食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ)   作:ヨマザル

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アンティパスト(前菜)

「できました」

 

 コトリ……

 涼子は緊張しながら、あまりもので作ったマカナイ用パスタを調理室のテーブルの上に置いた。

「まかない、出来ました……『キャベツとベーコンの塩麹パスタ』です」

 

「ほう……オイシソウですネ」

 トニオは掃除の手を止めて涼子の作った皿を眺めた。

「タクミ……キミもいったん休んで、涼子の作ったマカナイを頂きましょう」

 

「ハイっ!」

 レンジを洗っていたタクミは、煤だらけの手でマカナイの皿に手をだし……ピシリ……と涼子に手を叩かれた。

 

「ああ、すまんすまん」

 タクミは石鹸で手を洗った。そして自分の目の前に差し出された皿の美しさに改めて気が付き、目を丸くした。

 涼子の作った一皿は、キャベツの緑、ベーコンの赤、それにパスタの白がおどる、美しいパスタであった。

 

「美味しそうだ」

 フォークを手に取り、パスタを巻き取る。白いパスタに、緑のキャベツが巻き込まれていく。それを一口で放り込む。

「うん……味もいいね」

 タクミは、微笑んだ。涼子が作ったのは、塩麹とキャベツの甘味、ベーコンのコショウが程よくかみ合った、食べやすいパスタであった。一日中働いて、疲れ切った体にはちょうど良いものだ。

 

「オイシイです……」

 トニオも笑顔を見せた。

「いつもは自分で食べる分を自分で作っていましたから、こうやって誰かに作ってもらうのは、イイですね」

 

「あっ、ありがとうございます」

 涼子は頬を染めた。涼子の得意な料理は、あくまで塩麹をベースとした日本料理だ。西洋の料理ももちろん作れるには作れるが、それは特異なジャンルではない。それなのに、自分が作ったイタリアン風のマカナイがプロのイタリア料理人であるトニオとタクミに評価されたのだから、それは嬉しかった。

 

「……でも、もう少しカイゼンの余地がありますね……塩麹ですが、少し量を減らして、かわりにコリアンダーシードをつぶして入れた方がさっぱり感が増していいと思いマス……それから、ベーコンはこう切った方が……」

 トニオは涼子を脇に立たせて、さっとベーコンをきって見せた。そして涼子が作ったマカナイ料理をもう一皿、自分で作って見せた。

 

 どうぞ……とトニオから出された一皿を口にした涼子は、その圧倒的なうまさに……プルルンッ♡ と心が揺れる。

「えぇっ! 私が作ったものとは、味の次元が違うわ……」

 

(同じものを作って、ここまでの差が出るなんて……)

 落ち込みかけた涼子の肩をポンと叩き、トニオが優しくいった。

「しかし、涼子さん、自信を持ってください。素晴らしい味ですよ……もう少し経験を積んで、後ほんの少しだけディテールに目を配れたら……アナタはきっとスバラシイ料理人になれます」

 調理場での鬼のような言動とは別人の、限りなく優しい口調だ。

「決めマシタ。このスタジェールの期間は、貴方にマカナイをお願いします……その間に、少しだけですが、今のようなアドバイスをしましょう」

 

「ありがとうございますッ」

 涼子はペコリと最敬礼した。

 

 三人はしばらく黙ってマカナイをかきこむ。

 それは朝からずっと働きづめであった三人にとって、ようやく訪れた休憩時間であった。

 

「あの……トニオさんは、イタリアのどこの出身なのですカ?」

 涼子がたずねた。

 

「ナポリ……正確には、アマルフィです」

 トニオは答えた。

「私とヴェルジーナは、そこで生まれ育ちました……タクミ君は、フィレンツェの出身ですか……」

 

「ハイっ、そうです」

 タクミが大声で答えた。トニオに声をかけられた瞬間、直立不動の姿勢でピンと立ちあがる。

 

「涼子さん……」

 トニオがニコニコと言った。

「イタリア料理が『郷土料理の集合体』であることは、知っていますか?」

 

「えぇ……授業で習いました」

 

「そうですカ……でも、復習がてらに、簡単に説明しましょうか……地方ごとのイタリア料理の特徴を、簡単に……デスが」

 トニオはゴチソウサマデス……と、涼子の作ったマカナイの皿を流しに置いた。

 そしてホールの壁にかけてあるイタリアの地図を持ってくると、調理台の上に置く。

「さて、イタリアは山がちで国土の90%が山地であり、南北に細長い地形です。しかも近世まで小さな都市国家に分裂していました……そのために、地方料理が盛んになったのです」

 

「山がちで南北に細長い……少し日本に似ていますね」

 

「それだけじゃないんだ。日本には戦国時代があり、地方の領主が半分独立していた時代があっただろ? そう言ったところも、イタリアに似ていると思うんだ」

 涼子の感想にタクミが口を出した。

 

「そうですッ! しかも日本料理も、イタリア料理も、どちらも素材を大切にします……日本と言う国はイタリアンと相性がいい国なのです」

 トニオが熱心に言った。

「それが私が日本で店を出している理由の一つなのですガ……しかし日本料理とイタリアンの類似性については、他の機会に話をしましょう……今は、イタリアンについてでしたネ」

 

 そういうと、トニオはイタリアの地図のほとんど真ん中を指差した。

「ここにナポリがあります……このあたりを、中央イタリアと呼び、ここが北イタリアと南イタリアの境界線です……」

 

「住んでいる人の性質も違うんですよ」

 トニオが言った。

「南の人は、情熱的で『笑ったりふざける』のが大好きな人が多いでス。反対に、北の人は『シャイで、ちょっと心配症』な人が多いですネ」

 

「ちなみに、僕は北イタリアの出身で……トニオさんとヴェルジーナさんは、南イタリアの出身ってことになるんだ」

 タクミが言った。

 

「へぇ……」

 涼子はタクミとトニオの顔をまじまじと見た。そしてコックリとうなずいた。

「言われてみれば、わかるような気がします……言ってみれば、日本の関東と関西みたいな感じかしら?」

 

「そう、そういう感じです」

 トニオが我が意を得たり、とうなずいた。

「モチロン料理もいろいろ違います。日本でも地方によって料理の味付けが違うでしょう? イタリアでもそうです……例えば……」

 

 すっかり興が乗ったトニオのイタリア料理の講義は、深夜まで及んだ。

 

 そして、その日の仕事を終え、タクミは一階の休憩室にしつらえたベンチに、涼子は二階の居間のソファーの上に寝床を作ってもらった。

 

◆◆

 

 その晩、タクミは寝る直前に弟のイサミに電話をかけた。

 眠そうな声の弟に気が付かないまま、延々と自分がスバラシイ料理人とであったことを興奮しながら語り続ける。

『………………なぁ、スゴイだろう……イサミ? 聞いているのか?』

 

『ウン……よかったね、お兄ちゃん……その話……あとでゆっくり聞かせてね──―……』

 

『なっ、なんだ……興味ないのか……』

 

『そうじゃないよ──。ただ、明日も早いんだ──―。早く寝た方がいいかと思って』

 

『おっ、そ、そうだな。悪かったな……お前も、研修頑張れよ』

 

『ウン。ありがと、お兄ちゃん……ところで、大丈夫? ちゃんと眠れてる──―? お気に入りの枕が無くて、さびしくない?』

 

『なっ、お休みッ!』

 

 ガシャリ……

 タクミは顔を真っ赤にして電話を切ると、自分のベッドに戻った。

 そして……シーツの下に枕を入れて作った即席の抱き枕を抱え……眠りに落ちた。

 

◆◆

 

 翌日、涼子は眠い目をこすって必死に目を覚ました。

 外はまだ真っ暗だ。だが研修生の身であることを考えると、トニオかヴェルジーナが起きて居間に出てくる前には、どうしても目を覚ましていたかったのだ。

 物音を立てないように気を使いながら洗面所で顔を洗い、パッと簡単な化粧をしてから階下に降りる。すると、タクミはもう起きており、部屋の中に入れていた鉢植えを店の外に出したりしていた。

 

「おはよう、早いのね」

 涼子が挨拶すると、タクミは少し顔を赤らめた。

 

「……いやぁ…………昨晩は興奮しすぎちゃってね…………良く眠れなかったんだ」

 で、朝飯を作ったよ……

 そう言うとタクミはリンゴのクレープを差し出した。

 

「あら、これは…………」

 

「昨日トニオさんがパッと作ってくれたものを再現しようとしてみたんだ」

 タクミは首をふった。

「でも、マダマダだ。作っているところを目の前でみていたから、使っている食材は間違いないと思う。配分も、色々試してみたけれどこれで間違いないはずさ…………でも、食べてみると『違う』んだ」

 とにかく、食べてみてくれ……

 タクミは涼子の目の前に皿を押しやった。

 

「どれ、いただきますか……」

 涼子はナイフを手に取り、タクミの作ったリンゴのクレープを一口大に切り取る。

 見た目は、確かにトニオの作ったクレープにそっくりだ。香りも、一緒だ。

 切り取ったクレープを口に運ぶ。リンゴの歯触り、酸味、甘味、クレープの食感、暖かさ…………

 絶品のクレープであった。

「これは……うんッ!! 美味しいよ」

 でも…………涼子は、なんと言うべきか、言葉を選んだ。

 

「わかるだろう? 『届いていない』んだ。いろいろ試したんだけれど、トニオさんのあの味には程遠い…………」

 タクミは残念そうに言った。だが、悔しそうだが、その顔は晴れやかでもあった。

 

「何が違うのかしら……」

 

「この差は、材料や、作り方、配分からくるものじゃないんだ……多分、違いを生みだしているのは、純粋な技術だ……切ったときのリンゴの大きさ、材料に触れていた時間とか、生地をかき混ぜる速度、角度……時間……それに火力や焼き上げるタイミング……」

 タクミはぶるっと体を震わせた。

「すべての基本が僕とは比べられないほど高次元なんだ」

 

「基本……かぁ」

 

「そうだ。基本さ……基本の力の分厚さが比較にならないんだ。これは頭でいくら考えてもまねできないものだよ……付け焼刃じゃあトレースできない」

 すっかり興奮したタクミは、涼子の肩をぎゅっとつかんだ。

「…………当たり前だけれど『遠月の外にも、素晴らしい料理人がいる』んだ。僕たちはついているぞッ! こんなにも素晴らしい料理人の下で働けるなんて」

 

「そうね…………私も頑張らないと」

 涼子はこっそりタクミの手から抜け出し……気を引き締めた。

 

 カチャリ……

 ホールの扉が開き、ヴェルジーナが顔を出した。昨晩の疲れを感じさせない、元気そうな立ち振る舞いだ。

「おはようッ! 朝ごはん食べた? ……そうっ……じゃあ、今日も元気に働きましょ」

 

「ハイッ!」

 

「今日は、細かな飾り付け以外のテラス席の設営を、完成させてもらうわよッ……ガンバリマショウね」

 ヴェルジーナが、ニコニコと言った。

 

「しかしまず、今日の仕入れに行きましょう」

 ヴェルジーナの後ろから、トニオが顔を出した。

「あと5分で準備してくださいっ、市場に行きますよ」

 

「ハイっ!」

 二人は、大慌てで出発の準備を始めた。その日も、大忙しな1日になりそうであった。

 

◆◆

 

 30分後:

 

 ブロロロロロッ

 

 トニオの運転するおんぼろピックアップトラックが、杜王町の魚市場についた。

「食材の種類と言う点では築地の市場に負けますが、ここも中々良いものがあるのですよ。地元でしか流通できない、貴重な地魚なんかも多いデス」

 トニオが自慢気に言った。

「まずは、ここで魚を仕入れます」

 

 トニオを先頭に、三人は魚市場に入っていく。

 値段交渉の声があちこちで響く。

 うずたかく積まれた発泡スチロールの箱が、狭い通路をさらに狭くしている。そこを、料理人や、スーパーの仕入れ人たちが、肩をぶつけながら行き違う。空気は冷たく、行きかう人々の吐息が、白い霧となって口元から立ち上っている。

 

「おぉぉ──トニオさん、お早うッス!」

 どら声が背後から聞こえた。振りかえるとそこには、ニカっと笑うガラの悪い男がいた。二人をトラサルディまでつれていってくれた料理人、虹村億泰だ。

 

「ああ、オクヤスさん」

 トニオが嬉しそうに手を振った。

「アナタもこれから仕入ですカ」

 

「えぇ……ちょいと寝坊しちまいましてね……少し遅れちまいましたよォ。ちょいとダチの奴と飲みすぎちまってねぇッ」

 億泰は大きなあくびをして見せた。そして、トニオの背後にいるタクミと涼子に気がつくと、ポケットに手を入れたままズカズカと二人のそばにやって来た。

「オウッ…………」

 ……はたから見ていると、まるでチンピラが学生をカツアゲしているかのような風情だ。

「……よぉ、レーコちゃんとアル……あるまーに……だったか? お前らも一緒かよッ。どうだ? 元気にやってるか、コラ?」

 

 バンバンと力任せに背中を叩かれたタクミは、顔を少し歪め、答えた。

「いや、もうイッパイイッパイですよ……」

 

「ヴァッハッハッ、まぁ、そうだろうな」

 億泰は上機嫌で言った。

「で、どーだ? ベンキョーになっているかぁ?」

 

「えぇ……それはもう……あんなにすごい方の下で働けるなんて、感動ですよッ」

 タクミは熱心に答えた。

 

 隣で聞いていたトニオが口を挟んだ。

「タクミ君、恥ずかしいです……そんな事を言うのはやめてくだサイ……とにかく仕入れを始めましょう」

 

「おぉ──トニオさん、今日は何を仕入れますか? 俺ん所はサバ、サワラ……サケ、それからサンマ……サの字づくしって奴ッス」

「おぉっ、それは美味しそうですねッ。今度食べさせてくれませんカ?」

「ウッす……今度いいのが出来たら、お持ちしますよ」

 

 億泰はヒョウヒョウとした様子で、先頭をきって魚河岸に乗り込んでいく。

 顔が広いのだろう。億泰は、魚河岸で働いているおばちゃん、船の掃除をしている漁師など、出会う人、出会う人とあいさつを交わしていた。

「おっ、どうだぁ~~こりゃあよぉ」

 

「あらオックン、目が高いね」

 

「んんっ? ……なぁに言っているんだよ、オバちゃん。こりゃあ、痛んでるじゃあねーかッ……おっ、コイツは……」

 

「ああ、御免ね、それは向西(コウザイ)家ご用達の品なの」

 

「チッ……しょうがねーなッ」

 

「あの……クロアワビは出ていませんか?」トニオがたずねる。

 

「あら、トニオさん……ごめんねェ……前に話した通りよ。クロアワビは、向西家がずっと押さえているのよ」

 

 億泰は通り過ぎる店に一つ一つ首を突っ込んでは、あれこれと論評していく。

 

 億泰ほどではないけれど、トニオも顔を知られている様であった。特にオバちゃんから『茶色い声』が良くかかっている。

「あら……トニオさん、ちょっと寄っておいでよ」

「ウへへへへ、イイのが手に入ったよ。トニオさんだけに、こっそり色々とサービスしちゃう♡」

「ちょっとコノおばはん、なにトニオ様に色目使っているのッッ!」

「ブヒャヒャヒャッ、なぁに気取ってんだよ……アンタもばばぁでしょうがッ! ……アンタにはオックンがいるでしょ」

「何よ……まあオックンもかわいい……け……ど……」

「あらっ……♡」

「ほほぅ……こりゃあ、逸材ね♡」

 

 その猛者たちの目ざとい眼が、タクミを見のがすはずもなかった。(そして涼子は当然のようにスル―された)

 

「あっれ──、これはヒット、ヒットよぉ~~」

「ちょっと、やだッ……あたし今日スッピンよぉ……」

「ねぇ……ちょっと寄ってきなさいッ! 早くッ!」

 

「おぉおお~~」

 億泰がちょっと気に食わなさそうに、タクミを睨みつけている。

 

 だがタクミには億泰を気にする余裕はなかった。突然ぶしつけなオネーサマがタクミの手を握り、無理やり自分の店の中に引っ張りこんだのだッ! 

「えっ?」

 強引に腕を引っ張られたタクミは、不意を突かれバランスを崩すッ

 

「キャッ♡」

 たたらを踏んだタクミは河岸の床にしなだれ、しゃがみこんだオネーサマの足に引っかかり……オネーサマの上に……

 

「あらッ♡」

 オネーサマが、まるで乙女のように目をつぶり、唇をすぼめる……

 

 唇が、ゆっくり近づいてくる。

 

(こっ、これは……いかに女性をリスペクトするフィオレンティーナと言えども……)

 キツイ

 

 タクミは迫りくる事態を男らしく受け止めようと努力し……失敗した。迫りくる惨事に、せめて心の準備だけはしようと目を閉じる。

 

 ガオンッ

 

「えっ?」

 気づくとタクミは再びもとの通路に立っていた。億泰がその腕をつかんでいる。

 

「気ぃつけろよぉ~~~魚河岸はすべりやしぃからよぉ……だが、ちょうどエエ具合に、後ろに滑ったな。らっきぃだったなぁぁ~~」

 

「オッ……オックン、今なにがおこったの?」

 急にタクミが目の前からいなくなったオネーサマが、きょとんとした顔で億泰にたずねた。

 タクミの方も何が起こったのかさっぱりわからず、きょとんとしている。

 

「へへへ、さぁねぇ……また来るよッ、オバちゃん」

 億泰はそういうと、三人の背中を押してそそくさとその場を後にした。現場から少し離れてから、気を取り直して魚の仕入れを続ける。

 

《……ねぇ、さっき何が起こったのか、わかった?》

 タクミはヒソヒソ声で涼子に尋ねた。

 

《ゴメン、わからなかった……》

 涼子は首を振った。

《ねぇ……なんか、杜王町にきてから、『奇妙』なことが起こるわよね……》

 

《ああ……僕らは、料理さえできればそれでいいけれど…………確かにこの町は、何か『異様な』……いや、『奇妙な』感じがする……何かあってからじゃ遅いからね……いちおう周囲に気を付けておこう》

 

《そうね……気のせいだといいんだけど》

 涼子とタクミは、顔を見合わせていた。

 

◆◆

 

 仕入れは続く。

 

「オッチャン、そこの箱のサンマをくんなッ、いや……そっちの奴じゃなくって、その隣の奴だぁ……そう、それっ」

 

「まいったなぁ、とっといたサンマを、見つかっちまったかぁ……オックンには負けるゼ……とっときなッ」

 

「へへっ、ありがとよッ」

 

(へぇ……)

 億泰が買い物をする様子を見ていた涼子とタクミは、失礼ながら驚いていた。

 その外見とは裏腹に、億泰はしっかりと魚の目利きができているようなのだ。

 

《バカっぽい人だと思っていたけれどさすがトニオさんのお友達なのね……見た目よりもちゃんとした料理人みたい……》

 涼子がヒソヒソ声でタクミに言った。

 魚の目利きは、何十年もの長い経験と努力、センスが必要となる。それが出来る億泰もまた、長い間、地道に努力を続けた、立派な料理人だったのだ。

 

「おぉ~~、なんだよ……あるまーに、れーこ……オレのカッチョイい──男っぷりに、みとれちまったのかぁ」

 二人の視線に気が付いた億泰が、へへっと笑う。

 

「タクミ・アルディーニと榊 涼子です……」

 

「おぉ~~そうだったなぁ、悪りぃなぁ。オレ、頭が悪いからよぉ~~」

 億泰はボリボリと頭をかいた。

 

 そんな億泰を、トニオが呼んだ。見ると、トニオはサバが入った箱の一つをガシっと掴み、かぶりつくようにして観ていた。

「オクヤスさん、これ、見てくだサイッ! 上物ですよッ」

 

 億泰もその箱を確認すると、感嘆の声を上げた。

「えっ……おぉぉ~~、コイツはすげぇ……さすが、トニオさんす」

 

「あっ、あっちもいいですね」

「確かに……むむむ……どっちを仕入れるべきか、悩むゼェ~~」

「両方買って、二人で分けませんか?」

 …………

 ……

 

 結局トニオは、億泰と同じサバと、それからカタクチイワシ、イカ、ウナギを買い求めた。とうぜん、どれも本当に旬の選りすぐりの素材だ。

 

 その後、皆で中央市場に移動して肉を仕入れた後で、三人は億泰と別れた。そしてトニオが懇意にしている農家や牧場を回って野菜、卵、牛乳などを仕入れ、レストランに戻った。

 

◆◆

 

 それからの二日間、二人は嵐のような日々の中で、懸命に働いた。

 恐ろしいほど手をかけた、掃除と仕込み。

 

 トニオが買ってきたカタクチイワシは、腹を裂いて内臓と大きな骨を取り除き、近くの塩田が作った自然塩を振って、アンチョビの材料にした。

 ウナギも下処理をして燻製にする。

 牛乳を煮詰め、自家製チーズを作る。

 

 タクミは慣れ親しんだはずのイタリアンにもかかわらず、自分がこれまでに経験したことがない仕事がこれほどあるのを知って、驚くと同時にわくわくしていた。どれも、普通のレストランでは絶対にやらないことだ。アンチョビも、ウナギの燻製も、もちろんチーズも、普通のレストランでは絶対に自分では作らない。それを、当然のようにトニオは自分でやるのだ。

 当然どれも、素人の仕事ではなかった。その道のプロ……と言ってもよいくらいの出来ばえだ。

 

 そして、ヴェルジーナとのテラス席の設営作業があった。

 庭にジャリを詰め、椅子やテーブルの下に布を張り、虫よけの蚊取り線香を設置する為の台をあちこちに作る。

 雑草を抜き、花を飾り、テーブルクロスの繕いをする。

 

 そらに昼と夜の営業。

 

 タクミは調理場で、そして涼子はホールで、それぞれ必死に働きつづけた。

 タクミは相変わらず下ごしらえと洗い物をメインにしていた。しかし、徐々に働きを認められて、いつしかアンティパスト(前菜)の盛り付けをすっかり任されるようになっていた。

 涼子は、ホールの仕事をだいぶ覚え、ずいぶん余裕でてていた。そして、昼、夜のマカナイ……そして食前酒の調合が、すっかり涼子の担当として定着していた。

 

 トニオの店は、小さい店ではあったが繁盛しており、切れ目なく客が訪れていた。

 店には、色々な客がきた。ビジネスでやってきた恰幅の良い紳士や、見るからにお金持ちの老夫婦、お金を貯めてやってきた若い夫婦。

 ……そして、その中には少し『奇妙な』客も混じっていた。

 

 共通してその奇妙な客たちは、店に入るときは『どことなく気分がすぐれなそうな』顔をしていた。

 そしてトニオの料理を口にするたびに、悶え、時に涙を流したり、体をかきむしったり、トイレに駆け込んだりする。

 だが、どの客も、悶えながらも決して食べるのを止めようとはしない。むしろ、喜々として出された皿を食べつくす。そして最後には、前よりも明らかに血色のよくなった顔で、すっきりと店を出ていくのだ。

 

 初日にやってきた露伴も女編集者も、奇妙なリアクションを見せていた……女編集者のリアクションは『少し』だけ、露伴の方は『極端な』反応であったが。

 

 今ちょうど店にやってきた男女も、違った意味で『奇妙』な客であった。

 その男女……少し小柄で、どことなくオドオドしている男と、目を見張るような美女との組み合わせは、人の目を引いた。だがもっとも不思議なのは、せっかくトニオさんの店に来たのに、女性の方が、全く何も口にしていない事であった。

 

 不思議なことに、トニオもその『女性』には何もすすめなかった。

 

 男の方は食べるたびに涙を流し、顎を抑えてトイレに行き、露伴と同じくらい極端なリアクションを見せていたのに……だ。

 

「……君…………」

 突然その男が涼子を呼んだ。

 オズオズと笑う、どことなく人をイラつかせるような卑屈な笑みだ。

 

「なんでしょうか……」

 近づいてきた涼子に、その男は自分の名前をオズオズと名乗った。

 

「僕は間田 敏和、雑誌の編集者なんだ。……トニオさんとは……ちょっとした知り合いさ……それで、君の名前は?」

 

「わっ、ワタシですカ? …………榊 涼子です」

 涼子はブシツケな質問に、いくぶん警戒しながら答えた。

 

「へっ、へぇ~~、涼子ちゃんか……いい名前だねェ」

 間田はウへへへへ…………と笑った。

 

(うわっ……この人……)

 涼子が、少し引き気味になっていると、間田の隣の美女が微笑んだ。

 

「はじめまして……」

 美女がペコリ……と頭を下げた。その額にほくろが、チラリと見えた。なぜかほくろが、まるでねじ穴のように見える……

 

「あの……お召し上がりにならないのですか」

 

「……ええ、済みませんね…………体の問題がありまして」

 美女が悲しそうに言った。そして、こめかみを抑える。

 

「あっ、大丈夫ですか?」

 涼子はとっさに、その美女に手を伸ばそうとした。

 

 なぜか間田の目が光る。

 

 ……そのとき…………

 

「ちょっと、ウエイトレスさんッ! 注文はまだ?」

 別テーブルから、涼子を呼ぶ声が聞こえた。

 涼子は美女に向かって差し出そうとしていた手を引っ込めた。

 美女をよく見ると、いたって元気そうだ。コメカミを抑えていたのも一瞬だ。これなら心配いらないだろう。

「すっ、済みませんッ。すぐにトニオが来ますので、それまでお待ちください」

 涼子は間田のテーブルから離れた。

 

 文句を言ってきたのは、不機嫌そうに座っている中年女性のグループだ。彼女たちの機嫌を取ろうと、涼子は頭を下げた。

 

 そんな涼子の目の隅に、間田が、残念そうな、ホッとしたような、微妙な表情を浮かべているのが横目で見えた。

 

 その後トニオがあわててやってきて、何かを間田に告げたようであった。

 そして、彼と《彼のツレ》はそそくさと勘定を払い、店を出て行った。どことなくその背中が、しょんぼりしていたのは、気のせいだろうか……

 

「……何か、変なお客様でしたね」

 涼子がそういうと、トニオは苦笑し……だが何も言わなかった。

 

 

◆◆

 

 二人はそうやって、休むヒマもなく働き続けた。

 

 そして、4日目……ついに、『テラス席』が完成した。

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