「……タエコさん」
「ん? どうかしたか、チェルシー」
それは、オールベルグ直属で雇っている密偵達に人相を伝え終えた後の事。
何やら深いため息を何度かしていたから、タエコは少なからず気になっていた様だ。
「ほんっと、アイツって何なのかな。 今回だって、訳わからないままだったし……、その、攻撃されて 負傷した……違う、重症を負った時。私、死ぬって思った。……だけど、アイツが笑いながら引っ張り上げてくれた。……アイツは、何でもできるの?」
「……チェルシーが言いたい気持ちは私にも判る。あのひとが、一体
長い歴史を持つオールベルグ。その歴史の中でも極めて大きな事件。
それが つい数年前の《オールベルグ本部襲撃事件》
その時、タエコもいた。……その力を目の当たりにしたのだ。
□ ■ □ ■
『……あなた、一体何なの?』
まさに白昼堂々だった。
オールベルグは、闇の世界では誰もが知ってる程の暗殺結社。その圧倒的な実力は誰もが畏怖し、闇より狙われれば生き残る事は出来ないとまで言われている集団。帝国もオールベルグに関しては 最も警戒している。だが闇の中で蠢く暗殺者を視界に捕らえる事は出来ない。密偵を潜り込ませても、瞬く間に殲滅されて手掛かりさえも残らない。
残るのは――狙われた相手の無残な死体だけだった。
そう、相手の死体だけなのだ。……その筈なんだけど……。今回だけは違った。
音も無く突如現れた侵入者の男は、瞬く間にオールベルグのメンバーたちを圧倒していた。誰もが暗殺者として高度に訓練されてきた兵士達だった。……なのにも関わらず、まるで子供扱いだった。
『はぁ…… っとにもー! ちょっと話するくらい良いじゃん良いじゃん! なーんで ここの皆してそんな邪見すんの? って、あれ? お前さんがここのボスかな? ……ちょっと何とかしてくれない? オレそんな悪い奴じゃないからさ!』
男がたっていた。
一目見て異常だと分かった。
その男は漆黒を纏っていたのだから。それだけでも十分警戒するに値する。そして その佇まいは今まで出会った強者。暗殺者を含めた手練れ、己の戦いの歴史の全てと照らし合わせても比較にならない程の何かを感じた。陽気な表情で近づいてくる。隙だらけに見えるその歩法。……見た事も聞いた事も無いモノだった。
今 相対しているのはメラルド・オールベルグ。現オールベルグの頭領にして 最強の暗殺者。
その秘密は彼女が持つ《蟲》に秘密があった。
その蟲の名は《蠢くもの》
オールベルグ頭領に代々受け継がれる昆虫型の危険種の群の総称。
虫たちは様々な特性を持ち 術者の意のままに動かす事も出来る。影より忍び込み 肉体を斬り割き、穿ち、そして食い荒らすもの、毒を放ち動けなくするもの、身体そのものが爆発するもの。様々な種類がいて その全てが危険種。……無限に思える蟲が瞬く間にターゲットの命を食む。
その筈だった。例外はいない筈だった。
『攻撃が……全て通じない。とでもいうのかしら』
幾度となく繰り出された攻撃。当たっていない訳はない。倒れている仲間達の攻撃も間違いなく当たっている。なのに――まるで効果は無いのだ。自分自身が操る蠢くものさえも例外じゃなかった。
『あー、うー……。虫はあんまし好きじゃないんだよねぇ……。君はとっても素敵なのに なんか 非常にアンバランスだよなー。虫より花の方がぜってー似合う』
『虫唾が走るわね』
『おっ? 虫を使うだけにか? 中々面白い事言うなっ? 余計に気に入った! ってか、可愛いくて強い子は結構大歓迎だぞ』
陽気に両手を広げながら近づいてくる男。
それを見て 左右から飛びかかるのは先ほどあしらわれた2人組。
『この……っ! メラ様に――』
『近付くな!! ケダモンが!!』
1人の娘は拳を、もう1人はチャクラムを使用し連携して攻め立てる。
ギルベルダとカサンドラ。
左右から迫る2人をちらりと見た男は そのまま両手で2人の攻撃を受け止めた。
渾身の一撃をあっさり止められ、特級危険種の固い鱗をも容易に斬り割く刃を素手で止めた。
何度も何度も攻撃を躱され続けた。漸く当たった。当たればそれで終わると思っていた2人だったから驚愕の表情をする。驚き目を見開いていた。
『蠢くもの―――』
だが、2人の攻撃のおかげで生まれた唯一の隙を逃さず、メラルドが蟲を使って再び攻撃を始める。
今度は全力の攻撃。全ての蟲を使った物量で押し潰す攻撃。
まるで闇が蠢いているかの様に、暗黒となった蟲の群あっという間に男を覆い尽していった。
『骨も残さないで――』
メラルドの命令のままに、命を食む蟲の攻撃。
だが――、それも届かなかった。
『いやほんと。熱烈な歓迎ありがたいんだけどー。……オレ、そんな酷い事したかな? 元々は、あの剣習ってるお嬢ちゃん。タエコ……だったかな? その子が可愛らしかったから、声かけただけなんだけど。……なーんか 一緒にいた おっかない婆ちゃんに怒られながら攻撃されて、その上 おばあちゃんと一緒になってお爺ちゃんにも攻撃されて。今度は可愛らしいお嬢ちゃんのタエコちゃん? には斬られて、結構オレってば傷心気味なんだよ』
声が聞こえてきた。
それも、3人の後ろから聞こえてきたのだ。
聞こえた瞬間、3人共々死を予感したのは言うまでもない。それ程容易く――男は3人の死線を横切ったのだ。
『………………これは勝ち目がないわね』
メラルドは両手を上げた。
確実に殺せる間合いに入ってきたのにも関わらず、命を穿つどころか攻撃もしない。……ただ話しかけてきた。甘いだけの男かもしれない。……だけど 圧倒的な実力差があるからこそできる芸当だという事くらいは理解できる。
つまり――目の前の男は、いつでも殺す事が出来るという事だ。
それを認めたからこそ、メラルドは両の手を上げたのだ。
そして 彼女が負けを認める所をみるのは初めての事だった。そして メラルド自身も初めての事だった。戦いは勝ち負けではなく生き残る事こそが全てだ。負けを認めても死ななければまだ取返しはつく。
だが、メラルドは完全に降伏をしている様にも見えた。
だからこそ、激震が走った。
『メラ様っ! 私達は命を懸けてメラ様をお守りします! だから、最後まであきらめないでください!』
『私もだ! こんな優男に、メラ様を奪われてたまるか!!』
ギルとドラの2人が激昂する。
メラルドが男に殺されてしまうのを連想したからだろう。
『だから なーんでそうなるんだっての! オレはただ遊んでたら 此処見つけて 入っただけじゃん!! ……あー、確かに 不法侵入かもしんないけど、そんな邪見しないでよー。可愛い子ちゃんたちに邪見にされちゃったら辛くて仕方ないんだ。これが』
『黙れ! 寒気がする様な事を言うな! 私らは メラ様一筋なんだ! あんたなんかに一ミリも靡いたりするか! 気色悪い!』
『………へ? メラさまって、あの虫を使う君らのボスの事?? ……ええ??? 女の子同士なのに!?』
『女の子は女の子に恋をするのが正しい姿なのです……。あなたが付け入る隙なんて微塵もありません』
今の今まで 殺されるのでは? とも思える様な展開だった。なのに 殺伐としていた空気が弛緩していくのがよく判るというものだった。
そして 男が混乱しているのがよく判った。
『ぅぇー? なんでー。そんな可愛いのに、勿体ないなぁ……』
『やかましい! いきなり不法侵入してきたヤツに口説かれる様なヤツはここにはいないよ! さっさと出ていけ!』
『……うぐっ。痛いトコついたな……っ』
ぐぐぐ、と何処か悔しそうに男は唸っていた。
先程までは圧倒的だった。たった1人でオールベルグを潰せる。潰されるとも思えた。
だというのに、今は何だかその男が押されている。……それが何処か滑稽に見えた。
ずっと警戒をしていた。負けを認め 反撃する気も削がれ、命を奪われる覚悟も決めていたメラルドだったのだが、いつの間にか、仄かに笑みを浮かべていた。
『……男に ここまでの興味を持つのは初めての事だわ』
異常な力を持つ男を前に、そう呟いていたのだ。
その言葉に一番驚いたのは、メラルドの前に立っていたギルとドラの2人組。首が一回転するのではないか? と思える速度でぐるりとメラルドの方へと視線を向けた。
『!!!! め、メラ様っっ!?』
『ま、まさか……メラ様が……、私達を導いてくれたメラ様が……あ、誤った道に……? 道を外れようというのですか……?』
驚きの表情をしているギルと涙目になってしまってるドラ。
そんな2人の頭をそっと撫でつつ、ゆっくりと前に歩み寄るメラルド。
『勘違いしないで。興味を持つのと好意を持つのは違うわ。……私は女の子が大好き。それは変わらない』
『おお、奇遇だな。オレも女の子は大好きだ。良い目をした子は尚更! ここにゃ沢山そんな子がいて、ドキドキの真っ最中なのよ』
『そう? でもそれは当然ね。……私の大切な子たちですもの』
メラルドは何処か誇らしげな表情をしていた。
そして、ドラもギルもその言葉に感涙する勢いだった。
『それで、改めて聞くわ。……あなたは、一体何? 私達を狙う輩…… 帝国の回し者じゃないの?』
『っとと、そりゃそっか。オレ自己紹介もしてなかったな』
メラルドの質問に 手をぽんっ と合わせてニカリと笑う男は高らかに応えた。
『オレの名は《クロ》だ。可愛い子 綺麗な子 良い目をした子は大好きだ! ってな訳で君らも好きだぜー! 仲良くしてくれ』
『誰がするか!! 寄るな触るな近寄るな!! さっきのセクハラはわざとだったんだな!! このクソ野郎!』
『えー、不可抗力じゃーん。すっごい攻撃ではっやい攻撃だったから 慌てて防御したら、当たっちゃった! てへっ☆』
舌をペロリ、と出す男……クロだが。その表情に 仕草に真っ先に切り替えすのはギル。
『……可愛くありません。気持ち悪いです』
『ひでっ!!』
まさに会心の一言で撃沈してしまった。
『ふふ。……ご生憎様。この子達はちゃんと真実の愛に目覚めているんですもの。付け入る隙は無いわ』
『うぐぐ……。うー、ぜってー 口説いてやる!!』
『絶対無理!』
『嫌です』
と、その後は ババラやタエコ、そして ダニエルも交えて更に一戦行った様だが、やはり単純な戦いでは全く勝負にならない結果になって 暫くは子供の様な口喧嘩で上回るしか無かったドラ達だった。
□ ■ □ ■
そして場面は元に戻る。
「そして、あの人は暫くオールベルグの当時の本部に暫くいたんだ。そこで私も剣術の手ほどきを受けた」
「…………。オールベルグの本隊って言われてる人達のど真ん中に入って、遣りたい放題したって事ですか……? タエコさん」
「ん。そうだね。あの人は色んな意味で真っ直ぐだった。興味がある事には 真っ直ぐな眼をして見つめていたんだ」
「タエコさん! 絶対よからぬ目で見てますって! あまり隙を見せない方が良いですよ! ……ってか、アイツの名前《クロ》って言うんだ……」
よく考えたら名前を訊いてなかったな、とチェルシーは今更だが 思い返していた。
だけど、あまり深くは考えなかった。
「(まぁ、色んな意味で黒い奴だから。そのまんまって感じかしらね……)」
「チェルシー」
「あ、うん!? どうしたんですか? タエコさん」
「いや、前。危ない」
「って きゃあっ!」
タエコが声をかけてくれなかったら、前方不注意。小岩に足を取られて転びそうになっていた。……が 何とか回避。
「チェルシーもあの人の事を考えてると思うけど…… あまり深入りをしない事を薦める。本当に底が見えない人だから。色々と見失ってしまうよ」
「っっ! 大丈夫です!! 深入りなんか、するつもりないです!!」
今までも色々とあった。……あり過ぎたチェルシー。
タエコにそう宣言しつつ、自分自身にもそう言い聞かせるのだった。