絶対評価制!   作:珊瑚

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回想

「ふあぁ……」

 

 どこまでも続くかと思えてしまうほど長い廊下に、モップをかける。

 それはとてつもなく退屈で、途方もない作業だった。

 欠伸をもらし、目に浮かんできた涙を拭う。

 延々と続いていく廊下。そして真っ白な壁。

 味気ない風景は、その終わりを一向に見せることがない。

 彼女――夢深は若干うんざり気味で廊下を上下に動き、少しずつ奥へと進んでいった。

 退屈。今の時代にこれほど似合わない言葉はないだろう。

 己の心情に自虐的な笑みを浮かべる。

 両親に連れられ、『組織』という名の組織の本拠地を訪れてから一週間が経とうとしていた。

 あれから今日まで、様々なことを教えられた。

 現在の状況。能力の使用方法。これからの計画……組織が今を生き抜くために必要だと判断したことを、夢深は徹底的に叩きこまれた。

 その結果、自分はとんでもないことに巻き込まれていたのだと驚くことになる。

 突然目覚めた力による全世界の混乱、及び崩壊。

 現実味もないファンタジーな出来事が起きている。今でも信じられないが……自分自身、身に覚えのない知識を習得しているので、信じるしかない。

 今だって、一週間前はやったこともないモップがけを、すいすいと大人以上のペースでこなしている。思考に頭を働かせながらも、隅々まで綺麗に。実際身体を動かすと異常であることが如実に分かる。

 

「夢深。お昼ご飯だって」

 

 無数にある廊下の角の一つから、一人が顔を出した。

 『組織』が作成した白いセーラー服を身につけている彼女は、森永 結花(もりがな ゆか)。高校生らしいのだが見た目は幼く、背もかなり低いので夢深より年下に見える。

 組織の仲間に可愛がられるのが悩みだとか言っていた。

 

「え? いいんですか? まだ掃除終わってないですけど」

 

「いいのいいの。本当なら掃除なんて一週間に一回で多いくらいなんだから。それよりご飯だよご飯」

 

 銀髪のポニーテールを揺らし、首を振る結花。

 一週間に一回はどうなのだろう。と夢深は思ったのだが、腹が鳴り、空腹を訴える。

 

「ぷふふ。真面目もいいけど、少しくらい素直に生きていいんじゃない?」

 

「ご、ご飯くらいで大袈裟です」

 

 恥ずかしいものを聞かれてしまった。

 顔を赤くしながら、モップを壁に立てかけておく。多分ここにモップを置いたくらいで文句は言われないだろう。

 

「今行きます。ちょっと待っててください」

 

 了解、と結花が頷く。未だからかうように笑う彼女へ苦笑を返し、夢深は歩いていく。

 結花のいる曲がり角を曲がると、メインホールへの扉が見えた。

 

「みんな待ってるよ。早く早く」

 

 夢深の背後に回り、結花が背中を押す。

 慌てて扉を開き、夢深はメインホールへ入った。

 

「えぇ? みんなもう食堂にいるんですか?」

 

「うん。お昼ご飯にしよう、ってなる三十分前にはいたかな」

 

「みんな仕事あるんですよね」

 

 いくら毎日同じ仕事をしているからと言って、それは暇を持て余し過ぎじゃないだろうか。

 引きつった笑みを浮かべる夢深。

 真っ白なメインホールには今日も多くの人がいる。

 外に出てきたであろう、隊の人間。雑談を楽しむ老人達。おもちゃで遊ぶ子供ら。賑やかで、現在の状況を忘れてしまうほど楽しげだ。

 仲良く歩いていく夢深と結花は彼らへと挨拶をし、食堂のドアを開く。

 長いテーブルが複数並べられ、奥には厨房が見えるそこには、既に数人の少年少女達がいた。

 

「遅れちゃったねー。やー、すまんすまん」

 

「えと、遅れてすみません?」

 

 一応結花に習って頭を下げる。

 するとその中の一人がため息を吐いた。

 

「遅れたもなにもないでしょ。ごめんね、夢深。いきなり連れてきちゃって」

 

「え、あ、うん」

 

「なにこの扱いの差っ。相変わらずみんな夢深に甘いんだからなー」

 

 結花がぶーぶー文句を言いながら席に座る。

 夢深は苦笑いを浮かべると厨房へと入っていった。

 彼女の仕事は掃除だけではない。チームの食事を作るのも立派な仕事の一つだ。

 メンバーらが外で食材や物資を集め、夢深が彼らをサポートする。それが彼らチームの役割分担である。

 夢深は冷蔵庫を開いて中身を確認する。

 農家の跡地でも漁って来たのだろうか。『組織』の全食料が入った大きな冷蔵庫には野菜やよく分からない肉、卵が入っていた。

 これらを使えばいつもよりかなり豪勢な食事が作れることだろう。

 ――でも贅沢は駄目かな。

 今日から平和になるまで何日かかるか分からない。そんな状態で贅沢はするべきじゃない。

 夢深は堅実に考え……しかし肉は食べたく、鶏肉を焼くことに決めた。必要な量だけを取り出し、まな板に置く。

 

「ねぇ、夢深は聞いたことある?」

 

 メンバーの一人、神原 雪枝(かんばら ゆきえ)はカウンターのテーブル越しに声をかけてきた。

 茶と緑の左右で異なった色の瞳を持つ彼女はチームのリーダーであり、戦闘能力も『組織』の隊では随一。頼れるチームのリーダーだ。

 なにやらわけありで男と女二つの人格が宿っているのだが、今は男の人格らしかった。名前の呼び方や口調でなんとなく区別がつく。

 

「なにをですか?」

 

 まな板から顔を上げ、返事をする。

 テーブルにぐたっと身体を乗せていた彼女はにっこりと笑う。彼女もまた高校生で、夢深の年上なのだが、その表情はいたずら好きの少年を思わせた。 

 

「『はじまり』。人類の能力を目覚めさせた張本人のこと」

 

 初めて聞く名前だ。

 夢深は苦笑いを浮かべ、答える。

 

「聞いたことないですね。けどそれ、本当の話なんですか?」

 

「やっぱり怪しいよね」

 

 夢深の疑うような言葉に、結花が同調した。

 『はじまり』。張本人と言うからには人間なのだろう。そんな人物がいたらならば……何故、人々を混乱に陥れるようなことをしたのだろうか。そして何故、今なのだろうか。

 魔法やら錬金術やらを人間が容易く使う現代、有り得ないことでもないが、やはり噂だとしか思えない。

 

「リーダー、しっかりしてよ? 男の子だからそういう話題好きなのは分かるけど」

 

「分かってるって、結花。でも僕、それを探してる怪しい組織に会ったんだけどなぁ」

 

 呆れたような反応を示す一行に、雪枝は至って真面目に返す。

 とても嘘を言っている様子ではない。

 だが夢深はその話を信じることはできなかった。これだけの混乱だ。おかしなことを創作しているような連中がいてもおかしくない。

 

「『世界(ワールド)』とかって言ってたけど……やっぱり頭悪い連中だったのかな」

 

 ぽつりと呟かれた言葉。

 その重大さをメンバー達が知るのは、後の話である。

 

 

 

 ○

 

 

 

 それから三カ月が経過した頃。

 

「あー……相変わらず暇です」

 

 新規加入者が増え、夢深の担当は組織の中でも重要な場所の清掃となっていた。

 退屈なのは変わりないが、それでもやりがいはある。

 次々と手柄を上げるチームの仲間、彼らを支えることができるのだから。

 それに家族全員で平和に過ごせる環境を提供してもらっているのだ。感謝はすれど、文句を言うのは恩知らずというもの。

 素直な心情は口から出るものの、彼女が手を止めることはなかった。

 

「たまには早めにご飯用意したりしようかな」

 

 ボソッとらしくないことを呟き、夢深は足を止める。

 何か音が遠くから聞こえた気がした。

 これも能力なのだろうか。直感的に嫌な予感がした。

 夢深はモップをその場に置くと走る。会議室から飛び出し、廊下へ。するとまた何かの音が響いた。

 

「……近く?」

 

 それは廊下に出ると、比較的近くから聞こえることが分かった。

 何も考えず、彼女はそこに向かって駆けていく。

 普段は誰もいない廊下だが、今日は特に静かに思えた。

 静寂の中、自分だけの足音が響く。何が起きているかは分からない。だからこそ夢深は恐怖を感じた。

 家にいたときは考えもしなかったことだ。

 両親から言われたことに従い、静かな家の中で待つ。それと今は何が違うのだろうか。

 ――多分、知ったからだ。

 街が崩壊した理由。両親が自分を外に出さなかった理由。そして瓦礫の中に見えた僅かに見えたモノの正体。

 自分が置かれた状況を理解したとき、夢深は心から『組織』の目的に共感した。そのために活動する両親を応援することができた。

 だから、怖くなる。不安になる。

 自分達はとんでもないものに立ち向かっているのだ。今でこそ何も起きていないが、もし誰かに目をつけられたら……。

 

「あれ?」

 

 夢深は開きっぱなしになったドアを見つけ、足を止める。

 部屋の名前を示すプレートはない。しかし重要な部屋の掃除を任され、長い間それをこなしてきた夢深にはそこが何の部屋なのか分かる。

 『監視室』。仲間が増えてきた本拠地内の様子を、監視する目的で最近作られた部屋だ。

 各所に取り付けられたカメラの映像をモニタリングし、侵入者や問題が起きていないかを確認する場所、と認識している。

 ――そんな場所が何故、ドアを開けっ放しに?

 逃げ出したくなる気持ちを抑え、夢深は歩く。もし何も異常がなければドアを閉めてそれで終わりだ。後で誰かに開いていたと言っておけばいい。

 自分に言い聞かせ、動悸を鎮めようと胸を押さえる。

 やがて視界に入ったのは幾つものモニター。そして、頭から血を流して倒れている男性だった。

 

「あ……」

 

 外は危険であり、時折死体が供養のため拠点に運ばれることもあった。

 だからそれなりに慣れているだろうと思っていたが……凝視することができない。

 中を覗き込むと同時に見えた光景に、夢深は一気に血の気が引くのを感じた。

 顔を引っ込め、深呼吸をしようとし、臭いが鼻に入って咳き込む。

 涙目になりながら、三分かけてなんとか呼吸を整えるという有様だった。

 それでも、かつての自分よりは相当マシになっただろう。初めて焼け焦げた死体を見たときは嘔吐しかけたし、食事もしばらく喉を通らなかった。

 それが今はたった一言の呻き声と、微小な精神的ダメージだけで済んでいる。

 顔見知りが死んでいたにも係わらずだ。

 果たして良い成長なのかは分からないが――夢深にもう一度、監視室を見る勇気を与えたのは確かだった。

 せめて見間違いだったら、と夢深は中へ視線を向ける。

 しかしその願いはすぐに砕かれ、夢深は口を押さえる。

 銃……だろうか。綺麗に額を丸型の穴が貫通しており、そこから血が流れている。椅子の横に倒れている彼は、床に小さな血の海を作っていた。

 未だそれが広がっているのを考えると、彼が殺害されたのはごく最近かもしれない。

 そうなると、部屋の中で聞いた音や、廊下に出たときに聞こえた音は、彼が殺された際のものだという可能性が高い。

 おそらく、侵入者。

 いくらそういった環境にいたとはいえ、一度も直接係わったことのない自分が、これほど冷静に考えられることは意外だった。いつもはもっとおどおどしているのだが。

 自分の変化に内心驚きつつ、誰かに報告するべく踵を返そうとし、彼女はある一点に目を止めた。

 幾つもあるモニター、そのメインホールを移す数台に多くの人間が映っている。

 それらから分かるのは、『組織』の人間達がメインホールの奥に集められていること。

 そして、彼らに武器を向ける怪しげな集団がいることだった。

 集団はまるで軍隊のような制服を身にまとい、等間隔で並び組織の仲間達を包囲している。

 夢深の頭の中で、映画で見たワンシーンがフラッシュバックする。

 人質にとられているか、脅されているのか。どちらにせよ危機的状況であった。

 

「なんで、こんな……」

 

「――夢深!? 良かった、捕まっていないんだね」

 

 背中からかかった声に、夢深は勢いよく振り向く。そこにいたのは彼女の父親だった。

 いつもの優しげな表情は余裕がなく、苦しげに歪まれていたが、それでも夢深の顔を見ると嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「お父さん! 今、なにが起こってるの!?」

 

「分からない。けどここにいては危険だ。早く逃げたほうがいい」

 

 誤魔化すことはできないと思ったのか父親は正直に言い、廊下の先を指差した。

 遠くに見えるドア。それは緊急用のワープが設置されている部屋へと続くものだ。

 夢深は信じられない思いで父親を見た。

 

「み、みんなを見捨てて逃げろって言うの?」

 

「違う――ああ、そうだ。夢深のチームには言ってある。他の子供も、あの場で見つかった者以外は避難している。お前だけじゃない」

 

 だから罪悪感を抱く必要はない。

 そう言っているかのような父親の言葉に、夢深は何故か苛立った。

 自分になにができるか分からない。けれど、暗になにもできないと言われているようで、悔しかった。

 夢深は何か反論しようとするが、ぐるぐると自分の中で渦巻く気持ちをうまく表せず、口を開閉させる。

 すると近くからドアが閉まる音がし、足音が近づいてくる。

 

「他に人はいなかったわ――夢深!」

 

 曲がり角から小走りでやって来たのは、夢深の母親だった。

 銃を背負い、身体にはアーマーのような物を着込んでいる。外へ出る隊のような格好だった。

 彼女は夢深を発見すると大きな声で名前を呼び、駆けてくる。その表情は幸せをかき集めたかのような明るい笑顔だ。涙すら浮かべそうに見えた。

 

「良かった。無事だったのね」

 

「お母さん……お母さんも私に逃げろって言うの?」

 

 両親が無事だったのは嬉しい。

 しかし再会を喜ぶのも不謹慎な気がし、夢深は視線をモニターへ向ける。

 そこには絶望的な光景が変わらず広がっていた。いつ死人が出てもおかしくはない。

 これを見て見ぬフリをして逃げるのは、自分にはできない。死ぬかもしれないと考えても、そう断言できた。気が小さいからこそ、逃げた事実を受け入れる覚悟がなかった。

 

「……夢深を連れて逃げろ」

 

 不意に聞こえた言葉。

 え? と、声をもらすと夢深は手を引っ張られた。

 

「お、お母さん!? お父さん!?」

 

 見れば母親が夢深の手を引き、父親はどこかへと歩いていくではないか。

 引きずられるようにして速足で歩く夢深は、慌てて母親を見た。

 

「何してるの!? みんなはどうするの!」

 

「私達には何もできないことよ、夢深。あそこにいても死ぬだけ」

 

 前を見据えながら言われ、夢深は言葉に詰まった。

 こういうとき、助かった、ラッキーだ、などと思えたらどれだけいいことか。

 確かに自分には何もできない。出ていってもあの中の一人になるか、撃ち殺されるかのどちらかだ。

 結局、自分は何も変わっていない。

 夢深は歯噛みした。変わろうとしていなかったのも事実だが、半年にも近い時期が経過したのだ。少しくらいの成長はしていると思っていた。

 見慣れた景色が過ぎ去る。夢深はここに連れてこられたときのように、親に手を引かれて連れられていく。

 気づけばワープを使用し、もう外へ出ていた。

 あれから何ヶ月も経っているが、外の景色は変わらない。倒壊した建物が並び、瓦礫が地面に敷き詰められ、奇妙な臭いが漂っている。

 とてもファンタジーな世界だとは思えなかった。

 有り余る力がもたらした崩壊。皮肉にもそれは、能力が出現する以前よりも現実味を帯びていた。

 

「ごめんなさい」

 

 外に出ると母親は歩くペースをゆるめ、一言謝罪した。

 本拠地にいても命を無駄にするだけ。そう分かっていても、夢深が罪悪感を抱くことは人間として当然のこと。

 そのことについて謝っているのだろうか。

 と夢深は思うのだが、どうもそれだけではないようだ。

 表情を暗くさせた母親は様々な感情をめちゃくちゃに混ぜたような、複雑な顔をしている。とても何を考えているのかなんて分からなかった。

 

「私は……」

 

 どんな言葉をかけるべきか。

 夢深は目を伏せて考える。『気にしてない』でも、『ありがとう』でもない。もっと言うべきことがあるように思え――彼女は自然と口から出てきた想いを口にする。

 

「私は、『組織』に来てよかったと思う。『組織』の目的には共感できたし、お父さんやお母さんが頑張ってる姿は生き生きしてて、世界の為に頑張ってるのを見て私もああなりたいと思ったよ」

 

 言って、自分はなんて綺麗事を口にしているのだと自己嫌悪した。

 よかったと思ったのは、何も選べなかったから他を知らなかっただけだ。拠点で死ぬようなことになっていたら、きっと真逆のことを言うだろう。

 ああなりたいと思ったのは事実だ。しかし自分は思っただけで何もしてこなかった。

 掃除や家事を自分の役割だと信じ戦うことをせずに、いざ力が必要になると自分の無力を嘆いた。

 なんて……矛盾しているのだろう。

 

「夢深……」

 

 自己嫌悪に陥る夢深の前。

 歩みを止めた母親は、彼女を驚いた様子で見ていた。しかしふっと口元をゆるめ、夢深を抱きしめる。

 

「ありがとう。お父さんにも聞かせたかったわ」

 

 久しぶりの抱擁。

 夢深は嬉しくなると同時に、不穏な空気を感じた。

 父親が死ぬ。そう言っているような台詞に。

 

「……それだけで、救われる」

 

「お母さん?」

 

 夢深は異変を感じ、顔を上げて母親の顔を見る。

 彼女は涙を流していた。

 夢深が素直に口にした綺麗事で。

 

「なんで泣いてるの……?」

 

 理由はなんとなく分かっていた。

 それでも、夢深は認めたくなかった。何故ならそれは、大事なものの崩壊を表していたから。

 母親は何も答えない。

 が、彼女の問いに答えるようなタイミングで近くから音がする。

 瓦礫を踏みしめ、それが崩れる音。誰かが近づいているようだった。

 

「あは、あははははっ!」

 

 狂ったような笑い声が響く。

 夢深は見た。高く積み上がった瓦礫の山、その上に一人の少女が現れた(・・・)のを。

 白いワンピース。青く短い髪。裸足の少女はその全身を赤で濡らしており、口を大きく開いてけたけたと笑っている。

 背筋が冷えた。とても同じ人間とは思えない不気味さがそいつにはあった。

 

「あははっ、散歩してたらいいものを見つけた……!」

 

 逃げよう。

 そう思ったときにはもう遅い。

 少女が手を軽く振るうと、夢深の視界は赤く染まった。

 

 

 

 ○

 

 

 

 なんともない。

 手が、足が、頭が動くのを感じ、夢深は目を開こうとする。

 すると、目に何かが入る。

 水だ。いつ顔についたのだろうか。手で拭い、夢深はそれがぬめっとしていることに気づいた。

 拭っても拭っても、いつまでもとれることがない。服の袖で拭くも、結果は同じだった。

 痛みを覚悟し、夢深は目を開く。

 真っ赤だった。辺り一面に赤い液体――血が飛び散っており、彼女の前には一人の人間だったものが横たわっている。

 それは頭を失った母親の身体だった。

 

「ひっ……」

 

 恐怖は感じない。何故こうなったのか、その疑問のみが頭をよぎる。

 

「あ、こんにちは」

 

 そして、目の前に立つ少女を見つけたとき、夢深は恐怖で目を見開いた。

 白いワンピースの少女。彼女は誰かの頭を手で軽く繰り返し上に投げ、にっこりと夢深に笑いかける。

 

「いやぁ、可哀想だね。『組織』は話し合いをしようって言ってるのに、あいつらはあんな手段でくるんだから」

 

 親しげに夢深へ言い、彼女は頭を放り投げる。

 血しぶきが少女の顔を濡らし、頭が落下する。ちょうど、夢深の前に。

 変わり果てた母親の姿に思わず声を出しそうになるも、夢深はそれから目を逸らし、少女を睨む。だが、それだけだ。

 いつ殺されるか分からない状況に、夢深は悲しみや怒り以上に恐怖していた。

 精一杯の反抗をする夢深に、少女は笑みを深める。

 

「あはは! いいね、いい顔だよ。そんなに私が怖い? けど私を睨むのはちょっと見当違いかな。恨むなら自分か君の前にいる人の弱さを恨んだ方がいいよ。そういう時代だしね」

 

 饒舌に語る少女。

 殺人を行ったことを悪いなんて思っていないのだろう。血のついた瓦礫に座り、彼女は肩を竦める。

 

「でもちょっとだけ私も悪いかな。幸せそうな人を見るとついつい壊したくなっちゃうんだから」

 

 言われ、夢深は視線を鋭くさせた。

 

「そんな怒らなくてもいいじゃない。実際幸せじゃなかったでしょ? お母さんの反応に戸惑ったり、自分のことすら分かってなかったじゃん」

 

 夢深は何も答えない。ただ視線を少女へ向け、成り行きを見守る。

 自分が幸せか否か。あのときの気持ちはよく思い出せない。

 だが今それはどうでもいいことだ。どうせ口にしても馬鹿にされるだけ。

 今この場面をどうやり過ごすか。それを考えるべきだ。

 

「うむ……今度はつまんない反応だね。あ、そうだ。『組織』で何が起こってるかヒントあげよっか?」

 

「――えっ?」

 

「あはは、反応した。興味ある? 興味あるんだね?」

 

 座っていた瓦礫の山から降り、少女は三日月のような笑みを浮かべる。

 

「簡単なことだよ。『武蔵 楼』。世界の命運を握った女の子。『組織』を襲った人達は彼女が欲しいだけ。だからああして人質をとって要求を無理矢理通そうとしてる」

 

「人質……?」

 

「うん。だけど『組織』は渡すつもりないから、全員殺されるのが妥当かな」

 

 さらっと恐ろしいことを口にする少女。

 嘘だと言いたくなるが……本当かもしれないと考えてしまう夢深がいた。

 父親と母親。両親の態度を顧みると、そうとしか思えない。

 

「可哀想だよねぇ。一人のために何人死ぬんだ、って話だよねぇ。何人も殺してる私が言えたものじゃないんだけどね! あはははっ!」

 

 血で濡れた見た目通り、彼女は既に何人も殺めているらしい。

 楽しげに笑う少女は、夢深も笑うと思っているかのように、彼女を見つめて笑みを浮かべる。

 

「あ、そうだ。まだ名乗ってなかったね。私は『はじまり』。夢深の友達の雪枝ちゃんのこともよく知ってるよ」

 

 はじまり。雪枝。

 続いて飛び出したワードに、夢深は身体を震わせる。

 人類の能力を目覚めさせた張本人。

 それがこんなにも邪悪な人物だとは。

 そう思う反面、納得することもあった。

 

「――うん。夢深も生かしてあげようかな。また会ったら戦おうね。その時は私を殺せるくらい強くなってくれてると嬉しいな」

 

 友達に別れの挨拶をするように言って、手を振る少女が消える。

 後に残されたのは夢深と、母親の亡骸のみ。

 はじまりがああも邪悪ならば、この理不尽な現実にも納得できる。

 呆然とする夢深は頭を亡くした母親の身体に触れ、そのとき初めて涙を流した。

 

 

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