赤煉瓦の建物の向こうからは一般人たちの喧騒が届いてくる。
こちら側の通路は作業着の人間が行ったり来たりして、中佐の階級章をつけた軍服の天霧の姿を見るだけで立ち止まっていちいち挨拶していくのを、手を振って追い払っていた。
どこに行ってもやはり人目がある。結局、工廠の方に行って、外に付けてある錆びた階段を上がり小さな屋上に出た。
海が目の前に広がる。空もほどよく雲が漂っている。
眼下には多くの人々。何を目的としてここに訪れているのか分からないが、釣られて集まってくる稚魚の群れのようだと天霧は足下に唾を吐いた。
潮風が強い。帽子は脱いで、右手で顔を仰いだ。
「……飯はちゃんと食ってたか?」
最初の問いはそんなものだった。
「まぁ、そこそこに。佐世保にいた頃とは全然違う生活ですけど」
「あー、そうか。いやぁ、こっちは大変だったぞ。この前は3食全部に玉子焼きが出てきて発狂しそうになった」
出汁巻ならまだしも、全部甘い奴だったので、思わずブチ切れたのを思い出した。
と言うか、倉庫にあった卵の半分くらいが消えていたので尚更ブチ切れた。
「……話すことはそんなことなのですか?」
「何か訊いて欲しいことでもあるのか?」
「じゃあ、逆に訊くのです。電がいなくなって、どうしてそのままにしていたのですか?」
電は信じていた。別に見捨てられたわけじゃないと言うことを。何か理由があるのだと。本当は訊くべきことじゃなかったんだと思う。それでも訊いた。
少しバツの悪そうな顔で頭を少し掻くと
「……はぁ、一応探したんだぜ?御雲にも掛け合って。本当に大変だった。ガキどもは泣きだす。球磨の野郎は自分の責任だとしばらく塞ぎ込む。1週間か。空の奴らにも協力してもらって探し回ったんだぜ?」
たった1週間か。見つかるはずがない。
その1週間と言えば、まだあの場所がブインだと言うことすら知らなかった時期だ。
それにもう1つ。船ではなく、飛行機で調べたのならば、余計に見つからない。
「今のブイン基地は自然の要塞なのです。そう作り返られているのです。上空からは自然の迷彩で施設が分かりにくくなっているのです」
「だろうな。ブインの辺りも捜索したが見つからなかった。短いと思ったろ?たった1週間」
電は頷く。天霧は少し情けなさそうに笑うと、
「それともう1つは周辺諸国との衝突があった。だから、1週間で切り上げざるを得なかった。船を派遣して周辺の無人島までくまなく調べることもできなかった」
そう語った。
周辺諸国、そう言えばあの時の任務はその周辺の諸国からやってきた輸送船を密輸船と断定して、拿捕するものだった。そのせいで、折り合いが悪くなってしまったのかもしれない。
「その結果、見事にお前は死人扱いだ。南方海域になれば鉄底海峡もある激戦海域。いち駆逐艦が無事でいるはずがなかろうとな。俺が決めたんじゃねぇ。上が決めた。これ以上、無駄な捜索をやめろと」
くっくっくと笑う天霧。顔を上げると、軍帽で電を示すように振った。
「しっかし、てめえは生きてた。大したタマだ。どんな気分だ?」
「生まれ変わった気分なのです。何もかも吹っ切れた。そういうべきですか?」
「知らねえよ。しっかし、良く生きてたもんだ。どのくらい死にかけた?どれだけ大破した?どれだけ敵を前にしてしょんべん漏らした?どれだけ任務を全うできなかった?」
「ブインでの日々はほとんど手探りでした。設備はそれなりにあっても、初めて見るものも多く、生活もそんなにうまくいく訳もなく、たまに餓死するかと思うこともあったくらいです。1から鎮守府の根幹を作り上げていくのは、本当に骨が折れたのです。今の司令官さんは、頭はよかったのです。でも、それ以外に何もなかったのです。だから1から教え込んで、ようやく司令官らしい佇まいになって……」
「へぇ……あの男が司令官か。どっかの組織に報復受けた外人かと思ったぜ」
「あれは故郷の汚染された土壌に触れ続けた結果らしいのです。えぇ、とにかく……最初は意思疎通が本当に大変でした」
「地獄だったか?」
「いいえ、別の意味で天国でしたのです。別の意味で」
「くくっ、はっはっはっ!!天国か!!そりゃぁ、大変だったろうなぁ!!で、楽しんできたか?」
天霧は腹を抱えて笑った。屋上の柵の手すりをガンガンと叩いて大爆笑した。
それを見て、電は複雑な表情をしていた。
期待通りの反応だと言うか、逆にそれはそれでなんか嫌で。
「楽しかったかと言われるとそれも分からないのです。毎日のように敵が襲ってきたのです。それも、日本の鎮守府近海に出てくるような敵じゃなくて、戦艦も正規空母も、flagship級が普通。掠れば即大破なんて当たり前だったのです。死なないように、死なないように、ずっと戦ってきたのです」
「あー、羨ましいなぁ……俺も行ってみたいぜ。お前が天国と言う地獄に」
天国と言うよりかは『天国に一番近い場所』という意味だろう。
今、2人の中では近いどころか、もはや天国なのだろう。そこは死地なのだから。
そこで生き延びて、もう一度目の前に現れた。
なるほど、この少女の言う通り。生まれ変わった気分どころか、本当に生まれ変わったようだ。
「佐世保の司令官さん、司令官さんから貰った言葉はずっと忘れてないのです。『いいものを受け継いでいる』『強くあれ、強くなれ』」
着任したあの日。まだ戸惑いに苦しんでいたあの日。
この弱さを。泥に浸かりながらもがいていたその意地汚さを。大いに結構と受け入れてくれたあの日。天霧が自分に向けた言葉。何度も、何度も、電を奮い立たせた言葉。
「ここに戻ること。もう一度あなたの前に戻ること。その時に、あなたとの約束を守ること。強くなること。それが電の誓いでした」
「手に入れたか?お前自身の存在意義を揺らしていた問いに対する答えを、見つけ出す力は?お前は強くなったのか?」
「電は、強くなったのです……」
それだけははっきりと伝えた。あの時のように馬鹿にされないように。
それだけじゃない、はっきりと断言できるだけの強さを身に付けたこと。
天霧を前にして、そう言えるだけの自信を身に付けたこと。
そして、そう言い切れるだけの戦う理由をようやく見つけ出したということ。
その全てを伝えるためだけに、少女の目はまっすぐに男の独眼を見つめていた。
「……そうか。てめえの泥臭い生き方、俺は嫌いじゃなかった。魂の輝きは忘れてないか?」
「はい。あの時と変わらずまだ小さな火種かもしれないのです。でも」
「消えちゃぁいない、か。十分だ。消し炭になってるよりかはな。強くなって帰ってきたか……ふっ、あの頃のガキとは全然違えものになっちまったな」
どこか寂しそうに、嬉しそうに歪める表情の中に密かにその感情はあったのだろう。
自分が知っているものと遠くかけ離れてしまった。
同時にそれは自分の下から旅立って、自ら道を見つけたこと。
「てめえはもううちには要らねえよ。いや、うちの籠の中にいるのはもったいねえ。いつ死ぬかもわからねえ激戦区で血反吐吐いてもがき続けろ。てめえにはそっちの方がお似合いだ」
背中を押すこと。
それが元提督としての、いや、そんな関係に縛られることなく、一度同じ空の下で、同じ海を見て、夢を語り合った者としての、義務であり、権利であった。
「支えてやれ、お前の強さで。あの新米をな……」
最後には、こんな彼は優しい笑みを向けた。
「ありがとうございました……ッッ!!」
電は深く頭を下げた。真っすぐと、しっかり成長した姿を示しながら、全ての感謝をその一礼に込めて。
「偶には飯を食いに来い。せっかくなら飯を作りに来い。お前の作る飯は、案外嫌いじゃなかった」
下げた頭をぐしゃりと掴んで荒々しく撫でまわす。
嫌がる素振を見せながらも、まんざらでもない笑顔を見せた電の表情。
どこかの誰かの言葉を借りるのならば、彼らはきっと似た者同士なのだろう。
だからこそ、通じ合える。
それは唯一無二の存在である艦娘と言う存在を支えるには、十分すぎるものなのだろう。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!」
「司令かーん!生贄捕まえてきたにゃしい!!」
少女の悲鳴と、簀巻きにした少女を抱え上げて走り込んできた睦月型の群れ。
先頭の《睦月》を筆頭に、捕獲した少女を胴上げみたいに投げながら、おもちゃのように遊んでいた。
「はわわわわわわわわわ!!!!ダメなのです!!他の鎮守府の艦娘をこんな風に捕まえちゃ!!」
慌てて電が制止に入る。
かつての仲間だ。少しは聞いてくれるかと思ったが、おそらく電だと気付いていない。
そのせいか、固まって動く睦月型の群れの上を簀巻きにされた少女がコロコロ転がって上手く電から遠ざけられていた。
「あらぁ~、電ちゃんじゃない。元気にしてたぁ?」
と、ようやくここで如月が電だと気付く。意外と驚くこともなく普通に話しかけられたので、ピクリと肩が跳ねてしまった。
「何っ!?電だとっ!!」
「むっ……どこかで聞いた声かと思えば」
「うわっ!ホントだ、電だ!相変わらず可愛いね!!」
「あっ、あれ……?弥生さん、もっちーは?」
「望月なら……響さんと一緒に休憩室で」
「わぁ~電ちゃんだ~、やっほ~!」
「ちょっと急に離さないで――――ぐふっ」
胴上げされていた少女はそのまま落ちた。簀巻きにされているのできっとろくな受け身も取れなかっただろう。
「電ちゃん……?」
こちらを向いて黙り込んだ睦月が問いかけた。
「は、はいなのです……?」
そう答えた。簡潔に答えた。
次の瞬間、睦月の姿が消えた。そう錯覚した。まっすぐ1人の少女が突っ込んでくるのが視界の端に映った。
左眼の視野ギリギリに日の光が反射した。咄嗟に意味を理解して、左手で迫りくる何かを反射的に弾いた。
トントン、と軽やかにバックステップ。睦月は少し距離をとって、じっと電の顔を見た。
「ありゃりゃー、やっぱり失敗したにゃしい。本物かぁ」
右手に身の丈に合わないサバイバルナイフを握った睦月が残念そうにそう言った。
「と、突然何をするのです!?」
「挨拶だよ?佐世保じゃ奇襲が挨拶代わりにゃしい!!」
と、とてもいい笑顔で言った。直後にナイフに舌を滑らせたりしなければよかったものを。
「物騒なのです!!!!!!」
電は咄嗟に天霧を見る。目を逸らして知らぬ顔の天霧を見る。
「……いや、俺が始めた訳じゃない。ちょっと得物やらチャカの使い方教えたらこいつらが勝手に始めやがった」
「おっと……電、背中が」
「がら空きだぞ。もらった!!」
背後から聞こえた声は恐らく長月と菊月。武人じみた硬い口調だが、こんな風に言われると妙に威圧感がある。
振り返ろうとしたが、ぐっと背中に押し込まれた2つの冷たい感触。
拳銃か。ちらりと振り返ると2人が背中に自動小銃を押し付けていた。
「そのまま跪け」
長月に言われるままに、膝を折って座る。
すると、すーっと、顎の線を誰かの指が撫でた。
「ふふふっ、電ちゃん可愛いわぁ……生きてて良かったぁ♪」
「き、如月ちゃん……くすぐったいのです。首筋に当ててるナイフが」
さりげなーく首筋にサバイバルナイフかけてくる辺り、抜かりがない。
「さーて、成す術なしだね!ボクたちも少しは成長したかな!!」
目の前にひょこりと出てきた皐月が無邪気に笑う。ホント、腰の後ろで組んでいるように見せる手に、ナイフと拳銃さえ持っていなければただの可愛い子なのに。
「ん?皐月、三日月と弥生はどうした?」
ふと、減った人数に気になった菊月が問いかける。
「あー、望月を探しに行ったよ。かくれんぼだって」
「……一般人を巻き込まないと良いが」
「何をするつもりなのです……!?」
「まぁ、どうでもいいにゃし。電ちゃん。パンツ脱ぐにゃしい」
「は?」
「あのねぇ、パンツを脱がされるまで追い込まれたら負けなのよぉ?1週間の掃除当番全部任されるわぁ」
如月が説明する。がくりと電は肩を落として、天霧を見た。
「俺は知らん。そんな風習知らん。ましてや、奪われたパンツがどこに行ってるのかも知らん」
相変わらず目を背けている天霧。うっすらと汗が滲み出ている辺り、知ってはいたのだろう。
「ハッハッハ、電を圧倒するとは、俺の艦隊も結構強いじゃねぇか」
「乾いた笑いが見苦しいのです」
「わぁぁ!!たすけて~!!とれないよぉ~!!」
「ふぅ……とりあえず、1人確保」
突然電たちの背後から聞こえた声。一番早く振り向いた睦月が、次の瞬間には崩れ落ちる。
「全くもう……いきなりこんなところに連れてこられて意味が分からないよ」
そう呟いた少女。先程まで簀巻きにされていた少女だ。
文月が逆に簀巻きにされてゴロゴロ転がっていた。睦月が腹部を抑えるようにして横に倒れる。
「なっ……睦月が」
「月のバッジ?あぁ、睦月型の子たちかな?物騒だなぁ」
目の前に立ちはだかった菊月を見て、少女はそう答えると、さっと彼女が拳銃を握っている手を掴み、一瞬で捻る。くるりと宙で身体が回り、菊月の手から拳銃が落ちると同時に背中から彼女の身体も落ちた。
すぐに襲い掛かってきた長月は、簡単に手を抑えられ上に引き上げ、足を払われる。そのまま背負い投げのように投げられて背中からろくに受け身をとれずに落ちた。
「隙ありなのです」
首に手をかけている如月の隙を見て腹部に肘鉄を叩き込む。
「大丈夫……って、あれ?電ちゃん?」
よくよく聞くと、どこかで聞き覚えのある声だった。
如月のナイフを蹴り飛ばして、さっと顔を上げる。
「あっ、吹雪さん」
どうやら、攫われてきた少女も、旧友だったらしい。
「よくもみんなをぉぉぉぉおおおお!!」
残った皐月が2人めがけて襲い掛かってきた。
「やめい」
「っで!!」
天霧の拳骨が皐月の脳天を打った。ゴンっと結構いい音がして、うぅぅ、とうめき声を出しながら皐月はその場に蹲った。
*
「ごめんなさい。そういう演習か何かなのかと思ってちょっと本気になっちゃいました」
天霧に対して、吹雪は申し訳なさそうに頭を下げる。
「別にいい。暴れたこいつらが悪いんだ。しかし……近接戦で負けるたぁ訓練が足りねえな。帰ったら倍な、おめえら」
「「「「ひぃ!!」」」」
「ほどほどにするのです……全く。なんとなく球磨さんの苦労が手に取るようにわかるのです」
「あいあい、おめえの説教には懲り懲りだ。ほら、帰るぞ」
そう言うと、天霧に引き連れられて物騒な睦月型たちはその場を去っていった。
去り際に負け惜しみか、睦月と皐月辺りがあっかんべーをしていたが、なんとなく微笑ましい光景なだけで温かい目で見送った。
「対人格闘ってどこの鎮守府でもやってるものなんだね」
「あれはちょっと違うのです。なんか違う気がするのです」
「……それはそうと、久し振りだね。電ちゃん」
「お久し振り、なのです。吹雪さん」
電が横須賀を発ってから、まだ1年も経っていないが、もう10年近く会ってないような、互いに向かい合った瞬間にそんな気がした。
お互いにそれだけ変わった。特に吹雪の目には電は別人のように映った。
「変わったね。何かと……色々と」
「色々あったのです。今はブインの方にいるのです」
「聞いてるよ。クレインさん、だっけ?凄いね、1から艦隊を作り上げるなんて」
「……吹雪さん、なんだか遠回しに言ってるように聞こえますよ?」
「じゃあ、はっきり言うよ。別人みたいだね。いや、ほとんど別人だよ」
「そこまではっきり言われると困るのです。でも、電は電なのです」
「……相当、強くなったよね?」
「それなりに、なのです。まだ叢雲さんほどではないのです。でも……」
「でも?」
「吹雪さんは、電にとって不思議な人だったのです。人から生まれた艦娘。本来は戦うために生まれた存在でもないのに、迷うことなく戦いに向かう姿が。戦うために生まれた電が戦うことに疑問を抱いている矛盾が」
――――正反対なのです。
少女の口から漏れ出したのは、かつての羨望であり、苦悩であり、絶望。
生きる意味を見い出せず、過ちかもしれない道をただただ歩いていく。
戦いの日々とは、深海棲艦の命を奪うことは、そんな日々だった。
吹雪と言う存在は違った。
深海棲艦を殺すことに何の躊躇いもなく、美しい航跡を描いて幾つもの破壊を生み出していく。
人であるが故にあるべき躊躇いがない。もしくは、それを振り切るだけの心の強さがある。
核の硬さが違う。現実から叩きつけられる衝撃に、自分の意志を揺らがせないための硬さが。
いつか見た、吹雪と言う少女のまっすぐ伸びた背筋を、電は見上げていた。
羨ましいと思った。
これほどまでに、芯の強くて、戦う意志があって、まっすぐに生きられる少女が。
人ではないはずの自分が、まるで人のような苦悩を抱えていることがどこかおかしかった。
「―――吹雪さんは何の為に戦うのですか?」
そして、今、彼女は強くなった。だからこそ、問いかける。
戦う理由を見つけた。意味と答えをいくつもの戦いと、新たに出会った司令官、そして戦友に教えてもらった。
吹雪の戦いを問う必要があった。
それは自分が見出した答えときっと違っているという確信があった。
答えを見つけ出してはっきりとわかったのだ。
あの時吹雪に抱いていた小さな羨望は、決して光に手を伸ばそうとするようなものじゃないことを。
逆だ。絶望の淵に立たされた時に闇の中の方が居心地が良く感じるようなあの錯覚に似ている。
徹底的に歪み切った、吹雪と言う少女が恐ろしかった。その恐ろしさを自分にも求めようとしていた。それが、唯一この苦悩を紛らわせる手段だと誤解した。
「そんなもの、私の夢の為だよ。私の夢が広がる世界に
間髪置かずに吹雪は答えた。その問いにそう答えるようにプログラミングされたロボットのように。
「邪魔する者は排除する。それはただの暴力なのです。消え去り逝く命に何か思うことはないのですか?」
「……何も。深海棲艦は倒さなければならない敵でしょ?何を言ってるの?」
「……それは間違っているのです」
ふぅ、と吹雪が溜息を吐いた。気に食わない、そんな目もしている。
「私はただ護りたいだけだよ。私の大切な者と、その人たちと描く私の夢を。私の親友が護ろうとした私の夢とこの世界を。それが私の戦う理由。何が間違ってるのか、私には分からないかな?」
「結局は私利私欲のために、命をむやみに葬ってるだけなのです。何かを護りたい。それはみんな同じなのです。その先にある夢を叶えたい。それも同じなのです」
「じゃあ、何が違うの?」
「吹雪さんはそのための破壊を肯定してるのです」
「電ちゃんは違うの?」
「電は深海棲艦でも救うために戦うのです。あんな姿であっても元は電たちと同じ船であった存在なのです。それらの苦しみや悲しみが形を成してあの異形を生んだのならば、その黒い怨嗟から解き放つのが電たちの本懐なのです」
「そっかぁー……」
ふと、吹雪の脳裏に頭痛に似た痛みのような光が走った。不快感が頭の中を埋め尽くす。
『吹雪。君を否定するようで悪いが、彼女たちはそんな理由で戦ったりしていなかった』
『そんな綺麗な理由じゃない。それは当時の人間が、希望であった彼女たちを誇張するように抱かせたイメージだ』
『現実は、違う。君の肩るような夢も希望もない』
『彼女たちの戦う理由はただひとつ―――――償いだ』
あの時、小さな存在の教えられた真実。
それは未だに自分の中では真実としては存在していない。頭は理解することを拒んでいる。
理想である存在を否定されて今更戻る道などない。
吹雪と言う艦娘は、在りし日の少女が抱いた夢の果てにある存在なのだ。
今更、自分自身を否定するつもりはない。
「この戦いは償いであるべきなのです。電たちは、人間は、かつてその感情を、想いを、海の底に沈めてしまった。その罪の証が深海棲艦ならば、対を成して存在する艦娘が祓う必要がある」
「……で、それが何なの?結局は艦娘が倒さなければいけない相手ってことなんでしょ?」
不満が露骨に飛び出してしまったのか、あからさまに不機嫌そうな口調で言ってしまった。
「吹雪さんは深海棲艦を倒すときにその命を想うことはありますか?」
「……わざわざ、相手に情を向けたことはないかな。そんな暇があるなら一刻も早く戦いを終わらせた方が早いから」
「そこが電と吹雪さん…いや、艦娘と吹雪さんの違うところなのです」
「いちいち、深海棲艦に情を向けろと?」
「この戦いの本来の意味はそこにしかないはずなのです」
「そんな暇があるうちに、命を奪うことを躊躇ううちに、大切なものが失われてったらどうするの?破壊は、死は、私たちを待ってはくれないんだよ。ねえ、電ちゃん。命だって無限にある訳じゃないし、人間みんなが私たちのように戦えるわけじゃないんだよ。迷っている暇があるなら、祈ってる暇があるなら、弔ってる暇があるのなら、一発でも多くの砲弾を放って深海棲艦を沈めた方が早いよ」
「だから、それはただの暴力なのです」
二度目の溜息。
真剣な表情で話をする電に対して、吹雪はやる気のなさそうな表情をしていた。
「電ちゃん、多分これは不毛な議論だと思うな。私たちの戦う理由は違う。無理に他人の思想を理解しろと言われて理解できるほど、人間は単純じゃないんだよ」
「……死に逝く深海棲艦たちの、生まれ変わった先の未来が平和であればいい。生まれ変わった深海棲艦たちの命が歩む未来、その絵が吹雪さんの描きたい夢の中にはありますか?」
「深海棲艦の命が生まれ変われば、そこにあるのは戦いだよ。平和なんてない。私の夢は少なくともそんな世界じゃないかな」
「……」
「魂の質は変わらないんだよ。あっ、でも電ちゃんの言うように元は一つであった存在ならば、そうだね」
「……」
「艦娘が消え去れば、深海棲艦もまともな魂をもって生まれ変われるのかな?今度は正しき一つの命として。なぁんだ」
「……」
「結局は、この戦いを早く終わらせてしまった方が早いよ。償うのはその後でいいと思うよ。だからさ、そんなこと戦闘中に考えるのはやめようよ。上手く殺せないよ?」
「吹雪さんは、その力を楽しんでるんじゃないですか?」
「楽しくなんかないよ……楽しいわけないよ。こんな常に命懸けの戦い。でも逃げられないでしょ?もう私はこの両肩に、この背中にみんなの夢を、未来を背負ってるんだから。前にしか進めないし、戦うことしかできない。そうして守るしか術はない」
あぁ、理解できた。ようやくこの少女を。
この、吹雪と言う、まっすぐという歪みを持った少女を理解できた。
壊れている。ありとあらゆる理由で、自分の逃げ場を全て消している。
誰かの期待を。誰かの夢を。その為に戦うことが自分の使命なのだと。
彼女と言う存在は、きっと多くの人が抱く正義だ。いや、深海棲艦という人間に対する圧倒的な悪を前にして、ありとあらゆる弱い人々が抱く救世主の姿。圧倒的な力で闇を払う正義の光。
犠牲を厭わない最強の正義。全ての悪を払うまで止まることのできない壊れた正義。
冷静になれば、彼女は恐ろしい。自分の中に悪というものの存在を認知していないのかもしれない。
人間とは、善と悪の両方がある。あらゆるものをその秤に乗せて行動する。
だから、善と、悪が、両方必要なのだ。
片方しか持たない人間は、人間として壊れている。
善の意志に従順な者。悪に全うする者。対極が無く、止まることのないその意志は「化物」だ。
「なんとなく思ったことがあるのです」
「なぁに?電ちゃん」
「吹雪さんとは、分かり合えないのです」
「……譲れないものは1つや2つあるものだと思うよ。でも、否定されるのはちょっと辛いかな」
「吹雪さんの思想は破壊しかないのです。その先に対極にある想像を積み重ねることで理想を描こうとしているだけなのです。結局は自分の未来の為」
「過去の罪の清算をいまさら付けたところで、この戦いの本質は変わらないよ。失ったものを数えるくらいなら、今できることを考えた方が早い。それとね、電ちゃん」
「なんですか?」
「私を否定することは、私を支えてくれてる全ての人たちを否定すること。家族も町の人も叢雲ちゃんもその全てを。私としてはちょっと許せないかな?」
「じゃあ、どうしますか?」
「別に艦娘同士で戦って白黒つけようって訳じゃないよ。まあ、多分電ちゃんも私も間違っているとは暗に言えないでしょ?」
「……そう思えるだけの頭はあるんですね」
「結果は終わった時に分かるよ。この戦いが終わったときにね。その時まで信念を貫き通せばいい。それだけでいいよ」
まっすぐと視線がぶつかり合った。
1歩も譲り合う気の感じさせない、1歩も引く気もない意志が激しくぶつかり合う。
激しく衝突して、激しく反発した。
混じり合うこともなく、全てを弾き返す。
吹雪さーん、どこですかー?
そんな声が下の方から聞こえた。手すりを乗り出してみると吹雪型のみんながあちこち回って探している。
そう言えば、突然連れ去られたんだっけな?忘れてた。
「白雪ちゃーん!ここだよー!!」
「あっ、吹雪さん!無事ですか!?」
「無事無事っ!すぐに戻るねー!!」
大きく手を振ると、いろんなところに散らばってた吹雪型が白雪の下に集まってきて、手を振り返してきた。
それに答えるようにさらに大きく手を振った。
「いいお仲間さんですね」
「うん、いい仲間だよ。きっと電ちゃんもとてもいい仲間に恵まれてここに戻ってきたんだろうね」
「はい。みなさんとても良い方なのです。とても強くて、とても優しい方々です」
「……じゃあね。また多分会うよ。次は海の上かもしれない」
吹雪は階段の方に小走りしながら、小さく電に手を振った。
「次は向かい合うかもしれないのです、敵として……なんて冗談なのです」
「冗談でもあまり良くないよ。そんなのは。でも……」
カタン。1歩階段を下りてから、足を止めて振り返った。
「もし、邪魔するなら、私は排除するよ。電ちゃんでも」
それだけ言うと勢いよく階段を下りて行った。その後、すぐに下の方で彼女の声が聞こえた。
遅れて震えがやってきた。
最後に電に向けた目。完全に殺気を孕んでいた。
仲間とは思っていなかった。完全に敵だとみなしていた。
彼女の前に立つ深海棲艦はいつもこんな気持ちを味わっていたのだろうか?
不意にぶつけられた躊躇いのない純粋な殺気は、電の心臓を鷲掴みにした。
「……どこか叢雲さんにも似てきましたね」
独り言を呟いて、電も屋上を後にした。
電と吹雪のやりとりは本来、プロローグにて行うつもりのものでした。
つまり、この話自体、プロローグの時点で出来てたはずなのに、どうして今になったのかは私にも分からない(フルフル)
私個人の「電」と言う艦娘のイメージを結構詰め込んでいます。戦いに対する矛盾を抱いており、苦悩する姿はいろんな二次創作で見かけます。そう言った彼女の個性を生かそうとする中で、吹雪と言うこの物語の主人公を、やや狂った感じに作ってみました。
さて、この章いつになったら終わるんでしょうか?
私が知りたい。
と言う訳で、今回も目をお通しいただいてありがとうございます。
次回がこの章最後。そして、その後エピローグ挟んで、新章の予定です。(予定)
今後とも、よろしくお願いします。