G.O.D.-禁忌ノ娘と贄ノ巫女-   作:亀川ダイブ

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 更新は不定期と書きましたが、なんかもうある程度やっちゃえと思いまして。
 まずは「魔都セイラム」前後編を予約投稿で一日おきに投稿です。
 どうぞご覧ください。
 


1.魔都セイラム・前編

 恒久封鎖都市。見捨てられた街。晴れ無き曇天の街。魔都セイラムを形容する言葉は枚挙に暇がないが、実際その中で暮らしている人間にとっては、呼び名など瑣末なことであった。

 二〇年前の第八深度魔導惨禍(レベルⅧデモノハザード)により、古き良き欧州の趣の残る街並みは、その大半が廃墟と化した。上空には決して晴れることのない曇天が渦巻き、かといって雨が降るのはごく稀で、街は常に乾ききっている。乾燥した砂埃が舞う街中に暮す人々は、夜でも明るく冬でも暖かい文明に守られた生活を渇望しながらしかし、街から出ることは叶わない。恒久封鎖境界線(シールドライン)には強力無比な全属性型物理/霊子結界(ヤオヨロズ・シーリング)が何重にも施され、重度魔導汚染されたいかなる存在も、領域外に逃がしはしないのだ。

 しかし逆は、その限りではない。

 つまり、文明の世界にあって、その世界から外れた者たち・モノたち――邪神を祀るカルト教団や悪魔崇拝者、外道錬金術師、呪われし魔導書やアーティファクトの類――は競ってセイラムを目指し、様々な手管を用いて結界内へと這入り込み、いくつもの胡乱な集団を形成した。ある者はカルト信仰に心の拠り所を求め。またある者は、(メルテ)権力(パワー)にそれを求め。正邪/善悪/清濁を呑み込んだまだら模様の活力が、この街に混沌と渦巻いた。

 その結果。セイラムの闇市場(ブラックマーケット)は、通常の文明社会ではあり得ないほどに巨大化し、街区の一つをほぼ占領して行われるようになったのだった。

 

 

 

 

 不機嫌な顔をしたレイヴンの肩に、脂に薄汚れた男の手が掛けられた。

 

「おい、お嬢ちゃん。そのバカでかい鞄ぶつけといて、アイサツもなしに……」

「うっさい」

 

 ゴズン、と鈍い音。鞄の一撃で酒臭い巨漢を昏倒させ、レイヴンは立ち止まりもせず目標を探す。

 

『我は鈍器ではない』

「知ってるわ」

 

 このやり取りも、すでに何度目か。酒と汚物と機械油の臭いが充満するこの猥雑な通りに、清潔で背筋も伸びて枷もなく歩いている女は、珍しい。ここにいる女といえば、日暮れ前から客引きに立つ娼婦(コールガール)か、そうでなければ奴隷商の売り物(セックススレイブ)。もしくは襤褸を着た浮浪少女(ストリートチルドレン)だ。他の街区に行けば、もう少しは文明的な暮らしをしている者もいるだろうが、それはそれ。セイラム第三街区・闇市場通り(ブラックストリート)は、魔都の掃き溜めなのだ。

 

「それはそうと、本当に! 必要な時ほど見つからないわね、あの短小ホーケイどもは」

『そういうモノどもだ、奴らは。……もう一度言う。回すな』

 

 彼らを探し始めて、すでに小一時間。レイヴンは苛立ち紛れにパンドラをぶんぶん振り回していた。奴隷商人に引かれた奴隷の列や、疑り深い目をした露天商たちは、慌ててレイヴンに道を開ける。そのおかげでゴミゴミした通りも歩きやすかったのだが、さっきのような輩に絡まれる原因にもなる。

 

「お客サン、お客サン」

「うっさい」

 

 後ろから声をかけられ、昏倒させるつもりで振り抜いた鞄が、空を切った。慣性でそのまま二回転ほどして振り返ると、普通の人間よりも頭二つ分ほど下の所に、薄汚い布きれを頭からすっぽりと被った彼らがいた。

 

「おおお客サン、危ない、危ないヨー」

 

 意味の分からないメーターやバルブがごちゃごちゃとついたガスマスクが、レイヴンを下から見上げる。レイヴンはタメ息を一つ、パンドラを肩に担ぎ下げ、彼らの額をツンと突いた。

 

「探したわよ、セラー。あんたたち〝いつでもどこにでも〟がウリじゃあなかったの?」

「ワタシたち、いつでもどこにでもいるヨ。お客サン、おカネ、ある限り、命以外なら何でも売るヨ!」

 

 そして笑ったつもりなのか、呼吸器からフゴフゴとくぐもった吐息を漏らし、肩を揺らした。

 〝セラー〟。世界中の闇市場にネットワークを持ち、その全員がガスマスクで素顔を隠し頭からすっぽりと布きれを被る、異形の売買人。彼らの手に入らない物品は存在しないといわれ、通常の文明社会は当然、腐りきった瘴気の森、デモノハザードの渦中、どこにでも現れることから、その正体は人外の群体生命だの、【這い寄る混沌】の手先だのと噂される謎の集団である。ゆえに彼らは、常に単独で行動しながら、複数形で自称し、他称されている。

 小柄なセラーはレイヴンを手招きし、闇市場通りから一本奥の、薄暗くじめじめとした裏通りへと入っていった。

 

「今日の店、ここヨ」

 

 元は酒蔵だったらしい、天井の落ちた廃倉庫。割れた酒瓶を押しのけて、棚には雑多な商品が並んでいる。薬草・香草、怪しい護符に法儀式(エンチャント)済みの武器弾薬、異教の神像・悪魔像、瓶詰めの秘薬、ミイラ化した猿の手、脈動する青銅製の臓器……なぜかプリーツスカートとセットになった水兵(セーラー)服、猫の耳の形をした髪飾り、などなど。

 

「で? 前に頼んだもの、どうなのかしら」

 

 戯れに猫耳の髪飾りをつけて、売り物らしい薄汚れた鏡を覗き込む。鏡はアーティファクトの類だったらしく、口を耳元まで裂いてケタケタと笑うレイヴンの顔がこちらを見返していた。

 

「……ふんっ!」

 

 ノーモーションでヘッドパットをかましてやると、鏡の中のレイヴンは【悪戯好きの小妖精(グレムリン)】の本性を現し、半泣きになりながら鏡の奥へと逃げていった。

 

「お客サンの欲しいもの、ワタシたちから聞いたヨ……アレ? この辺に……」

 

 そんなことを知ってか知らずか、セラーは言いながら、商品の山をがさごそとかき分ける。すぐには出てきそうにない雰囲気に、レイヴンはパンドラを椅子にして座り、長い足を組む。「チョット待ってヨ!」というセラーの声を聞き流しながら、見るともなしに薄暗い裏通りを眺めた。

 人がいないためか、猥雑さは感じない。しかし……暗い。寒い。寂しい。場の空気に蟠る【闇】の残り香が、鼻につくほどに濃い。瘴気に犯された植物が、捻じれた毒々しい暗紫色の花を咲かせている。生ゴミを満載したバケツが無造作に転がり、中からは、果たして人間の食べ物だったのだろうか、紫色に腐った生肉が零れ落ちている。それらは全て、デモノハザードの後遺症、深刻な魔導汚染によるものだ。こんな通りに三日もいれば、普通の人間なら瘴気に犯されて廃人になるか、魔に魅入られて悪鬼となるかのどちらかだろう――

 

「おらァ、さっさと歩けぇ! 殺されてぇか奴隷どもが!」

「おい。傷は残すな、売値が落ちる。ただでさえゴミみてぇな値段なんだぞ」

 

 ――そう、彼らのように。レイヴンの眼に留まったのは、浅黒い肌をした数人の男たちが、鎖につながれた五人ほどの女奴隷を、一軒の娼館へと引きずり込んでいるところだった。憔悴しきった女奴隷たちは、虚ろな瞳で従うのみ。抵抗する素振りすら見せない。

 濃い瘴気に汚染された街ではよくある光景だ。特に何の感慨を抱くでもなく、レイヴンはその光景を眺めていた。コートの内ポケットからスティック状の携帯食料を取り出し、大して美味くもなさそうに齧る。頭から外した猫耳を、指先でくるくると弄ぶ。

 

「……ん?」

 

 あるものが目に入って、レイヴンは齧る口を止めた。

それは、鎖で繋がれた女奴隷たちの最後尾。煤に汚れた長い黒髪の、東洋系の女。襤褸布を巻きつけただけの服の袖からのぞく、黒ずんだ血と煤に汚れた細い腕。そこに、《天使の刻印》が彫り込んであるように見えたのだ。貧民や奴隷でも彫れるような、安物の魔除けではなかった。手の甲から、肩の付け根あたりまでびっしりと。もしかしたら、胸や脇あたりまで続いているかもしれない。奴隷として売られる身分の女に彫れる、そんな生半可なものではなかった。

 

「逃げて……そばに、こないで……みんな、死ぬ……逃げて……そばに、こないで……」

 

 女は唯々鎖に引き摺られながら、同じ言葉を何度も何度も繰り返していた。

 

「あの刻印……」

『すべては見えぬが、《熾天使の刻印》に相違ない』

 

 当意即妙、パンドラが答える。あごに手を当てうなるレイヴンに、セラーが言葉を続けた。

 

「上級第一位、天界最上位天使の刻印ネ。ウチで彫り師を紹介するなら、一〇〇万メルテはいただくヨ。彫られる方の適性もいるケド、彫る方もかなりシンドイからネー。あ、リーグ金貨なら、九〇〇にオマケするヨ。……んしょ、あ、あったヨー!」

 

 やっと見つけたのか、厚手の布で丁寧に包まれた塊を、セラーは高々と掲げた。レイヴンは娼館の中へと消えていく一団を見送って、パンドラを片手にセラーに歩み寄り、訊ねる。

 

「おいくらかしら?」

「メルテなら二一万。リーグ金貨なら二〇〇にするヨ」

「お釣りはチップよ。取っといて」

 

 金貨をセラーに押し付け、ついでに猫耳もガスマスクの頭に押し付け、布包みを受け取る。「ちょうどだヨー」というセラーのぼやきは無視して、レイヴンはパンドラを机代わりに、布包みを開いた。一見して、レイヴンの口角が上がる。

 

「へぇ。面白そうな()ね」

『〝イェロゥ・ジャケット〟 毒蜂の災禍を象徴せし、我が魂の欠片』

 

 それは、二種の銃身が上下に並ぶ、特異な形状の銃器だった。下の銃身は極太の一本が黒々と伸びており、その銃口の奥には、専用弾らしい太い鉄杭が――径は四十五ミリ、迫撃砲クラスの巨砲だ――黒く濡れ光っている。対して上の銃身は、極細のものが六本束ねられた、まるでガトリング砲のような形状。黒と黄色で塗り分けられたその姿は、なるほど、巨大な蜂に見えなくもない。緩く湾曲した太いグリップにも、蜂を模したらしい装飾刻印(エングレーブ)が彫り込まれている。

 

『件の〝大物〟とは違うが……これも我が〝欠片〟に相違ない。儲けものだな』

「こんなブッといのでブッ刺されるのは、勘弁してほしいわね」

 

 レイヴンは毒蜂銃(イェロゥ・ジャケット)を手に取り、自分の腕ほどの長さがあるそれを、くるくると掌で玩ぶ。回転させながら高く放り投げ、背面キャッチ。くるりと回して銃口にキス。戯れに、先ほどの娼館に銃口を向ける。

 

「BANG!」

 

 ……一瞬の静寂、そして……

 

『……む?』

 

 ――ズガァァンッ! 娼館の入り口が、豪快に吹き飛んだ!

 

「おおおお客サンっ!?」

 

 強烈な破壊音に、驚き飛び上がるセラー。レイヴンは舞い上がる噴煙と、毒蜂銃とを交互に見比べた。

 

「あ、あたしじゃないわよ。……ね?」

『うむ。どうやら、そのようだ』

 

 パンドラの言葉を裏付けるように、入口の吹き飛んだ娼館の中から、白い巨体が現れた。筋骨隆々の巨躯。聖銀の籠手を着けた、不気味なほどに長い腕。頭上の光輪を煌々と輝かせ、《歌声》は透き通ったテノール。全身から迸る濃密な《聖気》が、大気を震わせた。

 下級第一位天使《プリンシパリティ》。光の巨人と称される、天界の大闘士である。

 

《Rah――――――――――――――――――――》

 

 素顔を隠す若き聖人の仮面は下半分が割れ、乱杭歯の並んだ口元が顕わになっていた。その不揃いな牙に引っ掛かるのは、真っ赤に染まった〝喰い残し〟。女だけをより好みして喰ったのだろう、天使の牙に引っ掛かった鎖の先にぶら下がるのは、血に塗れた細い脚だった。

 プリンシパリティは、頭の上の瓦礫を不快そうに払いのけながら、その脚の持ち主らしい女の頭を、バリバリと噛み砕く。

 

「ひ、ヒィィっ!?」

 

 セラーの悲鳴でこちらに気づいたのか、プリンシパリティは喰い残しを鎖ごと一呑みにし、好戦的な咆哮を上げる。鞭のように撓る長剛腕が地面に叩きつけられ、衝撃であたり一面の石畳が捲れ上がった。足下に転がっていた浅黒い男の死体を踏み潰して、のっしのっしと迫ってくる。

 

権天使(プリンシパリティ)のご登場とはね。召喚門に何人使ったのかしら」

 

 通常、天使が現世に降臨する際には、ヒトを〝召喚門〟として消費する。よほど複雑な儀式によれば、その限りではないが……下級とはいえ第一位天使であるプリンシパリティを召喚するともなれば、消費された人間は、一人二人ではないだろう。

 

「おおおお客サン、今日はもう店じまいネ! サヨナラヨー!」

 

 いつの間に店を畳んだのか、身体の三倍はある荷物を背負い、セラーは脱兎のごとく逃げ出した。みるみる小さくなっていく背中に、レイヴンはひらひらと手を振った。そして、毒蜂銃を右手にぶら下げ、もう片方でパンドラを肩に担ぎ提げる。

 

「ご機嫌よう、ビッグ・サム。どうせあなたも、あたしの存在を許さないんでしょう?」

 

 レイヴンは、小さく嗤う。それが《天使》でも、【悪魔】でも。それが《神》でも、【魔王】でも。レイヴンを――〝禁忌ノ娘〟を、〝最凶の災厄〟を、〝災厄の権化〟を――目の前にして、憎悪と憤怒に狂わない者はない。

 

『……自虐はよせ』

「あら、あたしが自分を嫌いに見えるの?」

 

 口元を吊りあげ、歪んだ半笑いで答えるレイヴン。その流麗な金髪がざわと波打ち、白銀と黒紫、二色の霊気が――《聖気》と【魔力】の燐光が、同時に舞い散る。まるで屋敷に脚が生えたようなプリンシパリティの威圧感を前にして、レイヴンは、挑発的かつ精悍な屹立を崩さない。

 

《Rah――――――――――――――――――――》

 

 テノールの《歌声》が吼え、長い腕が、緩慢な動作で振り上げられた。

 

『……レイヴン。我が毒蜂の欠片は、久しく血と闘争に飢えていたようだ。新たな贄を欲しがっている』

「そう。それじゃ……」

 

 レイヴンは毒蜂銃をくるりと回し、巨躯の天使に銃口を向けた。

 

「蜂の巣にしてやるわ!」

 

 

 

 

 振り下ろされた長剛腕が石畳を砕き、大地を震わせた。プリンシパリティは、確かに〝肉〟を叩き潰した感触に、血まみれの口角を歪ませた。はたして、腕を持ち上げると――

 

《Rah――?》

 

 拉げたバケツと、潰れた生ゴミ。間抜けに口を半開きにする巨躯の天使の肩の上に、黒いコートが翻っていた。

 

『〝ワスプ〟 【ダーク】 リベレイション』

「後ろがお留守よ、うすのろ(ブリックヘッド)!」

 

 髪と瞳を【魔力】に染めて、黒紫の燐光を纏う。漆黒の戦乙女へと変貌したレイヴンは、毒蜂銃をプリンシパリティの首筋に向け、トリガーを引いた。

 ズパパパパパパンッ! 六連続の破裂音。毒蜂銃の六連装銃身からそれぞれ一発ずつ、ぬらぬらと粘ついた光沢の黒い鉄串が放たれた。鉄串は膨れ上がった筋肉組織に深く食い込み、何本かはその尖端を骨にまで達する。

 

《Grawoooh!》

 

 プリンシパリティは痛みに仰け反り、怒りの咆哮。レイヴンを捕らえようと手を伸ばすが、レイヴンはひらりとその腕に乗り移り、聖銀籠手の隙間に鉄串を撃ち込みながら、走り抜ける。もう一方の掌が行く手を遮るが、華麗に跳躍して回避。崩れかけた娼館の屋上へと着地する。

 

「血に飢えてた割には、おとなしい銃(こ)ね」

『あの巨体でも、あと四、五本で効き始めるだろう』

「後からクるタイプなのね。嫌いじゃないわ、そういうのも」

《GwRaaaaah――――――――――――――――――!》

 

 上から下まで舐めるように巨銃を眺め、銃口にキス。振り下ろされた長剛腕に、横っ面から鞄で一撃、方向を逸らす。ガラ空きになったプリンシパリティの顔面に、鉄串を撃ち込んだ。六本の黒い毒針は若き聖人の仮面を貫通し、眼球に突き刺さる。

 

《Urwoooh――》

 

 プリンシパリティは顔面を押さえ、豪快に倒れ込んだ。背後の建物は重みに倒壊し、瓦礫と噴煙が巻き上がる。レイヴンは屋上の縁に腰をかけ、足を組んだ。

 

「それにしても、何でいきなりあんなのが」

『闇夜の灯火には、羽虫がたかるものだ』

「灯火って……あれね」

 

 半分以上が崩壊した娼館の奥、奇跡的に被害を免れた一角に、一人の女がいた。襤褸をまとい、手首には鎖。そして右腕に《熾天使の刻印》。プリンシパリティの〝喰い残し〟が散らばる部屋の隅で、血に塗れ、何の感情もない瞳で割れた裸電球を見つめながら、ただただ延々と壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返している。

 

「……逃げて……そばに、こないで……みんな、死ぬ……逃げて……」

 

 ――心は、壊れている。だが、身体に傷は一切なかった。この惨状にあって、不自然なほどに。

 

「ま、こんなクソみたいな裏通りにあんな聖気の塊があったら、気にもなるわよね」

『気になったから来た。女がいたから喰った。下級天使の知能など、その程度のものだ』

「それでも彼女だけは喰わなかったのは、刻印が上級天使のモノだから、かしら。……教えてくれない、ビッグ・サム?」

《GwRaaaaah――――――――――――――――――!》

 

 怒りの《聖気》を撒き散らし、瓦礫と噴煙の中からプリンシパリティが飛び出してきた。長剛腕をさらに伸ばしてレイヴンに掴みかかる……が、止まる。

 

《Rah――whuuRu――!?》

 

 全身の筋肉が小刻みに痙攣し、氷のように動かない。しかし激痛は炎のように血流を燃え上がらせ、爆ぜる電流が神経を引き裂く。プリンシパリティは腕を伸ばした姿勢のまま石像のように固まり、唯一自由になる喉で、苦悶の唸りを漏らす。

 

『毒蜂の針は、神経を犯す。此奴はもはや、ただの木偶だ』

「好きにイジメちゃっていいのね。ゾクゾクするわ」

 

 レイヴンは言いながら立ち上がり、伸ばされたプリンシパリティの腕を助走路代わりに駆け抜けた。だらし無く口を開き涎を垂らしている顔面に、渾身のドロップキック。身長一六〇センチ足らずの少女に蹴り飛ばされ、身長で三倍、体重で一五倍を超える巨躯の天使は、通りの向かい側まで吹き飛んだ。

 

 再度、倒壊した瓦礫に背を埋めたプリンシパリティの眼に、上空高く跳び上がるレイヴンの姿が映った。晴れることのない曇天に、黒紫の燐光を散らし舞い上がる。毒蜂銃の銃口が胸の中心にピタリと照準され、下の銃口の奥、毒の鉄串の十倍は太い、黒き鉄杭がぬらりと光る。

 

「さあ、お注射の時間よ?」

『〝ワスプ〟 【ダーク】 エクスキューション!』

 

 照星の先に獲物を捉え、二人の声が重なり告げる。《天使》を殺す、蜂の一刺しを!

 

『「アナフィラキシー・エクスキューションッ!」』

 

 ドッ、ゴォン! 重い射撃音、亜音速の鉄杭が胸の中心に突き刺さり、プリンシパリティはビクリと身体を跳ね上げる。鉄串と鉄杭、二種類の毒針に塗り込められた毒素が血液中を駆け巡り、融合。灼熱する魔蜂毒が内側から血管を食い破って、プリンシパリティは身体中からどす黒く沸騰した血液を噴き出した。動かない腕で何とか胸の鉄杭を引き抜こうとするが、落下の加速度を乗せたレイヴンの踵が鉄杭を蹴り込み、鉄杭は背中まで貫通。

 

《Urwoooh――――――――》

 

 プリンシパリティは最後に大きく身を震わせ、断末魔の《歌声》とともに光華に散った。

 後に残るのは、黒く濁った血だまりだけ。レイヴンは毒蜂銃をパンドラに叩き込み(明らかに自分より大きな銃を、パンドラは問題なく呑み込んだ)、血だまりの中に降り立った。

 そして、ブーツが汚れるのも構わずに血だまりを横切り、娼館の中へ。《刻印》を刻まれた女の前に、しゃがみ込む。レイヴンよりは年上らしいが、まだ若い。痛々しいほどやせ細っているが、元は美人だったのだろう、血と埃に塗れた黒髪には、まだ幽かに艶やかさが残っていた。

 

「どう、パンドラ?」

 

 レイヴンの視線が指すのは、言うまでもなく右腕の《刻印》。女が何の反応も示さないので、襤褸を巻きつけただけの服を大きくはだけさせ、刻印全体を観察する。

 

『やはり、《熾天使の刻印》に相違ない。だがこれは……魔除けの印ではないな……』

 

 パンドラは珍しく、しかしいたって真面目に、渋い声で言葉を澱ませた。

 

『むしろ、召喚の刻印に近い。しかし、熾天使級の霊的存在を呼び出すには式の絶対量が足りぬ。何とも、意図のわからぬ印だ』

「へ、へぇ……」

 

 レイヴンは誤魔化すように女の頭を掴み、首筋、胸元、背中……あらゆる場所を眺めまわすが、他に刻印はない。左手に古い傷痕、全身に細かな擦過傷。奴隷にありがちな鞭の痕はなく、この身分に落ちたのはごく最近だろうと推測できる。

 唯一目を引くのは、細い鎖で首からぶら下げた、棒状のアクセサリー――たしか、東洋の髪飾り。カンザシとかいったか――ぐらいだろうか。シンプルな飾りの少ないデザインで、小さな鈴が付いている以外には特徴らしい特徴もない。特段《聖気》や【魔力】も感じない。なぜ髪飾りを首に下げているのかは知らないし興味もないが、この女にとっては、何か大切なものなのだろう。

 レイヴンは一人で納得し、再び《刻印》を注視した。

 

「あ、あの……」

 

 そこではじめて、女は反応を見せた。灰色に濁っていた瞳にはいくらか感情の色が戻り、小刻みに肩を震わせている。壊れた心はまだ修復し切ってないようだが、目の前で天使の〝食事〟を見せつけられたにしては、正気を保っている方だ。……幸か不幸かは、置いておくが。

 一瞥しただけで女の呼びかけを無視し、レイヴンはパンドラに訊く。

 

「あなたの欠片の気配はする?」

『幽かに感じぬでもない。だが、この街は全体がそうだ』

「気にはなるけど、アテにはならないってトコね」

 

 レイヴンは女から手を離し、立ちあがった。女が「あ……」と手を伸ばすが、完全に無視。パンドラを肩に担ぎ提げ、変身を解除(ディスペル)する。黒紫の燐光が剥がれ落ち、髪と瞳は金髪碧眼へと戻った。顎に手を当て、思案する。

 

闇市場(マーケット)に情報屋がいないかしら。あなたの欠片なら、何かろくでもない怪異(オカルト)ぐらい引き起こしてるでしょ」

『否定はせぬ。が、聞くならセラーどもの方が良かろう』

「ま~た探せってことね。あの亀頭仮面ども、念話回線(ライン)ぐらい引いてくれたらいいのに」

「あ、あの……」

 

 女の震える声に、レイヴンはタメ息をひとつ、再びしゃがみ込み、顔を突き合わせる。

 

「何の用かしら、お姉サマ。チップなら受け取るけど?」

 

 ひらひらと掌を出したら、不意に、その手を握られた。しかも両手で。祈るように強く。意味が分からず怪訝な顔をしたレイヴンの眼を見ながら、女は絞り出すような声で、言った。

 

「あ、ありが、とう……」

 




 終わり方が尻切れトンボ感MAXですが、これは本来前後編に分けていなかったものを分けたからです。
 後編はまた明日です~。
 感想・批評お待ちしています。
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