艦娘が伝説となった時代   作:Ti

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墓場

 何もない黒が白みを帯びていき、徐々にそこに形が生まれていく。

 青年の目が薄く開いていく。浅黒い瞼の向こうから灰色の瞳が覗いたときに青年の意識はこの世界の色を捉えた。

「―――――っ」

 少し靄がかかったような視界が薄暗い部屋の中を見渡していく。見たことのない場所だ。

 コンクリートの天井には壁を壊して侵入した蔦が張り巡らされており、四方のうち一面の壁はない。

 砕けた天井の一部から水が滴り落ちて、水たまりを作っている。

 そんな空間を照らしているのは、左半身に感じる熱を発しているもの。

 この空間の中央で小さな焚火が青年の体温を守っていた。

「…………」

 ほとんどボロ布のような服は少しだけ湿っていたが、ほとんど乾ききっていて青年の身体から熱を奪うことはなかった。

 口の中はいまだに塩の苦さが残っていたが、そんなことよりも青年は空腹に苦しんでいた。

 この身体が、骨と皮を貼り付けただけのような身体が、とにかくエネルギーを求めていた。

 青年の目は目に映るものがたとえ石でもそれが食料に見えるほどにまで、かなり窮地に追い込まれていた。

 そんな時、ふと同じ空間に感じたなにかの気配。他に何か生き物がこの場所にいる。

 焚火を挟んで向こう側に小さな生き物が横になっていた。

 

 今まで肉というものを食べたことはなかった。よく分からない穀物のようなよく分からないものばかり食べてきた。時には港の浜辺に打ち上がっている魚や虫やトカゲやヘビ、カエルなども食べて生きてきたが、こういう動物の肉を食べたことはなかった。

しかし、今まで食べてきて多少具合は悪くなったりしたが、食べれなかったものは一切なかった。

 とにかく、歯を突き立てて喰い千切って咀嚼し飲み込む。

 食えないものはあまりない。

 

 四本足の生き物らしい。一本の足を持ち上げてみたが、人間の手とよく似た形をしている。

 しかし、よく肉がのっている。この腕一本でも当分動けるエネルギーを得られるだろう。

 躊躇いもなく噛み付いた。

 その瞬間、その小さな生き物の身体がびくりと跳ね、奇声のような叫び声をあげる。

「はにゃあああああああああああああ!!!!!!」

次の瞬間、青年の視界の隅から何かが飛んできた。

 鉄の塊……錨のようなものが――――腹部に突き刺さり軽い身体はいとも簡単に吹き飛んだ。

「ぐっ…ッッ!!」

 そうして、青年はまたしばらく意識を失った。

 

 

 

「あっ、気付いたのです?」

 再び青年が意識を取り戻した時、幼い少女が青年の顔を心配そうにのぞき込んでいた。

「………ッ!!」

「はわっ!」

 驚いて飛び起きると、少し警戒するように青年は距離を取った。

 突然動いたので少女も驚いたのか、変な声を上げて尻もちを突いていた。

 腹部に感じる妙な鈍痛。点滅する視界と力の入らない身体に、飛び起きた体は再び冷たい地面に沈む。

「えーっと……大丈夫ですか?」

 虚ろな目で何もない空間を見つめる青年に四つ這いのまま恐る恐る近づき、少女は声をかけた。

 

 ボサボサの清潔感の一切ない頭。骨ばった顔や二の腕。浅黒い肌に浮かぶ薄い色の唇と灰色の瞳。脚や腕、首や頬など至る所に白や黒、中には青や黄色にも見える痣のようなものがあり、更に薄い皮膚の下に青く浮かぶ内出血の跡も多々あった。

 正直、生きていることが不思議なくらいの骨と皮の人形。

 少女の目に映った青年の印象はそんなものであった。

「…………」

「…………」

 無言のまま二人の間に流れる時間。地面に突っ伏したまま深い呼吸を繰り返す青年を見て少女はハッと気づいたかのように立ち上がり、部屋の隅に置いていた大きい布を広げた。

 中にあったのは恐らく青年は見たことのない果実。少女が何とかしてこの密林を駆け回って集めた食料であった。

 その中の一つを少女が青年の口元に持っていくと、今までの静寂が嘘であったかのようにその体はその果実を食すことの為だけに動いた。

 喰らい、喰らい、喰らい、あっという間に胃の奥底に栄養源となりえるものを流し込むと、喉の渇きも癒え、一度深く息を吐くと青年は身体を起こした。

「あ、あの……」

 少女はもう一度意思の疎通を図ったが、青年は素知らぬ顔で辺りを見渡す。

 自分が置かれている状況をはっきりと把握するためであった。青年の目に映るのは知らぬ空間。そこにある全てが今までとは全く違うものであって、異質なもの。

 とても小さな世界の中で生きてきた青年の目に映る新しい世界の光景はあまり味気のないものであった。

 何より、青年の目には今までと同じ色しか映らない。そこにあるのは今まで見てきたモノクロの世界であって、青年が求めた色鮮やかな世界とは程遠いものであった。

「あのっ!」

 ようやく少女の呼びかけに気付いたらしく、その眉をぴくりと動かし青年は少女と顔を見合わせた。

「だ、大丈夫ですか……?」

 目に映るのは幼い少女。しかし、今まで見てきた幼い子どもたちとは違って、しっかりと肉が付いている健康な子ども。

 なるほど。外界の人間は自分たちとは随分と体型が違うのか、としか理解できなかったが、それよりも青年の思考回路は大半を別のことに総動員していた。

 

 言語の解読。少女の発する言葉、その音の抑揚と鼓膜に伝わる波の形は、青年がよく知っている形だ。

「コンニチハ」

 青年は脳内に浮かんだ文字の持つ音を一つ一つ当てはめる様にして、一つの単語を声にする。

 これは挨拶と言うものらしく、顔を合わせた者たちがする一つのルールのようなものだと青年は定義していた。

 少女の口にする言語体系に当てはまる言語は奇しくも青年が見てきた文字や聞いてきた声に酷似しており、青年の脳が解読するのにそれほど時間は要しなかった。

「あっ、言葉が通じるみたいですね。海外の方だから通じるかどうか心配でしたけど」

 突然青年の耳を襲う言葉の羅列。一気に流れ込んできた情報を一つ一つ紐解いていくのには時間がかかる。

「……」

「えーっと、喋れないんですか?」

 結果として流れた沈黙を少女は意思の疎通がとれていないものと解釈したらしく、不安そうに顔を覗いてきた。

「……俺」

「はい?」

「君」

「はい?」

「……あってる?」

 青年の問いかけに少女はぽかーんと口を開いて呆然としていた。

「全く分からないのです…話せるんですか?」

 青年の行動が全く理解できない。そもそも、青年のような存在を目にするのは、この身体を得てから初めてであり、人間的な理解というものが未だに追いつかずにいるのだ。そのために少女はこの世界の出来事、特に真新しい者ものに対して理解することに時間を要した。しかし、それは青年としても同じことであり、

「おぼえる、すこし、ことば、君、話す、似た、音」

「……あっ、電と同じ国の言葉を話している人たちの言葉を聞いて覚えたってことですね?」

 時間こそかかったものの、ある程度の意思の疎通―――少々歪ではあるが―――は可能であった。

 

 さて、少女―――艦娘、駆逐艦《電》は本題に入ろうと思った。

 意思の疎通が可能である以上、ある程度の情報は聞きだせるはずだった。

 今、この状況下で軍から孤立した電がそのような聴取を行うことの必要性はほぼ皆無に等しかったのであるが、単純に電自身が抱いた疑問を解決するために、何より、同じ空間にいる者として相手のことを把握しておきたいと言う一種の危機回避のために電は青年に問いかけることにした。

「あのぉ~、どこの国の方なんですか?」

「しらない……国、名前、ない」

 青年は知っている単語を意味と照らし合わせながらゆっくりと口にしていく。

「国の名前を知らない…?」

 電は違和感の正体をようやく掴んだ気がした。それで小さな両手を頭の側方に当て、抱えるようにして蹲った。

 

 そもそも、電たちがこの島の近海を訪れた理由は輸送船の護衛であった。

 その輸送船が敵の手により沈められ、乗組員たちは嵐に激しく荒れ狂う海に投げ出され……電たちがその乗組員たちを救助することはごく自然なことであった。道理に適うことであった。

 しかし、電は違和感を抱いていたのだ。このような乗組員がいるのだろうか、と。

 結果として、電は人ひとりの命を救うことになったため、満足こそしていたがその違和感を拭わない訳にはいかなかった。

「……ちょっと待ってください。あの船の乗組員の方ではなかったんですか?」

「違う。逃げる、国から」

 はわわぁ…と小さく声を上げて崩れ落ちる様に電は再び蹲った。

 その意味を電はよく知っていた。いや、この時勢のことを学んだばかりだからこそすんなり理解できたのかもしれない。

 母港で僚艦から教鞭を受け、この時代について叩き込まれた。それは人の身体を得た彼女たちがこの時代で生きていくために必要なことであったからだ。

 何より、青年の件については、海に携わる者としてはすんなり理解の行くものであった。

「……密入国者ですね」

「……?」

 密入国…一般的には許されることのない犯罪行為だ。

 犯罪たる理由は様々、密猟品や違法薬物の密売などの防止、疫病やウイルスなどの国内の持ち込みの防止。

 問題はその他にも多くあるが、その事の重大さをよく理解していた電であったが、今は頭を大きく横に振った。

「もう今はそんなことどうでもいいです。それよりもお腹は空いてませんか?」

 この青年は憔悴している。一目見れば分かる。明らかに餓死寸前だ。

「食い物……ある?」

「一応、食べられそうなものは……ヘビとか食べられますか?」

 捕まえたはいいものの、正直食べる気の湧かなかったものを提示してみた。

 こういう事態の最低限の対処は知っているために、ヘビもカエルも食べようと思えば食べれるのだ。

 しかし、やはり……というものがあった。

「食える、なんでも、食える。ずっと、そう」

 青年は顔色を変えることもなくそう言ったが、電は少しだけ悲しげな顔をした。

「今まで…あるものを何とかして生きてきたんですね……」

 

 

 絞めたヘビをたき火で炙り、平然と口にする青年を横目に見ながら、電は見たことのない甘い香りの果実を口にしていた。

 今のところ毒はないらしいが、今はそんなことがどうでもよくなるくらいに電の頭の中は様々なことで埋め尽くされていた。

 

 いつまでもこの場所にいる訳にはいかない。しかし、ここから抜け出す術がない。嵐と深海棲艦の同時襲撃が電から奪ったのは守るはずだった命だけではなかったのだ。

 ここにいることを誰かが気付いて救援に来るか。捜索が行われているのならば、その可能性もあるが轟沈扱いされていたらどうするか。

 中期的な計画が必要だった、この島で生きていくために。

 拠点の確保、水源の確保、食料の確保。ある程度は昨晩のうちに済ませた。終わっていないのは、この島付近の散策だろうか?

 もしかしたら、何か現在地を掴める痕跡が残されているかもしれない。ここには人間が生活していた跡がわずかに残されているから希望はある。

「君…名前」

「え?」

 突然、青年に声を掛けられ電は戸惑いながらも、質問を冷静に飲み込んでいった。

「電です」

「いなずま……海、立つ、俺、助けた」

「電は艦娘なのです。日本海軍所属の駆逐艦なのです」

 青年の表情は常に変わらなかった。それは地面に突っ伏しているときも食事をしているときも。

 しかし、このときだけ少し表情が変わった。驚きだろうか?悲しみだろうか?

「カンムス……」

 復唱するように青年が呟いた。

「カンムス、幸せ、人、助ける、俺、助けない、聞いた」

 青年は「カンムス」と言う存在を耳にしたことがあった。あれは港でのことであったか。それとも路地裏で老人に聞いた話だったか。

 当時は理解できなかったが、今となって思い起こしてみると、その存在を少しだけ理解できた。

「カンムスとは幸せな人だけを守る存在」、大雑把な把握の仕方であったがそれが青年の中の定義であった。

「君、俺、助けた。君、カンムス」

 だからこそ、目の前位にいる少女の行為に矛盾を覚えた。

 どこで生まれた偏見か、青年の中では艦娘たちは貧しい民には縁のないものであり、富のある者たちを守る存在であると解釈していた。

 当然、電がそのような偏見が青年の中にあることは知らない。その疑問の本質を理解していた訳ではない。

 ただ、その行為の理由を訊かれたような気がして電は答えを口にした。

「……電は助けられる命は全部助けたいです。理由なんかありません」

 その言葉が口火になったかのように、小さな少女の身体の中に抑え込まれた感情が突然、溢れだした。

 それは日頃は口にできない本音。許されざる彼女の本音であった。

「できることなら……こんな戦いもしたくないです」

「戦い…なに?」

「深海棲艦と言うのを聞いたことがありませんか?」

「……ない」

「人間と昔から戦ってきた敵の名前です。大昔に起こった人間と人間の戦いで死んでいった人たちの怨念が形となったものと言われてるのです。人間はずっと戦ってきました。そして、一〇〇年前に終わったはずでした」

「また、始まる」

「その通りです。一〇〇年前…いいえ、もっと昔に起こった戦いと同じです。多くの命が奪われてしまいます。こんなの本当はおかしいのです」

 戦いは間違っている。それはただの綺麗事のように思えるかもしれない。

 電のような外見は年端もいかぬ子どもの吐く綺麗事を真に受ける者は普通の人間にはいない。きっと彼女の仲間の中にもほとんどいない。

「艦娘は大昔の戦いで海に沈んだ艦艇…戦うために存在した船の、その魂を持っているのです。それはきっと深海棲艦も同じなのです」

ただ、それは善悪の秤にかけただけで出した彼女の答えではなく、彼女の中に眠っている魂の存在が、人間の身体を得て生まれた矛盾のような感情であった。

「元々は同じ存在だったのに、今は殺し合っている…間違っているのです」

 鏡に映る自分が実体化して殺し合っている。

 純粋な少女の目に映る戦いの姿はまさにそれであった。

 艦艇の身体を持っていた時代ならば、艦艇同士のぶつかり合いである海戦で、戦い合うことは、お互いに守るべきものがあり、信念があり、誇りがあり、当然のことのようであった。

 だが、艦娘と深海棲艦は表裏一体。少女の中ではそう思えていたのだ。

 だからこそ、自分自身の対でありながら同一に等しいはずのその存在と殺し合っている今の自分がどうしようもなく歪に思えていた。

 それを当然のように振る舞う周囲の空気に当てられて、自分だけがおかしいかのように思えるほどに。

 

 青年は真剣に、悪く言えば無表情で電の言葉に耳を傾けていた。

「それ、違う。人間、同じ」

 それで青年の中に浮かんだ答えはそれだった。

「どういうことですか?」

「人間、も、争う。戦う。傷つける。君、カンムス、シンカイセイカン、同じ、戦う。同じ」

 人間は古来より争いを続けてきた。同じ人間でありながら、小さな違いによって格差を生み、その違いをこの世界から消していくかのように。

 大きくみれば、人間のやっていることは所詮は同族を殺している行為に他ならない。

 人間と言う一つの大きな種族を国家と見れば、それは内戦のようなものだ。

「……所詮は電たちも人間だと言うことですか?」

 だが、人間であって、人間とは根本的に違う電にとって、その言葉は人間をただの比較として扱うものではなく、艦娘も人間だと同一視するかのような言葉に聞こえた。

「……」

「本当にそうですか?電たちは本当に人間ですか?人間の形をしていますが力は船だったことと同じです。本当に人間と同じですか?」

 それはとても大きなことであった。

 周囲に影響され、自分自身が揺らごうとしていた電にとって自分が一体何者であるのか。

 それはとても大きなことであったのだ。小さな体に宿っている魂がどれほど大きなものであっても、人間として少女の身体に宿っているのは所詮は人間の精神であり、未熟なものであったのだ。

「俺、君、みえる、人間」

「優しいのですね……」

 青年の言葉がこのときは優しく聞こえた。

 いや、何も知らない青年が発する客観的で、良く言えば純粋な言葉だったからこそ、そこに優しさを感じたのかもしれない。

「君、人間、俺、違う」

「え?」

 突然、自分が人間であることを否定した青年に電は困惑した。

「俺、生きる、ゴミ、同じ。手、ある。足、ある。口、目、耳、鼻、ある。意味、ない」

 文としての形を成さないただの単語の羅列。それは青年の言いたいことの本質を伝えるよりは、その外形を伝えるようなもので電にはすべてを把握することは難しかった。

「起きる。働く。食べる。寝る。起きる。働く。食べる。寝る。同じ。ずっと。生きる、意味、ない。ただ、同じ。ずっと……死ぬ、意味、も、ない」

 ただ、青年が生きることに何かの意味を持つこと、それを持っていることが人間であることの定義だと言っているような気がした。

 だとすれば、青年は客観的に電のことを『人間』と言ったわけではなく、青年の中にある論理に従った答えを出したということ。

 それが少しだけ電の中では驚きであった。

「俺、嫌。考える。逃げる、国。意味、見つける」

「意味?それは何ですか?」

「空、色、知る。俺、いた、国、空、見えない」

 青年の口から離される言葉は理解しがたいものだった。

 海の上に立っていれば、空の色なんていつでも見えるのだ。嫌となるほどに、網膜に焼きつくほどの青を。

 自分の知っているものを……知っていて当然と思えるものを知らないと言われたときの驚きとは意外にも大きいものだった。

「水、灰色、雨、黒、俺、色、変わる」

 そう言いながら、青年は自分の足にできた痣を指差す。

「逃げる。知る、ことば、目的、逃げる。声、真似、文字、音、知る、読む」

 この青年が…ちょっと叩けば折れてしまいそうなこの青年が、どれほど壮絶な人生を送ってきたのか。

 いや、それは壮絶などと言う言葉で表すには些か度が過ぎるか。壮絶とはまるで逆なのだろう。

 酷く無機質…それは無に近い。そんな人生を想像することなど電には無理であった。

「大変だったんですね……」

 ただ、それだけが自然と口から零れた。青年はこくりと頷くと、電から眼を逸らし天井を見上げた。

「見る、空」

「外に行くんですか?」

「知る、色」

 活動できるのに十分なエネルギーを得た青年はよろめきにながらも立ち上がると、徐に外へと足を進めていった。

 電は慌ててその後を追おうと立ち上がり、とにかく身の回りに何か必要なものはないか慌てて探して青年の後を追った。

 

 

「…………」

「あの~……」

 頭上を木々の葉が生い茂る密林を抜けて、砂浜まで抜けた青年と電、その頭上に広がる曇天。

 雲の切れ間など一切ない分厚い雲は水平線の彼方まで続いており、当分その向こうにある色に触れることなどできそうにもない。

「まだ曇っているみたいですね…突然嵐が発生したのです。そのせいで」

「君、一人、違う?」

「はい、仲間がいました。でも、逸れてしまったのです」

「カンムス…船、ここ、出る」

「そうしたいのは山々ですが…通信機とコンパスが壊れてしまったのです…ここがどこか分からないので出られないのです」

 嵐の中、急襲した深海棲艦によって混乱した戦場で、電は一発だけ敵駆逐艦の砲撃を受けていた。

 加えて何度も荒波に揉まれたせいで船の命の一つである羅針盤を喪失。さらには通信機も喪失していた。

 この大洋でそれを失うことがどれほど恐ろしいことか理解していない電ではなかったが、さすがにどうしようもなかった。

「星が出ていれば、ここがどこかくらいかは分かったのですが…この空じゃ、無理そうなのです」

「俺、ここ、出る、可能?」

「分からないのです。仲間が見つけてくれれば何とかなるかもしれませんが……」

その確率はどれほどか?

 万に一もあるか?海軍の体制も艦娘を迎え入れて新たに固まり始めたばかりなのに、こんな辺境にまで気が回る余裕と手段があるか?

 はっきり言って、絶望的だった。

「……探す」

「え?」

「ここ、知らない。探す、知る。考える。生きる。出る、可能」

「でも、電が歩けた範囲じゃあの小さな小屋以外には何も」

「家、ある。他、ある。人、いた」

 青年は小さな小屋があった方角を指差しながら力強くそう言った。

「君、海、立てる。探す。見つける」

 何か見つかる根拠はない。見つかったところでこの島から抜け出せる根拠はない。

 それでも、青年はこの島全てを調べ尽すまで止まりはしない。

 彼の意志は、彼の魂は、彼が自分自身の意味を見つけ出すまで潰えはしない、燃え尽きはしない。

 その身体に宿るはずのない力強さでその体を動かしている。

 電の知らない人間の力強さ―――いや、知っていたのかもしれないが忘れてしまっていたその強さ。

 小さな手が拳を握る。握った拳の力強さを感じ取れるほどに電の身体は動き出せる自信と力に満ちていた。

 今は、何かをしよう。

 この青年が望むことに付き合って、自分も一緒にもがいて見せよう。

 何か、きっとこの青年が自分の意味を見つけるのと同じように、この歪な自分の中にも答えが見つかるかもしれない。

「分かったのです!!電もやるのです!!」

 大きな声で、拳を振り上げて大洋めがけて叫んだ。その声が響くことはない。

 だが、青年の顔を見合わせた電の表情には、先程までの不安そうな色は一切なく、自信に満ち溢れた力強い少女の顔があった。

 それを見て、青年は大きく頷く。

 

「あの~、あなたのお名前は何と言うのですか?」

「……?」

「名前、です。電、あなた?」

 自分を指差して「電」と言い、青年を指差して「あなた」と言う。これで伝わればいいが。

 腕を持ち上げたり、足の裏を見たりして、青年は何かを見つけたかのように声を上げるとそれを電に見せる。

「名前……これ?」

 アキレス腱より少し上の辺り。青年の肌の色からすると少し目立ちにくいが、黒いバーコードのようなものとシリアルナンバーが刻まれていた。

 あまり良くない思考が電の脳内を巡ったが、とりあえず、それは振り払った。

「あー、違うのです……」

「ない。俺、人、違う。生きる、国、呼ぶ、俺、これ」

 つまり、青年は番号で呼ばれていたということだ。まるで囚人のようだ…それか家畜か。

 それとも、商品か。

「んー、困ったのです。名前がないと意思疎通が難しいのです」

 電は顎に手を当てうーんと唸る。

 こんな状況下だからこそか、電は興奮を覚えていた。いつも海の上で訓練を繰り返す日々。

 本来、喜ばれるべき状況ではないのだが、ふと訪れた非日常。

 幼い心の中に生まれた未開の地に対する冒険に対する高揚は彼女に一時の職務と使命からの解放を与えていた。

 そう、幼い子どものように。野山で先の見えない草木を掻き分けながら、その先にある光景を見たくて進む無邪気な少年たちのように。小さな世界でも、冒険だの、探検だの言って駆け回っているその童心に従ってただ楽しむ。

 

 電の脳裏にもそのようなことが巡ったのか、きっかけは些細で子どもらしく単純であった。

「……電たち、探検隊みたいなのです!隊長なのです!」

「……タイチョー?」

 常日頃、彼女の指揮を執る司令官ではなく、今は二人の遭難者としてこの島を捜索する探検隊。

 幼稚な考えでこそあったが、電は止まるところを知らない。

「そうなのです!探検隊みたいだからあなたは隊長なのです!電は隊員なのです!」

「……タイチョー、タイチョー」

 青年もその響きを気に入ったかのように何度も復唱する。気に入るかどうか、顔色をまじまじと窺っていた電の顔を見て、ふと青年の口元が緩んだ。

「……いい。タイチョー、俺、タイチョー」

「じゃあ、一緒に頑張るのです!」

「ガンバル…?ガンバル……ガンバル」

 知らない言葉を何度も口ずさみながら、その意味を探している様子だが、どうも見つからないようだ。

「え、えーっと、不覚考えることじゃないのです!とにかく、行動あるのみなのです!」

「……な……の……で……す?」

「なのです!」

「……なのです…いなずま、いなずま」

「何ですか?」

「文字、俺、知りたい」

「えーっと……」

 電はしゃがみ込むと海岸に指で「いなずま」と書くと、その一つ一つを指差しながら、ゆっくりと読み上げた。

「い、な、ず、ま、なのです!」

「い、な、ず、ま…俺、知る、文字」

 青年は電の文字を真似る様に、砂浜に細い指を滑らせていく。歪な形の「いなずま」の四文字が、彼女の文字に沿って並んだ。

「い…な…ず…ま…いなずま…ある、君、国、文字、一つ、別」

 首を傾げた電を見て、青年は少し考えた。

 そして、もう一度砂浜に指を付け、「ひと」「ヒト」「人」と縦に並べて書いた。

「別、文字、音、同じ」

「それだと……こうなのです」

 意味を理解した電は、楽しそうな表情でサラサラと指を走らせていく。

 大きく、はっきりとした形で、「イナズマ」の四文字と、「電」の一文字が並んだ。

「これで『いなずま』と読むのです」

「イナズマ……電……同じ?」

「はいなのです!雨が降った時に空がゴロゴロいうあれが電なのです!」

「空、白い、生き物、光る、電……」

 青年は掠れた記憶を引き出しながら、彼女の文字を目に焼き付けていた。

 初めて見たっ空を翔ける白い生き物のような光。

 あの、暗雲を裂いて目にも止まらぬ速さで空を翔ける白い閃光。

 とても人智の及ばない領域にあった壮絶な自然界の姿と、小さく温厚な優しさに満ちている彼女の姿を照らし合わせても、全く重ならないことがさらに不思議であった。

 青年の中では昨晩空を翔けていた白い閃光は目の前の少女だと言う等式が不思議と生み出してしまっているのだ。

 彼が無知であるがゆえに生まれてしまったそれは、彼を困惑させて低く唸らせた。

「いなずま…ごろごろ?」

「はいなのです!」

「違う」

「え?」

「光る、生き物、いなずま、違う」

「隊長は同じ名前ならすべてが同じだと勘違いしてませんか?」

「?」

「名前には由来というものがあるのです……何かの名前から名前をもらうのです」

「名前、貰う……」

 青年は電の書いた三つの単語をじっと見ながらしばらく黙り込んでいた。

 このまま、青年をずっと考え込ませていても埒が明かないと思った電は、意識を当初の目的の方向に向かせようと、手を叩いた。

「じゃあ、電は艤装を持ってくるのです!隊長さんはどうしますか?」

「歩く」

 ぬるりと立ち上がると、青年は顎に手を当ててブツブツと何かを呟きながら歩いていった。

「了解なのです!」

 電は元気よく答えると、拠点としていた小屋の裏に置いてきた艤装を取りに密林の方へと走っていった。

 

 

 ふらふらと砂浜を裸足で進む青年は時々海の方へと目を向けていた。

 どこまでも広がる黒い海。確かに、青年の生きていた国から見える海も濁っていた。そのために、青年の中では海とはこのようなものなのだと思っていたのだが、この島を取り囲んでいる海はどこか違う。

 ずっと見ていると、何かが背筋を這うかのような感覚に襲われ、か細い身体を寒さから守る様に抱き締める。その度に目を背けては再び足を進めて周囲を見渡す。

 

 しかし、何もない。流木と海藻。時々、なにかの化学繊維のようなものやプラスチックのようなものが転がっているがただのゴミだ。

 寄せては退いていく波の音だけが青年の耳に入って、逃げていく。

 初めて海を見た時、大きな生き物だと勘違いした。誰かが動かしているのかとも思っていた。

 それの名前が波だと知り、勝手に動き続ける波を一晩中見続けていたことがあった。そんな海岸から見る空にはいつも薄暗く灰色で、海の色は濁っていた。

 

 そして、さらに歩いていくと密林がなくなって岩がむき出しになり、その奥は岩の壁に阻まれていた。

 砂浜はそこで途切れているように思えたが、岩の隙間に浅瀬が続いていた。海水がその隙間を流れている。

 青年は海水に足を入れた。じんわりと伝わる冷たさが青年の足を包んで、ぴくりとその眉を動かせた。

 やはり少しだけ気味が悪い。岩壁に手を伝わせながら、少し急ぐようにして青年は足を進めた。

 

 

 一気に視界が開ける。それと同時に灰色の空を覆い隠す巨大な壁が視界を埋め尽くしていた。

「―――――――っ!!」

 鋼鉄の壁。

 いや、違う。そう思えたのはそこに存在していた異質な空間のせい。

 

 まるでその空間だけが、そうあるべくして、そこに存在していたかのように、小さな砂浜がそこにあった。

 その砂浜を取り囲むようにして、周囲からその空間を守るかのように、隔絶するかのように、隠すかのように。

 

 

 船の骸が横たわっていた。

 

 

 船の墓場と呼ばれる場所なのだろう。どうして今まで見えなかったのかと思えるほどに広がっている大量の残骸たちが静かにそこにあった。

 クルーザーや客船や青年が乗っていたような輸送船、タンカーのようなものの一部も、海水にその体を沈めて横たわっていた。

 鋼鉄の骸。錆び付いた破断面。その全てがまるで噛み砕かれたような、人知の及ばない力で破壊されたように船体を裂かれており、もはや船としては二度と機能しないだろう。

 舵もスクリューも錨もばらばらになって浅瀬に沈んでいる。風に乗って錆び付いた鉄の匂いが青年の鼻を掠めた。

 異様な光景に戸惑い半ば、湧き上がった興奮をそっと抑え込みながら、砂浜の方まで歩いていった。

 

 海に浮いている姿も巨大だったが、こうやって船底を目の当たりにすると、その巨大さが改めてよく分かる。

 これを人間が作り出したというのだから信じられない。工業技術というものと極めて接点の少ない人生を送ってきたつもりだった。

 だが、目の前にあるのは少し訳が違うのかもしれない。その巨大な存在が、強いはずの存在が、どうしてここにこのようにしてあるのか?

 それも、これだけの数が、この場に集まっている。船尾を船首を空に突き上げる様に、死んで倒れた人間のように。

「―――――――?」

 青年の目があるものを捉えた。

 それは船の残骸ではないが、何かの残骸。砂のついた足を再び海水に浸け、恐る恐る近づいていきながら両手で手に取った。

 目に近づけてよく見ると、真黒な金属だった。だが、どこかがそこいらの船に使われているものとは違う。

 海水に浸っていたのに不思議なぬくもりを感じる。錆びてもいないし、金属のようで、まるで化学繊維のようでもある。

 それが小さな波の押し寄せる砂浜と海の境界の辺りの、ある一箇所に特に多く沈んだり浮いたりしていたのだ。

 そのため、一部は砂の上に残っていたが、色がまるでバラバラなのだ。白いものもあれば、黒いものも灰色のものも。

 青年はその場所の周囲をゆっくりと歩き回っていると水面下で何かが足に絡んだ。

「……?」

 海水に手を突っ込み、それを引き上げる。結構な質量があり、両腕に乗せるような形で引き上げた。

 表面がつるつるしている白い触手のような何か。程よい弾力性があり、くねくねと簡単に曲がり、クラゲの足のようでもあった。

「魚?食える…」

 その感触が生き物のように思えた青年は、それを持ち上げて歯を立てた。

 しかし、返ってきたのは「がっ」という鈍い音と、歯を通じて伝わった思いもよらない硬さであった。

「……不可能」

 歯で感じたのは金属のような触感だった。しかし、手で触るとそんな風には思えない。不思議な金属だ。あの少女に見せたら、何か知っているのだろうか?

 

 青年は砂浜へと上がっていくと、もう一度よく辺りを見渡した。不思議な場所ではあるが、なにか使えそうなものは特に見当たらない。

こ こから先に行くには、逆方向の岸壁を登るか、避けるようにして海に入るか、密林の中に飛び込むか。

 しかし、海に入ってさらに先に進むにはタンカーの船体が横たわっているため、それを避ける様に海を進む必要がある。

 青年は泳げる自信はない。どれほどの深さがあるか分からない。

 危険を冒すのはあまり得策ではないと思い、次に密林の方を見てみた。岸壁を登るのはさすがに無理だ。

 

 掻き分ければ進めそうだが、青年はあまりこの中に入りたくはなかった。

 単純に、迷いそうだったからである。ここで迷えば、間違いなく餓死する。いや、何か食べ物があれば別だが。

 加えて、雲で日光が遮断されているため、密林の中は不気味なほどに暗い。

 それは生物としての本能的な危険の回避能力か。青年は死を進める気はなかった。

 

 戻ろう、と踵を返そうとしたとき、ふと青年の目は何かの端切れのようなものが密林の砂浜の奥の方、密林との境の辺りにあるのを見つけた。

 黒い何かが砂の中から覗いている。金属のようなものだが、これは埋まっているらしい。

 少し速足で駆け寄って青年は膝を突くと、手で砂を掻き分けていった。昨日の嵐のせいで湿っていた。

 

 半分ほど、その姿が現れた時、そこに見えたのは形を持った金属の何かだった。

 それと同時に、小さな白い金属の板。表面が削れてしまっているが何か塗装がされているようにも見える。

 金属の何かの方は少しだけ青年は見覚えがあった。この大きさでこの構造。

「いなずま、あれ、似る、船?」

 あの少女――電が昨夜、自分を救った時に身に着けていた装備。あれに似ているように思える。

 確かに特徴や構造は違うが、共通点は少しながら見られる。

 

 掘り進めていた場所の縁が崩れ落ちて、パラパラと砂が零れ落ちていく。

「?」

 すると、その場所からまた別のものが現れた。今度は金属ではなさそうだ。

 手でその上に被さっている砂を払うようにして、その全容を明らかにしていくと、なかなかの大きさの木版が現れる。

「――――木、板?」

 しっかりとした木の板。青年の背丈に及びそうなくらい長く、だが、ところどころに穴や欠けた跡があり、特に表面は損傷が激しかった。

 これも何か塗装がされているように見えるが、大部分が剥がれ落ちてしまっている。

 ふと、青年は閃いて、その板で砂浜を掘り始めた。しっかりしているため、手で掘るよりも格段にスピードが違う。

 

 結果、長い時間がかかって、その全てを掘り出した。

 範囲は二メートル四方ほど。深さは五〇㎝ほどで、せっかく見つけた丈夫な板は砂まみれになってしまった。

 

 最初に見つけた金属の塊とは別のものが次々を現れた。

 細長い棒に、小さな布きれ。似たような形をした先端が尖った金属の塊が二つ。元は一枚のある形をしていたものであったのだろう一箇所にまとまってあった四つの大きな金属片。

 そして、先ほど見つけた小さな白い金属の板。それはこれの一部だったのだろう。

 鳥の翼ような構造を持った謎の構造体。白銀の翼が輝きを失ってそこにはあった。

 

 

 青年はこのときかなり興奮していた。自分の知らないものが自分たちの足の下に埋まっていたのだ。

 ずっと空ばかりを望んできた青年は初めて足下よりも下に意識を向けた気がした。ただの冷たい地面でしかなかったその場所に埋まっていたお宝だった。

 

 その興奮に当てられてか、頭の回転がかなり速くなっていた。

 無知な青年だったからこそ、そこにある共通点――前例に新しい事象を当てはめて理解しようとするアルゴリズムが偶然、青年に気付かせたのだ。

 波打ち際に散らばっていた黒い金属片。

 ここで発掘した大量の金属片。

 

 散らばっている範囲が似ているし、それはちょうど―――人間の大きさだ。

 

 

「何…これ?」

 

 未知がそこにはあった。だからこそ、青年はかつて自分に生きるための人間としての価値を与えたあの時に似た胸の高鳴りを思い出していた。

 知らない世界がこんな形で目の前にあり、今自分はその謎を解き明かす場所にいる。

 今まさに、自分は未知を追い求め考える人間であるのではないかと。

 

 青年の足は波打ち際へと向かった。掘り返したら何かが出てくるかもしれない。

 先程手に入れた木の板を脇に抱え、少し速足でその足をもう一度海水に浸した。

 

 

 

 

 




書いてると無限に長くなっていったので、いったんここで切りました。


リアルイベントと艦これイベントでなかなか書く時間が取れず、土曜にようやく艦これイベントを完走したので、久しぶりに投稿できました…ちなみに新艦全部迎えました。

ですが、これからリアルの方がやや忙しくなって、うわぁ、です。

ちょっとゆっくり投稿の第三章ですが、よろしくお願いします。


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