手を伸ばす。
伸ばして、伸ばして、伸ばし続けて―――掴んだのは、たった一つの花びら。
それさえも、手の中から消え失せて。
目を大きく見開いたのち、男は咆哮した。
―――それは、泣くことを知らぬ男の嘆きだった。
***
立香が帰ってきた。それはすなわち、特異点を無事修正出来たことを意味する。小さく良かった、とドゥリーヨダナは胸をなでおろした。一足先にカルデアに帰ったはいいものの、ずっと気になっていたのだ。
カルナと、…本当に癪だが、アルジュナもいる以上、マスターに危険に及ばないと思っていたが。
(そもそも、アルジュナは世界救う側の奴だしな…)
誰よりも人と神に愛され愛し、寄り添いそして期待に応えようとした英雄、アルジュナ。非常に腹立つことではあるが、悪を打ち滅ぼし世界を救うということにかけては正直言ってカルナよりうまいだろう。あの男との縁が、マスターに出来たのは僥倖だった。もしあの男を召喚することが出来れば、よりマスターの安全が高まるというものだ。
(…まあ、ムカつく野郎には変わりないが)
評価と感情は別物である。サーヴァントとして召喚されている以上、生前と違って積極的に殺しにはいかないが、友好的な態度をとる必要もあるまい。ドゥリーヨダナは、生前にユディシュティラに「並の顔ならなんか企んでて気持ち悪いと言われるはずなのに、顔の造形が整っているせいで蠱惑的な笑みとか言われているのがほんと腹立つよねー」と評された笑みを浮かべて、そう一人で頷いた。
そんな男の部屋に、一人の少年が駆け込んできた。帰還したばかりのマスター、藤丸立香だ。
「ドゥリーヨダナ!言いたいことは、いっぱいあるけどとりあえず来て!」
「は?」
ぐい、と袖を引っ張る立香に、ドゥリーヨダナは目を瞬かせた。それよりお前メディカルチェックをだな、という言葉は視線一つで黙殺された。…すまんロマン。オレでは力不足なようだ。廊下をぐんぐんと歩くマスターを見下ろしながら、心の中でドゥリーヨダナはカルデアの苦労人に謝った。
(…それにしても、だ)
こんなに急いてまで、どこに行くというのだろう。
***
『藤丸立香、人類最後のマスターよ。これをお前に託そう。それを縁に俺はお前のもとへ辿り着こう』
―――言いたい言葉がある。
―――ずっと、ずっと言いたい言葉があった。
―――それは、男が生前言ってやることが出来なかった言葉。
―――その言葉を言う為には。
『…さあ、弓を取れ、アルジュナよ。この時は、わが友ドゥリーヨダナが俺のために守ってくれた奇跡の時間だ。聖杯が消えた以上、この世界の修正は既に始まっているが―――故に俺は最後まで全力で戦おう』
―――戦うしかないのだ。
***
「マ、マスター、それって…」
ドゥリーヨダナはふるふると指を震わせながら、立香がカルデア制服のポケットからがさごそ取り出したものを見て戦慄いた。ドゥリーヨダナはそれがなにかを知っていた。知っていたからこそ、「第五特異点でカルナに託された触媒…ってやつかな」と首を傾げてみせた立香に叫んだ。
「いやいやそれってカルナの黄金の鎧の一部だよな?!そうホイホイ漫画貸すみたいに気軽に人に渡せるもんじゃないって知ってるか?!」
太陽神にしてカルナの父親であるスーリヤが、与えたもの―――それが、黄金の鎧。太陽の輝きを放つ、強力な防御型宝具。光そのものが形となった存在であるため、この鎧は神々でさえ破壊は困難とされる。だからこそインドラはバラモン僧に化けてまでその黄金の鎧を、アルジュナを勝たせるために奪った。それだけの代物なのだ。カルナが槍兵として存在していた以上、不死身の効能はないだろうが、それでも、他人に渡せるような、そんな代物ではない。
(それが、何故ここにある―――!!!!!)
ある意味それは、確定ガチャだ。だがお前、そんなほいほい貸してどーする。なんかもっとこう、ましな触媒は無かったのだろうか。
(…なかったんだろうな)
色々渡したが、不要だと切り捨てられ、それでも押し付けた品々は数知れず。それくらい物に頓着しない男だったことを、今更ながらに思い出したドゥリーヨダナは遠い目をした。戦化粧のための品々ぐらいじゃないだろうか、受け取ってくれたの。
(…それにしても、)
カルナは何故、そこまでしてカルデアに来たいのだろうか。
***
―――それは、カルナが唯一果たせなかった約束。
―――もはやドゥリーヨダナでさえ忘れているであろう、約束。
それでいい。例えドゥリーヨダナが忘れていても、カルナは憶えている。
―――だからこそ。
***
光の輪がくるくると回る。眩しい虹色の光が、部屋に満ち溢れる。
それはまさしく、希望。
それはまさしく、その英雄の魂の輝き。
光が一際輝いた後―――そこにいたのは一人の男だった。
その男を、ドゥリーヨダナが見間違えるはずがない。
―――太陽の如き眼差しがドゥリーヨダナを貫いた。
「―――勝ったぞ」
カルナはそう言って、手を伸ばした。伸ばして、驚いたように忙しなく目を瞬かせる親友に向かって拳を突き出す。
そう、その言葉こそが生前カルナがドゥリーヨダナに言うことができなかった、唯一の言葉。
『お前に勝利を捧げよう。必ず―――お前に「勝ったぞ」と言ってみせよう』
ずっと長い間、待たせてしまったが。それでもようやくその言葉を捧げることが出来た。
カルナは拳を突き出しながら、誇らしげに―――それでいて、まるで子どもが自分だけの秘密を打ち明けるかのように悪戯染みた笑みを浮かべた。
「―――流石だな、オレの友、オレの選んだ愛しき太陽」
そんな彼に共犯者の笑みを返し、ドゥリーヨダナはその拳に自らの拳を合わせた。
ドゥリーヨダナとカルナが数千年以上も前に求め、そして得られなかったもの。得ようと足掻いたものの、沢山の思惑に絡められ、届かなかったもの。その勝利を、直接目にすることが出来なかったことは非常に残念ではあったが、それ以上の喜びがドゥリーヨダナにはあった。
「よっし、お前に褒美を…」
上機嫌に言葉を続けようとしたドゥリーヨダナはそこで言葉を止めた。つい生前のノリでカルナに褒美を与えようとしたが、今はただのサーヴァントの身であることを思い出したからである。死んだ身であると割り切っていることもあって、生前に比べ己のモノをあまり持たなくなったのが仇になってしまっていた。この前ジャックやアステリオスと摘んだ、レイシフト先で摘んだ花数本とそれを飾る花瓶ぐらいしか部屋にはないだろう。
「…ふむ。ならその花を貰っても構わないだろうか」
「え?そりゃいいけどほんと、テキトーに摘んだ花だぞ?すんごく綺麗だとか、そういう花じゃねーぞ?」
「お前、そんな花好きだったか?」と不思議そうに言葉を続けたドゥリーヨダナを、カルナが見下ろす。お前に、花は似合わない。そうぼそりと呟いたカルナにドゥリーヨダナは目を瞬かせた。カルナが、似合う似合わないを気にした、だと…?
(そんなカルナに花が似合わないって言われるって、よっぽどじゃねーか!)
「えっ…マジで?えー…マジで?」とショックを受けたようにドゥリーヨダナは呟いた。なんだろうこの複雑な気持ち。似合うと言われても微妙な気持ちになるが、似合わないと言われたら言われたで微妙な気持ちになるんだが。「あくまでも俺の所感だ」と言葉を添えてくるその優しさが今は辛い。…じゃあ、オレには何が似合うと思うんだよお前は。そう不貞腐れたように吐かれた言葉に少し思案した後、カルナは答えた。
「…太陽、だろうな」
…たった一言だ。だがドゥリーヨダナはその言葉に、カルナの最大の賛辞を見た。
「お前は確かに臆病で、あつかましく、浅慮だが―――なぜか眩しい。その甘やかな光こそ、日の暖かさだと俺は思う」
***
「お前のその言葉はひっじょーに嬉しいが!嬉しいんだが!!!今の、臆病とかあつかましいとか浅慮とかいらなかったんじゃないか?!」とドゥリーヨダナが盛大に抗議する声が召喚室から響いてくる。ドア越しにそれ聞いた立香は小さく噴き出した。
(うん、やっぱりドゥリーヨダナは、あんな泣き声よりこんな声の方がいいや)
レイシフトする前に夢で聞いた、悲痛な泣き声。マスターはサーヴァントの記憶を時に夢として見ることがあるという。ならばあれはやはり、ドゥリーヨダナの記憶なのだろう。きっと誰にも見せるつもりがなかった、彼の心の奥底にある悲しみ。
―――だが今の彼の声にその陰りはない。
(…うん、やっぱりカルナに挨拶するのは後にしよう)
立香はそう、小さく笑みをこぼしてその場をあとにしたのだった。
お付き合いして下さった方々、ありがとうございました。