艦これの世界にラインハルト・フォン・ローエングラム上級大将が着任したようです。 作:アレグレット
鳳翔は目の前の葵の憔悴ぶりを見て内心胸を痛めていたが、ここで引き下がるわけにはいかないと思い、自分にカツを入れて目の前の提督に話しかけた。
「もう3日目になりますよ。いつまでも閉じこもっておられては麾下の艦娘たちが心配します。いえ、皆は事実不安がっています。」
「私には提督たる資格はないわよ。」
鳳翔と加賀が入ってきたことで、心の底にたまっていた澱に火が付いたのか、葵が濃い疲労と自虐とを感じさせる口ぶりで応えた。
「ご自身を責めるのはおやめください。そのような事をしても誰も喜びません。」
葵はフンと鼻を鳴らした。
「あの人が喜ぶんじゃない?ローエングラム伯ラインハルト殿が。」
「提督!」
「ええ、そうですとも。私は臆病者で卑怯者よ。居心地のいい司令席に座って一歩たりともここから動かず、前線の惨状を知ろうともしないし手を打とうともしなかった。」
今や葵の眼は完全にすわっており、とどまることを知らない自虐ぶりを展開している。
「知ってる?あの人のいた世界じゃそんな人間がごろごろしてたそうじゃない。フレーゲル男爵でしょ、シャイド男爵でしょ、コルプト兄弟でしょ、そうそう、ほかならぬブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵もそうだったわね。私も光栄にもその列の端に加わったというわけみたい。」
「提督、お願いですから――。」
「ローエングラム閣下にしてみれば憎くてしょうがない相手でしょうね。姉を奪った皇帝陛下に味方する腐れ貴族を思い起こさせる言動してるんだから。」
と、戸口にいた加賀がつかつかと葵に足早に歩み寄った。次の瞬間――。
パァン!!と平手打ちの音が響き、葵が席から落ちそうになった。加賀が驚いた顔で自分の胸前の鳳翔の左腕と葵の顔を交互に見つめている。鳳翔の右手は葵を打った姿勢のまま宙に静止していた。
「なんということを・・・・・!!」
震える唇から洩れた声が、静かながら部屋の空気を怒りに満たしていた。
「なぜローエングラム閣下があの程度で引き下がったのか、まだわからないのですか!?本当に叱責をするつもりならば、あの程度で済ますどころかあなたを殺しにかかる勢いで迫ってきたはずです!!」
葵は左頬を抑えて呆然として鳳翔を見上げていた。
「いい加減に目を覚ましてください!!どうしてお一人だけで責任を負おうとなさるのですか!?そのような事は誰一人として望んではいません!!私たち艦娘一人一人も、あなたに意見できなかった!!あなたに何もかも任せきりにしてこの泊地で空しく時を過ごしていた!!」
普段温厚な鳳翔が、いかなる時にも冷静で事態を捌く鳳翔が、なりふり構わず声を張り上げ、涙すら見せながら葵を叱責し続けている。傍らに立つ加賀は信じられない思いだった。
「・・・提督は部屋におこもりでしたから、今どのような事態が起こっているかわからないでしょう。皆が動き始めようとしています。今からでも遅くはないと。まだ残っている仲間がいればそれを救いに行かなくてはならないと。その準備をしています。」
鳳翔は息を吸った。すすり泣きに似た声が漏れた。
「あなたを責めるつもりはないのです。むしろ私たちは謝りたかったのです。ずっとそれを言いたくて・・・・。私たちみんなが責任がある。それを皆で共有して、自覚して、前を向いて歩いていきたいと・・・・なのに、あなたは・・・・。どうして・・・・?」
後は言葉にならなかった。鳳翔が涙を流しながら、とめどもなくあふれる涙をぬぐおうともせず、まっすぐに葵を見ている。
葵は赤くなった頬を抑えていた手を離し、制服のポケットを探ると、ハンカチを鳳翔に渡した。綺麗に洗濯されて、唐草模様のような文様が染められた女性には似つかわしくないハンカチだった。それが済むと、提督は額に両手を押し当て、しばらく呼吸を鎮めていたが、不意にぽつりと話し出した。
「あなたたちの気持ちは分かった。けれど、全責任は私にあるわ。この泊地の司令官として意思決定をする権限が私にはある。それは同時にその決定に対して責任を負う義務もあるという事よ。」
葵は顔を上げた。
「あなたたちにはずいぶんと迷惑をかけてしまったわ。申し訳ないことをしてしまった。ここ数日私はずっと自分を責めてきたわ。けれど、それだけじゃないの。」
深い吐息を吐き出した後、どうしようもなくやるせない顔をして、
「あの人との違いを考えていたのよ。私は・・・・提督として、あの人の足元にも及ばない。」
葵は額を両手に押し付けながらつぶやいたのである。
「あの人の言う通りよ。私は後方の安全地帯で座しているだけ。あの人は常に最前線に出て陣頭で胸を敵にさらす。私はどうこう思っていてもそれを行動に移すことはなかった。あの人は、果断速攻、常に道を切り開いてきた。・・・・何もかも正反対だわ。私もあの物語は大好きよ。だからそれを読んであんな風な人になれたらいいなって思ってた。色々と批判はあるようだけれど、司令官として見習うべき点はとてもたくさんあるもの。」
「・・・・・・・。」
「でもね、実際会って、少し話をしただけで感じちゃったの。あぁ・・・この人はそもそも次元が違う人なんだって。とても追いつくことのできない世界にいる人なんだって。そう思ったの。」
二人は微動だにせず目の前の提督を見つめ続けている。
「だから正直悔しかった・・・。」
葵は泣き笑いのような顔をして目の淵に盛り上がってきたものをぬぐった。
「あの人に叱責されて、全部否定されたような気になっちゃって・・・・。追いつくこともできないって思って・・・もう駄目だって思って・・・。ごめん。こんな話をしてばかりいると、また能無しだの低能だと思われるわね・・・・。」
「それは違います。」
澄んだ声がした。葵が顔を上げると、鳳翔が静かだが、凛とした佇まいでこちらを見ている。目はまだ真っ赤だが、それでも呼吸は落ち着いている。
「提督。あの方の模倣は誰にもできません。あの方自身が従卒のエミール・フォン・ゼッレ少年におっしゃったように。確か、ヴァーミリオン星域会戦の前でしたか。」
原作を読んでいた鳳翔は加賀に問いかけたが、鳳翔ほど熟読をしていなかった加賀はあいまいにうなずいただけだった。
「提督は常々おっしゃっていましたね。『たとえテストで赤点を取ったとしても、それは星のごとくある可能性のほんの些細な一部が駄目であっただけ。それも努力を重ねればすぐに取り返しがつくわ。大切なのは自分にしかできないことを見出すことよ。』と。」
「・・・・・・・。」
「駆逐艦は駆逐艦、戦艦は戦艦、巡洋艦は巡洋艦、空母は空母、それぞれがそれぞれの長所を見出すことが大切なのだと教えてくださったのは他でもないあなたです。それは提督、今のあなたとローエングラム閣下との間においても同じことではありませんか?」
「・・・・・・・。」
「あなたにはあなたらしくいてほしいと誰もが思っています。ローエングラム上級大将は二人はいりません。そうではないですか?」
「・・・・・・・。」
「ローエングラム閣下が望んでいらっしゃることは提督を糾弾することでも非難することでもありません。それは――。」
「提督が前に進んでいかれることだと思います。」
加賀が進み出て言った。
「私はローエングラム閣下のことはよく知りません。ですが、短い間話をしてみてもそれだけであの方の志は理解できたような気がするのです。過ぎ去ったことは仕方がない・・・いいえ、取り戻すことはできないと、私もローエングラム閣下、そして赤城さんから教えていただきました。だからこそ、過去に囚われすぎず、それを糧として前に進んで行くべきではないでしょうか。」
加賀の言葉を葵は咀嚼するようにして、口の中でつぶやく。
「未来・・・・前に・・・・・。」
「提督、前に進んでみませんか。もう充分に私たちはここにとどまりすぎたと思います。」
鳳翔が微笑んだ。全部思いを出した後だからだろうか。嵐の過ぎ去った後の空のようにとても澄み切った美しい表情だった。
「わかっているの?本土からの指令はマリアナ諸島を死守せよ、という事だったわ。今後選択する道次第では私たちは本土の指令を無視することになるかもしれない。本土や他の泊地にいる艦娘たちと戦うことになるかもしれない。」
「私たちの仲間は個性的ではありますけれど、誰一人として頑迷な子などいません。わかってくれるはずです。」
「・・・・・・・・。」
「それに、正しいことを成すべき時が来ているのならば、迷うことなどないではありませんか。そしてその時は私たちのすぐ目の前に来ているのだと、思います。」
葵はしばらく目を閉じていたが、やがてそのままで静かに立ち上がった。
「・・・・・・・。」
鳳翔も加賀も葵を静かに見守っている。彼女は一つと息を吐き出すと、ゆっくりと目を開けて二人を見つめた。静かに、だが次第に力強く。ある決意をもって。
「わかった。」
ただ一言だったが、それで葵は今まで鬱々としていた自分に別れを告げたのである。
「・・・・ローエングラム上級大将に協力することにするわ。もういつまでも同じ場所にとどまりはしない。」
「本気ですか?」
加賀の言葉は上官の正気を疑うものではなく、葵の覚悟を問いただすものだった。
「あの人ならば、この世界を変えてくれるかもしれない。この深海棲艦に跳梁され、陸地に封じ込まれて明日をも知れない世界を変えてくれるかもしれない。いいえ、変えてくれるはずよね。私は・・・あの人を信じてみることにするわ。」
鳳翔は優しく微笑み、加賀は無表情ながらもうなずきを返した。椅子が鳴り、葵は勢い良く立ち上がった。
「鳳翔、加賀!」
鳳翔、そして加賀の踵が鳴り、彼女は直立不動の姿勢になった。
「わがマリアナ泊地は全戦力をもってローエングラム上級大将に力を貸すわ。」
鳳翔、あなたは全艦娘を召集して。加賀、あなたはローエングラム閣下のもとに使者として赴き、我がマリアナ泊地が全力を挙げて閣下を支援する旨伝えなさい、と葵は矢継ぎ早に指示を下した。先ほどのうなだれていた若い女性は提督として再び立ち上がったのである。
「もう二度と・・・・。」
二人が司令室から去った後、葵は開け放たれた窓から吹き込んでくる風に髪を乱しながら青すぎる虚空を眺めた。荘厳で手の届かない高みにある青さは、胸中に存在するあの孤高の人を思い起こさせた。
「もう二度と失いたくはない。・・・この暁の水平線に、今度こそ勝利を刻みたい。」
葵の胸元にあるペンダントが固く握りしめられる。
「私はあなたの力に、支えになるわ。ラインハルト・フォン・ローエングラム。だから約束をして欲しいの。あなたにかなえてほしい。私の、いいえ、この地球に存在するすべての人々の願いを・・・・もう怯えることのなく人々が自由に行き来できる大海原を取り戻したいという願いを――。あなたはかなえてくれるのかしら。そうよね・・・!きっと・・・・あなたなら・・・・必ず、きっと・・・・!!」
同じころ、ラインハルトもまたペンダントを握りしめながらブリュンヒルトの司令室から虚空を見上げて佇んでいた。その瞳が何を映し、何を望み、何を見渡しているのか、傍らで佇む赤城には何もわからなかった。