何者かによって連れ去られたイトハは、見知らぬ部屋で一匹の『鬼』と対峙する。
広い和室の中、イトハはジッと繭の中から上半身を外に出した状態でその『鬼』から目をそらさず見ていた――。
『鬼』はゆっくりとした足取りで、一歩一歩和室の中へと入ってくる。
そうして天井に吊るされた小さなランプの光に照らされ、『鬼』の姿が鮮明になった。
その『鬼』は――正確には
だが、イトハはその者の正体が女であった事にはあまり驚かなかった。
と言うのも、自分を連れ去った犯人が女であったという事実は、路地に引っ張り込んだ時の腕の細さと白さ、そしてその直後に自分を後ろから拘束した時の着物越しに感じた身体の感触で既に気づいていたのだ。
その鬼の面の女は両手に沢山の握り飯を大皿に乗せたお
「おやぁ?もう動けるようになったのかい?もしかして、この握り飯の匂いにつられて起きたとか?ハンッ、育ち盛りの子供って食い意地がはって嫌だねぇ」
どこか小馬鹿にしながら女はそう声を上げると、手に持った握り飯の山をイトハのそばに置いて、周囲の子供たちに向かって叫ぶ。
「さぁ、アンタたち今日の飯だよ。そいつ食って
どこかウキウキとした口調で鬼の面の女がそう響くと、部屋の隅にいた子供たちは、まるでアリが群がる様にわらわらと握り飯の山に集まって行き、それを食べ始めた。
それを横目で見ながらイトハは考える。
(今はまだどういう状況なのかもわからない。ここはひとまず情報を引き出す事を優先させるべきでしょうか?)
するとそんなイトハを『鬼』が見下ろすように前に立つ。
「何ぼんやりしてんだい。早く食べないと全部食われちまっても知らないよ!」
どこか命令的なその物言いにも意に介さず、イトハは目の前の『鬼』から情報を引き出すべく
「……お、おねーさん、だれ……?わたし、なんでこんなところにいるの……?それに、この子たちはいったい……?」
目尻に涙を溜めてビクビクと怯える
「へぇ……結構いいじゃないかその怯えた顔。思わず
「ひっ……!?」
唐突に屈みこんできた女は無遠慮にイトハの顎を持ち上げ、それにイトハは悲鳴を上げる。
ちなみにこの悲鳴も演技ではあるのだが、同時にイトハの背中を抑え切れない寒気が走った。
そんな怯えた顔(演技)をするイトハの顔を覗き込みながら、女は仮面越しに目元を歪める。
「ンフフッ……。でもまぁ焦る事は無いね。これからいくらでもたぁーっぷり可愛がってあげられるんだからねぇ♪それに……今の表情も捨てがたいけど、私としてはもっと
(『お遊戯』……?)
女の言う『お遊戯』が何を意味しているのか分からず、イトハは内心困惑する。
それに気づいているのかいないのか、鬼の面の女はイトハから顔を離すと続けて口を開いた。
「ハンッ、知りたいんなら他の子らに聞くんだね。私は今クタクタなんだ。一晩中、
その言葉に、イトハは内心驚いた。
(!……『正午までの五時間』?……という事は……今は朝の七時。連れ去られたのは夕方ごろですから、私は丸々一晩眠っていたのですか……?)
そんなイトハの前で女は気だるげに肩の骨をコキコキと鳴らすと、部屋から出ようとイトハに背を向ける。
その背中を見たイトハは、今度は冷静に思考し始めた。
(……彼女は油断している。今なら無防備状態のあの背中を突き倒して、そのまま組み伏せる事が出来る。……でも――)
思考しながらイトハはチラリと大皿を囲んで一心不乱に握り飯を食べる子供たちを見やる。
(――あの女性に仲間がいないとも限らない。もしそうなら、私一人ではこの子たち全員を守り切れる保証はない。ここは後追いもせず、見逃すのが『吉』。それに――)
イトハはそっと自分の首筋を指でなぞる。
そこには
(……連れ去ら得る時に受けた首筋の衝撃……。もう傷は塞がっていますが、あの時一体何をされたのか気になりますね……。それに、さっき彼女が言っていた『遊戯』についても……)
黙考しながらジッと女の背中を睨むイトハ。そんなイトハの視線にも気づかず、女は背伸びをしながら部屋を出ると、そのままイトハの視界から消えていった――。
「……ね、ねえ」
「……はい?」
鬼の面の女が部屋から退出して直ぐ、先程まで大皿を囲んでいた子供たちの内の一人がイトハに恐る恐る声をかけてきた。
獣のような茶色い耳と尻尾を持ち、花柄の着物を着たその幼い少女は、小さな両手に握り飯を一つ抱えてイトハの元へやって来ると、しゃがんでその握り飯をイトハへと差し出した。
少女が口を開く。
「……これ」
「くれるのですか?」
イトハの問いかけに少女はコクンと頷いて見せた。
しかし、イトハは少女に微笑みかけるとそれをやんわりと断った。
「いいえ。私は今、お腹は減っていませんから大丈夫ですよ。お気持ちだけ、有難くいただかせてもらいますね。……それは貴女が食べてください。
そう言って、イトハはチラリと周りにいる子供たちを見まわした。
初めて見た時から気づいていたが、少女を含めて全員がろくな食事にありつけていないのか、頬はやせこけ、着物から除く体は骨が薄っすらと浮き出るほど見事にやつれ果てていたのだ。
イトハは次に先程まで握り飯の乗っていた大皿を見ながら少女に問いかけた。
「……あの、貴女たちはいつもあれを食べているのですか?」
「うん……。朝と夕方前の、二回だけ……」
少女のその返答に、イトハは内心、目を見開いて驚いた。
ざっと先程大皿に乗っていた握り飯の数を数えてみても、およそ十数個はあったように思える。
しかし、この部屋にいる子供たちの数はおよそ十人。
大体一人当たり、一個。そして何人かは二個、手元に入る計算だ。
それが朝と夕方に二回のみ。
育ち盛りの幼い子供たちに与える食事にしては、とても満足に足りているとは思えない量であった。
彼女たちがやせ衰えるのも当然の結果である。
(……しかし、それだけでしょうか?この子たちを見るに、
そうイトハが考え込んでいると、再び先程の少女が声をかけてきた。
「ねぇ……このおにぎり、くれるなら
「……え?えぇ、いいですよ。それは貴女のものですから。……でも誰にあげるんですか?」
イトハのその問いに少女は直ぐには答えずスッと立ち上がると、部屋の端へとトテトテと歩き出した。
「?」
首をかしげてイトハも繭から出て少女の後を追う。
少女の向かう先――そこには押し入れらしき襖の戸があり、少女はその襖の取っ手口に手をかけると、建付けの悪いその襖を力いっぱい開け始めた。
ガタガタと襖は大きく震えながらゆっくりと開けられていく。
そうして限界まで開けられ中の様子が見えるようになった瞬間――。
「――――ッ!?」
イトハは今度こそ言葉を失うほどに驚いた。
そこには少女がいた――。
押し入れの奥の壁に力なく背中を預け、四肢を投げ出して座る少女がいたのだ。
長い事手入れがされていないのか、
そしてその髪の間から除くようにして光を失った虚ろな
まるで人形のように少女はピクリとも動きはしないものの、カサカサに乾いたその小さな唇は、
だが、イトハが驚いたのはそれだけではなかった。
イトハが釘付けとなった視線の先、その少女の胸元には――。
――
「まさか……この方は……!」
そう驚きながら響いたイトハは、脳内でこの地底世界に来る前に幻想郷縁起で見せてもらった
髪は伸びきり、全身はやせ衰えてはいたものの、それ以外の特徴は完全に合致しており、イトハは押し入れの中の少女がはるばる自分がこの地底世界にやって来る事となった目的の少女なのだと確信する。
そう、押し入れの中の少女は、間違いなく――。
――古明地さとりの妹、古明地こいしの変わり果てた姿であった。
呆然と立ち尽くすイトハの前で、握り飯を持った少女はこいしの前に座り込むと、握り飯を少しちぎってそれをこいしの口元へと運んだ。
少女の手によっていくつかのご飯粒がこいしの口の中に入れられ、それと同時にこいしの口元がモグモグと小さく動いた。
死人のような虚ろな目で意識すらはっきりとしているのか怪しい状態ではあるものの、それでもこいしの口は無意識に握り飯を求めて動き、噛み潰したそれを喉の奥へとゆっくりと流していく。
それは一種の生存本能――食欲から来る反応だった。
「……私がこの子をここに隠したの……。
「……?」
ぽつりと響いた少女のその言葉に、イトハはどういう意味なのかと疑問に思いもしたが、当の少女はこいしに握り飯を食べさせるのに集中しだしたので、結局この時は聞けずじまいに終わった。それにイトハには、それ以上に気になる事もあった――。
「……すいません、少し代わってもらってもよろしいですか?」
「え?うん……」
少女がこいしに握り飯を食べさせ終えるのを見計らい、イトハは一言断りを入れて少女と立ち位置を変えてもらってこいしの前に座り込む。
そして、こいしのやせこけた頬に手を添えると、彼女の体調を確認するために慎重に触診をし始めた。
(……目の焦点が定まっていない。私の手の感触に僅かに反応はするものの後は微動だにしない。重度の意識障害が出ていますね。ほとんど廃人状態です。一体何故こんな事に……?)
ふと、イトハはこいしの手を見て違和感を覚える。
(……!手の指先……薄っすらとですが
こいしの手の指先が奇妙なほどに変色している事に気づいたイトハはハッとなり、今度はこいしの口元へと視線を向ける。すると、よく見れば口元も指先同様に変色しているのが確認できた。
(これは『チアノーゼ』……!血中に酸素が行き渡っていない、つまりは呼吸がしっかりできていない証拠……!)
それに気づいたイトハは、今度はこいしの胸元と手首にそれぞれ自身の耳と指を押し付ける。
(……脈拍、心臓の動機、共に正常。しかし、伝わってくる僅かな
ふいに、イトハの首筋がずきりと痛む。と、同時に連れ去られる時の光景が唐突に脳内にフラッシュバックした。
首筋に受けた衝撃と共に襲ってきた強い四肢の痺れと呼吸困難。
(――まさか)
自分の頭の中に飛来した答えを確かめるべく、イトハはこいしの首筋を見るために長くなった髪をかき分けて、
(――!)
イトハが絶句する視線の先、こいしの首筋にはイトハが受けた刺し傷と同じような
それを見たイトハは確信する。
(――『
本来、人間でこれほどの症状がでたのなら、命の危険に大きく関わるものであった。
しかし、こいしは妖怪。同じ症状は出ても、人間よりも強い抵抗力を持っているがため、今もなお彼女は自分の命を繋ぎとめていたのだ。
だが、それでもその影響は確実に表れていた。
症状もそうだが、首筋の複数の刺し傷もそうだ。もう肉眼でも見えにくくなるほどに完治しかけのモノがほとんどではあったが、それでも治り切れていないモノもいくつかあった。
普通、妖怪ならこの程度の刺し傷は一時間もしないうちにほとんど奇麗に治る。
しかし、この刺し傷の多さからして、こいしは
(それで今の治りの状況がこれなら……。危険ですね。こいし様の回復能力が格段に落ちてきている……!)
このままではあと数日もしない内に毒か栄養失調で命尽きるのが目に見えていた。
その時、ふとイトハの視界がこいしの胸元――
「……!?」
「こ、れは……!!」
そこにあった光景を目の当たりにし呆然と目を見開いていた。
それと同時に再び脳内でフラッシュバックする過去の一場面――。
――それは地霊殿に初めて来た日。さとりとの会談が一段落した後の話であった。
『……古明地さとり。ちょいとその報告書、俺にも見せてくれねぇか?』
「ええ、いいですけれど」
唐突にテレビ通信機の中の四ツ谷が、燐が持って来た報告書を見せてほしいと言い、それをさとりは了承したのだ。
そうして小傘の手を借りて画面越しに報告書の中身を読み漁る四ツ谷。
ぺらりぺらりと、小傘が報告書のページをめくり続け、四ツ谷はやがてすべて読み終えると眉根を寄せてさとりに声をかけていた。
『……この報告書によると、ガキ共全員の死因は【
「はい、そうです。……私たちが見つけた子供たちの死体も、ほとんど骨と皮だけしかないやせ衰えた状態でした」
さとりの話を聞きながらも、四ツ谷はジッと報告書を睨みつけ、そしてさらに続けてさとりに問いかけた。
『……この報告書によれば遺体は全て
「そうですよ。……担当している自警団の方が言うには、恐らく死体を遺棄した現場まで引きずったりなどしてかなり粗末に運んだ事が原因なんじゃないかと言ってました」
『……こう言うのは気が引けるが、遺体を解剖したりとかしなかったのか?』
四ツ谷がそう問いかけた瞬間、さとりは心苦しそうに俯く。
「……遺体の解剖は……自警団の方たちも考えたみたいですが。……遺族の方たちに即反対されたみたいです。あんな変わり果てた姿で棄てられてた上に解剖なんて、家族側から見れば溜まったもんじゃないですから……」
『……まぁ、身内からすれば、そうだろうなぁ』
絞り出すようにそう答えるさとりに、四ツ谷もバツが悪そうに頬をポリポリとかきながらそっぽを向く。
だが数秒の沈黙の後、四ツ谷は再びさとりへと視線を戻した。
『……しかし、解剖できなかったのによく死因が衰弱って分かったな?』
「解剖は出来なかったみたいですが、ある程度検証はされたみたいです。子供たちについた傷は無数にありましたが、どの傷も致命傷と言えるほど深くは無いモノばかりだったらしく、その為外傷が直接の死因では無い事が結論付けられたみたいです。……一応子供たちから血も採種されたみたいですが、血中からは
『ふぅん……』
さとりからの説明を聞いた四ツ谷は曖昧な相づちを打つとさとりから視線を外し、顔を険しくさせながら何かを考えながらぽつりと響く。
『……だが、そうなると……。ガキ共につけられた傷の内、
「……どういう意味です?」
四ツ谷の言葉から聞き捨てならないモノが飛び出し、それを耳にしたさとりは怪訝な顔で四ツ谷に問いかけた。
しかし四ツ谷はチラリとさとりの方を見やると、首を軽く振った。
『……いんや、忘れてくれ。俺の中でもまだ仮説の域を出てないハナシだからな。深読みする必要なんてねーよ』
そう四ツ谷が言ったのを最後に、この話は半ば無理矢理に終わらせられたのであった――。
(……あの時、四ツ谷様は仮説ではあれど薄々この事実に気づかれておられたのですね……)
小さくわなわなと、たくし上げたこいしの服を持つ手を震わせたイトハは、やがてゆっくりとその手を下げてこいしの服を元の状態へと戻した。
そうしてゆっくりとこいしから離れたイトハは、今度はそばで様子を見ていた、こいしに握り飯を食べさせた少女へと視線を向ける。
「……?どうしたの?」
「……ちょっと、申し訳ありません」
不安げに首をかしげる少女にイトハは一言、そう断りと入れるや否や、いきなり少女の手をつかむと少女の着物の袖を肩口辺りまで勢いよくまくり上げた。
「キャッ!!」
「……ッ!やはり……
少女の小さな悲鳴と共にイトハの顔が大きく歪んだ。
そこには、こいしの服の下に隠された惨状と同じ光景が広がっていた――。
手首から肩口まで、それこそ治りかけから真新しいモノまでびっしりと刻まれた傷の数々――。
切り傷、刺し傷はもちろんの事、何かで強く叩かれた事による
「……ゃ…………いやぁっ………!」
腕の傷跡を見られた少女は恐怖に怯え、イトハの手を振りほどく。
すると、強くつかんでいたわけでは無かったイトハの手はあっさりと少女の手を離れた。
振りほどいた少女はそのままよろよろと畳へとへたり込むと、小さく嗚咽を漏らしながらその場に
「……や……いやぁ…………やめて……酷い事、しないで……痛いのはもう嫌なのっ……ひぐっ、うぅぅ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
何かに怯えるかのように、少女は小さく蹲ったままブルブルと震え、誰に対してかの謝罪を繰り返し、繰り返し、響き続けた――。
身体的にも精神的にもボロボロにされた少女を見下ろすイトハは、自身の喉の奥からグツグツと熱いモノが込み上げてくるのを感じた。
そうしてチラリと周囲にいる子供たちにも目を向ける。
子供たちは何が起こったのかすらも分からず、ただ戦々恐々とした面持ちでイトハと蹲る少女を遠巻きに見ていた。
その子供たちの着物からのぞく肌にも、こいしや少女と同じような傷が無数についている事を遠目から確認したイトハは、さらに強い激情にかられる。
これは――ここにいる子供たちは全員……何かしらの『体罰の類』をその身に刻み続けられていたのだ。
そして恐らくは、先の会話からしてそれを行ったのも間違いなくあの鬼の面の女なのであろう。
言い表せない怒りがイトハの全身を駆け巡り、それに耐えるかのようにイトハは自身の両手をギュッと握りしめた――。
最新話投稿です。
次回以降もシリアスな展開はもう少し続きそうです。