カルデアに召喚されたジル・ド・レェと、召喚者の少女……その死と、そして残された人々の話。救いのない話。

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 カルデアに召喚されたジル・ド・レェと、召喚者の少女……その死と、そして残された人々の話。救いのない話。


数多の肖像

#0 或る男の記録、その冒頭

 

「楽しそう!」

 

 彼女の言葉は確かに、荒地に響いた。人知を超えた災害、天災。それを彼は、神による――彼の、常人と比べ随分と離れた両の眼の先、触れるでもなく、裁くでもなく、常に見下ろし続けるだけの――そんな、神に拠るものであると結論付けて。

 怒れる声は、徐々に喜悦のそれへと変わり。英霊を身に降ろした少女、彼女の困惑、続く嘆きと、魔術師の声。彼女ら、彼らは、目の前に立つその人物を知っていた。彼が犯した罪の数々を。彼の積み上げた贄の数々を、生涯を。一四〇四年の終わりに生まれ、一四四〇年の十月二十六日に絞首台に吊るされるまで……一度勝ち得た栄光と、転落。救国の英雄と快楽殺人者、その二つの名を歴史に残した彼の生を。知っていたから、知っていたからこそ、拒絶したのであって。

 

 只、彼女は知らなかった。正しくは、何処までも半端な知識しか持っていなかった。肉眼で見る臓物の色も、骨の白さも知らなかった。頁の上に並んだ規則正しいインクの染み、そこから齎されただけの知識しか持たず。人の生の重みも、摘み取ることの罪もまた、同じ。故に。

 彼の姿に。その心に。忌避を乗り越え、喜悦に満ちた、塗りつぶされた……幼子のような純粋さに。あのオルレアンで見た姿、盲目的に向け続けた聖女への愛に、目を晦ませて。

 

 そして、彼女は。目を晦ませたそのままに。

 

 只々、落ちていったのだ。

 

 

 

 

 

#1 ジル・ド・レェと云う人物

 

 青髭の名で知られ、本名をジル・ド・モンモランシ=ラヴァルと言うこの男性が、真に聖処女を愛していたかについては諸説有る。聖処女ジャンヌ・ダルクは彼にとって、只々都合が良かった人物であるに過ぎず、それ故に付き従ったのであるとも評され――彼のジャンヌに対する執着、其の一端を語る上で引き合いに出されるオルレアン包囲戦の劇、浪費の日々も、彼自身の武勇を知らしめるが為のものであったと。しかし、実際にあのオルレアンにて対峙した彼、また、此処カルデアにて召喚に応じ、現界した彼の姿、言動を見るに、彼の聖女に対するその愛情は確かなものであったのだろう。その愛情が本物であったからこそ、彼は聖女の最期に狂い……彼女は足を踏み外したのではあるが。

 

「マスター」

 

 ノックの音が響く。聞きなれた男性の声に一つ返事をし、入室を促す。椅子に腰掛けたまま、机にペンを置き、開いた扉と、其処に立つ男性へと向け振り返った。

 

「マスター。何をなさっていたのですか?」

 

 大柄な男性。銀色に輝く鎧、腰に吊るした剣。整った顔立ちと黒髪……伝承に見られるような、光を受けて青く輝く髭は、今更であるが見受けられない。丁寧な口調と、柔らかな物腰。英雄としての誉れ高き頃の彼、この時点での彼においても、騎士の鎧のその下に狂気を抱き、そして、苦悩する。

 

 記録について話した。あの事件、このカルデアにおいては知らぬものの居ない事件――忌々しい、と、冠せられる、あの日々についての記録だと。

 

「……申し訳、ありません。あれは……『私』が犯した罪です。マスターが望むのであれば、私を――」

 

 誤解しないで欲しい、と、彼へと乞う。あの事件に限っては、彼に、そして『彼』に非がある訳ではない。

 ジル・ド・レェが生きた時代。其処では、猟奇が、殺戮が、暴力が、ある種のエンターテイメント性を持ち合わせていたとも云われる。貴族の蛮行、横暴、また、それは民衆においても……潜在的に持っていた火種であったように考えられる。彼が生きていた時代だけではない、今、現在――焼却される直前の世界、否、僅かに生き残ったカルデアのスタッフや、俺自身の内にさえ、きっと、燻り続けている。

 彼女の中にも、それと同じ。猟奇の芽が有ったのだろう。只、それは、俺達のそれよりも枝葉が伸び、そして彼のそれ程膨れ上がったものではなかった。多くの者が持ち得る程度の、育ち切らなかった小さな芽。故に、彼に惹かれ、そして、折れた。

 

 俺は、あの事件に……誰かの落ち度があったとは思えない。まして、今俺の前に立つ彼。自身の衝動に苦悩し、苦痛に悶え続ける……その日々の姿、心のままに固定された、永劫の責め苦を受け続ける彼に、あの事件の責任があるとは、欠片ほども思えなかった。

 

 この記録は、自身への戒め。もし、俺が彼女のように……一人の英霊に、否、人間に惹かれ。そして、擦れ違った其の時に、同じ道を辿らぬように。完全な理解、受容等、夢物語のそれに近い――受け入れられること、受け入れること。それ等は等しく、困難であることを。忘れないための記録なのだと、彼に伝える。

 

「……しかし……マスター、確かに……受容は有り得るのです。救いはあるのです。それが……『私』には、あまりに困難であったが為」

 

 確かに、それは、有り得る事。しかし……彼の生を見たのであれば。誰にも理解されず、受け入れられることなく。そして、そのまま英霊となった彼を見れば。その上、人類の殆どが消えたこの世界において、居るのは俺達のような幾らかの人間と、眩し過ぎるほどに輝く英霊か、闇を煮詰めた反英霊。そのどちらと対峙しようが、彼女と同じく目は眩む。今、この時さえ。彼の生に、この瞬間の輝きに。確かな信仰、その姿に。目が眩みつつあるというのに。

 置かれる状況が、常に非現実なのだ。非日常なのだ。その中にあっては、極度の興奮、共感に呑まれ、容易く自己を見失う。分かり合えた気になろうが、数刻の間に心は移ろう。

 

 だからこその、記録なのだと。相互の理解が困難であることを忘れぬための、薄れ行く記憶を繋ぎ止めるための足掻きであるのだと。彼が理解してくれたかどうかは、矢張り、分からず。只、ある程度の納得を思わせる表情と共に、彼は言う。

 

「分かりました。只……私が言うのもなんですが、思いつめないで頂きたい。あの事件があった日から、マスターは、塞いでいるように見受けられる。他の方も同じで、そして、無理も無いことではありますが……」

 

 口が過ぎました、と。彼は頭を下げる。その頭を上げて欲しいと乞うと共に、礼を言う。彼は、親切だった。自身の秘めた狂気が、到底受け入れられるものではないことを理解し、そして苦悩する為か。何れにせよ、思い悩み、苦痛に苛まれ続けた彼でさえ、受け入れられることの無いまま没したのだ。彼の信じる神という存在は、彼のことを、その存在を。許さなかったのだろうか。それは、余りにも。余りにも残酷なことに思えた。

 

 彼の言う様に、俺自身もまた、目に映る姿をそのままに捉えることが出来なくなっている。人間不信に繋がっていくのかも知れない。また、機会を見てドクターのカウンセリングを受けようか、と。そう考えつつ席を立つ。

 

「マスター、何処へ?」

 

 温かいものでも飲みに行こう。

 

 彼へと言葉をかける。返事が来るその前に、都合が合うのであれば、と付け加える。部屋にも、カップが二つと、電気ケトル、インスタントの珈琲はある。けれど、誰かがきちんと淹れた、温かなものが飲みたかった。

 

 

 彼の答えは、柔らかな。慈しむような笑みと共に返されて。俺達は、共に。食堂へと向けて、歩き出した。

 

 

 

 

 

#2 少女とリュウノスケ

 

 彼、ジル・ド・レェの狂気が何時、その心から芽を出したのかは不確かであるものの、幼少の頃には既にその兆しはあったのであろうと、その歪な家族関係から度々推察される。狩猟の際に死亡した父親と、自身を弟共々に捨て、他の男と結ばれた母――一説には、弟ルネを生んですぐに死亡したとも――兎角、彼は幼くして両親を失った後、母方の祖父の元で育つ。退廃的な祖父と、放任の中においても学問、知識の獲得に対する欲求は強いものであったと云う。彼の猟奇性が、そうして読み漁った書籍から齎されたものであることも推察され、彼のそうした気質は生涯を通して見受けられる。その欲求は芸術に対しても向けられ続けた。

 

 ――旦那! ねえ、旦那!――

 

 ペンを走らせ続ける中で、不意に、記憶が声を上げる。脳裏で響くのは、今はもう聞くことの出来ない彼女の声。明るく弾み、活力に満ち。カルデアの士気を上げ続けた声。

 

 彼女は彼を、好んで『旦那』とそう呼んだ。確かに、旦那と呼ばれることに違和感の無い年齢、容姿ではあるものの、他のサーヴァントに対してそういった呼称を用いる姿を見なかった為に、その理由を知るまで、『旦那』と言う言葉を聴く度不思議に思ったのが懐かしい。

 或る日、理由を問うた所、青髭が昔仕えたマスターがそう呼んでいのだと、彼自身の口から聞いたらしい。リュウノスケと云うそのマスターは、彼の理解者であり、そして友だったのだと言う。リュウノスケについての詳細は知り得ぬものの、ジル・ド・レェと趣向を同じくしたのだと言うからには、恐らく悪辣な、そして破綻した道徳観を持つ人物であったのだろう。

 

 そんな、彼女の呼び声に応えるように。青髭は度々、彼女を『リュウノスケ』と呼び間違えた。精神汚染が齎した思考の錯乱は、時折その記憶と現実、そして妄想を混濁させていたのだろう。只一つ理解できたのは、彼女の橙色の髪……穏やかに燃える暖炉の火に似た、彼女の髪のその色が、リュウノスケの髪の色と、似ているものであった事。これは、青髭本人が零した言葉から拾ったものであるので、恐らく――彼の見る世界、その色までが、俺達の見る世界のそれと異なるものではないのであれば――正しい情報なのだと思う。

 

 私じゃ、リュウノスケの代わりにはなれない。

 

 彼女から、そんな相談を受けたのは、或る特異点の人理を復元し、カルデアへと戻ってきた日の夜だった。俺の部屋を訪れた彼女は、今にも泣き出しそうな顔で扉の前に立ち……俺が招き入れるや否や、堰を切ったように泣いた。

 困惑しながらも椅子に座らせ、ケトルのスイッチを入れて。その頃に比べれば、今の俺の部屋は、随分と本が増えてしまった。行動を共にする英霊を、少しでも知らねばならないと思い……話が逸れたものの、俺は、今よりも物の少ない自室で、彼女が泣き止むのを待ちつつ、二つのカップに珈琲を入れた。

 

 嗚咽を零し続ける彼女は、普段の姿を見慣れた俺にとっては、酷く弱弱しく見えて。彼女がこうなってしまっている以上、自分がしっかりしなければと、狼狽えながらもそう思ったのを覚えている。暫くそのまま時間が過ぎて、彼女にカップを手渡せた時は、少し安堵したことも。

 

「私、今回は、旦那と一緒に行動してたじゃない。けど……」

 

 少しだけ冷めてしまったカップを、それでも大切そうに掌で包み、見つめながら。彼女はぽつぽつと語り始めて。

 

「旦那ね。楽しそうに、敵を殺すの。心から楽しそうに……その時にね、怖いな、って、思っちゃったの。……私、旦那を理解したいのに。旦那が、本当は只の狂った人じゃなくて、すごく悲しい人だって知ってるのに」

 

 どう言葉を返せばよいのか。分からないままの俺に、彼女は言葉を続ける。

 

「それでね、それで……旦那、楽しそうに、私を呼んだのよ。『楽しいですね、リュウノスケ』って……私、言葉、返せなくて。旦那、振り向いて、私を見て、悲しい顔して……それで……」

 

 貴方は、リュウノスケではないのですね、って。

 

 彼女は其処まで言い、そして再び泣き出した。

 彼女はリュウノスケでは無い。彼女は彼女で、リュウノスケはリュウノスケだ。それは当然のことであると、そう思った。思いこそすれど、彼女自身、そんなことは理解しているだろう。そんな言葉は、彼女を慰めることすら出来はしまい。彼女の心を苛むのはきっと、ジルの心を理解できないことであって……

 返す言葉は、結局見つからなかった。どうすることも出来ず、しかし、どうにか彼女の苦痛を和らげたいとそう思い、躊躇いながら背中を擦った。

 

 彼女の相談を聞く俺自身が、あの青髭であったなら、彼女の心を癒せたのだろうか。彼のその手と比べたならば酷く小さな手、彼のそれとは全く異なる俺の手で、頼りない手で、彼女の背を擦り続けた。

 

 

 俺では、青髭の代わりにはなれなかったのだ。

 

 

 

 

 

#3 青髭の見る世界

 

 二十五歳という若さで元帥となり、救国の英雄として讃えられた彼も、戦場から離れチフォージュの城に入ってからは、童話『青髭』のそれと重なる幾多の凶行を繰り返していく。それは彼の莫大な財産が失われる毎に色濃くなる。失った富を錬金術に拠って賄わんとし、そして、悪魔の召喚の為に幼子を贄として捧げ始めたことによって、彼の倒錯、凶行は、より苛烈なものとなっていった。配下に子供を攫わせ、そうして城に届けられた子供を、配下に悪漢役をさせた上で自分が救い、安堵させた瞬間に首を掻き切ったとの説話の他、聖歌隊や、城仕えの従者として招いた子供達に上等な衣服、寝床、食事を与えた後に殺したとも伝えられる。安堵や幸福と言った状態からその精神を恐怖に落とす、そういった手法に拠る凶行を、彼は好んで行ったと云う。

 

「クリスティーヌ、クリスティーヌ。我が歌姫……」

 

 先ほどまで書き記していた記録、その文面を思い起こしつつ、昼食の為に食堂へ向かう。想起するのは、赤や、白。微かな吐き気を憶え、食事の前に書くことでは無かったと後悔しながら歩き、その道中、廊下の奥。ふらついた足取りで此方へと歩む、彼の姿と声を認めた。

 一度最悪まで落ち込んだカルデアの士気は、徐々に戻りつつあった。それは、ドクターの尽力に拠るものであり、感謝の念は尽きない。それでも、一度刻まれた傷が癒えきることなどは無く、彼女が居た頃よりも随分と静かになったカルデアの廊下に、ファントム・オブ・ジ・オペラの声。青髭と同じ、精神汚染スキルを持った彼は、事件の前も後も、その立ち振る舞いが変わることは無い。事件について把握しているかさえ、理解しているかさえも怪しい。様変わりしたカルデアにおいては、それが幾らかの安らぎと、そして、共通する振る舞いに拠る事件の想起、そんな複雑な思いを抱かせるものとなっている。

 

「クリスティーヌ。クリスティーヌ。我が歌姫、君は何処(いずこ)……」

 

 擦れ違う彼の、仮面から覗くその顔は、以前と変わらず悲しげで。同ランクの精神汚染を持つ彼ならば、青髭の声も……そして、彼自身の声も。理解しあえたのだろうか。遠ざかっていく声を背後に聞きながら、彼とは反対方向、食堂へと向けて歩いていく。

 

 扉を開けば、見慣れた姿。隠した片目と、パーカー。戦場においてはあの、巨大な盾を掲げて駆ける……華奢な姿が其処にあって。

 

「あっ、先輩。先輩もこれから食事ですか?」

 

 少し、弾んだ声。肯定の言葉を告げ、カウンターにて食事を受け取り。テーブルを挟み、彼女の対面、何時も通りの場所に座る。故に、何時も通り……彼女の隣の席が空く。

 

 食事を取り始めても、会話は弾まない。空いた席を埋めていた彼女が居ないから。話題を振り、よく喋り。そんな彼女が居ないから、自然と口数は少なくなる。

 

「……あ、先輩。そういえば、彼についての伝承ですが……」

 

 どうにか、言葉を交わそうと。彼女がそうやって、話題を探し、振ってくれる。近頃彼女と食事を取るときは、何時もそうだ。そしてその度、申し訳ないと、そう思う。

 

「……先輩……」

 

 彼女が調べてくれた、カルデア内の英霊達。日本で生まれ、日本で生き……カルデアへの召集に当たって、英語、最低限の読み書きだけを覚え……あの頃と比べれば、随分と慣れたとは言え、日本語、英語以外の言語は扱えず。カルデア内の資料も、大半が読めぬ物ばかり。そんな俺に、英霊についての伝承を懇切丁寧に教えてくれる。彼女が居なくなってからの、日常。そんな日常が不意に途切れ、物憂げな瞳が俺を見つめる。

 

 彼女の言葉は聴いていたとは言え、考え事をしてしまった。そのことを詫びるも、彼女は首を横に振る。

 

「いえ、そうではなくて……先輩、先輩には、責任はないんですからね」

 

 唐突と言えば、唐突に。彼女ははっきりと、俺に告げる。物憂げだった瞳は、訴えかけるように真っ直ぐで。面食らう俺を見てか、席を立ち、傍ら。隣の席に腰掛けた。

 

「先輩は、何も悪くないんです。だから……お願いです、思い悩まないでください。私……先輩まで……先輩まで、居なくなってしまうんじゃないかって、心配なんです」

 

 手を取られる。彼女は、マシュは。縋るように言う。否、事実、縋っているのだろう。俺が逆の立場であれど、きっと、同じ思いになる。身近な者が思い詰めた末に消えるのだ。既に一度、その体験をしたならば……そして、また、思い詰めた者が周りに居たならば。きっと、俺も、同じように乞うだろう。ましてや、相手が、最後のマスター……世界の崩壊を食い止める上で、必要不可欠となってしまった身であれば。

 

「……もう、失いたくないんです。守ると決めたのに……手を、握ってくれたのに……お願いです、先輩……お願いです……」

 

 確かに、あの時。俺達は……生き残った、俺達は。二人で、彼女の手を握った。そして、俺達二人も。何故、離れてしまったのか。何故、離れることになったのか。あの時は確かに、繋がっていたはずなのに。

 

 否。繋がってなど、いなかったのだ。俺は――いや、誰も。彼女について理解していなかった。何一つとして理解できていなかったから、あの結末に至ったのだ。

 対話の不足もあっただろう。隠したものを曝け出す、そして、それを受け入れる。そんな勇気も、また。相互の理解、その内容は何も、座に登録される程の存在、数々の偉業を成した意思や、汚染された精神ではない。同じ背丈の人間同士。ならば――

 

「……先、輩?」

 

 其処まで、ふっと脳裏に浮かび。そして、急速に冷めていく。俺の取り始めた記録、それは、理解と受容、それを求めた末に起こった悲劇。取り始めたのは、忘れぬため。理解が、受容が、容易いものではないことを、忘れぬためのそれなのだと。ジルにも、そう伝えただろうに。

 

 彼女ならば理解してくれる。汚染された精神、錯乱した思考の中で、青髭はきっと、そう思ったのだろう。自身を受け入れた、理解したマスター、リュウノスケと同じ色の髪、そして同じ『旦那』呼び。慕う姿もそうだったのかもしれない。明るく楽しげな振る舞いも、そうだったのかもしれない。姿さえ見たことの無い人物と、彼女を見比べたところで、それがどれだけ似通っているのかなど知れず。只、只、青髭は。彼女とリュウノスケの姿を、その目の中で重ねたのだ。理解を、友を求めたのだ。

 

 最近、記録を取っている、と。そう、俺の手を握ったままの、彼女へと言う。不意を突かれたような、困惑するような。そんな顔をする彼女にそのまま、心配無いと言葉を投げた。俺は、あの一件で、誰に非があるとも、思っていない。気を病んでいるのではなく、単に少し、考え事が増えただけだと。それだけ、告げて。

 食事の続きを促す。彼女は未だ心は晴れ切らないと言った様子で、それでも、素直に食事に戻る。

 

 

 食事は、随分と冷めていて。食器同士が触れ合う音、その音だけが部屋に響いた。

 

 

 

 

 

#4 青髭とその盟友

 

 プレラーティーと名乗る人物がジル・ド・レェに近付いたのも、多くの魔術師……その殆どがペテン師であったであろうことは、魔術師の存在を知る私達の目から見ても明らかであるが、このプレラーティーと云う人物は、他のペテン師と一線を画する存在であった。ジル・ド・レェが悪魔の召喚に乗り出していたことは前述したが、悪魔召喚に対する意欲が強まったのは、この人物との接触によるものであるとされる。プレラーティーと出会う以前から、数人のペテン師に悪魔召喚を促され、幾らかの儀式を行っていたとも云われるが、何れも成功しなかった。無論、史実においてはプレラーティーとの接触後も悪魔の召喚に成功したなどと云う記録は無いが、キャスターのクラスを以って現界したジル・ド・レェが、『螺湮城教本』と呼ばれる宝具を携えている点、そしてそれをプレラーティーから賜った物であると述べている以上、彼が本格的に魔術に傾向したのは、このプレラーティーとの接触によるものだったのだろう。

 

 夕方。戦闘訓練。記録を書き続けるにせよ、調べ物をするにせよ。机に向かい続けるのは、疲れた。思えば昼食を取り、彼女と別れてからはずっと、部屋に籠り続けたことになる。夕食までは、まだ時間があり、少し、体を動かしたかった。故に、ドクターや、暇を持て余したサーヴァント達に話をし、戦闘訓練を行うことにしたのだった。

 今までの特異点において、一度でも戦闘を避けることが出来ただろうか。最後は、戦い、そして、聖杯を所持する者を倒してきた。倒した相手の最期の顔が、安らかであったこともある。それでも。

 言葉で、理解し合えたことがあっただろうか。戦った末に、理解しあえたと思ったのは。単なる気のせい、思い込みではなかったか。何にせよ、目的は変わらない。人理の修復は、必ず成し遂げなければならないのだから。

 

 剣が敵を切る音がする。ブリテンの王を呼ぶ声がする。彼女は、カルデアには居ない。召喚に応じぬまま、今日に至る。

 

 生き物の焼ける匂いがする。蛇の吐く火が燃え盛る。悲しみの末、怒りの末に得た姿。シミュレーターの中の景色、感覚とは言え、その匂いは……実戦においても怯まぬようにと、現実のそれに近いもの。

 

 殴打と雷の音がする。狂おしいほどの叫び声は、まるで、泣いているように。唸っているように。白いドレスをはためかせ、敵へと駆け、槌を振る。幼子のようだ、と。場違いな感想を抱きながらも、事実。彼女は、英霊の座にあってさえ、幼子のように、無垢なまま。

 

 彼等、彼女等を、人々は狂戦士と呼ぶ。言語を、思考を、意思の疎通を、狂化と呼ばれるスキルに拠って歪められたサーヴァントたち。彼等、彼女等は、基本的に俺の呼び声へと素直に応えを返してくれる。慕ってくれるのは……多少、盲目的とは言え……純粋に、ありがたかった。彼等、彼女等なら、離れていくことも……俺が、致命的なミスを犯さない限り……無いように思えた。思考能力を失い、暴れ続けるだけのものとなった者、俺を誰かと見誤る者、俺に依存する者。彼等、彼女等の過去を知れば、その姿で現界したことに違和感は無い。彼等は、彼女等は、誰に理解されることもなく、理解されることが無いままにその生を終えたからこそ、その姿のまま固定された……召喚者である俺達が、狂化を付与したわけではない。その適正を以って、このクラスとして召喚された……それは、狂気に堕ちた姿で現界した青髭や、彼の亡霊と変わらない。

 

 敵は倒れていく。礼装を用いた強化、回避、突撃、その指令。淡々と騒々しい戦場。機械的な狂気に満ちた戦場。その戦場を走り、隠れ、そして。

 

 最後の敵。それが倒れる、姿を見た。

 

 

 

「お疲れ様」

 

 ドクターの声と、机に置かれたカップ。液体の入った陶器の重みが、金属のテーブルと触れ、低く籠った音が響く。そして、幾らかの菓子――

 

「おっと、食事はまだだったね。一つにしておこうか」

 

 彼の笑みを視界に捉えながら、差し出された菓子を受け取った。感謝の言葉を告げると、彼は俺の隣に座った。

 

「丁度退屈そうにしていたサーヴァントが、バーサーカーばかりとはね。食事の用意に当たってくれているサーヴァントや……あとは、体を動かすのが嫌いなサーヴァントが多いから、仕方ないのかもしれないけど」

 

 基本的に、カルデア内に居る英霊は暇を持て余している。それでも各々、時間を潰す……肉を持って現界した、新たな生を楽しむ者が多い。生前には時代を隔てて不可能だった、英霊同士の会話を華を咲かせ……食事前とあれば、尚更。真っ先に駆けつけたサーヴァント達が、狂戦士達であったことも、一因なのかも知れない。若しくは。

 

「君を避けてるわけじゃないよ」

 

 彼は、偶にこういう所がある。こちらの考えを、勝手に代弁してくれる……精神面でのサポートも行う彼だ、相手の気持ちを汲むことにも長けているのだろう。

 

「皆、君を心配してる。それは、君が最後のマスターだからじゃない。単純に、大切だからだ。……僕だって同じさ。今回は、偶然都合がつかなかったり、体を動かす気分じゃなかっただけ。時間も悪かったしね……あ、僕としてはどんな時間でも構わないからね! 一人で仕事してる時に、近くで一緒に頑張ってる人が居たりすると何だか安心するだろう?」

 

 彼は、よく喋る。レイシフト先では、空気を読まず……わざと、空気を読まず。緊張を解そうとしてくれる。自分を一つ、下に置き……円滑なコミュニケーションを促す。

 

 そんな、彼に。問いを投げた。志を、真に共にする仲間が居れば、彼女は、と。

 

「……先に言っておくけれど。君は」

 

 悪くない。少々、傲慢に聞こえるだろうけれど、はっきりとそう、彼へと告げた。負い目なんて感じていない。気に病んで、作戦に支障を来たしたりはしないと。人理の復元、それを成すまで、立ち止まりはしないのだと。

 

「うん。なら、純粋な興味、知識欲からの質問として捉えよう」

 

 そう、前置きをおいて。彼は話す。

 

「実はね、似た質問を彼女からもされたんだ。……僕は、返答を誤ったかもしれないと、少し後悔してる」

 

 彼は語る。或る日、彼女が彼の元に訪れたこと。そのときはマギマリ――彼が好きなアイドル、それを模したAI――が更新したブログを読んでいて、慌ててコンピューターの画面を落としたこと。今と同じように、カップに温かな飲み物を淹れ、菓子を彼女に差し出したこと。

 そうして、彼女の質問を受けたこと。その内容は。

 

 隣に理解者が居て、そんな人と行動を共に出来たなら……いや、出来なかったなら。それは、どれだけ辛いのだろうか。

 

「……深刻そうな顔、では無かったよ。あの時はまだ、そこまで思いつめていなかったんだろう。きっと、彼……キャスターのことを理解しようとしていたんだろうね。だから、僕は、僕の思うように答えた」

 

 その、答えは。

 

「きっと、とても辛いだろう、って。人間は、一人では生きれない。孤独はある意味、病気と同じだ。精神は磨耗するし、確かに汚染される。原因も把握できる、処方箋だってある。なのにそれは、一度罹ってしまえば治すのはとても難しい……」

 

 彼は、一口。カップに口を付ける。

 

「僕は今でも、この答えしか持っていない。けれど、他者がその孤独を癒すというのも、また難しいものだと彼女に伝えたよ。相手が元帥だと言うのは、察せたからね……彼のことを癒すことは、多分不可能だとも伝えた。結局、結末は、この様だけれど」

 

 その、答えに。彼女は、どう答えたのだろう。

 

「彼女は……少し、悲しそうだった。けれど……対話を諦めなかったよ。はは、余りにも強大な相手を前にしても、一歩も引かずに人理を修復し続ける君達らしいと……そして、君達なら、彼女なら、もしかすると、って。そう思ってしまった」

 

 それで、話は終わり。お菓子を摘んで、少し話をして。それで、彼女は部屋に戻った、と。彼は、彼女との対話、その日の話を締め括った。

 

「……人間関係の拗れは、時に破局を齎す。それは、長い歴史の中で何度も起こってきたことで、これからも避けることの出来ないことなんだと思う。けれど、何も理解し切ることはないんだ。全部を理解し切れなくても、人は共に歩いていける……それに」

 

 彼は微笑む。

 

「一対一で、二人で全てを抱え込むことは無いんだ。僕や、他のサーヴァント、周りに居る皆……勿論、全部を共有することは出来ないだろう。それでも、一緒に考えていくことや、仲を取り持ち合って付き合っていくことが出来る。一対一では駄目でも、他に誰かがいれば、理解が深まることもある。だから、一人で背負う必要はないからね」

 

 そうして、彼は席を立つ。彼のカップは、既に空だった。俺のカップも、先ほど空いた。本当、相手をよく見ている。

 

「……そろそろ食事が出来た頃かな。さ、行こう。皆、君を待っているよ」

 

 あ、手を付けなかったお菓子は後で食べよう。と。そう付け加える彼に促され、席を立った。

 

 

 

 

 

#5 青髭の生

 

 ジル・ド・レェは凶行の傍――自身の行いを悔い神に救いを求め続けた。その姿は、彼の犯行の残忍さからは――残忍さか――残忍さからは、思い描く――困難な――

 

「先輩。先輩」

 

 傍らから、少女の声が聞こえる。聞きなれた声、マシュの声だ。

 

「ほら、そのまま寝たら風邪を引いてしまいます。ベッドに移りましょう」

 

 彼女の手が伸ばされる。その手を、眠気、朦朧とした意識の中で取り。そのまま、握った。

 

「……あの、先輩。立って、頂けると」

 

 そこで、意識が鮮明になる。手を繋いだまま、困った顔をした彼女が其処に居て。何をしているのかと、軽い自己嫌悪を感じながらも、彼女に詫びる。

 

「あ、いえ、いいんです。手を繋ぐのは、その、構わないんです。けれど、お疲れのようなので……」

 

 ベッドに、視線を向ける。先ほどまでなら、眠るべきだっただろう。しかし、目は覚めてしまった。もう少しだけ、記録を続けたい。

 

「……それが記録、ですか」

 

 マシュが覗き込む。自分が書いた文章を人が読むと言うのは、少し、気恥ずかしかった。薄暗い部屋、机に備え付けられた灯り。小さな灯りの中で、書き連ねた記録、ノートに二人で視線を落とす。

 

「あ、先輩、文章中では一人称が『私』なんですね。ちょっと意外です」

 

 記録だから、普段の一人称よりも畏まったほうがよいかと思った。指摘は矢張り、気恥ずかしかった。

 

「……こうしてみると、あの一件が……なんで、ああなってしまったのか、少し、分かってきた気がします」

 

 マシュは、悲しそうに言う。恐らく、読み終えたのだろう。記録の上、最後の文章、蚯蚓の這うような字になってしまい、読むことが困難な頁を破く。新たな頁の、最初の行にペン先を置いた。

 

 もう少しだけ、続けたい。だから。

 

「……そう、ですか……こういう時先輩は、言っても聞きませんからね」

 

 そう言って彼女は踵を返す。コツコツと冷たい足音を響かせ、部屋の外へと出て行く。

 

 怒らせてしまっただろうか。幾らかの後悔を憶えて、その後悔を紛らわすように、ペンを走らせた。

 

 

 ジル・ド・レェは凶行の傍ら、自身の行いを悔い神に救いを求め続けた。その姿は、記録に残る彼の犯行、その残忍さからは、思い描くことが困難であるように思える。しかし――

 

 

 そこで、扉が開いた。最低限の明かりしか点っていない廊下。その明かりで影を強めた、その姿は。

 

「言っても聞かないので、待つことにしました。いいですよね、先輩」

 

 ポットと、カップ。砂糖、ミルク、茶葉の入った缶。それ等を乗せたトレーを持った、彼女。マシュで。

 

「差し出がましいとは思いますが……記録を終えて、就寝を見届けるまで、此処にいても良いでしょうか」

 

 彼女は、少し、不安げで。しかし、拒む理由は無い。寧ろ――ありがたかった。

 

「では、私は紅茶を淹れますので、先輩は記録を続けてください。……寝る前に紅茶はどうかとも思ったのですが、ミルクたっぷりにしておきますので」

 

 偶に、彼女は押しが強い。促されるままに机に向かう。嫌な気は、欠片も無かった。その行動が、嬉しかった。

 

 

 ――しかし、カルデアでマスターとなり。青髭としての彼と、元帥としての彼。同一人物にして、別側面の彼と出会った今となっては。その姿が容易に想像がつく。残虐に、喜悦に満ちながら人を害す彼も、自身の性を思い悩み、聖女と神に信仰を向け続ける彼も、紛れも無い同一人物なのだ。最期、彼が裁判の後に破門を通告された際に見せたという狼狽も、悲嘆も、なんら不自然なものではないと、そう感じる。

 

 

「先輩、どうぞ」

 

 ありがとう、と、そう伝える。どういたしまして、と、返され、たった今書いた文章を、彼女の視線が追う。

 

「……ジルさんの信仰は、確かなものなのでしょう。だからこそ……その絶対の存在に、裏切られたと、そう感じて……あんな姿になってしまった……」

 

 聖女という救いが、元帥であった頃の彼にはあった。その頃には既に、狂気の芽は大きく育っていただろう。それを思い悩みながらも、彼の言う『光の側』でいることが出来た。その救いを、人々の欲得によって穢され、奪われた事実は、彼の心を壊すには、十分過ぎるものだったのだろう。

 

「もし、理解者が居たならば……ジルさんの心も、救われたのでしょうか」

 

 彼女は、そんな彼の理解者であろうとした。共に歩めるはずだと信じ、事実、彼と共に歩んだ。理解しようとし、理解し切ろうとし、そうして、ああ言った最後を迎えたのだろう。

 

「……先輩は……あの人は……あの人の選択は、間違っていたのでしょうか。確かにジルさんは、人と相容れない心を、持っていたのだと思います。けれど……そんな彼を受け入れようとすること、受け入れられることは。悪いこと、だったのでしょうか」

 

 私は。

 

 

 一呼吸置く。マシュが淹れてくれた、ミルクと砂糖が入った紅茶、それを口に含んで、飲む。

 

 

 私は、彼女の行動が間違いだったとは思いたくない。確かに彼の行いは、許されることではない。確かな罪だ。しかし、生まれ持った、或いは何処かで芽生えてしまったその思いを抱きながら生きる人が、誰かに受け入れられようとすることは、そして、その人物を受け入れようとすることは。間違ったことではないと、私自身は強く思う。

 

 

 筆を止める。彼女に向き直る。そして、口を開いた。

 

「難しいことは分かってる。成し遂げることが出来ないことのほうが、ずっと多いことも分かってる。俺があいつを、こうして理解しようとしているのさえ、今更だ。それでも、俺は……俺は……」

 

 言葉が、見付からない。伝えなければならない。人格を、思いを。存在を、人生を。その個人に関わる全てを。受け入れようとすること、理解しようとすること。それら全てを……全てが……

 

「……ええ。先輩。きっと。悪いことなんかじゃ……許されないことなんかじゃ、ないんですね」

 

 彼女の手が、俺の手の上に重ねられる。

 

「その人の生を、その意味を。否定することなんて……誰にも許されない。それは、例え……どんなに受け入れがたい相手であっても……それを受け入れようとする人であっても……言葉って、難しいですね。先輩」

 

 そうやって。彼女は笑う。少し、気恥ずかしそうに。そして、酷く悲しそうに。それは、俺も、同じことで。

 

「……先輩の言うように、きっと、困難なのでしょう。私達が、理解したいと願うのさえ遅すぎました。だから、あの人は……この世を去ってしまった。ですが……私は、あの人の行動が間違いだったとは、思いません。思いたくなんて、ありません。誰一人……そう、誰一人。きっと、間違ってはいなかった……受け入れ難くも、ありますが……」

 

 それでも。いや。

 

「ええ。だからこそ」

 

 彼女達を、理解する。記憶する。その為に、こうしてペンを握ったのだ。

 

 

 彼女と、青髭。二人の最期を、記さねばならない。

 

 

 

 

#6 二人の最後

 

 結末から記す。彼女、私と共に、最後のマスターとなった彼女は自ら、この世を去った。自室で首を吊ったのだ。青髭もまた消滅し、今、このカルデアには彼女と青髭は居ない。二人は、互いに歩み寄ろうとし、そして、理解し合えない事を理解したのだ。

 

 青髭は或る日、レイシフトを願った。そこで、彼女に、見せたいものがあるのだと。

 

 彼女は、私達の同行を拒んだ。彼と二人で過去へと飛び、そして。

 

 

 惨劇は、始まったのだ。

 

 

 

 

 

「何、これ……何を……」

 

 彼女の前に聳え立つのは、巨体だった。海中から躍り出た巨大な触手……青髭が普段使役する海魔達のそれとは、比べ物にならない巨大な魔物……ドクターはそれを、異界の者と、そう呼んだ。

 彼が海上にて儀式、尋常ではない魔力と、呪文。何処からか迫る、禍々しい、混沌とした、蠢くような、這い回るような。そんな、未知の存在が感知された瞬間には、カルデアに残った私達も、緊急のレイシフトによって現場へと向かった。

 

 向かったが、遅かったのだ。私がサーヴァントを引き連れ到着した時には既に十数人。巨大な魔物に捕らえられ、食われた。私が到着してからも、また、同程度の命が奪われた。

 

「あ、ああ、何で、何で、旦那、旦那!」

 

 到着した私達に、彼女は気付くことさえなく。波打ち際、海へと走り、ジルドレェの身を呑んだ、巨大な魔物へ向けて駆け。サーヴァントに拠って制止を受けても、もがき、足掻き、彼へと向けて縋ろうとした。

 

「如何ですか、我が主よ! 貴方は私を、この私の涜神を受け入れて下さった! 歩みを共にしてくださる! 故に! 私は貴方へと捧げよう! 此度の主賓は、紛れもない……貴方なのです、我が主よ!」

「私に……私の、為に……?」

「然り! 主よ、此れなるは最高のエンターテイメント! 貴方を悦ばせる、貴方に捧げられる、私の全て!」

 

 彼女は。言葉を聴いた、彼女は。

 

 笑っていた。笑みを、浮かべていた。視線は、舞い散る血の赤に、臓物の色に、骨の白さに。知識としてのそれではない。現実となったその光景。絶命の瞬間まで絶え間無く続き、鳴り響く絶叫に。強張った、固まった、笑みを向けて。

 

「わた、し、は……何も……違う……こんな……私が欲しかったのは……」

 

 俺は。掛ける言葉を、知らなかった。声を、掛けられなかった。只。

 

 青髭へと向けて、サーヴァント達の矛を。槍を。剣を。槌を。向けられるだけの全ての武力を、向かわせようと――

 

「やめてッ!」

 

 向かわせようとして、制止を受ける。叫び声は、余りに痛々しく、余りに惨い。そんな声に、身が、何より、心が竦んだ。

 

「……ごめん、ごめんね、旦那……旦那ぁ……」

 

 泣きながら。彼女は。その、小さな右手を向けて。

 

「旦那、旦那ぁ……私は、私じゃ……あなたのこと……何も、何にも……っ!」

 

 そして。

 

 

 

「……礼呪を以って、命じる……自害せよ、キャスター……」

 

 ジル・ド・レェ。と。

 

 

 

 言葉は、響き。異界の者は、歪に。巨大な肉体を蠢かせ。

 

 青髭の名で知られる彼は。異形の中で、潰れて、消えた。

 

 

 

 

 

#7 或る男の記録、その末尾

 

 彼女は数日、部屋に篭り。そして、そのまま首を括った。遺書は、見付からなかった。

 

 失意の内に、彼女は死んだ。彼女は確かに彼に惹かれた、しかし同時に、余りに優しく、純粋だった。それは、ジル・ド・レェの両側面と同様で。

 

 理解し合うことは出来なかった。深い、深い、絶望の中で……私には、完全に理解しきることなんて出来ない程に深い、深い、絶望の中で、自らの命を絶ったのだろう。私達は、彼女に何もできなかった。理解することは、寄り添うことは、出来なかったのだ。

 

 人は理解し合うことなど出来ない。彼女もそう思ったが故に、命を絶ったのかもしれない。

 受け入れがたい結末。それでも、残された私達は。

 

「ぅ……く……ぅ、う……」

 

 彼女の嗚咽が聞こえる。呼吸がし難い。視界は滲み、そして、やっぱり、息がし辛い。彼女……この世を去った、彼女と過ごした日々の記憶が甦り、そして、彼女の最期が浮かび。

 彼女の生を拒絶したくない。彼女の生を否定したくない。だから、受け入れるしかないのだ。そして、それは、こんなにも苦しいことなのだと。拒絶し、放り、捨てられたなら。彼女の生を否定して、忘れ去ることが出来たなら。しかし、それは、不可能な事。

 

 それに、俺は。俺たちは。例え、間違いだとしても、許してもらえないとしても。誰かに受け入れられたいと。誰かと理解し合いたいと。そう、願ってしまうから。

 震える手でペンを握り、そして、最後の言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

 私達は。

 

 彼女等の生を。今後出会う全ての生を。記憶に留め、受け入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 



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