艦娘が伝説となった時代   作:Ti

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『』という名の少女

『―――私には理解できない』

 彼女はそう口火を切った。幾多の砲火を交えて今一度対峙した者に。

 だが、その言葉には一切の感情の熱を感じない。彼女が放つ砲弾にも言葉にも何もかもに。

 

 振り払い難い『無』だけを感じる。吸い込まれてしまいそうな。

 

『深海棲艦は感情を否定する存在なのよ。あなたも、誰かも、見たはずよ。あの醜い感情を』

 

 始めは何を言っているのか理解できなかった。

 深海棲艦ですら俗に『負の感情』と呼ばれるものを有してるとされているのに、それを否定する存在であるとは矛盾が生じるのではないのかと。

 だが、意外と簡単に理解に至ることができた。過去の人間が遺した『負の感情』の現身たる存在に恐怖を抱き更なる負の感情を募らせていく。脈々と続き途切れることのない負の連鎖。

 

『そして悟ったはず。感情など存在してはいけないものなのだと。数多の事象の根源にあるのはいつだってそう。全てを受け入れきれない人間の惰弱さが感情と言う1つの形を成して現れた。それが他の感情と混じり合った時に更に重なるように生まれる感情が、肥大化して抑え切れなくなった時に流れ出した狂気に世界は歪み始めた』

 薄気味悪い笑みが歪む。能面に刻まれたような笑みだった。

 彼女は無なのだろう。だからこそ能面を貼り付けるような無機質な表情が切り替わる。 

 

『ああ、そうよ。人間さえ存在しなければ深海棲艦(あんなもの)は生まれやしなかった。人間はあの醜さを自己投影する。自覚する。自身の存在の意義に。人類の未来に。決して朽ち果てることのない鎖に縛られた未来しかないことに』

 ああ、なんて醜い無駄な存在か。彼女はそう吐き捨てて天を仰ぐ。

 水に黒い絵の具を落としたような滲んだ空。小さな波がかえって不安を煽る。耳の奥で金切声のような音が響く。

 

『人類は感情を絶対に捨てることができない。だからこそ自らの滅びの運命を受け入れなければいけないの。なのに……』

 空を仰ぐ横目で私を見る。路傍に捨てられた石のように。雑草のように。

 人間にとって石は石で、草は草。虫は虫でしかない。よほど変わった感性でもない限り、それら個々に違った顔と名前があるようには思えない。彼女が向けた視線は、まさにそれだった。私はもはや個とすら見て貰えていない。

 

『あなたたちは面白いくらいに、頑なにその宿命から逃れようとする。私には理解できないわ』

 嘲笑。

 諦念に塗れた彼女の放つ存在感。海を這って伸びる正とも負とも言えない虚の感情。

 存亡の危機と言う瀬戸際に立たされた者の背を、呼吸をするように蹴りつけるかの如く。

 

『私には、人類なんて愛すべき存在でもないわ。ただの醜い存在。ガイアの意思に私は賛同する』

 人類賛歌などではない。

 彼女が謳うのは生命の賛歌―――そこに人類は含まれていないが。

 

 感情を憎み、人を憎み、そして彼女は艶やかとも思える笑みを幼いその表情に浮かべた。初めて見せた彼女の生きた表情。かつては慈愛だったものが身体の隙間を縫うような形を変えて心に深々と突き刺さる。

 

『私を否定するのならば、今ここで私を打ち砕いて見せなさい。それができないのならば、あなたに人類を率いる資格も護る資格もない』

 

 私の中に眠る彼女の感情は珍しく混濁していた。

 決して交わることのない愛と憎悪の境界がなくなり、複雑に絡み合っている。それが彼女の精細さを欠けさせている。彼女の冷静を奪い、熱い闘争心の裏側で、否定し続けた自身の闇が心に触れて足を竦ませる。

 

『愚かな情に流されて滅びの道を辿りなさい』

 

 

 あぁ、嫌な夢だ。あんな話を聞いたせいだろう。これが私の記憶なのか、ただの幻想なのか。

 まあ今の私にはどちらだろうが関係はない。今ある私は私であって、それ以外の何者でもない。

 駆逐艦《叢雲》であって、御雲楽である1人のどうしようもない馬鹿で無力な少女。

 淡白すぎるのかもしれないのだが私と言う存在はそれだけで形容されていれば十分だ。

 

 身体を起こして部屋を見渡した。誰もいない。疲れて1人で部屋に戻ったのだが、どれだけの間意識を失っていたのか全く分からない。今が何時何分何秒なのかも分からないし、窓が全くないこの建物じゃ外の景色さえも窺えやしない。静かな部屋の中でベッドのシーツを私の身体が擦れる音だけがする。

 

 ふぅ……と短く息を吐くとこちらに向かってくる誰かの足音が聞こえた。慌てた様子の走る足音。

 少し通り過ぎたと思ったら、こちらに戻ってきてノックもなしに勢いよく扉を開けた。

 

「―――叢雲ちゃん!起きた!?」

 

「見ての通り、起きてるわよ。どうしたの、吹雪?敵でも攻めてきたの?」

 

「いや、何か大変なことが起きたって訳じゃないんだけど、明さんが到着した」

 

「それは大変なことよ……すぐに向かうわ」

 少し乱れてしまった髪を手櫛で整えた。ソナーの反響音に似た音がずっと頭の中で響いている。私の中にある何かを探っているかのように。

 

 

 

         *

 

 

 

「艦娘とは、長年研究を続けてきた私にも未だに理解しがたい存在です」

 少し古いデザインだが洒落たティーカップを手に取りながら志童はそう言った。

 

「さっきも言っていましたね。いったい彼女は何者なのかと。叢雲ちゃんの答えは答えになりましたか?」

 

「多少は。深海棲艦の研究をしていれば嫌でも分かります。艦娘はこの化物たちを元に生み出されたのだと。それ故に当然の疑問が生じるのです。どのようにして深海棲艦とは異なった魂のパスを見つけ出したのかと」

 

「それは……平賀博士の研究の成果ですよね」

 

「彼女を理解するにはまだまだ時間が足りません。もし人間が平賀博士の境地に辿り着くことができたのならば、今の科学技術は300年の進歩を遂げることになるでしょう」

 

「……私はあまり好きではないんです。その平賀博士が」

 

「おや、意外ですね。非常に優れた頭脳を持たれた方ですよ。今の人類は彼女のお陰で存在していると言っても過言ではありません。吹雪さんはそのような方を良く思われているかと思っていましたが」

 

「私が艦娘になりたかった理由の1つは、艦娘についてもっと知りたかったからです。彼女たちをもっと知れば、もっと世界を変えられると思ったからです。でも、彼女たちを知ろうとすればするほど、平賀博士と言う存在が邪魔をする……私には1つ分からないことがあるんです。どうして海軍は彼女の事をここまで徹底的に隠ぺいするんですか?もっと早く『天の剣』の存在を知っていれば、深海棲艦だって」

 

「そうですか……外の世界はそれほどまでに彼女の存在を消し去ろうとしていたのですね」

 

 それはあまりにも露骨で歪すぎるものだった。どうしてそれほどまでに彼女が隠され続けるのか。

 艦娘という存在の機密性が高いのは充分に理解できる。その生みの親である平賀博士の扱いが同様なのは尤もなことだ。しかし、海軍は艦娘の存在は認めている。だが、平賀博士の存在はまるで認めていないかのように否定する。海軍にとっての不都合、あまりにも簡単すぎる答えだがそれしか考えられない。

 だが、いったい何が不都合なのか。全てがただ1人の存在に結びついてしまう今、その手がかりが狂おしいほどに欲しかった。だから、私の目はそれを求めるかのように志童を見ていた。彼が私をここに連れてきた理由の1つがそれであると勝手に推測していた。願わくば、そうであってほしい。

 

「叢雲が―――今のではありません。先代の《叢雲》が生まれた経緯をどれほどご存知ですか?」

 そして、彼は長く閉ざした口を開いた。

 

「イヴからある程度は聞いています。人間より艦娘を生み出す大規模な人体実験ですよね、叢雲は幾多の犠牲の先に辿り着いた唯一の成功体にして、最強の艦娘。そして失敗作だったと」

 

「私の推測に過ぎませんが、世間では艦娘の事については広く知れ渡っているのでしょう。ですが、きっと《叢雲》のことを知っているのは軍関係者や政府だけなんてことはありませんか?」

 

「……そうかもしれません。私が《叢雲》について知ったのは確か艦娘になった後の事だった気がします」

 

「その理由は簡単です。そのような存在があれば誰かがそれを追求する。その根源を、その背景を。艦娘について世界は伝説としてだけの逸話を残し、その他の情報を全て消したと聞いています。それは《叢雲》という存在に辿り着くのを恐れたためです。そして彼女が生まれた背景を永遠に閉ざすためです」

 

 

「人体実験ならば私は仕方がないと思っています。そうしなければ人類は今存在していません。肯定こそはできませんが、否定できるような立場でもありませんから」

 

「違いますよ。そんなもの海軍にとっては些細なことです。彼らにとって最も致命的なことは、自らの地位を守るための存在であったはずの艦娘が、かつて人類に仇を為したと言う事実です」

 

「―――えっ?」

 艦娘が……敵になった?

 

「知らなくて当然です。このことを知っているのは《叢雲》の直系、今の《御雲》家の人間だけでしょう。しかし、その存在は『天の剣』に居る者たちの中では常識です。禁忌(タブー)とはなっていますが」

 

「艦娘が……?人間を……?」

 

「この話は広めるべきではないのでしょう。だからこそ、吹雪さんにも今後一切口を閉ざしていただくことをお願いしたいのです。それを念頭において今、私はあなたに話したいと思います」

 

 それがあなたが求めているものに近づく大きな鍵になる。

 彼はそう言って表情に残っていた僅かな笑みを完全に消した。

 

 

「元は、1つの小さな孤児院が始まりでした。深海棲艦の出現により身元を失くした子どもたちが多くそこに身を置いており、いつか戦況が落ち着き引き取り手が見つかるまで、自分たちの力で生きていくための手段を与える場として。互いに助け合い兄弟家族のように生活していたと聞いています」

 

 

「しかし、彼女たちは別々の道へと歩んでいくことになります。1つは実験体となるも失敗の末に死ぬ道。1つは実験体となり失敗するものの生き残ってしまった道。そして、実験に成功し人類を救う先導者として戦いの世界へと歩む道。もうあなたは察しが良いのでお判りでしょう?1つは《叢雲》が歩んだ道です」

 

 

「そして、最初の1つは多くの子どもたちが犠牲となった道。問題なのは2番目なのです。彼女たちは失敗したものの生き残ってしまった。家族と、兄弟とそう呼んでいた者たちを全て奪われ、家族と過ごした記憶さえも、今まであった身体の自由さえも奪われ、人とは呼べない化物と成り果てて、それでも生き残ってしまった」

 

 

「すぐ後に《叢雲》が生まれるまで、彼女たちは無理矢理戦場に立たされ、怒りのままに奮戦するもすぐに不要となります。軍部は当然このような失敗結果を世に残す訳もなく消し去ろうとしましたが……既に遅かった」

 

 

「恨まないはずがない。仇を返そうと画策しないはずがない。彼女たちは奇しくも人を超えた力を手にしていた。不完全ではありながらも、後に生まれる英雄たちに等しいかそれ以上の力を手にしていた。彼女たちは深海棲艦との戦闘という実験データの採取任務中に失踪しました。それが彼女たちの最期の作戦だったことは知らされていなかったはずなのですが、それを知っていたかのように」

 

 

「吹雪さん、艦娘史において最大の敵は深海棲艦なんかではなかったのです。人類の、艦娘の最大の敵は《艦娘》自身なのです」

 

 

「だからこそ、これは悲劇なのです。どちらかが殺すしかなかった」

 

「どうしようもなく愚かな感情を理解できる、自分自身の心を―――償いとして」

 

 

 

 

 





 うがー、忙しい。すみません、色々と。
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