転生した者は喜びの声を上げ   作:ガビアル

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王様も悦びの声を上げ(下)

 市内全域に無数の細かい羽蟲を放つ。夜に始め、全域に浸透したのはようやく昼にもなろうかという頃。

 勿論索敵のためだ。マキリの術もこういう事には非常に強い。もっとも、こんな低級な使い魔では結界やサーヴァントなどには触るどころか近づく事さえできない。逆に網のように張り巡らした羽蟲のライン、それがぽっかり空いた部分に魔術師やサーヴァントが居るという事になる。

 北西の衛宮邸、西の柳洞寺、南側には間桐邸と遠坂邸、新都の東にある教会、そこは大きな穴となっている。教会は多分あの英霊により自然と結界じみたものになっているだけなのだろう。柳洞寺はよくわからない、一番強い霊脈なのでおかしくもないが。そして、新都の公園、かつての聖杯降臨地もまた蟲は寄りつけない、魔的なものが強く焼き付けられているせいか。

 編み目のような蟲のラインに線を引くように空白が出来ていく部分がある、魔術師かサーヴァントが移動しているという事だろう。哨戒しているのだろうか、新都の南方から公園にゆく者と、西の郊外に動いてゆく者。郊外のあの森は確か臓硯が言うにはアインツベルンの居城があるはず。誰かが攻め込むのか、あるいはあの気紛れな銀の少女が町を探索でもしていたのか。それぞれ新たに使い魔になってもらった梟を飛ばし見てもらう。魔力の残りもそう多くない、二羽が精々だったが。

 新都の方はどうもサーヴァントのようだ、梟がその目に捉える事はできない。それでいて蟲の網を吹き散らす存在、もっともあの公園に近い場所なので、妙な怨霊が飛び出してきていてもおかしくはないのだが。単独行動をしているとなると、何となく冬木大橋で出会ったランサーを思い出す。

 そしてもう片方の梟の視点を借りて見ると、私は無言で頭を抱えた。

 

「アカネ、どうしたんです?」

「どうした……というか、どうしよう」

 

 一番上の姉と衛宮士郎が郊外の森に向かってタクシーで移動している。それはいい。きっとサーヴァントも霊体化して乗ってるのだろう。同盟組んでアインツベルンに戦いを挑みに行くに違いない。

 ただ、梟の目は上空からとんでも無いモノも捉えていた。あんなデザインの車は見た事がない。三世紀ばかり未来を先取りしたかのようなフォルムの車。それもまた、だいぶ後ろからとはいえ、同じ道を走っている。あんな派手な真似をする存在、私には一人しか頭に浮かばない。

 臓硯が調べた英雄王の戦いは比類ないものだった、鬼札にも程がある。

 しかし、イリヤのサーヴァントもまた桁外れ、そこに飛び込む遠坂、衛宮のチーム、その三つどもえ。どうしてそんな事になってしまっているのか。

 いや、ひとまず考えは置いておき、向かわないといけない。小聖杯であるイリヤはとても特殊な存在だ、臓硯は知っていたが、考えてみれば一番上の姉はどうだったか。もしかして、聖杯戦争が本当にただの願望機を得るための儀式だと思っていなかったか。言峰綺礼が正確に教えていなかった?

 

「ライダー。郊外、アインツベルンの森に向かおう、最低でもイリヤは守らないと」

 

 小聖杯を失えば聖杯戦争は破綻する。残りの英霊はマキリの聖杯が馴染んでしまっている私に来てしまう、無論それでも構わないのだがイリヤにはやってもらわないといけない事がある。

 

 屋上でペガサスを召喚してもらい、なるべく人目につかないよう、高度を高くとってもらう、今日は生憎の曇天、その上このマンションの近辺そのものがそう人通りの多い場所ではない。そういう条件で選んだのだ。目撃者もいるかもしれないが、秘匿は教会の方々に頑張って貰おう。

 天馬は一ついななくと、一直線に森へ向かって空を駆ける。ごうごうと風を切る音がするが、乗っている分には微風が吹いているようにしか感じない。

 距離はかなりあったものの、空を直線で行っている事もあり、その深い森にたどり着くまでさほどはかからなかった。ただし、空からは視認できないように、霧がかかっているようにも見える。結界の外縁部にペガサスを降ろし、話に来た事を告げると、結界が開かれる感じがした。サーヴァントを実体化させた状態で先行させれば結界があっても何てことはないのだけど、開かれたならそれはそれで良し。イリヤの方もこれは油断というより、自身のサーヴァントへの信頼なのだろう。

 

 ペガサスで低く飛びながらアインツベルン城を探す。いや、探すまでもなく案内してくれるらしい。針金細工の小鳥がいつしか羽ばたき先導してくれる。

 三十分程も飛んだ頃にはそのお城、まるでおとぎ話の世界に迷ってしまったかのような造りの城が見え、その正門の前でバーサーカーを後ろにしたイリヤが軽く手を振った。

 

「わたしの城にようこそアカネ。まだワルプルギスの宴には早い時間だけど歓迎するわ」

「ありがとうございます、イリヤ。ただ、戦いじゃなく話に来ました」

 

 ライダーに後ろに下がって貰い、バーサーカーの前に身を晒す、一般的には自殺行為だろう。

 イリヤは一瞬ぽかんとし、少し悩むように唇に手をあてて、悩んだようだった。

 

「それはマキリとして?」

「茜として、です」

 

 イリヤは顔を満面の笑みにすると、私を城に招き入れてくれた。

 

   ◇

 

 とても品の良い紅茶を変わった格好のメイドさんが運んで来てくれた。セラと呼ばれていただろうか、乱れのない動作でカップに入れてくれる。

 多分城に誰かを招くという事自体初めてなのだろう、どこかわくわくした感じの顔をしているイリヤに、楽しい話でもないです、すいません、と一言謝り、前回から受肉し、現界しつづけている英雄王の話をする。能力は完全には不明、ただ複数の宝具を一斉に放ち、戦闘機と渡り合う飛行宝具すら所持、その後の臓硯の調査からの推測である、恐らく全ての宝具の原型を所持しているのだろうという事までも。

 

「そんな元サーヴァントがここに近づいてます。急ぐつもりもない様子でしたが、あなたが狙いでしょう。前回を経験しているならきっとあなたの存在についての知識もある」

「……そう、情報は感謝するわアカネ。でも、どんな奴だってバーサーカーで」

 

 ごん、と城を揺する震動があった。続いて激しい剣戟の音、激突音。

 説得に時間を掛けすぎたか。まだ時間に猶予はありそうだったものの……

 イリヤは何を感じ取ったのか、目を開き、嘘、と驚愕に顔を歪ませる。

 唇を噛むと、身を翻し、走りだした。

 私もまた追いかけ広間に出ると、やはりと言うべきか──そこには英雄王がいた。飛び出したイリヤを爛々とした赤い目で一瞥し、言った。

 

「ほう、今回はまた変わった趣向よ、雑種と人形の合いの子とはな。そこで控えておれ」

 

 そう言い、右手でバーサーカーを指し示す。ただそれだけだった。

 中空から次々と、剣、槍、槌、矢、短剣、斧、ありとあらゆる武器が顕れ、射出される。

 間近で見ると、何と言う圧倒感、これはどうしようもないモノだ、と心が弱音を訴える。

 だがしかし、バーサーカーは愚直に、愚直に。死にながら前に進んでいた。

 

「バーサーカー! やめて、もう!」

 

 イリヤの声が広間に響く、だが、バーサーカーの歩みは止まらない。いや、ライダーの見立てによるなら彼は──ギリシャ最大の英雄、ヘラクレス。ならば、その歩みは止まらない、止まるはずがない。

 何度死んだだろう。

 私は、本来の目的であったイリヤの安全の確保を忘れ、ヘラクレスの姿にただ見惚れていた。

 あれが英雄だ。

 あれが英雄の姿だ。

 巻き戻ってしまう私と違い、その圧倒的に苦しいはずの死、それを受け入れながら、なお歩は止めない。

 死に立ち向かう、というのはああいう姿を言うのだろう。

 あんなものを感じてなお足を前に踏み出す。その行為、ただその行為が私には信じられず、格好よくて、綺麗過ぎて、凄すぎて。

 だからだろう。無意味な事をしてしまったのは。

 十度も殺されながら、英雄王の目前まで迫ったヘラクレスを鎖が縛る。

 ぎちぎちと締め付けられ、捻られ、身動きの取れなくなった巨体。

 既に現出されかけた二十以上の名剣、名槍。

 イリヤは泣き顔で叫んでいる。

 私は黒鍵を一本、英雄王の足元に投げ、突き立てた。影縫いに近い魔術付与。

 英雄王は無礼を咎める顔となり一瞬動きを止める。

 そのわずかな挙動、一秒にも満たない時間があれば十分。

 

「Je suis ici(力はここに)」

 

 己への暗示、問いかけ、全力での強化を体にかける、かけながら飛び出し、その巨体の首にしがみついた。

 因果を逆転させる剣が刺さる、竜殺しの名剣が刺さる、投げれば必ず敵に当たる槍が刺さる。

 精一杯の強化などものともせず、まるで紙のように宝具は私を裂き、ヘラクレスに突き立った。

 ボロクズのように千切れ飛びながらも、私は自分という紙一枚の成果を確認し、ちょっとだけ満足する。

 

「■■■■■■■■■■■■■ーーッ!」

 

 四肢を切り飛ばされながら、声にならぬ声、雄叫びにならぬ雄叫びを上げ、神話の大英雄は、己に刺さった名も知れない名剣を噛み締め、英雄王に迫り──

「……一矢、報」

 

 みなまで言えず、私は瓦礫に転がる、首だけとなっては自力で動く事もできない。

 だが判った。きっとヘラクレスは一矢を報いたのだろう。

 

 時間が途切れる感覚。

 目を開くと、血のような赤い眼、再生した私を傲然と英雄王が見下ろしている。ただそのまま見ていると、やがて凄惨極まりない笑みを浮かべた。

 

「足掻く気にでもなったのか道化よ」

 

 私は答えない。ただ見返す。

 ──クク、と英雄王は喉の奥で笑い、空間の揺らぎより一本の剣を取り出す。黄金の柄、ただ貴いその剣身。

 

「よかろう、我を愉しませてみよ。だがその前に──王の執行を邪魔したその罪を問わねばならぬ」

 

 剣を構える、ただそれだけで全ての無機物、有機物全てが声を潜めた気がした。

 

「この剣はメロダックという、原罪の名を冠する聖権の大本よ。蛇に縁の深い貴様を罰するにはふさわしかろう」

 

 動こうとしたライダーにイリヤを連れて逃げるように、ラインを通して命じる。衛宮士郎、あのお人好しならサーヴァントを失ったマスターでも拒まないだろう。

 

「裁きを下す、貴様は八度は死んでおけ」

 

 無造作に剣が振られ、その原罪、メロダックと呼ばれた剣に宿った極光のごとき魔力の奔流が私を包み、焼き尽くした。

 

   ◇

 

 何も見えない。

 真っ黒な何かの中で時間が途切れては流れてを繰り返す。

 ばらばらの時間の流れの中、ただ苦痛でしかない再生したてのわずかな時間を繋ぎ合わせ、導きだした答えは。瓦礫の中で押しつぶされている、なんてどうにもならない現状だった。

 生き返っては潰され、尽きた空気を吸い、頭に血の霞がかかる。そして死に、また生き返る。

 聖堂教会に回収された時、似たような状況になった時もあった。石棺に入れられ、潰された状態で埋められたのだったか。

 途切れ途切れの時間の中、妙な幻影を見る。

 赤子にして在った自我。

 絞め殺した蛇。

 師である半人半馬の賢者。

 恨みを買っている女神により狂わされ、殺してしまった我が子、後を追った妻。

 神託を受け、数々の冒険を乗り越え、栄光を手にし──

 

 あの時、一番近くに居たからか。

 バーサーカーであったヘラクレスの魂は私という杯に注がれていたようだった。

 あれだけイリヤと信頼関係を結んでいたくせに。

 英霊の魂。

 ああ、格が違う、と判る。これは確かに人としての機能は無くしていく他ない。

 そして同時に理解する。

 少なくとも、私という容れ物は不完全だが頑丈極まりない。ロアで汚れ、私の行いで血塗られ、マキリの業で蟲臭く、繋がりっぱなしのアンリマユで真っ黒にはなっているが。壊れる事だけは無い。

 幸い私の死は英霊の魂を逃すものではないらしい、とすれば魂の容れ物の中で私の魂だけが死ぬ度に明滅しているという事なのだろう。

 ならいい。目論見は果たせそうだ。

 自我などどうでもいい。

 

 ──音が聞こえる。何かを破壊する音。投げ捨てる音。

 途切れ途切れだった時間が連続性を急に取り戻した。

 ばらけていた思考のピースが急に合う。

 

「遅くなりましたアカネ」

 

 気付けば息が出来る。のしかかり、体を潰していたものがなくなっている。

 ようやく苦しさから逃れられ、大きく空気を吸い込み、吐いた。

 英雄王、八度どころじゃない回数死んだ気がします。

 それとも私の命の安さを考えれば百倍されて当然なのだろうか。

 目を開ければ、夕日に照らされ不思議な色に輝く美しい髪がまず目に入った。

 

「ん、ありがとうライダー。状況は?」

 

 私が埋まっていたらしい場所から出て、周囲を見渡すと、アインツベルンの城は惨憺たる有様になっていた。客を迎え入れるのであろう絢爛豪華な広間は半分ほどが消失し、支えを失ったらしいテラス部分や屋根が軒並み崩れ落ちている。わずかに残ったらしい無事な部分も倒壊した建物の下敷きとなって、瓦礫の隙間にそれを覗かせるばかり。まるで空襲でも受けたかのような有様に成り果てていた。

 ライダーからその後の状況を聞くと、どうやらイリヤを衛宮邸に運び込み、即引き返してきたらしい。遠坂、衛宮のチームもアインツベルン城の残骸を見たらしく、途中で引き返していく姿を見かけたとか。

 ペガサスに乗り、構築していた蟲の探査網に繋げようとして、ちりぢりになっているのに気付く。魔力を強化に回す際、無意識に契約を切ってしまったかもしれない。

 少し考え、ライダーに衛宮邸に進路を向けて貰う。情報を得ておきたい、術式を作るために引き籠もっていた私と違って、色々動いていたはず。

 

 一応、秘匿を考え、ペガサスを衛宮邸の遙か上空で待機させ、ライダーに着地を任せて落下する。

 派手な着地音はしたけれども、見た者が居るとしても目の錯覚だとでも思うに違いない。

 魔術で強化した体でもかなり衝撃が響く。二、三秒の痺れの後、ライダーに下ろしてもらい、突然の落下音にだろう、驚いて飛び出してきたらしい一番上の姉と、隣の衛宮士郎に会釈をした。

 

「こんにちわ、情報交換をしに来ました。一時停戦を求めます」

 

 何故だろうか。衛宮士郎は慌てて横を向き、一番上の姉は頭痛でも感じたかのように額に手を当てている。はて、と首を傾げて見ていると、溜息を混ぜたような声を出した。

 

「話なら幾らでもしてあげるから、というか私の方も聞きたい事だらけだからいいとして。茜、あんたまず服を着なさい、なんでそんな裸で堂々としてんのよ……」

「あ……」

「あ……」

 

 私とライダーの声がハーモニーを奏でる。どうも揃ってうっかりしていたようだった。

 

   ◇

 

 居間に招かれお茶をすする。私の体型だと合った服が無かったので、ひとまずは、とセイバーに着せていたものらしい一番上の姉のお古を着させられる。それでもだいぶ袖が余ったけども。

 着替えている間に飛び起きてきたらしいイリヤに押し倒されたり、一つ上の姉がなぜかその様子を撮影していたり、何とも一騒動だった。

 

「──で、結局アインツベルンの城で何が起こったのよ。酔っちゃう程の残留魔力に爆撃かって言うほどの有様。戻ったら戻ったでイリヤスフィールは寝てるし、結界は破れてるし、桜もまるで事態を把握していないし……後でお仕置き……ね」

 

 最後の所で一つ上の姉がびくりとした。表情は変わらずにふるふる震えている。なぜか霊体化しているライダーも微妙に怯えているようなのだが、一体どうしたのか。

 

「というかアカネ、あれで生きてるなんて、あなたどうなってるの? もしかして死徒とか体のスペアを一杯持ってる人形師だったりする?」

 

 イリヤが少し困惑げに私を見る。素直に言っても良いのだけど、普通に信じられないか、信じさせても驚かせる事ができるだけで重要な事でもない。適当にマキリの秘術という事にしておいた。

 

「そんなわけで、プラナリア並にしぶといので、あのくらいでは死なないだけです」

 

 他家の秘伝と言われれば怪しくとも突っ込めないのが魔術師の関係というもの。そういうものとして認識するほかない。

 先だってイリヤにも話した前回から存在する英雄王の話をする。馬鹿らしいほどのバランスブレイカー、ウルクの王ギルガメッシュ、多分まともに相手をできるのはエンキドゥか、そもそもサーヴァントではない存在を聖杯戦争の外から呼ぶしかないんじゃなかろうか。

 臓硯から聞いた話に加え、使われたメロダックという剣、バーサーカーを有無を言わせず殺しきった話をすると、一番上の姉は大きく溜息を吐いた。

 

「でたらめ過ぎるわね……まったく」

「はい、移動しているのを見つけたので、イリヤに忠告に行ったのですが」

「……あんた達って同盟組んだりしてたわけ?」

 

 胡乱げな目で見られる。この様子だとやはり言峰は教えていなかったらしい。

 

「アインツベルンは特殊な役割──」

 

 言いかけ、イリヤを見ると、その目が言わないでと言っている。

 

「……聖杯の儀式をする巫女のような役割を毎回担っています、イリヤが居なくなれば魔術儀式そのものが破綻しますから」

 

 何とか誤魔化した。考えてみれば彼女の体の事を部外者がペラペラ喋るものでもない。

 

「そう、あんたが知ってたって事なら御三家には伝わってた話って事よね……そう。うふふ、あはは。あぁのエセ神父」

「と、遠坂落ち着け、湯飲みに非はないっ!」

 

 衛宮士郎が赤いナニカになりかけていた一番上の姉をなだめる。

 それで、と私がこちらの状況を聞こうとしたところ、その姉はどこか決まり悪げな顔をして罅の入った湯飲みのお茶をすすった。待っていると、恥ずかしそうに頬を掻きながらぼそぼそと呟いた。サーヴァント、取られちゃったのよ、と。

 つまるところ、この家によく出入りしていた藤村大河という女性、預けられていた間桐慎二、その二人を人質にとられ、衛宮士郎のサーヴァントだったセイバーを奪われ、ならば奪い返してやろうと意気込んで行ったものの、さらにはアーチャーも相手に寝返る始末。普通なら脱落したものとして諦めてもおかしくないのに、負けん気たっぷりのこの人はサーヴァントを取り返そうと、イリヤに協力してくれないかと交渉を持ちかける予定だったらしい。

 

「それは、何と言うか……」

「……いいわよ、笑いなさいよ茜」

「うふふ、リンったら間が抜けてるわね、サーヴァントに裏切られちゃうなんて」

「あんたが笑うなーーッ!」

 

 再びわいのわいのと騒ぎ始める。明るくて何より。そして慎二を安全な場所に置いたつもりが裏目に出たようで少し申し訳なくもある。

 しかし状況がとんでもない事になっていた。

 柳洞寺に篭もり、アーチャー、アサシン、ことによればセイバーも手駒にしてしまっているキャスター。築かれた堅固な神殿、さらにはキャスターのマスターである葛木宗一郎も凄まじく腕が立つらしい。何でまた一箇所に四騎もサーヴァントが集まるなんて事態になってしまっているのか……

 

「キャスターがコルキスの王女、メディアというのは確かですか?」

「ええ、アーチャーが挑発した時の敵意、あれは本物だったわ」

 

 ライダー、メドゥーサである彼女は本来神霊であったために魔力に対しても耐性がある。そもそも彼女の速さなら魔術に当たる事もそう無いだろう、直接的な戦闘であるなら多分ライダーに負けの要素はない。一対一なんて状況に持ち込む事ができればの話だが。

 既に神殿を形成し、魂喰いで大量の魔力を蓄えている状態だとすると、恐らく本人は出てこないだろう。直接戦闘ができるアーチャー、アサシンに任せ、本人は見えない場所から儀式魔術による支援に徹するはず。この手の魔術師らしい魔術師には私のような使い勝手の良い囮に食いつかせ、出てきたところを多数で囲んで有無を言わせず抹殺するのが異端狩りの基本であったものだけど。

 ──と、悩んでいると天井に吊られた鐘が鳴る。一番上の姉が「また侵入者!?」とうんざりした顔で飛び出した。

 私も引き続き、ライダーを実体化させながら庭に出ると、いつぞや橋で出会った青い槍兵が相変わらず剽げた様子で庭石に腰掛けている。

 

「よう、困った陣営だな、槍の一本も要るんじゃねえか?」

 

 そんな事を言った。

 言い分を聞いてみればどうも強大になりすぎたキャスター対策に一時的な同盟をしたいらしい。ランサーのマスターは表に出てくる気が無いようだ、組む相手の選別すらランサーに任せている。

 ランサーは一番上の姉を気に入っていたようだ、あれよあれよという間に話がまとまってしまった。

 その上で私にも対キャスターに限っての協力を求めてくる。

 ランサーとライダー、案外良いのかもしれない。どちらも速さで他を圧倒できる存在だ。

 もちろん単騎で何とかする手もある。

 物量には物量、相手が広域の魂を溜め込んだのなら、こちらは無制限の魂という反則がある。ライダーに自分の魂を与え──恐らくその過程で反転してゴルゴンの怪物になるであろうけども、敵を倒すという事に限れば多分、英雄王以外は何とかなるだろう気もする。

 ただそれは、最後の手段、好んで彼女のトラウマをほじる気などはない。

 私は頷き、一時間後の柳洞寺攻めが決定された。

 

 イリヤは衛宮邸の一室を仮の部屋として与えられていた。一番上の姉は渋っていたものの、家主が頑張った。あれはよく頑張った。褒め称えたい。具体的にどういういざこざがあったかは席を外していたので伺いしれないものの、どたんばたんぎにゃーという猫が喧嘩するような音がしていたので、多分色々苦労があったのだろう。

 柳洞寺攻めをする前の一時の合間、私はイリヤの部屋を訪れていた。

 

「アカネ、言い繕ってくれてありがとう、あの事はシロウには知られたくなかったから」

「衛宮さん……とはもう面識が?」

「うん、最初はキリツグの代わりだった。殺そうと思ってたんだけど、シロウはほら、あーんな性格でしょ? 襲いかかってきた相手なのに、平気で心を許しちゃうの。何だかわたしも大事になっちゃった」

 

 朗らかに笑う。私も一つ頷き、少し瞑目し、話を切り出した。イリヤに悪いのだけど、あまり愉快な話を持ってきたわけでもない、アインツベルン城でしようとしていた話の続き。

 

「イリヤ、大聖杯の異常は感知していますか?」

「……ええ、海を渡る前は分からなかったけど、この地に来てから妙な感覚はあったわ。だからあちこち見たりもしてみたのだけど」

 

 どこから話せばいいのか、頭の中で整理し、諦めた。信用させる材料が足りない上に時間もない。

 私は溜息を小さく一つ吐き、魔術師としては絶対に有り得ない言葉を言う。

 

「防壁を解きます。イリヤなら、自らの意識を私の内部に移す事も出来るでしょう。聖杯が出来てよりずっとこの地で観測し続けたマキリ・ゾォルケンの知識、それと十年前に見た私の記憶を読んで下さい」

「──え。アカネ、それっていいの?」

「アインツベルンにも関わる事ですし、何より私の言葉で信用させられるとは思えません、見やすいように表層に浮かせておきます。あと、他の部分は見ない方が良いです。気持ち悪いと思いますから、それと興味本位でも絶対に同調しないで下さい」

 

 そして私はイリヤの前で正座し、目を閉じた。ライダーに一つ断りを入れると、眠っていてさえ循環している魔力も止め、完全に無防備な状態になる。躊躇っていたのだろう、やがておずおずといった感じで、ひんやりとした手が私の額に当てられた。

 当然ながら自分の記憶を読ませるなんて事は通常の魔術師なら有り得ない。

 先祖代々から続く研究成果を他者に漏出させるなどという事は一族から殺されても文句は言えない。加えて今は聖杯戦争という枠組みの中で一応形だけとはいえ争っている状態、余程の馬鹿か、命を欠片とも大事に思わないモノ以外にはこんな真似はしないだろう。

 逆に、そんな妙ちきりんな生き物を前にして、この銀色の、好奇心旺盛なお姫様が、必要な知識だけを見るだけで済ますなんて事はやはり無かったわけで──

 

 額から手が離れたと思ったら、なんとも言い難い顔でイリヤはブルブル震え、そのままソファに転がった。股間を押さえ、ふるふると震えている。

 

「あの、まさか、マキリの鍛錬とか……同調しちゃいました?」

「……うー、だって、わたしは経験できないから、どんなものなのかなって」

 

 どの場面の記憶かは知らないが……うん。ろくなもんじゃないだろう、げんなりした顔がそれを物語る。

 

「イリヤ。普通のは気持ち良くなるらしいです」

「……ホント?」

「普通の体験が無いのでどうとも言えないですが」

 

 人間相手よりそれ以外の方が多かったし、人間相手の時すら作業か、ロアとして壊れていた。うん、あらためて思い返しても私はつくづく気持ち悪い。

 

「それで、大聖杯の事情については」

「──そうね、把握したわ。でも、アハトおじい様は気にしないでしょうね」

「第三……ですか、確かに方向性が変わっていようと力は力、孔は開くのでしょう」

「ええ、ただ。自我を無くしたわたしでは開ける事はできても閉じようとは考えないと思う」

 

 だろうとは思っていた。だからこその提案ができる。

 

「私が容れ物になります。今から調整すればイリヤなら開ける門も、閉じるべき門も把握できるでしょう」

「アカネ……正気? それ用に作られたわけでもないのに」

「私は私の目論見があります、バーサーカーを取り込んだのは偶然でしたが、そうでなくてもお願いするつもりでした」

「……アカネは何を考えてるの?」

 

 明かせるだろうか。衛宮邸を覆った結界は万全、私の下にないものは再生時に消え去るという特性のため、臓硯は根本的に監視を出来ない。それでもなお躊躇った。

 アレに最も近い所に居たから、アレに最も飲まれた存在であったから。

 蟲の翁は死なないのではない、極端に死ににくいのだ。日本全土に散らばった悪性腫瘍のようなもの。一部を殺しても全体を殺さなければすぐに復活する。それを殺し得るとすれば──

 

「……マキリ・ゾォルケンの消滅です。手段は巫蟲、三千年以上に渡り続けられた古代よりの呪。それは術式として作りましたが、肝心の魔力源が足りませんでした、殺す事に傾いた聖杯の力などはもってこいなんです」

「今の聖杯の二次的な力の方が目的ってわけね、でもあなたは間違いなく死ぬ。わかっている?」

 

 私はどんな表情をしたのだろうか。

 イリヤを驚かせてしまったようだ。

 死ぬ、のか。私が無くなるのか。それこそ、本当の意味で願ってもない。諦めてなお諦めきれない。

 ともあれ承諾は取った。

 アインツベルンとしても損の無い話、らしい。

 

   ◇

 

 結論から言えば柳洞寺に攻め入る事には成功した。

 墜ちた霊脈を利用し作られたキャスターの神殿、参道に沿うその最も太い地脈部分にライダーの他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)を小規模に展開する。わずかな時間で敷かれたその結界、囲える範囲などは微々たるもの、やっておかないよりやっておいた方が良いという程度の考えだったのだが、これが上手くはまってしまった。

 神秘はより強い神秘により打ち消される。考えてみれば当たり前だったのだろう、神殿とは本来の意味からして神を祭るモノだ。微かに残っているに過ぎないとはいえ、神霊としての一側面があるメドゥーサの作る神殿。クラス補正を以てしても、神秘としての重さが違ったものらしい。

 クサビのように打ちこまれたライダーの鮮血神殿によりキャスターの神殿を形作る、最も主要な動脈部が破壊され、キャスターの作った神殿は機能不全に陥ってしまったようだった。

 キャスターの支援が無くなった状態ならば、耐魔力を持たないアサシンにとってライダーは天敵にも過ぎたものだったのだろう。

 石化の魔眼(キュベレイ)。

 大地母神。その信奉者は儀式により自らの男根を去勢し、社会的にも女性として扱われる、死と再生を司る女神、その名を冠した魔眼。

 メドゥーサの逸話として最も有名なモノだろうそれに、山門に括られた存在であったアサシンは抗する事など出来ようはずもなく、石化。ランサーが「真っ向からの打ち合いなら相打ちになる」とまで評価していた神技を披露する事もなく終わってしまった。

 ともあれ、そこまでは全てが相性の問題だ。この後がどうなるかは判らない。

 石像が砕かれ、解き放たれるエーテル、アサシンの魂。英霊とは言えないまでも十分な量と質を兼ね備えるそれを受け入れ、さすがに一時的な不調に陥る。訝しむ他の面々には先に行かせた。元よりアーチャーにはランサー、キャスターにはライダー、葛木には遠坂、衛宮、そして私の三人で当たるつもりだったのだ。葛木宗一郎という人がどれほど凄まじい鍛錬を重ねた武術家だったとしても魔術師ではないという、ならばキャスターと切り離せば何とでもなるだろう。そんな目算だった。

 

「……ぅ」

 

 容れ物の中で私という自我が軋む。いや、そんなものは苦しくない。人としての機能を削り落とすなどより物理的に千度も万度も味わってきた。

 覚えのある感覚が身を包む。自分を裏返しにしたかのような衝動。ロアになった時のような衝動。

 死に愉悦し、苦しみを糧とし、破壊に快楽を覚えていたあの時。ああ、そうだ。アンリマユに私が影響されればどうなるかなんて、とうの昔に判っている。

 大聖杯の中のモノ、大聖杯の中で形を得たモノの胎動が、英霊二体の魂を容れた事で始まったようだった。

 下手に大聖杯の中に居るものを認識している分、表層意識までその手は伸ばされる。

 衛宮邸で待っている、今回では情報収集に当たっている一つ上の姉を思い出した。綺麗な黒髪、うっすらと桜色に輝く頬、クォーターなのに下手な日本人より大和撫子といった風情。楚々としながらどこか柔らかく、頼りになる姉がいるためかどこかでふわふわしている。

 ふと、あの人なら耐えられるのだろうか、と思った。

 すり減らして微かになった記憶、あの人は耐えられたのだったろうか。

 頭を振る、境内でもどうやら決着がついたらしい、今度はキャスターの魂が──

 

 まるで死んでしまった時のように、時間が断絶した。

 押しつぶされる。馴染む暇すら与えられずにそんなにぎゅうぎゅうと詰め込まないでほしい。

 ぎちぎちと、ぎちぎちと、私の存在が潰される。

 こどもが喜ぶ、産まれる事ができるのだと、生まれる事ができるのだと。そうだ、この地下にいる。私と臍帯で繋がりっぱなしのこどもが。

 

「……ッは……ぁ」

 

 ただ息をするという機能を使うのに苦労した。

 体をどう使うかを忘れたかのような感覚、酩酊してしまったような気さえする。

 立ち上がり、参道の階段を一歩一歩進む、遅々とした進み。埒があかない。

 

「Je suis ici(力はここに)」

 

 強化し、やっと人並みに動けるようになってきた。

 先行きが思いやられる。でもやることはやらないといけない。

 あの子に、ミサゴに選択肢を与えてあげないといけない。

 色々余分な部分をそぎ取れば結局それだけ。本当に雁夜さんを笑えない。

 

 境内は荒れ果てていた。爆発した痕跡、抉られた石段、焦げ付いた石畳。敵マスターだったはずの葛城宗一郎は誰だろう、倒れている男性がそうだろうか。

 きん、きんと音が聞こえる。

 連続する金属音、打ち合う音。飛び散る火花、欠ける剣。無数の折れた剣の中で、何故か衛宮士郎とアーチャーが戦っていた。

 互いに鏡映しのように同じ黒白の短剣を構え、打ち合わせている。

 

「ライダー、これって?」

 

 階段を昇る途中から静かに寄り添ってくれていたライダーに聞く。と、答えは妙なところから返ってきた。

 

「おぉよ、あのアーチャー、いけすかねえ野郎だと思ってたが、案の定最初からキャスターを裏切るつもり満々だったらしいぜ。なんであの小僧を目の仇にしてんのかは知れんがな」

「……ランサー、まだ居たのですか」

 

 ライダーが妙に怒った様子で鎖を構える。

 

「おおっと、おっかねえおっかねえ。美人が怒るもんじゃねえぜ。しっかしほれ、あの小僧結構やるぞ、魔力切れで殺気の一つもねえとはいえ、サーヴァント相手によくもまあ対応できるもんだ」

 

 木の上であぐらをかいて観戦しているランサーは今にもビールと枝豆でも取り出しそうなほどリラックスしている。争っているとは思えないほどに気安げだ。

 こちらに戦闘の意思はないと判断し、アーチャーと衛宮士郎の戦いを見る。一合、二合、三合、剣と剣が噛み合い、砕かれるごとに、衛宮士郎は加速していく。精度が高くなる、深く切ってしまったはずの傷が皮一枚となり、一寸の見切りになる。一体どういう現象か。その剣を鍛えるようにも聞こえる、同質の剣同士を打ち合う音のみがただ響く。

 

「──やはり、貴様は既にして違うか」

 

 アーチャーはぼそりと呟くと、衛宮士郎の振るった剣の前に、あろうことか棒立ちになり、自分の剣を消し去った。どこか絶望に染まった目で空を眺める。

 

「なッ!」

 

 突如の事に対応できず、止めきれない双剣がアーチャーを切り裂こうと迫り──

 割って入ったのは青い装束を纏った女性だった、一際強い響きが鳴り、黒白の剣が空に舞う。

 

「そこまでですシロウ。そしてアーチャー、凛がお冠ですよ」

「──ええ。色々言いたい事はあるけど、さっきのはそれにも増して許せない。あんた、殺されようとしてたわね?」

「む……確かに。だが、凛。君はセイバーを得た身だ。はぐれサーヴァントを出す事を忌避することこそあれ、怒る意味など無いと思うが」

「……そう、そんな事言っちゃうんだ。へえ、そっかあ、ふーん」

 

 恐ろしく平坦な口調になる一番上の姉。顔は下を向いており、表情は伺えない。衛宮士郎は何かを感じ取ったのか、そろりそろりと後退する。

 赤い弓兵の傍まで近づいた一番上の姉はゆっくり顔を上げ、弓兵を見た。そこに何を見いだしたのか、アーチャーはその鋭い目を大きく見開いている。驚愕した様子のその顔はどこか一抹の幼ささえ漂っていて──

 

「……必ず私が幸運だった、と思い知らせてやるんじゃなかったの?」

「あ……いや、凛、私は……」

 

 言葉を失うとはこの事だったろうか。

 アーチャーは何かを言い出そうとして、そのどれもがふさわしくない、かのように迷っている。

 

「その、だな、君に泣かれるのだけは……困る」

「うるさい、もうあんたには内心何度も泣かされてるんだし今更よ、一度や二度死んだくらいでこの負債が返せるなんて思わない事ね」

「──ああ、承知した、凛。どうやら私はいつの間にやら絶対に逃げる事の出来ない難敵を作ってしまっていたらしい」

「ええ、私から逃げられるなんて甘い考えは捨てなさい」

 

 事情は判らないものの、うん。丸く収まった?

 木の上で何故か槍兵が不機嫌になり、ブツブツ言っているのだが。

 

「ああ畜生、いい女だなあ、何であんな奴に、あーやってらんねえ」

 

 境内では、どうやらセイバーの契約を衛宮士郎に、アーチャーの契約を一番上の姉にし直したようで、元の鞘に収まった形らしい。これにて助力は終了、という事なのだろう、槍兵はじゃあなと一言言って身軽に去って行こうとし──固まった。

 

「て、めえ……」

 

 ──重ねて令呪を以て命令する。自害せよランサー。

 

 ランサーの持つ赤い槍はその持ち主の心臓につきたっていた。ランサーは眼光のみでも殺せるのではないかと思わんばかりの怒りの目で山門を睨み付ける。口から血反吐を吐き散らし叫んだ。

 

「この、糞、野郎、があああああああーーッ!」

 

 獣の雄叫びを上げ、自らの心臓を突き破った槍、血塗られたそれを、最後の力とばかりに振りかぶり──

 

「“──刺し穿つ(ゲイ)死棘の槍(ボルク)──!”」

 

 投げ放つ。

 その閃光と化した槍は紛う事なく、参道から上がって来た人影の心臓を貫き、その人影は一瞬意外そうに首を傾げた後、前のめりに倒れた。

 

「へ……ざまを──」

 

 最後の言葉を言い残す事もなく、槍兵は消えゆく。そして私はこの日四度目の魂を注がれ、急速に意識が遠くなるのを感じ、ライダーに、イリヤの元に私を持っていくようにラインを通し伝え──

 

   ◇

 

 ひもじい。ひもじい。ひもじい。

 足りない。

 何かが足りない。

 何だったのか思い出すこともできない。

 赤くて、とろっとして、甘くて、いのちで溢れてて。

 絞れば絞るだけ。

 殺せば殺すだけ。

 いたぶればいたぶるだけ。

 ぎゃあぎゃあ叫ぶ、きいきい喚く。

 おもしろくて、たのしくて、せつなくて、いのちで一杯で。

 なんだったのだっけ。

 なにを思い出さなきゃいけないのだっけ。

 私は、ワタシは、わたしは。

 

 目を見開いた。

 霞む視界にぼんやりとした明かり。銀色の影がふわふわと揺れる。

 

「──アカネ、まだ聞こえてる? 一日に四体なんて無理がきて当然よ」

「イリヤ、ですか?」

 

 身を起こそうとし、体に力が入らないのに気付く。魔術回路はどうやら無事、体の調子を解析してみると、やっぱりどうにもならない状態に気付く。

 

「触覚、視覚あたりがもう駄目です、ね。神経があちこち切れてるのはそのうち繋がるかもしれませんが」

 

 頭がまだまともに動いてくれているのが有り難い。

 

「そう、まだその程度で済んでるなら良い方ね。手短に言うけど、あなたを通して大聖杯の中のモノがこちらに出ようとしてるわよ、気付いていた?」

 

 私は一つ頷く。

 

「魂を溜め込むペースが早かったですから、生まれる前に終わらせられます」

 

 懸念があるとしたら、母胎となったせいか、ロアとなり一度似たような経験を経ているせいか、アンリマユが表に出てこようという動きもまた早い事か。大聖杯に居るものにとって、私は開きやすい産道なのだろう。

 もちろん、それについても考えはある。ライダーの宝具、自己封印・暗黒神殿(ブレーカー・ゴルゴーン)これにより、私という触覚を封じれば良いだけだ。いずれ自我も無くなればアレは私を動かす事はできない。

 問題があるとしたらむしろ。

 

「マキリ・ゾォルケンが自我を無くした私を使いたがると思います。アンリマユを釣り上げるにはそこそこの出来ですから。その際にも巫蟲の術は自動発動するようには組んでありますが、万が一を考え、イリヤ、私の支配権をあなたに委ねたい」

「あら、いいの? じゃあアカネはわたしのサーヴァントという事ね」

 

 目が見えない。手を、と言って右手を彷徨わせたら握ってくれたので、私の中に移されている魔術刻印、使い捨てに近いそれを継ぎ接ぎ継ぎ接ぎ、カバラを合わせて作った魔術を走らせる。

 

「うまく、できました?」

「これは、令呪?」

「もどきです、マキリは令呪を考案した家ですから。それは、私の精神、魂に対しての絶対命令権となってます、回数は無制限。サーヴァントのように魔法に近いような現象は起こせませんが、パスも繋がったと思います」

「ええそうね、あなたを変質したマキリなんかには渡さない」

 

 その言葉を聞いて、肩の力が抜けた。

 後の問題は──英雄王か。

 

「イリヤ、私が倒れた後、どうなりましたか?」

 

 英霊の魂は私の中に四つ、イリヤからはそれを感じない。とすれば、セイバーとアーチャーは無事なのだろう。

 その時、足音が聞こえ、襖が開くような音が聞こえた。

 

「……茜」

 

 私はこの衛宮家へ関わった事を、この時、本当に心の底から、後悔した。

 一番上の姉、あんなに輝いている姉のこんな暗い声、こんな声を出させてしまったというのか。

 いや。判っていた。この人は魔術師として有り得ないほど情が深い。魔術師でありながら人間なのだ。

 私がこんな状態になれば、どう思うかなんて判っていたのに。

 

「ゴメンね、アカネ、リンには話しておかないといけなかったから」

「……いえ、いいんです」

 

 私は一つ息を吐く。力を抜くように。そして魔術師としてあるよう願い、冷たい言葉を出した。

 

「間桐の当主、間桐茜として古き盟友である遠坂の当主、遠坂凛に願います」

「……ッ、聞きましょう」

「間桐は私の代を以て魔道の系図より外れます。あらゆる間桐の魔術的価値のある霊地、魔術書、魔術関連一切を遠坂に譲り渡します。代価とし、間桐家に連なる者、間桐慎二、間桐鶚への成人までの庇護、私的財産の保護。判断はお任せしますが、魔術的保護が必要になった場合の後見人をお願いしたい」

「間桐……ミサゴ?」

「鳥の名と同じ漢字、父については聞かないで下さい。私の子です」

 

 息を飲むような音がする。本当にこの人は。こんなの魔術師の中じゃそう変わった事でも無いというのに。なんて優しい。

 私は息を吐きながら、そっと囁くように本音を吐いた。

 

「魔道へ進みたいというならそれもいい、でも普通に生きる選択肢もあげたいと思ったんです」

 

 結局私は、間桐臓硯をさほど憎んでいない。魔術師なんてものはあんなものだからだ。ただ、ミサゴに選択肢をあげるため、邪魔だったというだけ。そして私がようやくその気になった時には、もう聖杯に頼るくらいしかマキリ・ゾォルケンという存在を滅ぼせる手段が無くなっていただけ。

 脳虫なぞ入れられてなくても、真っ向から向き合えば必ず支配されるだろうから。あの老魔術師がそんな不手際を犯すはずもない。

 気付かれぬように準備を出来たと思う。幸い従順であった私に対して臓硯は寛容だ、聖杯戦争に参加し、それなりに戦っている間には少々妙な動きをしたとしても怪しむ事はなかった。いや、怪しんでいたとしても、問題なく滅ぼしきるだけの術式を作った。

 巫蟲の術、いわば呪術の魔術基盤に接触したのは結局それだった、ろくな知識もなく挑むには壁が高すぎ、数秘を用いて外法もいい所の術となっている。己の臓腑を蟲毒の壺の象徴とし、体内にて、アンリマユに繋がっている刻印虫の子供を増やし、共食いさせた。体中に仕込まれたあらゆる虫にもその呪いを植え付け、共食いさせた。

 死という方向性が定義づけられた呪いにマキリの蟲の怨念を絡み合わせ、生き残った最後の蟲、に数秘紋による象徴付けを以て術式は完了する。

 マキリに類する全ての蟲への呪い。汚染された聖杯の持つ殺しの方向性に対する明確なビジョンであり、方向性。黒の泥に行き先を告げる羅針盤。

 そう、誰が勝っても良かったのだ。聖杯すら私自身がならずとも、最終的に現出した聖杯の近くまでこの死なない体を持っていけば事は済む。汚染された聖杯からこの世に漏れようとする力を利用するだけなのだから。

 今のところ思ったように事は動いている。私自身が英霊を受け入れ、アンリマユの呪いを直接受けとる状態になっておけば一番確実だった。

 自我を無くそうと、魔術回路が生きていれば自動実行される術式。余った力は全て自死に繋がる、終わった後はアンリマユに自死の方向性が行く。浄化できないなら自壊せしめる。あまりに人を外れすぎてしまった相手への対処。さらにはそれでも無理だった場合の、本来の聖杯であるイリヤ、彼女に門を閉じて貰えば良い。姉の運次第では無色となった膨大な魔力を使って、表向きの正常な聖杯の力を得る事もできるだろう。

 

 一番上の姉がしばらく押し黙っていたのはやはりショックを受けていたせいか。

 いや、案外気付かず自分が叔母さんなんかになってしまったのが嫌だったのかもしれない。

 

「遠坂の当主、遠坂凛としてその願い。全て受け入れます。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、証人となっていただけますか?」

「お受けします、立会人としてアインツベルンの名において証しましょう」

 

 しん、と部屋が鎮まった気がした。魔術の使われた気配がする。魔術証書でも作ってくれたのかもしれない。

 これで、後の事も全て済んだ。私自身が聖杯として機能するという事は自我がなくなるというだけでなく、イリヤの一部、一種の礼装のような存在となるに等しい。もし根源への道に導かれるというなら、帰還を考える事はできない。

 

「二人とも、ありがとうございます」

 

 私は動かない体に強化をかけて、起き上がり、頭を下げた。

 

「それで、目先の話に戻して──柳洞寺であの後何があったか教えてください」

 

 結局起き上がっている事は厳しく、寝た状態で説明を受けた。

 ランサーのマスターは言峰綺礼だったらしい。何を思ったのかランサーに自害させ、反撃で心臓を貫かれ死んだのだという。

 そして現れた英雄王ギルガメッシュ、あろう事かその場でなぜかセイバーに求婚、そつなく振られ、宝具を山と降らすもアーチャーに阻まれ、興が削げたと言い、この地下にて待つとだけ言い残し、言峰綺礼の死体を回収し引き上げていったのだとか。

 なんでそんな、三流の悪役っぽい事になってるのだろうか英雄王。

 

「ともあれ、それなら明日は決戦ですか」

「ええ、残りは三騎、セイバー、アーチャー、ライダーよ。セイバーとアーチャーでイレギュラーの金ピカを叩く予定だけど、ライダーはどう動かすつもり?」

「一応、私もマスターの一人ですが」

「ああもう、聖杯戦争のシステムもイリヤスフィールに聞いたわよ。それでもあくまで敵として望みたいなら喜んで叩き潰してあげるけど?」

 

 くすくすと笑う。輝きを取り戻し、そんな言葉を言い放つ一番上の姉。私は目を瞑った。ぼんやりと感じていた光もなくなり暗闇に沈む。

 

「ライダー、その話は聞いてた?」

「はい、アカネ」

「この儀式はそういうモノなんだ。利用しちゃって本当にごめんなさい」

「謝らないでくださいアカネ。私は──そうですね、あなたの願いがあなた自身に帰るものではない事が残念な程度です。私はあなたに生きていてほしかった」

「ん、あなたは本来大地の女神だしね、生を賛美するのは当然か」

 

 私は心の中でやはりライダーに一つ謝り、口からは何の変哲もない指示を出した。

 

「ライダー、明日はセイバー、アーチャーと共に英雄王に当たって」

「承知しました」

 

 ライダーにはもっとお酒を飲ませたり、映画を一緒に見たり、図書館に一緒に行ったり、色々考えていたのに、結局とても中途半端になってしまった。

 我が身の変節には呆れる他無い。

 やがて一番上の姉と、イリヤが部屋から出ると、私は布団に体を沈めるように力を抜く。

 

「──ああ、血が欲しい」

 

 吸血衝動。吸血鬼でもないのに。きっと私と繋がっているアンリマユが生まれ出るために魂を欲しがっている、命を欲しがっている。それがこんな形で出ただけ。理解していながらこの衝動は嫌悪しか湧かせない。笑いすらこみ上げてきそうになる。

 ロア、ロア、ロア。あなたの付けた傷は今だに膿んだままです。

 ……しかし溜息の一つも吐きたくなる。

 私がソレを、アンリマユを認識していなければ、きっとこんな意識がある状態で干渉してくるなんてなかったろうに。

 

「自己封印を一晩私にかけてライダー」

「良いのですか?」

「うん、何だったら明日に供えて吸血して魔力も補って」

「アカネ──それはなかなか魅力的な言葉です」

 

 そしてばちんと音がして。

 夢を見た。

 懐かしい夢。

 地中海の吹き抜ける風、乾き、それでいて涼しい風。

 エディが笑っていた。

 私も笑い返し、一緒に遊んでいた。

 女の子ばかりのダンスレッスンに馴染めず、どうせならもっと男連中と愉しもうなんて、キャンプに誘い、一晩中ケタケタ笑って遊んで楽しんで。そうだよ、俺達はもっと楽しく生きるべきなんだ、なんて変なノリになって炎を囲んでファランドールじみたへんてこりんな踊りを踊って。

 ああ、なんで私はそんな日々を手放してしまったのだろう。

 あいつは私が私であるがままに受け止めていてくれていたというのに。

 失ってから思い出す。

 それでもいい、とあいつは言った。

 それでもいいと、手を引いて言った。

 狂熱の冷めぬままに潮騒の中私は腕を引かれ──

 

   ◇

 

 目が覚めたら視界は完全に失われていた。

 体の感覚も既にほとんど失われ、四肢はもう動かない。思考も、もしかしたら、自分で大丈夫だと思っているだけで外からするとかなり変なのかもしれない。

 しかし──顔が熱い。わずかに動く首を動かし、布団に埋もれる。

 まさかの淫夢だった。

 そういえばそうだ。私は通常の男女の営みなどはしたことがなかったし、完全にイメージだけのものだったのだ。

 苦痛も快楽も幾らでも味わってきた、そんなので私は壊されはしない。

 でもそれはそう、味わわされてきたものなのだ。ロアでもない私が自分から求めた事はなかった。

 それがまさか、あんな痴態──

 

「ぅ……ぅぁ」

 

 思い出してしまう。恥ずかしすぎる。身悶えしたいのに体が動かない。私じゃない、あんなのは私じゃない。

 

「ら……らいだぁ」

「はい、おはようございますアカネ」

 

 あ、ああ、責めるわけにもいかない。自分を抑えるために頼んだのは私の方だった。

 しかし、あれはきっと誘導された夢だ。そうに違いない。私の深層意識であんな望みがあったなんて思いたくない。嘘だ、うん、絶対嘘だ。大体私は未だに男性には親愛以上のものを感じた事がない。私に恋愛感情なんて芽生えるはずが……はずが。なんで自信を失っているのか。いやそれ以前にここまで汚れに汚れてなおこんな羞恥に悶えるなんて事自体が……ああ、もどかしい腕が欲しい。頭を抱えて盛大にごろごろ転がりたい。

 

「……むぅ」

 

 結局私は何も言えず押し黙るしかなかった。

 

 時間が千切れる感覚がある。

 死んで巻き戻る時とは違う、飛ばし飛ばしになる感覚。

 一番上の姉、名前のごとく凛と張った声、イリヤの雪の中で鈴が響くような透きとおった声。

 私がとんちんかんな答えを返すせいか、粘り強く同じ事を言ってくれているようだ。

 整理すると、柳洞寺の地下に突入する事の打ち合わせ。それと私の扱いについては衛宮士郎や一つ上の姉には距離を置くようにしてくれているらしい。最終的に敵となり得るマスターでもあるのだから、という理由で納得させたようだ。

 ……良かった、何となく私やイリヤの事情を知ればこの家の家主は我が身構わず突っ込んできてしまいそうでもあったのだ。あまり接点もなかったのにどこでそんなイメージを抱いたのか不思議だけども。そして最終的には知ってしまうのかもしれないけれど、その時はその時。この姉が手綱を握ってくれるだろう。

 

 時間が千切れる感覚がある。

 気付けばライダーの腕の中で洞窟を移動していた。

 多分洞窟だろう、湿った空気、反響する音。

 聴覚が未だ生きてるのがありがたい。

 ふと、ごうごうと流れる風の音が止んだ。

 

「アカネ、聞こえていますか、これから英雄王との交戦に入ります。ここで待っていて下さい」

「ん、気をつけてライダー、三対一でも厳しい相手だから」

「はい、ただそちらはトオサカリンとアーチャーの方に何か考えがあるようです」

 

 ライダーが離れる感覚。

 すでに油断すると思考も途切れるようになっているみたいだ。ただでさえ五体の感覚はすでにない、音が聞こえなくなったら意識も薄れてしまうかもしれない。

 ああ、馬鹿か。頭が駄目になっていた。

 魔術を使えばいい、視蟲も数十、この身には宿っている。あれはあまり良好な視界じゃないのだが。

 魔術回路を回し、蟲を出す。同調させたが、見る事ができない。

 少し考え、それもそうかと納得した。

 見る機能そのものをカットしたのだから認識できなくて当然なんだ。

 魂のうちのその部分は別の機能に既に使われているわけだ。

 音が聞こえてきた。かなり離れた場所のようだけど、戦闘が始まったようだ。

 洞窟に音が反響し、響き渡る。連続する剣戟の音、爆発音。派手にやらかしているらしい。

 その音に混じり、足音が聞こえたような気がした。

 

「──ふむ、未だ意識はあるかね、間桐茜」

 

 低い声。この声、聞き覚えがある。

 ランサーに殺されたんじゃなかったのか。

 魔術回路を回し、残り少なくなっている魔力を炉にくべ、解析。周囲の地形、熱量、音を探知。体中の千切れた神経を魔力で繋げ、一時的に体を動かす。強化、そして黒鍵の刀身精製、二呼吸の間にしてのけた。言峰は既に十二メートルの距離、だがこの男にとっては無いも同然な距離、懐から聖別された聖水を瓶ごと取り出し投げつける。

 

「Trois et neuf(海と界の秘を以ち)Je separe le monde(世界を別つ)」

 

 水膜が張り、簡易な結界となる。それも足を少し遅らせるに過ぎなかったらしい、腕を振るうとたやすく裂かれ、散ってゆく。そう、魔術を消すには秘蹟を以て打ち消す、そこに隙が生まれる。黒鍵を投擲、目一杯まで強化した腕でさえかつての通常時と同じレベルにしかならない。剣身を魔力で肥大化させた何かで防がれ、流された、一足、二足。次の黒鍵を精製、間に合わ──

 ずん、という震脚の音、震え。感覚はない、だが魔術のラインが切れた事が判る。私の右腕がちぎり飛ばされた。

 拳、だろうか、ごつ、という音と共に下顎が無くなった。

 倒れた私の左腕、踏み砕かれ、魔力が通らなくなる。

 

「よもや鉄甲作用までとは……な、埋葬機関に縁でもなければ伝わらんはずだが──さて」

 

 ──令呪を以て命ず、ライダーよ、石化の魔眼にてアーチャーを直視せよ。

 

 ……あ。

 

 ──続けて令呪を以て命ず、ライダーよ、自害せよ。

 

 ……ああ。

 こぼれてゆく。

 なにもかもが。

 わたしは。

 わたしは。

 そんなにも、ゆるされないのでしょうか。

 

 ライダーの魂が私の中に注がれ、英霊の魂に圧迫され、意識を失う直前。多分、もう流れないだろうと思っていた涙が流れた。

 

   ◇

 

 ぐつぐつと煮えたぎった大釜。

 真っ黒な器、真っ黒な虚、煮えているのは魂、数々の魂の悲憤、喜怒、安寧、赫怒、その記憶、無数の冒険譚、強き意志、守り通せたもの、守り抜けなかった誓い。

 身の丈を遙かに越す九本首のヒュドラを殺し──

 ただひたすらに、ただ一途に、どこまで届くか、届かせる事すら考えずに剣に没頭し──

 魔女であることを民から英雄から神からすら強いられ──

 ただあるべき己の生命のまま戦場を駆け抜け──

 ただの怪物となり最も大事だった己の姉さえ飲み下し──

 幼き誓いを傷だらけになりながら最後まで守り抜き、その守り抜いた理想にさえ裏切られ──

 

 入り交じる。

 重すぎる。

 入りきらない。

 いっそ破裂してくれればいいのに。

 破裂もしないから、私が潰される。

 吹き散らされる。

 

「ギルガメッシュ、お前は人の死のためにそれを使うものだと思っていたがな」

「なに、それは別に今でなくともよいのだ言峰。いつなりともできる事だからな。それよりも面白いモノが見れるやもしれんぞ」

 

 言葉が聞こえる。耳だけ生きているのは何故なのか。

 息すらできない、目は見えない。五体の感覚は皆無。血すら停滞している。体は既に人である事をやめ、ただの容れ物と化している。人である事をやめながらなお生きている、いや生かされている。思考だけは途切れ途切れに続けられる。微かに残った人の部分。

 

「ぐ……ギルガメッシュ、貴方は……そんな、呪いを……う、く……ぁ」

「クク、囚われた姿も中々のものだぞ騎士王よ、古来、我が捕らえた他国の王をどう処したか身をもって教えてやろうか」

「やめ……ろ」

「ふ、クク、この後に及んで怯えの一つも見せぬか。ならばこそ手折りたくもなる、が──今は饗宴の時よ、陵辱は後にしておくとするか」

 

 きょう、えん?

 セイバーの声、そういえば、私の中の魂は6つ、だからぎりぎりで人として残っている部分が。

 それも、いつまで持つものか判らないが。

 意思を強く張り詰めておかないと吹き散らされる。

 ここまでして耐えなくてももう良いじゃないかと思う。

 術式は発動した、呪いは発動した、全てに届いたかは判らないけども。マキリの蟲そのものに対する呪い、私の中の蟲も一切が死滅し、穴だらけの、つぎはぎだらけの体だけが残っている。聖杯としての存在でなくなれば即死するだろう。いや、今の状態を生きている、と言って良いのだろうか。

 かつん、かつんと足音が近づく。

 やがて、私の近くでふ、と小さく笑う声が聞こえた。

 

「つまらぬ業を負ったものだ。ただ得られぬ滅びのみを望んでおれば中々に滑稽であったものを、やはり凡百の雑種であったか。だがまあモノとしては中々良い出来ではある」

 

 私の頭が何かで掴まれ、ずぶずぶと、沈み込んでゆく。思考さえも、魂さえも、それは掴み、戯れるかのように絞り上げ──

 

「初めて見るものだな、その爪は」

「興味があるなら使ってみるか? 名などない、ネイブとだけ呼んでいるが、人を支配し操るだけのつまらん道具よ。モイライ、ノルンらの雛形であろうがな」

 

 声など出せない。肺が動いてないのだから。

 声など出せない。顎がないのだから。

 それなのに──

 

「ぎ……か──はッ」

 

 聖杯として機能していたはずなのに、無理やり人としての機能を呼び起こす。開いた口に何かの滴が垂らされ、顎が再生する、逆流した血が口から溢れた。

 

 視界すら、視る機能すら一時的に繋がった。

 ただそれは──

 

「イリ……ヤ」

 

 大空洞の宙空に鎖に縛られたイリヤが見慣れない衣を纏って浮かんでいる。意識がないのか、身じろぎ一つしない。

 その後ろには真っ黒で、真っ黒で、黒すぎる孔。それは未だ小さく、それでも、その意味する事は私にはよく理解っていた。

 

「ふむ、だがギルガメッシュ、お前の言う通り孔を開くとして、六体で事足りるのか?」

「問題なかろう。七体分が必要なのはそれだけの大きさがなければ、すぐ閉じられる程度の孔しか出来ぬからよ。だが、これから釣り出すのはそれ以上の魂だ、まあ見ておれ」

 

 ぐちり、と音を立てて、頭に立てられた爪が食い込んだ。

 思考が白く、なる。

 私自身が私自身でなくなる。

 口が勝手に言葉を紡ぎ出す。

 

「──告げる」

 

 それは奇しくもサーヴァントを召喚する時のものを踏襲していて。

 

「汝の身は我が内に、我が命運は汝の贄に。聖杯の求めに従い、この意、この願いに応えよ」

 

 魔術回路は無理やり励起され、すり切れ、大量の魔力を吐き出す。刻印虫の絶えた私の本来の魔力。応じるように宙のイリヤの魔術回路もカチカチと。機構が噛み合い動くように──

 

「誓いを此処に。我は此世総ての悪と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 喜ぶ、悦ぶ、歓ぶ。私と繋がっている大聖杯の中の魂が名前を呼ばれた事で喜んでいる。

 

「象徴たるは金星、娼婦でありて聖、陰にて陽、死したるドゥムジの半身、世界にあまねく光」

 

 どくん、と世界が脈打った。違う、違う、違うと、世界そのものが。それを拒絶している。それを呼んではならないと。それは既に終わった幻想なのだと。

 

「ウルクの王、原初の英雄、ギルガメッシュの導きに従い、我が滅びの願いを聞き届けるならば──」

 

 孔が広がる。コールタールのような泥が噴出し、その人類を全て殺しうるだけの呪いのさらに奥から。

 何かが覗いた。

 

「我が身に来たれ──アヌの娘よ──!」

 

 黒の孔、それは広がり、広がり、広がり、大空洞を埋め尽くす。

 その広がった孔より、黒い、一滴。月から漏れた黒い滴のようなそれが、私に入り込み。

 支配した。

 異界に染まる。

 否、私ガ作り上げてイるのガ異界。

 

「ふ──クク、はははは、はははははははははーーーッ! 幾星霜の果てか、神代より遙か隔てた時に再び貴様に会えようとはなイシュタルよ、悪性の呪いに犯され墜ちた気分はどうだ!」

 

 ああ、これが。神霊の降臨。

 私というちっぽけな意思は神などという大雑把で巨大過ぎる流れに揺られて、ただ溶け込むように、揺られている。英霊は私を押しつぶした、けどこれは違う。私という殻など破り捨て、魂など壊し、私が逆に飲み込まれた。最初にいじられた頑丈すぎる魂の殻が無ければこのちっぽけな私すら残っていない。

 

「ィィ──ァァ──」

 

 女神は苦しんでいる。呪いに犯され、人の多すぎる、神秘の少なすぎる、自らが存在すべきものでない場所に存在する事に。大気は身を灼き、忘れられた信仰が己の存在を薄いものにする。存在しながら存在を許されない。

 苦し紛れに手を振った、翼を振った、それのみで世界が崩れる、一挙動のみで世界にとってもそれは猛毒。

 

「ははははは! 愉悦! 大いに蜿いてみるがよい! おお! 我が友よ。お前の力を存分に振るえる時が来たぞ。天の鎖!(エルキドゥ)」

「──ェェ──ィィ──ァァ」

 

 英雄王は金色の髪を風に揺らせ、その左手より、出した鎖の端を掴む。天の雄牛すら殺した鎖が体に巻き付き締め上げる。苦しさに悲鳴を上げ、声のみで大空洞は崩壊した。

 

「ギルガメッシュ! 貴方は一体何をした! マトウアカネのどこをどうすれば神霊を招くなんて事になるのですか!」

 

 自由になっていたセイバーがイリヤを抱え、崩落する瓦礫の合間をすり抜ける。今にも刺し殺さんばかりの顔で英雄王に迫った。

 

「──確かに、私も神に問うてみたいとは思っていたが、異教の神ではな」

「クク、何。心配するな言峰、あやつも神の一柱ではある。気付かせてくれるぞ? 意味など最初から無いのだと」

「理、など有り得ぬのか」

「ああ、無い。有って無きものを追い求める貴様の業もまた我の好むものであったが──アレを見よ。神すら人と変わらぬ獣だ。神などには答えなど導き出せようはずがない」

 

 神父と英雄王が暢気に会話を交わしている。

 当然だろう、対峙する強大な力を持ったものはエルキドゥという神から作られし、それでいて神すら凌駕する力を持った鎖に抑え付けられている。ぎちぎちと、悲鳴を上げながら。

 

「──それで、どういう状況なのかね、英雄王。守護者としてのバックアップを感じるのだが、人類の滅びに繋がる選択でもしたと言うのかな、とするなら討たれるべきは君か」

 

 赤い弓兵が皮肉げに瓦礫に立つ。

 

「贋作者(フェイカー)貴様も女神に押し出されたか。疾く消えよ、貴様は我の視界に入るな、目障りだ」

「さて、そうもいかん。アレが動く以上非常時も良い所だ。英雄王、何をした?」

 

 その問いには答えず、英雄王は己を糾弾するセイバーの碧玉の瞳を愛おしむように目を細めて言う。

 

「ふむ、セイバーよ。我はアレの願い『自らの消滅』を聖杯に叶えさせてやったに過ぎぬよ」

「──な、自滅を」

「ああ、そこな贋作者のごとき自業自得でさえなく手渡された力と運命、雑人の身には重すぎよう。ヘレネスの処女神は相も変わらず知恵足らずと見える。ああ、蛇よ、貴様もかの女神とは縁深き身であったな」

 

 英雄王は視線を移す。下らぬものを見る目でライダーを見て嘲笑った。

 

「魔術師共のよく言う言葉だ。神秘はより強い神秘に打ち消される。神もまた同じ事よ、起源を同じくするものであれば、より本流に近いものにより打ち消される。すなわち──処女神の力を殺すならば、バアルの妹を以てして、さらにはその本流、イシュタルを降ろせばよい。聖杯は我の示した道筋を辿り、ソレの持つ願いを十全に叶えて見せたのよ」

「触媒は、あなた自身という事ですかギルガメッシュ。しかしアカネは、漠然とした自滅の願いはあっても強いものではありませんでした。少なくともこんな望みは……」

「──ふん、それよ。子に縛られるなど、つまらぬ業に成り下がったものだ。道化ですらない雑種に何ほどの価値があろうか」

 

 ぎちぎちぎちと鎖が締め付ける。

 零れ散る。

 鎖で千切られ血がはねる。

 血が世界を歪め噎び泣く。

 煮えたぎり沸騰し、獣となり軍勢となりそれは国で世界で山で川で海で王で死で罪で雲で鳥で人で。

 

「──チ、胸糞悪ぃ台詞だぜ」

 

 青い槍兵が瓦礫の上で顔を歪める。

 英雄王はそれを愉快そうに眺め、もう一端の黙り込む姿を見た。

 

「クク、己の為であるなら子など煮潰してしまえばよい、そうは思わぬか? 道化の魔女よ」

 

 ローブ姿のその影は、答えない。ただ床に立てた爪が剥げ、血の痕を残した。

 そして英雄王は思い出した、と言わんばかりにああ、と声を上げ。

 

「そう言えば──半神でありながら、狂わされ、我が子を火にくべ焼き殺した愚か者もいたな、さて、何処の誰であったか。まあ、さほどの者ではあるまい」

 

 黒い、巨体の戦士は爛々と光る目を英雄王に向ける。巨大なふいごのように息を吐いた。

 

 血は際限なく、止めどなく流れ、一対の翼を、真っ赤に染め上げる。

 血は腰を浸すほどに止めどなく流れ、手を足を頭蓋を胴を作り上げる。

 血は地となり、戦士を作り、槍となり、剣となり──

 

「──なるほどこれが神霊というものか、悪魔とさほど変わらんな」

「当然であろう言峰。墜ちた神はただ己の性に従い異界を作る、それは世界にとっての毒に過ぎん。さて──雑種どもよ、そろそろ我が友も疲れてきたようだ。止めは我が刺してやる。我のために露払いをするがよい。相手は大淫婦にして戦神、血塗られし女神よ、墜ちて力を弱らせているとはいえ、敵に不足はなかろう」

 

 そう言い、英雄王は円筒が三つ繋がったような、妙な形の剣を宙空より取り出した。

 

「……セイバー、文句はあるだろうが、これが守護者の仕事だ。今回世界は、丁度その場に居合わせた私達を使うつもりだな。後始末でないだけマシ、というものか」

「アーチャー……貴方はずっとこのような事を」

「クッ、まさか君とこう肩を並べる事があろうとは、英雄王は気に入らんが、それだけは光栄だ」

 

 弓兵はその鷹の目を細め、最早人の姿──というより赤い血のその塊、私もその一部か、それを見つめ、騎士王は銀の少女を背にし、絶対に通すまじとその見えない剣を構える。

 

「アカネ……あなたは。まだそこにいるのですか。アカネ」

 

 ライダーにいるよと返したいけど今の私はただの一部。感じ取る事はできてもただそれだけ。

 

「たく、存分に戦えねーわ、良い女には最後まで逃げられるわで散々じゃねーか」

「──ふ、ふふ。散々、ね。そう──本当に」

 

 槍兵は不満げに呟き、魔術師はどこか掠れた声で乾いた笑いを上げる。

 黒き巨漢の英雄は、聖杯戦争のクラスに括られたまま守護者として用いられたせいか、未だ狂気に陥った目で斧剣を構えた。

 

 神話の戦い、それはそうとしか言えないものだったかもしれない。

 無限とも思える血により浸食された世界、作り出された一つの界そのものが英霊達の、世界の敵だった。

 その兵も、その大地も、その空気さえも女神の肉であり血。

 その悉くを、英雄達は疾駆し、あるいは消し飛ばし、天馬にて蹂躙し、切り開き、穿ち抜く。

 そして頃は良し、と見たのか、最後に踏み出したのは上半身の鎧を脱ぎ捨て、凄惨に、爛々と輝く赤い瞳で睨め付ける英雄王。その姿は笑みを浮かべていながら、油断も慢心も一部の隙さえもなく、ただ目前の敵を倒す事のみに向けられていて──

 

「奮えよエア、時が来た。場が整い、敵とまみえた」

 

 ごう、と咆哮を上げ、魔力を際限なく飲み込み、起動する三つの刃。

 

「足りぬ──我が友が死したは何処の神のためか」

 

 風を巻く、励起され、押し込まれた魔力はすでに飽和、物質化しかねない程に圧縮され、空間が、自らが裂かれる事に悲痛の呻きを漏らす。

 

「我が意思を、我が魂を、我が在り方を示すにはなお足りぬ!」

 

 渦巻く魔力で英雄王の神の体とすら言える肌にも罅が入り、血がしぶく。

 

「今こそ時ぞ! 久しき神殺しぞ! ここで力を渋っては英雄王の名が泣こう!」

 

 集った力は最早力とすら言えなかったかもしれない。

 全ての者が見る事さえ憚られる程の圧倒的な意思。

 それはただ、英雄王の在り方。唯我こそ有り。

 そして、それは解放される。

 

「“天地乖離す(エヌマ)開闢の星(エリシュ)──”」

 

 世界が、光で、断ち切られた。

 

   ◇

 

 冬木の局地地震。それは後に教会の手により偽装され、そう呼ばれる事になった。

 柳洞寺地下にあった大空洞は完全に崩落、地盤沈下により柳洞寺そのものも壊滅的な被害を受けた。

 嗜好はともかく仕事に一切手を抜かない言峰神父の手により、事前に避難誘導されていたため、人的被害が無かったのが唯一の救いだろう。

 結局、聖杯戦争は第三魔法を成す事もなく、孔を開き、アンリマユを出しかけ、それ以上の存在を召喚し、それごと消し飛ばすなんて荒技で、限りなく力技で世界の抑止力なんてものまで巻き込み、終結してしまった。むろん、そんな衝撃に大聖杯が耐えられるはずもなく、今後、この地での聖杯戦争が起きる見込みはないだろう。

 

 問題になったのは事後処理だった。

 何しろその事態をそのままに報告すれば魔術協会、聖堂教会、共に攻め込んで冬木市を戦場と化し、その成果を片や保護しようと、片や破壊しようと躍起になってもおかしくない。

 一度小聖杯に取り込まれた英霊、それが世界の壁を破る時の根源へ続く孔を利用するのが聖杯戦争という魔術儀式の一側面だ。その世界の壁を押し破り、座に到達する以前に女神という巨大な存在に押し出され、聖杯戦争のクラスで括られたままに守護者として世界からのバックアップを受けた彼等だったが……そんな特殊ルールで括られていたゆえか、何人かの英霊が依り代を得てそのまま現界しているのだ。

 セイバーは聖杯を願う意思はまだ変わらないものの、この時代を通し、自身の願いを見つめ直すつもりらしい。魔力の豊富な遠坂桜が供給を引き受け、アーチャーは遠坂凛が「逃がさないって言ったでしょ」とあくまの笑みで捕まえていた。

 門を開いたのみで、無事に生き残っていたイリヤスフィールは少しだけ理性的になっているバーサーカーを従え、キャスターはあの混乱の中、ちゃっかりと世界から供給されていた無尽蔵の魔力を溜め込んでいたらしく単独で現界、怪我をして入院している葛木宗一郎の病室でその姿をよく見る事ができるらしい。

 前回の聖杯戦争から生存していたギルガメッシュは文字通りあの一撃で全てを使い果たしたのか、大聖杯が無くなり、受肉させていたアンリマユが消えた事からか、消失。

 言峰綺礼もそれに前後して倒れたが、溜まった怨みを晴らす前に死なれては困るとばかりに遠坂凛が父から継いだ宝石を用いて心臓を再生、アーチャーは自らの死後にすら大事に所持していたペンダントを握りしめ、愕然としていた。彼の持つペンダントと蘇生に使ったペンダントでは微妙に意匠が違う事に気がつくのはいつになることだろうか。

 その助けられた言峰綺礼は冬木市にはもう何の価値も見いだせぬと思ったものか、教会への報告については一番手短な方法、起こった事実を適当なものに塗り替え、万遍なく平らに均し、冬木の聖杯戦争という魔術儀式は最初から失敗していたのだと報告し、海の外へと立って行った。親切心などでは当然無く、信仰とも己の求道にも趣味にすら関わらない場所で時間を潰したく無かったからだろう。

 

 そして私はといえば、やっぱり死ねなかった。

 神霊を降ろし、その中に飲み込まれ、最後は消し飛ばされても、魂がぐちゃぐちゃに吹き飛んでしまっても。再生してしまった。何事も無かったかのように。

 本当に世界の修正力で再生しているのか、かなり自信が無くなってきた。シエルさんが寿命で死に、それでも私が生きていたとしたらどうすれば良いのだろうか。本当に先行きが不安になる。

 英雄王に介入された事で巫蟲の術は中途半端に終わってしまった。魂のより奥の方にまで関わるダメージでも受けたのか、あるいはアンリマユを用いての巫蟲の呪いは魔術基盤を欠損させるほど強力なものだったのか、私の魂すら染め上げたマキリの蟲も九割は死んでいる。だが、少しでも残っている、という事は同時に間桐臓硯の存命も考えなくてはならない。

 間桐家の蟲倉は綺麗さっぱり消えていて、痕跡を辿る事もできなかったものの。

 

「じゃあ行こうかライダー」

「アカネ、本当に良いのですか。彼等に何も伝えなくて」

「うん、私は死んでいた身になっていた方が良い。どこから話が漏れるかなんて判ったもんじゃないから。神霊を降ろした上に生存なんてレアケースは教会も協会も欲しがる。厄介の種でしか無いんだ」

 

 あの事件の中の行方不明者の一人、世間的にはそういう事とされ、一部の事情を知っている人達からすれば、さすがに生存を諦められていた。

 神霊の依り代なんてものになれば当然だろう、それ以前に聖杯として機能し、人間としてほぼ死に体だったのだから尚更だ。

 私が生きている事などが知れれば、必ず周囲に被害が及ぶ。ミサゴは自衛の為に人としての自由を失い、魔術師として生きる他無くなり、慎二は気軽に旅行に行くことすら出来なくなる。

 だから私は事後がどうなったかだけを確認し、ライダー以外の誰にも知られずに冬木市を去ることにした。

 間桐の管理地である霊地は全て頭に入っている、一箇所ずつ確認していく事にしよう。

 この世のどこからもマキリ・ゾォルケンという存在が居なくなったら、一度冬木市に戻って、皆の様子を見るのも良いかもしれない。

 その後は──

 その後は風任せ。だろうか。

 冬木の長い冬、酷寒にはほとんどならない、どこか緩い冬も終わりもうすぐ春になる。

 ただの名前も忘れた誰かだった自分、海の名をつけられた自分、末の妹だった自分、蟲に染め上げられた自分。今の自分は誰なのか。何者なのか。あの嗜虐の求道者ほど己への問いに興味があるわけでもない、ただ、それを探してみるのも良いかもしれない。

 空っぽで平坦な感情のまま、ただ漠然とそう思った。

 




stay nightはやはり長かった。一話で納まらず字数制限で上下になってしまいました。
スーパー我様タイムの生贄が主人公。
ヒャッハーしてます、多分英雄王本人は神殺しをした後に悠々とセイバーに求婚したかったに違いない。
ええまあ、冬木の聖杯では神霊呼べないって設定なので有り得んですが。
その割に神性備えてる存在もぽんぽん呼んでるので、根源への孔があり、さらに聖杯の大魔力を以て神霊を降霊させる事に使えば、てな感じです。
神様で始まったなら神様で終わってみようかという思い付きでした。
この子の話はひとまずこれでお終いです、お付きあい頂き、ありがとうございました。

 主人公視点からは見ることが不可能だったので一応SSの設定をば。捏造、後付設定盛り盛りでした。

●元の世界
 型月世界の平行世界の一つ、神秘は存在すれど、魔術は廃れている。
 赤いお姉さんが座に存在する英霊にどうやって干渉するかの実験で、fateのお話が刊行されている。ルートはひたすらUBWルート推し。たまにHFルート。こちらのお話ではセイバーの影が薄い。ZEROは刊行されていない。そりゃあ面白そうだ、と妙なお爺さんまでノリノリで吸血姫のお話を書いているらしい。
 平行世界のさらに源、根源の外側に存在する異界の一つ、ギリシャ系列の神様が存在する場所に主人公は絶えて久しい信仰と勘違いしたアテネにより引き込まれた。
 こちらのオリュンポスは死後の命を召し使いとして使うなどしている。神様にとってそれが人の栄誉であり喜びである事を疑わない。
 死に設定にも程があるけど死亡したのは●●士郎なんて思い付きもあった。

●転生一回目
 月姫SSなんぞ思い浮かべてしまった主人公はその話の大本に関りやすくなる運命と切り開けるだけの力を授かり生まれ変わり。
 ギリシャ神話で加護と試練はワンセット。おおむね悪い末路もワンセット。
 知恵と戦の神らしく分かりやすい補強を受けている。肉体、知能、魂、存在そのものが神造性能、ただ中身は英雄とほど遠い精神性だったのでのんべんだらりと生活。
 ロアの転生については、前代の時に転生の条件付けと儀式が必要、ミュリエルがロアであった時に極東の名家に生まれる条件付けをした。
 本来ロアは遠野家の新しい赤子として生まれるわけが、四季の反転により不完全な転生。
 死徒という存在が真祖のおまけ、ガイア寄りのものとして世界に認識されており、その何の縛りもない、ロア状態のミュリエルなら殺しにかかっているアルクェイドとガチ戦闘ができる阿呆スペック。
 星の触覚であるアルクェイドにそんな事をしてしまったものだから、妙な情報として世界に記憶されてしまい、その後、死徒でなくなった後はガイア側の抑止力が動きやすい状況に置かれている。
 第七聖典はパイルバンカーになる前の状態、銃剣型、普通のナイフ程度には切れる。転生批判という概念と共に霊体に対する絶大ダメージ。ただし自殺を禁じているカトリックであること、本人の信心の薄さにより消滅は失敗。

●転生二回目
 女神は魂を回収してみたら欠損した上に薄汚れていた。おまけに自分の祝福を否定されている。こんなもの要らないとばかりに投げ捨て。
 わずかに残っていたロアであった時に選定した「極東の名家に生まれる」という設定と、メデューサとの強い因果により平行世界の遠坂家に誕生。
 この時期エレイシアは未だロアではないが、未だ生まれていないロアが既に生まれているという矛盾に囚われ、主人公はやはり不死。ただ、不老とは呼べず成長はしている。後に間桐の家に養子に出された時期と前後してエレイシアはロアに覚醒、アルクェイドに殺され、数年後に復活。この時点でロアの魂を持つものが三重に存在するという事になり、より重なった矛盾により主人公の成長が停滞。
 ただし既にこの頃にはどんなに壊しても元通りになるという特性のため、臓硯にそれはもうSSとして詳細を書くだけでも手にお縄がかかりかねない事をされており、子供を産める状態になっている。
 聖杯は適合したものの原作の間桐桜ほどではなく、その機能はあくまで霊体を溜められるタンクのようなもの。
 原作のHFルートで出てきた影はあくまで桜の属性、架空元素"虚数"と吸収、アンリマユが合わさったものだったので、この主人公だとアンリマユが表面化しても黒桜さんほどの無双にはならない。ただロアであった時の記憶をなぞるように水の属性である血液を媒介に命を吸収する吸血鬼として表面化する。
 我様により神霊の降霊に使われ、魂も欠損どころかほぼ全損に近い状態になる。アテネとの関連性はイシュタルの降霊により完全に潰されたものの、今度はイシュタルとの縁が出来た。娼婦としての運命に引きずられやすくなっている。

●ロア
 喜びに喜んでいたけれども、それは愛しのアルクェイドと真っ向からダンスパートナーができる事への喜び。本人は理解もできていない。

●間桐臓硯
 魔改造されたキャラ。主人公の性格を読み違えた事により酷い事に。
 蟲に身を変え延命しているが、その実長く蟲でありすぎ人というより精霊種に近い存在になってしまった人。
 ユスティーツァとの誓いを捨て、人のままで在る事を捨てさえすれば恐ろしい存在となり果てる。
 主人公の特異性を利用しながらとはいえ魂の加工すらこなす。首のすげ替えも、もはや魂喰いに近い。意識して「肉」として扱うために魂喰いにはならないだけ。
 脳虫は各霊地に百匹以上のスペアがある、冬眠しているそれを全て殺さない限り死なない。
 半端に終わった巫蟲の術のため生きのびて、どこかで機を伺っている。伺っているうちに鮮血神殿でトロトロに。

●ギルガメッシュ
 最初は薄汚れた聖杯で増えすぎた人間を殺してやろうかなどと思っていたが、主人公の因果を見てみれば面白い事が出来そうだったので気分を変えた。
 友のエンキドゥが死ぬ事になった原因であるイシュタルを呼び出して腹いせに神殺し、世界を滅ぼしかねない遊戯に励む。
 本当はセイバーに神殺しの勇姿を見せ「見惚れたであろうセイバー」などとでも言いたかったが、本気になりすぎ、力を使い切り消滅。詰めの甘さはやはりギルガメッシュだった。
 ヘレネスの処女神とはアテナの事。ヘレネスは古代ギリシャ人が誇りを以て自らを言う自称、本来ギルガメッシュが使う言葉ではないが揶揄して嘲笑っている。
 バアルの妹。アナト、アテナと同一視される神、愛と戦の女神、殺戮したり兄を熱愛したりと色々インモラルな神様。イシュタルが起源……らしい。

●言峰綺礼
 聖杯戦争ではギルガメッシュに、面白いモノを見せてやろうとばかりに誘われ襲撃。半年後に教会の都合で冬木市に舞い戻る。アルビノシスターと麻婆を食いながら毒舌合戦。
 犠牲者は挟まれた衛宮士郎。ここの世界の衛宮家には胃薬が常備されている。

●衛宮士郎
 相変わらず正義の味方を目指している、が、遠坂姉妹と早くに巡り会ったおかげか、特に遠坂姉の躾けは効いている。魔術知識も師匠の助手をする程度にはある。

●遠坂凛
 妹がいることで、さらには手のかかる弟子が早くから出来た事で原作よりさらに雄々しく逞しくなっている。原作以上にヒーロー。SSに出る事はなかったものの。

●遠坂桜
 小さい頃に引き離された影響からか、小さくて可愛い者が大好き、姉のお仕置きを恐れながら心の底から頼り切っている。
 クォーターなのに大和撫子、どこか天然さん。ゆるい。

●魔術詠唱 自己暗示の「Je suis ici」私はここにいるよ、直訳するとそんな意味、この主人公にしたら結構血を吐くようなフレーズ。

●間桐雁夜 記憶が戻ってしまい、その記憶に苦しむが、聖杯戦争の末間桐家が魔術の道から降りた事を人づてに聞き、密かに喜び、行方不明者の主人公の事を知って遠坂凛に接触、ガンドを食らう。

●間桐慎二 魔術知識のある一般人として、多少支配的な部分も出ながら、至って普通に成長。センター試験を控えてペンを回しながら、あいつは一体なんだったんだろう、とふと思う時もある程度。おそらく人としては一番幸せ。

●その後
 根本的に心の弱い主人公はマキリの蟲を滅ぼしたのを確認すると冬木に直行。ミサゴの姿を見てほわほわ。子供の扱いに慣れない衛宮士郎や遠坂凛の扱いに思わず飛び出しそうになりライダーにニヤニヤされる存在。もはやただの萌えキャラ。可愛くて可愛くて仕方ないのに触れられず、キャスターと複雑奥様同盟を組む。そんなhollow。

 うんまあ、一人称では語らせるのは無理でした。
 ちょっとした疑問のお答えになれば重畳。いずれまた。

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