私は払っています(半ギレ)


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この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません


ジジイ vs N○K ~テレビ持ってねえって言ってんだろ~

 【木枯らしが吹き抜ける。

 コートを着た部活帰りの女学生がまるで後ろめたい物から目を逸らすように襟を立てた。

 これからの時期、どんどんと冷え込んで一人暮らしの老人にはキツイ季節に入っていくだろう。

 

「……いるな」

 駅から徒歩30分以上、築35年、家賃は月3万のアパート『ハイツヤマダ』の103号室。

 この部屋を尋ねるのが習慣になったのはいつからだろう。いつからここに通い始めたのだろう。

 そんなに大事なことだとは思っていなかったからほとんど記憶に残っていなかった。

 中から『テレビの音』が聞こえてくるのを確認し、ネクタイを絞めて覚悟を決めてノックをする。

 

「高柳さぁーん! いるんでしょ!? N〇Kです!!」

 

「テレビ持ってねえって言ってんだろ!? フォルァアアアアア!!」

 

「高柳さん……頼みますよ……」

 高柳大悟(68)。尋ねるたびに『テレビを持っていない』と主張するが、ふすまを締めた奥の部屋からはいつもテレビの音が響く。

 分かっているよ。年金暮らしの老人から更に金を搾り取る様な真似なんかしてどうなるんだ。もっと金を取るべき場所はあるし、学生時代は自分だって払わなかったよ。

 言い分は分かるけど、それは自分の領分を超えた話なんだよ。勝手に国が決めているんだよ。

 

 ――ことの起こりは半年前に遡る。インターネットの普及、テレビ人口の減少。日本国放送協会――N〇Kの経営も怪しくなった。

 インターネットに負けないように刹那的で過激な番組や内容を他のチャンネルが放送する中、あくまで公共のお堅い放送局としてN〇Kが取った方法は『受信料の強制徴収』というとんでもない悪手だった。 

 民事裁判により、テレビを持っているのに持っていないと言い張り払わなかった者に対しての差し押さえを実行したのだ。もちろん民事だから前科になることなどはないし、前例もなかった訳でも無い。

 だが、国がそれを促したのか、何かの力を働かせたのかは分からないが他の放送局、新聞、メディアなどでもその国営ヤクザぶりは取りあげられて『払わなければ大変なことになる』という意識を国民に植え付けたのだ。

 

『後手 1五歩』

 

「おっ。端歩を突きやがった。こいつは見逃せねえ。じゃあな!」

 バターン、と力強く扉が閉められてボロアパートが揺れる。

 

(このジジイ、……N〇K杯見てやがる)

 そこまで詳しいわけでは無いが、この時間帯の今の声は間違いなくN〇Kで放送している将棋の中継だ。

 それでもテレビを持ってないと言い張るなんて、どういう神経をしているんだ。それからは何回ノックしても出てこなかった。

 

 

************************

 

 

「ああああ!! 見てねーなら分かるけど、見てんなら払えよジジィ!! がっつり見てんだろうが!!」

 飲み干したコーヒーの缶を何度も踏みつける。夜の公園に音が響き渡り、落ち葉がスーツに引っかかる。

 こういう状況で苦労するのはいつも板挟みになる自分達の様な職員だ。国やN〇Kが取った方法が悪いのは分かっている。

 だが、払いたくない相手にまで払わせろなんて命令を出すだけの連中には現場の苦労など何も分かるまい。

 

「クソジジィ……」

 もちろん民事訴訟を起こせるのは契約している相手にだけだ。契約していない相手に対しては風当たりが強くなっただけで、何一つ強制する権利は持たない。

 匿名掲示板などでN〇K職員が毎日必死で自作自演のスレッドを立てて『未契約者は非国民』などと書きこんで貶めているが。

 だが、ややこしいことにあの家は三年前まで契約していたという。それが突然テレビは持っていないと喚きだしたのだ。

 督促状は以前の担当者の時から無視し続けている。それも三年以上だ。そろそろ訴訟になってもおかしく無い。あんな枯れ木のようなハゲた老人からカスのような金を絞り取るために訴訟――馬鹿げている。

 だがあの老人の言っていることも筋が通らないことなので、結局粘るのは自分しかない。せめて契約していなかったら中からテレビの音が響いてようが、窓からテレビが見えようが『そうですか』で終わったのに。

 

「……無駄遣いしちまった」

 東京で一人暮らししていると、缶コーヒーですらも高い。

 金を溜める目的ならある。貯金が500万を超えたら大学生の頃から付き合ってきた彼女にプロポーズするつもりなのだ。

 

 

*************************

 

 

「別れてほしいの」

 

「えっ」

 そのプロポーズしようと思っていた彼女から一番聞きたくない部類の言葉が出てきた。

 恋人同士が言い合うからんころんとした冗談かと思って顔を見るも、まるで氷を削って作ったかのように冷静な顔だ。

 今の言葉を聞いていたのが、隣でちびちびと升酒を飲んでいたハゲオヤジが聞き耳を立てているのが分かった。

 

「時々会ってくれたかと思ったら、こんな洒落っ気も何も無いダサい店でご飯なんて。若い時間ももう残り少ないし」

 

「ち、ちがう……俺、今ちょき、贅沢しないで」

 

「夢見る時間もそろそろ終わりよね。あなたのことは好きだったけど、未来が感じられないわ。覇気も無くなった気がするし」

 

「ちょきん……」

 ズバズバと気にしていた事だけを的確に抉る様な言葉をぶつけてくる。

 そんな相手などいないのに、助けを求めるように周りを見るが、酒を飲んで顔を赤くしたオヤジと目が合っただけだった。

 未来が感じられないと、そんなことは分かっているからせめて貯金していたのに。二人の未来の為に。

 だがそう言い訳する気力も無くなってしまったのは、彼女の刃の様な言葉から感じられてしまったからだろう。

 つまり、彼女はもう、泣きたいときや苦しい時に甘えられる女性じゃなくなったということに。

 

(あれ……)

 そこまで考えて気が付いた。『それでも俺は君にそばにいてほしいんだ!!』と物語の主人公なら声をあげるだろうに。

 彼女の言葉に静かに納得して――なんということだろう、既にどこかで諦めてしまっているのだ。

 自分は本当に彼女が好きだったんだろうか?

 貯金をしていたのも、その為に働いて、なんとか生きてきたのも、彼女を理由にしていた気がする。

 好きだからでは無くとりあえず生きる理由を彼女にして、心の奥に閉まっていたのではないか。

 

「さよなら」

 

「あっ」

 腕時計をチラリと見てから席を立った彼女は足早に『ダサい店』を後にしていく。

 ここで追いかけないのが『彼女はただのいろんな理由の楔で、好きじゃなかった』証拠なのかもしれない。

 なんせ情熱が無い。今考えているのは、明日からどうやって頑張って働こうかという――理由探しだった。

 

「追いかけないのぉ?」

 

「えっ、なんです」

 隣の酒臭いオヤジが帽子をいじくりながら突然声をかけてきた。

 いや、大きなお世話だよ。

 

「よくあるじゃん。ここで突き離して自分への愛情を確かめようとする面倒くさい女。そういう思いを汲んでやるのが男の仕事だぜ」

 

「あっ、ありがとうハg……おじさん」

 そうだ。例え情熱がなくとも、とりあえず彼女は自分が日々生きる理由ではあった。

 週に一回の食事は楽しみだったんだ、それは嘘じゃない。荷物は見といてやるから、というオヤジの言葉をありがたく貰って店の外に走り出す。

 まだ一分も経っていないから店のすぐ近くにいるはずだ。

 

 

 彼女はすぐに見つかった。

 だが『その人』が彼女だとはすぐには分からなかった。

 彼女の姿が見分けられなかったとか、そういう愛情不足から起因する理由では無い。

 

 

「なんだ……最初からフるつもりだったんだ……ならそう言えよ……」

 それが彼女だと分からなかったのは、夜の街を歩くカップルと完全に同化していたからだ。

 自分よりも一回り以上背が高く、高級そうな腕時計を付けた男と腕を組んで彼女は歩いていた。やたら腕時計を見ていたのはこの男のことを待っていたからか。

 なんだか怒る気力にもなれない。鼻の頭をコリコリと掻きながら居酒屋の看板をぼんやり眺める。

 彼女にとっても自分は理由――なんとなく付き合っていた存在だったのだ、無条件に何に替えても求めたい存在では無かったという事だ。

 簡単な現実によって切り離される消耗品。一週間の仕事疲れが胃に重くのしかかってきたのを感じながらとぼとぼと店に戻った。

 

 

 

 

***************************

 

「ん、なんだ、いつもと違うな……死にそうな顔しているぞ兄ちゃん」

 

「えぇ?」

 老人――高柳の意外なまでの観察力と、『いつも』という言葉が通じてしまう程に出来上がってしまった長い付き合いに驚く。

 そんなにここに来ているのか。繰り返す日々を送る自分にも、全く頭を縦に振らないこの老人にも呆れたものだ。

 

「どれ、上がっていきなさい」

 

「いや、そんな」

 

「ぶっ倒れちゃ仕事も出来んぞ」

 

「はぁ……」

 枯れ木のような老人という感想にたがわず、まるで枝のように細い腕に引かれて玄関に上がる。

 相変わらずふすまの奥からはテレビの音が聞こえてくる。テレビの音以外は静かな家。

 台所兼玄関にはいつから置かれているのかも分からない色褪せた段ボールが置いてあり、典型的な寂しい老人の家と言った感じだ。

 今はもういないおばあちゃんの家の匂いがしたような気がして、感傷を抑えるように目を背けたら黄ばんだドアがついた小さなトイレが目に入った。

 

「ほら、飲むといい」

 やかんを沸かして何を作ったのかと思えばそれは温かいそば茶だった。

 今が寒い時期だということをおいといても、今の心境で見たそのそば茶はとても美味しそうだった。

 

「すいません、いただきます」

 口から喉を優しく温めて胃に落ちたそば茶は、キリキリ痛んでいたはずの底を癒していく。

 こんな年寄り臭いものが今は何よりもありがたい。

 

「女にでもフられたか? ん?」

 

「…………」

 いきなり図星だが、こういう年寄りは概して若い者の恋愛事情に首を突っ込みたがるものだ。

 自分の顔に書いてあったのではなく、そういうことなのだろうと思い込む。

 

「深くは聞かんよ。そりゃフられる。ワシも若い頃はそうだった。だが……。いや、なんでもない」

 

「へ?」

 フられたけどなんだ。そこからいい女を見つけたとか、若い自分はエラいモテたとかそんな話に繋がるんじゃないのか。

 

「兄ちゃん、大学は出たのかい。どこを出た」

 

「……晩稲大学ですけど」

 

「ほー、そりゃえがったもんだ」

 

(なんも良く無いんだよ)

 教育熱心な親に厳しく育てられて、中学も塾で勉強を詰め込まれて、いい高校に入った。

 そして指定校推薦で有名な大学には入れたものの、その果てが今の自分だ。長い間何かに打ち込んで手に入れた物なんか何も無い、よく考えたら。

 情熱も無い。結果が何も無い。ただとりあえず生きてきただけだ。彼女にもフられた。同期たちは今何をしているかも知らない、知りたくも無い。

 良い大学を出たところで本人に熱意が無ければこんなもんだ。

 

「それでN〇Kの職員だろう? 立派なもんだ」

 

(何も知らないんだな……)

 中学の同級生や親にはそうやって説明しているし、事実インターホンに向かって『N〇Kです』と言っているが本当はN○Kの職員では無い。

 N〇Kから集金という仕事を請け負った会社の雇われであり正規社員では無い。もっと悪く言えば、問題を起こしたら即座に切られるトカゲの尻尾だ。

 年収は悪く無いが、そんな状況の悪さは本人たちが何よりも分かっているし、こんなご時世だから一般人には蛇蝎の如く嫌われている。

 なんと離職率は50%越えという超ブラック企業だ。それでも食べていけることに感謝して脚に鞭打って次の家、次の家と行かなければならない。

 

「しかも根気よくうちに来て……」

 

「そう言うならあちらの部屋を見せてください。テレビあるでしょう」

 

「それはいかん。ワシの人生に賭けて向こうの部屋は見せん」

 

 結局その後、二十分ほど中身のない話をして部屋を出た。

 老人、高柳がまた来いと言っていたのを聞いて考え込む。

 

(……もうやめようかなと思っているんだよ)

 生きる理由がない。それは大げさだとしても、こんなキツイ仕事を頑張る理由がないのだ。

 彼女もいなくなった今、週四日のコンビニバイトでもして適当に生きた方が気楽だ。

 

「――あのぉ~」

 

「っ! はい!? なんでしょう?」

 アパートの前でぼーっとしていたのが不審者にでも見えたのか、初老の女性が声をかけてくる。

 

「よくこちらにいらっしゃるけど……高柳さんとどういった関係ですか?」

 

「え? すいません、あの、失礼ですがどちら様ですか?」

 

「山田です。大家です」

 

「あ、そうですか――」

 これはいけない。とてもマズイ態度をとってしまった。円滑に話を進めるためにも大家とは親しくしておくに越したことが無い。

 そう判断して丁寧に自己紹介をする。

 

「そう……N〇Kの……三年前から、ですか」

 

「ええ」

 別にそんな特別なことを言ったつもりはないのだが、山田は何か思うところがあるかのように痩せこけた頬に手を当てる。

 

「高柳さんね……三年前に、奥さんと息子さんを亡くしていらっしゃるの」

 

「え?」

 

「交通事故でね。それで塞ぎこんじゃって家にこもりがちになったんだけど……すごく真面目な人だったから、引きこもりだしてからの姿はとてもじゃないけど見ていられなかったわ」

 

「…………」

 

「ずっとむすっとして何も話さないからだんだん尋ねてくる人も減ってね……一人にして欲しいのかと思っていたし……。でも、そう……話し相手が欲しかったのね……」

 

(N〇Kにそんなもん求めるな!)

 と、全くの正論を心の中で吐きだしたが、心のどこかでほんの少しだけの喜びが湧き上がってくる。

 つまり、自分は悲しく寂しい日常の話し相手として求められていたのだ。

 ――だが五秒ほどして、その煽りとして上司から嫌味を言われて遅くまで働いている現実を思い出したらやはり怒りが出てきた。

 

「今のあなたは高柳さんの生きる理由なのかもしれないわね。ここで話がまとまったら銀行振り込みになっちゃうものね」

 

「はぁ……」

 これからも高柳さんをよろしくね、とこちらの立場を全く考えていない言葉を残して山田は二階に消えた。

 ――なんという捻くれた老人だ。一人ではやはり寂しい。だが知り合いに同情して色々話しかけられたり世話を焼かれたくない。

 そこで白羽の矢を立てたのがN〇Kという訳だ。この地域を担当していた前任の男はそんなことも知らないまま悪態を吐きながらやめて行ったという事か。

 

「生きる理由……ジジィ……」

 

「…………」

 

(俺の生きる理由……)

 そんな大層な物はないけど、とりあえず、あのジジイから金を引きだせるまでは生きてみようかな、と思っていた。

 単純に今、打ちのめされたような気分になっている今だからこそ、そんな形でも誰かに必要とされていたのが嬉しかったのかもしれない。

 何かに必死になったことが無い、情熱的になったことがないから、どうなるかは分からない。だがそれでも、辞めようという気は微塵も無くなっていた。

 

 

 北風と太陽だ、と。自分の中でそう決めた。

 こんなに何もかもが向かい風で生きる気力も無くなってくるときだからこそ。

 

 

「はい、終わりましたよ」

 切れていた玄関の照明を直して椅子から降りる。

 老人でもできない事は無いだろうが、万に一つでも老人がここから転げ落ちたら大変だ。

 

「すまんな」

 

(こんなもん食うなよな)

 高柳が持ってきた大福を一口で食べると甘味が疲れた身体に丁度いい。

 

「人が変わったようだ。テレビは無いけどなぁ」

 

「いえ、そんな。裏庭の草むしりもしましょうか」

 

「それはいい」

 

(クソジジィ)

 裏庭に回ればふすまの奥がどうなっているのかを見れたかもしれないのに。

 意外にも頭の回転の速い老人だ。

 

「何かあったのか。死にそうな顔していたのによ」

 

「……彼女にもフラれました。転げに転げてこんなしょうもない仕事をしています。何も成していないから、せめて今自分に与えられた役割くらいは必死にやってみようかと」

 

「ほー。だがテレビは無いぞ」

 

「また来ます」

 

「そうかい」

 

 ジジイがやっても気持ち悪いがあの『テレビ無い』という言葉はツンデレなのだ。

 いつかは心をほぐして、うっかりでもいいから、『テレビある』『払う』と言わせてやる。

 

 それから何かが劇的に変わったという訳では無いが、身体中に薄い膜でも張っているような倦怠感はいつのまにか無くなっていた。

 単純に、高柳のところだけで明るく振る舞って他では疲れた男に戻るのがだるかったから他の場所でも明るく笑顔でいただけだ。

 恫喝まがいに脅してくる奴もいるし、見当違いの罵倒をしてくる奴もいる。だがそれでも生活に張りが出てきたような気がする。

 

「これね、まだまだ寒いんで使ってください」

 

「ほー。すまんな」

 気持ちを引き締めてから数カ月。社員旅行の福引で当たって全く使う気がなかった湯たんぽを高柳に差し出すと優しい笑みを浮かべた。

 ――あの日のそば茶の味を忘れた事は無い。もしかしたら自分は、この老人がそう嫌いでは無いのかもしれない。これで受信料を払ってくれたら後は何も文句はない。

 

「それで、受信料のお話ですがね」

 

「まぁ待て。……ほら、これ持って帰りなさい」

 

「えっ、なんですこれは」

 渡されたビニール袋の中には一塊の肉が入っていた。

 大体1kgくらいだろうか。何の肉だろう。

 

「故郷の妹から送られてきた米沢牛だ」

 

「そ、受け取れませんよ!」

 山形の高級肉、米沢牛。自分のような普通の会社員がおいそれと食べられる物では無い。

 突っ返そうとしたが押し返される。

 

「年寄りには肉はキツくてな。いつもの礼だと思えばいい」

 

「それなら受信料を――」

 

「じゃあな」

 胸に牛肉を押し付けられた勢いそのまま追いだされ扉を閉められる。

 話し相手が欲しいという考えだけで意地を張っているのだ。払ってしまったら途端に自分が来なくなるとでも――

 

「そうか――」

 なら話は簡単ではないか。仕事では無く普通に尋ねればいいのだ。

 それならふすまの奥に通してくれるかもしれないし、あの老人の話し相手も出来る。

 それに先ほど思った通り、自分はあの捻くれた老人が嫌いでは無い。きちんとそれを伝えて、払ったとしても友人として来るということを言えばいいのだ。

 だが、誰かに心配されて、弱みを見せるのが嫌だという意地っ張りな理由から始まったのであろうこの奇妙な関係を、仕事の義務を抜きにしてもあの老人は受け入れてくれるのだろうか。

 義務で尋ねてこられているからこそどこまでも対等な立場でいられるような気がしているのだろうから、そんなことを言えば貝よりも固く閉じこもってしまうかもしれない。

 そして最後は訴訟されて差し押さえだ。そんなことをさせてはならないだろう。

 

「あの……」

 

「うおっ!」

 こんなに誰かのことを真剣に考えたことって初めてかもしれない。

 そんなときに背後から声をかけられて心臓が痛む。大家の山田だった。

 その隣には見た事も無い人間――少女と言った方がいいくらいの年頃の女性がいた。

 

「ありがとうごさいます、いつもいつも……」

 

「いや、そんな……」

 そう言いながらも目線は山田の元に無かった。隣の少女に目が引き寄せられていたのだ。

 興味深そうにこちらを見てくる眼はとても大きく柔らかな垂れ目で、それだけでこちらの気が緩んで今日あった出来事なんかを報告してしまいたくなる。

 優し気な唇はそんな愚痴や他愛もない話も『うんうん』と聞いてくれそうだ。

 くるくると指先でいじっている髪の毛はとても艶やかで、その黒髪の艶に負けないほど肌は白くシミ一つない。

 何一つ文句がつけられない美少女だった。

 

「どうもこんにちは」

 

「あっ、どうも。えーと……」

 

「姪なんですよ。大学に一足先に合格したらしくて、もう少ししたらこちらに引っ越してくるんです」

 

「ははぁ」

 

「お話聞いてます。とても立派だと思います」

 なんでそんな事話しているんだとは思ったが、もしかしたらなんだか最近運がいいのかもしれない。

 ただ仕事を一生懸命にやっているだけなのだが何かが変わったような気がする。だがここで天狗になってはいけない。

 色々がっつきたい気持ちを抑えて口を開く。

 

「これが私の仕事、大事なお客様ですから」

 キまった。少女はまるでヒマワリの花が太陽に向かうように笑い、それを見て今日も寒いというのにぽかぽかと心が温かくなってくる。

 何が何だかよく分からないが、もしかしたらもしかしてということもあるかもしれない。歳は10近く離れているが守備範囲内だ。

 このアパートに通う理由がまた一つ出来た。だからこそ次に来た時は、先ほど頭にあった考えを高柳に伝えよう。そう考えて二人に何度も頭を下げながらその場を後にした。

 

 

 

********************

 

 

 そして季節は巡り、もうすぐ春の訪れが感じる時期となった。

 思えばこの老人との付き合いもかなり長い物だ。今日はスーツでは無く私服でこのアパートに来ている。

 

「高柳さぁーん。私ですよ。……高柳さぁーん!」

 何度かノックをして声を出すが中から反応はない。

 普段は三回ほどノックした時点で『テレビ持ってねえって言ってんだろ!? フォルァアアアアア!!』とお決まりの文句と共に扉を開くのに。

 

「……?」

 ドアに耳を当てると中からテレビの音は聞こえる。

 外出中だろうか。だが今まで何度も訪ねてきて、テレビをつけっぱなしで外出なんてことは無かったし、そもそもずっと家にいた。

 何か嫌な予感がする。

 

「高柳さん!! おい!! どうした!! おいって!!」

 何度もドアを叩くが全く反応が無い。

 ノブを回そうとしても、当たり前だが鍵がかかっている。どうしようかとしばらく考えてから裏手に庭があることを思い出した。

 

「いよっ……くそっ」

 アパートの裏手に回って塀から身を乗り出す。

 普段の運動不足がたたってこれだけで身体が軋んだ。

 

「!! ジジィ!!」

 僅かなカーテンの隙間から見える103号室のふすまの向こう――そこでは慣れ親しんだ禿頭がフローリングの上に転がっていた。

 

「ジッジィイ――――ッッ!!」

 バンバンと窓を叩くと僅かに反応する。生きてはいるようだが異常なのは明らかだった。

 窓にも鍵がかかっており、非常事態ということでハンカチを当てた部分に石をぶつけてガラスを割って中に入る。

 

「ジジイ!! おいって!!」

 

「…………ぅ……うぅ」

 生きている。こちらを見て高柳はニヤリと笑った。

 一体何を笑っているんだ、と言おうとしたとき。

 

『先手 7六歩』 

 テレビが映すN〇Kがのんきに指し手を読み上げた。

 

「やっぱテレビ持ってんじゃねえかジジィ!!」

 高柳のその笑顔は、この関係もとうとう終わりだと悟った笑顔だった

 

 

***********************

 

 すぐに病院に運ばれた高柳の病名は、老人性肺炎。

 日本人の死亡原因第四位に位置する病気を患っていたのだ。

 救急車を呼ばなければ命までも危ないという状況だったのだ。

 

「まったく……窓を割って入るたぁ、なんてことしやがる。嘘がバレちまったじゃねえか」

 

「…………あんだよ……クソジジィ」

 見舞いに来て開口一番に嫌味を言われて気遣いの言葉も引っ込む。

 仮にも命の恩人に言う言葉がそれか。

 

「払うよ、受信料」

 

「ジッ……えっ、高柳さん」

 老人のバレバレな嘘が完全に看破されてから、その言葉が出てくるのはやけにあっさりとしていた。

 誤魔化しも抵抗もない。

 

「――自信を持て」

 

「なんですって?」

 

「いい顔になったじゃねえか。何も成していないなんて言うな。お前の力だ。雨の日も、風の日も、ワシんとこに来てよ。何も手に入れられないなんていうな。お前にはやり遂げる力と熱意があるんだ」

 

「よかった」

 

「えっ」

 高柳の言葉に素直に感動して、どう返すべきか悩んでいると後ろから鈴の音ように心を癒してくれる声が聞こえた。

 驚いて振り返ると、いつかの大家の姪がいた。手には見舞いのために買ったのか、根なしの花が持たれている。

 

「高柳さん、せっかくお友達出来たんだからまだまだ死んじゃダメだよ」

 

「……そうだな」

 

「…………」

 一体この少女とこの老人はどういう関係なのだろう、とあんぐりと口を開きながら思う。

 ――だがそれはこれから知ればいいことなのだ。彼女の言った通り、この老人と自分はもう、仕事上の関係などと言う義務的な存在では無いのだから。 

 

「また、ワシんとこに来てくれるかい」

 

「……はい。すいません、もう一度……聞かせてくれませんか」

 

「払うよ、受信料」

 

「……はは」

 

こうして、少しの気分の変化で充実した仕事を手に入れた主人公は、年老いた友人と春の予感をもたらす少女と共に、とても優しくて、新しい物語を作りあげていくのだった。

 

めでたしめでたし】

 

 

《放送法第64条により『協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない』と国により定められています。N〇K受信料は払いましょう》

 

 

 

 

 

「かぁーっ。つまんねー」

 痰を思い切り絡ませながらテレビのチャンネルを変える。

 暇つぶしにN〇Kを付けたらとんでもないご都合主義のクソつまらん長いCMがやっていた。

 

「ぜってー払わねえ。なんだあのご都合主義展開。なんだあのいきなり登場した美少女。舐めてんのか、そんなもんはこの世にねぇ」

 大体、N○K集金人の一人称で物語が進んでいるのが気に入らなかった。なーに感情移入させようとしているんだ、あざといんだよ。

 大げさな音を立てて鼻をかみティッシュをゴミ箱に捨てると同時にチャイムが鳴った。来やがった。最近やけに多いんだ。

 テレビの電源を消しながら肺一杯に空気を吸いこむ。

 

「畑さぁーん! いるんでしょ!? N〇Kです!!」

 

「テレビ持ってねえって言ってんだろ!? フォルァアアアアア!!」

 

 

 

 

 

終わり。



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