例えばこの世界が虚像でできた産物ならば、ここで生きる私もまた一つの虚像に過ぎないのか。
ならば、この場に生きる我々は大いなる偽物なのか。
――仮想世界と、現実世界の違いとは。
ある者は、それを情報量の多寡だと評した。全身を巡る血脈の鼓動、身体を動かす筋肉の痛み、地に足が着く重力感、燦々と照り付ける太陽の熱気、頬を撫でる微風。それらは現実世界と仮想世界でどちらがより
では、仮に現実と見紛うほどの
この仮初めの世界を現実と成り立たせるものは自己の認識である。迷宮に潜り、恐ろしいモンスターと
SAO――ソードアート・オンラインは最早、仮想空間などといった枠組みに収まるものではない。人々が文字通り命を懸けた――個とした一つの現実世界である。
仮初めの肉体は真なる魂を与えられ、命が芽吹いた。そんな人々が暮らすこの世界は紛れもない現実である。――いや、日々、平穏無事とした世の中を無為に暮らしていたあの頃と、どちらがより生を実感していることか。危険のない温室で飼い殺しにされた犬猫のように、日々疑念を持たずただこんな暮らしが永久に続くだろうと盲信し平和惚けした人間が蔓延するあの世界がどうして生きているといえようか。
そう、私はこの世界に生まれ誠の生を得た。私は、今、どうしようもなく
魂は活力を得て、より崇高なものに昇華した。私は、否、私たちは既にこの世界に生きる住人なのだ。
そして、その世界が終わりを迎えようとしているとしたら――?
例えば、生まれ落ちた愛する故郷が今まさに壊されようとしていたとしたら――どうするか。
私が、私たちが本当にすべきこととは。
誰も疑問に思わずただ唯々諾々と流されるままにただ崩落を待つことか――否、否、否。
私が求めるもの、私たちが望むもの。それは――――。
* * *
窓の外で鳥のさえずりが聞こえた。
瞼を開け身を起こし、
スマホをつけて時間を見るとおよそ一〇時を少し回っていた。早朝――とは言いがたい。
薄暗い室内は一切の光が遮断され、まるで真夜中のようだ。部屋には壁に一つ小さな窓枠が設置されているだけで、それですら黒いカーテンで覆われて隙間には詰め物がされ光が届かないように施されている。
ベットから足を下ろす。今では珍しい――木造の家の床から伝わるひんやりとした冷気を感じながら茜紬が立つと、はらりと腰まで伸びたプラチナブロンドの髪が揺れた。
暗い室内、スマホの明かりと記憶を頼りに茜紬は机に手を伸ばすといつものようにハンドクリームを手にとって満遍なく肌に塗っていく。
手のひらから手首、そして腕へ――。真っ白な肌、というには些か生気がなさすぎる。いっそ作り物の人形の腕といった方が正しいような肌色である。茜紬はそんな自分の容姿が大嫌いで仕方なかった。
やがてクリームを塗り終わると、引き出しから長袖の服とズボンを取り出して手早く着替える。今年で八歳となった茜紬――同年代の少女ならもう少し可愛らしい服を着ていそうだが、こと茜紬に至ってはその限りではなかった。それは生まれもっての体質に起因しているだろう。
予想していたが――、家には自分以外の人気はなかった。顔を洗うため、洗面台に向かう途中に横切ったリビングの机には簡単なハムのサンドイッチがラッピングされ置かれていて、その隣に『兄が高校のコンピュータ、プログラムの大会で賞を取ったそうなので、その同伴に行きます。朝ごはんはそれで済ましておいてください』といった旨が書かれた母からのメモがあった。
内容を流し見つつ、理解するとそのメモをゴミ箱を捨て茜紬は洗面所へ向かう。顔を洗って鏡を見ると、血のように赤い瞳がこちらを見返していた。生気のない白い肌に、僅かに濡れた白い髪が一房頬に張り付いていた。
明言しておくと、茜紬の両親は純正な日本人である。黒髪に黒目、先祖から外国の血筋とは混じりけがない。そして茜紬は養子でもなければ正真正銘そんな両親と血の繋がった実の子供である。
――先天性白皮症。アルビノと呼ばれる遺伝子の変異が茜紬の持つ病であった。
アルビノとは、メラニンの生合成に支障をきたす遺伝子疾患であり、その結果メラニン沈着組織の色素欠乏――皮膚の乳白化、瞳孔の紅化などが引き起こされる。皮膚で紫外線を遮断できず、紫外線に対する耐性が極めて低いため毎日日焼け止めのクリームを欠かせずそれがなくともまともに外すら歩けない。
その影響か、茜紬は生まれもって視力障害を有しており、視力補正と太陽のUVをカットするコンタクトレンズを装着していないと日常生活にすら支障を来した。
両親とは似ても似つかぬ容姿――日本人とも言えない見た目に母の不貞を邪推した父が責め立てる姿を茜紬は幾度と見掛けた。
それがなくとも茜紬と両親との仲は極めて良好とは言いがたい。
それは両親のどちらとも似ていない見た目も一因にあるが、やはり確固とした切っ掛けは半年前の出来事だろう。
端的にいってしまえば――小学校で、茜紬はいじめられていた。それもかなり悪辣な部類で。
およそ人間に行う所業ではなかっただろう。頭に顔より大きな石を投げつけられ、気絶したこともある。見た目が違う――それだけで他者から迫害される理由には十分過ぎたのだ。
ある日、茜紬はとうとう精神に異常を来たし発狂したことがある。『知らない男の声が聞こえる』など『兄を殺して』など大声で喚いたのだ。“そういった方面”の病院に連れて行かれ、問題ないと判断されるまでたっぷり数ヵ月療養してから、家に帰れたのがつい先月のことである。それから学校には通っていない。
病院から帰って来た茜紬は人が変わったように落ち着いていたという。自覚はないが、子供らしさが無くなり両親は茜紬に向ける奇異の瞳を更に強めたが、しかし一度精神失ったのだ。人が変わるのも仕方ない――と、両親は認識しているらしい。
事実はもっと残酷で惨たらしいものであるというのに。
茜紬はリビングに向かうと椅子に座って頬杖を付いた。ふと、そのまま目線だけを動かして壁に立て掛けられた写真を見る。
在りし日の両親だ。そこに茜紬の姿はなく。二人の間に表情の乏しい少年が何かの賞状を持って立っている。日付は凡そ九年前。少年の手に持つ賞状には『茅場晶彦殿』としたためられている。
「原作まであと七年か……」
ぽつりと呟いた茜紬の言葉を拾う者はいない。茜紬の瞳にはおよそ無感情が支配している。
助けを求め、結論は出た。結果は既に現れている。
あの時、茜紬の吐いた言葉とは精神の異常でも何でもなく正しく事実だったのだ。
ある時なんの前触れもなく茜紬の心にもう一つの精神が生まれた。
それは茜紬とは年齢も違えば性別も違う全くの別人の意識だった。それがまるで己のように共有化されたのである。それはその“男”の言葉を借りて言うならば“憑依”という現象だった。自分で意識せず他人の記憶が頭に流れ込むのである。気持ち悪くないはずがない。
加えて言えば茜紬とその男の意識は決して交わることがなかった。まるで水と油のように。表層としては今でこそ茜紬が主導権を握っているが、時おり自分の記憶にない場所に立っていることがまま存在して、そういう時は決まって全身を毟って掻き回したい衝動にかられる――というより実際にしたことがある。
そして、茜紬はそんな男との“戦い”によって一つの理解し難い――到底理解できない現実を知ってしまった。
それはこの世界の真実でありこれから先起こる未来の出来事であり背筋が粟立つようなおぞましい事件の暗示だった。それが、こともあろうに身内の手によって引き起こされるのである。
あるいは――両親が茜紬に真摯に向き合ってくれれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
賽は既に投げられ決着は着いてしまった。
あるいは茜紬と精神を同居させた男が善良な人間なら、こんな結末にはならなかったのかもしれない。だが、残念ながら茜紬の心に巣食った男は真っ当とは言いがたい精神の持ち主だった。
茜紬は頬杖をついたまま窓枠に目線を移す。鏡のように景色が反射して、白髪の少女が映り込む。
少女はつまらなそうな表情でしかし口元だけが異様に吊り上がっていた。茜紬はそれが嫌で嫌で仕方がない。
賽は既に投げられた。決着は既に着いてしまった。
ならば、茜紬は――
それはきっとこの世で最も残酷で酷く惨たらしい結末を暗示させていた。
設定だけずっと前考えてたやつ
作者がモチベ低くないと書けないのでずっと放置してました。試しに公開してみる。