四ツ谷文太郎の幻想怪奇語   作:綾辻真

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前回のあらすじ。

イトハと赤糸が戦いを繰り広げる中、尾花や四ツ谷たちは皆一様にイトハの身を案じ続ける。


其ノ十二

赤糸の気配が忽然と消え、それを感じ取ったイトハはすぐさま踵を返し、赤糸の気配が消えた地点へと向かう。

 

(……まさか、私を追うのを止めて人質に使うために子供たちの方へ……?しかしあの蜘蛛女の足の速さなら、問題なく子供たちの元にたどり着く前に追いつくことが出来る。……いや、もしかすると……?)

 

そこでイトハはふと、それとは別の推測が閃き、走りながら思案顔になる。

 

(……念には念を。……保険はかけておくべきですね)

 

そう判断するとイトハはすぐ近場の和室へと飛び込み、そこにあった()()()に手をかけた――。

 

 

 

 

()()()()()()()()和室を飛び出したイトハは、その足で再び赤糸の気配が消えた場所へと向かう。

()()()()()()()()()、薄暗い廊下を風のように駆ける――。

そうして、赤糸の気配が消えた辺りまで来ると走る速度を落とし、慎重に廊下の奥へと進み始めた。

一歩一歩、()()()()()()()()()イトハはゆっくりと暗がりの廊下を突き進む――。

赤糸が奇襲を仕掛けて来ても、いつでも迎撃できるように神経を研ぎ澄ませながら。

――しかし、イトハはその時、気づいていなかった。

 

 

 

赤糸が既に……()()()()()()()()()()()――。

 

 

 

「――!!」

 

ヒュン!という風を切る音がイトハの耳に届き、それと同時にイトハは反射的に身体を大きく左横に傾けていた。

すると、先程までイトハの頭部があった所を見覚えのある毒々しい色をしたグロテスクな脚が通過する。

避けきれなかったイトハの髪が一部その足と接触し、数本の髪の毛が宙を舞った――。

「なっ!?」と、明らかに動揺した声が天井の方から響くと同時に、イトハはバックステップを踏んで天井へと視線を向ける。

すると、そこには赤糸がいた。

彼女はなんと、天井に逆さまの状態で張り付き、そこでイトハを待ち伏せていたのだ。

まるで(てのひら)や足に吸盤が付いているかのように天井の板にピタリと四肢を張り付かせ、背中からうねうねと蜘蛛の脚を蠢かせながら自分を見るイトハを怒りと混乱が混ざったような目で睨みつける。

 

「何でわかったんだい!?私がここにいる事が……!!」

「殺気で丸分かりなんですよ」

 

狼狽える赤糸にイトハは呆れた目を向けてそう響いた。

実際、確かに赤糸がイトハに攻撃を仕掛ける直前まで、イトハは赤糸が真上にいた事に気づく事は無かった。

蜘蛛の妖怪である赤糸にとって無音で移動する事や待ち伏せなどを行うために、気配や音を殺して行動することなど造作も無い事であった。

しかし、そんな彼女でも攻撃する際に生まれる『殺気』だけはかき消す事が出来なかったらしく、それをイトハに感知されあっさりと回避されてしまったのである。

 

(――とは言え、それまで天井に彼女がいた事に私が気づかなかったことは事実。彼女の殺気に気づいてなかったら今ので私がやられていました……)

 

内心、肝を冷やしながらもイトハは未だ天井に張り付く赤糸を睨みつける。

 

(……この蜘蛛女は、()()()、気配や音を消す事に長けている見たいですね。……それも()()()()()()()()ではなく、先天的に……。しかも何の道具も無しに天井に張り付くことも容易くできる……。流石は蜘蛛の妖怪と言った所でしょうか……)

 

イトハがそんなことを考えている間に、赤糸の方は悔しそうに歯ぎしりをしながら次の行動へと移った。

 

「逃がさないよクソガキ!今度は確実に仕留めてやるよッ!!ハァァッ!!」

 

そう叫んだと同時に赤糸は天井から離れ、覆いかぶさるようにイトハの方へと落ちて来る。

それを見たイトハは後転してそれを回避する。

そして着地したばかりの赤糸は、イトハに反撃の隙を与えまいと毒を纏った蜘蛛の脚で突きの連撃を放つ。

しかし不規則に繰り出されるその攻撃をイトハは瞬時に見切り、一瞬の隙を見つけて赤糸の懐に飛び込んでいった。

 

「……ッ!!」

 

それを見た赤糸も直ぐに全力で後方へと飛ぶ。

直後、先程まで赤糸の胴体部分があった場所にイトハの回し蹴りが通過した。

それを見た赤糸は大きく顔を歪めると蜘蛛の特性を生かしてそのまま天井、右壁、左壁、そして廊下の床と順に飛んで張り付きながらイトハから大きく距離を取る。

 

(距離が空きましたね。なら、また逃げの一手といきましょうか)

 

赤糸が距離を取ったのを確認したイトハは再び彼女から逃げようと踵を返そうとし――。

 

「――!?」

 

――その視界の端で赤糸がニヤリと不気味な笑みを浮かべたのを目にする。

ゾクリ……!と、嫌な予感が一瞬にして背筋を駆け上がり、同時にイトハはすぐさま赤糸へと体を戻す。

その瞬間、イトハの左腕にべちゃり!と生暖かい『何か』が付着する。

何事かと視線を腕に向けると、そこには白い粘液のような物体が鳥もちのようにべったりとイトハの左腕に張り付いていたのだ。

 

「……っ!!」

 

驚き目を見開くイトハ。見るとその粘液は太い『糸』となって赤糸の方へと延びており、糸の先は赤糸の着物の袖口から中へと繋がっていた。

それを見て、すぐさまイトハはこの粘液が赤糸の袖口から糸状に伸びて発射され、イトハの腕に付着したのであると容易に理解できた。

そして、この粘液の正体が何であるのかも。

 

(……蜘蛛の糸!)

 

イトハが内心、そう確信したと同時に赤糸の笑みが一段と深みを増した。

そして、次の瞬間には赤糸は糸が伸びた方の右腕を大きく引っ張ったのだ。

と同時にそれに繋がっていたイトハもそれに引っ張られ、バランスを崩して前の目に倒れる。

 

「ぐっ!!」

 

突然の事ではあったが何とか受け身を取ったイトハであったが、それで終わりでは無かった。

赤糸が再び右腕を突き出すと、その袖口から伸びた糸がまるでコンベックス(巻尺)の巻き取りのように勢いよく袖の中へと吸い込まれ始めたのだ。

 

「あっ……!!」

 

それに連動して自身も倒れた状態のまま廊下を滑り、赤糸の元へと引き寄せられていくイトハ。

そんなイトハをまるで獲物を待ち構える獣のように赤糸は四本の蜘蛛の脚を大きく広げ、下卑た笑みを浮かべて待ち構える。

 

「終わりだよクソガキ!」

「いえ、まだです!」

 

勝利を確信して毒に濡れた蜘蛛の脚を振り下ろそうとする赤糸。しかしイトハはそれをすぐさま否定すると、引きずられる勢いのまま体勢を立て直して立ち上がると、そのまま引っ張られる速度よりも早く赤糸の元へと走りこんでいったのだ。

 

「!?」

 

突然の事に驚く赤糸。しかし、すぐさま毒を注入しようと目の前に来たイトハに蜘蛛の脚を振り下ろす。

だがイトハの方も勢いよく赤糸の目の前まで走りこんできた次の瞬間、身体を後ろに倒して足先から赤糸の少し大きく開かれていた足の間へと滑り込み(スライディング)を行う。

 

「なぁっ!!?」

 

驚く赤糸。同時にイトハに向けて降ろされた四本の蜘蛛の脚は全て外れ、イトハが赤糸の脚の間をくぐった直後に廊下の床に突き刺さった。

幼く小柄な身体だったが故、赤糸の『股くぐり』を難なく成功させたイトハはすぐさま立ち上がって赤糸と相対する。

 

「クソッ!往生際の悪い……!!」

 

悪態をつきながら赤糸もすぐさまイトハへと向き直る。

その両者の間には未だに蜘蛛の糸が繋がれていた。

今一度引っ張ってイトハを引き寄せようとする赤糸であったが、それよりも先にイトハが動く。

素早い動きで赤糸へと向かって突撃するイトハ。それを見た赤糸は今度こそ毒を撃ち込もうと蜘蛛の脚を振り下ろすも、イトハはやはりそれを回避し、()()()()()()()()()風のように赤糸の脇を駆け抜けた。

 

「なっ!?」

 

驚き、『壁走り』を行うイトハを見て目を丸くする赤糸。

そんな赤糸をしり目にイトハは壁から大きく跳躍すると赤糸の後方へと飛びながら蜘蛛の糸が張り付いた左腕を大きく『円』を描くように動かした。

左腕の動きによって糸の方にも『円』が出来、それがまるで輪投げの輪のように赤糸の頭から首へとすっぽりとはまると、それを見たイトハが着地と同時に勢いよく糸のついた左腕を引っ張った。

 

「ぐえぇぇっ!!?」

 

それによって糸に出来た『円』が急速にしぼまれ、中にあった赤糸の首が強く絞まる形となったのである。

突然息が出来なくなり、目を大きく見開いて身悶える赤糸。

しかし、それを気にする様子も無くイトハはそのままギリギリと糸を引っ張って赤糸の首を絞めあげていく。

 

「ぐっ……うぅぅ……がぁっ!」

 

息苦しさで悶えていた赤糸であったが、すぐに袖口に繋がれていた糸を外す。

糸の片方が外れた事により、赤糸の首を絞めていた部分が緩み、するりと糸が首から解かれ引っ張られていたもう一方であるイトハの元へと持っていかれる。

引っ張る力が急に失われ数歩後ろへとたたらを踏むイトハであったが、足に力を入れバランスを保つと、左腕に付いている糸を全て巻き取ると、踵を返して廊下の奥へと駆け出す。

 

「ゲホッ!ガハッ!……ま、待てぇっ!!クソガキがぁぁぁッ!!!!」

 

大きくむせながらも何とか息を整えた赤糸は、憎悪を込めた叫び声をイトハの背中に浴びせながら無我夢中に彼女を追いかけ始める。

そして、もう一度彼女を捕えようと、両腕の袖口から連続で蜘蛛の糸を何本も放った。

しかし最初の不意打ちのように上手くはいかず、走りながら肩越しに赤糸を見ていたイトハに素早く回避されてしまう。

それを見て悔しそうに赤糸は顔を歪めるも、それでも蜘蛛の糸を放つことを止めず続ける。

一方、イトハの方も背後から放たれる蜘蛛の糸を走りながらかわしながらも、()()()に四苦八苦していた。

 

(蜘蛛の糸が……取れない!)

 

まるで強力な接着剤でくっついたかのようにイトハの左腕に付着した蜘蛛の糸は、何度引っ張っても彼女の腕から取れる様子が無かったのである。

 

(くっ!……ただの糸じゃないという事ですか……!)

 

内心悪態をついたイトハは、廊下の先にあった曲がり角に走ると素早くその角を曲がり赤糸の視界から消える。

赤糸もイトハを追いかけて続けて廊下の角を曲がった。しかし――。

 

「なっ……、いない!?」

 

角を曲がった先にはイトハの姿が影も形も無かったのである。

 

「クソッ、どこ行ったクソガキッ!?」

 

悪態をついて赤糸は直ぐにイトハを探してその近辺を動き回り始める。

そして肝心のイトハはというと、赤糸がいる場所からすぐ近くの和室へと飛び込み、息をひそめていた。

薄暗い和室の中を一本だけ立てられた燭台の蝋燭が、申し訳程度のほのかに部屋の中を明るく照らし、その炎をゆらゆらと揺らめかせる。

その明かりを頼りに、イトハは左腕の蜘蛛の糸を何とかはがそうとするも、糸は鳥もちのように一向にイトハの腕から離れない。

引っ張っても爪を立てても、伸びはするものの千切れる様子が全くないのだ。

――誰もが知っている事ではあるが、蜘蛛の糸というのはこと蜘蛛と同じ虫たちには脅威な代物であるが人やその他の動物たちにとっては大したものではない。

赤子の手をひねるよりも簡単んに手で払うだけであっさりと千切れてしまう。

 

――だが実は蜘蛛の糸には鋼鉄以上の強度とナイロンのような伸縮する性質が秘められている。

 

その強度は鋼鉄の約五倍。計算上、直径1センチ程度の太さの糸で蜘蛛の巣を作れば、飛んでくる飛行機ですら受け止められると言われているのだ。

したがって、いくらイトハが糸を引きちぎって取ろうとしてもまるでビクともしないのも無理は無い事だったのである。

だが、そんな知識を知らなかったイトハは、蜘蛛の糸との悪戦苦闘をいったん止めると、部屋の中から外の様子をうかがう。

 

(……!またあの蜘蛛女の気配が……!)

 

先程と同じように赤糸の気配が消えている事にイトハは小さく顔を歪めた。

この部屋に飛び込む直前までイトハを追ってきたのは確かなため、まだすぐ近くにいる事は間違いないのだが、赤糸が気配を消したことで今どこにいるのか正確な位置を特定することが出来なくなっていた。

 

(気配をさらしながら闇雲に探し回ると思っていましたが、相手も存外やりますね……。これでは下手に動けない)

 

気配は全く感じない。しかし、確実にすぐそばにいる。それはイトハが紅魔館時代に培った直感がそれを告げていた。

 

(気配を殺しての待ち伏せに蜘蛛の糸による攻撃……。敵も考えて来てますね、当初の頭に血が登って闇雲に追いかけて来ていたのが嘘のようです)

 

そこまで考えたイトハは小さくため息をついた。

 

(これは……()()()()()()でしょうか?『逃げ』に徹していたのが災いして彼女に冷静な判断力を取り戻させてきているのかもしれません)

 

事実、それは的を射ていた。この大きな密室空間(屋敷)の中において、赤糸は未だに追う側の立場であった――。

そして、出口が見つからず屋敷の中を逃げ回るだけのイトハは追われる側の立場である事には変わらず、このまま消耗戦が続けば先に音を上げて追い詰められるのは確実にイトハの方であった。時間と共に心身ともに消耗したところをあの毒の脚で刺されれば敗北は必至。それで反撃に出ようにもやはり毒が障害となり、迂闊に直接攻撃が出来ない。

それ故、一定の距離を保ちながら出口を見つけるという逃げの一手をイトハは行っていたのだが、それが逆に赤糸の逆鱗を鎮める時間稼ぎとなってしまい、同時に自分とイトハの状況を正確に考え直し、自身が未だに有利な立場にいる事を改めて再確認させる余裕を生み出してしまっていたのである。

その為、今の赤糸は激昂しながらも反面、冷静となった一部の思考回路でイトハをどう追い詰めていこうか模索していた。

慌てる必要はない。出口が見つからず、猛毒も所持し、隙あらば他のガキ共の所へ向かって人質にもできる自分の方が未だに優位な立ち位置なのだと――。

そしてそれは、イトハの方もよく理解していた。

 

(戦況は極めて不利。……となるとやはり、一刻も早く出口を見つけるのが最善手かもしれません。私が出口を見つけて逃げられれば、あの蜘蛛女も自分の立場が危うくなるのも理解できるはず。そうなれば今以上に執拗に私を捕えようと追いかけ、他の子たちの事を気にする余裕がなくなるかもしれません。望みは薄いですが……。それでも何とか少しでも私が外とコンタクトを取って、四ツ谷様たちがここに気づいてくれるきっかけが作れればまだ勝機はあります……!)

 

イトハは背後の襖を少し開けて、今し方まで走っていた廊下の様子を覗き見る。

薄暗い廊下の壁に申し訳程度に蝋燭が点々と灯され、廊下の様子をぼんやりと照らし出していた。

イトハはそんな廊下の様子を目だけを上下左右に動かして安全を確認する。

どうやら目に見える範囲には赤糸はいないようで、それを確認したイトハはゆっくりと襖をあけて廊下に出た。

そして再び思考を巡らし始める。

 

(……この『鬼ごっこ』が始まる時……あの蜘蛛女は言ってましたね。……『毒で捕まえた子供たちは【拷問部屋】へと連れて行く』と……。ですが午前中、この屋敷を見まわった時、それらしき部屋は()()()()()()()()()()()()()。となると、その部屋はこの屋敷の外――おそらくあの蜘蛛女がこの屋敷に出入りしている近くにある可能性が高い。そして、そこを見つけさえすれば……自ずと屋敷の出口も見つかる……!)

 

そう結論付けたイトハはそろりそろりと廊下を慎重に歩いていく。廊下の角の影や近くの部屋の中から不意打ちで赤糸が襲ってくるのを考え、注意深く一歩一歩、危機感を持ってゆっくりと――。

 

 

プツッ……。

 

 

「?」

 

不意に足元に(わず)かな違和感を感じ、イトハは足元へと視線を向ける。

そこには仄かな蝋燭の光に当てられて光りながら、ゆっくりと床に落ちる()()()()――。

 

「糸……?」

 

肉眼でも見つけるのが難しそうなほどに極細なその糸を見てイトハは怪訝な顔を浮かべ、すぐさまハッとなる。

何せ見た目はまるで違えど、イトハの腕にも同じく『糸』が付着し絡まっているため、その細い方の糸の正体も自ずと察しがついたのだ。

 

「まさか、この糸――」

「――見つけたよぉ!!!!」

 

イトハの呟き声を覆うようにして、別の女性の怒号が廊下に響き渡った。

慌ててイトハが視線を動かすと、いつの間にか少し先の廊下の奥に赤糸が立ちふさがっており、()()()()()()()()()()イトハの方へと向けていた。

 

「……っ!!」

 

それを見たイトハは反射的に横に飛ぶ。すると赤糸の右腕の袖から太い蜘蛛糸が放たれ、今までイトハがいた場所を通過する。

それをしり目にイトハは赤糸を睨みつけるも、その瞬間、赤糸は今度は左腕を持ち上げて再び糸を放ってきた。

 

「くっ!!」

 

イトハは瞬時にそばの襖を開け放ち、その和室の中に転がり込んでその糸も回避する。

そして部屋の奥まで逃げるとイトハは直ぐに身体を反転させ、今し方この部屋に入ってきた入り口を睨む。

するとそこから下卑た笑みを浮かべながら、赤糸も続いて入って来た。

そして和室に入った途端、赤糸は後ろ手に先程入って来た入り口を襖で閉める。

密閉された和室の中で対峙し、睨みあう二人。

数秒の一触即発後、先に動いたのは赤糸であった。

赤糸は素早く腕を上げるとその袖から糸を放つ。

しかし、狙った先はイトハではなかった。

 

「!?」

 

目を見開くイトハの前で()()()()()()()()()()()()()()に蜘蛛の糸がくっつき、それが赤糸によって引き倒される。

倒された燭台から落ちた蝋燭は畳の上を跳ね、その衝撃からか途端に火が消える。

辺りが真っ暗になる直前、赤糸が素早く()()()()()()()()()のがイトハには見えた。

蝋燭の火が消え、和室の中は一寸先すら見えない暗闇と化す。

 

(あの蜘蛛女は、一体何を……?)

 

暗闇の中、先程行った赤糸の行動の意図が分からず内心混乱するイトハ。

だが、とりあえず移動しようとイトハが体を僅かに傾けた、その次の瞬間であった。

 

プツッ……。

 

イトハの露出した肌に()()()()()当たり、それがあっさりと切れるような感触――。

それは先程、廊下でイトハが足に引っ掛けて千切ってしまった()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――ッ!!」

 

その瞬間、イトハをめがけて風切り音と殺気が同時に放たれ、それに気づいたイトハは畳の上を転がるように本能的にそれを回避する。

ブォン!という音と共に毒蜘蛛の脚が空を切った。

安堵するイトハ。だが未だに危機は脱していなかった。

転がった先にも糸らしきモノが複数張り巡らされており、それがイトハの身体に絡まって一斉に引きちぎれたのだ。

 

「くぅッ!!?」

 

それを合図にしてか、暗闇の中で再び蜘蛛の脚がイトハを正確に狙い打ち、襲う。

だがそれよりも前に殺気で気づいていたイトハは紙一重で再びそれを回避しきる。

そして、同時にイトハは瞬時に気づいた。

 

(まさか……!この部屋中に無数の極細の糸を張り巡らせて、それを感知器(センサー)代わりに……!?)

 

蝋燭を倒して部屋を暗くした瞬間、赤糸は部屋中にちょっと触れただけでも脆く千切れやすい細糸を無数に張り巡らせ、その糸にかかる振動や千切れた瞬間を感知し、イトハの居場所を瞬時に突き止め襲っていたのだ。

こういった方法で獲物を捕らえる蜘蛛は確かに存在する。

赤糸もまた暗闇でイトハの視界を封じ、糸を使ってイトハの居場所を割り出し、不意打ちで仕留めようとしていた。

部屋の中は墨を垂らしたかのような漆黒の世界。その中で赤糸がどこにいるのかもわからず、しかも部屋中に彼女のセンサーとなる蜘蛛の糸が無数に張り巡らされているという非常に不利なその状況に、イトハの顔に初めて焦りの色が浮かんだ。もっとも、暗闇の中故、赤糸からはその表情は見える事は無かったが。

プツッ、プツッ、とまたもやイトハの身体に蜘蛛の糸が接触し、それが千切れると同時に暗闇の中から毒に濡れた蜘蛛の脚が彼女へと振り下ろされる。

だが今回は完全に回避することが出来ず、蜘蛛の脚がイトハの肩口を僅かに切り裂いた。

 

「――ッ!!」

 

肩に接触する蜘蛛の脚の感触にイトハの顔から一瞬にして血の気が引き、同時に息が止まる。

しかし、幸いな事に赤糸の蜘蛛の脚はイトハの着物の布地を小さく引き裂いただけに留まり、その下の肌に届くことは無かった。

――危機一髪。しかし未だ状況は変わらずこのままでは毒の餌食になるのも時間の問題であることは目に見えていた。

しかし、一刻も早くこの部屋を出ようにも、部屋中に蜘蛛の糸が張られているため動けば途端に糸が切れ、先に赤糸に居場所を特定されてしまう。

 

(……一か八か!)

 

暗い部屋の中でしゃがみ込み、冷や汗を流しながら決意を込めた目でイトハはある事を決断し、()()()()()()()()()()手を突っ込んだ――。

 

 

 

イトハに対して赤糸の方は暗闇の中でも余裕な表情で構えていた。

部屋の明かりを落としたと同時に蜘蛛の糸を部屋中に張り巡らせた赤糸は、暗闇の中でも楽勝と言わんばかりにイトハのいる場所を見つけてはそこに蜘蛛の脚による攻撃を繰り返していた。

暗闇の中故、反撃もできず蹲りながら逃げ惑うイトハに赤糸は溜飲が下がる思いと同時にニヤニヤとした笑みが顔に浮かぶ。

 

(よぉーやく、狩られる獲物らしくなってきたじゃないか!)

 

迂闊に部屋から逃げ出せないこの状況。もはや自分の勝利は確かだと言わんばかりの表情で、この娘をどう料理してやろうかと赤糸は妄想を巡らせていた。

するとその時、再び暗闇の向こうでプツッ、と糸が切れる感触が赤糸へと届く。

 

(馬鹿め、無駄なあがきを……!)

 

下卑た笑みを浮かべながら、音も気配も立てず素早く糸が切れた地点へと赤糸は急速に接近する。

そして、到着すると同時に毒に濡れたその蜘蛛の脚を目の前の暗闇へと思いっきり振り下ろそうとした。――次の瞬間。

 

ヒュンッ……!!

 

暗闇の向こうから空気を切り裂く音と共に『何か』が一直線に勢いよく赤糸の方へと向かって来たかと思うと、それが赤糸の右頬をかすめて後方へと飛んで行った。

 

「……ッ!!?」

 

数秒遅れて赤糸もそれに気が付き、振り下ろそうとした蜘蛛の脚を途中で止めて数歩、後方へとよろける。

何が起こったのかすら分からず、赤糸は半ば無意識に『何か』がかすめていった自分の右頬へと手をやった。

すると、手の指先にべっとりと液体のようなモノが付着する感触がある。

それが、自分の頬から切れて流れ出す、()()()()である事に気づくのに早々時間はかからなった――。

 

「なっ!?」

 

絶句する赤糸。だがそんな彼女に向かってまたもや風切り音と共に正体不明の『何か』が飛来する。

今度は赤糸の左側数センチ離れた所を通過していき、それに切られてか赤糸の髪の毛が数本、宙を舞った。

 

「ヒッ!!?」

 

それが続けざまに二、三度。暗闇の向こうから放たれ、それら全ては赤糸に直撃こそしなかったものの、得体の知れないモノがそばを通過していく怖さとその勢いに押され、赤糸自身が無意識に後退していた。

やがて赤糸の背中が部屋の隅――そこにあった襖に当たり、脆くなっていた襖は赤糸の身体を支えきれずそのまま赤糸もろとも隣の部屋へと倒れこんでいた。

 

「がはっ!!」

 

背中を襲う衝撃で声と共に息を吐き出す赤糸。

だがすぐさま赤糸は混乱しながらもその上半身を起こし、今し方まで自分がいた暗い部屋の奥を凝視する。

赤糸が倒れこんだ隣の部屋にも蝋燭が設置されており、それがその部屋全体を照らし出していた。

その明かりが赤糸と共に倒れた襖の空いた空間から暗闇と化した部屋に一筋の光を伸ばす。

 

その光の先に――イトハがいた。

 

イトハはしゃがんだまま部屋の奥で倒れこんだ姿のまま固まっている赤糸を睨みつけていた。

そのイトハの右手が胸元で構えられており、その手の人差し指と中指の間に小さい『何か』が挟まっているのを赤糸の目がとらえた。

それをよく見ようと赤糸の目が無意識に細められる。

やがてそれが何なのか分かった瞬間、赤糸が驚きに目を丸くした。

 

()()()……()()!?)

 

なんとイトハは、帯の中に隠し持っていた陶器の破片を()()()()()()()()()()赤糸に向かって勢いよく投擲(とうてき)していたのだ。

その破片はイトハが最初に赤糸の気配を失った時に、飛び込んだ和室の(とこ)の間に飾ってあった陶器の壺を割って作った簡易の投擲武器であった。

鋭利(えいり)に尖った破片だけをすぐさま選別し、それを帯の中に忍ばせていたのである。

それを先程暗闇の中で、蜘蛛の脚を振り下ろそうとしたその瞬間に生まれた赤糸の殺気ですぐさま彼女のいる位置を特定し、赤糸が仕掛けるよりも早くその方向に向けてイトハは帯の中の破片を勢いよく放ったのであった。

唖然とする赤糸。しかしすぐさま反撃に出ようと立ち上がろうとし――それよりも先にイトハが持っていた()()()破片が赤糸に向かって放たれた。

 

「ヒッ!」

 

反射的に赤糸は両腕で自分の顔をかばう。

しかしそれは陽動(ようどう)で、放たれた破片は赤糸に当たることなく明後日の方向へと飛んでいき、そこにあった壁に当たり砕け落ちた。

その間にイトハは、赤糸がいる部屋とは反対側の襖を開けてその部屋に転がり込む。

それを両腕を下ろして見た赤糸は慌てて立ち上がると、必死な形相でイトハに向けて距離を縮める。

対してイトハは、そのまま転がりながらその部屋の奥にあった床の間の土器の壺のそばまでやって来ると、自分に向かって突進してくる赤糸を睨みつけながら、裏拳で土器の壺をたたき割った。

ガシャァン!!という音と共に土器の破片が宙を舞う。イトハはすぐさま空中を舞う破片の一つを素早くつかみ取ると、そのままその破片を赤糸に向けて投擲した。

 

「ヒィッ!?」

 

破片が赤糸の頭上をかすめて飛んでいき、それに赤糸が小さく悲鳴を上げたと同時に無理矢理動きを止めてしまい、その拍子にバランスを崩し尻もちをついた。

それを見たイトハは土器の他の破片をいくつか回収すると、それを再び帯の中に忍ばせて立ち上がり、廊下に続く襖を開け放つとそこから廊下へと飛び出していった。

 

「ま、待てぇっ!!」

 

それに気づいた赤糸も慌てて彼女の後を追い始める。

 

――以前、イトハが小傘に話した自身の持つ武術、その一つである『戸隠流』はそれ自体は正確には格闘技ではなく『()()()()()』であり、これは実際、外界でも護身術の一つとして使われている。

とは言え、その流派のほとんどの技術を会得したイトハは疑似的にも『忍者』としての才能も開花させていたのである。

それ故、気配や音を殺して移動する事も、物の投擲なども朝飯前であった。

 

その技術を持ってして今もなおイトハは、赤糸に追われながらも風のように薄暗い廊下を駆け抜けていく――。

 

 

 

 

 

そして、イトハと赤糸の『鬼ごっこ』はいよいよ後半戦へとなだれ込もうとしていた――。




最新話投稿です。

一応、ここまでがイトハと赤糸の『鬼ごっこ』、その前半戦と区切らせていただきます。
さてここから後半戦、どう料理したものか……orz

未だに細かい所がちゃんと出来ていませんので、またしばらく次の投稿は遅れるかもしれません。
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