母の下に戻ると、私の顔を見るや否や、不安そうな表情を浮かべて母が駆け寄ってきた。
「あら、どうしたの?元気がないわね」
「え?そう?ちょっと疲れちゃったのかな……」
艦娘との出会いに興奮しすぎたせいか、それともあの時、謎の動悸がしたせいか。
少しだけ気怠く感じて足が少し重かった。
「そうね。今日は頑張ってもらったし、座って休んでなさい」
母は私の頭を撫でると休んでいるように言った。
「うん……」
なんだか落ち着かない。腰を下ろしたが、それは逆効果だったようで、この身体は動いていないと落ち着きそうになかった。
「どうしちゃったんだろうなぁ、私……?」
とてつもない違和感が自分の中にあるのを感じていた。
嫌ではないのだが、少し気持ち悪い。
……海が見たい。
「お母さん、ちょっとだけ散歩してきてもいい?」
「ダメよ。今はできるだけ目の届くところにいなさい」
「じゃあ、なにかやることない?少し歩きたい……」
母は溜息を吐くと、近くに置いてあったかごを指さした。食器やガスコンロ、私の力でも運べそうなものが入っていた。
「……仕方ないわね。そこにあるかごに入ってるもの、海軍の方から借りたものだから返してきてくれる?」
「うん、これね」
「返したらまっすぐ帰ってくるのよ。何かあったら海軍の人の言うことをちゃんと聞くこと。いいわね?」
「分かったよ。いってきます」
別れ際に母は少し心配そうに私を見ていたが、きっと大丈夫だろうと笑って作業に戻る。
本当はこんな時は母の側にいるのが一番なのだろうが、どこか落ち着かないこの気持ちを紛らわすにはじっとしていられないのだ。
何かを忘れている気がしてならない
そうだ。私は確かめなければいけない。昨日、私は訊くことができなかった。
それ以上の衝動に駆られて走り出してしまった。でも、確かめなければならない。
艦娘とは何なのかを。深海棲艦とは何なのかを。この戦いは何なのかを……
『――ザァァァ――か――――え―――ザッ―――かえ―――ザザッ―――たた――え』
耳の奥に響くこのノイズは何なのかも。
ずっと響いてる。誰かが呼ぶようなこの声の原因も……きっとあるはず。
そうだ。そもそもおかしいことは他にもある。どうして私は戦えたの?訓練なんてしてないのに。
変な感覚もあった。海に立てることに違和感もなかった。主砲の撃ち方も魚雷の撃ち方も知らなかった。ただ、撃てることだけは分かっていた。
でも、妖精にも会う暇はない。ラクちゃんのお兄さんや艦娘の子たちにも……訳を話さずに会える訳がない。私が艦娘であることを話せば、もう両親には会えなくなるかもしれない。
……艦の記憶か。不思議な気持ちだ。
私が私であるのに、私ではない私がそこには居る。
まぁ、上手く立ち回れたのは私がそれなりに知識を持ってたお陰だろうけど……おかしい点は数え切れないほどにある。
酸素魚雷なんて駆逐艦《吹雪》は積んでいなかった。艦も艦娘も。そんな記録はない…改装を経て艦娘の方は一時期つけていたかもしれないが。
私の記憶が正しければ、特型駆逐艦一番艦《吹雪》は艦娘の歴史上に名を遺す存在だ。
生まれは横須賀。艦娘の中でも随一の努力家であり第三水雷戦隊に所属し、偵察、邀撃任務を行った。
その後、当時の五航戦に編入。主力であった空母機動部隊の護衛に就き、獅子奮闘した。撃墜数はあの秋月型に匹敵するレベルだったらしい。彼女は建造後に派遣された舞鶴駆逐隊の要であった。
しかし、記録によると五航戦はとある作戦時に壊滅。《吹雪》は呉に異動となり、そこで特殊作戦部隊に組み込まれる。
この部隊については記録が少ないのだが、所属していたもう一人の駆逐艦娘と二人で敵艦隊を迎撃し勝利している。
敵艦数は百を超えていたと言われており、それを一隻残らず轟沈させた記録は艦歴でも際立っていた。
最後の戦いにも参戦し、敵正規空母を五隻轟沈させる活躍を見せ、終戦を迎えた。
終戦後、横須賀に異動。復興に尽力し、解体。艤装は艦娘記念館に展示されている。その後の足取りは不明だ。
私は《吹雪》だ。だとしたら、あの時記念館で会った私にそっくりな艦娘は《吹雪》なんだろう。
あれが過去の私か……もしかしたら、もう一度あの場所に行けば会えるかもしれない。
「でも、お母さんがダメだって言ってるし……うーん、あっ」
そんなことを考えているうちに、海軍の補給艦までやってきていた。
そこから先は入れてもらえそうにないので、人を探してみたのだが、なかなか見当たらない。
少し離れた場所に、三人ほど白い礼装を纏った人たちを見つけた。何か会話しているらしかったが、他に誰も見当たらないのだし仕方がない。
勝手に補給艦の中に入って倉庫に直してくれば、怒られるのは間違いないだろう。
「あの人たちでもいいかなぁ?話してるみたいだけど、他に人いないし……あの~……すみませーん……」
近づいていくと、三人ではなく、座っている誰かを囲んで四人で会話しているのが分かった。
「――――に突入するわ」
「分かりました。そう言う予定で部下にも伝えておきます」
「それで少尉、――――は今どこにいると?」
「分からない。ただ、今は施設を押さえるのが先よ」
「常時見張りをつけています。動きがあった場合すぐに伝わるはずです」
「あのっ!」
「「「――――ッッ!!」」」
「……っ」
真後ろまで近づいても誰も気づかなかったので大声で呼んだら、ようやく三人が振り返った。
それも、まるで私が突然現れたかのような慌てっぷりで振り返ったので、私も驚きかけた。
余程熱心に会話していたのだろう。もしかしたら、重要なことを会議していたのかもしれないのなら少し悪いことをしたように感じる。
「お話中のところすみません。お借りしていたものを返しに来たのですが……」
「あっ、あぁ、それなら……おい、お前」
その人は私が何をしに来たのかようやく把握すると、荷物をもって近くを通った下士官を呼び止めた。
「はい、何でありますか?」
「この方がわざわざ備品を返しに来ていただいた。これも持っていけ」
「はっ!では、それをこちらに」
荷物の上に荷物を積む羽目に…
「す、すみません」
軽々と持ち上げると、小さく会釈をしてすたすたと運んで行ってしまった。
「いえいえ、ありがとうございます。帰り道お一人では不安でしょう。誰かに送らせ――――」
「いえ、その必要はないわ」
言葉を遮り、三人の奥から誰かが立ち上がった。妙に苛立ったように足音を響かせて三人に退くように指示する。
顔色を窺ったのか、私を対応してくれた方の顔色が変わった。気まずそうに眼を逸らして道を開ける。
「……あっ」
「随分と元気そうね?ちょっと腹に力入れなさい」
ブチ切れモードのラクちゃんがそこにいた。
あっ、私死んだ……。
「えっ、えーっと!そのっ!ちょっと待って!」
「ふんっ!」
シュッと空を裂く音が聞こえた瞬間に腹部に強烈なボディブローが突き刺さる。
メキメキィという音がしたようなしなかったような。綺麗なお花畑が一瞬見えたが、残念なことにジンジンと響く激痛が私を目覚めさせては意識を奪おうとする。
「うっ!うぅ……」
綺麗に膝から崩れ落ち、お腹を押さえて蹲った。
既に消化されたはずのお昼ごはんが口から出そうだ。いや、胃そのものが飛び出てきそうな…
何はともあれ、今までで一番強烈な奴だこれ。私が勝手にラクちゃんのプリン食べた時より激おこだ。
突然、ラクちゃんが私に鉄拳制裁をしたのを見て、呆然としていた三人の軍人は我を取り戻すや否や声を荒げた。
「しょ、少尉!民間人に何をっ!」
「問題ないわ。私の友人よ。親の許可もとっているわ……あなたたち配置に戻りなさい。続きは後よ」
「わ、わかりました……その方はどうされますか?」
「私が責任をもって送り届けるわ。兄には少し離れると伝えておいて」
鬼気迫る殺気が後頭部のセンサーに嫌なほどに感じる。それに圧倒されたのか、三人はそれ以上は何も言わずにその場を立ち去って行った。
パキポキと指を鳴らす音が聞こえる。
冷や汗と脂汗が同時に吹き出して、ろくに空気も吸えずに悶えていた私には、泣きっ面に蜂状態。
しかし、ふぅ…と息を吐く音がした後に、ぽんぽんと軽く私の肩を叩いた。
顔を上げた私の目の前で、何気ない表情でラクちゃんが手を差し出していた。
「……さて、少し話しましょう?掴みなさい」
よかった、殺されることはなさそうだ。
少し苦笑いを浮かべながら、私はラクちゃんお手を取りゆっくりと立ち上がる。
「い、いきなりは卑怯だよ。お昼ごはん出てくるかと思った」
「まったく……本当に無事でよかったわ」
立ち上がった私の手を引き、ラクちゃんが私を抱きとめる。
一瞬、戸惑った。一体、どんな技で殺されるのかと。
だが、少し湿った音で私の耳に届いたラクちゃんの声に、心臓をまさに殴られたかのような衝撃を受けた。
どれだけ彼女に心配をかけたことだろうか?私の勝手で、どれだけ辛い思いをさせただろうか?
こうやって抱き締めてくれるだけで私は幸せなのだろう。
こうやって、抱き締めてくれるラクちゃんという友達を持てた私は幸せ者なのだろう。
絶交されてもおかしくはなかった。
それを許してくれた。
私がどれだけ酷いことをしたのか、このときようやく全て理解した。
どんな気持ちで私を止めようとしたのか、あの時のおかしかった私には理解できていなかった。
「ごめん…ごめんね、ラクちゃん…」
ようやく言葉にできたのは謝罪の言葉だった。
当たり前の言葉だ。弁明などする前に私はこの頭を地面に叩きつけて謝らないといけなかったのだ。
「あ、あのときはごめん……なさい。その私……」
「もういいわ。無事だったんだもの。それで十分よ」
肩に手を置いてラクちゃんが私から離れると、ちょっと不器用に小さく笑った。
「二度とあんな真似しないで。そう約束できるなら…全部許してあげるわ」
「うん…本当にごめんね」
この程度で許されていいはずがない。そう思いながらも、私は許されたのだと思ってしまう。
ラクちゃんは…少しずるい。
「歩きましょう。こんなところで話す気分じゃないわ。海沿いにでも行きましょうか」
私の手を取ると、ラクちゃんは前へ歩み出て手を引いた。
「う、うん…そうだね」
「あっ、少し待ってて。あんた鞄置いていったでしょ?」
「あっ、言われてみれば」
「私が預かってるから取ってくるわ。ここで待ってて。逃げたら今度こそ許さないわよ?」
「大丈夫だよ。どうして逃げないといけないの?」
「……そうね」
そうとだけ返してきた道を戻り、ラクちゃんは少し離れた場所にある船の中に駆け込んでいった。
無事でよかった。そう思ったのは私もだ。
もう一度会えてよかった。もう一度言葉を交わせてよかった。
護れてよかった。
艦娘になって――――よかったのだろうか?
その疑問はふと私の中に湧きあがった。
*
少し風が強い。
潮風が昼過ぎの海辺を吹き抜けて、戦火の匂いをそっと掻き消していく。
嵐の前が静かだと言うのなら、少し強いこの風は私の中ではよいものであった。
騒がしさ。この町にはそれが似合う。
だが、皆が避難して生気を失ってしまった海岸沿いの町の景色はあまり良いものではない。
風が吹き抜ける音と、一歩分の隣を歩く軽やかな足音だけが、私の心を癒してくれていた。
「―――――へえ、おうちの人のお手伝いを」
「そっ。事態が事態だもの。それに父も兄も私をそばに置いてた方が安心でしょうし」
真っ白なセーラー服調のワンピースに赤いネクタイ。下には寒さ対策かタイツを履いているが、どことなく海を感じさせる衣装だ。
聞けば海軍一家である家の手伝いをして回ってるだとか。一応、この服も由緒正しいものらしく、正式な海軍一員として所属していることになるらしい。
適当なところで腰を下ろして、二人並んで青を取り戻した海を眺めるように座った。
「そのワンピースいいね。私も着てみたいかも……」
「あまりいい気分じゃないわよ。それにしても、あの後大丈夫だったの?どうやって記念館まで逃げたの?」
「あ、き、記念館に逃げたのは知ってるんだ」
「おじさんから聞いたわ。あの時港の方は奴らが来てたはず。あそこまで逃げるのはかなり危険だったはずよ?」
「地下水道を使ったんだ。この町には避難路としても使えるくらいの大きい水道が地下に通ってるから」
「そんなことまで調べてたの?あんたは勉強熱心ね……」
「ははは……実は、その、途中でイ級に襲われちゃって」
「はぁ!?!?!?!?」
ラクちゃんは驚きすぎて立ち上がっていた。
話そうか迷ったが、話さなかった方が良さ気だった感じだ。
「け、けがはしてないよ?急いで水道に逃げ込んだから。流石に焦りはしたけど」
「ほ、本当にあんたよく生きてたわね。艦娘に憧れてるからって戦ったりはしてないでしょうね?」
落ち着きを取り戻してもう一度腰を下ろすと、じとーっとした目を私に向ける。
「うっ……も、もちろん!あの時は必死だったし」
実は艦娘になって、海に出て、戦艦級沈めたなんて言えない。まあ、言っても信じてくれないだろうが…
「そ、そうだ!楽ちゃん!ラクちゃんは知ってたの? 海軍が艦娘の研究をしてたこと?」
そう言えば、気になっていることがあったのだ。
せっかくだからラクちゃんに訊いてみよう。何か知っているかもしれないし、ラクちゃんなら私の話を聞いてくれる。
「え? あぁ、昼間のあれね……あんな感じで艦娘の存在を堂々と公表する必要なんてなかったのに」
「艦娘はすでに用意されてたってことだよね?じゃあ、海軍は深海棲艦が復活したことに気づいていたの?」
「私がそんなこと知ってると思う?娘にそんなこと教えないわよ……」
「そ、そうだよね……じゃあ、聞いて!私が立ててる仮説なんだけど」
「ふぅ、あんたは本当に好きね。艦娘のことが。そういう話になると目の色が変わってるわ」
そんなことを言いながら、ちゃんと聞いてくれるところ辺りがやっぱりラクちゃんだ。
やっぱり持つべきものは友達だ。ちゃんと失わないようにしなきゃ…
「まあまあ。それより、実は海軍は終戦の時艦娘を全部解体してなかったんじゃないかな?いくらなんでも対応が早すぎると思うんだ。もしかしたら、海外でも似たようなことが起きてるのかもしれない」
突拍子もない話ではあったが、十分に事実として扱えるだけの仮定は考えた。
ラクちゃんのお兄さんは「兆候があった」と言った。それは『浸蝕域』のことだろう。
だが、私には引っかかるのだ。『浸蝕域』がこの町で確認されたと話題になった日は、襲撃からさほど離れてはいない。
それから町が海軍に連絡を入れて、海軍が調査に出ていては遅すぎる。
町の人全員を完璧に避難させるほどの準備をこの短期間で行うのは難しすぎる。どう襲ってくるかもわからない敵に立ち向かうには手際が良すぎた。
「この町の周辺だけじゃなくて、この国の周辺の海でも、深海棲艦が現れた報告があったのかもしれない。海軍はずっと前から備えていた。再び訪れる戦いに。それはきっと報告が先なんかじゃない」
だとしたら、海軍は「艦娘が伝説になったなど、ただの戯言」だということに気付いていた。
いつか必ず、深海棲艦が復活すると信じていたはずだ。
なのに、なぜ先の戦いで艦娘をすべて解体した?
なぜ、先の戦いは終結したと語り継がれた?
終わっていないと知りながら、国民に平和の根を張らせて平和ボケさせてまで何がしたかったのだ?
それを否定する事実があるのならば、それは全て証明される。
「大分前に見た資料にね、面白いことが書いてたんだ。深海棲艦の発見は主に偵察によって見つかるものだって」
これは艦隊行動でも当たり前のことだ。偵察→戦闘が一般的であって、敵の数を先に把握し、最も効率の良い倒し方で殲滅する。
「でも、『海より生まれ落ちた艦娘は、海の声を聴くように敵の襲来を直感的に予期する者がいた』って」
無論、一般の範囲を飛び越える存在はこの世界に存在する。それは、私の読んだ本が正しければ、艦娘においても言える話だ。
「海軍はずっと艦娘を抱えていた。外部に漏れないようにごく少数。そして、彼女たちが再び戦いを予期した」
艦娘はすべて解体されていなかった。
戦いは終結していなかった。
海軍はすぐに叩けると分かっていた。
ありとあらゆる対策を100年前から立てていた。
混乱が起きる前に、国民が気付く前に、深海棲艦を叩けばいい。
「海軍は深海棲艦の再誕を知り、襲撃より先に過去の技術を復活させた…いいえ、元々残していたって話ね。面白い仮説だわ」
「ま、まあ、仮説に過ぎないし、友ちゃんのお父さんたちを疑うような真似になっちゃうんだけど」
海軍を疑うことはラクちゃんの一家を疑うことになり、そのことをラクちゃんに話すのはいつも気が引ける。
「別に構わないわよ。私にも何を考えているか分からないような父と兄だし」
まあ、気にしたところで、いつもこういう反応をされるのだが。
「でも、おかしいわ。もしその仮説が正しかったとしたら、どうしてこの町は被害に遭ったの? もっと早く艦娘を配備していたんじゃない?」
「……たしかに。なにかそうできなかった原因があるのかもしれないけど」
「調整でもしていたのかもしれないわね。船にもメンテナンスは欠かせないでしょう?そういうことでいいんじゃない?」
「そ、そうだね。一応、この仮説はノートに書いておこうっと……」
『艦娘マル秘研究ノート』。私の立てた仮説はすべてこの中に納められている。
いつか私がこの中にある全ての仮説を検証できるだけの知識と力を手に入れるという夢への道しるべだ。
「……ふふっ、懐かしいわね、そのノート。私と初めて会った時にも持っていたわ。まだ捨ててなかったのね」
「うん。いろんなもの閉じこんだり、ページ増やしたりしてたらそこそこの分厚さになっちゃったけど」
ただの大学ノートだが、今は厚さは3倍くらいになってしまっている。そろそろ別のノートにした方がいいのだろうが、変に愛着が湧いてしまってこのノートに書き込み続けてしまうのだ。
「これは私の宝物だから。いつかここに書いてあることすべてを確かめる私の夢の道標だから」
「……それを書いたら戻りましょう。勝手に連れてきてしまったわね。きっとおじさんたちが心配してるわ」
「あっ、そうだね。結構時間経っちゃった」
随分と日が傾いていた。時間の流れが特別早く感じた。
今までの時間が長く感じ過ぎたんだ。多くのことが起こりすぎたんだろう。
「私も行って謝るわ。おばさんは元気?最近会えてなかったけど」
「うん。今日も朝からずっと張り切ってた。あっ、そうそう。他にも話したいことがあったんだー」
「はいはい、帰りながら話しましょう」
ワンピースの裾を叩きながら、先に立ち上がったラクちゃんは私に手を差し出した。
「うん、ありがとう」
ノートを鞄の中に仕舞うと、差し出された手を取って立ち上がろうとした。
「―――――――――――――――ッッ!!」
「―――――――――――――――ッッ!!」
突然、耳鳴りはして、意識が遠くへと飛んでいく。身体と言う概念を飛び越えて旅立つ私の意識は風のように青い海の上を駆けていく。
目の下に映るのは黒い海。かなり沖合の方まで来たが、波を割いて進む船の音がする。それと同時に、空に広がる虫のような黒い点……
風を切って空を飛ぶ黒い塊。その下を列をなして進む黒鉄の異形。
―――――奴らが来る。
クラゲのような形をしたのが……一、二、三、四杯の空母。
それと、一際異彩を放つのが、あの杖を持った存在だ。あれはよく知っている。図鑑で何度も見た。
空母だ――――空母ヲ級。クラゲのようなのは空母ヌ級……艦隊数は二。随伴艦が重巡リ級から駆逐イ級までの7隻!
戦艦こそいないが、航空戦力の脅威は戦艦を上回る。
爆撃するつもりだ……この町を。
「ラクちゃん!私―――――――――」
手を引き立ち上がった瞬間に、その手を強く握り叫んだ。
「あんたは逃げなさい。今度は逃げるのよ。多分すぐに誘導が始まるわ、その波に乗って逃げなさい」
が、ラクちゃんはいつになく真剣な表情で私の手の上に手を重ねた。
「今度こそ、危険なことはしないで。おじさんやおばさんに心配かけちゃいけないわ」
「うっ……え、えーっと、う、うん!ラクちゃんも急いで逃げないと……っ!」
「私はこの辺りに逃げ遅れた人がいないか確かめてから行くわ。大丈夫よ、私は軍人の娘なんだから」
「わ、分かった……ま、また、無事に会おうね」
「そうね……また」
ラクちゃんに手を離されて、そっと肩を押された。
その勢いのまま私は小さく手を振り駆けだした。
私がラクちゃんに黙って従い、この場を離れたのにはちゃんと理由がある。
いや、離れなければいけなかった。
私には戦える武器がない。艦娘記念館の地下にある工廠にすべての艤装を隠している。そこまで急いでいかなきゃいけなかった。だから、今は逃げたふり。
どんな脅威が来ようと、たとえ私の他に艦娘がこの町にいようと、私が戦わない理由にはならない。
艦娘になると決めた時に誓ったことだ。
この町は、私が護るんだから――――ッ!
*
「――――――――妖精さん!!」
地下工廠に走りこんだ私は妖精の名を叫んだ。妖精はいつものヘルメットを机の上に置いて、代わりにヘッドホンを耳に当てていた。
「やあ、やはり気付いたか。少し電探の精度がよすぎるみたいだな。日常生活に支障が出なければいいが」
ヘッドホンを外すと、いつものようにヘルメットを被り、床の上にぴょこんと飛び降りる。
「そんなことより!私の艤装の整備は終わってますか!?」
「勿論。いつでも使えるように整備している。というか私にはそれくらいしかすることがなくてね。暇なのだよ」
「私、出ます!すぐに出ます!今すぐ出撃します!」
時間がない。敵の爆撃機がすぐそこにまで迫っている。
昨日のように迷っている暇に敵の手はこの町を焼き尽くすだろう。
「……いや、その必要はないだろう。この町にはすでに艦娘が配備されているだろう?君が出る必要があるのかい?」
だが、妖精は首を横に振った。
「ダメです!」
「じゃあ、聞くが君は対空戦闘はしたことはあるのかい?彼女たちは恐らく演習を積んでいる。君が居ても邪魔になるはずだ。どれだけ機銃を積んでも、高角砲を積んでも、艦載機に当てるのはかなり難しいんだ」
「えーっと、それはなんとかします!頑張ります!」
「はぁ……どうして君はいつもそうせっかちなんだい?」
「それは……その……」
上手く説明できはしなかった。らだ、大切な町を護りたいという思いだけで走っているような気がしていたが、一度落ち着いて立ち止まりよくよく考えた。
それだけじゃない。
あの声が響く。動悸のような拍動が私の身体を突き上げる。立ち止まるなと、海に向かえと。
これは私の意思なのか?いや、分からない。
「―――――――――海が、海が呼んでいる気がするんです」
そんな感じだ。
この逆らえそうにない誘惑はきっと海が呼んでいる。
「海が呼んでいる?」
「はい……うまく説明できないんですが、呼んでいる気がするんです。頭の中で声がする。青い海の中から声が」
『―――戦え』『――――護れ』『――――その身を捧げよ』
『―――護国のために』『―――戦え』『戦え、戦え、戦え』
『戦え』
「戦え……戦え戦え戦え、海を護れ、家族を護れ、友を護れ、国を護れ……戦え」
口が勝手に言葉を並べていく。
幾度も繰り返し、口に刻み込んだお経のように私の脳内を巡る声が私の口から紡がれていく。その一つ一つを言葉にする度にエンジンがかかったかのようにこの身体は熱を持っていく。
今すぐ走り出さないと爆発しそうな、この激情を冷ますには海に行くしかない。
戦え。
「……予想以上に馴染みすぎているな。少し、マズい事態でもあるが」
妖精は小さく舌打ちをして呟くと、近くの台に飛び乗り私の目をじっと見つめた。
「君は自分の名前を憶えているかい?」
「え?あっ、はい!えーっと……えーっと……あれ?」
変な質問だと思った。
自分の名前を覚えているかと突然訊かれれば、誰もが変な質問だと思うだろう。
もう十年以上その名を語ってきたのだ。それなのに、忘れるはずがなかったのに。
「あ、あれ?私は―――え?どうして…?」
―――思い出せない。
「やっぱりか。まあ、艦娘になったために仕方のないことではあるが、君は駆逐艦《吹雪》の記憶を受け継いだ」
妖精は溜息を吐くと、ヘルメットを脱いで腰を下ろした。
「それが君はもともと人間であったために影響が強い。人間としての記憶、艦としての記憶、その二つが入り乱れている」
「本来の艦娘には人間としての記憶がない。あるのは艦の記憶だけ…それが私の違い…?」
「そうだ。私の想定ではもう少しゆっくり馴染んでいくものだと思っていたが、君は素質がありすぎた」
素質。そうだ、私がここで妖精に言われたことだ。
それの意味がいまいち理解できていなかったのかもしれない。
そもそも、素質とはなんだろう? 艦娘になりやすい素質って何?
妖精が見えるとか、そういうのだけじゃない。その言葉の意味はもっと深くて…別の意味なんじゃないのか?
「君の体は艦娘の器として優秀すぎた。君はそのせいで戦いの衝動に強く駆られてしまっている」
「これは……大丈夫なんですか?」
「すぐに影響が出るものじゃないだろう。ただ、君は人間でもまだ未熟な頃に改造を受けて艦娘になった。精神の方が不安だ。もしかしたら、精神的に何か異常が出るかもしれないが……それは君次第だ。強い心を持て」
「強い心……?」
「ああ、君の中にある核とでも言うか。君という存在を支える根底にあるもの。それが揺らぐことないように自分を強く持て」
妖精は重たそうに腰を持ち上げると、ヘルメットを手にもって台を飛び降りた。
「今はこれしかない。それと……今の君には戦場に立たせた方がよさそうだ」
そう言ってドックの方に向かっていく。
「艤装を出そう。君も準備したまえ。服はそこにある」
勝手に近くの装置が開いて、艦娘だったときの私のセーラー服がハンガーにかけられて飛び出してきた。
それを手に取りながら、私はずっと妖精の言葉を心の中で反芻していた。
「私の核……私を私たらしめるもの―――――――――」
分かっているようで手に掴めそうにない。
掌の上にあるのに指の間をすり抜けて落ちていく水のように。
愛とは不確定なものだ。
でも、きっとこの町を、この町の人々を愛する私の心こそが、私の核なんだと思う。
今は、まだ疑問が多すぎる。ひとつひとつ考えている暇はない。
戦おう。着替え終わった私は、妖精が向かった出撃レーンの方へと走っていった。
なんか某映画みたいなタイトルになったが、気にしないでおこう…