薊の家に一晩泊めてもらった四ツ谷たちはそこで大家を名乗る男と出会う。
四ツ谷と小傘が長屋へと帰ったその同じ日の昼頃、椿は人知れずとある青年と密会をしていた。
二十代前半だと思われるその青年は必死な形相で椿に言葉を投げかけていた。
「……椿さん、僕の気持ち分かってはもらえませんでしょうか?」
「…………」
青年からの問いかけに椿は目を伏せて沈黙する。
今椿は青年から
青年は彼女の娘、穂積が亡くなってしばらくしてから、毎日のように彼女の元を訪れ彼女に求婚していたのだった。
現在三十代前半の歳で、未だに美しい容姿を保ち続けている彼女が、相次いで家族を亡くし周りから陰口を叩かれて、苦しめられているのが我慢ならなかったが故に起こした青年の行動であった。
周囲から『死神に憑かれた女』と囁かれ、彼女から距離を置いた男衆の中にも未だに影ながら彼女に思いを寄せる者が何人かいた。この青年もその一人である。
青年は十近く椿とは歳が離れてはいたが、彼女への恋心は強く、それは何年経っても衰える事はなかった。
その想いが穂積の死をきっかけにして一気に爆発したのである。
「薊ちゃんも瑞穂ちゃんも、ちゃんと自分の娘として大事にしていきます。椿さんも前の旦那さんたち以上に幸せにして見せます。ですから、どうか……」
「……お気持ちは、とても嬉しいです。ですが……あなたは知っているのでしょう?私と一緒になるという事が、
恐る恐るといった感じで椿は青年に問いかけるも、青年はキッパリと返してきた。
「あんな噂はデタラメだ!今まであなたの身に起こった事は、ただ不幸が重なっただけに過ぎない!僕がそれを証明してあげますよ!」
根拠の無い、それでいて力強く放たれた青年のその言葉に、椿は内心で揺れ動いた。
そして彼女の中で僅かに、本当に僅かに、『この人となら今度こそは』という淡い希望が浮かび上がってしまったのだ。
その隙を突くかのように、青年の言葉が椿を畳み掛けてゆく。
「お願いです。もうあなたが苦しむ顔など見たくないのです。もし僕に何かあったとしても……信じてください、僕は絶対に死にません。どんな手を使ってでも生にしがみ付いて、あなたを守って見せます……!」
椿の両手を握り、必死に懇願して詰め寄ってくる青年に、椿はついに根負けして小さく頷いてしまうのだった――。
そんな二人のやり取りを、少し離れた物陰で見ている者がいた。
鬼のような形相で歯軋りをし、爪が皮膚に食い込んで血を滲ませるほどに握りこぶしを作って青年を睨みつける。
そして自分のプロポーズを受け入れてくれた椿を力いっぱい抱きしめる青年に向かって小さく呟いた――。
「殺す……!」
同じ日の夜、人里の繁華街にて一人の女性が大通りを歩いていた。
二つのお団子を作ったピンク色の髪を持っており、右腕は全体に包帯でグルグル巻き、左腕には鎖のついた腕輪をつけたその女性は、花と茨の刺繍が入った服を纏っていた。
仙人を名乗るその女性、名は
「~♪ちょっと飲みすぎちゃったかしら?ま、こういう日があってもいいわよね~」
少し千鳥足になりながら独り言を呟く華扇。均整の取れた身体、整った顔立ち、どこの誰もが見ても美人に分類される女性であったが、当の本人は夜の人気の少ない通りに向かってフラフラと歩いていった。
その道を通れば
異性なら誰もが目を引くという容姿なのにそれを理解しているのかいないのか彼女はドンドン奥へと進んでいく。
しかし突然彼女の脚が止まった――。
どこから現れたのか夜の闇の中から一匹の猫が現れ、彼女の脚にすがり付いてきたからだ。
近所で飼われているのであろうその猫は何かを訴えるようにして「ニャー、ニャー」と鳴きながら、華扇の脚にくっついて来る。
「ん~?キミ、どうしたのかな?」
そう言いながら猫を抱き上げようとした華扇だったが、それより先に猫が離れ、華扇に向かって、まるで「こっちに来て」と言いたげに首を動かし、走り出した。
それを見た華扇は首をかしげながらも何かただ事ではないことが起きていると直感し、猫の後を追う。
走り出してからそう時間もかからず、猫は華扇を目的の場所へと連れてきていた。
「!?」
そこは人気の無い小さな路地。その路地の真ん中に月明かりに照らされて若い男が頭から血を流して倒れていた――。
「ちょ、ちょっとあなた大丈夫!?しっかり!!」
酔いが完全に吹っ飛んだ華扇は慌てて男に駆け寄って抱き起こす。
抱き起こしたと同時に男の口から苦悶の声が漏れ、まだ生きている事に華扇は小さく安堵した。
しかし、頭部から大量の血を流している事から油断を許さない状況だと思い直し、男に声をかける。
「気を確かに持って!今すぐ永遠亭に運んであげるから!!」
「ぅ……ぐぅ……も、申し訳、ありま、せん……つば、き……さ……」
聞き取りにくいほどに小さくそう呟いた若い男はガクリと頭を垂らし、動かなくなった――。
翌朝、椿は洗濯をするために家の直ぐそばにある井戸へ水を汲みに来ていた。
その傍らには近所のおばさんたちが井戸端会議をしており、姦しく世間話をしていた。
椿はおばさんたちに軽く会釈すると、家から持ってきていた桶に井戸水を注ぎ始める。
するとおばさんたちの所に、また別のおばさんが慌てた様子で駆け寄り開口一番に叫んだ。
「ちょっと聞いた!?夕べ繁華街の近くの路地で男の人が頭から血を流して倒れていたそうよ!!」
「ええ本当!?妖怪にでもやられたの!?」
「いいえ。どうやら鈍器か何かで頭を殴られたみたいだから、人間の仕業じゃないかって話よ」
おばさんたちの話に耳を傾けながら、椿は静かに水汲みを続ける。
元々盗み聞きする趣味は無いのだが、周囲をはばからずやかましく話し続ける彼女たちの声は嫌でも耳に入ってきてしまっていたのだ。
「ふ~ん。で、その殴られた男の人、どうなったの?」
「すぐに永遠亭に運ばれたって話だけど、どうなったのかは知らないわ。……でもね実はその殴られてた男、私知ってんのよ。ウチの旦那の仕事仲間でね、何度か顔合わせてるのよ。確か名前は――」
今だやかましく話し続けるおばさん連中。その話題を持ってきたおばさんから被害者の男の名前が出た途端――。
バタッ……
何かが倒れる音がその場に響き、おばさんたちが何事かと一斉にそちらへと眼を向ける。
そこには
いきなりの事態に眼を丸くして呆然となるおばさんたち。だがそれに上乗せする形でさらに驚愕する出来事が起こった。
どこから現れたのか彼岸花を思わせる赤い髪を持った女が椿に駆け寄り、彼女を抱き起こしたのだ。
身の丈はあろう巨大な鎌を持って――。
「椿!おい、しっかりするんだ!椿!おい!!」
その場に固まって震え始めるおばさんたちを無視し、その女性――小野塚小町は必死に気を失った椿に向かって声をかけ続けたのだった――。
少し短いですが、キリがいいのでここで投稿させていただきます。