彼は気づけば暗い所にいた。どうにも現実味が沸かないくらいに真っ暗な空間。しかし光源が無いという訳ではなく、彼自身の姿はその目でしっかりと確認出来た。彼は辺りを見回す、当然何も見つからない。
自分は何をしていたのだろう……あの鬼の女の子を見つけて……一旦戻ってきて……それからどうしたんだったか━━━
『━━━お前を殺す』
声が響く、気付けばすぐ側には先日彼を殺そうとした昔なじみが居た。彼はその姿を見かけた途端まったく正反対の方向に全力で走り出す。彼は今の奴には勝てない、戦ったら殺されると認識しているからだ。
しかし離れられない。どれだけ全力で走っても彼は奴との距離を離せない。それどころか奴が1歩ずつ踏みしめる度に近付かれていく。
何故自分が殺されるのか、何故理由を話さないのか。何も分からないまま彼はがむしゃらに走り続ける。
しかしどれだけ走ろうとも彼は簡単に捕えられてしまう、服を掴まれ木の葉のごとく放り投げられる。
背中に激痛が走る。そしていつの間にか振り返っていて目の前にいた奴は一切の躊躇無く手に持っていたナイフを彼の心臓に突き立てようとして振り下ろす。
「━━━ああああああああ!!」
彼は叫んだ、大声で。恐怖を振り払いつつ自分を鼓舞して奴の一撃が当たる前にその腕を全力で握り潰す。嫌な音が響く。しかしその音は自分からではない、握り潰した奴の腕からだ。
『ぐっ!?』
奴は怯んだ。彼は何かに取り憑かれた様に奴に対する攻撃の手を緩めようとはしなかった。
拳が熱い、その熱はかなり高温に感じるのに自分の拳は焼けるような痛みが来ない。彼は奴にめがけて1発顔面に御見舞した。
先ほどとは別の嫌な音が響く。まるで熱した鉄板に置いた肉の様な音。それはつまり勢いよく何かが焼ける様な音。
『ぎゃぁぁぁぁぁぁあああ!!』
悲鳴が響き渡る。奴は本当にこんな声を出すのか、と彼はこの場に置いて見当違いで場違いな疑問を冷静に抱いていた。
だが、焼けるだけでは済まなかった。奴の殴ったところが突然発火したのだ。
そしてその炎はすぐに奴の体全身に周り、奴は炎でのたうち回っていた。だがその動きもすぐに止まった。そして
『オマエ……ヴァ……ヒト、ゴロシ…………ヅァ………………』
呂律の回らない舌で奴は一言一言話す。そして焦げた部分がまるでゆで卵の殻のようにボロボロと崩れ落ちていき、その中身が晒される。
「……俺……!?」
『お前は殺されるべきだった。あの場で死ななかったからこそ厄介な力を手に入れる。手に入れ過ぎた力ほど醜いものは無い』
そう言いながらもう一人の彼は彼自身の腕の前に手を伸ばして━━━
「うわああああああああああああ!? はぁ……はぁ……夢……?」
夢から目覚めた陽は辺りを見渡す。そこは八雲邸に用意された自室であり、今は夜であった。寝ていたのだからある意味当然といえば当然なのだが。
「……しばらく、歩くか。」
起き上がった陽は汗でぐっしょり濡れた自身の寝間着を脱ぎ捨てて新しい服に着替える。汗で濡れたままだといけないから体を拭いてから着替える。
着替え終わった彼は縁側に座って夜空の月を眺めている。歩こうと立ち上がって踏み出したはいいものの、足元がふらついてしまい今はまともに歩けないと判断しての事だった。
「…………」
陽は拳を握っては開き握っては開きを繰り返す。先程の夢の事が鮮明に思い出すからだ。奴……白土の腕をへし折り、殴り飛ばし、奴を燃やしたあの感覚や記憶の殆どが鮮明に思い出される。
「何で……あんな……」
殴り飛ばすまでは分かる。しかし何故殴った途端燃え出したのか。彼はそれが何かの暗示の様に思えてしょうがなかった。夢というものにここまで真剣に考えててもしょうがないと彼自身も頭では理解している。
だが、心が納得できるかと言われればNOと即答で今の彼は答えるだろう。何せここは幻想郷、外の世界の常識というものがあってないような世界なのだから……
「物凄い大きな声が聞こえてきたと思ったら……随分と顔が真っ青になってるな。嫌な夢でも見た、と言ったところか」
そんな彼に声をかける人物が1人。金色の髪を有し、生えている9本の尻尾も髪と同じ色の狐の妖怪の式。八雲藍だ。
彼女は彼の横には座らず立ったまま彼に話しかけていた。そして今も座る様子はない。
「……よく、分かりましたね」
「私はこういうのには敏感だからな。しかし……とんでもない夢を見たみたいだな。私としてはどうでもいいが」
陽はその言葉はあからさまな嘘だと分かっていた。そもそも藍は少しだけ微笑んでいたのだ。まぁ自分は嫌われているのだから当たり前か、と割り切ったのだが。
「……私は他人の不幸は蜜の味と思っている女では無いからな。大概お前は表情に出るな……嘘を吐くのが下手というよりかは本音が表情に出てしまうタイプか。
私が笑っているのはお前が一応人間らしい感情はあったんだなという事だからだ。仏頂面が気に食わなかったが……なるほど、悪夢にうなされる程その白土とか言う人間を恐怖してしまったか、生物らしい感情が出てきたせいで見る様になったのかは定かではないが一応お前も『人間だった』という訳だ」
そう言ってようやく藍は陽の横に座る。服は当たり前だが寝巻きである。着物である事以外はいつも被ってる帽子は外しているようでその金色の毛の耳が月明かりによって照らされて輝いて見える。
「……それじゃあ今まで俺の事は何と思ってたんですか」
「一言で言えば人形。魔法の森に住む魔法使いが使う人形の様に言われた事をこなすだけの人形だな。
そんなつまらない存在に紫様が興味を持った事が私が今まで味わった中で一番の屈辱だったよ。どうしてお前みたいな全てがつまらないと思っている様なやつに興味を示されるのかと」
二人は顔を合わせずに会話を続ける。かなりの事を言われている陽だが、全てが事実だと納得して静かに藍の言う事を聞いていた。
藍もまた、頭ごなしに文句を言うのではなくただ印象に残った事を伝えているにすぎなかった。
「……強くなるには、どうしたらいいんでしょうね」
「ほう? 強くなろうと感じているのか。それは……自分が負けてそれの屈辱を払拭するためか? それとも紫様にいいところを見せたいが為か? 単純にそいつが邪魔に思ったからか? 私を見返してやりたいと思ったからか?」
「……それは……」
まくしたてる様に言う藍に陽は考えた。今、どうして自分は強くなろうと思ったのだろうと。理由は分からない、けれど何故かとても強くならないといけなくなる様な気がしたのだ。
「……強さを求めるには、何かを捨てないといけない。例え戦闘の天才であっても何かしら別のものを失わないといけない。
……少しだけ話をしようか。あるところにありとあらゆる物事においてなんでもできて、見た目も性格も全てにおいて一番の人物がいた……だがそんな人物でも捨てたものがあった。その人物はどんな世界であってもそれが
「……その、捨てたものって……?」
「……人間関係さ。何かを上手く出来れば出来るほど尊敬と嫉妬が出てくる。性格が悪ければ嫉妬だけが残り孤立し、性格が良ければ尊敬だけが残り皆から一歩引かれる存在となる。
例え聖人君子であったとしても……いや、聖人であればある程敬われていき、崇められて、友人がいなくなる。
その人物は……何でもできて、誰からも負の感情を持たれる事がなかった故に孤立していた。
そうして彼は自ら命を絶った……妖怪であっても人間であっても……誰かに関わって無いと何も面白くなくなってくるからな。まるでついこの間のお前みたいにな。交友関係とは……いや、心から話し合える様な人物と関わってないと世界は全てつまらなくなってしまうんだよ」
陽は思った。そういえば自分は親と関わりが無くなった辺りから話し合える様な人物も減っていっていた様に思える、と。
親と関わらなくなり、友と呼べる人物との関わりも無くなっていき残ったのは自分1人だった。もしかしたら白土は友と呼べる人物だったんじゃないかと思えるが今となっては自分の命を狙う敵の様なものだ。
「……力というものは良くも悪くも感情が関係してくる。感情を無くすか感情を基盤にするか。感情を基盤にするのなら誰かを守るという感情を元に強くなるか自己満足の為に強くなるか……そうやって細分化されていく。
感情を殺せば誰かを殺すのに躊躇が無くなる代わりに孤独を選ぶ事になる。感情があれば爆発力がある分波も大きいし殺せない人物が出てくる事もある。要するに『甘い奴』になる訳だ」
「甘い奴……」
「だがお前の根底は、その『甘い奴』なんだ。初めてお前と会って2人きりになった時に殺そうとした時、白土という奴に殺されかかった時……どちらも死への『恐怖』がお前のその二つの能力を目覚めさせた。
別に今から感情を殺して冷徹な人形になるのもいいだろう、だが本当に感情を全て殺せる人間が……妖怪がいるのだとしたら私は知りたいくらいだ」
そう言いながら月を仰ぎ見る藍の顔はどこか遠くを見る様な、そんな表情だと言う事に少しだけ陽は気付いていた。
だが彼女がどうしてそんな表情を取るのか、何故そこまで感情論に拘るのかまでは予測もできない。
しかし陽はこの言葉を……今話しているこれらの会話を絶対に忘れない様にと密かに心の中で誓ったのだった。
「根底は甘い奴のお前が……どうしたら根底の基盤となる『感情』を上手く扱えるようになるか……今はまだ不慣れなだけだ、お前自身はまだ感情の扱いに振り回されている。だから分かり易い表情を取ってしまう。
強くなりたいのなら……感情に振り回される事無く、感情を上手く扱って戦える様にしないとな」
「は、はい」
「さて……少し話し込みすぎたか。私はそろそろ寝直すとしよう、お前も早く寝る事だな。
……あぁ、あとそれともう私の事は呼び捨てで敬語も使わなくていい。紫様には対等に話し合っているのに私には敬語ではよく分からない立ち位置になっているからな……あまり気負う事はするなよ、陽」
「っ! あ、あぁ!!」
この時から、藍の睨みは無くなった。最初の頃は紫も不審に思っていたが2人の様子を見ている限りでは安心だと思って放置を決め込む事にしたのだ。
そして、その日から3日ほど経過したある日━━━
「……陽、あの子が起きたみたいよ。今すぐ様子を見に行きましょうか」
「本当か!? 行く!!」
永琳からの連絡により例の鬼の少女が目覚めたと報告があった。陽達は急いで身支度を済ませてから紫のスキマを通って永遠亭に向かった。
着いた目の前には既に永琳が立っていて紫と少しだけ話した後、奥の病室に向かう事となった。
「…………誰?」
そして、病室には虚ろな目をしてこちらを見ている少女がいた。少しだけ頭をフラフラさせているのは眠いからなのだろうか、と陽は思った。
「私達は貴方を助けてくれたこの子……月風陽と一緒に住んでる者よ。少しだけお話しをしたいのだけれどいいかしら?」
そう言いながら紫は軽く陽の背中を押して一歩前に前進させる。少女は陽の顔をじーっと見つめていた。そしてしばらく見つめると視線を離す。
「月風……陽……うん、分かった……それと、お話しは……別にいいけど……その前に━━━」
「その前に?」
「……お腹空いた、それもすっごく。肉と酒と……米が食べたい」
一瞬、ここにいた全員の目が丸くなった。が、すぐに微笑み直した後永琳がカルテの様なもので軽く少女の頭を抑える様にしてこう言う。
「駄目よ、今の貴方が食べる事が許されてるのはお粥だけ……酒や肉なんかはまだ胃が受け付けないんだから論外よ。
食べた後に全部吐き出す覚悟があるんだったら食べても構わないけど?」
「……吐くのは、ちょっと嫌だなぁ……」
定まってない視線で頭をフラフラさせているけど大丈夫なのだろうか。
3日ほど寝てたんだしあれだけ疲弊しているのは当たり前だとは思うが食への執着はどうやらあるようだ。と他人事の様に感じている陽がいた。
「ならお粥で我慢しなさい。体調に問題は無さそうだしあなたの回復力ならあと2日もあれば今言ったもの全部食べれるわよ。
それと、一つ聞きたいのだけれどあなた帰るところあるのかしら? 無い様なら彼女達に引き取ってもらうのも一つの手よ?」
永琳がそう伝えると少女の視線がまた陽をじっと見始める。陽も彼女と目を合わせる様にして視線を向ける。しばらく彼女と彼が見つめ合うと━━━
「……帰るところ無いから行く」
「それじゃあ決まりね。陽は引き取る気満々だったからちょうど良かったわ……それで、あなたの名前は?」
引き取る事にした紫達は少女に名前を尋ねる。彼女はしばらく視線を落として考えていたが少しだけしてから視線をあげてこう言った。
「……忘れた。名前、忘れた」
そしてまた全員の目が丸くなった。どうやら彼女を引き取るのはかなり苦労する事になりそうだ、と陽は内心苦笑していたのだった。
まだしばらく彼女の話題を引っ張ります。