準備さえできていればけっこう便利ですね、コレ。
魔都セイラム後編、どうぞご覧ください。
『……レイヴン。レイヴン、我が契約者よ』
パンドラの呼びかけに、数度目で気がついた。握られていた手を振り払い、慌てて立ち上がる。レイヴンの後を追うように、女もよろよろと立ちあがったが、その動作が小鹿のように頼りないので、レイヴンは苛々と人差指で眉間を叩き、さんざん迷ってから手を貸してやった。
『レイヴン』
「な、何よ?」
責めるような口調で、左手のパンドラに応える。パンドラは珍しく、深い深い嘆息。
『敵だ』
言葉と同時、窓を窓枠ごとブチ破って、聖銀の巨拳が飛び込んできた。レイヴンは女を抱いて横っ跳びに裏通りへ飛び出し、石畳を数回転、ごろごろと転がった。
《Rah――――――――――――――――――――》
顔を上げると、プリンシパリティがもう一方の拳を何度も何度も叩きつけて、娼館を完全に粉砕していた。……先ほどとは、別の個体か。立ち上がったレイヴンに女がしがみつき、ガタガタと身体を震わせている。
『何を呆けていたのだ。らしくもない』
「う、うっさい!」
叫び、女の手を握り、引っ張り上げた。無理やり立たされた女は、すぐにレイヴンの背後に隠れてしまった。娼館の破壊を終えたプリンシパリティがレイヴンに憎悪と憤怒の視線を向け、背後の女はさらに縮こまる。
《Rah――――――――――――――――――――》
永久に晴れない曇天のセイラムでも、空の端では暗雲も途切れる。西の空で始まった幅狭い夕焼けを背に、プリンシパリティが高らかに唄う。瓦礫の中から太い柱を掴み上げ、棍棒代わりに振りかざす。
「チッ……」
レイヴンは舌打ち、女を背に一歩踏み出す。パンドラを肩に担ぎ提げる、いつもの姿勢。プリンシパリティを睨みつけ、【魔力】を解放しようとした、その時だった。
――ひたり。そういう音がして、プリンシパリティの足首に、仄暗いモノがまとわりついた。
それは、【影】であった。
夕暮れに引き伸ばされたプリンシパリティ自身の影が、まるで折り紙細工のように立ち上がり、プリンシパリティに纏わりついていた。【影】は蛇のように天使の身体を這い上がり、数秒後にはその全身を覆い尽くしていた。それからしばらくはプリンシパリティの苦悶が聞こえ、抵抗するようにのた打ち回っていたが……止まる。【影】は闇色の【卵】となり、瓦礫の中に鎮座した。
権天使が振り撒いた《聖気》の残り香は掻き消え、空気がどろりと重くなる。濃い、紫の、霧のような瘴気が立ち込め、裏通りはいつの間にか夜と変わらぬ暗さになっていた。
「パンドラ、これは……」
レイヴンの低い声に、パンドラも同様の声色で答える。
『うむ。【影】を利用した転移魔法……来るぞ。大悪魔が』
【卵】を突き破り、まず脚が出てきた。それだけでプリンシパリティの体躯に匹敵する巨大な脚は、深海魚のような粘膜に覆われ、ぬらぬらと不気味に蠢いている。それが、全部で五本。一足に三本ずつの爪のない指が地面をむんずとつかみ、【卵】から上半身を引き摺りだす。赤黒く濁った液体とともに吐き出されたのは、皮袋に筋肉の束を詰め込んだような下半身とは対照的に、あまりにも貧弱な四本の腕と、痩せた腹。痩せているとは言っても巨木のような胴回りを持つ上半身は、胸から上はしなやかな黒毛に覆われ、その上には血走った一つ眼の馬頭。頭からは何本にも枝分かれした鹿の角が、ぬんと突き出している。
中級第二位悪魔【ロステル】。その魔力でも見た目の醜悪さでも下級悪魔を遙かに凌ぐ、醜き馬頭の大悪魔である。
【ヴMOOOOオオぉ悪汚ォォォおォ!】
ロステルは馬とも鹿ともつかない咆哮を上げ、前脚を振り上げた。滴り落ちる粘液が、石畳の隙間に生える雑草を枯らしていく。
「ふん。闇夜の灯火とやらは、ケダモノも集めるのね」
『馬鹿は光に集まりたがる』
「ふん、まったくね。パンドラ、ちょっとベルトに引っ掛かっといて」
不服そうに同意したパンドラを、レイヴンはガンベルトに引っ掛けた。ロステルの【魔力】に中てられ、呼吸すらままならずに怯えている女を両手で抱きあげ、耳元に囁く。
「生きてたいなら、死ぬ気でしがみつきなさい」
「あ、う……?」
自分よりも小柄な少女の腕の中、抱え上げられた女はよく意味も分からないままに、レイヴンの首に腕をまわした。
【ヴMOOOOオオぉ悪汚ォォォおォ!】
そんな二人の背後で、ロステルは唾と粘液を撒き散らしながら、振り上げた前脚を振り下ろした。その地面に黒いシミのような【影】が急速に広がり、粘膜のぬめる前脚を、膝近くまで呑み込んだ。一瞬の間をおいて、今度はレイヴンの足もとに不自然に色の濃い【影】が広がる。
「ヒネリがないわ」
レイヴンは女を抱え、その場から飛び退いた。その直後予想通りに、【影】からロステルの前脚が凄まじい勢いで飛びだしてきた。――【影】を媒介にした
レイヴンは地面から生えた浅黒い前脚を尻目に、女を抱えたまま、裏通りを東に向かって走り出した。ロステルは【影】から前脚をずるりと引き出し、通りの家々を踏み越え・踏み潰し・瓦礫に変えながら追いかける。プリンシパリティが足の生えた屋敷なら、この大悪魔は五本脚の砦。浅黒い、躍動する、ぬるぬるした城壁の砦が、獣の嘶きを上げながら迫ってくるのだ。
【ヴMOOOOオオぉ悪汚ォォォおォ!】
ロステルが吼え、涎の垂れた馬の口から、濁った紫色の炎弾を吐きだした。ロクに狙いも付けずにバラ撒かれた呪いの炎弾は、一迅の風となって走るレイヴンに当たりはしない。数ばかり多い流れ弾が、煉瓦壁や石畳に鎚のように降り注ぎ、爆裂して、濁った火の粉を撒き散らす。
「あ、あ、あああ! やっぱり、みんな死ぬ! 死んでしまう!」
大悪魔のおぞましい姿と呪炎の爆圧に、女はレイヴンをぎゅっと抱きしめ、コートの胸に顔を埋める。レイヴンは彼女をしっかりと抱きしめて、燃え砕ける裏通りを豹のように駆け抜ける。……が、距離は一向に開いていなかった。次々と建物を砕きながら進んでいるにも関わらず、ロステルの歩幅は大きく、速度は速い。
『逃げ切れぬぞ。両手を塞いで、どう戦うつもりか』
多少呆れたような色合いのパンドラに、レイヴンはにやりと笑って答える。
「〝
『……把握した。〝ドゥルガー〟 《ライト》 リベレイション』
パンドラの表面に銀色の波動が迸り、レイヴンの姿を変えていく。髪は白金に染まり、瞳は白銀に輝く。しかし、それだけではない。輝く銀の燐光はレイヴンの下半身をも包み・凝縮し・一つのカタチを成していく。
――〝カーリーの脚甲〟。荒ぶる地母神の骨格を模したと伝えられる、骸骨鎧の下半身。古い骨のような質感の装甲はしかし、悪魔の甲殻を一蹴りで粉砕する威力と硬度を秘めている。その神骨の配置には、神々の《聖気》を呼び込む
「……シッ!」
レイヴンは稲妻の速度で振り返り、真後ろに迫っていた呪いの炎弾を蹴り上げた。脚甲に顕現した《守護光盾》が、炎弾の【魔力】と反発。弾き返された炎弾は一直線にロステルの顔面に命中し、爆裂した。ロステルは苦悶の叫びを開け、脚を止めて大きく仰け反る。悪魔に対して【魔力】の炎は効果が薄いが、爆発による衝撃は、確実にダメージを与えている。
「ゴール♪」
ウィンクを投げ、レイヴンは再び走り出す。目指すのは、裏通りの東端に屋根が見え始めた廃教会。聖職者がいなくなって久しくとも、聖域であることに変わりはない。
【グヲAAAああ唖あ嗚呼ああアア吁あァァあ亞阿アァァァ!】
怒り狂ったロステルは、口からは呪炎を吐き一つ眼からは怪光線を放ち、家屋を木の葉のように蹴散らしながら猛然と突進してくる。レイヴンは女を抱えたまま、脚甲で呪炎弾を蹴り返し光線を弾き、【影】から飛び出す腕やら脚やらを蹴り飛ばし踏み台にし、飛ぶように走り続ける。ロステルが百軒近い家屋を踏み倒し、レイヴンが数十発もの炎弾を蹴り返して、裏通りは遂に東端にたどり着いた。
「少し、静かにしてな!」
レイヴンはより一層の《聖気》を脚甲に集中させ、ひときわ大きくジャンプした。〝カーリーの脚甲〟が神骨の霊源機関を発動し、燃え盛る銀の《聖焔》が噴出する。《聖焔》の渦を体に巻きつけるように、空中で数回転。
「ぅおらあァッ!」
その勢いのままに回し蹴りを放つ。その瞬間、輝く爪先から渦巻く《聖焔》の砲弾が飛び出し、瘴気の霧を貫いて、ロステルの貧弱な上半身に直撃・炸裂した!
【MOOO悪ォォォおアァ嗚呼aaa……】
苦しみ悶えるロステルの咆哮を背に着地、待ち構える廃教会の玄関先に、石畳を擦って滑り込んだ。レイヴンは即座に爪先で床に《
「ボロくても教会、聖域よ。その印から出なきゃ、生きていられるわ」
女の顔を見ずに言いながら、撃ちこまれた炎弾を蹴り返す。流石は大悪魔と言うべきか、《聖光》の炎爆弾が直撃したにも関わらず、ロステルはもう立ち上がっていた。その胸の黒毛が猛々しく逆立ち、怒りの形相を強調している。
レイヴンは不敵な笑みを浮かべ、舞台上のモデルのようにウォーキング、ロステルの前に歩み出た。
「さぁて、ウマシカ糞野郎。あなたにはどんなプレイを楽しんでもらおうかしら。顔を踏んであげましょうか? それとも、お尻を蹴ってほしい?」
コートの裾をつつと捲り、自らの脚線美を誇示するかのように、石畳を踏みしめる。
【ヴMOOOOオオぉ悪汚ォォォおォ!】
「あ~ら、そんなトコがイイのね。でもいいの? せっかく馬並みなのに、二度と使いモノにならなくなるわよ?」
レイヴンは呆れたように肩をすくめ、ロステルに背を向けた。その背中で、白金の髪がぞわりと逆立ち、身に纏う《聖気》が波動となって砂埃を巻き上げる。そして、再び振り返ったレイヴンは、左前半身の構え、拳を中段に、腰を落とす。口の端を吊りあげて嗤い、左手でクイクイッと、挑発的に手招きした。
「かかってきな! 魚臭ェドMの駄馬野郎!」
【ヴMOOOOオオぉ悪汚ォォォおォ!】
ロステルは激怒の咆哮を上げ、特大の呪炎弾を吐きだした。レイヴンは目前に迫る濁った紫色の呪炎をサッカーボールキックで蹴り返すが、ロステルは振り上げた前脚でなんと炎弾を掴みとった。悪臭を出して燃える火球を掴んだ脚はそのままレイヴンへと振り下ろされ、叩きつけられた火球が地面で弾ける。最小限のステップでそれをかわしていたレイヴンは、舞い散る火の粉を吹き飛ばすほどの猛回転、遠心力を乗せに乗せた、猛烈な回し蹴りをその脚へ叩きこんだ。《聖焔》が爆裂、深海魚のような肌が焼け爛れ、超重量の巨体が一瞬宙に浮くが、大悪魔は怯まない。五本の脚を次から次に振り上げては、渾身の力を込めて振り下ろしてくる。
「そんなにがっつかなくても……」
杭打ち機のような踏み付けの嵐の間を駆け抜け、レイヴンはロステルの足もとへと潜り込んだ。巨体ゆえの死角――五本の脚の間、五つの股関節が集中する体中心線の真下である。砦の巨躯を支える強靭な筋肉束の真ん中に、棘のついた棍棒のような生殖器がぶら下っている。悪魔とて、魔界の生物。オスである限り鍛えようのない、絶対の弱点。
「悦ばせて、ア・ゲ・ル」
愛をこめて、ウィンク。燃え盛る《聖焔》をロケットのように噴射して、亜音速に一直線、真上に翔けあがる飛び足刀蹴り。グチャリ、と。脚甲が突き刺さり、生殖器は湿った破裂音を立てて弾け飛んだ。肉片とともに、白く汚濁した体液が辺りに飛び散り、レイヴンの顔にもブチ撒けられる。ロステルは悲鳴を上げることもできず、ただ、その一つ目が零れ落ちんばかりに目を見開いて痙攣し、がっくりと崩れ落ちるだけだった。
「どう? 一生に一度の
顔についた白濁液をこそぎ落しながら、レイヴンはロステルの痩せ細った首筋に立ち、泡を吹いて痙攣している馬頭をぐりぐりと踏み躙った。脚甲の《聖焔》がロステルの肌を焦がし、生肉の焼ける臭いが立ち昇る。
「さぁて、次はどうやってイかせてあげようかしらん」
【愚……WO亞ぇ……】
ロステルはレイヴンの靴裏に蹂躙されながら、密かに【魔力】を発動していた。裏通りを包む濃紫の霧がじわじわとレイヴンの周囲に凝縮し、雲のように密度を増す。その変化はあまりにも緩慢で、レイヴンはまだ気づいていない。
『……!? 離れろ!』
パンドラが叫んだ直後、瘴気の濃霧が大爆発を起こした。周囲の廃墟に僅かに残っていた窓硝子はすべて砕け、木製の扉も吹き飛んだ。古い屋根瓦も爆圧にめくり上げられ、砕け散る。この瀕死の大悪魔は残された【魔力】を振り絞り、微細な魔導粒子である瘴気の霧を操作して、粉塵爆発を起こしたのだ。
立ち上る爆煙の中に、ロステルの巨体がよろよろと立ちあがる。周囲の建物は瓦礫の山と化し、本来は燃えないものでさえ、魔導の炎が焼き尽くす。紫色の魔炎に照らされて、巨躯の大悪魔は勝利の咆哮を上げる。
【ゥ愚悪オォォォおおォオお雄ァあ嗚呼アぁァァァ!】
「あ~ら、やっぱりおバカさんね」
その咆哮に応える、嘲りの言葉。確信した勝利を汚され、ロステルは怒り狂ってその主を探した。……しかし、居ない。燃える瓦礫の中にも、周辺で唯一原形をとどめている教会の屋根にも、自分の身体の死角にも、気配がない。
どこだ? どこにいる? 見回した視界の端に、自分の腹が見えた。その時、ロステルが感じたのは、違和感。果たして、自分の腹はこんなにも、膨れていただろうか?
「ニッポンの
『〝ギロチン〟 《ライト》 エクスキューション!』
声がした。どこでもない、自分の腹の中からだ。ロステルが絶望的な事実に気づいたのと、同時。重なる二つの声により、避け得ぬ〝死刑〟が宣告された!
『「チェインドライヴ・エクスキューションッ!」』
膨らんだ腹を内側から喰い破り、猛然と回る聖銀の鋸刃が突き出された。残酷なる処刑鋸は激しいエンジン音を響かせながら、ロステルの身体を一周する。
胃袋を貫き肋骨を砕き、腸を引き裂き骨盤を噛み砕き、潰れた生殖器をさらに両断し、背骨を粉砕し頭蓋を割って脳髄を掻き回し、眼球を叩き割って喉を噛み千切り、鎖骨を圧し折って肺を擂り潰し――元の位置へ。
もはや断末魔すら上げられず、ただの斬り分けられた肉塊となった大悪魔は、糸が切れたように左右の瓦礫へ崩れ落ちる。そのちょうど真ん中、切断面の真下の位置に、レイヴンは降り立った。白金の髪からは悪魔の血肉が滴り落ち、左手には血肉塗れの処刑鋸。そして右手には、ロステルの体内から毟り取った【大悪魔の心臓】を握り締めている。
【心臓】は未だにビクビクと不規則に鼓動を撃ち、その度に千切れた大動脈からぴゅうぴゅうと血液を噴き出している。レイヴンが無言で力を籠めると、【心臓】は熟れ過ぎた果実のように爆ぜ、脈動する肉片と大量の鮮血、そして膨大な【魔力】を撒き散らした。それと同時、周囲の悪魔の血肉は全て、汚濁した赤黒いタールのようなものに変質し、石畳の隙間を縫って大地に浸み込んでいく。
「……これでシャワーがなかったら、最悪ね」
『それで済むか、馬鹿者が』
ぽつりとつぶやいた言葉に、パンドラが応じる。
『危ない橋だったぞ。敵の腹の中に
言葉の奥と尻尾とに、憤懣とも安堵ともつかない色合いを感じ、レイヴンの頬がふと緩む。
「ねえ、パンドラ」
『何だ』
「あたし、あなたのそういうとこ、嫌いじゃないわ」
『……何を言うか。意味不明だ』
「ふふっ。そうね」
〝ザンシュフの処刑鋸〟を格納し、鞄形態になったパンドラをぽんぽんと叩く。憤懣気味に黙り込んだパンドラを担ぎ提げ、変身を
レイヴンが廃教会に入ると、両目一杯に涙をためた女が、駆け寄ってきた。
「ちょっと、その結界から出るなって……」
女は危なっかしい足取りでレイヴンに縋りつき、血塗れなのも気にせずに手を取って、両手で握り締めた。
「……ありがとう、ございますっ……!」
そしてこの「ありがとう」である。
レイヴンは朽ち果てた天井画を熱心に観察しながら、その手を振りほどく。女の肩を押して歩かせ、《旧き印》の内側に座らせた。この空間に満ちる《聖気》のおかげか、女の頬にはだいぶ赤みが差し、瞳に光が戻っている。心の傷が癒えたわけではないだろうが、少なくとも、廃人になることだけは避けられたらしい。
「あー、なんてゆーか、その、ね」
レイヴンは女の前に座り込み、床の罅割れに視線を注ぎながら言った。
「その……その……あ、〝ありがとう〟……っての、やめてくれないかしら」
「どうして、ですか」
首を傾げる。この女は、レイヴンより年上だろうに、そういった仕草はずいぶん幼い。レイヴンは、顔の左右に一房ずつ垂らした髪を弄り、存在しない枝毛を探す。
「べ、別にあたしは、あんたを助けようなんて思ってるワケじゃないわ。天使も悪魔も、どうせあたしを殺しに来るから、相手をしているだけ。あんたを連れてきたのは――連れてきたのは、そう――そうね――」
ふわふわと視線を泳がせるレイヴンに、しばらくしてから、パンドラがタメ息交じりに言葉を続けた。
『我らの目的のため、貴様の刻印がアテになりそうだと。我が、そう言ったからだ』
「そ、そう! パンドラがね、そう言ったからよ。パンドラが。あたしたちは、あんたを利用しようとしてるだけ。だから、お礼なんて言わないでちょうだい。……役に立たなければ、明日にも。あたしはあんたを放りだすかもしれないわよ。あの薄暗い、クソ蟲どものエサ場にね」
レイヴンは意識して、声のトーンを落とした。血塗れの身体で片膝を立てて座り、クソ蟲どもを狩るときと同じ、凄みを利かせた顔で言う。その顔を目の当たりにして、女の眼から涙が零れる。
怯えろ。そう、怯えるがいい。
あたしは〝禁忌ノ娘〟。《天使》も【悪魔】も殺し尽す、〝災厄の権化〟なの……
「じゃあ、今夜は……ここで寝ても、良いんですね」
「……へ?」
予想だにしない反応に、レイヴンの表情が崩された。
「明日にもってことは、今夜は……今夜だけは、こんな安心できる場所で、眠ってしまっても……良いんですね」
「え、あ、まあ、いや、そう、だけど」
レイヴンの言葉を聞き、女の涙はぼろぼろと、堤防が崩れたかのように流れ始めた。女は、天使と悪魔の血に汚れたレイヴンの手をもう一度、両手でぎゅっと、強く握りしめ、その手にすがりつくようにして大声を上げて泣きはじめた。渇き切ったその身体の、いったいどこからそんな水分を絞りだしているのか。女の涙は、途切れることがない。
「明日、捨てられたって構いません! お礼を言わせてください……もう一度だけ、言わせてください! ありがとう……ありがとうございます!」
「だ、だ、だからそのっ。〝ありがとう〟ってのをやめなさいよ!」
どうしたらいいのかわからず、レイヴンは困り果てた表情で、パンドラ助けを求めた。しかしパンドラはむすっとした口調で、『我はもう知らん』とだけ言い、後は何も言ってはくれなかった。
(とりあえず……シャワー、ね……)
胸元が涙でびしょびしょに濡れてしまうのを感じながら、レイヴンは女が泣き止むまで、握られた手を振りほどかなかった。
魔炎に燃える瓦礫の陰から、廃教会を監視するモノたちがいた。青黒いローブ状の衣服を身に纏い、ローブの下には鎖帷子、腰には細身の片手剣を帯びている。聖職者ながら帯剣する武装神父は、この街ならば珍しくもない。
しかし、違和感がある。
二本脚で地面に立つ姿は間違えようもなく〝ヒト〟に見えるが……どこか、違う。
その原因は、何の感情も湛えない、澄み切った灰色の眼。世俗から解脱した聖人のようにも見えるが、その視線に漂わせる陰鬱な生気は、爬虫類のような、湿った厭らしさを感じさせる。そのモノたちは特に言葉を交わすでもなく、空気を振動させる羽音のような息を漏らすのみで意思疎通をし、頷き合う。
しばらくして。どうやら話がまとまったらしく、一人――あるいは一体――だけがその場に残り、残りのモノたちは闇の中へと消えていった。残った〝ヒト〟は廃教会に無感情な瞳を向け、ただ棒立ちになって監視する。
魔炎に照らされたローブの胸元に、金糸で刺繍された紋章が光る。
〝翼の生えたフラスコと蛇〟――セイラム中央大聖堂の主、カルト教団〝インジゴフラスコ教団〟の紋章である。
彼は時折、思いだしたようにローブの胸元に掌を押し付けては、非常に聞き取りにくい、蛇の鳴き声のような声で何事かを唱えていた。
「てケり・リ――テケ――リ・り――」
それは、〝ヒト〟の口で発せられたものでありながら、天使の囁きのようでもあり、悪魔の唸りのようでもある、異形の音声。それは、誰にも聞かれないままに夜闇へと吸い込まれ、溶けるように消えていった。
好きなモン詰め込みまくったカオスな感じが、自分の中の中学二年生に従って書いたことを如実に物語ってますね。
今後もこんな感じで趣味と血みどろと自己満足に塗れた内容ですが、お付き合いいただければ幸いです!