G.O.D.-禁忌ノ娘と贄ノ巫女-   作:亀川ダイブ

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9.公共墓地・後編

 無数のパイプや半透明のガラス管、見上げるような大きさの試験管の類。その中で蠢く、畸形の胎児。おぞましい慟哭を上げる、謎の機械装置。それらは命の粘土細工、キメラの幼生体とその保育器。雑然と整列されたそれらの中を、粘性の高い青緑色の液体がぼんやりと光を放ちながら流動している。

 ここは、インジゴフラスコ教団、本部大聖堂地下。半径数百メートルに及ぶ半球状の地下空洞である。外道の技術の集大成たる、私設研究所にして実験場というこの空間。そこにあって満足げに、大教祖・アゾットは尖った顎を撫でていた。その表情は青緑色の薄明りに照らされて、半ば人間離れして見える。

 

「ふむ。順調だな」

 

 喜色も顕に呟く、その眼の前に横たわるのは、巨大な環状構造物。

 二〇年前、デモノハザードの元凶となった【地獄門】。無量大数の悪鬼魍魎を吐きだした禍々しき〝パンドラの欠片〟、戦略級の禁忌兵装である。

 地下空洞の半分近くを占めるその中央には、異次元の【闇】が澄んだ地下湖のように湛えられている。そして複雑な魔法式が生き物のように蠢く円周上には、ストーンサークルにも似た、高さの不揃いな六本の円柱が建てられていた。銀色の《聖気》を淡く優しく煌かせる円柱の先端部には十字架があり、複雑な儀式陣が刻印されたそれには、六人の巫女が磔にされていた。巫女たちは皆一様に、瞬きすら忘れたように静止している。その瞳に光はなく、武装神父たちのような開き切った灰色の瞳孔を、対角線上にいる巫女に向けあっている。

 

「おとなしく贄となっていれば、俗世の煩悶からも解放されたというのに。まったく、女とはわからぬものよな」

 

 そのうちの、一人。右腕に《刻印》を刻まれた女に、アゾットは嘲笑うような視線を向けた。

 確か、東洋人。アヤとか言ったか。妹を《天獄》送りにされたという。逃げ出された時には、軽い遊び程度の考えで好きにさせてやったが……面白いものを、引っかけてきた。

 

「〝禁忌ノ娘〟か……」

 

 アゾットの傍らには、数え切れないほどの魔導書を山積みにしたデスクがあった。術式の走り書きや、錬金術のレシピが散乱したその一番上に、数枚の写真が投げ置かれている。

 白銀の燐光を煌かせ、【悪魔】の首狩る聖少女。黒き魔眼で《天使》を屠る、艶めく黒髪の魔少女。アヤと二人で食事を摂る、金髪碧眼の普通の少女――それらの写真は、監視に付かせた武装神父が捉えた〝禁忌ノ娘〟の姿である。

 自由自在に《聖気》と【魔力】とを使いこなし、人の身でありながら《天使》を屠り【悪魔】を滅する、魔道の蔓延るこの時代にあってなお〝禁忌〟と評される異能を持つ少女。人造生命を錬成する錬金術、そして異能のキメラを生産する霊的生物学を極めんとする身にとって、これ以上興味を引かれる素材はない。

 

「面白い……実に、面白い素材よ」

『そうね、同感よ。同感だわ』

 

 写真に伸ばしたアゾットの手に、ゾッとするほど冷たい、小さな掌が重なった。瞬間、全身の神経を氷漬けにされ、雄牛すら一呑みにする大蛇の前に放りだされる幻覚が、鮮やかに浮かび上がった。アゾットはまるで小娘のように震えそうになる声を何とか抑え、絞り出すように、その掌の主に言う。

 

「……何の用だ、ニアーラ」

『あらあら、怯えさせちゃったかしら? ごめんなさい。ごめんなさいね』

 

 悪びれる様子もなく、細い指先で写真を摘まむのは、喪服姿の少女――いや、幼女と言ってもいいほどに、その姿は幼い。普通ならば、大人びた宵闇色のドレスは背伸びした娘の微笑ましさを、豊かに波打つ暗金色の髪は将来の美人への変貌を、見る者に感じさせたことだろう。だが……だが、これは、違う。この、黒く粘ついた空気が……【魔力】のようでそうではない、邪悪に/陰鬱に/猥らに渦巻く……混沌そのものが這い寄ってくるような感覚は!

 ニアーラは脂汗を浮かべるアゾットなど視界に入っていないかのように、レースの付いた日傘をくるくると回しながら、つまみ上げたレイヴンの写真を目の前でひらひらと弄んでいる。

 

『うふふ……わたしの言った通りだったでしょう? 面白い娘がくるわ、って』

「何の用だ、と聞いている」

 

 ……いったい、いつの間に。アゾットは腹の底から心臓を突き上げてくる恐怖を紛らわすため、自問した。この、恒久封鎖境界線(シールドライン)にも匹敵する全属性型物理/霊子結界(ヤオヨロズ・シーリング)を施した、地下不可侵聖域に、どうやって!

 

『そんなこと、どうでもいいじゃないの。どうせわたしは、いつでもどこにでもいるんだから』

「……っ!」

『それより。それよりね……うふふ』

 

 うろたえるアゾットを、ニアーラは蒼紫色の唇と、切れ長の眦を歪めて嗤う。その目つきは、薄いヴェールの向こうに透けて見えるだけだが、それはアゾットにとって幸運だった。もしもその眼を、極彩色の闇がたゆたう、血紅の眼光を直視していれば……

 

『うふふ……』

 

 ニアーラは日傘をくるりくるりと回しながら、写真をすっとデスクに置いた。そしてするりとアゾットの懐に入り込み、

 

『ちゃんと、仕事、するのよ?』

 

 宵闇色の手袋をはめた指先で、アゾットのとがった顎を、つつと撫で上げた。

 

「言われるまでもない……っ!」

 

 ぞわりと、全身の肌が泡立つような感覚に、アゾットは夢中になってニアーラの手を振り払った。しかし、少女の細腕を叩いたはずの掌に、その感覚はなく――ニアーラは、現れた時と同じように唐突に、突然に、影も形もなくなっていた。

 

「……ふ、フフ……あの小娘めが。調子に乗りおって……」

 

 十年ぶりに動き出したかのように暴れる心臓を抑えつけながら、アゾットは不敵に笑った。額に浮かんだ脂汗を拭い、手当たり次第に照明のスイッチを入れ、地下聖域から影を追いだす。逆光に照らし出された試験管の〝胎児〟たちと、死んだような微笑みで静止した巫女を、大仰な身振りで振り仰いだ。

 

「ここまでくれば!」

 

 半ば狂気の響きを持ったアゾットの声に反応したのか、巫女を磔刑にした不揃いの円柱が、低音で唸りを上げた。

 

「もはや怖れるモノはなにもない……我が〝聖魔神〟が! 〝禁忌の娘〟を殺し、犯し、凌辱し! そしてこの大教祖アゾットが、創世の神々にすら生み出せなかった無欠の生命を得る! そして、そして……クハハハハハハハハハハハハ!」

 

 アゾットの邪悪なる野望に反応し、【地獄門】に蠢く魔法式が、黒紫の輝きをゆらりと強めた。その輝きは、周囲の実験器具が放つ青緑色の薄明りと混じり合い、より醜悪な色彩となって地下空洞に揺らめいた。

 

(サヤ……レイ、ヴン……)

 

 耳朶に響く哄笑を溶けかけた意識の中で聞きながら、アヤは後悔を繰り返していた。

 あぁ、やっぱり。私は死ねば、良かったんだ――

 

 

 

 

「くたばりやがれ糞野郎(サノバビッチ)ッ!」

 

 ドッ、ゴォン! 毒蜂銃(イェロゥ・ジャケット)が吐き出した亜音速の鉄杭弾が、スピットファイアの頭蓋を撃ち砕いた。【魔力】の蜂毒は通じないが、迫撃砲に匹敵する四十五ミリ鉄杭弾の衝撃は、脳漿と肉片、そして赤熱した放熱版を、熟れ過ぎたトマトのように弾けさせた。

 

「ッだらぁぁ!」

 

 ビクリと痙攣した首なし――加えて、右腕と左膝から先も千切れている――のスピットファイアをサッカーボールキックで蹴り飛ばし、もう数個しか残っていない墓石に叩きつけた。そして間髪を入れず、六連装の鉄串を連射連射連射連射連射連射(フルオート)。百本近い鉄串を撃ち込まれ針鼠になったスピットファイアは、穴だらけになった肺腑から濁った炎気を吐いたのを最期に、浅黒い灰塊となって崩れ落ちた。

 

「くっ、はぁっ! 終わった……わね!」

『うむ。そのようだが……』

 

 襤褸切れ同然になったコートを脱ぎ棄て、膝をつく。荒い呼吸を整えるレイヴンの背後には、ついさっきまでタイフーンだった灰塊の山があった。その中央には、激しく刃毀れした二本の黄金剣が突き立てられている。

 だがしかし、レイヴンの傷も深い。ただでさえ負傷していた左腕には氷柱の槍が突き刺さり、その傷口は凍りついている。顔の半分は皮下組織にまで及ぶ重度の火傷を負い、右太ももの裂傷は、周囲が焼け焦げ炭化していた。

 満身創痍――いや、人間であれば、死んでもおかしくない重傷。|無属性状態《エレメント・ゼロ。、光盾/障壁(シールド)を展開せずに戦うには、劫火と吹雪を操る二体のキメラは、強敵だった。

 

『傷の治癒が必要だ。セラーどもを呼んで……』

「アヤを追うわ」

 

 立ち上がろうとしたが、毒蜂銃の重さに引きずられるように、頭から倒れ込んでしまう。二色の燐光を散らす金髪が、煤と霜に加えて、ぬかるんだ黒土にも汚れた。倒れたレイヴンの焼け焦げた背中に大粒の雨が突き刺さり、そして瞬時に蒸発する。キメラを殺したことで炎と吹雪の結界が消え、いつの間にか土砂降りになっていた雨が、再び墓地に降り注いでいたのだった。

 

『そのザマで何を追う気か。セラーどもが来るまで、そこに寝ておれ』

「うっさい。行く、わ……ぐぅっ……」

「手のかかるお嬢サンを持つと、保護者(パパ)は大変ネー」

 

 数時間前にも聞いたような言葉に顔を上げれば、いつの間に現れたのか、そこには小柄なガスマスク姿がしゃがみ込んでいる。レイヴンは「うっさい」と腕を振り上げるが、勢いも何もない平手打ちは弱弱しく空振り、地を打って泥水を跳ねさせた。小柄なセラーはフゴフゴと笑い、レイヴンの顔を覗き込む。

 

「お客サン、大変そうネー。ま、あのショゴロイドどもと戦ったらこうなるだろうとは、思ってたけどネ」

「知ってた、なら……教え、なさい、よね……」

「ワタシたちが受けた依頼内容は《刻印》の主を探すコトだったヨ。別の情報は別の料金ネ」

「……守銭奴め」

 

 悪びれないセラーに吐き捨てながら、レイヴンは身体を起こし、割れた墓石に背を預けた。肺に溜まった血臭混じりの吐息を吐きだすと、緊張が緩んだためか、左腕に刺さった氷柱がずるりと抜け、その傷口からどす黒い血が噴き出した。

 

「うぐっ……!?」

 

 圧迫して止血。出血はすぐに止まったが、傷口周辺の肉が紫色に変色していた。極低温の氷柱によって、組織が壊死し始めているのだ。さらに、この土砂降り――レイヴンは急速に体温を奪われ、痛みは微塵も和らがないのに、意識だけが泥沼に沈むように、混沌としてきた。腕からだらりと力が抜け、瞼がズゥンと重くなる。

 

「お客サン、早く治療しないと死んじゃうネ。世の中万事、命あってのモノダネだからネ。ワタシたちにも命は仕入れられないケド、命以外なら何でも売るヨ。例えばコレ、魚竜の肝油から精製した――」

 

 セラーが背中の大荷物から、薬瓶やら薬草やらを山のように引っ張り出していた。嬉々として売り込みを始めたセラーに、パンドラが何ごとかを怒鳴りつけている。レイヴンは白く黒く渦巻き始めた意識の中、パンドラの中を探ってありったけの紙幣と金貨を掴みだし、セラーのガスマスク面に投げつけてやった。

 

「必ず……明日の、夜が、来る……ま……えに……」

 

 ほとんど閉じかけたレイヴンの瞼を透かして、か細い月が街の向こうへと沈み始めていた。

 もう夜明けが近い、そんな時間か。だとすれば、今から十二、いや十時間で回復する。明日の日暮れまでに動けるようになれば、間に合うはず。まずは大聖堂をブッ壊して、地下の【地獄門】へ……儀式陣はおそらく地下。アヤも……そこに、居る……はず……

思考を働かせ続けることで、渦巻き、澱み、混沌の底へ沈んでいく意識を、繋ぎとめようとしたが――

 

「パン、ドラ……あと、たの……ん、だ……わ……」

 

 ――それが、限界だった。

 

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