「っ……!? 紫様!? その人間はどうしたのですか!!」
「あら、藍…………少し静かにしてくれるかしら? 私は今彼と話しているのだから」
「っ……分かりました、ですが……後でちゃんと説明を聞かせてもらいます」
八雲邸、八雲紫とその式神である八雲藍が住まう屋敷である。しかしその場所は誰にも分からず誰にも気付かれない場所にあると言われておりその実態は本人達にしか分からないのである。
しかし、その場所に他の者……しかも人間が入り込んでいるのだ。八雲関係無しに…………1人で、その場所に入ったのだ。
「……さて、話をまとめて見ると……貴方は先程まで家にいた、しかし何故か突然この場所に飛ばされてきた…………要点だけ言えばこの二つだけね。
けれどこの世界に入り込む為には『勝手に入り込んだ』なんて事は無いのよ。何かしら原因があってこの世界に入れる様になるのよ…………思い当たる様なこと事、あるかしら?」
八雲紫、彼女は目の前の少年に少しだけ興味を持っている。何故幻想郷に入れたのか、どうしてこの場所に飛ばされたのか……ただ幻想郷に来ただけなのなら良くある幻想郷の大結界の歪みにより飛ばされるというものだが……ここに飛ばされるという事は過去今まで一度もなかった。
当然だ、自身の能力で家の周りには特殊な空間を設けているので並大抵のものなら人妖関係なく入る事は出来無いのだ。だからこそ、興味がある。
「……別に……ただ、俺の事を知っている人が俺のこと全て忘れたら……遠くに行けるかなって……思って……」
「……そんな思いだけでここに来たのなら……相当根が深いのかしら……にしても、自分の恥ずかしい過去を忘れてほしいというのはよく聞くけれど……自分そのものを忘れてほしいだなんて思うのは初めて聞いたわ。
それだけ世の中が嫌なら……自殺、という選択肢は無かったのかしら?」
「……世の中が嫌になった訳じゃ無い、自分を取り巻く環境が嫌なだけで……つまらないと思っただけで……自分が嫌いでも人が好きな訳でもなくて…………」
目を逸らしてぶつぶつ小声で喋る彼に紫が抱いた印象は『すべてに興味がなさそう』だった。何かを嫌悪して様な目でも憎悪してる様な目でもなかった。尻尾があり、狐の耳が生えている藍を見ても何も思っていないし目の前にいる自分にも驚いている様子は無い。最初こそ驚いているのかと考えていたがそうではなく、自宅からいきなり外に飛ばされていた事に驚いたのだろう。それくらい彼の中の世界は閉ざされている。彼女はそう感じたのだ。
「……突然なんだけど彼女……藍というのだけれど彼女を見てどう思ったか聞いてもいいかしら?」
「…………尻尾があって、帽子みたいなのの中にとんがった何か……多分耳が入ってる……そう思った」
「……」
紫はやはり、とこの時確信した。自分は見た目の事じゃ無く、それを見てどう思ったかまでを聞いたのだ。
そして藍も彼のこの対応に少し腹が立ったのか少しだけしかめっ面をしていた。しかし紫はそれを気にもせずに次に何を聞こうかと扇子で口元を隠しながら考える。
「……」
何も聞かない、尋ねない。普通はいろんな事を聞こうとするはずなのにその一切が彼に無い。今まで外界から幻想郷に入ってきて自分が会った人間の数はそれこそ100人を越していたはずだがそのどれもまず場所を聞く事から始まり、妖怪に驚き、家に返してくれと叫ぶ事が多い。
いや、その中にも物好きがいてこの幻想郷に住み着く者もいるがそれでもここまで世界に無関心じゃなかった。
「……貴方って、もっと色んな事に興味を持てないの? 貴方は人間としてはあまりにも無関心過ぎるわ……かと言って妖怪でもなさそうだけれど。」
「関心が無い者にもわざわざ反応を示すくらい面白い性格してるなら良かったんですけどね」
この言葉で少し紫はカチンと来た。目の前で堂々と『あなたの存在なんてどうでもいいです』と言われている様な言葉を言われたのだ。まともな性格をしていれば人間であっても少しは頭にくるだろう。それが人間よりも感情や本能で生きている妖怪なら尚更頭にくるだろう。
「……今のは本当にそう思ってるのかしら? それともただ挑発する為だけに言ったのかしら?」
「……今のは挑発でもなんでもなく自分自身への皮肉のつもりですよ……こんな性格してるのは俺だって嫌だ……」
だがそう言っている間にも少年の表情が変わる事は一切ない。そう言えば表情が一切変わらない付喪神がいたな、と紫はとある1妖怪の事を思い出していた。実は彼は人間だと思い込み過ぎてるのと妖力が無さ過ぎるせいで他の妖怪にも存在を悟られる事無く人間と勘違いされてしまう何かしらの付喪神なのでは無いかと━━━
「(……流石に考えすぎね、いくら何でも外の世界で暮らしていける付喪神なんて聞いた事が無いもの。彼は本当に人間、なら本当に思いの力でここまで来れた……?)」
「……えっと……」
「どうしたのかしら? 何か言いたい事でもあるのかしら?」
「……トイレ、借りてもいいですか?」
トイレ、厠の事だろう。別に貸与えて減るものではないし仮にここから脱出してもこの家の周りを永久にうろちょろするだけになるのだから問題無いだろう。そう考えた紫は首を縦に振り藍に目配せをして案内を頼む。それを理解した藍は少し嫌な顔をしながらも主の言った事だと割り切り近寄ってくる。
「……私が案内する。こっちだ。」
それに少年は無言で付いて行く。厚かましい……という訳では無いだろう。厚かましいなら一々聞かずに『貸して』の一言で済ますだろうと思っているからだ。
だが謙虚という訳でも無い、少しだけ紫は混乱してくる。あの少年の性格がよく読み取れないからだ。厚かましいだけならもう少し感情表現が豊かだろう。
しかし彼は未だに淡々としているからだ。まるですべてが作業のようにこなしている1面が彼女にとっての彼の性格の闇取りを邪魔してくる。
さて、厠に行った彼は一体どういう風に行動するのだろうか。
「……」
藍は嫌悪していた、この様な男と一緒にいるのが。自身の主に生意気な口を叩いている癖に厠の要求までする厚かましい性格をしているからだ。一度痛い目を見なければ分からないのでは無いのだろうか。主の為に動くのであれば紫も分かってくれるのではないか? と少しづつ考えを巡らせていた。
主を守るのは式神の役目、ならば式神の点から見てこの男は主の敵か? 味方か? それともどちらでもない第三者か?
「(当然、敵だ。紫様を貶している時点で味方でも無いしましてや既に関わりがある時点で第三者でも無い。ならば……殺して夕食の食料にでもしてやろうか。紫様は彼に興味を持ってしまっているから多少何かしらの罰はあるだろうが……ただの人間、特別な力があってもそれを認識しようとしない時点で宝の持ち腐れだ。
よし……厠から出てきたところを殺すとしよう)」
人間のような見た目をとってはいるが八雲藍は妖狐の九尾に入れられた式神である。その気になればその爪を伸ばし彼の喉を掻き切る事など造作も無いのだ。
だが床に血を残してはいけない、だったら厠から出てきたところを殺せば血は厠に滴り、体も刻んで流す事も可能だろう。藍は既にそこまで計画していた。
「(出てきた時が……お前の最後だ、人間)」
「……」
彼は悩んでいた。後ろの女性の殺気に。藍、と呼ばれていた女性は自分に対しての殺意や嫌悪感などをこれみよがしに出していたのだ。素人で、ただの一般人である彼にもそれは理解出来た。
恐らくトイレから出た時に彼は何かしらで殺されてしまうのではないかと思っていた。
しかし方法がわからない。絞殺されるのか撲殺されるのか、それともトイレに入った後にどこからか刃物を持ってきて刺殺か斬殺か……いや、多分トイレでバラバラにされて流されるだろうしどちらにせよ切り刻まれそうだ。
だが彼は落ち着いていた。自身でも理解出来無いほどに落ち着いていたのだ。
「(何かでガードしたいけど扉じゃガード出来ないもんなぁ……何か硬い……全身を隠せる盾の様なものがあればまた変わったのかもしれないけど……)」
彼だって死にたくはないし怪我をするのも嫌だ。だったらどうするべきか、身体能力で避けれるくらい相手の動きが遅かったらそれで構わないが果たしてそんな程度で上手くいくのか。
「(
はっきり言おう、彼は藍が人外だという事にまだ気付いていない。と言うよりも彼女に対する興味を彼は一切合切持ち合わせていないのだ。無論それは紫に対しても同じ事なのだが。
「スッキリした……けど随分古い作りのトイレだな……昔のトイレとかこんな感じなんだろうけど……こんなのより和式でもいいから水洗を付けたらいいだろうに━━━」
そう言いながら彼は不用意に扉を開ける。警戒していなかった訳では無い、だが警戒していても手持ちを何も持ち合わせていない彼はどうする事も出来無いと判断していたのだ。
「っ!」
開けた瞬間に彼の前には爪が鋭く伸びた手が迫っていた。それは藍の手であり、本気は出していないが並の人間ではまず避けきれない程の速度。それに加えて完全な不意打ちだったため彼は棒立ちでそれを見つめていた。
「(……これ当たったら死にそうだな……死ぬ? 今ここで? こんな呆気なく? ……それは、それだけは……死ぬのは……嫌だ……!)」
圧倒的な死の恐怖。彼が久しぶりに出したとも言える感情。
彼には今周りの風景がスローモーションの様にゆっくりになっている。彼自身『避けられるかもしれない』と思えるくらいである。しかし、あくまでそう見えているだけで実際は速度なんて変わらない。
だが、
「っ!? 今のを避けただと……?」
攻撃を仕掛けた藍自身も驚愕した。ただの人間であるはずのこの男がどうして今のを避けれるのかと。獣の本気の速度は到底人間には反応しえない速度であり、それを不意打ちで行ったからこそ彼女は驚いていた。
だが、即座に理解し別の考えを巡らせていた。この男を殺すには今の速度では足りなかった。ならば速度をあげ、手数を上げ、反応しきれないほどの攻撃を見せてやろう。そこまでの考えを一瞬にして思い立った。
「(痛っ……!)」
対する陽の方は頭を軽くぶつけていた。避けた時の速度を止めきれずにそのまま転んでしまったのだ。
「なんで俺にこんな……?」
彼は運動というものを一般人並にしかしていない。学校への登校、授業、飯の買い出し……その程度くらいしか運動を行わない。
だからあそこまでの反射神経を身に付けている事に驚いているのだ。もしかしたら、火事場の馬鹿力という奴かもしれないが。
「くっ……!」
そして藍が戦闘態勢を取り陽の方を睨みつける。彼からしてみれば勝手に何か勘違いをして勝手に殺しに掛かっているのだからいい迷惑と思っている。
話し合う事は出来無いものかと淡々と考えていたその時━━━
「藍、貴方何をしているのかしら?」
「ゆ、紫様!?」
紫が空間の裂け目を作りそこから現れたのだ。彼と、藍の間に。しかし彼はそれでも驚かない、と言うよりもそもそも今紫が視界に入っていないのだ。自分の命をどうやって守るかだけを必死に考えていた。
「襲ってはいけないと……言っては無いけれど、私の式神は私が招いた客人に不意打ちで襲いかかる様な無礼な式神だったかしら?」
「っ! も、申し訳ございません!!」
藍は土下座して紫に詫びを入れる。しかし紫は藍の気持ちも汲んでいるため説教はこの辺りで切り上げておこうとして彼を見る。俯いて何かを考えている様だが自分に気付いているのだろうか? そんな事を考えながら紫は彼の頭に軽く触れようと手を近付ける。
「……えっと、何してるんですか?」
もしかして気付いていないのでは無いかと思っていたため気付いてた事を確認すると紫は彼に問いただそうと口を開く。
「貴方、外の世界では何をしていたのかしら? 本気じゃないとはいえ藍の攻撃を避けるなんて只者じゃないわよ」
「そんなこと言われても……外では多めに見積もっても一般人の範疇は出てませんよ……ただ……」
「ただ?」
口ごもる彼に紫は問いただす。もしかしたら何かしらの能力を秘めているのではないか、と。
「急に周りが遅く見えてきてもしかしたら避けれるかなと思って動いたら避けれたってだけで……勢い余って頭ぶつけたけど」
彼の言葉を聞いて彼女は確信する。特別な能力を持っているのだと。自身の境界を操る程度の能力と同じ類の能力。幻想郷における『程度の能力』と名付けられるそれを彼は持っているのだと。
「……本当に面白い子。
決めたわ、貴方今日からここに住みなさい」
「……え?」
「元々どこか遠くの場所に行きたかったのでしょう? なら丁度いいじゃない。
それに、貴方が言っている『周りが遅くなる』という現象も気になるし解明しないといけないのよ……とは言っても決める権利はあなたにあるわ、どうするのかしら?」
紫は真面目な顔で陽の目を見る。対する陽も紫の目を見ながら少しして口を開く。
「……決めた、貴方がいいと言うのなら俺はここに住む。どうせ戻ったところで誰も気にしないだろうし……」
「決まりね……なら、恒例でありお決まりの事をあなたに伝えましょう。『ようこそ、幻想郷へ』」
能力の解明はまだまだ先です………