「くっ……! 39、40……!」
40まで行ったところで陽は倒れる。肩で息をしながら熱っぽい頭を冷ましながら休憩へと入る。
仰向けになりながら陽は自身のトレーニングの内容を改めていた。
「腕立て目標50……スクワット50……1時間ランニング……まだ、どれも達成出来ないなぁ……」
白土に言われた言葉を未だに気にしている陽。あの月魅を憑依させる技をもっと強いものにするなら……自身を鍛え抜く他無かった。しかし、陽は筋力が特に発達している訳でも無い人間の中でもとりわけ普通のレベルである。
普通の鍛錬では足りないのではないかと陽は若干不安になりながらも自身の定めた鍛錬のノルマをクリアせんと頑張り始める。
「まーた特訓してたの?」
と、陽鬼が仰向けになった陽の上から顔をのぞき込ませた。その表情は呆れている者のそれであり、その表情に陽は若干ムッとした。
「あまり無理な運動は貴方の体を壊しかねませんよ? 今だってかなり無理していたじゃないですか」
そして月魅も陽の上から顔をのぞき込ませて陽を心配する言葉をかける。二人とも陽を心配しているのだが当の陽にはその言葉はさほど心に届かず彼はまだ休憩が終われば特訓を再開するつもりである。
「……マスター、特訓をしようとする気持ちは分かりますが慣れていない事をいきなり始めようとすると本当に体を壊してしまいます……ゆっくりとやった方が━━━」
「ゆっくりじゃあダメなんだ。間に合わずに……何かを失うくらいなら……自分の体よりも他人の命を守らないと」
月魅の説得も耳に入らず、陽は立ち上がって走り出した。それを追いかける様に陽鬼と月魅も慌てて陽を追いかける為に走り出した。
「……彼、退院してから用事がない時はいつもあぁしてますね。それ程までに勝てなかったのが悔しいのでしょうか? あそこまで勝ちにこだわる性格でも無かった様な気がしますが」
「……負けたのが悔しいんじゃない、勝てなかったのが悔しい訳でも無い……何かを守れる、強さが無い事が悔しいんじゃないかしら」
走り抜けていった陽達の方向を眺めながら紫と藍は話し合いをしていた。紫は心配したかの様に、藍は何故するのか不思議だといわんばかりに。
「強さ……ですか。しかし、陽鬼を憑依させている時は二連勝していると思うのですが……」
「藍、貴方は自分の意識がなにか別のものになっていて周りにとてつもない被害を出していて戦った事すら覚えてないのに『自分は勝った』と言えるのかしら?」
「……それは、そうですが……しかし、覚えていない事はしょうがないのでは? 一度目ならともかく二度目も覚えていないとなると最早そういうスペルカードだと、思わざるを得ない気がするんですが……」
藍が言った言葉に紫は一切表情を変えずにひたすら陽達が向かった方向を見ながら少し間を置いてから言葉を再び紡ぎ出す。
「……だからこそよ。彼は自分の命より他人の命の心配もしている。だからこそスペルカードに頼らずに自分の肉体を鍛えていってるのよ。
彼の能力じゃあ……黒空白土には勝てないって分かっているから。創造する程度の能力じゃあ勝てない、限界を無くす程度の能力でもデメリットが来てしまえば勝てないって自分で分かってしまってるのよ」
「しかし……彼は一人では何も出来ませんよ? 空を飛べない、弾幕も撃てないとなると幻想郷では戦えません」
「弾幕は所詮ごっこ遊びの延長でしかないわ……本気で殺す時は自分の獲物で殺しにいくんだもの。藍、貴方には分かるかしら? 自分に関わったばっかりに人が死んでしまった、という事を理解してしまっている者の気持ちが……」
紫の言葉に藍は気まずそうに顔を俯かせる。紫も陽が特訓を始めた時からずっとこの調子なので自身の調子も狂っているのだ。だから少しだけ話を変えようと藍は少し話題を変える事にした。
「……にしても、紫様は変わりましたね。彼を家に置いたのは妖怪を全く怖がらない、全てに興味が無い彼に興味を持ったからなのだと思っていましたが……一般人のそれと同じくらいになっている彼をまだ普通に家においていますし……」
「……言われてみればそうね。どうしてかしら……今こうやって藍に言われるまで気付かなかったし……今も彼を手放そうという気が起きないわね……何故かしら?」
「まぁ……変わっていく事は別に悪くはありませんが……何故紫様がそう変わっていってるのかは私には分かりません。内心が変わられる事が理解出来るのは自分自身だけでしょうし」
藍の言葉に紫は考え込んだ。自分自身しか変わった理由が分からないのであれば、変わっていっていた自分にすら気付かないくらい彼を気にしていたのだろうか。
そう言えば一昔前の自分なら誰かを……例え身内であっても助けるなんて事は無かった。それがこの前陽が倒れた時には彼を助けていた。妖怪の賢者、などと言われている自分が人間の様な行動をする。そこでふと思い出した。
「人間……そうね、ならちょっと適切な人間に聞いてくるわ」
「え、ちょ、紫様!?」
そう言ってすぐに紫はスキマを開いてすぐに飛び込んで閉じてしまう。あまりにも突然だったので藍にもとっさに反応が出来なかった。
しかし、その行動に藍は少しだけ自由気ままなところは変わらないと苦笑を浮かべていたのだった。
「霊夢? いるかしら霊夢〜」
「はいはい、目の前にいるじゃない。最近来てなかったけど久しぶりに来たわね。何の用かしら?」
「えっと……ちょっと色々教えて欲しい事があるのよ」
博麗神社、紫は陽が来るまでは頻繁にここを出入りしていたが陽が来てからは来ていなかった為紫としてはかなり久しぶりにここを訪れた事になる。
そして紫が言った言葉に霊夢はお茶を飲む手を止めず、一旦湯のみを置いて口の中と喉を潤してから紫に向き直る。
「あんたが教えてもらいたい事って滅多に無いわね。多分前に連れてきたあの人間絡みでしょ? 最近お熱みたいじゃない」
「陽がこの前ちょっとした事で倒れたんだけど……その時私が助けたのよ。ほら、この前あなたを呼んであの歪な結界消した時の」
「消したのはほぼあんただったけどね……にしてもあんたが人を守るねぇ……」
そう言って霊夢は少し考え込む。悪態こそ付くがなんだかんだいって紫の言った事を真剣に考えてくれる人間は彼女くらいのものである。そして何かを思い付いたのか指を鳴らして紫の額に指を当てて口を開く。
「私より……守谷のチビ神のところに行ってきなさいな。あっちの方が適任だから」
「ひゃうっ……分かったわ、聴いてきてみる。でも何で適任?」
「行けば分かるわ」
霊夢にそう言われて紫は仕方無くそのままスキマを閉じて守谷神社へと向かう。とりあえず向かってみれば適任と言われた理由も分かる様な気がしたからである。
「……居るかしら彼女」
「おや珍しい、あんたがこっちに来るなんて今日は弾幕の雨でも振りそうだ」
そして守矢神社へと辿り着いた紫。スキマを開いた直後に声が聞こえてきたが、紫の目の前にはでかい注連縄を背負った女性が立っていた。
「……八坂神奈子、洩矢諏訪子はいるかしら? ちょっと彼女に相談したい事があるのだけど……」
「諏訪子かい? 中に入ればいるよ。中で移動する事は私が許可したって言えば早苗も納得するから中を探しな」
「助かるわ。それじゃあ遠慮無く上がらせてもらうわね」
そう言いながらスキマから出て守矢神社を練り歩く紫。しばらくすると何やら話し声が聞こえてきたのでその部屋をこっそり覗く。すると諏訪子と早苗を見つけた。
とりあえず部屋の襖を軽くノックする。すると即座に向こう側から声が聞こえてくる。
「はーい、神奈子じゃないね……誰かな?」
「私よ、八雲紫よ。今日は洩矢諏訪子……貴方の方に用事があるのよ」
そして襖が開かれると心底不思議そうな顔をしている諏訪子。心配なのか不安そうな顔になっている早苗。まぁ自分がいきなり訪ねてきたらおかしいか、と自嘲しながら早苗を無視して本題に入る。
「最近預かった子……貴方達にも見せたあの子、陽の事なんだけど……」
「早苗の許嫁がどうかしたんだい?」
「ちょ、諏訪子様!?」
ニヤニヤとしながら紫に尋ねる諏訪子。明らかに楽しんでいる者の目をしている為あからさまな挑発だと気付いたので茶化すな、と目線で伝える。
「おぉ、怖い怖い。冗談だってば。
それで? あの子の事で相談……多分博麗の巫女辺りからそう聞かされたかな? あんたは人間絡みの事で助けを呼ぶならまずは博麗の巫女に助けを呼ぶだろうしねぇ」
「うっ……まぁいいわ。それで、本題なんだけど━━━」
正しくその通りなので紫は何も言い返せなかったがそんな事は本題には関係無い。紫はそのまま無視して事情を説明し始めた。
説明しながら紫は諏訪子が茶化さなくなっている事に気付いたのだ。そして、説明をし終わって数秒間が空いてから諏訪子は口を開ける。
「……ふむふむ、それって愛なんじゃないの? 私にはよーく分かる」
「……愛? 私が元々は血も涙も無い冷血な女だとでも思っていたのかしら?」
「そうじゃないよ。あんたが式神達に向ける愛情と彼に向けている愛情は別なんだよ。強いて言うならそうだねぇ……うん、『恋』と言った方が伝わるかな?」
諏訪子のその言葉に紫はキョトンとした。故意? 鯉? いいや違う、恋だ。紫は頭の中で反復しながら冷静に考える。
「……でも、恋だったら胸がドキドキしたり〜みたいな事があると思うのだけど。見てたら意識してしまうとか……そういうのじゃないの?」
「だから私は最初に『愛』って言ったんだよ。それに、その考えは人間のそれだ。よく外の世界に出たり入ったりしてるって噂のあんたがそういうって事は大方漫画やアニメにでも毒されたのかな?
でも残念、妖怪……というより人外は恋をすれば人間みたいな事は起きない。自分より弱い人間を好きになって守りたくなってしまうもんなのさ。神様でさえそうなんだ、壊したり潰す事が本能であるかの様な妖怪はとりわけ好きになった時の守りたくなる気持ちは強いだろうね。
あんた、自分の式神がピンチの時助けるだろ? けど明らかに彼と助け方が違うかったんじゃないのかい?」
諏訪子の言葉が紫の頭の中で反復していた。確かに守りたいと思ったし藍や橙達が危機に陥った時は大体スキマで回収して相手に適当なものを落とす。前までそうしてきていた。けれどそれだけではまだ判断が付きづらい。
「……だったら家の藍は橙に過保護だけどあれもそういう恋慕の感情なのかしら? 橙は藍より弱いし藍は橙が危機に陥ったら私自ら助けに行くわ」
「それはただの過保護さ。自分で出来る事は自分でさせても無いんじゃないのかい? 私らのそれはそんな過保護とは違うよ。
相手の好きな様にさせて怪我をすれば心配して、相手が誰かと戦っているなら相手と戦っている奴をぶちのめしたくなる。そして……たまに何かして上げたくなる、あんたの持っているのはそういう感情さ」
「そういう……感情……」
紫は一つ一つゆっくりと記憶を振り返っていく。陽が最初に白土と戦った時はそう言えば自分が布団に運んだ。
陽鬼を見付けた時は彼の言う通りに永遠亭までのスキマを繋げた。その時連絡用の式神を渡しておいたし陽鬼の名前を決める時は彼がいずれ自分の様に狙われてしまうのではないか、それに彼一人に誰かの一生を台無しにさせるだけの覚悟があるのかも聞いたりした。
そう言えば前にお粥を作った時は藍に任せずに強がってしまって結局失敗していつか彼にお粥の作り方を教わるように約束もしていた。
藍からは教わる気も無かったのに、である。
「どうだい? 思い当たる節はいっぱいあるんじゃないのかい? にしてもあの八雲紫に好きな男が出来るとはね〜前途多難だねぇ、早苗」
「だから私はそういうのじゃないですって!!」
そして今まで黙っていた早苗に話を振る諏訪子。しかしこれだけ言われてもまだ紫は自身の気持ちが恋だなんだというものじゃないのではないかという気持ちがある。
「……なんだか、まだ良く分からないわ。というより、貴方好きな人いたの?」
「……うん、いたよ。
あ、早苗……お茶っ葉切れたから買ってきて? 変えのやつもう無かったし」
「あれ、そうでしたっけ……なら買ってきます」
そう言って早苗は部屋から出ていく。廊下を走る足音が聞こえなくなったところで諏訪子がまた口を開く。
「……好きな人はいたし子供もいたよ。その子供が子をなしたところも見たしさらにその子が子をなしたところも見た。ようやく今の代になって神の力が落ち着いてきてるのさ。じゃないと信仰が足りなくて消えちゃう可能性もあるから……」
「……東風谷早苗、彼女がそうなのね。薄々感付いてはいたけれど」
「……うん、けれど早苗には黙っておいてね?」
紫は無言で頷いた。そして再び立ち上がる。もうここには用がない為、帰ろうとしたのだ。しかし、それを諏訪子が止める。
「まだ気になるって言うなら聖徳太子のところ行ってみたら? あそこに邪仙って言うのがいたと思うけど彼女も似た様なもんだし」
紫はその言葉を信じて、またスキマを開く。この感情が何なのか……ちゃんと確認する為に。