食戟のトニオ・トラサルディー Sesame's Treet (ソーマXジョジョ) 作:ヨマザル
(1) 虫をたべる表現があります。苦手な方は読み飛ばしてください。
(2) 真似しないでください。
「榊涼子、タクミ・アルディーニ……トニオほどの料理人の下で働けることなど、めったにないことだ。この素晴らしい経験を無駄にするなよ」
堂島銀はにやりと笑うと、二人の肩をポンと叩いた。
二人が答える前に堂島は二人に背を向け、今度はトニオに向かってたずねる。
「トニオ……どうだ、考えは固まったか?」
「ギン……それは、まだだよ。まだ、考えているところデス」
「そうか、まぁ大事な話だ。じっくり考えてくれ」
「ああ、そうするよ……ギン、仙左衛門どの……今日は来てくれて、ありがとうございました」
「ウム……トニオ殿また会おう。遠月に来てくれればいつでも歓迎するぞ」
「その時は俺の料理も食べにこい……期待は裏切らんから、楽しみにしてくれ」
「ええ、楽しみにしていますよ……ジョウにもよろしく」
「……ああ、アイツがのたれ死んでいなければ、伝えておこう」
堂島銀とトニオはギュッと握手をした。
そして、遠月学園グループの大物、堂島銀と薙切仙左衛門の二人は帰っていった。
堂島銀と薙切仙左衛門がやってきた日の翌日、タクミは一人、早朝から厨房に立っていた。
涼子もじきに降りてくるだろう。涼子が下りてくれば、今日も弁当作りの試作の開始だ。
だが、まだ日が昇るまで数時間もある。涼子が起きてくるまでにも、まだ1時間は時間があるはずであった。
タクミはそれまでの一人の時間を使って、先日失敗した仕事を改めて思い返していた。
子供のころからつけているノートを開き、これまでの研修で学んだことを書きとめ、そして頭の中で思い返していく。
「ダメッ! 最初から全部やり直しッ! しっかり切りなさい」
「遅いッ! 眠っているのですカッ!」
「火入れのタイミングが遅れたッ! ……これは廃棄します……」
「遊んでいるのか? 手を早く動かしなさいッッ!!!」
(クッ……まだまだだな……)
トニオの元で働いている間は本当に怒られっぱなしであった。タクミは5歳の頃から厨房に立っているが、そのキャリアの中でこれほどまでに怒られ続けたことは、ちょっと記憶にない。
だがタクミは、そんな日々にたまらない充実感を感じていた。
一度は冷めかけていていた料理への情熱。それは、少し前に同じ学園のライバルたちとの出会いにより、再び燃え上がっていた。
そして今、圧倒的な技量をもつ同じイタリアンの先輩料理人に出合い、いかに料理の世界が奥深いものなのか、改めて思い知らされている。
その深さは、自分の情熱の全てを、一生をかけ取り組むべき価値があるものだ。
タクミは身震いしていた。
自分など、料理の世界というその広い海の浅瀬を、ただパシャパシャと泳ぐだけの小魚だ。
だが今はそれでいいのだ。いつか『その海の果て』まで到達できれば……
海は広い。だが目の前の波を一つ一つ超えていけば、いつかは……
タクミはノートをしまった。
まずは弁当作りだ。
今日は、なんとか弁当の骨組みを固めたい。
トントントン……
二階から階段を下りてくる音が聞こえる。
涼子が起きてきたのか。
だが、ヒョッコリと厨房に顔を出したのは涼子ではない。ヴェルジーナであった。ヴェルジーナはコックコートに身をまとったタクミを見て、あれ? と困ったような顔をした。
ヴェルジーナの後に続いて出てきた涼子は、コックコート姿のタクミを見て、呆れたように言った。
「タクミくん……忘れたの?」
「忘れたって、何を?」
「今日は『お休み』でしょ……朝からトニオさんがハイキングに連れて行ってくれるって、言っていたじゃない……」
「あっ……」
ヴェルジーナを留守番に残し、三人は『ハイキング』に出発した。
トニオの運転するおんぼろピックアップトラックに乗って、3人は杜王町の北東、別荘が立ち並ぶ風光明媚な海岸に向かっていく。
「ずっとお店にいたからわからなかったけれど、杜王町って美しいのね」
「ああ、風光明媚で自然が豊かなんだな」
「フフフ……この美しい森と、海と、空気が最高の食材を生み出すのですヨ。ここは、料理人にとって素晴らしい街です」
トニオは海岸線沿いに、ひたすら車を飛ばしていった。
ピックアップトラックは、別荘地をあっという間に通り抜けた。恋人岬を超え、ヒョウガラ列岩と呼ばれる景勝地を見下ろし、車は進み続ける。窓から見る外の景色は、最高だった。だが、道はどんどん狭くなっていく。
そして地元漁師がたむろする小さな港を越えると、道は急にさびれていった。
道路の上には砂や枯木がのっており、アスファルトには亀裂が走り、ほとんど使われていないようであった。
そんな寂れた道を走ること一時間半、道は不意に突き当たりとなった。
トニオはトラックを、突き当りの斜面に止めた。
その横には、巨大な排気量のビックバイクが止めてあった。そのタンクにはファイヤーパターンが描かれ、中心には大きな星のマークが浮かんでいる。
「ハイキングの場所に……着いたのですか?」
涼子は恐る恐る尋ねた。だが周囲は鬱蒼とした木々に埋め尽くされている。とても、ハイキングに行けるような場所には見えなかった。
「イエ、まだこれから三十分、歩きますよ。しばらく歩いて、この美しい景色を楽しみましょう……ハイキングですからね」
トニオが、ニコニコして答えた。荷台に乗せていた大きなリュックを二つ、取り出す。
「重いですが、これを運んでいきます。一つはタクミ君が、お願いしまス」
「ハイっ」
元気よく返事をしてトニオからリュックを受け取ったタクミは、その重さに思わずよろめいた。
「おっ、重いッ。これ、何が入っているのですか」
「ハハハハ、ただの食材ですよ。塩とオリーブオイル……ああ、水も入っていましたね。それで重いのでしょうネ」
「食材……まさか、野外料理ですカ?」
「ええ、ハイキングの目的地で、『野外クッキング』をして楽しみましょう」
そう言うと、トニオは二人を崖の切れ目にしつらえられた小さな梯子に連れて行った。二人を置いて、するすると梯子を降りていく。
残された二人は、顔を見合わせた。
スチール製のパイプを組み合わせて作られたその梯子は、少し錆びていた。タクミが体重をかけると、キーキーときしむような嫌な音を立てる。梯子を崖に固定している番線は太かったが、赤茶色にさび付いている。
下を覗く。すると、ちょうどトニオが10mほど下の岩場に降り立ったのが見えた。
「……トニオさん、さっさと行っちゃったし……私達も、行くしかないわよね」
涼子が、心配そうに言った。
「あぁ……お先にどうぞ、レディファーストで」
「……あら、それはどうも…………」
タクミは涼子を先に降ろし、自分はしんがりを務めた。いざ梯子を下りてみると、一歩、一歩下るたびに、梯子はギシギシと軋んだ。それだけではない、ゆっくりと左右に揺れているのもわかる。肩にかけた荷物が重く、何度もバランスを崩しそうになった。
(これは、想像以上にきついな)
地上についたタクミは、ホッとして周囲の眺めをしばし楽しんだ。ヒヤヒヤしながら梯子を降りていった先には、綺麗な海沿いに岩場が伸びていたのだ。
「ふうぅ……潮風が気持ちいいッ。やっぱり海はいいわね」
涼子が大きく伸びをした。
「さっ、この海岸線を少しばかり北上しますよ……屍人崎まで」
下で待っていたトニオが言った。
《なっ…………なんだか、怖そうな名前ね》
涼子が、ヒソヒソ声でタクミに言った。
《ああ……何か変だ》
タクミはごくりとつばを飲み込み、トニオに質問した。
「トニオさん……そこが、『ハイキング』の目的地ですか……いったいどんなところなんですか?」
タクミの問いに、トニオは一瞬口ごもった。
ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……
「…………フフフ…………それは秘密です。ついてみてからのお楽しみ……ということデ」
トニオは、さっさと海岸線沿いの岩場を進んで行った。
その眼の奥に、何やら恐ろしげな光を感じたのは、果たしてタクミと涼子の気のせいなのだろうか……
一時間後:
デコボコの岩場を超えて海岸線沿いをずっと歩いていくと、海の向こう側に突き出た岩だらけの岬が見えた。
「見えましたよ。あれが屍人崎です」
その無気味な地名を、トニオがためらうことなく口にした。
「さぁ、もう少し。頑張りましょウ」
屍人崎……そこに何があるのか……
タクミと涼子は、ゴクリとつばを飲み込み、トニオの後をついていった。
しばらく歩いていくと、岬の先に何やら動く影が見えた。その影は、岬の先で何やら長い棒を振り回している。
おそらく、釣り人だろう。トニオが車を停車させた横に止めてあった、バイクの持ち主かもしれない。
しかも、1人ではなかった。釣竿を振りかざしている影の隣には、誰かが椅子に座っているかのような影があった。
なんにせよ、人に会えるのは嬉しい。
三人は、その男にむかって近づいていった。男は釣りに夢中になっているようではあったが、三人が近づいてくることにはずいぶん前から気づいていたらしい。三人が声が聞こえる距離まで近づくと、不意に竿を置き、こちらに振り返った。
「よぉッ」
男が言った。艶と力のある声だ。
おそらく年齢は、20代後半から30代前半か、ピカピカのベストを身にまとい、首にトロピカルな模様が染められた布を巻きつけた、オサレな男だ。
隣に座っていたのは、そのオサレ男と同年齢とおぼしき派手な化粧の女性であった。
「よぉ……トニオさん。待ちくたびれたゼ」
男はわざとらしいほどカッコつけた仕草で竿をしまうと、足元においてあるクーラーケースをひらいてみせた。そこには立派な魚が何匹か釣り上げられていた。
「……噴上さん、アケミさん、お久しぶりでス」
トニオもにこやかにあいさつを返した。
「トニオさん、久しぶりッス」
椅子に座っていた女性が、ピョコンと立ち上がって頭を下げた。化粧の濃い、派手めの美女であった。その左腕に、ハート形の入れ墨が入っているのが、チラリと見える。
「アケミさんも来てくれたんですね……」
「子供は実家に預けてきたんすよ」
アケミはペコリと頭を下げた。
「今日は、ずっと楽しみにさせてもらっていました。よろしくお願いしますッ」
「ええ、こちらこそ」
トニオは挨拶もそこそこに、クーラーボックスの中の魚の状態をチェックする。
「オヤ、大物ですね。これはオイシソウだ……クロダイにヒラメが一尾づつ……あとアイナメが2尾……ですか」
「へっ、今日は上出来の釣果だったぜぇ」
噴上はヘヘと、鼻をこすって見せた。その視線がタクミと涼子の上を走る。
「で、こっちのコゾー達は、トニオさんの弟子かい?」
「いえ……彼らは料理学校の学生さんです。少しの間、店を手伝ってもらっているのですよ」
「手伝ってもらう? アンタが?」
噴上が、疑わしそうに言った。
「ええ、彼らは立派な腕の、料理人ですよ」
「初めまして」
タクミと涼子はペコリと頭を下げて、自己紹介をした。
噴上とアケミは、あらためてタクミと涼子をジロジロと眺めた。
「へぇ……学生さんかい……アンタ達、その年でトニオさんの手伝いが出来るなんて、やるじゃあねーか……俺なんてアンタ達ぐらいの年には、スケの事しか考えてなかったのによぉ……」
この、アケミの事とかばっかりでよォ……
そういって、噴上はアケミをぎゅっと抱きしめた。
「キャッ」
アケミは嬉しそうに噴上にしがみつき、チュッと頬にキスをした。
「スケ……」
その失礼な言い方に引っかかった涼子が、少し眉をしかめる。
涼子が眉をひそめたのに気が付き、噴上はアケミを抱いていた手を放すと慌てて首を振った。
「イヤ……ちょっと言葉を間違えた。わりーなぁ。気にしねぇーでくんな、オジョーちゃん」
話題を変えようとして、噴上はタクミの方に話しかける。
タクミは涼子の横で、重い荷物をようやく降ろし、肩で息をしているところであった。
「おお、コッチのイケメン君はどうした? もうへばっちまったのかぁ?」
「だっ、大丈夫です」
タクミも少しむっとして答えた。
「そりゃあ良かったぜ。トニオさんの手伝いをするんだろ、頑張ってくれよぉ」
噴上とアケミはそういうと、また釣りに戻って行った。
《……ねぇ、トニオさんって、元ヤンだったのかしら……オクヤス……さんといい、この人達といい、ガラの悪い人とばっかりお友達よね》
涼子がタクミの耳に口を寄せ、こそこそと耳打ちした。
《……あぁ…………それに、厨房でのあの言動を考えると、確かに元ヤンだったとしても不思議は無いな》
そんな二人の感想を知ってか知らずか、トニオが、ポンと手を叩いた。
「さて……と……では、料理の準備を始めますか」
「料理……ここで、ですか?」
「えぇ、そうですよ」
トニオが嬉しそうに言った。自分の背負っていたリュックサックを開け、中に入っていた包丁一式、まな板、フライパン、瓶詰めのトマトソースなどを取り出していく。
それを見て、タクミも慌てて持ってきたリュックサックを開けた。その中には、
水
オリーブオイル
チーズ一掴み
塩・コショウ
ワイン
小麦粉
等がギッシリ詰められていた。
道理で重かったはずだ……タクミはガクガクする膝を抑えて、恨めし気にトニオをにらみつけた。
そんなタクミの視線を気にした様子もなく、トニオは噴上から丈夫な鉄の格子を4つ受け取ると、それを箱型に組み合わせた。タクミと涼子に指示をして、周囲から大きくて平たい石を集めさせる。
そしてトニオは、大きめの石で固定した鉄格子の周囲を、タクミ達が集めた平らな石で覆っていく。大まかな石組が終わると、こんどは細かなジャリをすくって、大きな石の隙間に詰めていく。
すると、あっという間に小さなピザ窯が完成した。
「すごい……あっという間」
涼子が、あっけにとられたように言った。
「さすがっス……」
いつの間にか三人の隣にもどってきたアケミも、すっかり感心している。
「フフフ…………懐かしいですね。故郷のアンダルシアの海岸で、良くやりましたよ」
ビザ釜を作り上げたトニオは、満足げにその出来映えを確認した。
「トニオさーん。タキギ、集めてきました」
周囲の森に転がっている枯れ木や海岸で集めてきた流木を、タクミがひーひー言いながら引きずって来た。
「あぁ、ご苦労様です」
アケミが、その木を窯に押し込み、ライターで火をつける。すると、火が簡単に枯れ木に燃え移り、すぐに黙々とした煙が、窯の上から立ち上ってきた。
「よっしゃ、フフフ。うまくいったぜ」
パチンと、アケミが指を鳴らした。
「まずは、かまど作りが一通り終わりましたね……ではこれから、もう少し食材の調達をしましょうか……」
トニオが、いたずらっぽく笑った。
「アケミさんは火の番をお願いしますね」
「うっす、任しといてくださいよ」
「頼みます……私はこの辺りで食材を集めます。それで、タクミ君と涼子さん……あなた方に一時間上げますから、この辺りで食材になりそうな物を探してきてくだサイ」
「野外での食材さがし……か」
タクミは、ふと高等部にあがったばかりの時のことを思い出した。遠月学園高等部にあがってすぐ、『宿泊研修』と称する泊まり込みの料理合宿があった。それは、山奥の宿泊所で毎日料理の課題をこなしていき、評価が悪いものは即退学と言う、地獄の合宿だった。
その合宿で出された最初の課題、それは、二時間で合宿所の敷地内にある食材を取ってきて、和食を作るというものだった。
そういえば、奴と初めて会話をしたのも、料理勝負をしたのも、あのときであった。結局、あの時の料理勝負は決着がつかなかった。
あの時に比べて自分はどれだけ成長したのだろう? 奴と自分は、どちらが上なのだろう?
「……クン?」
「タクミ君ッ!」
涼子にグイッッと手を引かれ、タクミは妄想から我に返った。
妄想の世界にどっぷりはまっていたタクミは、周囲が全く見えていなかったのだ。危うく岩場から足を踏み外して、海に落ちそうになっていた。
「気を付けてよ。このあたりの海は、冷たいハズなのよ」
「ああ、スマナイ……」
と、謝りかけたタクミは、不意に目を輝かせた。先ほど自分が落ちかけた岩棚に、今度は自ら身を躍らせる。
「ちょっ……」
あわてた涼子が岩棚の下を見ると、そこには小さな砂浜があった。
砂浜に降りたタクミは、ニコニコして海岸に打ち上げられた茶褐色の海藻を引き上げていた。
「これ、確か食べられるよな」
砂浜に降りてきた涼子に向かって、タクミはその海藻を突きつけた。
「……カジメね……」
涼子は、コクリとうなずいた。
「大丈夫よ。アラメは渋くて生じゃ食べられないけれど、カジメなら大丈夫……あら、これは……テングサかしら。今すぐは食べられないけれど、干すと寒天になるのよねぇ……せっかくだから、取っておきましょ」
そういうと、涼子は赤紫色の海藻を拾い集めた。
「貝を掘ってみようかな」
そういって、砂浜を掘り出したタクミをしり目に、涼子は砂浜を登りだした。この砂浜は広くて、日当たりのよいところもある。うまくすれば……
やはりだ。砂の丘を越えたところに、予想していた通りのものが見つかった。
涼子は顔をほころばせた。
そこには、海岸に自生する植物の群生地があったのだ。
「取れましたカ?」
一時間後、ニコニコしながら帰ってきた二人に、トニオが質問した。
「ええ……涼子が頑張ってくれました」
そういうと、タクミと涼子の二人は、二人が見つけた食材をトニオに見せた。
二人の手には
ハマボウフウ
ハマダイコン
といった砂地に自生する植物の葉っぱ、
それに、タクミが見つけたカジメと、クコの実があった。
「へぇ……やるじゃあねーか。オジョウちゃんさぁ」
アケミがピューッと口笛を吹いた。
「これは頑張りましたネ」
トニオが言った。
「良い料理が作れそうです」
「フフフ……」
褒められた涼子は、嬉しそうに頬を染めた。
この実習中、イタリア料理人であるタクミの方が店に貢献できているのは、よくわかっていた。自分が全くの補助作業しかできていないことに、内心ずっと思う事があったのだ。
こうやって褒められたら、ホッとするし、自信も回復する。
「アタシの方も、ガンガンにたき火をたいといたッス」
「ああ、アケミさん……これで、美味しく料理が出来ます。ありがとう」
「……イエ……じゃ、アタシはまた裕ちゃんのところに戻るから……料理を頑張ってくださいッ」
「こちらこそ。ありがとウ」
トニオはペコリと頭を下げた。
その横で、すっかり幸せな気分で涼子が微笑んでいる。
だが幸せだった涼子の気持ちは、トニオが自分の取ってきた食材を見て、あっという間になくなった。
なぜなら、トニオが見せた食材は……
カメノテ
イソギンチャク
そして、ハチノコだったのだ……
「なっ……」
おぞましい食材に固まっている二人に、トニオはとびっきりの笑顔を向けた。
「では、さっそくこれらの食材を使って野外料理を始めましょう。まずは下ごしらえからです。二人はまずカメノテをむいてくださイ……」
トニオは、手本として自分が一つやって見せた。
『亀の爪』状の殻と『うろこ』状の腕の部分をもって、パキッと折って見せる。
そして器用に指を動かし、殻の内側にほんのちょっぴりついている白い肉を取り出した。
「さっ……綺麗に海水で洗ってから、一つ一つこうやって、剥いてくださいね。それから、消毒がわりにグラッパ(ワインのしぼりカスを蒸留したイタリア版の焼酎)に浸しまス」
「これを、全部ですか?」
バケツ一杯にギッシリつまったカメノテを見ながら、涼子は確認した。たいへんな仕事だ。
「えぇ……御覧の通り、食べられる部分が少ないですからね。このくらいは必要です……安心してください。あちこちの岩から、少しずつ集めたものです。一か所から根こそぎ取るようなまねはしていませんかラ」
何を勘違いしたのか、トニオは片目をつぶって見せた。
「……そ、そうですか。……それで、こっ、こっちは、どうするんですか?」
他の食材についても涼子が恐る恐るたずねた。
「……ハチノコの処理は、ワタシがやりましょう。イソギンチャクの処理は、頼みます…………こうやるんですよ……」
トニオはさっとイソギンチャクを縦に裂き、軽く海水で洗った。その後で塩もみして、ぬめりを落としてみせた。
「この状態にすべてしたら、やはり同じくグラッパで煮込みます」
(うぇぇ……キッツイなぁ……)
まったく食欲をそそられない、おぞましい食材の下処理をしなければならないことを思い、涼子はおののいていた。
「ナルホド、了解ですッ!」
だが、何故かタクミは目を輝かせ、張り切って食材の処理を始めている……
こうなれば、覚悟を決めてやるしかない。涼子はヤケクソになってカメノテを折り始めた。
二人にあれこれと指示を出したあと、トニオはおもむろに小麦粉を取り出した。
ボトルに入れた水を小麦粉の入った袋に振り入れ、モミしだいていく。
そして、あっという間にピザの生地を練り上げた。できあがった種を、あらかじめジャリだらけの地面を掘りさげて作っていた、天然の貯蔵庫に安置する。
数十分後……
奮闘の結果、タクミと涼子はおぞましい食材の下処理をほぼ終えかけていた。
トニオは少し前に、ハチノコの処理を終え、伸ばしたピザ生地の上に、チーズ、マッシュルーム、パンチェッタ、それに軽くソテーしたハチノコを散らしたピザをつくった。今は竈の中で焼きつけている。
手持ちの作業を終えたトニオは、少し険しい表情で二人の下処理をじっと見ていた。
ようやくタクミと涼子が仕事を終えると、トニオはチッチッと、人差し指を振って見せた。
「遅いッ! 指先の動きの精度が低いッ! ……だが、まあいいでしょう。二人は、次に野草の下処理をお願いします……まず綺麗に洗って下ゆでしてください……手早く、5分でやる事ッ!」
「ハイっ!」
「下ゆでが終わったら、タクミはハマダイコンの皮をむいて大根おろしをツクリナサイ。涼子は、土鍋を用意しなさい……次にXXXXXXXXXXXXXッ……」
続けざまに二人に指示を出した後、トニオはフライパンを取り出した。そして、噴上が釣り上げた魚を、まな板の上に並べていく。
タクミと涼子は、作業を続けながらも片目でトニオの動きを追った。
「ウラァッ!!!!」
トニオが叫んだ。
ダッ!
「ウラウラウラウラッ……ウラぁッ!」
トニオはナイフを振るい、魚を〆るッ!
バババババッ!
そして鱗を、豪快かつあっという間にはぎ取るッ
「ウラララァァァッ!!」
トニオは包丁を持ちかえる。そして次の瞬間ッ!
ザッ
トニオはあっという間に魚をさばき、三枚におろしてしまった。さばいた魚をフライパンに落とし、さっと火を通す。
この作業にかかった時間、二・三分ほどか。
その間に涼子は、トニオの指示通りに土鍋に海水を満たし、竈の上において温めていた。
トニオは土鍋から海水をこぼし、かわって白ワインと、ニンニク、それから噴上が釣ってきた魚を土鍋に放り込む。
それから、『イソギンチャク』と『カメノテ』を掴み、薪の上にかざしていた網の上におとした。
表面にさっと火を通すと、今度はそれをフライパンの上に落とし、グラッパとバターを入れてソテー。最後に、フライパンの中のものをドライトマトと共に、土鍋に返すッ!
土鍋を火にかけている間に、タクミが出したハマボウフウに仕上げの包丁を入れ、さっと火にあぶる。するとクルクルっと巻いた綺麗な付け合わせが、あっという間にできあがった。
それから煮込むこと10数分……
遂に、涼子の恐れていた瞬間がやってきた。
「そろそろデキマシタね……」
トニオは、ニコニコしながらピザ釜の入口をふさいでいた石を外した。
竈の中には、まさにちょうどいい焼き具合のピザが見える。
そして、土鍋の中でも、アクアパッツァが煮上がっていた。
「さぁ、味見してください……『磯のアクアパッツァ』と『ピザ:ハチノコのせクアトロフォルマッジ』です」
トニオはニコニコしながら、涼子の目の前にグイッとハチノコのピザと、『イソギンチャク』と『カメノテ』のアクアパッツァをグイッと押し付けた。
「うっ…………」
これは…………
涼子は顔をひきつらせた。
「おぉー、いい匂いがするぜ…………トニオさん、さては料理が仕上がったのかい?」
遠くから、噴上の大声が響いた。
トニオが、バッチリ……と親指を立ててみせた。すると、噴上はアケミを連れていそいそと三人のもとへ、近寄ってきた。
トニオは、再び手にした皿を涼子につきつけた。
「さぁ、早く味見しないと、噴上さんが来てしまいますよ……さぁ」
トニオが皿をつきだす。その目は、全く笑っていない。
「さぁっ!!」
ド ド ド ド ド ド ド ド ド ……
(ううっ…………この目はあれよ、『ヤるときはヤる』と言う目よ…………まるで……)
涼子は、少し頬を染めた。その脳裏に浮かぶのは、忘れもしない中学3年のころだ。
小学校の時仲が良かった少年を、親が外出している間に、つい『うっかり』部屋に誘ってしまったのだ。
そのとき彼が部屋で涼子を見ていた目に、そっくりであった。
その時は何とか難を逃れたが……
助けを求めて、涼子はタクミの脇腹を突っついた。
タクミはため息をついてスプーンを手に取る。トニオが突き出してきた皿からスープをすくいあげ……目をつぶって口に放り込む。味のチェックをする。
「……おっ……」
タクミは、意外そうに眼を開いた。
「これは、美味しいッ」
もう一口、もう一口と食べ続ける。
「ほんとぉ?」
「あぁ、信じられないかもしれないが、ものすごく美味しいッ! まるで、濃厚なカニの肝を溶かしたスープを飲んでいるみたいだ……カメノテとイソギンチャクが、こんなに濃厚なダシになるなんて……噴上さんの釣ってきた魚も、ふわふわでおいしいッ!」
タクミは、一口ごとに感嘆の声を上げながら、食べ続ける。
「カジメの出汁と……カジメを叩いたものがちょっぴり入っている。これが、複雑な味わいを生み出している……散らしたハマボウフウの味で、アキが来ない。ハマダイコンをすりおろした汁につけても……うまい。これは、素晴らしいよッ!」
「フフフ……気に入ってくれて、何よりです……では、涼子さんはこちらを……」
「いっ……」
断ろうと開きかけた涼子の口に、トニオはハチノコのピザをヒトキレ、無理やり放り込むッ!
ピザ生地とチーズの間に挟まれた幼虫が、涼子の口の中で踊る……
「ゲブッ!」
吐き出そうとした涼子は、だが……あれっ? と首をかしげた。
それは、生臭さなど全くない、驚くほどクリーミーで濃厚なピザであったのだ。
「こっ、これ……美味しいわッ! パリパリのピザの生地の上にかけられた濃厚なチーズ、その中に入っているクリスピーな表面を割るとあふれ出る、クリーミーなソース……」
涼子は、おもわず二口めを食べる。
「そっ、それにこのチーズの上にところどころかかっているのは……クルミ……レーズン……あとハチミツ…………」
「正解です」
トニオがうなづいた。
「それに、クルミのコリコリ感とレーズンのプチプチ感……それにハチノコのぷちっとした歯ごたえ……この食感の違いが心地よいわ」
「へぇ……」
興味をそそられたタクミも、ピザをかじる。
「こっ、これはうまいッ! 4種のチーズの組み合わせもいい……そのチーズに、ハチノコのクリーミーな味わいが混然一体となって味の深みを増している……そして、まわしかけられたハチミツが舌をリセットさせ、さらに旨味を引き出している……これは、うまいッ!」
トニオがニコニコと笑う。
「フフフフ、気に入ってくれましたカ」
「ハイっ……これは素晴らしいです」
「ところで、トニオさんはどうやってハチノコを手に入れたのですか」
涼子の問いには、トニオはニコニコ笑うだけで何も答えなかった。
そこに、アケミと噴上が現れた。
「よぉ──お待たせッ……さすがトニオさんだぜ。うまそうな匂いだ……ハチミツか?」
噴上は、クンクンと周囲の匂いを嗅ぎながら言った。
「ちょうどできたところです。味わってください」
トニオが、二人に向かって皿を差し出した。
30分後……
トニオの料理を堪能した噴上とアケミに向かって、トニオが声をかけた。
「では、そろそろお願いしますよ」
「おぉ──約束だからなぁ……だが、本当にあるのかい?」
よっ……
噴上は大きく伸びをして立ち上がると、同じく座っていたアケミの手を引き、立ち上がらせた。
「えぇ……間違いありませんよ」
トニオはそういうと、ポケットから小さなタッパーを取り出した。噴上の鼻にそのタッパーを近づけ、蓋を開ける。
「おおっ……コイツはいいな。いい香りだ……ヨシ」
噴上はそういうと、宙を見つめた。上を見て、時折クンクンと鼻をひくひく動かしている。
「!? 裕ちゃん、何をしているの」
「オレの鼻がいいのは、知っているだろ? 匂いを嗅いでいるのさ」
「匂い? なんの」
「ああ、すぐわかるぜ……」
宙を見ていた噴上は、見つけたゼ……とつぶやき、一行を岬の内陸部に連れて行った。
海岸の険しい崖の切れ目を抜け、荒れ果てた農家の空き家を通り抜け……日当たりのよい、土手のようなところについた。
「ねぇ、裕ちゃん……いったい何しているの」
「だから、匂いを嗅いでるって言ったろ? ……おっと、ここだな。ここにあるぜ」
そういって、噴上は地面の上をそっとなぜ、落ち葉を剥いだ。
すると落ち葉の下から、黒くてごつごつして、丸い何か……が顔を出した。
「見つけたゼ。これだろ?」
「ええ……そうです」
トニオが嬉しそうに言った。
「これは間違いなく、イボセイヨウショウロ……黒トリュフです」
この章を書くに当たり、
『野食ハンマープライス』と言うウエブサイトを参考にさせていただきました。