は消えるか?
不安も恐怖も、エレン一人に押し付けて、吊るし上げ……生贄にしてるんじゃねぇ」
「そ……そいつは、神の威光を、け、け、汚し……っ」
まだ、ニック司祭が何か言っているが、こいつの本性は分かっている。
神という存在を信じているのではなく、ただ縋っているだけの駄目人間だ。
自分の意思で語れない奴の言葉なんぞ、聞く耳持たない。
「その神の威光とやらが巨人を殺せないのならば、後は人間の手でやる。私がエレンを信用するのは、共に戦う人間だからだ!」
多くの思惑があるのだろう。
それらが錯綜し、事態を複雑にしている。
原作でも、この世界は謎だらけだ。
現実に生きる者として周りを見ていれば、それがより実感として分かる。
――だからこそ、エレンは何よりも信頼に値する。
主人公だからではなく、隠された思惑や謎だらけの世界の中で、彼の想いだけはシンプルで力強く、何よりも偽りの無いものだからだ。
だから、共に戦える。
一緒に戦おうと思うんだ。
暗闇に包まれた人類の未来は、他の誰でもないエレンを中心とした意思ある人間の手で切り開く!
「もしも、貴様が神に会えたら言っておけ――『ほっとけ』ってな!!」
私は最後に、ニック司祭へ向けて叩きつけるようにそう言った。
言ってやった。
……ふっ、さすがに効いたらしい。
もはや神がどうこうとか何も言えず、ニック司祭は青褪めた表情でダラダラと汗を流す置物と化していた。
狂信者にぶつける台詞は、やっぱりこれだな。さすがガッツさんだ。
ふう、さて。
言いたいことはいってやったが――。
…………どう、収拾しようか? この事態。
◇
《現在公開できる情報》――漫画『ベルセルク』の主人公『ガッツ』が狂信者相手に言った台詞。
◆
その部屋にいるのは、エルヴィンとリヴァイの二人だけだった。
リヴァイは壁に背を預け、エルヴィンは机の上の書類に眼を通している。
「……クラリスの奴」
おもむろにリヴァイが呟いた。
書類に視線を落としたまま、エルヴィンは黙って聞いていた。
「必要なことは話さねえクセに、要らねえことばっかりベラベラ喋りやがって。デカイ声で」
「審議所でのことか」
「俺よりも言いたいことを言いやがった、クソが。スッキリするじゃねえか」
なじっているのか褒めているのかよく分からないリヴァイの言葉に、エルヴィンは気づかれないように苦笑を浮かべていた。
リヴァイはプライベートでは『クラリス』と呼ぶ。
どういう意図があってのものかは未だに誰も分からないが、少なくとも彼女に親しみを感じているのは確かだ。
普段から仏頂面のリヴァイだが、きっとあの審議所での一連の出来事には、笑みの一つも浮かべたかったのだろう。
「なかなか痛快な台詞だったな」
「アイツにあんな気の利く台詞が吐けたとは驚きだ」
「彼女が失言した際にはどうなるかと思ったが、結果的には良かった」
審議は結局、調査兵団がエレンの身柄を預かるという結論に落ち着いていた。
クラリスがあの発言をした後、辺りは静まり返り、反論する人間は一人として現れず、これ以上の進展は無いと判断したダリスによって、あの場は締められたのだ。
必要以上にエレンを擁護するクラリスの発言も、結局有耶無耶のまま、それ以上指摘されずに終わった。
誰もが何かを言いたかっただろう。
だが、誰も何も言えなかった。
強引な力技といえばそうだが、少なくともそれを行えるだけの力がクラリス・ハンニバルという兵士にはあった。
王から与えられた権威ではなく、ただ個人の持つ圧倒的な迫力――カリスマ性と凶暴性を混ぜたような気迫が、周りの雑多な意思を飲み込んでしまったのだ。
「事態は我々の望んだ通りになった。そして、何よりもクラリスの本音が聞けた」
エルヴィンは言葉の後半部分を強調するように言った。
「彼女は、間違いなく人類の味方だ」
「ああ。分かってるよ、そんなこと」
エルヴィンの断言に、リヴァイが当然のように同意した。
「トロスト区の一件について色々悩んでいたが、これで決断出来たよ」
「そういえば、クラリスの報告書には何て書いてあったんだ」
「ああ、『勘で思ったから現場に急行した』と書いてあった」
「……あの馬鹿、少しは捻って書けってんだ」
「ハハッ、やっぱりリヴァイの入れ知恵か」
「俺の助言したまんまだよ」
「まあ、それを見ても分かるとおり、彼女は嘘を吐けるような人間じゃない」
「ああ。だからこそ、ハンジの言っていた、秘密の組織がどうのって話は現実的じゃない」
「ならば、クラリスには予知能力でもあって、状況を事前に知っていたから行動出来たとでも?」
「アイツが俺達の見たままの『アイツ』であるというのなら――そっちの方がまだ可能性が高い」
「……ああ、そうだな」
リヴァイとエルヴィンは、クラリスと共に戦ってきた記憶を反芻していた。
巨人と戦い続け、それを狩り続け、そして生き残り続ける――。
何も複雑はことはない、単純なことだ。
その最も難しいことを、最も長い時間続けてきた、まさに真の兵士だった。
二人にとって、欠かすことの出来ない仲間だ。何度命を預け、何度命を預けられたか分からない。
だからこそ、大きな信頼の中で日々深まり続ける彼女への疑念に、人知れず苦悩し続けてきた。
クラリスは仲間だ。
だが、彼女は自分達を欺いている。
ならば――何だ?
「彼女は、我々の知らない『何か』を知っている」
エルヴィンは確かめるように呟いた。
「そして、それを故意に黙っている」
リヴァイは黙って聞いた。
「そして、それは――何らかの悪意や思惑からではない」
最後にそう締めくくり、大きくため息を吐いて椅子に背を預ける。
疲れたような仕草でありながら、表情は何処か安堵していた。
実際に口にしたことで、心の中にわだかまっていた様々な考えが、全て綺麗に纏まった気分だった。
「これで、間違いないと思う」
「ああ。きっとな」
「たったこれだけの結論を出すのに、随分と気を揉んでしまった」
「全部、ハッキリ言わないアイツが悪い」
エルヴィンは苦笑を浮かべた。
今回ばかりは、リヴァイの軽口に同意したい気分だった。
「おそらく、彼女には不安があったんだろう。
仮に予知能力の可能性が正しいとして、未来のことを見通せるということは、未来の流れを操れることとはまた別物だと考えられる。
我々が彼女から未来の情報を知る――その段階で既に、その情報とは違っているという矛盾が起こる。起こり得る事態に対して対策を練り、その時点で未来は違う展開になる」
「アイツにも、選んだ結果は分からないってことか。俺達と同じように」
「そして、同じように迷い、後悔もするというわけだ」
「……ふん」
「安心したか?」
「うるせえ」
「私は安心したよ」
エルヴィンの本音としては、ここまでの結論を推測ではなく、直に本人に尋ねることで確かめたかった。
しかし、その結果彼女にどんな判断を強いてしまうのか分からなかった。
クラリスは、それを切欠に自分達に知っていることを全て話してくれるかもしれない。
その結果が良いものとなるのか、悪いものとなるのか、現状では全く判断がつかないのだ。
クラリスのことは仲間として信頼しているし、よく知っている。
そんな彼女が判断して、これまで黙っていたことなのだ。
ならば、このまま自分達は何も知らないままの方が、少なくとも彼女の想定通りに物事は運んでいくはずだった。
自分達だけ見通しの効かない状況に、不安はある。
ただ、クラリスに対する信頼だけは、もはや揺るぐことはなくなっていた。
「彼女は人類の為に、ただひたすら巨人と戦っている――何よりも単純で力強く、そして偽りの無いものだ。だからこそ、彼女の全てが信頼に値する」
エルヴィンの言葉に、リヴァイは無言の肯定を示した。
「クラリスへの追求は行わない。その上で、彼女には独自の判断に基づく行動権を与える。それでいいか?」
「お前の判断なら、俺は何も言わねえよ」
「リヴァイ。友人としての意見が欲しいんだ」
「……ああ。俺も賛成だ」
「我々は、我々なりに可能な人類逆転の為の布石を打つ。
そして、もしクラリスにそれ以上の未来が見えているのならば――彼女には、我々を存分に踏み台にして跳んでもらおう」
――この日。
クラリス・ハンニバルが未来を変える為の最も重要な決断が、当人の知らない所で成されていた。
サシャ、俺だ。放屁してくれ(静かな凄みのある顔で)
アニメのサシャマジ可愛い。特に八話は、原作からの予想通り神シーンだった。
何故、主人公の立ち位置を同期の訓練兵にしなかったのか超後悔。
この作品の最終話は既に考えてあるので、多分アニメが終わるまでにはこれも終わると思います。