G.O.D.-禁忌ノ娘と贄ノ巫女-   作:亀川ダイブ

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14.ありがとう。

 二十年前、古都セイラム。第八深度魔導惨禍(レベルⅧデモノハザード)の発生した、その日のこと。

 もう何度、この日を繰り返したのだろう。アヤの眼にはこの次に見る光景が、もう完全に焼きついて、染みついて、焦げついて、しまっている。

 

「あ、がっ……」

 

 巫女装束を切り裂いて、さらしを巻いた薄い胸を貫いて、突き抜けた切っ先は真っ赤に染まり、アヤの頬に赤い飛沫が飛ぶ。まるで糸の切れた人形のように倒れるサヤ――もうすっかり覚えてしまった、その倒れる位置へと、アヤはすっと歩み寄り、サヤの頭を自分の膝の上に受け止めた。

 

「サヤ……ごめんね。ごめんね……」

 

 もはや、声を上げて取り乱すこともない。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。何度も何度も何度も何度も心の中で繰り返したことだ。

 アヤはただ優しくサヤの手を取り、静かに謝るだけだった。どれだけ繰り返しても枯れることのない涙だけは、眼尻からぼろぼろと零れ落ちるが、サヤの反応は変わらない。変わるわけがない。これはすべて、すでに起こったこと――終わったこと。

もはや変えようもない、私の弱さが生んだ罪。

 

「何、これ……なんか、変……?」

 

 変わらないサヤの言葉が、またその時がきたことを知らせる。眩いばかりの《光》が、怒り、狂い、猛り、怒涛の勢いで迫りくる。

 

《Rah―――――――――――――――――》

 

 アヤが涙を流しながら、しかしすべてを悟りきった――あるいは諦めきった――賢者のような表情で顔を上げると、そこには《門》が開いている。複雑な神聖文字や図形のような天使語が空中に煌々と円環を描き、十数枚もの清き翼が羽根を散らせる、《天獄門》。

 私に……私たちに、終わりを運ぶもの。アヤはただ優しく、サヤの身体を抱きしめた。

 

《Rah―――――――――――――――――》

 

 輝く《天獄門》から、何十何百もの天使の腕が溢れ出してきた。そこに暴力的な要素は微塵もない。ただゆっくりと、神の御使いが子羊を天に召し上げるかのように、サヤと、彼女を抱くアヤとを抱き上げた。

 

「ねヱ……ちゃン……」

「サヤ、ごめんね……これは、罰なんだよね……」

 

 

 ――ごちゃごちゃうっさいのよ、罪とか罰とかなんだとか。

 

 

「え……?」

 

 何千何万と繰り返したこの瞬間に、ありえない声が聞こえた気がした。

 この声は、誰……? 考えようとするアヤの意識を、迸る《聖気》の奔流が押し流す。 ずり、めり、ずるりと、《向こう側》へと引きずり込まれていく二人の身体が溶け合っていく。アヤは抱き合って触れ合うその肌が、次第にサヤとひとつになっていくのを感じた。

 とても……とても、気持いい。

 罪の意識に苛まれながら、それでも、愛する妹とひとつになっていく感覚が、どうしようもなく心地良い。

 ごめんなさい。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 たとえ、もう、許してもらうことはできないのだとしても。際限なく謝り続け、無限に償い続け、永久に赦しを請い続け、全身を包む真綿のような罪悪感に溺れたまま、意識も命も投げ出してしまいたい。

 だから……ごめんなさい。

 

 

 ――アンタに謝られると、すっごい気分が悪いのよ!

 

 

「……だれ、なの……?」

 

 ごう、と唸った《天獄門》が、その奥に秘めた極彩色の光の園を露わにした。脳髄を犯す強烈な《聖気》の渦に溶かされそうになりながら、アヤはその声の主を探した。

 引っかかる。消えそうになっている意識の片隅に、何かが引っかかっている。

 なんだ、これは。なにかが、違う。これは、この声は……

 そんなアヤの疑問を暴力的に掻き消そうとするかのように、《天獄門》が吠えた。アヤを引き摺りこむ天使の腕がその力を増し、脳髄をかき乱す《聖気》の光が、より一層その輝きを増した。肌が溶け合い半ばひとつになったサヤまでが、虚ろな眼を極彩色の狂気に染めて起き上がり、アヤに語りかける。

 

《姉ちゃん、こっちだよ。ボクといっしょに来てよ》

「う、うん……そうね、サヤ。ずっと、いっしょに……」

 

 サヤの掌が、優しくアヤの頬を包みこむ。触れた肌が溶け合っていく感覚が、抗いがたい快感となってアヤの神経を甘く犯す。アヤはまどろみにも似た快楽に、身を委ねようと……

 

 

――アヤあああっ!

 

 

 でも、この声は……この声は……彼女は……!

 

《だメだよ姉ちゃン! 姉チャんはボクと来るんダヨ!》

 

 喉元まで出かかったその名前を、サヤが――否、サヤの顔をした〝なにか〟が、遮った。

 

「……さ、や……じゃ、ない……!?」

 

 アヤの頬に、サヤの形をしたモノが、爪を立てた。溶け合うような暖かさは瞬時に冷たい嫌悪感へと変わり、サヤだと思っていたものの肌はどろどろと崩れ落ちていった。

その下から現れたのは――傷だらけの顔で、ぼろぼろの肌で、血塗れになって血の涙を流す――アヤ、自身。

 

『謝ってれバ、気持チいいノ……』

「……っ!」

 

 まるで赤子が母親にすり寄るように。アヤの顔をしたそれは、アヤへとしな垂れかかってきた。そしてアヤの声で、アヤの眼で、救いを求める亡者のようにまくしたてる。

 

『謝ッてればイイのよ! 謝ってイレバ気持ちいイの! ゴメんナさいしてればいいノ! 許さレなくても赦されなクテモ、謝っテイレば考えナクてイイノ! 罪ガ重いノ! 罰ガ辛イの! 償いきれナいの! 私ニハ背負いきれなイの! だっテ、愛しテタのに、死なセチャッタら……もう、謝ルシカないじゃなイ! 私ハ弱いの! 誰か私ヲ裁イテ! 私を罰しテ! 私ヲ苦しメて! 私は弱イの! 私ハ可哀そウなの! 私は傷つイてルの! ダから……ダかラ……モウ許して……もう赦シてえええエえぇぇェェえエェぇェェェエええぇぇェ!』

 

 

「うっさいッ!」

 

 血塗れの左拳が、それの顔面を殴り飛ばした。

 

 

 瞬時、周囲の景色は一変した。

 ここは地下不可侵聖域、捩り合わされた機械製の子宮の中。ごうんごうんと不気味な鳴動を上げる円環構造物が、周囲の全てをその身の内に吸い込まんと、凄まじい嵐を巻き起こしていた。

 

「アヤあっ!」

 

 枝から落ちた木葉のごとく嵐に翻弄されるアヤの手首を、血塗れの左手が掴んでいた。

 

「サ……ヤ……?」

 

 未だ覚醒し切らないアヤの眼には、まったく似ていないその顔に、愛する妹が重なったような気がした。しかし、それも一瞬だけ。

 

「目ェ覚ましなさいよッ、悲劇のお姫様(ジュリエット)気取りの自虐(マゾ)野郎が!」

「……レイ、ヴン……?」

 

 その名を口にした瞬間、アヤの意識は、甘いまどろみから荒れ狂う現実へと引き摺り出された。同時、地下不可侵聖域に、異常なまでの《聖気》が溢れ返っていることに気付かされる。そして、自分の脚に絡みつき、《あちら側》へと引き込もうとする無数の腕の存在――この、暴力的なまでに神々しい気配は……

 

「天、獄門……!?」

 

 地下不可侵聖域の床面の殆どを占領して鎮座していた円環構造物は、その制御術式の中枢たる〝不揃いの円柱〟を失ったことで霊的アイデンティティが崩壊し、暴走状態に陥っていた。

 二十年前のデモノハザードで億千万の【悪魔】を、そして今夜数え切れないほどの【闇の触手】を吐き出した【地獄門】は、莫大な【魔力】を放出したその反動から、莫大な《聖気》の嵐を以って全てを巻き込み吸いこんでいく《天獄門》へと、錬金術的変化(アルケミカルメタモルフォーゼ)を遂げていた。

 

「パンドラの欠片〝夜行鬼門〟……数ある災厄の中でも、最凶にして最強、最悪の災厄とされる戦略級禁忌兵装よ。天獄地獄の二つや三つ、簡単に開くわ……ぐっ、げほっ!」

「レイヴン……」

 

 見上げるアヤの顔に、レイヴンの言葉と、そして血が降り注ぐ。

 レイヴンは血塗れになった左手でアヤの手首をぎゅっと掴み、右手でパンドラの持ち手を握り締めていた。そしてパンドラから伸びたボロボロの呪化黒帯が、円環構造物とレイヴンの右腕とに巻きつき、両者を繋ぎ止めている。

 

「引き、上げるから……その手ェ、はなすんじゃ、ない、わよ……!」

 

 そうは言ってもしかし、アヤとレイヴンとを繋ぐのは、もはや動いていること自体が奇跡に近いレイヴンの左手のみ。その左手も吹き荒れる暴風に煽られて、今にもはなれてしまいそうだ。

 

『レイヴン、もう少しだ。暴走さえ収まれば、この〝門〟とて我が欠片の一つ、制御可能になる。それまでの辛抱だ!』

「知って、る……わよ……っ!」

 

 轟々と吹き荒れる暴風の中、パンドラの苦しげな声が聞こえる。アヤが見る限り、パンドラもまた傷だらけだった。フレームは罅割れ、装飾品は割れ砕け、全面に大きな亀裂が走っている。僅かに二、三本の呪化黒帯を吐きだし、レイヴンを繋ぎ留めるのが、今の彼にできる限界なのだろう。

 ……そう、限界なのだ。

 

「…………レイヴン。もう、いいです」

 

 大いなる《熾天使》の生贄となり、さらに偽神像の一部となって膨大な霊気に触れた今、アヤの霊的直観は、通常の人間にはあり得ないほどに鋭敏になっていた。

 そして、その鋭敏な霊的直観が、アヤに理解させてしまうのだ。

 もう、限界だ、と。

 無数の《天使》の腕に引きずり込まれようとしているアヤを辛うじて繋ぎ留めているレイヴンの左腕は、腕自体が千切れてしまってもおかしくないほどに、傷ついている。数本の呪化黒帯を作り出すのが精一杯のパンドラに、レイヴンとアヤをまとめて引き上げる力は残されていない。〝夜行鬼門〟の暴走も、この空間に残る《過剰祝福》と【奈落堕ち】の残り火を、この空間に残る全ての霊気を吸い込みきるまで、終わることはないだろう。

 そして、その時が来るのはだいぶ先だと、わかってしまう。

 だから……もう、限界なのだ。

 

「……ごめんなさい、レイヴン」

「うっさい黙れ謝るな! そんな言葉が聞きたいんじゃない!」

 

 アヤは噛みつくように吼えるレイヴンに、少し、面喰ってしまう。「そんな言葉」って……じゃあ、なんて言えば……。

 そのとき、アヤはふと、子供のころを思い出した。

 あれはまだ、私とサヤが、剣術の稽古を始めたばかりのころ。近所の神社の縁日で、屋台を巡って遊びまわって――お面をかぶって、金魚をすくって、りんご飴をなめた。

 そして、かんざしを買った。私はセンスに自信がなかったから嫌がったのに、サヤは無理やり私に選ばせて、小さな鈴が付いた大人用のかんざしを買った。あの頃、サヤは男の子と間違えられるぐらい髪が短かったから、無理やりかんざしを挿しても、全然似合っていなかった。

 だから、私は、たくさん謝った。ごめんね、変だったね、私お洒落とか苦手だから、他にもっといいのがあったかも。そしたら、サヤは怒りだした。私はわけがわからなくなって、もっと謝ったら、サヤはもっと怒りだした。

 そんな言葉、聞きたくない! 姉ちゃんが選んだのだから、これがいいの!

……あのときは、わからなかったけど。今なら、サヤが求めていた言葉がわかる。サヤはきっと「ありがとう」と言いたくて、そして、言ってほしかったのだ。

 選んでくれて、ありがとう。そう言いたくて。

 喜んでくれて、ありがとう。私に、そう言わせたくて。

 ただ「ありがとう」やり取りがしたくて、短い髪に無理やりかんざしを挿して、嬉しそうにはしゃぎまわっていたんだ。だけど、私はそれに気づかないばかりか、ごめんなさいなんて言ってしまって。

 ――だから、こんどは、まちがえない。

 

「……レイヴン」

 

 言いながらアヤは、細い鎖で首にぶら下げた、形見のかんざしを手に取った。

 ちり、ちりん――荒れ狂う暴風の中で、やけにはっきりと。小さな鈴の音が、聞こえた。

 

「……アヤ、何してるのよ。それで何するつもりよッ!」

 

 それを見咎めたレイヴンが、わけがわからないというふうに、しかし半ば以上、その先の行動を想像して、ヒステリックに叫んだ。

 アヤは最後の力を振り絞って、ぶちりと鎖を引き千切った。そして、鈴の音を鳴らすかんざしを、右手に逆手でぎゅっと握る。

 

「レイヴン、あなたに……言っておきたいことが、あります……」

「やめろ黙れその先を言うな! 黙っておとなしく助けられろ! そのあとで聞くから! あたしが絶対助けるから! 今言うな、今それを言わないで! 助けるから、絶対助けるから! その後で聞きたいの! こんな血塗れの手じゃなくて、そんなぼろぼろの手じゃなくて、もっと、もっとなんていうか、あるだろっ! あたしが、あたしが言ってもらいたいのは……」

 

 掴まれた手首が熱い。レイヴンの心臓が、熱く脈打っているのがわかる。繋がっている手首に、レイヴンの血ではない、熱い透明な何かが流れ落ちているのを、感じた。レイヴンの眼尻から、頬を伝い、顎を伝い、雫になってアヤに落ちる。

 

「はじめてだったの! あのことば、はじめてだったのよ! だから、だから……っ!」

 

 感情が溢れて、途切れがちな声。アヤの鋭敏になった霊的直観がなかったとしても、レイヴンの心の内は手に取るように分かっただろう。

 彼女は、〝禁忌の娘〟。《天使》も【悪魔】も殺し尽す〝災厄の権化〟にして〝最凶の災厄〟。

 物騒で物々しいその二つ名ばかりが、彼女の全てではない。今、彼女の眼から流れるあたたかい雫こそが、その証拠だ。

 彼女は確かに〝禁忌の娘〟で〝災厄の権化〟で〝最凶の災厄〟だが、ひとりの少女にすぎないのだ。ただの、ひとりの、女の子なのだ。

しかし彼女はきっと今までも、そしてこれからも。〝ばけもの〟と、呼ばれ疎まれ放浪し、放浪して、放浪するのだろう。

 だから、きっと。いや、だからこそ。あの、たった一つの言葉が、そんなにも嬉しかったのだろう。

 アヤはゆっくりと顔をあげ、透明に澄み切った表情で微笑んだ。

 

「……ありがとう」

 

 ちりん――鋭い痛みが、レイヴンの手を、貫いた。

 

 

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