舞台と役者が揃い、劇を演じたら最後は幕を引く。これはごく自然な流れだ。秋の選抜の本戦という舞台、ロッシの得意分野とするイタリア料理で徹底的に打ちのめされて黒木場の敗北は確定し、学園を退学になる。
遠月十傑の第九席の立場と一人の料理人という立場から見て何の恨みもない奴にここまでするのは少し心が痛む。だがこれで俺の経歴から一つの傷は消え、穏便な学園生活を取り戻せる。
「嬉しそうだね、叡山くん。なにか良いことでもあったのかな」
「ん? あぁ……一色。別に大したことでもないんだけどよ、黒木場にロッシの得意分野とするイタリア料理が相手だと、あまりにも分が悪いから少し気の毒で」
それだけじゃない。
黒木場の食材には少し小細工をさせてもらった。食材の手配時にリストを見る限りでは作る品はミネストローネ、基本的にトマトベースになる料理だ。そこで念には念を入れて黒木場の使うトマトを傷んだものとすり替えるように指示を出した。傷んだトマトといっても目利きの料理人でも気付くか、気付かないレベルのもの。気付いたところで手の打ちようがない。
いつもの俺ならここまで可哀想に思えるほど、追い込むことはない。しかし、本戦の数日前に黒木場リョウと薙切薊の二人の過去を調べさせた結果の資料を見てとんでもない事実に辿り着いた。黒木場は幼い頃に薙切薊と料理対決を行ない、引き分けている。当時の実力で薙切薊という料理人と引き分けているなら、現在の実力は未知数。
なぜ黒木場と薙切薊が料理対決をする、という流れになったのかという点についてまでは調べることが出来なかったので諦めるしかない。まぁ、今となっては薙切薊を脅す良い口実が見つかったとでも言うべきか。過去とはいえ、幼い子供相手に料理対決で負けてるなんていうのが表立っては仕事にも支障が出るだろう。手加減、したというなら話は別だが、調査資料を見る限りでは手加減無用で本気の料理だった。
「黒木場くんにとってフェアではないかもしれない食戟……薙切くんから話を聞いた限りでは譲れない闘いらしいね。誰かを守る為に闘う、というのは素晴らしいことだと思う」
「はっ。結果的に負けてしまえば全部失って終わりじゃねぇかよ」
「それすらも覚悟の上、というわけなんだろうね」
悪いな、黒木場リョウ。今日の舞台で消えてくれや。
調理の手が止まる。
食材のトマトが明らかに傷んでいる。臭い、見た目、感触のどれもが微妙な加減で新鮮味がない。傷んでいるのは確実、ほのかな酸っぱい臭い、見た目は完熟にも見えるが違う、感触も少し柔らかいくらい。普通の料理人でも目利きが難しいな。臭いに気付かなければこのまま使うところだった。
「どうする……考えろ、考えろ」
今日作る薬膳イタリア料理、ミネストローネはトマトベースのものだ。肝心のトマトが傷んでいては勝負にならない、今から申告して食材を変えてもらう時間も惜しい。しかし勝負を投げるわけにもいかない。なぜ、トマトのみ傷んでいて他の食材には問題がなかったのかと陰謀めいたことが、フッと脳裏を過ぎるが考える時間すらない。
「仕方ないな……方法は一つだ!!」
どの程度、傷んでいるか分からない以上は一つしか方法がない。50℃の熱湯にトマトを浸けてから、氷水に浸け直す。その後にある程度、トマトを乾かしてから潰してミネストローネを作っていくことにしよう。当然、味は変わってくるので時間との勝負になってくる。急造の味でロッシのイタリア料理に勝負を挑むことになるなんてな。
50℃の熱湯を用意し、トマトを浸けて10分前後待つ間にスパイスの用意。トマトに合わせて多少、スープの味を変えなければならない。急造とはいえ味を落とすわけには絶対にいかない。
「顔色が悪いな、黒木場リョウ。学園で作る最後の料理だから緊張でもしているのか、緊張をしていようとも僕の手は止まることはないがね。これから学園を去りゆく君に必殺料理を餞別にするのだから」
「必殺料理……だと」
その者にしか作ることの出来ない真に独創性のある、一皿。料理人が己自身の料理を追求した末に作り出されたもの。それは敬意を込めてこう呼ばれるだろう、必殺料理と。ジュリオ・ロッシ・早乙女という一人の料理人によって編み出された一撃必殺の料理。
俺はロッシの料理に打ち勝つことは出来るのか。現状ではロッシの料理に打ち勝つことは難しいだろう、もしここで薬膳という選択肢を外し、イタリア料理としてのミネストローネを作り直せばまだ勝利の可能性は見い出せるが、薬膳効果を狙ったイタリア料理としてこのまま料理を出すなら勝敗は分からなくなってくる。
どちらを選ぶべきなのか、というのはもう分かりきってる。俺自身、緋沙子の料理人としてのプライドを守る為に、彼女を嘲笑い辱めた料理人を倒す為に闘う日が来るとは思ってもみなかった。
『お前、えりな嬢の付き人なんだろ。俺の代わりに手紙を渡してきてくれよ』
『今のわたしに……えりな様に顔向けする資格なんか……』
『あ? 手紙も渡せねぇくらいにか。はぁ、顔向け出来なくても傍にいて抱き締めるくれーは出来るだろ』
昔、えりな嬢に手紙を渡すために日本に渡った俺は一人の幼い女の子と出会った。友達であり、えりな嬢の付き人である彼女は主を助けられずに悲しんでいた。
手紙を渡せないくらいに、小さな背中を震わせ泣いていたのだ。そんな彼女は主を守る為に体調の管理を担うために薬膳料理という答えを得て、現在に至るまで一生懸命に努力をしてきたんだろう。
「……お嬢、すみません。ここで負けても怒らないでくださいね」
きっと、お嬢なら許してくれるだろう。
ここで俺が薬膳イタリア料理を選択肢し、ロッシの必殺料理に敗れたとしても悔いはない。
リョウくんの調理の手が止まった。
視線の先にあるのは食材のトマト。今日の対決テーマであるイタリア料理を作る上でリョウくんが出した答えは薬膳効果を用いたミネストローネ、料理人として私の付き人としての純粋な答えは素晴らしいと思う。
イタリア料理はロッシくんの得意分野、リョウくんもイタリア料理に関して遅れをとるほどの腕前ではないにしろ、薬膳を合わせるとなると難しい。イタリア料理の野菜スープであるミネストローネと薬膳効果を狙うミネストローネとではまったく本質が変わってくる。もしも、要となるトマトに何かあったら、リョウくんといえども薬膳効果を狙ったミネストローネを作ることは出来ない。
「……もしかして、リョウくんの使う食材が傷んでるのかしら」
「あら、考え過ぎじゃないのアリス? この秋の選抜は遠月十傑評議会によって運営されているから食材の手配は徹底されてるはずよ」
意を決したように手を動かし始めたリョウくん。私の方に視線を向けると、小さく会釈をした。何を意味するのか、分かってしまうほどに共に長い年月を過ごしたと思ってる。
「リョウくん……」
「ほ、ほら!! 黒木場くんも手を動かし始めたし、きっと大丈夫よ! ね?」
「食材の手配は誰が指示を出していたの?」
「確か、黒木場くんとロッシくんの二試合目の食材の手配は叡山先輩が行なっていたはずよ」
遠月十傑の第九席、叡山先輩ね。
対決テーマはロッシくんにとって有利なもの、さらにリョウくんの使用する食材に一部傷んだものが混ざっていたなんて少々都合が良過ぎないかしら?
『さあ、先行は僕だ。審査員の皆様、僕の必殺料理を堪能あれ!!』
ロッシくんの手に持つ皿には黒と白のソースが絡み合う、黄金のカッペリーニ。遠目からでも感じる圧力、普通の料理なんかじゃない。彼は確かに必殺料理を堪能あれ、と言っていた。リョウくんが相手なら自分の得意分野である以上、必殺料理とも称される料理を出さなければ勝てないかもしれない。
傷んでいる食材を使う料理人を相手に必殺料理を作ったのだとしたら、ただの公開処刑に過ぎないわ。緋沙子のことを想って闘うリョウくんが倒されたら一番に傷付くのは緋沙子に決まってる。誰よりも責任感のある彼女が傷付いてしまう。
『……こ、これはイカスミソース、トマトベース主体でここまで完成させるとは!! さらに濃厚なカルボナーラソースを合わせた白と黒のカッペリーニというわけかね!! 一つのパスタで二つの味を楽しめる!!』
『必殺料理と称しただけはある一品……!!』
お爺様が一瞬にして、おはだけをーー。
トマトベース主体のイカスミソースにカルボナーラソースを合わせた一つの皿の上で二つの味を楽しめるカッペリーニというわけね。しかもそれだけではない。
『ふふっ、それだけではありません。二つのソースを絡ませて、もう一度お楽しみください』
『な、なにぃ!! これはミートソースにカルボナーラソースを絡ませて食べることによってさらに味に深みとまろやかさが広がっていくううう!!!!』
会場内に漂う香りは私の鼻腔をくすぐってしまう。ミートソースとカルボナーラソースの絡みあったカッペリーニ、嫌でもロッシくんの顔が浮かんでくるのに食べたいと思ってしまう自分がいる。
『この食戟、もはや勝利は確定したのでは?』
『まだーー食べてはおらぬ。勝利への渇望する料理人の料理を!!』
勝利への渇望。
リョウくんは諦めてはいない。
『ああ、まだだ。これから俺のターンを始めさせてもらうぜ!!』
会場内に漂う必殺料理の香りを打ち消すようにミネストローネの香りが会場内全てを包み込んだ。
最後まで読んでいただいて
ありがとうございました。