女神官逆行   作:使途のモノ

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第二十一話

 レルニアン・ヒュドラ

 

 彼女たちの言う川を堰き止めるもの、の来襲自体は前回通りであった。

 

 術での手管はなくはないが、怪我に備えることで一党で最も得手となると自分であったため残されることになった。

 

 つつがなく捕縛までいきつけ、治療を施しての夜。

 

 男衆は花婿殿を連れだっての飲み会であろうし、友人たる彼女は姉との語らいがある。

 

 とまれ、客分の女三人が纏めて夜を過ごすことになるのだが。

 

「……」

 

 さて、ゴブリン退治の準備を、と荷物を広げ点検に入った自分を彼の幼馴染みである彼女が静かに、しかしじっとこちらを眺めている。

 

 前回はどうしたであろう、夜のおしゃべりに興じたのか、細やかな酒宴でも開いたか、定かなところではない。

 

「ええ……と……何か?」

 

「あ、ごめんね」

 

 戸惑いげに向けられる女神官の視線に牛飼娘はパタパタと手を振り、しかし視線は彼女の道具点検から外れることはない。

 

 ――彼と同じみたい

 

 粛々というよりは淡々と、当然すべき如くに広げられた武装を丹念に確認する様子は己の幼馴染みの平素の姿が重なって見える。

 

 そしてそれは的外れな感想ではないのだろう。

 

 彼女が赴くのはゴブリン退治であり、彼女は冒険者である。

 

 彼女や森人のように彼の横にいることが、彼女は出来ない。

 

 そのことに抱くのは軽率な憧れだ。

 

 それがあくまで手前勝手で、自分はもうすることのできない選択肢であると、分かっている。

 

 自分の人生は、粗方決まっているのだ。

 

 叔父の牧場を手伝い、そして、何事もなければどうしたって自分より叔父が先に天に召される。

 

 そうでなくとも牧場の仕事を十全にするのが難しくなる時は来る。

 

 そうすれば、牧場は自分が背負って立つ。

 

 あるいはどこかの、叔父からしても安心できる地に足の着いた職の者と結婚し、妻となる。

 

 婿に誰かを、となれば、叔父の後ろに何年と跡継ぎとしている姿を見せることも必要だ。

 

 寄り合いだったり、得意先だったりに、コイツが俺の跡継ぎで仕事を仕込んでいる、と周囲に認知させる。

 

 ――何をするにも先代の影に五年控える、というのは実際の所必要な下積み期間なのだ。

 

 そして、叔父の年齢から察して逆算するに、そのタイムリミットは遥か先、というものではない。

 

 今年、来年はまだかもしれない。

 

 でも、いつまでも、ではない。

 

 いつか来るのだ、それこそ彼が兜を脱ぎ、ゴブリン退治を、冒険者を辞めると心に決めねば。

 

 ――あの子に婿を取らせる、だから、出て行ってくれ。

 

 叔父さんが彼にそう言う日はいずれ来る。

 

 叔父さんだって彼のことが嫌いじゃない。

 

 だからもしかしたら、その話の前に、冒険者を辞めて婿入りしないか、と言うこともあるかもしれない。

 

 でも、叔父さんにとって私と彼の大事さは釣り合うものじゃない。

 

 それはそれ、これはこれ、で私の将来、幸せを考えて後見人としてやるべきはやる、という責任感のある人だ。

 

 だからこれは、誰が悪いという話ではない。

 

 皆年を取るし、森人でない自分たちにはその一刻みが大きい。

 

 当然の摂理を無視して生きることは出来ない。

 

 その時が来て、そうなれば、彼は兜を脱いでくれるだろうか。

 

 武器を置いてくれるだろうか。

 

 冒険者になるという夢を諦めてくれるだろうか。

 

 あるいは……分かりました、と言って荷物を纏めて立ち去るのだろうか。

 

 私はもうかわいそうな境遇の女の子ではなく、牛飼いの娘なのだ。

 

 彼の帰りを待つことは、今は出来る。

 

 でも、ずっとではない。

 

 まだまだ幼く、未来は白紙で、どんなところへいって何にだってなれる。

 

 そんな立場では、もうないのだ。

 

 

 

 彼女の懊悩は、どうしようもないのだ。

 

 かつての彼は牧場を立ち去った。

 

 ゴブリンスレイヤーは、ゴブリンの凶刃に倒れた。

 

 それが、かつて出た目だ。

 

 彼の訃報を聞き、泣き崩れ、それでも彼女は立ち上がり、生きた。

 

 もうその時には彼女は幼馴染みを失ったかわいそうな女の子ではなく、腕に子を抱く母親だったからだ。

 

 それはむしろ、健全なことなのだ。

 

 だが、ひっそりと、牧場に残された時を止めた納屋だけが彼女の中に癒えぬ傷が終生あった証なのだ。

 

 ──私が死んだら、彼の小屋を燃やして。

 

 それが、彼女の願いだった。

 

 彼が退去して、そこにはもう彼を思い起こさせる物は何も残っていなかったはずだ。

 

 それでも、彼女はあの小屋を残した。

 

 あの小屋に火を放ったとき、私はとても久しぶりに涙を流した。

 

 私はあの時、二人を自分の手で弔ったのだ。

 

 間違いなく同じ人を愛した友人の頼みは、粛々と果たされた。

 

 ふぅ、と回想を断ち切る息を吐くと、びくりと、彼女が居心地悪げに居住まいを正す。

 

 いよいよ私の我慢が限界にきたのか、と思ったのかとてもすまなそうな顔だ。

 

 道具の点検を中断し、彼女に向き直る。

 

「私が出来ることは、多くありません。最善を尽くして、生きて帰る、もちろん皆で」

 

「え、う、うん」

 

 当たり障り無く、お茶を濁す言葉を選ぶことはできた。

 

「……」

 

 だが、言葉を探す。

 

 私は、彼を手に入れる。

 

 それを諦めるつもりはない。

 

 それでも、何か彼女に言葉を掛けたい。

 

 らしくない、と思い、自分らしさなんてもう分からない所まで来ておいて、と自嘲して、

 

 でも、これは多分私の中に間違いなくある女の子の欠片が上げる声だ。

 

 貴女も、立ち上がって、と。

 

「貴女が、羨ましいんです」

 

「え」

 

「私は貴女にはなれないんです」

 

 私は、彼の帰るべき場所になれなかった。

 

 帰るべき場所のない彼は、帰ってこなかった。

 

 彼の歩んだ、もう彼の居ない道を追い、ゴブリンを根絶やしにすべき道を私は歩み、世界を統べた。

 

 行ったっきりで、そのまま時を超えて、いまここにいる。

 

「……すみません、多分これは八つ当たり、なんだと思います」

 

 彼にとっての唯一の場所であった彼女。

 

 自分はなることの出来なかった彼女。

 

 彼が私にそう、と望んだことはなかった。

 

 望まれれば、いくらでも、差し出したのに。

 

 望まれれば、どれほどでも、尽くしたのに。

 

 私は、望まれなかった。

 

 それは、私を彼女の代替品にしないための彼の誠意だったのだろう。

 

 そんな誠意、要らなかったのに。

 

 ぎゅう、と己の掌を、いや、彼が贈ってくれた指輪を握る。

 

 かつては無かった物だ。

 

 自分が戻ってきて手に入れることのできたものだ。

 

 それが、自分に勇気をくれる。

 

「貴女が羨ましくて、だけど、諦めません」

 

 それは恋敵への宣戦布告であり、発破だ。

 

 

 

 どれほど心の内を読まれたのだろうか。

 

「あ、え……」

 

 多分、全部。

 

 いやそれ以上を推し量られて、その上での言葉だ。

 

 だから、この胸の内からわき上がったのは、魂からわき上がるのは。

 

「やだ」

 

 怒りだ。

 

 ずっと止まっていた感情だ。

 

 悲しみに暮れ、彼に寄り添うことでほのかに脈動を始めた感情の、動かされるところのなかった所。

 

 怒ることの出来ない心は不健全なのだ、というのは誰に聞いたものだったか。

 

 久方ぶりに鳴動した怒りという感情は他の感情すらも喚起させる。

 

 目の前の女の子の言葉に、恥ずかしくて、怖くて、それでも思う。

 

 負けたくない、と。

 

「やだよ、うん、やだ」

 

 怒りとは、勇敢さをくれる物だったのか。

 

 怒りとは、決意をくれる物だったのか。

 

 そんなこと、始めて知った。

 

 へたり込んでいた魂が、みしみしと音を立てながら立ち上がる音を聞く。

 

 いままで、体は動いていても、心は座り込んだままだったのだ。

 

 だから、目の前に来た彼女が、まっすぐそう言って来て、思わず言葉を返した。

 

「私だって、諦めない」

 

 そう、お腹にぐっと力を入れて彼女に返し、

 

 

 私達は、きっと友達になれたのだ。

 

 

 ──後日、受付嬢はこの時ばかりは生きた心地がしなかった、と語った。


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