横須賀鎮守府の裏門から数台の装甲車が到着する。
その後を追うようにトレーラーを牽引した車両も続々と入ってきた。
降りてきた者たちは素早く積み荷を降ろし、乗っていた少女たちはそれに着いていく。
最後に降りてきた男は深く溜息を吐きながら、蒸し暑かった車内に酷く不機嫌そうな表情をして、足元に唾を吐いた。
「うるせえ……蠅でも飛んでんのか」
本日の横須賀鎮守府はお祭り騒ぎだ。いや、そう思うのも無理はないのだろう。
今日、この場所ではお祭りがあっているのだ。祭りと言うほどでもないが、ちょっとしたイベントと言ったものか。
横須賀鎮守府の一部施設が公開されて、多くの一般市民が内部に入れるようになっていた。その中に混じるように政府重役や軍部の上層部、ありとあやゆる分野の大企業のトップなどVIPと呼ばれるような人間もいた。
そんな喧噪の空気の中、多数の少女たちを引き連れた男が工廠の方から苛立った表情をして歩いてきた。
(……御雲殺す御雲殺す御雲殺す御雲殺す)
男は心の中でずっと呪詛を吐き続けていた。
短く切り揃えた清潔感のある頭に、眼帯を付けたこの男は佐世保鎮守府の提督である。
名前は、
類稀なる剣の達人にして、西海を護る狩人。
そして大の子ども嫌いである。
そんな彼の下にも、ついに空母が着任した。報告を受けた彼は大喜びした。
しかし、その喜びも束の間。
空母ではあった。見た目はほとんど駆逐艦と変わらなかった。
変な関西弁を話す赤い陰陽師じみた装束の少女と、白い弓道着に下には袴ではなくもんぺのようなものを身に付けた空母。
まぁ、何と言うかちんまりしていた。2人は軽空母だと言う。
航空駆逐艦、とか口走ったら爆撃された。
と言った感じに、子どもが苦手な男の下に子どもの姿をした艦娘ばかりが集まる。
唯一、見た目高校生くらいの軽巡洋艦娘は、語尾にクマクマいう際物だ。
建造レシピは間違っていないはずだった。全て大本営から指示された通りに行った。
こういった結果になった以上、誰かが手を引いているに違いない。
例えば、大本営のお膝下にある鎮守府の提督とか。
海軍のトップで防衛大臣を親に持つ提督とか。
天霧を佐世保の鎮守府に押し込んだ男とか。
(御雲殺すッッッ!!!)
見当違い過ぎてほぼほぼ八つ当たりではあったが、天霧にとって元々、御雲 月影という男は顔を合わせれば殴りかかるような、打ち倒すべき存在なのだ。
「球磨お姉さん。どうして提督は気持ち悪い顔してるにゃしい?」
「見ちゃダメクマ。頭がおかしくなるクマよ」
「おい、聞こえてんぞ。クソガキども……ん?」
背後でうだうだ言っている艦娘たちにげんこつの一発でもお見舞いしてやろうかと思ったが、ふと視界の隅に見慣れた顔が入った。
「はっはっは、お若いのにご立派だ」
近くに黒服の男がたくさんいるが、それも気に留めずにグラス片手に大声で笑う男。
知らぬはずもない。この男、この国の首都を預けられた男だ。
小太り禿げ頭白い髭に気前のいい性格、そしてどこか愛嬌のある笑顔。
柔を感じさせる井出達の裏側でとんでもない策士。政界に蔓延った不正と言う不正を全て叩き出し、更には停滞していた事業や計画を全て満足いく形で終わらせ、一気に都民の信頼を勝ち得た切れ者だ。
「いえいえ、若輩者であります故に至らぬ点も多くご迷惑をおかけすることもしばしば。国防と言う大きな使命を背負う以上、早く若さというものも切り捨てねばと」
その正面で、随分と若い軍服姿の男が側に1人艦娘を置いて話し相手となっていた。
「何を言う。若さとはそうそう捨ててよいものではないよ。若さ故の過ち、大いに結構。君に必要なのは早すぎる成長ではない。若さ故の過ちを犯してもそれを救ってくれる友と部下の存在だ」
「それは……都知事殿の経験則でしょうか?」
「うむ、経験則でもあり、王道と言ったものだ。若くして才覚を見せた者には共通して優秀な友がいる。または愛する者が。その友を愛すること、愛する者を信頼すること。それが君には必要だ」
「なるほど。勉強させていただきます」
「はっはっは、大いに学び給え。今日ここに来ている者たちは別に冷やかしに来ているのではない。君に対する期待を測りに来ているのだ。そこで君はもっと知ることになる。この時代に、大きなものの上に立たされた自分に向けられる目と、それに答えるために必要な技を」
「はい、そのつもりでご挨拶させていただきます」
男が深くお辞儀をしたとき、彼らの横からややわざとらしくカツンと、足音を鳴らして男が近づいてきた。黒服のボディガードに止められていたが、少し話すと道を開けた。
「失礼。仲園東京都知事とお見受けします」
まさしく横槍を入れると言った感じに、横から2人の前に現れて紳士ぶって挨拶をした。
「……げっ、あの馬鹿提督、突っ込んでいったクマ」
一瞬の目を離した隙に、彼女たちの提督は2人のところに突撃してしまっていたのだ。
あの荒れた性格の提督が、あんな紳士みたいな様子で話しかけるなんて何かがおかしいと気付いたときには既に遅し。
恐らく、都知事と話していた軍人が御雲だ、と推測できる。乱闘間違いなし。
「御雲大佐、失礼させていただきます」
一応、階級が上だからか。形だけのお辞儀をして仲園の方を向いた。
御雲の側にいた艦娘が、提督だと気付いてか小さく頭を下げた。どこか芋っぽい娘だなどと思いつつ、天霧は表情を作り始めた。
「ん?君は?」
突然現れた眼帯の男。見るからに怪しいが、天霧は胸に手を当てて畏まって丁寧に挨拶をする。
「御見苦しい醜貌であることを先にお詫びさせていただきます。手前は佐世保鎮守府にて艦隊司令官を務めさせていただいております、天霧と申します」
「天霧……あぁ!君が天霧家の。しかし、不思議なものだ。裏の者が提督など」
恐らく表の人間、その名前にはすぐにピンときただろう。
本来、このような場にいるはずのない人間であることも。
「えぇ、その件につきましては、この者はやや特殊で……」
すぐさま、御雲がフォローを入れる。
「一族にほぼ勘当に近い形で追い出されましたので。何分、隻眼。裏家業は務まることもないでしょう」
そのフォローを無駄にするように天霧が身の上を話す。
勘当なんて言葉、良い響きがしないのは当たり前だ。その言葉を使わせたくなかったのは、御雲の部下であると思われている手前、そのようなものを下に置いている自分の立場を護るためだったのだろうが、天霧は当然それを崩すことをした。
「なるほど。生業の分、そのようなこともあるか。厳しい道を進まれたことだろう」
驚いたことに、仲園はやや同情的だった。
「全くです。ですが、行く宛もなく彷徨っていたところを御雲大佐に拾っていただき、今の地位にありつけた次第であります。この度は都知事殿への挨拶を含めて、この国の期待を背負っておられる御雲大佐を、少し持ち上げてやろうかと思い、私の経歴を語らせていただきました。お許しください」
と言った感じに、媚に媚びまくって、仮面の下から嘘八百並べる。
最後には恨む相手を持ち上げることまで。迂闊に否定すれば違和感が残る。
御雲に逃げ場なし。
「あー、なになに構わんよ。救ってくれた上司への恩を忘れない良い部下ではないか。こういう青年を大事にしなさい」
「えぇ……そうですね……」
好き放題やられて必死に柔らかな笑みを保っているが、天霧を横目で見た時に目に殺気が籠っていた。
(くくっ……めっちゃ堪えてやがる。見ものだぜ、こりゃ)
「ふむ、では天霧くんも多くの事を学んでいきなさい。御雲くんも優秀な部下は尊ぶことだ。私は失礼させてもらうよ」
「はい、本日はありがとうございます」
「ご期待に沿えるよう、務めさせていただきます」
最後まで優しい笑顔でその場を去っていく仲園を見送りながら、しばらく沈黙。
ふぅ……とお互いに作っていた表情を崩して剣の代わりに視線を交わした。
鋭く尖りきった、凶器のような視線を。
「おい……なんのつもりだ貴様」
当然噛みついてくるだろう。天霧の思い通りに事を進めていく。
「なーに、愛しい愛しい宿敵さんに再会できたんだ。ぶち殺してやりたい気分さ」
「はぁ……まだ根に持っているのか。小さい男だな、貴様は」
「現在進行形でこっちは苦しめられてるんだよ。てめえの面ぶん殴らなきゃ気が済まねえな」
軍刀さえ互いに持ち合わせていれば、この場で斬り合っていただろう。
その類はここに入る時点で預けてきたので、残念ながら武器は拳だけだ。
「あ?やるか?」
相当苛ついていたのだろう。表情に隠しきれてないほどの怒りが浮かんでいる。
「おう、望むところだ。ぶち殺してやるよ、御雲」
想定通りだ。一方的に決闘挑んでも軽くあしらわれるだろうが、無視できない形で邪魔してやれば向こう側も乗ってくる。
「はいはい、君はこっちに来るクマ。おバカさんの喧嘩に巻き込まれるクマよ」
「えっ、ちょ……司令官!?喧嘩はマズいですって!!」
「わぁい!可愛い子にゃしい」
「いらっしゃぁい♪さぁて、パンツは何色かしらぁ?」
「ちょっ!スカートめくら……潜り込んできた!?」
「随分を子どもっぽいのを履いてるのね!それじゃ1人前のレディには程遠いわよ!」
「そういう暁のパンツは熊さんのイラストが付いてるわ!確認済みよ!!」
「なんでばらすのよおおおおおおおおおおおお!!」
「パンツ脱がさないでえええええええ!!!!」
避難させられた駆逐艦の悲鳴に似たようなものが聞こえたが知ったことではない。
と言うか、天霧の教育をもってしても、あの駆逐艦娘たちの性格を矯正することは無理だ。3日くらいで諦めた。
「貴様には少し強めの躾が必要だな、なぁに、無様に泣き叫ぶ程度で止めてやる」
「くっくっく、御雲ぶち殺す……」
その時、天霧の左肩を誰かが叩いた。ポンポンと軽く。
「ん~~?誰が誰をぶち殺すって~?」
くるりと首だけで振り返る。頬に冷たい感触。マイナスドライバー。
「は?……ひぃ!!あ、ああああ……」
女性が立っていた。やけに目立つ桜色の髪をした女性が1人。白い軍服を着て。
しかし、右手にはマイナスドライバー。どこか油くさい。
繋がっていく特徴。引き出された記憶。
天霧の膝が笑い始めた。
「やぁやぁ、久し振りだね、辰虎くん。どうしたの?使えなくなった目に私の特製義眼でも詰め込みに来たの?」
弾けるような笑顔で腰を抜かした天霧に語り掛ける女性。
本人はとても楽しそうにしているが、天霧はガタガタと震えていた。
「証篠 明ぃぃぃぃぃいいいいい!!!!」
呉鎮守府提督、
艦隊を指揮するよりも工廠で艤装を弄っている方が好きと言う根っからの技術屋。
唯一の女性提督であり、唯一艤装を弄ることができる人間。
「ん?天霧、証篠の事苦手なのか?」
戦う気も失せたというような顔で、御雲が天霧に問いかける。
ガタガタと震える指で証篠を指差しながら、天霧は小さな声で口を開いた。
「ににに苦手と言うかそんなレベルじゃないっすよ!おおおお俺のダチ曰く、証篠さんの機嫌損ねたら消されるとか、改造されるとか、はらわた抜かれて歯車入れられるとか……在学中に20人は消したとか、もう有名っすよ!!触らぬ神に祟りなしって」
口調まであやふやになり、膝がガクガクと笑っていた。
「……ひどくない?ねえ、ちょっと酷すぎない?私への風評被害、ねえ辰虎ぁ?」
笑顔のまま、首を横に傾げて天霧に問う。
大の男が「ひぃ!」と怯える姿など見てて面白くはない。
「あっ、そう言えば、この前の密輸船。俺のところに船長の身柄だけ届かなかったんですけど」
「あぁ、あれ。消した」
「ほらぁぁぁぁぁぁあああ!!消してるぅぅぅぅぅううううう!!!」
騒ぐ天霧に、頭を抱えて溜息を落とす御雲。
「いや、ちょっとね……うちの子を怪我させたから」
「深海棲艦との戦いだ。艦娘が負傷することもあるだろう?その腹いせを不当な輸送を行ってた一般人に向けるな」
「まあまあ、そんなことは忘れて。辰虎くん、ゲストハウスの方に行ってみな。君に会いたがっている子がいるよ」
我の事は置いといて、と話をすり替えてまだ震えている後輩に声をかける。
「は、はぁ?俺に会いたがってるやつがいる?果し合いっすか?」
「違う違う。君の旧友だよ」
行けば分かる。そういって無理矢理立たせて背中を蹴った。
若干渋々ではあったが、天霧はゲストハウスの方へと歩いていった。
「はぁ、助かった。本気であいつを殴るところだった」
手首をぶらぶらと解しながら御雲は言う。あそこで証篠が来なければ、この白い手袋も汚くなっていただろう。
「私も接待に飽き飽きしてたところだから別にいいよ。ところで、君のところの吹雪?だっけ?さっき駆逐艦に担ぎ上げられてどこかに連れていかれてたけど大丈夫?」
「……あぁ、大丈夫じゃないな」
一難去ってはまた一難。一息吐ける時間というものほど今一番欲しいものはなかった。
*
――――クレイン。
Crane。『鶴』を意味するその英単語を発音に準じて横文字にしたもの。
それが彼の名前となった。
彼が出会い、彼の生きる翼となった女性の名を貰い、長寿・純潔の意を持つその名を背負った。彼の人生において、この文字はきっと切って離せないものになる。
彼は人間ではなかったと自覚していた。ゴミのようなものであったと。
一族や、血や、親や、兄弟。そんなもの一切彼の人生に関係なく、存在しなかった。
そんな彼が持っていた能力―――「妖精を視る力」。
それは艦娘たちを率いる存在、提督に必要不可欠なものであり、それを維持するためにかつての提督たちは血を守ってきた。「視得る者」の血を。
そんな血に関係なく、数億と言う人間の存在の中からその才能を生まれ持った。
そして、ずば抜けた知能。ものの1ヶ月で言語を習得し、数学と科学を理解し、艦娘の技術さえ理解するに至った。
極彩色に濁った泥水の中に半身を沈めてきたゴミだめのような場所で育ってきた彼が、いやそれさえ関係しないほどの多くの人間の中から、彼は選ばれた。それも凡人では得難い頭脳を持ち合わせて、辺境の地で生き続けた。
鶏群の一鶴。彼に相応しい言葉だろう。
突然だが、そんな彼の目の前が修羅場だ。
「だーかーらー!なんでそんな格好してるの?って聞いてるの!瑞乃姉!!てか、いつの間に髪白くなってるの!?ストレスなの!?」
「だ、だから私は瑞乃という方ではなく……というかあなたこそ瑞鶴じゃないのですか?緑がかった黒髪にツインテール、特徴はどれも間違いありませんし、顔も目の色もよく似ています。瑞鶴じゃ―――」
「瑞鶴なんてそんな人知らないってばぁ!!」
「私も瑞乃なんて方ではありません!!」
「あぁ、もう!継矢兄も呼んでくる!!瑞乃姉が記憶喪失になって、艦娘になってるって!!」
「ちょっと待ってください!あなたは瑞鶴ではないのですか!?」
「継矢兄ぃ!!瑞乃姉が壊れたぁぁあ!!!」
「……ねえねえ司令。これどういう状況よ?」
クレインの近くに寄って、陽炎が小さい声で訪ねてきた。
「い、いやぁ……私にも分かりません。お知り合いなのですかね?」
「んなわけないでしょ!翔鶴さんはあの島でずっと眠ってたのよ?100年も」
「で、ですよね……」
クレインは困り果てていた。
あの時のパイロットと名乗る女性と、頼れる仲間である翔鶴が顔を合わせた瞬間、お互いに何かを叫び始めたのだから。
数日前の事だ。
電や翔鶴、その他少数の駆逐艦が挙って集まってあるものを考えていた。
それは、司令官の名前である。発端は陽炎の発言だ。「そう言えば、司令の名前って何?」という単純なものだったのだが、当然誰も知らない。彼の生い立ちについてはあの一件以来せがまれて、電の口から話されたが、思えば、彼の名前については誰も気に留めることなどなかったので知る由もなかったのだ。
「ポチ」だの「ブチ」だの「ライトアンドダークネスドラゴン」だの「四郎」だの「正道」だの。
当然、まとまるはずもなく、結局青年に迫って自分で何かしらの名前を決めさせた。
日本人っぽい名前は、東洋人のような様相ではあるが、明らかに日本人離れしている顔の造形をしている彼には似合わないなどと言う意見もあり、少し悩んだ結果、彼は仲間の名前から貰うことにした。
では、最も付き合いの長い電か、となると、やや難しい。次に長い翔鶴の名前を貰おうとしたが、「カケル」や「ショウ」は前述の通り似合わない。
結果、翔鶴の「鶴」という字を貰って「クレイン」。美しいその鳥に自分は似合わないと、青年はやや反論したが、周囲の強い推しもあり、彼の名はクレインとなった。
ちょうどその頃、哨戒任務に当たっていた部隊が、日本国の軍機だと名乗る飛行物体から通信を受けたと報告。
すぐに確認に向かい、それが日本本土からやってきた使節だと理解し、すぐに着陸の許可と受け入れの準備を行った。
飛行場への着陸。そのと同時に流れ出るようにざっと輸送機の中から軍人が出てきて、あっという間に綺麗に整列する。
その中から1人。2人を護衛にして、こちらへと歩いてきた。他の者たちが戦闘服であるのに対し、彼だけは黒い軍服であった。
後方に艦娘たちを待機させた状態で、クレインは1人で歩み出た。
「―――適切な誘導、及び基地への受け入れ、感謝する」
右手を差し出されたので、こちらも手を出し握手をする。
「いえ、我々が呼びつけたようなものです。こんな辺境の海まではるばるお越しいただいたこと、この上ない感謝でございます」
「日本航空防衛軍、対特例災害機動空挺師団、
そう名乗った男は一見細いが、握手しただけで分かるほどに屈強な男だと分かった。
その割に、威圧的なものは一切感じられない。それ以外は模範的な軍人のような男に見えた。
「先日は、私の部下が世話になった。よく話を聞いている、手厚くもてなされたと」
「そうですか。無事に帰還できたのはよかったです。非正規ではありますが、ここブイン基地にて艦娘の指揮を執っております、クレインです」
こちらも「つい先程」決まった名を名乗り、自らの身分を明かした。
名前がない、という状態は非常にまずい。そんな信用のない者たちと、まともに話し合おうとする者たちはいないだろうと懸念したのだ。だからこそ、彼の名前を決めることは今まで思いつかなかっただけで、最重要事項でもあったのだ。
葦舘は「それにしても」と口にすると、クレインの後方の艦娘たちに目を向けた。
「……報告にあった通り、正規の軍ではないのだな。その割に統率がよく行き届いている。てっきり、外れ者の集団と勘違いしていた」
と少し微笑みを浮かべながら言った。この時点でクレインは肩に籠ってた妙な緊張が不思議と抜けた。
「あながち、間違いでもないかもしれません。私個人の力ではありませんが。ご存知の通り、非正規で艦娘を率いている者ですので」
「この時代、力を持つ者が必要とされているのだ。何、君はすぐに正規の軍人になれる。今日は君を迎えに来たのだからな」
「えっ……?」
クレインは葦舘の言葉に疑問を抱いた。
いや、確かに本土に連れて行ってほしいとは頼んだ。
だが、いきなりどこの馬の骨かも分からない男が、辺境の地で「艦娘の力」を好き勝手振り回しているような男が、顔も合わせず認められることがあるだろうか?
葦舘は側にいた者に「あれを」と言うと、折りたたみ式のケースに入れられた見開きの書状をクレインに見せた。
「――――横須賀鎮守府現提督、御雲月影海軍大佐より、君の身柄を海軍中佐相当のものとして扱うように言われている。生まれ、育ち、身柄、そんなものは関係ない。すべて「艦娘」という存在が保証している、と」
横須賀鎮守府提督の名、それとその書状の正当性を認める海軍大将の名、実印が押されていた。
内容は、ブイン基地所属の人間、艦娘すべてを日本国軍に正式に受け入れること。
率いていた者には、日本海軍中佐相当の地位を与えること。
当然、クレインには驚くべきことだった。ここまでうまく事が運びすぎていることに驚いていた。
「では、準備が出来次第、あなたを本国へ送り届ける。艦娘の方々には海路で行ってもらうことになるが」
「えぇ、はい……えーっと、すみません。あまりにも突然の事で」
「あなたもすでに知っておられるだろう。深海棲艦がどれほどの力を持つ脅威なのかを。一分一秒を争う世界は、常にあなたのような人材を求めている。100年前よりその最前線で戦い続けてきたこの国は陸海空の分け隔てなくその価値をしっかりと理解している。力を持つ者を求め続けている」
どうか、力を貸してもらえないだろうか。葦舘はそう言った。
そう言って、頭を下げた。軍人が、こんなにも簡単に。一佐とも身分のある者が。
クレインも馬鹿ではない。それがどういう意味なのかくらい分かる。陸海空の分け隔てなく、あの存在を危機だと捉えているのだ。
どうしようもない存在を打ち倒す存在を切望しているのだ。それはまさしく神に縋るかのように。
本当に、どうしようもないのだと。
選ばれた人間しかなることのできない提督と言う存在。
なるべくして生まれ落ち、なるべくしてこの地に導かれ、なるべくして彼女たちに出会った彼には、自分自身の運命の向かう先を既に理解していた。
きっと自分は、このために生まれてきたのだと。
「元より、そのおつもりです。すぐに準備いたします」
作業は急ピッチで進んだ。全てを連れて行けるわけではない。部隊を編成し、指揮系統を急いで整えた。
利根を司令塔として、新たに加わった《荒潮》《満潮》を含め、《大潮》《霰》を基地に残留させる。
残りの比叡、翔鶴、電及び陽炎型4隻、朝潮型の朝潮、霞と練度の高い者たちは厳しくなるであろう本土までの道中を突き進む部隊に編成された。
翔鶴航空隊の一部は基地に留まった。万が一の為の基地上空の防空部隊として飛行場を中心に仮の航空隊を急遽編成したのだ。
こうして、クレインは本土へと向かうことになる。願った形はほとんど形を成していた。
まぁ、そんなこんなで日本に来て、艦娘たちは横須賀に受け入れられて、クレインは御雲と会い、色々と聞きだされた。
やけに豪華で慣れない宿を貰い、艦娘たちは整備と補給を受けて、そのままクレイン同様に丁重にもてなされた。
それで後日、呉の提督と会う。色々とまた聞かれた。特に翔鶴は何かねちっこく聞かれていた。
更に、後日、舞鶴の提督と会う。簡単に会話した程度ですぐに分かれた。
ちなみに、艦娘たちはほぼ軟禁状態だった。それに不満を漏らす者もいたが、今は我慢だと説き伏せた。
そして、何やら行事でも行われているらしい場所で、御雲と再び会い、事情を説明された。
クレインの艦娘たちの登録に時間がかかった、と。
そして、この鎮守府を公開するので、その一環の艦娘の実戦形式の演習にぜひ参加してほしいと。
快諾した。断る理由も特になかったので。
そして、一般公開当日。彼女がやってきた。葦舘と一緒に。
葦舘は上司として、瑞羽は救ってもらった相手として、横須賀に寄ったついでに挨拶に来たそうだ。
ちょうどその頃には翔鶴は、駆逐艦たちと演習の戦略を練っており不在だった。
話を聞くに、葦舘は普通の人間らしく妖精の姿は見えないらしい。
しかし、祖父を艦娘たちに救われたことから、艦娘は信頼しており、彼女たちの伝説も信じ切っているとか。
自分は海には向かないと思い、空の道に進んだ。しかし、艦娘の力になりたいため、数年前に急遽設立した「対特例災害機動空挺部隊」への異動を壮年になって決めた。
そう語る葦舘は先日会った時とは違い、柔らかい表情をしていた。
その横で、織鶴 瑞羽はずっとつまらなさそうな顔をしていた。
葦舘が退出したあとに、瑞羽は残って何かとクレインと話していた。
思えば、瑞羽の顔を見るのは初めてだったクレインは少しだけ翔鶴に似ていると思い、普通に接するように話していた。
内容は、あの時はきつく当たって悪かった、とか。艦娘は元気にしているか、とか。
次第に彼女も警戒心を解いたのか、彼女の素の部分を見せ始めた。どことなく正確にまだ幼さが残っている。
クレインの事も聞かれた。彼が分かる限りのことを話して、体中の痣も染みもその理由を話した。
ではそろそろ時間だと言う時に、翔鶴たちがやってきた。固まる。お互いに。
そして現在に至る。訳が分からない。
クレインは少し考えるのを止めようかと思い始めた。
「うーい、邪魔する―――いでっ!おいコラ、ぶつかって誤りもしねえたぁどういうこっだゴルァ!!」
飛び出していった瑞羽がちょうど入ってきた男性と肩がぶつかる。
眼帯の男はその相貌によく似合った口調で怒声を飛ばしていた。
「はぁ?アンタ誰?こっちは急いでんのよ!!」
「す、すみません!瑞鶴には厳しく言っておきますので。待ちなさい!!」
すさまじい勢いで騒がしかった原因が室外へ飛び出していった。
一気に静かになった室内に、叫び声が聞こえて遠のいていくのだけが分かった。
「……どうするの?追った方が良いなら追いかけるけど?」
霞が呆れた顔でそう尋ねてきた。艦娘と軍人が公衆の面前で何かと騒いでいては面子が立たないだろう。
「すみません、お願いします」
「はいはい……ったく」
「あっ、待って霞!司令官、朝潮も行って参ります!1人では手に負えないかもしれませんので!!」
そう言って駆逐艦2人がどこかに走っていった翔鶴と瑞羽を追いかけて出ていった。
どたどたと床を走る音がまた遠のいていって、そしてまた静かになった。
「……なんだありゃ?」
眼帯の男は走り抜けていった2人の女性の背中を目で追いながら徐にそう呟いた。
「すみません。私もよく分からなくて……提督の方でしょうか?」
そう声をかけ顔を見合わせた瞬間、何か察したような顔をされた。
ものすごく憐れむような顔だった。
「あ?あーあーあー……まーた、強烈な奴が出てきたなこりゃ。どこの組に薬品ぶちまけられたか?どんな喧嘩売りゃそんな落とし前付けさせられるんだ?この国の人間でもねえな。密輸か?」
「い、いえ、あの……色々と事情がありまして」
「薬か人身売買でしくじったか?しっかし、人様に言えねえがそんななりでも提督とやらにはなれるんだな」
思いっ切り、勘違いをしている男性に反論する気力は先程の騒々しさの中で忘れ去った。
「いえ、あのですね……はぁ」
「外れ者の俺がなれんのも当然だぜ……ん?」
頭を掻き毟りながら、クレインの前の席に座ろうと寄ってきた男は、何かに気付いたような声を出して足を止めた。
「…………お久し振りなのです」
見合って数秒。身長差は歴然としていて、見上げるのと見下ろすのと変な傾きのまま視線が交錯して色々と悟った。
そして、男の―――天霧の顔がニヤァと歪む。喜びか、はたまた怒りか、眉をぴくぴくと動かして、その再会に歓喜しているかのような表情をしていた。
「おいおいおい……生きてやがったのか。今までどこほっつき歩いてた、クソガキィ!?」
目の前に立っていた少女、《電》は彼の顔を見るといつもの優しい顔から厳しい顔に変わった。
ただのものいう兵器になってしまっただけのような、感情と言う色のない顔。
「あ、あのぉ……電さん?」
「クソガキじゃないのです。そこの方のところで艦娘やってただけなのです」
電はクレインの呼びかけには敢えて答えずに反抗的に天霧に当たる。クレインの方をちらりと見て、そう答えた。
なんとなく理解していた。
変に下に出れば、この男の土俵だろうと言うことを。
「はっ、なるほどな。懐かしい顔たぁ、こういうことか。電、場所変えるか?」
天霧は証篠の言葉の理由をようやく理解した。
思いもがけないものであったが、その意味で予想の遥か上を行ってくれていたことが逆に喜びであった。
親指で外に出ろ、と表すと小さく頷く。
「……司令官さん、少し失礼するのです」
「えーっと……」
なんとなく状況は把握できていた。この2人の関係も先程の2人よりかはいくらかはっきりとしている。
「電が司令官さんのところに行く前にいた鎮守府の司令官さんなのです。積もる話も色々あるのです」
「……そうですか。分かりました」
電の口から明確な答えを得たところで、クレインは頷いた。
いってらっしゃい、と。
ここから先は彼女なりのケジメをつける場なのだろう。いくら今は自分の部下であろうとも、彼女の中にあるそう言った感情の邪魔をする気は起きなかった。
それとは裏腹に、奥の部屋からこちらを除いていた4人。
やけに興奮気味なのが一部、冷静なのが一部、訳が分かっていないのが一部と言った状況であった。
「電の昔の男……っ!昔のっ……男っ……!!」
「あかん……司令はん腕細いからあの見るからに極道の兄ちゃんとはまともに戦えへん。奪われてもうた」
「陽炎、黒潮、そう言うのではないと思いますよ。あなたたちが期待しているようなものは全くないと思いますよ」
「冗談よ、冗談。しかし、電も複雑ねぇ……」
「複雑……?男と女の関係と言う奴ですか?シュラバ?とか言う奴ですか?」
「はいはい、雪風はんは耳閉じてよなぁー。ついでにお口もなぁー」
「しかし、あんなに強い電さんの前の司令官。気にならないと言えば嘘になります」
「そうよねぇ~、私たち余程の事がない限り複数の司令官を持つことなんてないだろうしね。船の時は割と普通だったけど」
「電はんにとっては2人目の提督……色々とあったやろなぁ」
正確には、3人目の提督である。
基礎を積み上げたのは御雲の下で。今の電の戦闘スタイルを築いたのは天霧の下でである。
司令官の名前も知らなければ、自分たちがこの身体を得た時からいた司令駆逐艦のことについてもあまり知らなかった。
「着けてみる?」
「いいですね」
陽炎の提案に不知火が乗ったところで、クレインと目が合った。
「あっ、みなさん。そこに居たんですね」
「どうしたの、司令?」
「工廠へ行って艤装のチェックを、終え次第、限定的に解放された海域がありますのでそちらで簡単な身体慣らしを。しばらく海には出ていなかったので鈍っていることでしょう」
「えぇ……訓練」
「うぐっ……わ、分かったわよ」
「それと」
クレインの口から、注意を引くように強い言葉が放たれた。びくりと3人は肩を跳ねさせた。
「あまり電さんのことを詮索するのはやめてあげてください。あの人は前に自分がいたところを捨ててまで、私を支えてくれていたのです」
「……分かったわ。何もしない。黙って訓練をする。それでいいわね?」
「お願いします。もし、翔鶴さんたちを見かけたら私の下に来るように。朝潮さんと霞さんはそのままあなたたちに同行させてください」
「りょーかい。さぁ、行くわよ、不知火、黒潮、雪風」
長女の陽炎が率いていって、4人とも部屋を飛び出していった。
ようやく1人になった部屋で冷め切ってしまったコーヒーを口に流し込んで深く息を吐いた。
ブイン基地。あの場所において戦い続けてきた彼女たちの正当性を認めてもらいたかった。それが本土へと連れてきてもらった理由だった。
そして、もう1つ。彼女たちを故郷へ帰してあげたかった。
特に翔鶴に至っては100年ぶりの故郷なのだ。日本へと連れていく、そんなことを約束した気がする。
電だって本当は帰るべき場所があった。それを蹴って、わざわざ付き合わせてしまった。
達成感と少しの罪悪感と、それを掻き消す多くの景色。
色のない世界でずっと生きてきたが、この国に来て見たもの全てが刺激となって、この脳に働きかける。
知恵熱でも起こしそうだった。
いつかこの眼に色彩を刻むことはできるだろうか?
この国に来たからには、その手がかりだけでも持って帰りたい。
どんな使命を背負っても、この胸の中で絶えず燃え続ける炎の燃料は、
いつだってあの日の夢なのだから。
終わる終わる詐欺が酷いと実感してます。
なかなか多忙で続きが書けない日々です。頑張っていきたいと思います