語られた話に、私は驚愕を隠せなかった。
『世界』、『組織』の存在。『はじまり』。そして……私が狙われていた、ということ。その全てが初耳であり、国の機関や学校では教えられなかったことである。これは国家機密とかに当たるのではないのだろうか。
「これで、昔話はおしまいです」
夢深はこちらを向かずに、正面を見ながら言った。
私はまだ頭が混乱しており、何を言えばいいのか分からなかった。とても信じられない。私はただ記憶を失っただけの筈だ。それがそんなことに係わっていたなんて、質が悪い作り話にしか聞こえなかった。
「嘘、だよね? だって、私が『世界』に狙われてたなら、なんで今狙われてないの?」
「それはよく分かりませんが、『世界』が人質をとった後、『組織』と『世界』は両者壊滅したと聞きました」
壊滅したのだろうか。『世界』は大々的に絶対評価制を発表したし、『組織』は妹の所属している組織がそうなのか分からないけど、もしそうならば存在している。
どちらも健在だ。なのに二年間、私にそんな話がくることはなかった。これはどういうことなのだろうか。
何分、記憶を失くしたから分からない。『混沌』のことすら私は詳しくないのだ。機関にいた友人や先輩方は半年引きこもりというのが多かったし。
「信じるか信じないかは楼さん次第です」
何も言わない私を見て夢深が言う。
私は息を大きく吐いた。そして大きく吸う。
「……信じるよ。わざわざあんな話を作る方が大変だからね」
わざわざ呼び出して嘘話をするほど、夢深は悪い人じゃない。話を信じられないにせよ、分からないことが多いにしろ、ここは夢深という人物を信用することにしよう。
私は苦笑いを浮かべ、答えた。あとで妹に訊いておこう。何も教えてくれないかもしれないけども。
「ありがとうございます」
「こっちこそありがとう。記憶を少し取り戻せたよ」
不安になったけど、何も知らないよりはマシだ。
「楼さん。ちょっと訊いていいですか?」
夢深が顔をこちらに向ける。先程までの暗い表情と違い、不安げな顔だ。普段の臆病な感じとは違う。理由は分からないけど、そう思えた。
「いいよ。いろんなこと聞いたしね」
私が答えると、彼女は視線を泳がす。
何かを考えているのか、苦しげに胸の前へ手をやり、やげて絞り出すように問うた。
「楼さんは自分に三百人分の価値があると思いますか?」
何を訊かれているのか理解できなかったが――話を思い返して合点がいく。人質と私。話によると『組織』は仲間よりも、私を選んだ。そのことについて訊いているのだろう。
「ないよ。少なくとも私はそう思う。けど、『組織』がそう選択したなら、それなりの理由があるんだと思う。そうじゃないと納得できない」
「そう……ですよね。良かったです」
夢深はそう言い、胸を撫で下ろした。それは胸のつっかえが取れたように見える。きっと、このことを誰にも言ってなかったのだろう。
それもそうだ。『世界』は現在、支持者が多い有名な組織。それが悪だと語れば、白い目で見られることは避けられない。
私は黙って相槌代わりに頷く。
『良かった』という言い方が気になったけど、多分犠牲になった人達のことを考えて口にしたのだろう。父親含めた『組織』の仲間が無駄死にした。そう言われては深く傷つくかもしれない。
それにしても、三百人分の命か……。重いなぁ。とても女子高生が背負うものではない。実感ないのがせめてもの救いか。
「楼さんは戦いに意味はあると思いますか?」
夢深は再び視線を逸らしてから尋ねる。
確か前もそんなことを言っていた。扇と戦った後のことだ。私の戦いには意味がある、とか言ってたかな。
答えようと私が口を開く。しかしまだ続きがあったようで、彼女は続けた。
「私は意味がないと思ってます。『混沌』で自己防衛のために戦っても、結局、相手の代わりに自分が生き残るだけ。そんなものは無意味だと思ってました」
『はじまり』に会った後の話だろうか。顔に影を落とす彼女を見て、私は考える。
「それに私はどうしても許せないんです。あんなことをした『世界』が大きな顔をして、何も言われていないことが。そんな怒りが強いからこそ……私が私のために戦うことは、自分勝手な彼らと同じなんじゃないかって気がして、どうしても戦いに意味が見い出せないんです」
気持ちが落ち込んでいるせいか、言っていることが繋がっているか微妙なところだけど……伝えたいことは分かった。彼女が黙ったタイミングを見計らい、私は口を開く。
「同じじゃないよ」
生き残るための行動。それと虐殺を一緒にしては困る。私ははっきりと口にする。
「夢深は考えて、人を傷つけないように回避しようとしている。だから悩んでる。それはきっと、『世界』の人達と決定的に違うよ」
同じにしてしまえば、殆どの人類が『世界』側の人間に属してしまう。私は彼女の手を握り、違うと言い切った。『世界』の事情を知らないので断言はちょっと悪い気がしたけど、やったことは極悪だ。これくらい言ってもいいだろう。
「で、ですが、私は……」
「それから、多分人間ってそれほど戦う理由なんて考えてないんじゃないかな。負けたくない、勝ちたい、死にたくない――そう思うから戦う。それだって立派な理由だよ。大事なのはそれが悪いことじゃないか判断すること、かな」
最後子供っぽくなってしまったけど、私が言いたいことは言えたと思う。自分に正直に、悪いと思う戦いはやらない。多分これで彼女のような人間ならば問題なく日常を過ごせる筈だろう。私より優しいし、頭よさそうだし。
優姫傷つけたりしたくせにどの口が言う、とか言われそうなんだけども。しかしあれは評価を守るためにとった手法なので仕方ない。
「私はいつもそうやって決めてるよ。自分勝手とか、適当に見えるかもしれないけど、これでもそれなりに考えて行動してるんだから」
そう言って苦笑いするのだが、夢深の表情は芳しくない。まだ悩んでいるように見えた。
「そうだね……じゃあ、夢深はなんで私と戦ったの?」
彼女が戦いを無意味だと思うなら、私と戦おうなんて思わなかった筈。なのに何故そんなことをしたのだろうか。私が尋ねると、彼女は戸惑った様子で視線を泳がせた。
「あれは、『はじまり』が楼さんのことを言っていたので、本当にそんなことがあるのかと確かめただけです。結果は散々でしたが……それでも、なんとなく分かった気がします」
散々ですか。まぁ負けたし正論だ。
「それも立派な戦う理由だよ。言い方を変えれば自分勝手なのかもしれないけど、少なくとも悪いことではないと思う。やってて楽しかったし」
「そう……ですね。私も楽しかったかもしれません」
私達は微笑み合う。
夢深は最後まで諦めずに戦っていた。それは彼女がそうするだけの理由があったということ。それは痛いのは嫌だとか、そういう理由からかもしれない。それでも、十分だと思うのだ。戦う理由を考察するなんて、生きる理由を考えるようなものなのだから。
「気楽に考えて――それでも戦いの意味に不安要素があるなら、誰かに聞くのもいいかもしれないね」
「誰かに、ですか?」
夢深が目を瞬かせる。私は頷いた。
「うん。例えば友達とかさ。きっと友達なら君が間違ってることをしていたら、間違ってるって言ってくれると思うんだ。私友達いないから説得力ないけど、そういう人がいることは知ってるからさ」
夢深の手を離し、私は前を見る。これから口にする――否、現在進行形で口にしている言葉の恥ずかしさから逃れるために。
「夢深。私は君が間違ってることをしてると思ったら言うよ。それで喧嘩するかもしれない。けど思ったことを正直に告げて、時には喧嘩しても道を正そうとしてあげる。それが友達だと思うんだ。だから、さ。明日は君の友達を必ず止めよう」
友達のためにしていることだが、あれは間違いなく悪だ。明日止められるなら、未遂の内に終わらせるべきだろう。
顔が熱くなるのを感じる。やはり恥ずかしい。自分から友達だと言って、更にそこからくさい台詞のコンボ。とても常人に耐えられる恥ずかしさではない。これしか思いつかなかったからって、こんな台詞口にするべきじゃなかった。
「そうですね。彼女はいい人ですから、きっと最後には分かってくれます」
クスッと隣から笑い声。馬鹿なやつとでも思われただろうか。私は穴があったら入りたい気持ちで、夢深を横目で見る。彼女は口に手を当て、楽しげに笑っていた。
恥かいた甲斐はあったかな。やっぱり、人間に似合うのは笑顔だと思うのだ。作り笑顔でも苦笑でもない、自然な笑顔を見て、私は微笑んだ。
○
翌朝。教室で紀理と話していると、私の携帯に一通のメールが届いた。
「ん?」
ポケットで揺れる携帯電話を取り出し、私は画面を確認する。差出人は妹。律儀に改行された見易い文章で綴られているのは、今朝の部長の動きと、今日の計画のことだった。
何故妹から、と思ったのだが、いつの間にか妹は優等生の幹部とアドレスを交換したらしい。最後に書いてあった。
「誰からのメール? まさかあの泥棒猫っ?」
添付の写真をダウンロードしておき、騒ぎ始めた紀理を見る。泥棒猫……妹のことかな。別に盗んでないだろうに。私は嘆息し、あえて正直に答えた。
「そうだよ。ただ内容は下らないけどね」
「やっぱりそうか! くそうぅ。楼ちゃん、あたしには教えてくれなかったのに!」
「あれ? そうだっけ」
言われ、きょとんとする。というかアドレス教えてなんて言われてたかな。まずい。一ヶ月間のことなのに全然記憶にないや。紀理の言うことは結構聞き流しちゃってるからなぁ。特に朝は。
「そうだよ! 一回聞いたらあからさまに聞き流されて、二回目に聞いたときは眠そうに住所書いたじゃん!」
相当なレベルで聞き流してるな、私。アドレスと聞いて住所を書くって。
「朝は苦手だからなぁ。それに私、生意気キャラだからあんまりクラスメイトとメールするっていうのも」
「自分で言うの? それ」
うっさいやい。紀理にはとっくに素で接しちゃってるから仕方ないじゃないか。
「……まぁいいや。評価は底辺だし、ちょっとくらい普通なところをアピールするかな。アドレス交換してくれる?」
「おうっ。早くやろうぜ」
はしゃいだ様子で紀理が携帯電話を取り出す。可愛い動物型マスコットのストラップが大量に付いたそれは、確か最新機種だった。羨ましいこことで。
「ちょっと待って。まだメールが……」
もうとっくにダウンロードは済んでいるだろう。見るからに嬉しそうな紀理に苦笑して言いつつ、私は携帯電話の画面を見る。そして私の時が止まった。
写真には少女が映っていた。一人は夢深。幸せそうに笑っている彼女は、もう一人の少女と手を繋いで横に並び、ピースしていた。そのもう一人というのが――
「冬花……?」
そう。冬花だったのである。何日か前に私へ挑んできて、優姫に成敗された少女だ。
驚愕のあまり固まってしまったが、そういえば通信機から聞こえてきた声がそれとなく似ていたような。口調も素のときの彼女と一致している。弱いという点も同じだ。偶然冬花に似ているというわけでもなさそうだ。
「ろーうー? まだー?」
気づけば、紀理が机に頭を乗せてダラダラしていた。私はメールの画面を閉じて、赤外線を選択する。
その途端におあずけされていた犬みたく携帯を操作する紀理を眺めつつ、私は考える。
彼女が夢深の友人にして、『優等生』の部長。戦う力はそれほど強くないけど、今日は果たしてどうなるだろうか。私の能力は一回戦っただけでも対策が立てられるほどシンプルなものなのだ。なるべく、彼女と戦わない方がいいかもしれない。やはり村上辺りを戦わせるのが妥当だろうか。
相手が弱くても気を抜かぬよう気をつけなくては。
「あーっ!? なんで住所を赤外線で送ってくるのさ!?」
……気をつけなくては。
○
『放課後、第六会議室で集合。それから夢深、楼、私、村上が突入。後のメンバーは校内を見回り』。
それがメールに書かれていた作戦だ。なんだかお粗末にも思えるけど、戦力を部長に集中させ、尚且つ二段構えという点でこの作戦が一番安全かもしれない。
メールを確認していた私はそれをポケットにしまう。顔を上げると、階段の終わりが近づいていた。第六会議室がある階が見える。
鞄を持ち直し、私は息を吐く。
「片がつくといいけど」
今日決着がつかなかったら……と、考えるだけで不安になる。夢深にああもかっこつけたことを言ってしまった手前、弱気なことを口にするのは憚れるが、やはり先が見通せないのは落ち着かないものだ。
「姉さん」
階段を上がり終えると、後ろから声がかかる。振り向くとそこには妹がいた。
「こんばんは。体調はどう? 昨日ちゃんと寝たかしら?」
「子供の遠足じゃないんだから……」
緊張感の欠片もない妹に感心しつつ返事をする。こいつの度胸はどこから来ているのだろうか。
「分かってるわよ。さ、友達を助けに行くわよ」
楽しげな笑みを浮かべた妹はウインクしながら言った。ふざけているようにも思えるが、その台詞はとても頼もしく――ってあれ? どっかで聞いたような言葉だぞ? 私がきょとんとすると、妹は耐え切れなくなったように笑いだした。
「夢深から聞いたわよ。恥ずかしいことを言うのは変わってないのね、姉さん」
「夢深から? 恥ずかしい? ……あっ!?」
そういうことか! メールだな!?
再び穴が欲しくなる思いに駆られ、私は顔を両手で覆う。あの台詞を妹に知られるなんて……絶対からかわれると分かっていただろうに、何故夢深は彼女に伝えてしまったのだろう。
「なに恥ずかしがってるの。夢深は喜んでたし、もっと堂々としてなさい。ほらほら」
階段を上がりきった彼女はそう言って、私の身体を会議室方面へ向けて背中を押す。意外にもからかうようなことは言わず、むしろ褒めていた。彼女も人の気持ちは少しくらい分かるようだ。
「う、うん。ありがとう」
「堂々としてなさい――ぷくく」
「からかいたいならからかってもいいんだよ?」
前言撤回。こいつきらい。
「からかわないわよ。すごく面白いけど、同時に嬉しいし」
面白がってるのか。恨めしげな視線を向けると、妹はクスクスと笑う。
「姉さんは記憶を失っても少しも変わらない。それがすごく嬉しいわ」
「……」
変わってないのか。少し気になったけど、妹は私の過去について話してくれないことを思い出し、黙る。
「今日は頑張りましょう。姉さんのためなら、私も助力を惜しまないから」
彼女は一体なんなのだろうか。とりあえず敵ではないのは確かだけど、それ以外がちっとも分からない。時間があれば昨日の話も含めて色々訊いてやろうと思っているのだが、肝心の時間がないし。
私は頷いて返す。それからほどなくして会議室の前に到着した。ドアを開けて中に入ると、既に他のメンバーは集結していた。ホームルームが終わってから真っ先に来たというのに、この人達はどうやってこの速度で来たというのだろうか。
驚きながら部屋を見回すと、緊張した面持ちで立つ夢深を見つけた。彼女は私と目が合うと微笑む。照れくさいけど、悪い気はしなかった。隣で妹がにやにやしてなければ、私も笑顔を浮かべていたことだろう。
「来ましたね。でははじめましょう」
村上がそう言い、全員が頷く。
『教育』が、『優等生』の将来がかかっている戦い。その決着がこれからはじまるというのもあり、皆緊張感を漂わせている。室内の空気がピンと張りつめ、私は唾を呑みこむ。
「目標は部長に会い、説得。駄目ならば正体を明かすと脅して条件付きの決闘を申し込む。それでいいですね?」
「はい。それでお願いします」
確認された夢深が頷く。
脅すのは少し悪いことかもしれない。しかしこれも生徒のため。それにやろうと思えば、この時点で部長の正体を明かすことも可能なのだ。それをせずに内密に事を終わらせようとしている。それだけでも十分に優しいだろう。
「それじゃあ、作戦開始です。皆さん、危ないと思ったらすぐ連絡をするように」
作戦開始の声に、皆は動きはじめる。室内に残された私達突入組は何気なく会議室の中心に集まると、頷き合った。言葉はない。けども意味は伝わった。きっとみんな、私と同じ気持ちなのだろう。一心同体とはこのことだ。
村上はいつもの笑顔を浮かべる。
「じゃあ行きますか。友達を助けに」
私は羞恥で蹲った。メールというものの消滅を願ったのは、これが初めてかもしれない。
○
一度冬花と戦ったときのことを話し、私達一向は校舎の外を目指す。
「代々部長に与えられた部屋があるんです」
校舎を出て歩きながら夢深は言った。
まだ少し顔が熱いことを感じつつ、私は周囲を見る。校庭では学園の危機を知らずに野球部などの運動部が健全に活動していた。青春を謳歌する彼らの横で『優等生』の部長を止めるべく歩いている。どこで道を間違えたのだろうかと、思わざるを得ない。
自嘲し、私は前に視線を戻す。そこには横に並んだ夢深と村上、妹がいる。
「部長に? なんだか『優等生』ってすごいのね、色々と」
「まぁ異次元空間、魔法とか言わないだけ可愛らしいですよ」
夢深の言葉に妹と村上が返事をする。さっきまで真剣だったのに、すっかり遠足モードである。
「そこに部長はいる筈です。けどおそらく、警備も配置されてますから気をつけて下さい。一筋縄ではいきません」
真面目な空気を保った夢深が警告するように言う。歩みを遅らせ、彼女は校舎の裏を覗き込んだ。
「やはりいます」
声を抑え、顔を引っ込めた夢深が報告。私達もそれに続いて、ばれないようこっそり様子を窺う。薄暗い校舎裏には三人の生徒がいた。会話などをしている様子はなく、黙って突っ立っている。口をへの字にしており、その様子はどこか不満げであった。何故自分がこんな場所に、とでも思ってそうだ。
部長に与えられるという部屋のことを知らないのだろう。意味があるのか疑っているようだ。確かにこんな何もない場所の警備を命じられたら、私も嫌になるかもしれない。
「なんかそのまま素通りできるんじゃないかな」
「それは流石にないと思うけど、士気は低そうね」
こちらには村上がいる。突破くらいなら困難ではないだろう。だが、
「数がやけに少ないですね。何故でしょうか」
村上が呟く。
そう。警備にしては数が少なすぎるのだ。昨日村上一人に何人もやられていたくせに、無警戒すぎる。身長で臆病な部長がとるような体勢ではないだろう。何か理由がある筈だ。
「やっぱり『強行策』かしら」
妹が考えを口にする。強行のために人員を割く。それも十分に考えられることだ。しかしこれはいくらなんでもアンバランスすぎやしないだろうか。正常な判断だとは思えない。
言った妹もそう思ったのか、全員が再び思考し黙り込む。暫しそうして考えていたが、筋が通った理由は見つからなかった。いつ強行が起きるか分からない今、少しの時間も勿体ないというのに。
――仕方ない。私は校舎裏に近づく。
「私があいつらの気を引くから、その隙に三人は部長のいる場所に向かって」
夢深は部長のいる場所に行くため、説得のために連れていく必要がある。妹や村上は私より強い。となればここは、私が囮になるべきだ。
「いいんですか、楼さん?」
村上が尋ねてくる。その隣では夢深が不安そうな顔をして私を見ていた。妹はもう特に気にしていないようでツインテールをいじっている。薄情だ。
「それが一番でしょ? 早く行ったほうがいいよ」
「友達を助けに?」
「恥ずかしいからそれやめてっ」
興味ない素振りを見せながら、ここぞとばかりに会話に入ってくる妹へ小さな声でつっこむ。本当、厄介な妹だ。
「分かりました。夢深さん、それでいいですね」
「はい。……楼さん」
夢深が私に近づいて、手を握る。温かな手のぬくもりが伝わってくる。彼女は私の目をまっすぐに見て微笑んだ。
「私、信じてますから。楼さんが後から来てくれるって」
なんだろう。物凄く死亡フラグに聞こえる。
「うん。すぐ片づけて行くから、安心して」
そしてそれに典型的な死亡フラグで返してしまう自分は間違いなく馬鹿なのだろう。言った直後に後悔した。
「仲良きことは美しきかな、ですね」
「よし。それじゃあ行ってきなさい、姉さん」
にこにこ笑う村上、不機嫌な妹に後押しされ、私は校舎裏に出る。するとすぐに発見され、三人の訝しげな視線が向けられた。囮になるのはいいけど、どう気を引いたらいいものか。とりあえずはこの三人が本当に賛成者の仲間なのかを確かめるとしよう。
ゆっくり歩いて距離を少しずつ詰めながら、私は不敵に笑った。
「反対者の皆さんかな?」
三人が身構える。やはり彼らは反対者のようだ。
ロン毛の男、ヘアバンドを付けた女、槍を持った女……この三人はそれなりに強そうだ。顔がよく、それぞれウケがよさそうな容姿をしている。多対一だ。まず間違いなく負けるだろう。ターゲットを選びつつ、私は拳を握る。少しでも時間を稼いで、その上で可能な限り多く撃破、というのが理想形だ。
よし。まずはヘアバンドを狙うとしよう。武器を持っていないし、魔法か格闘を使うタイプな筈だ。ロン毛が私とヘアバンドの間にいるのが問題だけど、そこは気合いでカバーだ。
「戦う気? 私はまだ誰だとか名乗ったつもりはないんだけど」
「事情を知っていて、俺達が知らない顔。それなら、敵しかいないだろ」
ふむ、尤もだ。
私が苦笑すると、槍を持った女が走り出す。彼女はどう見ても前衛。しかし位置的に私から一番遠く、ヘアバンドの後ろにいる。彼女を相手して後ろから魔法を飛ばされては厄介だ。私は少し遅れて前へ走る。
「いくぞ、サポートしろ!」
「分かってる! 命令しないで!」
ロン毛とヘアバンドが大層仲良さそうに叫び合い、それぞれ構える。そして小声で何かを呟きはじめた。魔法だ。まだ発動していないから『格闘』の補整は落ちない。しかし一撃で倒される可能性もあるので警戒しなくては。
「『火炎』!」
先に詠唱を終えたのはロン毛だった。
早い。たった数秒で唱えきってみせた。火炎と口にされ、魔法が出るまでの間に私はスライディングをする。狙いはロン毛の足元だ。
補整が切れる前にスライディングをすることで、正確さは失われるが、速度はそのまま攻撃に移ることができる。これなら仮に火炎とやらを受けても、ロン毛にダメージを与えられるだろう。
ロン毛の手から燃え盛る炎が放たれた。ぼうぼうと燃える炎が私の目の前に広がり、私は恐怖を覚えるのだが、既に攻撃を放った後。止まることはできない。ただ目を閉じて顔を手でガードし、進むのみ。
しかしそれが幸いした。炎の噴出口であるロン毛の手。その地点を下からくぐり抜ければ、もう炎は私に襲ってこない。
熱いと少し感じた程度で、それほどダメージはなかった。私のスライディングがロン毛の足を払い、彼はバランスを崩す。
その状態で魔法を継続させるのは危険だと察知したのだろう。ロン毛は素晴らしい反応速度で、自爆を避けるべく魔法を解除させる。それが仇となるとも知らずに。
身体が軽くなったのを感じ、私は即座に立ち上がった。まだ立っていないロン毛の背中を踏みつけ、ヘアバンドへ肉薄する。
「させません!」
そこへ、私の前に来た槍の女が、手にしている得物で突きを繰り出す。前を向いた途端の攻撃に不意を突かれるが、身体は自然と動いた。
上体を横へずらし、刃を回避。そのまま歩みを止めることなく前進し、女の顔へすれ違いざまに攻撃を加える。
槍の女が怯んだ隙に、私はヘアバンドへ近づこうとする。が、タイミングが悪かった。
詠唱を終えたらしいヘアバンドの前方には、大きな氷柱のような氷が幾つも浮いている。いつでも発射可能といった感じで、前方を見据えていた。
まずい。そう思ったのだが、どうすればこの場をやりきれるかが思い浮かばなかった。手詰まりとはこのことを言うのだろう。
私はヘアバンドが手を前方にかかげるのを見る。発射の合図だろう。能力の補整がない今、それはとても素早い動きに思えた。
けれど、単調だ。
鋭利な先端を私に向けている氷柱は、数こそ多いものの軌道が容易に予想できた。全てが全て私に向かってくる。つまり私を焦点にするが如く、一点に収束しながら進むのだろう。
となれば、被害をできるだけ少なくする方法は発射の後にできるだけ前に出ること。
下手に回避をしようとして失敗してしまえば大惨事となる。これが最善な筈。
魔法が発射される。私は考えた通りに走り続けようとする。が、思ったよりも氷柱の進むスピードは速かった。
「がっ、ぁ……」
氷柱が肩を、脇腹を突き刺す。それでも加減はされているようで、頭などの急所を狙った氷柱はなかった。私は痛みに呻きながらなんとか衝撃に耐え、氷柱を身体から引き抜く。脇腹、肩と抜いていき、その度に痛みから身体を震わせる。
氷柱は地面に落ちると消えていった。
また制服が駄目になってしまったなどと暢気なことを考え、私は前を見る。まだ立っていることを不思議に思っているのだろうか、ヘアバンドは目を見開いていた。
ふっと笑い、私は足を進めようとする。
しかし――すぐに倒れてしまった。
流石に氷柱が刺さって何事もないように歩けるほど、私は人間を止めていない。身体から抜いた時点で限界だ。傷から伝わる痛みで身体をまともに動かせなかった。
命の心配はない。足止めも成功しただろう。だがここまでやって負けるなんて、中途半端なことこの上ない。
私は立ち上がろうともがく。けれども地面についた手は滑り、上手く立ち上がることができない。意識があることがもどかしかった。
「すばしっこい奴だったな。こいつ、どうする?」
「とりあえず保健室じゃない? 怪我してるし」
ロン毛とヘアバンドが私を見ながらホッとした様子を見せる。反対と賛成。敵対する仲だというのに、結構優しい。自分の保身を考えての言動かもしれないけど。
二人の手が私の身体へと伸びる。
もう駄目か。私が思ったその時、どこからか派手な音がし誰かが倒れた。
「な、なんだ!?」
「増援!?」
うろたえるロン毛とヘアバンド。
霞む目を凝らしてそちらを見てみると、槍の女が地面に倒れている。その背後に立っているのは――私の知っている人物だった。
「音がしたから来てみれば……苦戦してるみたいですね」
勝ち誇るように胸を張った少女……扇は私へ笑いかける。
私はハッとした。『苦戦』。そして彼女の挑発するような視線。
そうだ。私はまだ負けてはいない。立ち上がりさえすれば、戦える。
そしてなにより、彼女は私が負けていないと考えている。
命の心配はなく、目的は果たした。けれどまだ、私には戦う理由があった。
勝ちたい。ライバルの前で寝ているわけにはいかない。
目を閉じる。息を止め、そして開いた。傷は痛むものの、さっきの私までとは違う。痛みに耐える意味、覚悟がある。私は手を付き、時間をかけてゆっくりと立ち上がった。敵が扇に意識を向けていたのが助かった。
深呼吸。震える呼吸をなんとか整えようとするが、それは叶わなかった。根性で立ったけど思ったより酷い状況らしい。
「扇か……邪魔をするならばお前も排除するぜ」
「あら。是非やってほしいものですね。できるのならの話ですけど」
ロン毛の言葉に返し、私を見てくる扇。彼女の目線が語る。自分はロン毛をやる、と。どこからそんな自信がくるのかは分からないが、私は素直にヘアバンドを狙うことにする。
もう立てないと踏んでいるのだろう。私に背中を向けているヘアバンドは無防備だ。
私は軽く飛び、彼女の頭へ回し蹴りを放つ。いつもならまずかわされるであろう隙の大きい攻撃。それはいとも簡単に彼女の頭部を打ち抜き、私の足に強い衝撃が走る。同時に傷からの鋭い痛みが全身に伝わった。
呻きながら私は着地。片膝を地面に付いてしゃがむ。ヘアバンドは飛ばされ、地に倒れた。
「なっ!? こいつ、どこにそんな力が――っ!?」
続いて、私の方を向いたロン毛が横ざまに倒れる。
戦い慣れていないようだ。目の前の敵から目を逸らして、一点に意識を向けるとは。そのせいで扇の魔法に死角からやられてしまった。
「……なるほどね。私を囮に使うつもりだったんだ」
私は苦笑した。勝算もなしに助けに来るような人間じゃないとは分かってたけど、中々にしたたかだ。
けど、悪い気はしない。だって私が立つと信じてくれていた、ということになるから。
「うっさいです。ほら、傷を見せて」
ムスッとした表情を浮かべ、扇が近づいてくる。私は肩と腹の傷が見えるように背を伸ばそうとした直後、地面に仰向けとなった。
「あ、あはは……もうだめ」
限界だ。息切れしたように呼吸は荒く、弱々しい。痛みは絶えず傷口から訴えられ、私の本能が警鐘を鳴らす。思わず笑ってしまうほど、身体にガタがきていた。
「……これでよく立ちましたね」
「立たないと、いけない……場面だったでしょ?」
台詞までおかしくなってきた。私はにやけながら言うのだが、激痛で途切れ途切れだ。扇はそんな私を見て、額を軽く突いてから回復の魔法を使用した。もう喋るな、と言いたいらしい。
緑色の優しい光が私の身体を包み、痛みが和らぐ。
範囲が広い。中級レベルはあるんじゃないんだろうか。それなりに強い魔法だ。
「期待に応えてくれる人は嫌いではありません」
変わらない。私は苦笑した。
高飛車で、常識もあまりない。けれどどこか憎めない。
「私も、扇のことは苦手だけど嫌いじゃないよ」
「同じですね。私も苦手です」
私達は同じタイミングで笑い合った。
なんだろう、この気持ちは。戦いとか傷でハイになったりしてるのかな。扇の憎まれ口が可愛いように思える。
不思議な感情に戸惑いながら、私は彼女の治療を受けた。
○
魔法はやはり偉大なのだと思う。攻撃に使えるし、回復もできる、サポートと戦闘に関することだけではなく、日常生活にもその用途は及ぶ。現在は開発中だと聞くが、国をはじめる数々の機関や組織、会社は魔法を使った何かを開発しようとしているとか。
原理を理解していないのに、よくもまぁそんな気に……とは思う。しかし便利なものは利用しないと勿体ない、というのが大多数の意見だ。
だからこそ『絶対評価制』は受け入れられたのだろう。
私は絶対評価制に反対なのだけど――こうしてその恩恵を受けるとその世論に反論し辛くなってしまう。
「ありがとう、扇。いいタイミングだったよ」
傷を完治し、すっかり健康になった私は扇に礼を告げる。彼女はフンと鼻を鳴らし、横を見た。そこには先程倒した三人の生徒が倒れている。
「どうしましょう。一応保健室の先生を呼んでおきますか?」
お礼スルーですか。らしいといえばらしいけど。肩を落としつつ、私は返事をする。
「そうだね。私の心配もしてくれてたし」
彼らは私を保健室に連れていこうとしていた。それで放置していては人としての義理が通らないだろう。扇は了解したようで、こちらに一度目を向けると歩き出した。
「あれ? 扇が呼びに行くの?」
「私は見回りが仕事ですから。ついでに保健室に寄ればいい話です。楼さん、あなたは突入が仕事でしょう?」
「いやまぁ、そうなんだけどさ」
ここは弱い私が連絡に行くべきなんじゃないかな。あまりにはっきりと言う扇に、私は困ってしまう。しかし扇はそれを気にせず校舎裏から去っていった。
なんていうか、要らんところで律儀なやつである。戦力ではなく、命令を遵守するなんて。
信頼されている。そう思うことにしよう。うん。私は嘆息し、周囲を見回す。妹達の気配はない。
これだけ派手に暴れたのだ。部長のいる場所へ向かう時間は十分にできたはず。もう到着して倒している辺りだろうか。
のんびり考えつつ視線を巡らせること数分。私はようやく人が通ったらしき形跡を発見する。
校舎裏の大きな木。綺麗な緑色の葉をつけたそれの後ろに、金網の穴があったのだ。人がしゃがめば通れるくらいの大きさで、そこに生えている雑草は踏まれ、獣道のようなものができていた。先は草が生い茂っており見えない。が、どこかに続いているのは間違いなさそうだった。
ここが部長のいる部屋への道? 部屋というよりはダンジョンに続きそうなんだけど、どうなんだろう。
色々と考えた後に私はしゃがむ。
「ままよ、ってことで行こうかな」
成り行き任せって楽ちんだよね。
他に何も見つからないし、突っ立ってるよりマシだろう。本当に考えたのか疑わしい結論を導き出し、私は前へ。草が生い茂る中を進んでいく。記憶が正しければ、校舎の裏には何か建物があったような。しかし高校とは何も関係がない場所だった筈だ。
となると、どこに繋がっているんだろうか。
前を向きながら再び思考の世界に旅立つ刹那、私は身体が前に傾くのを感じた。
「――えっ?」
間抜けな声が口から出た。
足が地面がある筈の場所より下にいき、前のめりになる。私の直感は足を踏み外したのだと告げるのだが、どうにも理解できなかった。さっきまで平坦な道が広がっていたのに、なんでいきなりそんなことになるのだ。
異常を感じた私は下を見る。地面は変わらず、同じ高さにあった。
……ただ、私の足はその地面に深く刺さっている。地面が存在しないように。
状況を理解できないまま、私はバランスを崩す。膝が、身体が地面に入っていき、最後には全身がその向こうへと落ちていった。
○
落下は二秒もない短時間で終わった。地面を通りすぎ、私はコンクリートの床に手から着地する。勢いあまってそのまま背中を打ちながら前転。『格闘』の能力で受け身もとれるはずなのだが、不意をつかれたために使用することができなかった。
仰向けに倒れ、咳き込みながら私は身体を起こす。
私が落下した場所は、地下室のようだった。一つの電灯のみで照らされたそこは決して暗くないのだが、一面に広がる黒いコンクリートのせいで明度が下がって見えた。ここは入り口みたいで、奥に見える扉以外は何もない。
「学校にこんな場所作るなんて……何考えてるんだか」
少し寂しくなった私はぽつりと呟く。返答は無論ない。
溜息。ここにいても進展はない。私は立ち上がり、奥の扉へと向かうことにした。
無機質な、屋上の扉を思わせるドアのノブを捻る。一応ゆっくり力を込めて押すと、手入れされているのか、このドアは音を立てることなく開いた。
人一人通れるスペースだけを開けて、私は中を覗き込む。
「あら。遅かったわね」
中にいたのは、部屋の奥で悠然と立つ『優等生』の部長、冬花。入り口近くで座り込んだ夢深。そして――
「な――妹!? 村上!」
――倒れている妹、村上だった。