《GuuLllaaaaa―――――――――――――!》
震える空気が目視できるほどの、番犬王の咆哮。レイヴンとヴァーチャーは同時に走り出し、同時に高く跳躍した。放物線の頂点で、両者は接触。ヴァーチャーの背腕が鋭い爪を振り下ろし、呪弾がそれを撃ち返す。太い前脚の横殴りを、パンドラの角で殴り返す。ガラ空きになった胴体に迫るヴァーチャーの大口、しかしその鼻先を装甲板入りの爪先で蹴り飛ばし、レイヴンはさらに跳躍する。着地したヴァーチャーに呪弾を撃ち込むが、地面から突き出した緑青色の荊が半球状にヴァーチャーを覆い、遮られる。連射が途切れた瞬間に荊はバラけ、棘だらけの槍衾となってレイヴンに襲いかかってきた。レイヴンはその第一波を身を捻ってかわし、【魔力】を足もとに集中。より紫に近くなった燐光を散らして空中を踏みしめ、そして走り出した。レイヴンが一歩を踏み出すたび、何もない空中にネオンのような【
「銃じゃらちがあかないわね。パンドラ!」
『〝ギロチン〟 【ダーク】 リベレイション』
パンドラを両手持ちに構え、ザンシュフの処刑鋸を顕現。
《GuuOoooh―――――――――――――》
巨岩をも容易く破砕する機械鋸が、天の番犬を引き裂いた。胴のど真ん中で両断されたヴァーチャーは、自らの体重に押し潰されるように大地に倒れ伏す。その断面からは絶命してなお蠢く色とりどりの臓器が零れ落ち、粘ついた鮮血をぶちまけていた。レイヴンは血糊をぼたぼたと滴らせる処刑鋸を肩に担ぎあげ、死骸に背を向け歩き出す。
「意外に呆気なかったわね。せっかくの
『レイヴン。わかっているとは思うが、まだだぞ』
処刑鋸の中から念を押すようなパンドラに、レイヴンはウィンクで答える。
「知ってるわ」
《GuuLllaaaaa―――――――――――――!》
そして振り返りざま、アクセルを開き切った処刑鋸を横薙ぎに振り切り、飛びかかって来たヴァーチャーの上半身を横一文字に切り裂いた。上下に両断された肉塊は、少し先でべちゃりと地面に落ち、痙攣する。……が、周囲に蔓延る荊から、ぞわぞわと腕が伸びてくる。そして十秒と経たず、寄り集まった荊の束がヴァーチャーの死体を取り込み・溶け合い・変色し、白き翼ある四足獣を形作った。残されていた下半身の死体も同様の変化を遂げ、計三体のヴァーチャーがレイヴンを取り囲む。低く喉奥で唸り、じわじわと半径を狭めながら円を描く様は、よく訓練された猟犬団を想起させる。
これこそが、蔓延る《聖命》の力天使、番犬王にして神々の猟犬団たるヴァーチャーの特性。神宝を守る番犬は、それを犯す罪人を前にして何度でも蘇り、増殖し、蔓延り、荊の猟犬団へと姿を変えるのだ。
「いつもより荊が多いと思ったら、三匹も。サカっちゃってるわね」
『新月が近い上、先にあれほどの悪魔を嬲っている。力が溜まっているのだろう』
「あらあら。いくらタマってるからって、あたし、ケダモノとなんて勘弁よ」
徐々に狭まる狩りの円陣の中央、処刑鋸を地面に突き立て、思案する。以前にこいつらと戦ったときは、回復が追い付かないほどの速度で細切れにしてやった。しかし今回は、あの裁判所を覆い尽くすほどに荊が蔓延り、回復速度も速い。この大量の荊を全て同時に、回復不能なほどに殲滅する手段――神速の連撃ではなく、必殺の大火力。この区画ごと壊滅させる、非現実的なまでの破壊力。それが現実的だ。
「パンドラ、〝大佐〟を用意しといて」
『あ奴を使うか。女はどうする、巻き込んでしまうぞ』
「考えはあるわ。とりあえず今は、〝ドゥーガの鉄拳〟を」
『把握した。―― 〝ドゥルガー〟 【ダーク】 リベレイション』
流れの変わった【魔力】に反応したのか、ヴァーチャーの一体が円陣の内へ飛び込んだ。肉切り包丁のような牙が並んだ顎を一八〇度近く開き、一口に呑み込む勢いで飛びかかる。
が、しかし。その牙が、レイヴンの肌に触れることはない。代わりに顎に叩き込まれたのは、渦巻く【魔力】に装甲された拳。竜骨の霊源機関(アストラルエンジン)が鳴動する、漆黒の鉄拳。
――〝ドゥーガの鉄拳〟。黒き龍骨で装甲された、両腕の籠手。カーリーの脚甲と対になる、荒ぶる地母神の骸骨鎧。地母神の憎悪を象徴するこの籠手には、神器でありながら不吉なる【魔焱】が渦巻き、血と肉と魂の生贄を求めるという。
「ゥオラァァァッ!」
気合一声、下顎を突き上げた黒の拳に【魔焱】が収束・炸裂した。紫色の爆炎から、頭の弾ぜたヴァーチャーが吐き出され、渦巻く紫炎の尾を引いたレイヴンが飛び出してくる。地を翔ける疾駆の最中、鞄形態でコート背中の飾り帯に引っ掛けられたパンドラが告げる。
『三分、稼げ』
「遅いわ! 四〇秒で支度しな!」
叫び、背腕を振り上げて待ち構えるヴァーチャーへと、突っ込んでいく。突撃の勢いをそのまま乗せて、石畳を砕く踏み込み、鼻先へ左のステップブロー。防ごうと構えたヴァーチャーの背腕を叩き折り牙を打ち割って、口腔の中まで拳が入る。その手で舌を鷲掴み、力任せに引き抜いた。大量の血反吐とともに荊の槍を吐き出そうとした、その喉奥に右の拳を叩きこむ。収束した【魔焱】を炸裂させ、ヴァーチャーの身体は内側から弾け飛んだ。飛び散る血肉と荊の欠片の中、まだ再生途中、横腹に荊のはらわたを引き摺るヴァーチャーが跳びかかってくる。二本の背腕と太い前脚、そして牙。ハイ・ミドル・ロウのどこからでも繰り出される連撃を、受け・捌き・弾き返し、隙を見て鼻っ柱に踵を落とす。地に顎をつけたヴァーチャーに、大地を切り裂くような手刀一閃瓦割り、頭蓋を左右に両断した。刹那、背後に迫るヴァーチャーに裏拳一発、下顎を叩き割る。怯んだその背中を蹴って背後に飛び降り、まだ荊のままになっている尻尾を掴んだ。そして膂力を振り絞り、熊ほどもある巨体を持ち上げ・叩きつけ・叩きつけ・叩きつけ・振り回し、再生途中のヴァーチャーに向かってぶん投げた。ぶつかり合った二匹分の荊は、どこまでがどちらの分なのか、ぐちゃぐちゃとした半肉半荊の塊となって無秩序に蠢く。
「ハァァァ……」
レイヴンは腰を落として半身に構え、右手で大きく円を描いた。渦巻く黒紫の奔流が、全身から噴き出す【魔力】の燐光が、龍骨の鉄拳に収束する。溢れる【魔焱】が揺らめき立ち昇り、龍骨の無限魔導機関は尋常ならざる波動を放つ。――そして、一周。円を描き終えた右腕を腰に引きつけ、左足を大きく踏み込む。腰を捻り、右の拳を真後ろ以上に引き込んだ。
「……破ァッ!」
踏みしめる両足が石畳を砕き、突き出した正拳から、渦巻き轟く黒紫の大炎弾が撃ち出された。大炎弾はもぞもぞと脈打つ荊の塊に命中し爆裂、焼け焦げた荊が辺り一面に飛び散った。しかし、周囲から猟犬の咆哮が消えたのも束の間、前庭に蔓延る荊が次々と寄り集まり、今また五匹のヴァーチャーが形作られた。
「わかってたけど、キリがないわね」
この裁判所跡地を埋め尽くし、蔓延る《聖命》の荊。その全てがヴァーチャーであり、番犬王も猟犬団も、一つの戦闘単位でしかない。無論、その犬の二、三百も叩き潰せば、《聖命》の荊とて尽きるだろう。
だが今回は、そうもいかない。レイヴンは奥歯をギリと噛みしめて、裁判所屋上に鎮座する、荊の球体を見上げた。輝く《聖気》が脈を打つばかりで、中の様子は分からない。
「パンドラ、〝大佐〟はまだなの」
『あと一五』
噛みつきをサイドステップで避け、脇腹にナックル。後ろ脚を掴んで力づくで投げ飛ばし、他の猟犬に叩きつける。怯んだ所へ炎弾を投げつけ、二匹まとめて粉砕した。その爆煙の中から新たに三匹が出現し、荊の槍衾を率いて疾駆、突撃してくる。石畳を転がって回避するも、転がった先に蔓延る荊が、猟犬の顎を芽吹かせた。コートの裾を噛み千切られるが、肘を打ち込み叩き伏せる。
「パンドラっ!」
『……二、一、零。〝サ・カーネル・ジェノサイド〟、スタンディング・バイ』
「よしっ、すぐにブチ込むわよ!」
引き返してきた猟犬団と槍衾を、跳躍して回避。飛びあがった頂点で膝を抱えてくるりと回れば、すでにその両腕にドゥーガの鉄拳はなく、ただパンドラだけを手にしている。着地点に生えてきた犬頭をパンドラの底で叩き潰し、鞄の蓋を大きく開いた。
――瞬間、脳髄を強烈に吸い出されるような感覚。髪から瞳から舞い散る【魔力】が急激に減り、代わりにパンドラが黒紫に輝く。
『〝ジェノサイド〟 【ダーク】 リベレイション!』
吐き出されたのは、機械部品の大津波。一つ一つは歯車や板金、コードの束といった小さなものだが、無数のそれらが洪水のように溢れだす。黒々とした鋼の荒波が大蛇の如く渦を巻き、荊を削り、猟犬団を押し流す。前庭を水没させる勢いで氾濫しながら、機械部品たちは寄り集まり、結合し、ある一定の形を作り上げていった。
浮遊する、巨大な黒鉄髑髏の集合体。無数のパイプや金属片で連結されたそれらには、小は
――〝
レイヴンは集合体中央の、ひときわ巨大で、ひときわ邪悪な表情をした髑髏の額に悠然と座し、脚を組み頬杖をついていた。その衣装はいつの間にか、髑髏の徽章も禍々しい漆黒の軍服に変わっている。そしてその手には、デフォルメされたドクロのマークも白々しい、押しボタン式の
黒鉄の内側で沸々と滾る【魔力】のうねりに危機を察知し、《聖命》の荊は数十匹のヴァーチャーを次々と産み落とした。……が、時すでに遅し。
「
『〝ジェノサイド〟 【ダーク】 エクスキューション!』
不敵に微笑むレイヴンが、ドクロのボタンを押しこんだ。
『「フェーゲフォイアー・エクスキューションッ!」』
虐殺大佐に搭載された全ての破壊兵器が、一斉に火を噴いた。
対人地雷がベアリング弾を撒き散らし、襲いかかる荊の槍衾をバラバラに引き裂いた。連射されたグレネードが爆炎を上げ、巻き込まれた猟犬は四肢を爆風に千切り取られ、血塗れになって倒れ込む。その背中に放物線を描いて迫撃砲弾が直撃し、爆発と同時に血と肉片を撒き散らした。何匹かの猟犬は荊の盾を展開するが、降り注ぐ焼夷弾の雨に荊を焼き払われる。炎の中から焼け出され、火達磨になってもがき苦しむ猟犬の群れに
頑丈な石造りの四階建てが、そこに蔓延る《聖命》の荊が、まるで巨人の掌で毟り取られるように爆散していく。半ばヴァーチャーと融合した不安定な意識の中で、アヤは自分の手足が千切れていくような幻痛を感じながら、視覚によらない超感覚の眼でレイヴンの姿を追っていた。舞い踊るロケット弾の最中、三回りほどもサイズが大きい飛翔体があった。長い円筒の後端に尾翼を四枚、円錐形の先端部には
「……お仕置きだぜぇぇぇッ!」
レイヴンはミサイルごと、輝く荊の球体へと突っ込んでいった。
僅かな基礎部分だけを残して、裁判所の建物は崩壊していた。今ここに残っているのは、焼けた石材と死んだ《聖命》の荊のみ。小さく千切れた荊には、いまや《聖気》の欠片もなく、ただ焼け焦げ、転がっていた。
「遅かったァ……よう、ですねェ」
底の厚い、頑丈なアーミーブーツが、荊の焼け炭を踏み砕いた。灰色の瞳で裁判所跡地を睥睨するのは、身の丈二メートルを超える大男。胸元に〝翼の生えたフラスコと蛇〟を刺繍した青黒いローブは肩布がなく、筋肉で大きく盛り上がった肩から首筋が、むき出しになっている。禿げた頭には隙間なくびっしりと、聖金属製のボルト電極が根元まで突き刺さっていた。
――インジゴフラスコ教団の、武装神父。奇異な外見ながら、聖職者である。
「中級二位が情けない。……役、立た、ず、めェッ」
男は近くに落ちていた荊に唾を吐きかけ、蹴り飛ばす。男の周囲を取り囲むように三人ほど、同じ意匠のローブにフードを目深にかぶり、灰色の瞳を半開きにした武装神父たちの姿があった。彼らは手提げ式のガス
ひとしきり焼け残った荊を蹴り飛ばして気が晴れたのか、電極頭は取り巻きの一人から洋燈を奪い取り、鼻をひくつかせた。硝煙、焼ける肉、【悪魔】の血反吐、《聖気》の残り香。それら雑多な悪臭に混じって……女の匂い。
「まァ、だァ……近いようですねェ」
この魔導に犯された掃き溜めの街で、清潔な石鹸の香りをさせる女など、そうはいない。この街では女と言えば、薄汚く、淫売で、教団に捧げられる供物というだけの存在価値しか持たないのだ。
「追ォオいますよゥ! 我らが大教祖様が巫女をお待ちですからねェイ……」
電極頭は言い終わらないうちに、瓦礫を蹴り割って跳躍した。匂いの痕跡を辿り、一息に数十メートルも飛び跳ねる。取り巻きたちも遅れることなく二本の脚で、時には両手も使う爬虫類か両生類のような、しかし妙に背筋の伸びた不気味な動きで電極頭を追った。
跳ねる一団が向かう先は、公共墓地。濃くなっていく女の匂いの中に、雨の前兆らしい、湿った匂いが混じっていた。
「あ、あの……レイ、ヴン……」
未だに意識のすっきりとしないアヤにとっては、あちこちひび割れ、好き放題に雑草が生え散らかった石畳の街路を歩くのは、困難な事だった。しかもレイヴンの足取りは、そんなことなど全く意に介さないかのように、速い。それでもアヤがレイヴンに遅れないのは、レイヴンがアヤの手を引いているからである。
「わ、私、レイヴンを巻き込むわけには……」
「…………」
レイヴンはアヤに応えず顔も見せず、ただ手を引いて歩いている。アヤはパンドラに視線で問いかけたが、パンドラも何か言う気配でもなく、ただレイヴンの肩から提げられているのみ。仕方なしにアヤは、もう何度目か、レイヴンに問いかける。
「あの、どうして……どうして、私なんかを……」
「…………」
返答は、ない。レイヴンの無言に、アヤが再び口を開こうとした、その時。
「……そんなの、あたしだって知りたいわよ」
聞こえるか、聞こえないか。声になったかならないか。吹く風にすら掻き消されてしまいそうなほど微かに、レイヴンが呟いた。
「えっ、何て……?」
アヤに聞き返され、レイヴン自身もはっとした。人差し指で眉間を叩き、何かを振りきるように勢いよく、しゃべり出す。
「何が、やりたいことが残っています、よ。あんな蟲だの百足だの鳥だの犬だのって引き連れて、目的地にたどり着いてもいないじゃない。それとも何? あの胸糞悪い
「それはっ……いえ、そんな……」
萎縮するアヤに被せるように、レイヴンはしゃべり続けた。
「だいたい、巻き込みたくないとか言ってたってことは、その《刻印》があいつらを引き寄せるって知ってたんでしょ。あんたみたいな何の能力もない
「は、はい……?」
『……レイヴン』
パンドラに諌められ、レイヴンは仕方なしにその口を閉じた。それからはまた、レイヴンは黙りこみアヤは縮こまり、荒れた街路を踏みしめる音だけが続いた。
そして、数分ほども経っただろうか。
『着いたぞ』
無言のレイヴンに代わって、パンドラが言った。
目の前に広がるのは、ほぼ規則的に並んだ、ほとんど全てが同じ形の無数の墓石の群れ。十字架を形作るでもなく、ただ四角柱が地面から生えただけの、無味乾燥な墓石群。石造りの墓守小屋は丸い屋根の最上部まで蔦や苔に覆われ、来訪者が絶えて久しいことを暗示していた。ここは、身寄りや財産のない死者が公的に――そして、魔女狩りの犠牲者たちが非公式に――葬られた、公共墓地。
アヤが見上げると、レイヴンは手を離して腕を組み、そっぽを向いてしまった。
『……ここに用事があったのだろう』
レイヴンへの当てつけのように、パンドラの言葉はあからさまにタメ息混じりだった。アヤはしばらく何か言いたげに唇をもぞもぞさせていたが、二人に深々と頭を下げ、走り出した。ほんの少しだけ距離を置いて、レイヴンも歩き出す。
『我も、知りたいものだな』
「何をよ」
『言わねば分からぬか』
「……うっさい」
ふらつき、蹴躓きながら走っていたアヤが、ひとつの墓石の前で座り込んだ。苔むして、墓碑銘も瘴気に風化が進み、レイヴンの眼には他とどう区別しているのかわからなかったが、アヤに迷った様子はなかった。アヤは墓石の前に跪き、瞼を閉じて祈りを捧げる。レイヴンは少し離れて立ち止まり、倒れた墓石の上に座った。パンドラは隣に置き、足を組む。
「……レイヴン。聞いてくれませんか」
祈りの時間は意外に短く、アヤは墓石に向き合ったまま、背後のレイヴンに言った。レイヴンはただ一言、「何?」とだけ答える。か細い月は我が物顔で夜空を照らし、物言わぬ墓石たちはただ佇み、風の音さえ鼓膜を揺らす。
祈りを捧げた、たっぷりのその倍の時間は過ぎてから、アヤはぽつりと呟いた。
「私は、妹を殺しました」